京都市を通ることになったが、当初は在来線駅とは離れたところに「新京都」駅を設置する案が有力だった(第二の「京都飛ばし」)。そのときどこがが新京都駅の候補地となったのであろうか。図1に示すように、奈良線稲荷駅北方附近に設置する案(南案)、五条烏丸附近地下に設置する 案(北案)が有力であった。当時は地下鉄がなく市電が走っていた時代。五条烏丸では市電で京都駅と行き来をしなければならない。在来線で京都駅と結べる南案の方が有力だったようだ。これら案に地元行政や財界が猛反発し、陳情を重ね、なんとか昭和35年頃、土壇場で現駅併設にこぎつけた。ただ、建設用地の確保が必要だった。そのため、駅の南側にあった機関車留置線などは駅の東側へ、客車留置線は新設の向日町運転区(のちの京都総合運転所)に移転させた。それでも若干用地が不足したため、新幹線駅は八条通の上空に最大12m程度張り出している。
前述した「京都飛ばし」に比べると、相当軽い「京都飛ばし」だが、第四の「京都飛ばし」もある。「のぞみ」は平成4年3月運行開始したが、東京発の「のぞみ」一番列車301号は、京都と名古屋を通過したのである(当時の時刻表が図2)。これは、夜間の保線作業後直後には徐行運転が必要で、その時間を挽回して、新大阪に到着させるためであった。ただ、その後の保線作業改善で平成9年11月のダイヤ改正でこの問題は解消した。
大阪の地下鉄御堂筋線のようにレールの横にもう1本集電用レールを敷く「第三軌条集電」ではなくパンタグラフによる集電が必要で、それだけトンネルの断面も大きくなり、建設費が高くつく要因の一つになった。
ところで夫婦漫才として人気を博した春日三球・照代さん(図4)はご記憶にあるだろうか。三球氏の「…しかし、地下鉄の電車をどっから入れたんでしょうねぇ。それ考えると一晩中眠れなくなるの」が定番のネタであった。その答えが、昔、京都市営地下鉄で見ることができた。開業当初の路線は、前述のように北大路駅/京都駅間で、全線地下であった。全線地下の場合、車庫をどうするのかというのが問題になる。何両も連結した編成を何本もどこに止めておくのか、どこで検査をするのかということである。実は北大路駅にはホームからは見えない線路が西側にもう1本あり、そこで日頃の検査をしたのである。今も国際会館行きの電車に乗って、北大路駅に着く直前に、西側に線路が分かれているのが見ることができる。その先に車両検査用の「秘密の線路」が1本あったのである(図5)。そしてこの線路の天井に約25m×5mの穴が開けられていて、ここから電車を1両ずつクレーンで吊り下げて地下に下したのである(図6)。現在では、地上に竹田車庫があり、ここで検査や新車両の搬入が行われている。

嵯峨野観光鉄道は「トロッコ列車」としてよく知られる。平成元年3月に、電化複線化のため新線に切り替えられて廃止されたJR西日本山陰本線嵯峨駅/馬堀駅間の旧線を、観光鉄道として利用するため、平成2年11月に設立された会社で、平成3年4月に開業したトロッコ嵯峨駅/トロッコ亀岡駅間の嵯峨野観光列車(図7)を運営する。廃止以来使用されていなかった線路を短期間で整備するため、社員全員でレールや枕木の交換、草刈りなどの作業が行われた。JR西日本の完全子会社ではあるが、日本民営鉄道協会にJRグループ及びその関連会社として唯一加盟している。【京都市の鉄道史】その14 京都駅、結言 2026/06/27
【京都市の鉄道史】その12 ローカル鉄道 2026/06/23
【京都市の鉄道史】その11 その後の官営… 2026/06/21
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