ワルディーの京都案内

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2026/06/04
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テーマ: 鉄道(26734)
カテゴリ: 京都市の鉄道史
京都市の鉄道史
~その2~


1) 神戸/大阪間開通

神戸/大阪間の工事は、新橋/横浜間の工事に遅れることわずか4か月で、明治3年8月に開始された。モレルが伴ってきたジョン・ダイアックとジョン・イングランドが技術指導にあたった。明治5年、モレルの後任として、リチャード・ピカース・ボイルが着任し、神戸に駐在し、阪神間の鉄道建設を統括した。阪神間にはトンネルは不要のように思われるが、石屋川、芦屋川、住吉川という3つの天井川があり、それぞれにトンネルが掘られた。石屋川トンネルは明治4年7月に竣工し、我が国初の鉄道トンネルとなった。明治7年2月竣工の武庫川橋梁(全長255m)が我が国初の鉄橋となった(新橋/横浜間にも鉄道橋はあったが木橋であった)。こうして、明治7年5月21日から神戸/大阪間の営業が開始された。一日8往復、神戸/大阪間の所要時間は1時間15分であった。

2) 大阪/京都間開通
 大阪/京都間の工事は政府の財政難もあり、開始が遅れ、ようやく明治6年12月にダイアックを中心として開始された。明治9年7月、大阪/向日町間開通。中間駅は高槻だけ。明治9年8月に中間駅として、吹田、茨木、山崎が加わり、9月5日には京都大宮通りに仮営業所を設けて一日6往復で大宮/神戸間(うち1往復だけ大阪止め)で営業を開始した。京都駅は大宮仮停車場の東約800mの場所に明治10年2月に竣工した。赤煉瓦造り2階建てで中央が小さい塔のようになった左右対称の建築であった。初代京都駅である。2月6日、明治天皇の行幸をあおぎ大阪、神戸、京都で開業式が挙行された。初代京都駅は「ひっちょのステンショ」(七条のステーション)の愛称で市民に親しまれた。
 何故、京都駅は七条通近くに造られたのであろうか。当時の京都の中心は、モダン建築が今も多く残る三条通であり、それらモダン建築の分布をみると、三条通のなかでも烏丸通/河原町通間に集中している。ここが明治期の京都の中心だったと考えられる。国土地理院公開の京都駅近辺の最も古い地形図である明治22年版を見てみよう。初代京都駅ができた12年後の地図である。西洞院通から本町通にかけての市街地の最南端は七条通であることが分かる。土地買収がしやすくて、かつ烏丸通/河原町通間に近いこの場所が選ばれたのではないかと、筆者は推定している。

3) 京都/大津間開通・・・日本人だけによる初の鉄道敷設
 明治11年、内務卿大久保利通は海運網と連絡する鉄道を重視する政策に転換し、大津/京都間、敦賀/米原間の鉄道敷設などに予算を振り向けた。
 大津/京都間を直線的に結ぼうとすると、東山、逢坂山に長いトンネルを掘る必要があり、それを避けるため、大津への路線は現在の東海道本線とは全く異なるルートとなった。京都から鴨川の左岸を南下し、稲荷の南で東山の切れ目(大岩街道)に沿って東北方面に折れ、山科盆地を東北に向かって進み、逢坂山に665mのトンネルを掘り、大津への急勾配を避けるため一旦馬場(現膳所駅)に向かい、スイッチバックして大津(現京阪浜大津駅付近)に至るというものであった。これらが、それぞれ我が国初の山岳鉄道トンネル、スイッチバック方式路線となった。工事は明治11年8月に始められたが、この工事は、顧問の外国人技師1人を除き、すべてが日本人の手によって行われた。そして担当責任者全員が井上勝が明治10年、大阪駅舎2階に開いた工技生養成所の出身者であった。
 まず、明治12年8月、京都/大谷間開通。逢坂山トンネルは死者4人をだす難工事であったが、明治13年7月、大津まで延伸開業し、神戸/大津間が全通することになった。京都/大津間は日本人の手のみで成し遂げた最初の鉄道敷設工事であり、日本の鉄道土木工事における技術の自立という点からみて画期的であった。
 今も、旧逢坂山トンネルの遺構が残っている。東北側トンネル入口の中央上部には、三条実美(さねとみ)公揮毫の「楽成頼功」の扁額が見られる。「工事に関わった人々の功に頼って落成した」という意味だが、「落成」では「落盤」などを連想させるため、「楽成」というポジティブな言葉に変えているのが面白い。工事に携わった人々が、犠牲者を伴う難工事の末このトンネルを完成させ、これが楽しい世の中に繋がるという意味を伝えたかったのであろう。このトンネルは戦時中は軍需工場に転用された。また、昭和35年に鉄道記念物指定された。現在では京都大学防災研究所地震予知研究センターの施設として利用され、防災のために有効活用されている。
 「汽笛一声新橋を はや我汽車は離れたり」の歌い出しで有名な歌は明治33年に世に出た鉄道唱歌東海道編であるが、その45番で「大石良雄が山科の その隠家はあともなし 赤き鳥居の神さびて 立つは伏見の稲荷山」と山科と伏見稲荷が歌われている。その伏見稲荷部分を刻んだ歌碑が、JR稲荷駅の「JR稲荷駅ランプ小屋」(準鉄道記念物)の傍らに建つ。今この歌碑だけ見れば、何故、奈良線なのに鉄道唱歌東海道編の歌碑があるのかと不思議に思うだろうが、これは、当初の東海道本線が前述のように稲荷を通るルートをとったことによるものである。
 大動脈の鉄道が通ったこともあり、より大くの参拝者が伏見稲荷を訪れるようになった。地元では、古老が語る次のようなエピソードが語り継がれている。

