初代京都駅は明治10年2月、官設鉄道の神戸/京都間の全通開業に合わせて開業し、明治天皇を迎えて京都駅で鉄道開通式が執り行われた。外国人技師設計による赤煉瓦のモダンな建物で(図1)、七条停車場、七条ステーションと通称されたが、「ひっちょのステンショ」の愛称で呼ぶ庶民も多かった。ただ、七条通に面していたわけではなく、現・塩小路通のすぐ南側に位置していた。当時は、西洞院通から本町通にかけては、七条通が市街の南端だったので「七条停車場」などと呼ばれたのであろう。現・京都駅からは、かなり北側になる。
この地は当時の繁華街三条通から遠く寂れた地域だった。用地買収の容易さもあって、この地が選ばれたのであろう。田んぼや畑の中に“レンガ造りのハイカラな駅舎”という風景が、当時の京都人の驚きと興味を誘ったという。図2は南西側から撮影した写真で、プラットフォームの後ろに駅舎が見える。線路の本数も限られている。駅ができたばかりの頃の写真であろう。

大きな京都駅は京都の市街を南北に分断するというので、駅全体を高架にしようという構想が昔からあった。しかし焼失した駅舎を急いで再建する必要があったため、高架化の構想が実現しないまま今日を迎えている。こんな背景のなか、昭和27年5月、三代目駅舎が完成した。鉄筋コンクリート造の2階建てで、中央に8階建ての塔を供えたデザインで、装飾とよばれるものはほとんどなく、合理的な設計だった(図5)。皆さんの記憶にある駅舎であろう。床面積は2代目よりも7倍大きく、当時はまだ高かった蛍光灯も多用された。
平安建都千二百年記念事業として、四代目京都駅舎への改築が計画された。国際コンペ方式がとられ、黒川紀章氏や安藤忠雄氏らも参加するなか、原広司案が最終優秀作品に決定した(原広司氏は、他に梅田スカイビル、札幌ドームの設計も行った)。これに基づき建設が行われ、平成9年9月に地上六階地下3階の四代目駅舎が全面開業した(図6)。「京都は歴史への門である」を設計主旨とし、京都のまちとの連続性を重視して条坊制(碁盤の目)を表現した外観を取り入れ、玄関口としての象徴である「門」を烏丸通と室町通に配している。
そこで、平成14年20年3月のダイヤ改正で乗り場番線と運転番線を統一することにした。1番ホームの南側には貨物列車や回送電車通過専用のホームのない運転番線3番の線路がある(図7)。1番ホームの線路を運転番線1とすると、2番ホームの線路は運転番線3になるので、2番ホームは3番ホームに変えなければならない。3番ホーム以降も同様に全部変えなければならない。これでは、駅側も客側も混乱するし、経費・時間もかかるので避けたい。また、JR西日本の山陰線以外の在来線のホームは10本あった。ホームのない運転番線が1本あるので、1番ホームの運転番線を1として、運転番線に合わせてホーム番号をつけると11番まで必要になる。ところがJR東海が新幹線のホームに11番から14番まで使っている。11番が重複してしまう。それも避けなければならない。
上屋とはホームの雨除け屋根のことである。京都駅で現存するホーム上屋は大正3年に完成した二代目駅舎建設時に設置された上屋である。明治の西洋様式を引き継ぐ優美な曲線、カーブを描く支柱、深く大きな屋根、そして鱗状にびっしりと軒部分を覆う軒飾り。当初より白くペンキで塗られた軒飾りは、格式のある京都駅ならではの装飾である。2、3番線ホーム、4、5番線ホーム、京都駅ビル下の1番線の東側において、優美な軒飾りを見ることができる。支柱に使われている鉄骨は明治に初めて鉄道が敷設されたときに英国から輸入されたと思われる刻印入りの線路が使われている。建築遺産ともいうべき歴史を誇る「ホーム上屋」である(図8)。【京都市の鉄道史】その13 新時代の鉄道 2026/06/24
【京都市の鉄道史】その12 ローカル鉄道 2026/06/23
【京都市の鉄道史】その11 その後の官営… 2026/06/21
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