ワルディーの京都案内

ワルディーの京都案内

2017/05/12
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テーマ: 京都。(6436)
カテゴリ: 講演会
【 2017年 5月12日(金)】

 今日は色々忙しく京都の中を歩き回りました。

 午前中
 1) 京都アスニー ゴールデン・エイジアカデミー『大政奉還の描いた未来』 聴講
 午後
 2)京都ウェルカムサポーター下鴨神社現地研修見学
 3)下鴨神社資料館 秀穂舎見学
御蔭祭見学

 2)、3)は、 こちら に投稿しましたので、よろしければご覧ください。

 この投稿では、1)、4)について書きます。

 京都アスニー ゴールデン・エイジ・アカデミーは無料で事前申し込みもいらないセミナーです。今月は大政奉還150年を記念して、それに関連した講演が3回あります。

 今日はその1回目で 『大政奉還の描いた未来』 と題して、 京都国立博物館学芸部上席研究員 の 宮川禎一 (ていいち)氏による講演でした。

 慶応3年(1867)9月、京都の幕閣に土佐藩が提出したのが 「大政奉還建白書」 です。この中身をまず解説していただきました。

松平(山内)容堂 の本書です。




 後半が 土佐藩重役連 の建白です。 後藤象次郎 の名があります。








 今日の宮川氏の説明と食い違う部分があるいかも知れませんが、Wikipediaの情報をもとに大政奉還の経緯をまとめました。

公武合体 を構想していた 薩摩藩 は、切り札と考えた 四侯会議 (1867年)でも15代将軍に就任した 慶喜 の政治力により無力化されたため、慶喜を前提とした諸侯会議路線を断念し、 長州藩 とともに武力倒幕路線に傾斜していきました。
(注)四候会議の構成員は島津久光(薩摩藩主の父)、松平慶永(前越前藩主)、山内豊信(前土佐藩主)、伊達宗城(前宇和島藩主)

 このような状況の中、土佐藩の後藤象二郎は、慶応3年(1867年)坂本龍馬から大政奉還論を聞いて感銘を受け、坂本の船中八策にも影響され、在京土佐藩幹部に大政奉還論の採用を主張しました。これに薩摩藩の小松清廉(帯刀)らも同意し、6月22日薩土盟約が締結されます。

 大政奉還論はいわば平和裏に政体変革をなす構想でしたが、薩摩藩がこれに同意したのは、慶喜が大政奉還を拒否すると予想し、これを討幕の口実にすることにあったともいわれます。そのため、盟約には土佐藩の上京出兵および将軍職・廃止を建白書に明記することが約束されました。

 後藤は帰国して土佐藩兵を引率してくる予定でしたが、 山内容堂 (前土佐藩主)は大政奉還を藩論とすることには同意したものの、上京出兵には反対し、建白書の条文から将軍職廃止の条項を削除しました。薩摩側は長州・芸州との間で武力倒幕路線も進めており、結局9月7日に薩土盟約は解消されます。

 10月3日、土佐藩は大政奉還・建白書を藩主・山内豊範を通じ単独で将軍・徳川慶喜に提出しました。


 次に 坂本龍馬 による 「新政府綱領八策」 、いわゆる 「船中八策」 です。慶応3年(1867年)6月、坂本龍馬は いろは丸沈没事件 を解決させたのち、京都に上洛していた前土佐藩主の 山内豊信(容堂) に対して大政奉還論を進言するため、藩船の 夕顔丸 で長崎を出航し、上洛中の洋上で参政の 後藤象二郎 に対して口頭で提示したものを海援隊士の 長岡謙吉 が書きとめ成文化したとされています。(このくだりもWikipediaからの情報なので、今日の宮川氏の説明と一部矛盾するところがあるかもしれません。)

 「○○自ラ盟主ト為リ」の○○部分は諸説あるようですが、龍馬は 松平春嶽 を考えていたのではないかというのが、宮川氏の考えでした。







 慶応3年10月から11月の坂本龍馬の活動の主軸は「新国家」の建設でした。龍馬は自分で越前福井を訪ね、 三岡八郎(由利公正) に会って、新政府の財政問題を聞いています。三岡は、藩主・ 松平慶永(春嶽) から財政手腕を評されて抜擢されましたが、長州征伐で、藩論を巡って対立した征伐不支持と薩摩藩や長州藩など雄藩支持の両派の提携を画策したものの、支持が得られず福井にて蟄居・謹慎処分となっていました。

 11月5日に京都に戻った龍馬は三岡を朝廷に推薦し、早期の京都出仕を計りました。さらに、11月8日に松平春嶽とともに上京してきた 中根雪江 (福井藩重役)に手紙(新発見)を出し、三岡の出仕を要請しています。さらに幕臣 永井尚志 や中根雪江らと会合を重ね、徳川側も薩長側も納得する「新国家」のかたちを龍馬は構想していたようですが、11月15日に河原町の 近江屋 で暗殺されました。


新発見の 龍馬書簡









 あまり知らない部分のお話でしたので、面白く聴講しました。


 下鴨神社に向かい、午後、ウェルカムサポータの現地研修で同期ガイドの案内を聞き、我がガイド会が案内・受付を担当している下鴨神社資料館の秀穂舎を見学しました。帰宅しようと思って外に出たら、御蔭祭の列が下鴨神社に帰ってきたところでしたので、見学しました。

御蔭祭 は、 葵祭 の前祭です。比叡山、山麓にある 御蔭神社(下鴨神社摂社) より 荒御霊(あらみたま) を迎える神事です。行列は、国内で 最古の神幸列 と言われています。

  行列が御蔭神社から 糺の森 に戻ってきたところでした。 儀装馬車 に乗るのは、 下鴨神社宮司・新木直人 氏。







白い神馬 に乗った 荒御霊





切芝神事 東游(あずまあそび) が舞われます。
 神馬は神馬幄へ入り、幕が引かれ、頭だけ出しています。









 行列は本殿方向へ

















 予期せず、御蔭祭に遭遇し、ラッキーでした。




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最終更新日  2019/05/31 08:31:25 AM
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