 さて、これで神戸から大津(現・びわ湖浜大津)まで開通したが、大津/琵琶湖東岸間については、時間のかかる鉄道敷設ではなく、琵琶湖を利用した鉄道連絡船が選択された。
 明治14年9月に、琵琶湖湖上輸送を担う太湖汽船が設立され、明治15年5月、日本初の鉄道連絡船が大津/長浜間に就航した。琵琶湖東岸から敦賀に至る鉄道ルートについては、明治17年4月に長浜駅/金ヶ崎駅(かねがせき)(後の敦賀港駅)間が全通した。これにより、連絡船経由ではあるが、神戸(太平洋側)と敦賀(日本海側)が鉄道によって結ばれることになった。                                                                                           

5.東海道線全通
1)東西両京接続の当初計画は中山道
 東西両京間(東京/京都間)を中山道で結ぶべきか、東海道で結ぶべきか、明治時代初めから種々調査、測量が行われた。当初は東海道で考えられていたようだが、これら調査・測量により、東海道は海運がすでに整備されており東海道経由では二重投資になる、東海道には峻険な箱根の山があり、富士川・安倍川・大井川・天竜川などの大河もあり工事が容易ではない、中山道にすればその沿線の産業開発が進み日本経済にも有益である、また戦時に攻撃を受けにくい(当時は飛行機はなく、艦砲射撃しか考えられなかった)などの理由から中山道経由が優位となっていった。さらに、日本最初の私鉄である日本鉄道が、明治16年7月、上野/熊谷間を開通させ、翌年には高崎まで延伸することになっていた。西側では、明治16年5月、長浜/関ヶ原間が開通し、翌年には大垣まで延伸されることになっていた。このような状況下、ついに政府は明治16年8月、高崎/大垣間の中山道経由の鉄道敷設を決定した。
 そして、明治18年10月、高崎/横川間が開通したが、横川/軽井沢間の碓氷峠の工事が困難を極めた。一方京都側では、明治16年5月に長浜/関ケ原間、明治17年5月に関ケ原/大垣間、明治20年1月に大垣/加納(現岐阜)間など延伸が続き、同年4月、長浜/武豊(知多半島北部東岸)間が全通した。このうち加納/武豊間は中山道から外れている。物資を名古屋方面から運ぶための支線の位置づけであった。

2)東海道線へのルート変更
 この頃、東海道へのルート変更を主張したのが、二等技師であった原口要であった。原口は中山道ルートを調査・測量し、工事が極めて困難であることをつきとめた。また、箱根の難所も御殿場経由で迂回すれば、それほどの難工事でないことを発見した。この報告を聞き、井上勝鉄道局長官は中山道の再調査を命じ、その結果中山道経由では、完成までさらに7、8年の期間を要するという結論に達した。
 井上は両京を結ぶルートを中山道から東海道に変更する「中山道鉄道ノ儀ニ付上申」を明治19年に提出し、7月13日の閣議で可決され、東京/名古屋間約400kmにも及ぶ幹線鉄道のルート変更(しかも着工後の)が行われることになった。日本の鉄道史上、空前絶後の出来事であった。
その後、着々と工事が進み、明治22年7月には琵琶湖連絡船に頼っていた琵琶湖東岸部分も、関ケ原から馬場駅(現膳所駅)が開通し(同月に長浜/米原間が開通し、関ケ原/長浜間は、関ケ原/米原間にルート変更された)、ついに新橋/神戸間が陸路全通した。
 東海道本線の西側部分が三重県経由の旧東海道ルートではなく、岐阜県経由の中山道ルートになったのは、敦賀と京阪神を結ぶことや、名古屋地域の港(武豊)とも結ぶことが優先されて路線が敷設されており、東海道経由と決まった際、既存の路線をできるだけ利用するという経緯があったからである。また、長浜は現在では北陸本線上の駅であり分岐は持たないが、最初は関ケ原と直接結ばれていたということである。下記地図で、明治22年7月に深谷/米原間が結ばれた後は、深谷/長浜間は貨物支線になった後、明治32年12月、廃線となった。




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最終更新日  2026/06/06 03:21:34 PM
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