ワルディーの京都案内

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2026/06/24
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テーマ: 鉄道(27797)
カテゴリ: 京都市の鉄道史
京都市の鉄道史
~その13~


12. 新時代の鉄道
1)東海道新幹線

 東海道新幹線の実現可能性調査は昭和31年から行われ、昭和33年12月に建設計画が閣議決定された。在来線の狭軌ではなく、高速運転が可能で、輸送効率に優れる広軌(標準軌)が採用されることになった。昭和34年4月に着工し、昭和39年10月1日、初回東京五輪の9日前のに開通した。世界初の高速鉄道で、「ひかり」が4時間で、東京/新大阪間を結んだ。その後、高速化が進み、平成4年3月に登場した「のぞみ」がさらなる改良を進め、東京/新大阪間は約2時間20分(令和2年3月時点)で結ばれるまでになっている。
 京都駅には、「ひかり・こだま」時代も「ひかり」が停車し、「のぞみ」登場後も「のぞみ」が停車する駅となっている。

2)東海道新幹線 数々の「京都飛ばし」
 今でこそ、すべての新幹線列車が京都駅に停車するが、初期段階ではそもそも京都を通さないという計画だった。できる限り東京~名古屋~大阪を直線的に結んで到達時間を短くしようとすると、京都府の南部を横切ることになり、京都市は通らない(第一の「京都飛ばし」)。一方でそのルートだと鈴鹿山脈を長さ10kmを超えるトンネルを掘らねばならない。しかし、それは当時の技術力や限られた工期ではとても難しく、結果的に、後に冬季の雪に悩まされることになるが、名古屋から北寄りに向かう関ケ原経由のルートが選ばれ、結果的に京都市を通ることになった。もちろん当時の京都の政財界による熱心な新幹線誘致活動が後押ししたのは間違いないだろう。
 京都市を通ることになったが、当初は在来線駅とは離れたところに「新京都」駅を設置する案が有力だった(第二の「京都飛ばし」)。そのときどこがが新京都駅の候補地となったのであろうか。図1に示すように、奈良線稲荷駅北方附近に設置する案(南案)、五条烏丸附近地下に設置する 案(北案)が有力であった。当時は地下鉄がなく市電が走っていた時代。五条烏丸では市電で京都駅と行き来をしなければならない。在来線で京都駅と結べる南案の方が有力だったようだ。これら案に地元行政や財界が猛反発し、陳情を重ね、なんとか昭和35年頃、土壇場で現駅併設にこぎつけた。ただ、建設用地の確保が必要だった。そのため、駅の南側にあった機関車留置線などは駅の東側へ、客車留置線は新設の向日町運転区(のちの京都総合運転所)に移転させた。それでも若干用地が不足したため、新幹線駅は八条通の上空に最大12m程度張り出している。
 もう一つの問題は「ひかり号」が通過扱いとなっていたことである(第三の「京都飛ばし」)。これも、地元の強力な陳情があって、開業まで1ヵ月少々の昭和39年8月18日にようやく京都駅停車が決定したのである。
 前述した「京都飛ばし」に比べると、相当軽い「京都飛ばし」だが、第四の「京都飛ばし」もある。「のぞみ」は平成4年3月運行開始したが、東京発の「のぞみ」一番列車301号は、京都と名古屋を通過したのである(当時の時刻表が図2)。これは、夜間の保線作業後直後には徐行運転が必要で、その時間を挽回して、新大阪に到着させるためであった。ただ、その後の保線作業改善で平成9年11月のダイヤ改正でこの問題は解消した。

2)京都市営地下鉄(京都市高速鉄道)
 地下鉄建設の話は、昭和43年に開かれた京都市交通対策審議会から始まったといってよい。将来的には市電を廃止して地下鉄とバスに再編していくという議論が始まったのである。議論を経て、昭和47年2月の京都市会において全会一致で地下鉄建設が決められた。昭和47年10年に運輸大臣から工事施工の認可が下り、当初は、昭和53年3月に北山/竹田間が全線開業の予定だったが、北山/北大路間、京都/竹田間の用地買収交渉遅れといった事情により、ひとまず北大路/京都間を先行着手することにし、昭和49年11月29日に起工した。そして、ようやく昭和56年5月、烏丸線北大路/京都間を開業させた。
 昭和63年6月、烏丸線京都/竹田間が開業。同年8月には、近鉄京都線と新田辺駅まで相互直通運転を開始した。近鉄との相互乗り入れは当初から計画に入っており、大阪の地下鉄御堂筋線のようにレールの横にもう1本集電用レールを敷く「第三軌条集電」ではなくパンタグラフによる集電が必要で、それだけトンネルの断面も大きくなり、建設費が高くつく要因の一つになった。

・平成2年10月、烏丸線北大路/北山間開業
・平成9年6月、烏丸線北山/国際会館間開業
・平成10年10月、東西線二条/醍醐間開業。
 京阪京津線が御陵から京都市役所前まで乗入れ
 開始 
・平成16年11月、東西線醍醐/六地蔵間開業
・平成20年1月、東西線二条/太秦天神川間開業

 図3は昭和53年の京都市高速鉄道計画路線図(全体構想)である。このうち太秦天神川~洛西ニュータウン~長岡の路線と竹田~三栖の路線は実現していないし、今も具体的な計画はない。一方で北山/国際会館間は当時の計画にはなかった区間である。

【北大路駅の秘密の線路】
 ところで夫婦漫才として人気を博した春日三球・照代さん(図4)はご記憶にあるだろうか。三球氏の「…しかし、地下鉄の電車をどっから入れたんでしょうねぇ。それ考えると一晩中眠れなくなるの」が定番のネタであった。その答えが、昔、京都市営地下鉄で見ることができた。開業当初の路線は、前述のように北大路駅/京都駅間で、全線地下であった。全線地下の場合、車庫をどうするのかというのが問題になる。何両も連結した編成を何本もどこに止めておくのか、どこで検査をするのかということである。実は北大路駅にはホームからは見えない線路が西側にもう1本あり、そこで日頃の検査をしたのである。今も国際会館行きの電車に乗って、北大路駅に着く直前に、西側に線路が分かれているのが見ることができる。その先に車両検査用の「秘密の線路」が1本あったのである(図5)。そしてこの線路の天井に約25m×5mの穴が開けられていて、ここから電車を1両ずつクレーンで吊り下げて地下に下したのである(図6)。現在では、地上に竹田車庫があり、ここで検査や新車両の搬入が行われている。


3)嵯峨野観光鉄道
 嵯峨野観光鉄道は「トロッコ列車」としてよく知られる。平成元年3月に、電化複線化のため新線に切り替えられて廃止されたJR西日本山陰本線嵯峨駅/馬堀駅間の旧線を、観光鉄道として利用するため、平成2年11月に設立された会社で、平成3年4月に開業したトロッコ嵯峨駅/トロッコ亀岡駅間の嵯峨野観光列車(図7)を運営する。廃止以来使用されていなかった線路を短期間で整備するため、社員全員でレールや枕木の交換、草刈りなどの作業が行われた。JR西日本の完全子会社ではあるが、日本民営鉄道協会にJRグループ及びその関連会社として唯一加盟している。




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最終更新日  2026/06/27 05:15:48 AM
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