さっちゃんのお気楽ブログ2

さっちゃんのお気楽ブログ2

2016年06月08日
XML
カテゴリ: カテゴリ未分類

キュウリ

2013年7月30日のブログ記事です
「昭和の良寛さん」
終戦後疎開していた田舎の町で、一年に何度か夏祭りや
秋まつりなどに露店市が出ていた
町の表通りにあった私の店の前にも、いろいろな露店が並んでいた
子供たちがいくらかお金を払ってくじを引く
何があたるのかよく知らないが、こどもの一人が
当たりくじを広げて見せると「お前、そこらで拾ったんだろ」と
親父にすごまれて、不満そうに立ち去る場面を何度か見た
一度もあたった賞品あげるところをみたことがない
父はそれを見て子供がかわいそうだと、ポケットマネーで
菓子などを買いそろえて5月5日の子供の日に近くの川原で
子供を集めて空くじなしのくじ引きをするようになった
現場を見ていないが、楽しそうに準備をしている父を思い出す。
地方の新聞にも「昭和の良寛さん」といって何度か載せて戴いた


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

父は50歳を越えて私が生まれた時には、
男の子が誕生したというので、随分喜んだようです。
小さな私を肩車して、友人の集まる立ち飲み屋さんに連れて行ったり、
端午の節句や誕生日には、多くの子供たちを集めてくじ引き大会をしたり、
私の通う学校に、顕微鏡や文具を寄贈したりもしていました。
そして、何度か「昭和の良寛さん」として新聞にも紹介されました。
父が亡くなったのは私が小学4年生になった時で、
今は父の記憶も断片的なものになってしまいました。

                    syun

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「父の願い」(3)
<つづき>
戦災後、父は被災者のみじめな姿を自虐的にうたい、
当時の世相を皮肉り、”敗戦数え唄”を自作し、
仕事をしながら、持ち前の大声で歌って、
自分の心をまぎらわすだけでなく、他人にも聞かせた。
私は父の唄に耳をふさぎ、食べ物を得るのに、
全力を傾けねばならぬ現実を見つめ、
屈辱の暮らしから、一日も早く脱出したいと願いながら、
「私は何をやりたいのか」
と夢のような事を自問し続けていた。
その頃は、私も母も、父の哀しみがどんなに深いか
分かっていなかったようだ。

父は戦後十年間の心労から胃がんになり、
六十三歳で亡くなった。
私はその数年前、校長に進められて教員になり、
生意気にも、でもしか先生と自嘲しながら、
漸く資格を得た。
その免許状が送られてくるのを待ちかねていた父は、
一目見て、僅かに安心したような眼ざしを見せた。
そして、その眼尻に一すじ涙を走らせただけで
何も言い残さなかった。
その時私は三十歳を過ぎて独身、
唯一の弟は十歳、母は病気がちでだった。

時々、父も夢に出てくるが、
いつも淋しそうにして、何も語らない。
いつまでも独りでいる私のことを、
まだ心配しているのだろうか。
それよりも「これからは、自分の好きなことを見つけて、
力一ぱいやりなさい」と励ましてもらいたい。
(おしまい)




本郷さん





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2016年06月08日 19時16分48秒
コメント(10) | コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

PR

プロフィール

さっちゃん211029

さっちゃん211029

カレンダー

コメント新着

アルプス@ Re:今年も良い年になることを願っています(01/01) syun様 こんばんは さっちゃん先生の霊山…
さっちゃん211029 @ いつもコメントありがとうございます アルプスさんへ syunです。 さっちゃんの…
アルプス@ Re:今年も良い年になることを願っています(01/01) 晴れてきました! 今日はさっちゃん先生…
aki@ Re:今年も良い年になることを願っています(01/01) この様な書込大変失礼致します。日本も当…
アルプス@ Re:今年も良い年になることを願っています(01/01) syun様 こんばんは 「橿原神宮初詣」拝見…

キーワードサーチ

▼キーワード検索

フリーページ


© Rakuten Group, Inc.
Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: