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2024年01月01日
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今日はさっちゃんの命日でした。早いもので、亡くなって7年になります。さっちゃんの眠る奈良の霊山寺にお墓参りに行ってきました。霊山寺のバラ園では美しいバラが沢山咲いていました。~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
2023年05月09日
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さっちゃんが亡くなって7年目の春を迎えようとしています。さっちゃんの眠る霊山寺ではこの時期、色んな花々が咲いています。やがて、薔薇の名所として知られる霊山寺バラ園も花で溢れます。久しぶりとなる今回は、以前訪れた「山梨の春の風景」をYouTubeにアップしたものを掲載しました。少し長いので時間のある時に、ご覧いただければ幸いです。
2023年04月15日
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あけましておめでとうございます。今年は「卯年」です。卯(うさぎ)は穏やかで温厚な性格から「家内安全」、そして、その跳躍する姿から「飛躍」「向上心」を象徴するものとして親しまれてきました。新しいことに挑戦するのに最適な年と言われているようです。新しい年も、まだまだコロナや戦争や物価高騰、異常気候等不安で落ち着かない日々が続きそうですが、負けずに頑張って行きたいと思います。皆様の健康とご多幸をお祈りいたします。今年の干支は「卯」ですが、12年前の「卯年」は2011年(平成23年)でした。この年の元旦の「さっちゃんのお気楽ブログ」に掲載されていた水彩画です。この年は東北大震災の起こった年で、なでしこジャパンがワールドカップで優勝した年でもありました。
2023年01月01日
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月命日にさっちゃんの眠る霊園に行ってきました。先日、7周忌の法要に行って以来でした。ここ霊山寺の霊園からは若草山が綺麗に望めます。又、バラ庭園では、この時期、素敵なバラの花を楽しめます。
2022年06月09日
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今年も桜の咲く季節になりました。やっとコロナの「まん延防止等重点措置」は全面解除されましたが、まだまだ安心できるような状況ではありません。一方、世界ではロシアがウクライナに侵攻し、悲惨な状況が次々とメディアで報道されて、世界中を不安に陥れています。心が安らぐ日が、一日でも早く訪れて欲しいものです。早いもので、今年5月にさっちゃんの7周忌を迎えます。昨年1月27日号の「東洋経済オンライン」の「ネットで故人の声を聴け」という連載コラムで「さっちゃんのお気楽ブログ」を取り上げていただきました。この度、この記事を書いて頂いたジャーナリストの古田雄介さんが、連載記事をまとめて「ネットで故人の声を聴け」を光文社新書より発刊されました。「インターネットと「死」をとりまく環境は時代によって大きく変化していく。消えずに残された過去は、生きている私たちの現在と未来をどう方向づけるのか? 故人がインターネットに残した足跡とどう向き合うのが正解なのか? 空間や時間をこえて届いた鮮烈なメッセージに耳を傾ける。「東洋経済オンラインアワード2021」MVP獲得の好評連載が一冊に。」~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~「読売新聞の記事より」ロシア軍によるウクライナへの攻撃が続く中、ウクライナを舞台に半世紀以上前に撮影された映画「ひまわり」が、全国の劇場で相次いで上映されている。戦争で引き裂かれた男女の愛を描いた名作で、ウクライナの現状と重ねながら見る人も多い。ヒマワリは平和を想起させる花でもあり、「一日も早く平和な日が来るように」と共感が広がっている。「ひまわり」は1970年のイタリア映画で、イタリアを代表する女優ソフィア・ローレン演じる主人公のジョバンナが、第2次世界大戦で旧ソ連に出征したまま、終戦後も帰ってこない夫を捜し続ける物語だ。ジョバンナが一面に広がるヒマワリ畑で夫を捜す印象的なシーンがある。上映を思い立った配給会社「アンプラグド」(東京)の池田祐里枝さん(34)によると、ウクライナ南部ヘルソン州で撮影された。畑で地元の人がジョバンナに語る言葉が戦争のむごさを突きつける。「イタリア兵とロシア人捕虜が埋まっています」「ご覧なさい ひまわりやどの木の下にも」映画では夫婦が散歩する川沿いの橋が爆撃されるシーンもあり、池田さんは先月24日の侵攻後、報道でウクライナが攻撃される映像を見て映画の場面を想起。「戦争が人々の人生を狂わせることを伝えたい」と、親交がある劇場に声をかけて上映されると、SNSなどで広がり、これまでに大阪や東京など約50か所で上映が決まった。この記事を読んで、若かりし頃に見た「ひまわり」を再度、見てみました。もの悲しい名曲とソフィア・ローレンの名演、やはり最高の傑作でした。
2022年03月26日
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さっちゃんが新たな気持ちで新年を迎えていた頃の記事です「新しい年を新しい気持ちで迎えました今年も楽しいことを見つけて熱中したいです結果より過程というか、旅の行く先はどこでもいいんです道中楽しいことを見つけてみんなと力を出し合ってなにかをつくる そんな一年であったらいいなあよろしくおねがいします」「新しい人への賀状4枚を書き元気付けにチョコを1こ含んででかけました外は風が冷たくて帽子を抑えながら西風に向かって駅前のポストまで10分駆け足です帰りは西風に背中を押されて小走りです正月の田舎のきれいな空気を胸いっぱい吸ってめんどくさがることはない、良い運動になりました」2010年 寅年のさっちゃんの年賀状です以前「東洋経済オンライン」の1月27日号の「ネットで故人の声を聴け」という連載コラムで「さっちゃんのお気楽ブログ」を取り上げていただきましたが、この記事を書いて頂いたジャーナリストの古田雄介さんが、「ネットで故人の声を聴け」が光文社新書より刊行されるそうです。書店に並ぶのは2022年2~3月頃になるようです。
2022年01月01日
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久しぶりにブログを更新させて頂きました。コロナ禍の続く中、お元気にお過ごしでしょうか。ワクチン接種も進んで、何とか明るい兆しが見えてきました。早いもので、さっちゃんが逝ってからもう5年半程になります。今日はさっちゃんの誕生日です。存命なら100歳です。この日まで生きていたいというのが、さっちゃんの口癖でした。さっちゃんがブログを始めたのは2006年、85歳の時でした。2年が過ぎた2008年の誕生日のブログ記事です。2008年10月29日 (87歳の誕生日) 今日はお誕生日、忘れていた ベルセンターの方から 「おめでとう」と電話を頂いて気がついた お誕生日の日は誰にも教えない よほど親しい人なら気軽におしえるが 誰も覚えていない 自分ひとりでお祝いしよう この日に頂いたコメントは3人でした その中に「§^。^§ さん」から、こんなコメントを頂いていました 「5年後のバースデーは世界中からお祝い届いてるよ\(^o^)/」5年後の2013年10月29日 (92歳の誕生) 誕生日のお祝いありがとうございます どんベえの会は盛大なさっちゃんの誕生祝賀会になりました うまれてはじめて全国の皆様から誕生の御祝辞をいただき 感激で胸がいっぱいになりました こっけっこっこ こけっこっこ とくばあさんと狸たちがお祝いに、干支のにわとりの ぬいぐるみをつくってきてくれました 一番乗りはカモミールさん お湯をわかしたり 何かと準備におおわらわです つぎにバンバカバンバン単車に積んだあれこれ いっぺんにお祝いムードにじゅんじゅんさん 鳴門のМさんは美しいお花の置物などなど お亀さんのぬいぐるみをつれてきたとーさん 日和佐から汽車を乗り継いでおそくなったはずです 2匹のおカメさんはヨタヨタとのんびりムード 皆さんからいただいた暖かいお心に感謝の気持ちでいっぱいです 幸せいっぱいのさっちゃんたちの写真は じゅんじゅんさんにおまかせです この日のコメント数は70も寄せられていました 最近、写真を整理していたら、40年前の写真が出て来ました。私(syun)の子供達とのさっちゃん60歳頃の思い出の写真です。
2021年10月29日
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さっちゃんが亡くなって、今日で5年になります。彼女が存命なら、今年は丁度100歳になります。今はブログも殆ど更新出来ていませんが、依然、多くの方にご訪問頂いています。「東洋経済オンライン」の1月27日号の「ネットで故人の声を聴け」という連載コラムで、取り上げていただいた際には、1万人を超える方々に訪問頂くこともありました。ウイズコロナの時代の到来など、さっちゃんの元気な頃には、想像できなかった事でしょう。ワクチン接種が進み、安心して過ごせる社会が一日も早く戻ってくる事を願うばかりです。2009年10月 第3回 堀江幸子個展 90歳人気ブロガー「さっちゃん」の 『また、あした。』 「思い出の章」よりMOONLIGHT玄関の細きガラスを透けてくる満月の夜の ほのかな光夜中にトイレに起きて廊下のスイッチをつけるまで真っ暗闇の中ガラスに透けてほのかな光が差し込んでくるああ、満月だったのだ・・・誰も起きていないけれどお月さまだけが「ここにいるよ」と声をかけてくれているようでホッとするこどものときに読んだベートーベンの月光の曲のお話を思い出す
2021年05月09日
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2007年3月3日 のブログ記事から勝浦のビッグひな祭りをみてきました。宣伝のとおりお雛様がびっしり並んでいました。お雛様の前で見ると見物の人々はみんな古びてくたびれていました。赤ちゃんや幼い子供はそれぞれかわいくて、お雛様の仲間入りしてました。これを作った人たちはいっしょうけんめい腕を振るって可愛く作ったのでしょう。これだけたくさん並べるともう美醜の差はわかりません。何百何千のお雛様がひとかたまりになっています。買ったときにはみんな一番気に入ったのをかったのです。ガラスケースに入っているお人形をみると自分の部屋にも一つ欲しいなあと思いました。 昭和63年の春に始まった「ビッグひな祭り」ですが、昨年はコロナで中止になったようで、今年は33回目の開催を迎えています。全国より、家庭で飾られなくなった雛人形を集め、供養し、展示されていて、場内の中央にそびえ立つ高さ約8mの「百段のひな壇」をはじめ、約3万体もの雛人形が豪華絢爛に飾られているようです。~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
2021年03月02日
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「東洋経済オンライン」の1月27日号の「ネットで故人の声を聴け」という連載コラムで「さっちゃんのお気楽ブログ」を取り上げていただきました。とても素敵な記事になっていますので、読んで頂ければ嬉しいです。さっちゃんも久しぶりにブログに光りを当てて頂き、喜んでいると思います。 https://toyokeizai.net/articles/-/405483尚、この記事を書いて頂いたのは、ジャーナリストの古田雄介さんです。https://www.ysk-furuta.com/
2021年01月27日
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「明けまして おめでとうございます」今年は丑年ですが、丑年には先を急がず目前のことを着実に進めることが将来の成功につながっていくそうです。昨年はコロナで明けて、コロナで暮れました。ワクチンが開発されるなど、少し明るさも期待できる新しい年が皆様にとって幸せな年になることを祈っています。前回の丑年・2009年元旦のさっちゃんブログです。新年明けましておめでとうございます毎日応援していただきありがとうございました折りに触れてお心のこもったご指導いただき感激いたしております皆様 今年もよろしくお願いいたしますあかべこのイラストの賀状なぜかアップできませんでした世界中に不景気の風が吹き荒れている時我が家の庭には千両の赤い実が鈴なりですぼうぼうの草を抜くと10センチくらいに伸びた万両が10本ぐらいみつかりました今年はひょっとしてよいことがあるかもと期待しています
2021年01月01日
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今日はさっちゃんの誕生日です。元気なら99歳になります。思えば「100歳まで生きる!」がさっちゃんの口癖でした。90歳になったときのブログ記事です。今日は私の90歳のお誕生日です朝早く緊急ベルセンターというところの女性から「おめでとう」の電話をいただきました 一番よろこんでくれているのは両親でしょう子供の時はそんなに元気なほうでなくて両親に心配をかけてばかりでした90歳まで生きてこられて神様に感謝いたします長生きできるからだに作って作ってくださった両親にも感謝いたしますそしてこれまでお世話になった皆様に心からお礼をもうしあげたいとおもいますこれからも楽しいことがいっぱいあるといいなあと願っています誕生日の思い出として、今も記憶に残ってるのが、さっちゃんの92歳の誕生日で、多くの方がさっちゃん宅に集まっていただき、かつ、全国のブログファンの方々も一緒にどん兵衛で誕生日を祝う会がもようされました。
2020年10月29日
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連日の猛暑日になっています。梅雨が明けてもても、コロナの勢いは衰えることもなく、今も感染者の数は日々増加し続けています。的確な対応策もないまま、大きな不安を抱えて無為な日々を過ごさざるを得ない方も多いことでしょう。今回は「藍の風」より、豊作祈願の踊り「八朔踊り」の想い出を綴ったさっちゃんの作品を紹介します。「八朔回り踊り」は音頭出しを中心に、まるく輪を描いて独特の身振り手振りで踊り歩く盆踊りで、例年なら、9月頃に町の八坂神社で行われていて、今も夏の夜の風物詩となっているようですが、今年はコロナの影響で行なわれるのか気になってます。「藍の風」より ~「八朔踊りの夜は更けて」あれは終戦の翌年ぐらいのことであったのだろうか。人々は長い戦争の間、途切れていた行事を、一つ一つ思い出しはじめていた。この小さい山峡の町でも、半月ほど前には戦後はじめての盆踊りとて、衣装のそろわぬまま、浴衣のない若者は、戦禍の届かなかった山里ゆえ着ずにしまっていた暑苦しい色模様の女の長襦袢や着物を着て、どさどさと、真黒い脛を出して、ただめちゃくちゃに手足を振るだけの野暮ったい踊りに酔い狂った。私たちは、徳島市に住んでいて、戦前の粋な色街の芸者衆の鳥追い姿や、いなせな法被姿や、涼しそうな白地の浴衣の軽やかな踊りを見て来た眼で、 「あんな踊りはあわおどりではない」などと、はじめのうちは軽蔑し、あきれ顔で見物していたが、その異様な踊りが、みるみる町の人々の顔に、笑いを蘇らせてゆくのを見て、これこそ民衆の踊りの本来の姿なのだと納得した。このようにして、すべてに乏しい中にも、ささやかな盆の仏まつりを済ませて、朝夕の涼しさに、ホッとし始めた頃、八朔というから旧暦の八月一日、新暦では九月も半ばごろになっていたのだろう。私たちは戦災に遭って以来厄介になっていた叔母の勧めで、弟を連れて八朔踊りを見に出かけた。阿波おどりしか知らなかった私にとって、山里の情緒豊かな周り踊りは物珍しく、今もなお、あの夜の酔いしれた群舞の熱気のなかに立ちつくした感動を忘れることはできない。町の通りから少し坂を上がった所の、西山の裾に広がる祇園さん(八坂神社)の猫の額ほどの境内に、ぞろぞろと集まってくる人の群れに交じっていると、そのうちに辺りが薄暗くなりはじめて、踊りははじまった。渋いというより、もっさりとしためくら縞の浴衣に黒い兵児帯を巻きつけ、頭からすっぽり手拭いでほうかむりし、その奥に眼だけギョロギョロさせた男たちが、のろのろと腕を振り始め、やがてなんとなく輪ができていった。輪の中央に一段高く台を据えて、古びて油が浸みた番傘を立て、声自慢の老人が喉の皮をせいいっぱいに引き延ばして音頭を唱えている。その節に合わせて群衆はぷらりんぷらりんと、いかにも曖昧に右腕左腕と交互に振り、足を踏み出し、前に進むかと思うと退き、ぐるりと回ってョーイヨイと間延びした調子で腕を振る。どこが始めか終わりか分からない。 単純な繰り返しなので、見ていてすぐ覚えられそうだが、それにしてもヨーイヨイとリズムにあわすのは難しそうである。初めは慣れぬせいかばらばらで揃わなかったが、そのうちに昔踊った身体が思い出したのか、手足の動きが揃ってきた。一節ごとに「ヨーイヨイ」という踊り手の大合唱が入る。ゾロッゾロッと数十人の藁草履を引きずる音がして一足ごとに土煙を巻きたてる。取り巻く見物人は鼻も口も明けてはおられない。裸電球の下で、お互いの顔もおぼろに霞み踊りの群れはシルエットとなって揺れ、聞こえるものは、一段と声を張り上げ時折悲壮にかすれ始めた音頭の声と、草履を引きずる音ばかりの中に不意に近づいた見知らぬ男の白い歯と汗まみれの日焼けした腕や脛がにょきっと現れてどきりとする。 音頭の文句は聞きなれない節回しのせいかよく分からないが、昔の悲恋の物語とか、仇討ちや親孝行者の物語などがあるらしい。男ばかりかと思っていると、時刻がうつるにつれて調子づいてきて、大きな乳房もこぼれんばかりの女たちが、汗に濡れた袖を肩にたくしあげ、枯れちじこまった老婆や、柔らかそうな十代の娘たちも輪の中に溶け込んでいた。 夜が更けるにつれて踊りの輪は大きく膨らみ、なにかに憑かれたように呆けて、ただ、黙々と手足を動かし、土煙の中に異様な熱気の渦をかき立てていた。だが、それもあまり長続きせず、いつとはなしに全体に目に見えぬゆるみがただよいはじめ、倦怠感が感じられるようになると、一人抜け二人抜け乱れが見え始めた。だがそれもしばしの間で、少し輪を小さめに整えて、交代した音頭の新手の声が響き渡ってきた。見物人もあらかた帰ってしまった境内では、薄暗い隅々で、様々な人と人の秘めやかな触れ合いのひとときに陶酔していた者もいたことであろう。「生きていてよかった」という思いをしみじみ噛み締める命拾いをして故郷に復員してきた男たちも多かったにちがいない。 その夜、床に入ってからも闇夜を響かせて音頭の声が耳につく。いつしか寝入って明け方目覚めると、声はすっかりかすれはてていたが、まだ音頭は続いていた。踊り手の囃す「ヨーイヨーイ、ヨーイヨイ」の合唱も風のぱったり途絶えた山峡の薄明かりのそらに延々とひびいていた。 この夏は風物詩となっている「花火大会」ですが、殆どの所で中止となっています。想い出の花火大会の動画をアップしておきました。
2020年08月15日
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2014年06月13日 「雨がしょぼしょぼ降る晩に豆狸(まめだ)が徳利持って酒買いに」安政生まれのばあちゃんが歌ってくれた子守唄笠をあみだにかぶってるあやちゃんがくれた豆だぬきお鼻が真っ赤に冷たそう親指ほどの豆だぬきさっちゃんがちいチャかった時こんな子守唄をばあちゃんが歌ってくれましたおもしろいのでよろこんで何度でも歌ってよとせがみましたこの歌のリズムも歌詞も調子がよかったので気に入って、ばあちゃんもお茶目さんだったのでしょう眠らないでいっしょに遊んでいたのでしょう
2020年06月20日
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さっちゃんが亡くなって、早4年になります。新型コロナの大流行で、こんなに世界が大変な困難に直面することになるとは、当時は想像すらできませんでした。日本では緊急事態宣言の効果もあってかここにきて少しは明るい兆しも見えてきていますが、まだまだとても気が抜ける状態ではありません。当分、不安で厳しい日々が続くと思いますが、今が正念場!新型コロナに対応する体制や環境が整備される事を期待しながら、今しばらく自重して行きたいと思っています。ブログはなかなか更新できていませんが、機会をみて更新できればと思っています。 syun「さっちゃんが亡くなる3日前の記事です」先日、前に住んでいた家の整理をしました。 沢山の思い出の品々を全て処分しました。ただ、長年描き続けた油絵は改めて見ると自分でも驚くほどの数になっていました。 一つ一つが思い出ですが、 中でもお気に入りの作品を小さなものから大きなものまで額に入れて50点ばかり残しました。 秋にでもまた原画展を開くことができれば一部披露できるかもしれませんが、 残りは近々、処分してしまうことになることでしょう。それぞれの作品を描いた時の思い出が蘇ってきます。 今までの思い出は心の中に残して今の新しい暮らしの思い出作りが始まって はや、一年半になります。
2020年05月10日
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新型コレラウィルスの世界的な流行で、我々が未だ経験したことの無い危機に直面しています。これは正に目に見えぬ厄介な相手との戦争です。言わずもがなですが、この苦しい時期を耐えていずれ新型コレラウィルスに勝利するまで頑張りましょう。皆様の健康を切に願っています。 チューリップの球根を10こ植えました。 見事に10個揃って大きい花が咲きました。 画用紙にはみ出して黄色が零れ落ちました。 黄色のチューリップさんごめんね。 ぷんぷんおこっている? チューリップが栽培れるようになったのはいつごろでしょう? さっちゃんが歌やお遊戯でチューリップを 知ったのが初めてだったと思います。 「咲いた 咲いた チューリップの花が ならんだ ならんだ 赤 白 黄色 どの花見ても きれいだな」 [笑うチューりップ] ~「また。あした」より~ 朝、チューリップの端正な姿を見てでかけた お昼に帰ってみると 二十本のチューリップが大笑いしている 天を向いてのどちんこを見せて 赤も黄色も白も ワッハッハと大笑いしている 何かおもしろいことあったの?
2020年04月12日
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今年は「子(ね)年」で、この前の子年は2008年でした。この年、さっちゃんがアップした元旦のブログです。2008年元旦 新しい年を新しい気持ちで迎えました 今年も楽しいことを見つけて熱中したいです 結果より過程というか、旅の行く先はどこでもいいんです 道中楽しいことを見つけてみんなと力を出し合って なにかをつくる そんな一年であったらいいなあ よろしくおねがいします最後の2年、元旦にアップした記事です。90歳を超えても、まだまだ、さっちゃんらしく希望を持って活き活きと前向きに生きて行こうとの意欲が感じられる記事です。2015年元旦 A Happy New Year! あけまして おめでとうございます ブロ友のみなさんお元気で新年を迎えられたこと おめでとうございます まず健康」を第一の目標に、 楽しい一日一日を積み上げていきましょう 今年もよろしくお願いいたします。2016年元旦 明けましておめでとおうございます さっちゃん一家のメンバーの代表の御挨拶です。 「皆様方のお心こもったご声援を頂きブログの制作に 自由に楽しむことができましたこと有難うございました。 今年もまだ方向が決まっていませんが楽しむことを目標に 創意工夫に努めて見たいと思っています。 今年もどうかよろしくお付き合いいただけますよう お願いいたします。」~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~さっちゃん本人が最後のブログ更新して以来もう2年8ヶ月を過ぎようとしていますが、未だに毎日500人程の方々に訪問いただき、折に触れ、さっちゃんを偲んでコメントもいただいています。本当にありがとうございます。 syun
2020年01月01日
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さっちゃんが逝ってから、この5月で丁度3年になります。月日の過ぎるのは本当に早いものです。さっちゃんのお墓は、両親や兄妹と共に徳島の眉山の麓にありました。このお墓は43年前、さっちゃんが、両親のために建て直したものでした。(平成20年6月 お墓参り)徳島は昔からさっちゃんにとって馴染み深い土地で色々考えるところもありましたが、私も遠くにいて墓参りもままならないと言うこともあり、この度、奈良の霊山寺東光院霊園にお墓を移すことにしました。5月5日、開眼法要(魂入れ)を無事終えることが出来ました。ここには素敵なバラ園もあって、花が好きなさっちゃんが気に入ってくれると良いのですが・・ここは我が家から車で30分程、これからは折に触れ、お墓参りが出来そうです。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~「大塚国際美術館」徳島県の鳴門市にある大塚国際美術館は大塚製薬グループが創業75周年事業として、平成10年に開館した美術館で、世界の名画が陶板画でオリジナルと同じ大きさで再現されています。その数は世界25ヶ国190余りの美術館が所蔵する西洋名画千余点、延床面積29,412㎡と、想像以上に大きな規模で、開館当初は美術館として日本一を誇っていました。昨年の来場者数も約42万人だったそうで、大人気の美術館です。陶板の名画は2千年以上も退色劣化をしないそうで、文化財の保存の観点からも素晴らしい施設です。昨年のNHK紅白歌合戦で地元出身のシンガーソングライター米津玄師が中継出演する際の舞台になりました。 展示内容は次のようになっています。 B3Fはシスティーナ・ホール、スクロヴェーニ礼拝堂、 フェルメールの部屋、聖マルタン聖堂壁画、聖ニコラオス・ オルファノス聖堂、聖テオドール聖堂、貝殻ヴィーナスの家、 エル・グレコの部屋、ポンペイの「秘儀の間」等 B2Fはモネの大睡蓮、レンブラント等のバロック系統展示、 ダ・ヴィンチやボッティチェッリ等のルネサンス系統展示 B1Fはゴヤの家、ゴッホ、ムンク、ドラクロワ、ミレー等の 近代系統展示、バロック系統展示 1F・2Fはピカソ等の現代系統展示さっちゃんが元気だった時に、その一部でもいいので見せてあげたかった。
2019年05月05日
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2月も半ばを過ぎて、まだまだ寒い日も予想されますが、梅の花など早春に咲く花々も咲き始めて、春の足音が聞こえてくる季節になって来ました。 「梅一輪一輪ほどの暖かさ」 服部嵐雪と言う句がありますが、梅の蕾が一輪綻びているのを見て、知らぬ間に少しづつ暖かくなり、春の訪れの近さを感じると言うことですが、奈良では二月堂の修二会(お水取り)が終れば、春が来ると言われています。『琵琶湖の遊覧船の想い出』 退職して数年気の合う友達ができて あちらこちらと行きたい所へ行きました。 琵琶湖では遊覧船に乗りました。 ウエイトレスは外人さんで、 肌の白い美しい女性でした。 外輪船という船腹の水車が回って 豪快に水をかき混ぜていました。 彦根城へも行きましたがみんな忘れました。 なにか覚えていることを思い出してみようと試みましたが、ほとんど忘却の彼方へ消えかけています。 老人のグループに誘われて、琵琶湖一周して 湖東三山と呼ばれる三つの有名なお寺へ 連れて行ってもらいました。 もう、お寺の名前も忘れています。 覚えているのは湖北地方の寂しい景色の印象が心の奥に残っています。~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
2019年02月19日
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この一年、ありがとうございました。新しい年もよろしくお願いいたします。~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~To Chase Dream.年末の大晦日の言葉というより元日の言葉の方がふさわしいわたしは 今年一年夢を追いかけていたのだろうかそして 夢の方が笑顔でおとづれてきてくれた感じですこれに味をしめて来年も夢をおいかけましょうかすこしサイズを大きめにしてだめだめ 欲張ってはだめですよまたささやかな楽しい夢をおっかけましょう以上 大晦日の一言です 一年はあっという間に過ぎ、今年も残り少なくなってきました。今年を象徴する漢字は「災(わざわい)」でした。思い返せば地震や台風などの天災、事故や爆発などの人災と、悲しい出来事が次々と起こった一年でした。残り少ない日々ですが、幸せな気持ちで一年を締めくくりたいものです。昨年に続いて、さっちゃんが大晦日にブログにアップした記事を掲載してみました。少しでもホッコリしていただけたらと思います。来年は亥年です。橿原神宮の拝殿前には猪の「大絵馬」が飾られていました。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~「2006年」 今日の風の冷たさ明るさの感じられない年末 年が明けてもなんか明るい兆しが見えてこない。 おめでとうと言う気になれないだろう。 世の中に明るいものを期待できないとなれば 自分の心の中であかるい物を作り出していこう。 私に出来ることはいくつかある。 1 素敵な服を作る 2 おもいきり絵の具をぬりつけて面白い絵を描く 3 詩人になれるか試してみる 4 パソコン、けいたい、カメラ、DVDなど もっとうまく使えるようになる 普段忙しくてできないことばかりだ。 ひとときでも暗い気持ちを忘れていたい。 そんなのんきなこといっておられない。 安倍さんのやりかたをしっかり観察していなければ とりかえしのつかないことになる。「2008年」 今日は30日お掃除をする日と決めていましたが 朝から曇りがちで寒くて、なにもするきになれません 里芋の皮を剥こうと思ったがみつかりません 一昨日買ってきたのにどこえ置いたのでしょう 探し物ばかりして、一向に片付きません 前にはできていたことが年々できにくくなります 老化現象はじわじわと襲ってきます ここで若返る方法を考えないと坂道を転び落ちます 何かいい方法はありませんか 新しい年を迎えて元気の出るものをみつけたいものです「2010年」 初雪 目が覚めたら 起きたら 正確に言うと 雨戸を開けたら 外は銀世界でした 物差しを取り出して雪の深さを測るほどではありません 雪景色はきれいなんて言ってカメラを持ち出す気持ちは なくなりました エアコンをぶんぶんつけてキッチンの片付けとお掃除 夕方になっても北向きの屋根は少しも解けていません おしめを飾って早く寝ましょう「2015年」 今年最後の太陽が雲の高い所で燃えている。 後2時間で西の山に沈む かおをあげてみるたびに 輝きを増している。 「今年の夕陽をよく見てね」といっているように さざ波のような雲を分けて大海原を進んで ゆく気分でなんだか昇っているように見える。 キラキラ輝いていたのが次第に紅を帯びてきた 輝きが収まって太陽の輪郭がくっきりと紅くなった。 間もなく山の端に掛かってきた。 「平成27年の最後の太陽さん さようならー」 1年間ありがとうの感謝をこめて元気でね 来年も平和で明るい世界を頼みます。
2018年12月22日
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今日はさっちゃんが元気であれば、97回目の誕生日です。誕生日のブログ記事をピックアップしてみました。2008年10月29日 今日はお誕生日忘れていた ベルセンターの方からおめでとうと電話を頂いて気がついた お誕生日の日は誰にも教えない よほど親しい人なら気軽におしえるが、誰も覚えていない 自分ひとりでお祝いしよう 人は勘違いする かかりつけのお医者さんが息子さんにかわった お互いに気持ちが分からない 血圧が高いからといってよく効く薬をくださった わたしはあまりよく効く薬は副作用がこわい 薬のせいで体調を崩したくない ずーとのみつずけている薬の方が安心だ 彼には私の思いはわからないのかも よくきく薬が良いものと思い込んでいるのだろう 健康保険税がどんどん高くなる 薬をたくさんのむのは控えたいと思う2011年10月29日 今日は私の90歳のお誕生日です 朝早く緊急ベルセンターというところの女性から 「おめでとう」の電話をいただきました 一番よろこんでくれているのは両親でしょう 子供の時はそんなに元気なほうでなくて 両親に心配をかけてばかりでした 90歳まで生きてこられて神様に感謝いたします 長生きできるからだに作って作ってくださった 両親にも感謝いたします そしてこれまでお世話になった皆様に 心からお礼をもうしあげたいとおもいます これからも楽しいことがいっぱいあるといいなあと 願っています2012年10月29日 太陽が日付変更線を越えて 10月29日の新しい日になる時刻を待って 一番に「お誕生日おめでとう」のコメントを おくってくださっためーちゃんさんにつづいて つぎつぎと「おめでとう」のコメントとが書きこまれました 「最高に、う、れ、しーい」と 青空に両手をあげて叫びたい気持ちです みなさま ありがとうございました こんなうれしい誕生日を迎える幸せに感謝いたします 福知山から親戚を代表して愛ちゃんから 「お誕生日おめでとう」の可愛い手紙が届きました みな様のご厚情をいただき ますます元気で長生きできそうですさっちゃんの絵にあこがれていた子供達、今は随分大きくなり、こんな絵が描けるようになって、さっちゃんに見て貰うことが出来たら喜んでくれたでしょう2013年10月29日 どんベえの会は盛大なさっちゃんの誕生祝賀会になりました うまれてはじめて全国の皆様から誕生の御祝辞をいただき 感激で胸がいっぱいになりました こっけっこっこ こけっこっこ とくばあさんと狸たちがお祝いに、 干支のにわとりのぬいぐるみをつくってきてくれました 一番乗りはカモミールさん お湯をわかしたり 何かと準備におおわらわです つぎにバンバカバンバン単車に積んだあれこれ いっぺんにお祝いムードにじゅんじゅんさん 鳴門のМさんは美しいお花の置物などなど お亀さんのぬいぐるみをつれてきたとーさん 日和佐から汽車を乗り継いでおそくなったはずです 2匹のおカメさんはヨタヨタとのんびりムード 皆さんからいただいた暖かいお心に感謝の気持ちでいっぱいですじゅんじゅんさんのブログからお借りしました~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
2018年10月29日
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さっちゃんの大好きな花の一つが秋海棠です。ブログを始めて毎年のように9月には秋海棠のことを書いています。"秋海どう" 「どう」の文字が出てこないので困りますがこのパソコンが知らないのかしら?裳の衣を木(裳→棠)にする方法はないのかな・・・・とにかく、この花の感じが表せないのです。名前が好きです。少し寂しい感じ、ひかえめだが小さいピンクの花は可愛くて、個性的なかたちをしている。形や色よりも庭の片隅でひっそりと花をつけているその辺りの雰囲気が秋らしくて好きです。しゅうかいどうがいっぱい咲きました。ピンクの優しい花です。漢字を出すのが面倒なのでカナです。きょうは24度、一昨日は31度でした。人間どもの知恵の及ばぬところで地球は回っているのでしょう。お花たちもきれいに咲きたいと思っても、うまく咲けないことがあるでしょう。ことしのしゅうかいどうはきれいに咲きました。よかったね。しゅうかいどうが咲きましたピンクの花はよくみると幼い女の子のように可愛いです。花の色はピンク、白、深紅、黄で1200種もあるそうです。雄花と雌花は別ですがつながっているようです。ベゴニアはこの園芸品種だそうです。丸い小さい玉が茎の節々にうまれてきてこぼれて殖えます。秋海棠(しゅうかいどう)は今花盛りです。ピンクの優しい花が可愛いです。もう少し大きいといいのになあと思いますが小さいからかわいいのですね。またまたカエル君のピチャのお話を描こうと思っていましたが、また、あしたにします。朝からおたまじゃくしのお話をかいていてこんなに遅くなりました。........................................................愁海棠が花盛り風が涼しく秋らしくなりました。忙しくてしばらく見ないうちに裏庭の愁海棠が満開になってピンクの愛らしい花が鈴なりになっています。写真を撮りたいと思ったけれどエアコンがどっかと座っていてフェンスとの間でお花たちがせりあいっこして「せまいわねえ、もっと広い所へいきたいわねえ」なんて、お花の声が聞こえそうです。どこか広いお庭にあるお家へもらわれていくといいのよ。
2018年09月20日
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お昼寝の岩 幼いころ近くの公園の奥まった山裾に 変な形の岩がドテッとっと座っていた しろと黒の縞が流れるように模様になっていた その上のひらたいところに 子供が寝るのにちょうどよい広さがあった 夏になって扇風機もない暑さを逃れて 父とお昼寝にこの岩にきていた 戦後公園が新しく模様替えされた時 この岩はどこかへいってしまった その後数十年たっておとづれた時別のところで それらしい岩を見つけた あかるい太陽のもとで 見違えるほどみすぼらしくみえた しわくちゃのおじいさんみたいだった 昔のように山裾の木立の中においてあげたいと思った みすぼらしくなっても誰も知らない 私とこのお昼寝の岩の秘密である
2018年08月20日
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「また、あした」より 「キュウリの山に」 梅雨の季節になりました 今日は朝から雨です 梅雨入りの宣言が 一足遅れています 畑のキュウリのつるが 元気にのびています なんと六本も育っていて 一日に一本ずつなったら、毎日六本 食べきれなくて、キッチンにキュウリの山 「今朝はさっちゃんが 見えないとおもったら キュウリの山に埋もれていたよ」 なんてことになりそう!~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
2018年06月10日
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月日が経つのは早いもので、この5月9日で、さっちゃんが逝ってから2年になります。2年経った今も尚、多くの方々が「さっちゃんのお気楽ブログ」に訪れて頂き、深く感謝しております。一足早く、今日6日に三周忌法要を無事終えることが出来ました。 「また、あした」より 食前の 冷酒を舌に ふくませて 卒寿の志を 愛しと思う 「MOONLIGHT」 こどものときに読んだ ベートーベンの 月光の曲のお話を思い出す 玄関の細きガラスを透けてくる 満月の夜の ほのかな光 夜中にトイレに起きて 廊下のスイッチをつけるまで 真っ暗闇の中 ガラスに透けて ほのかな光が差し込んでくる ああ 満月だったのだ・・・ 誰も起きていないけれど お月さまだけが 「ここにいるよ」 と声をかけてくれているようで ほっとする
2018年05月06日
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ある日ふと 生活を止めて 見回せば 寂しさに囲まれている 自分に気づく 「アトリエのさくらんぼ」 曇りの日 アトリエの鈍い日差し 輝いているのは 一皿のさくらんぼたち 一粒一粒に 一点の光を受けて 生き生きしている アートの心を求めて 絵筆をとる 静寂のひとときを 紅いさくらんぼたちが 息を凝らして見つめている 「また、あした。」より一ヶ月ほど前にアルプスさんから「 大鳥の羽易の山 」 についてコメントをいただきましたが、しばしば明日香に行くもののなかなか「 大鳥の羽易の山 」 を望む場所に行く機会がありませんでした。先日、聖徳太子誕生の地と言われている橘寺周辺を歩いてきました。 奈良県明日香村、橘寺の門前に万葉歌碑と共に 「 大鳥の羽易の山 」 という碑があります。 碑の建っている所から三輪山の方をみると、三輪山を頭部に、龍王山・巻向山を両翼にして、大鳥が羽根を広げている姿に見えます。これが 「大鳥の羽易(はがい)の山」 です。大鳥の 羽易の山に 我が恋ふる 妹はいますと 人の言へば 人麻呂は、我妹子は羽易の山におられると人から聞いて実際に山中に分け入ります。しかし恋しい我妹子には逢えません。碑文には、次のように書かれています。 「柿本人麻呂が妻を亡くした後に作った 「泣血哀慟歌」と称される長歌末尾に 歌われた「大鳥の羽易(はがひ)の山」 とは、この碑の北東前方に、三輪山を 頭部に、龍王山・巻向山を両翼のよう にして、さながら大鳥が天翔るように 見える山の姿をいったものである。 「羽易」は鳥の両翼の重なり合う部分 をいう語。 平成十七年三月吉日 柿本朝臣人麿、妻死(みまか)りし後、 泣血哀慟して作る歌うつせみと 思ひし時に 取り持ちて わが二人見し 走出の 堤に立てる 槻の木の こちごちの枝の 春の葉の 茂きが如く 思へりし 妹にはあれど たのめりし 兒らにはあれど 世の中を 背きし得ねばかぎろひの 燃ゆる荒野に 白栲の 天領巾隠り 鳥じもの 朝立ちいまして 入日なす 隠りにしかば我妹子が 形見に置ける みどり兒の 乞ひ泣くごとに 取り与ふ 物し無ければ 男じもの 脇はさみ持ち吾妹子と 二人わが宿し 枕付く 嬬屋の内に 晝はも うらさび暮らし 夜はも 息づき明かし嘆けども せむすべ知らに 恋ふれども 逢ふよしを無み 大鳥の 羽易の山に わが恋ふる 妹は座すと 人の言へば 石根さくみて なづみ来し 吉けくもぞなき うつせみと 思ひし妹が 玉かぎる ほのかにだにも 見えなく思へば 萬葉集 巻2,210番
2018年04月01日
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パソコンに四角に光る窓がある 小さい小さい窓がある 緑色した四角だよ 何故かひとつは点滅を せわしくつづけているようだ 後の三つは動かない ひとつはぽちっと三角の ダイヤモンドのイアリング 何故か片方だけなのね 今夜は雪がとけないね 街も野山も銀世界 狸もウサギも凍えてる 寒い深夜のオリンピック あしたゆっくりみればいい『また、あした。』 より 「母の笑顔」 その日 家に帰ると 母が嬉しそうな表情をしていた 部屋の真ん中に ドテッと座っていたのは 草色の犬の親子 かわいいぬいぐるみだ 駅前の露天市で見つけたという 遠くにいて会えない孫を思って 買ったのだろう 孫の赤ん坊のときの写真に 並んで写っている 母が亡くなって三十年 埃まみれになっても 元気な草色のワンちゃんを見ると あの日の母の笑顔を思いだして 捨てられない
2018年02月24日
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「鶏を飼う」今年の干支にちなんだのか、二月の初め雄鶏が一羽我が家にやってきた。烏骨鶏という種類で、その卵は薬みたいに一個五百円もするという。だが雄鶏では卵は望めない。羽毛は薄汚れ、とさかの色はくすんでいて、見るからにしょぼくれたじいさん鶏である。NHKの絵画講座を続けているが、壺や果物や野菜を描くのに飽いたので、生き物でも描いてみようと思いついた。早速友人に頼んで持ってきてもらったのだ。ペット屋で見たつがいのチャボは、とさかの色も羽毛の赤茶色も美しく、何より眼がキラキラしていたがこの烏骨鶏では描く気になれない。といっても、壺や果物と違って生きているから餌を与えねばならない。はじめて来た日、庭に放していて不意に猫に襲われた。部屋にいた私も驚いたが、鶏も驚いたに違いない。いや、それ以上に猫が驚いた。飛び上がって弾丸のような速さで囲っていた板を飛び越えて、すっとんでいった。一瞬の出来事だった。鶏がどんな反撃を加えたか見なかったが、物置の隅にうずくまって、丸二日でてこなかった。その間餌も食べず、周りの発泡スチロールを齧っていたらしい。また襲われないように小屋を作ってやらねばならない。四日間 寒い寒いとぼやきながらそれでも木切れを集めて小屋らしきものが出来上がり、鶏も私も安心した。鳴き声がご近所の迷惑になると叱られるかもしれないと思っていたら、六日目に、それも日曜日の朝七時に「ウコッコウー」と十回程鳴いた。この頃では毎朝声高らかに鳴く。鳴くなと叱っても彼には全く通じない。あまりうるさくなると焼きとりにされるかもしれないのに。上等の餌を与えれば、羽毛も鶏冠の色も美しくなるかと、当てにならぬ希望を持って配合飼料だけでなく、緑の葉っぱや野菜や果物の屑を混ぜてやるのが良いと思い込んでいたのだが、彼は事ごとに行儀が悪くて、掻き散らして穀類から先に拾う。容器に入れてやっても、爪先でひっくりかえして食べる。はじめは不器用だからと思ったり、容器が深すぎて食べにくいのかと思って浅いトレイに入れてやったが同じ様にひっくり返す。どうも糞まみれにして食べるのが好きらしい。育ちが悪いせいだと思う。鶏の習性だとは思いたくない。結局、今では折り込みチラシの紙の上に種類別に載せてやる。それでも野菜など掻き散らすのを止めない。要するに無作法なのである。 鶏を飼ってみてつくづく感じたのは、「鶏は不器用で馬鹿だ」ということだ。鶏年生まれの私としては、我慢ならぬことだが、犬や猫に較べて頭の小さいだけ馬鹿であり、手が無いだけ不器用なのだと思う。餌をねだる時猫は猫なで声を出して甘えるが、鶏は入り口の扉をコトコト嘴でつつくだけである。毎朝私の足音が聞こえると、激しく扉をつつく。その音に可愛気を感じるから不思議である。何か他に生きる知恵らしきものを見せてほしいと思うのは、生態を知らない者の思いであろうか。鳩は勿論、烏でさえ利口だというし、鸚鵡や九官鳥など、同じ鳥仲間でも学習効果が認められていて、空を飛ぶほかに芸が出来る。昔、縁日で見た見世物の「おみくじひき」の小鳥は目白か何か知らないが小さい小鳥であった。頭の小さいのは知能と関係ないのかもしれない。雄鶏一羽ではつまらないので、事のついでに雌鶏の雛を買ってきて卵を産ませようと思いついた。近くのスーパーでは卵一ケース十個入りが時には一円、高い時でも三十円から四十円くらいで買えるのに、馬鹿げていると友達はあきれ顔をする。それでも栄養価の高い餌を与えて良い卵を産ませるのもよかろうと新しく鶏小屋の材料を買い、掃除しやすいように設計図を何枚も書いた。 先日新聞の投書欄に鶏のことが載っていた事だが、昔の鶏と違って、折角つくってやった止まり木に止まらず地べたに寝たり、卵はどこにでも産みっぱなしで、時に踏みつぶしたりするとか。そこで籠を入れて遣ったが知らぬ顔。つぎに籠の中におもちゃの卵をいれておくと、五羽の中一羽が籠の中に生んだだけで他はだめ。つぎに籠の中に藁を敷いてやると翌朝は五個の卵がきちんと籠の中にあったという。だから人間だけでなく動物にも環境が大切だという話だった。それを読んで、幼児教育(?)は猫や犬にはかなり可能性があるから、鶏にも行儀作法の躾を雛のうちからきちんとすれば、行儀のよい鶏に育つかもしれないと、儚い希望をいだいた。早速ペット屋へ雛を頼みに行こう。(さっちゃんの家に咲いていた梅です)
2018年02月01日
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「童話の館」 青い青い海辺の少し小高いところに美しい館がたちました。 丘の上には四季折々の美しいお花が咲いていました。 仲良し仲間の女の子たちがいつの間にか集まってきて お歌を歌ったりゲームをしたり賑やかに遊んでいました。 ある日その館のことを知った ベリベリ国の王子さまが遊びに来ました。 女の子たちは大変喜んで大歓迎で、 みんな夜更けまで踊ったり歌ったりして 王子さまがいなくなったのも気がつきませんでした。 そしてピアノの上にメモが一枚。 「楽しかったよ。ありがとう。 今度来る時は友達をたくさんつれてくるよ。」 王子さまのサインがありました。 つぎの会は5月の第1日曜日にきまっていました。 その日が近づくと、当番の人たちが来て、準備を始めました。 今回は王子様がお友達を大勢連れて来られる予定なので 丁寧に会場の設営をしました。 リーダーの佐代子さんは、もういっしょうけんめい みんなを指図してケーキや果物などきれいに飾りつけしました。 当日はからりと晴れて、お庭のお花たちも きらきら朝日に輝いていました。 11時になったころ館へ登ってくる坂道の方から ガヤガヤと賑やかな声が聞こえてきました。 集まっていた女の子たちは坂道を見てびっくりしました。 王子様を先頭に丘の上に現われたのは、うさぎさん つぎに子犬のメリーちゃん,王子様の肩におうむ君 蛇のにょろ君、紅い大きい爪の弁慶ガニ君たちでした。 女の子たちはびっくりして 歓迎の言葉もすっかり忘れていました。 王子様の連れてきたのは、 みんなかわいがっているペットたちでした。 やがてパーテイが始まりました。 王子様をお迎えして美味しいご馳走をいっぱい作って みんなでワイワイ賑やかにお腹いっぱいいただき、 いい気持ちになって浮かれてきました。 一番に蛇のにょろ君がにょろにょろ床を這いまわって みんなはきゃーきゃーと逃げ回ります。 つぎにうさぎさんが得意げにピョンピョン踊りだし 弁慶ガニは紅い爪を振りかざすので、みんな逃げ回り オウムは突然「コケコッコー」とか「カーカー」と大声で鳴き出す。 王子様は子犬を抱いてどうしていいかわからず こまってしまいました。 ペットたちはご馳走をいただいてうかれて、 騒いですっかり疲れたのでようやく静かになりました。 王子様もほっとしていると、 どこからかいい香りが流れてきました。 そのときお姫様が坂を上って館の入り口にはいってこられました。 なんとお姫様の後にはペットのハツカネズミが20匹 かわいい声でおしゃべりしています。 早速お姫様は王子様と並んでピアノを弾き始めますと ハツカネズミたちは並んでピアノに合わせて踊り始めました。 2曲目、3曲目が終わるときちんと並んでテーブルに着きました。 その見事な踊りに盛大な拍手がいつまでも続きました。 館のお庭にはいろいろな珍しい果物がたくさんなっていました。 バナナやパインは勿論、南洋の果物など テーブルの上に山盛りにして、みんなで食べ始めた所へ べりべり国の連絡員がきて、話によるとその頃ベリべり国では 大変な事が起きて大騒ぎしているとのことでした。 それはお隣のコンチキ王国に暴動がおきて ベリべり国にもテロ集団が侵入するという噂に 大騒ぎになっているということです。 王様は王子様たちを呼び戻して暴動に備えるつもりです。 ベリべり国の隣のコンチキ国に起こった暴動の集団が 勢いに乗ってベリべり国に侵入という噂に王さまは あわてて王子様を呼び戻し急いで暴徒に備える所でした。 そんな時に、この時とばかりに大祖母(おおおば)様が出てきて 「あわてることはないぞ。暴徒であれテロであれ恐れることはない。 わたしがドカンと一発で撃退してやるから心配するな」 と言って大きい金庫を開けました。 中から取り出した爆弾を見せて 「これさえあればだいじょうぶだ。 むかしMANMA国が侵入してきた時にこれ一発で撃退したんだ。 あっはっは、この大祖母(おおおば)のいうことにうそはないぞ」 ということでみんな安心しました。 大祖母様が大金庫の扉の前にきて、 家来たちに爆弾を運び出すよう命じました。 台車に載せた爆弾がゴロゴロ金庫の前にでてきたのを見た 暴徒のスパイが驚いてリーダーに報告しました。 「隊長、でっかい爆弾の存在は本当でした。 今回の襲撃はヤバいです。中止することにしましょう」 ということで暴徒の一団は自分の国へ帰って行きました。 そうしてベリベリ国は平和を取り戻しました。 「どうじゃ。私が作ったどんぐりをつめこんだ爆弾のおかげで 誰も傷つかずに済んだだろう。よかったなあ あっはっはっは」 そして、王子様とお姫様は仲良くペットたちと楽しく遊んで暮らしました。
2017年12月31日
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「2006年12月17日 ブログ記事」 明日から寒波がさがってきて雪がふるかも しれないという予報なので、買い物に出かけた。 もう町には寒波がきていて、風が強い。 突風がきて帽子を吹き飛ばされた。 車が続いているので帽子を追いかけるのは危険だ。 でも追いかけないと車に轢かれる。 シルバーカーを運転しているので帽子をおさえる手がない。 片手運転ではどっちへいくかわからない。 とにかく無事に帰宅した。 月下美人の鉢を部屋の中へいれてやる。 鴨居につかえてはいらない。 暗くて見えないのであしたのことにする。 6時の鐘が鳴り出した。 鐘楼は寒いだろう。 そらは風が雲を吹き飛ばしたので晴れているが あたらしく真っ黒い雲がもくもく湧いてている。 年末も近づいて落ち着かない。 早くお正月になればいいなあ。 「2009年12月17日 ブログ記事」 急に寒さがやってきました 4,5日前から体調を崩しています 気温の変動が原因だろうと言うことです 体が慣れるまで辛抱です 年賀状の印刷ができました 宛名を手書きでかきます 毎年届けられるのを見ると 殆ど同じ字体で変化がないので パソコンに頼まないことにしました「2010年12月17日 ブログ記事」 今日の風の冷たさ 暑い夏と寒い冬はすこし短くしてひと月ぐらいで その分春と秋にのばしてくれるといいんだが 今年の秋は短かったねえ 今日はがんばって短歌をつくりました 20日が締め切りですので うしろから「元気だね」と声掛けて 見知らぬ自転車見えなくなりぬ 黒雲が梢に下りて雀らを 手品の箱に隠してしまいぬ キュー丁クル.コンドロいチン聞きかじり 童話の中の主人公かも(2016年放美展優秀賞受賞作品)
2017年12月16日
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『幻の銀杏の木』徳島市の公園の真ん中に大銀杏がありました蜂須賀さんのお城の抜け穴が通じていてこの銀杏の木のもとに抜け穴があったとの噂を聞きました。いちょうさん、今も元気ですか?この絵を描いたのは3年前のようです多分徳島公園の真ん中にあった銀杏の木です米空軍のB29の爆撃に焼かれたか助かって生き延びているか私は知らない。誰も教えてくれない。もうどっちでもいいのです。私が子供の時一緒に遊んだ懐かしい思い出の中に存在すればいいんですこの絵はそんな気持ちを抱いて描いたように思います垣は竹囲いだったかもしれませんその頃の近所の遊び仲間の顔があいちゃん、きよちゃん、てるちゃんたち覚えているよ。小学生の頃はたのしかったね。『銀杏の想い出』十年か二十年か昔の話です郊外にあるお寺に大きい銀杏の木がありましたなぜそのお寺へ行ったのか忘れましたが大きい銀杏の木にたくさん銀杏がなっていました落ちているのを拾って帰ろうかなと思っていると突然風も吹かないのにぱらぱらといち、にい、さん、の号令にあわすように一斉に落ち始めて、3秒くらいで、ぴたっとやみました不思議な現象に口を開けたまま見とれていました『2本の銀杏の会話』「そろそろ日が暮れてきたね」「橋の照明がともってきれいだね」「あのきらきらカラフルなのはパチンコ屋さんだね」「お昼はお祝いの花輪がならんでいたよ」「最近開店したばかりらしい」「その隣に面白い看板を見つけたよ」 「面白いって?」「不動屋さんの建物の看板を見ていたら、どの窓も 窓の向こうは青空がひろがっているの、 中身がなくって、あれっ、て、ちょっとおどろきよ」「なにかこの町は風変わりって感じ」「マンションがいっぱいあって、お店屋さんが見当たらない。 あるのは大きい量販店スーパータクトだけ。 そして中は人、人、人、商品も多いけれど 人間の数も多い」「見ている間に棚の商品がからっぽになりそうなかんじだよ」「この町の特色だね」
2017年11月28日
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みたらい渓谷は紅葉の真っ最中ですね紅葉の風景は美しいけれど絵に描くのはむつかしいようです樹木のほうも毎年今年こそは最高の紅葉を見せたいと思って夏ごろから準備しているのでしょうでも、天候のせいや気温の変化やなにやかやの影響を受けて思うように完璧に行きません 大変でしょうね東北地方や台風に傷んだ和歌山や奈良地方の紅葉はいかがでしょうピンクのちらしをみると詩が描きたくなるのですでも、今日のお知らせは母親大会の京都の旅のお知らせでした年よりはお呼びでないようです紅葉と湯豆腐が目的だそうです湯豆腐なんてそんなにおいしかったかしらあのころ、さっちゃんは若かったからね湯豆腐なんて年寄って食べるもんだと思っていたよ紅葉だって今頃全国どこも紅葉だらけだよ絵葉書とかグラビアで見て一度は見とかなくっちゃ話の仲間入りできないと、現地へ行って見ればテレビで見たのとおんなじだった「どこへいってきたの」ときかれても「観光バスにきいとくれ あはははのはっは ぺっぺけぺーだよ
2017年11月08日
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ススキの穂が風に吹かれている 若い鹿が一頭草原に佇っている 澄んだ瞳 どこを見ているのか 一頭切り 親は? 兄弟は? 秋空の下 どこへ行きたいのか? そんなこと鹿にきかなきゃわからないけど 「爽やかな高原の風はいいきもちだなあ」と われわれ人間と同じように感じているだろう 2,3年まえに干し柿を作った時の柿の絵です。 今冷蔵庫にある干し柿は昨年作ったものです。 今年も作りたいと思っています。 でも渋柿をどこで買えるか わかりません。 ここのベランダは西日がかんかんです。 いっぱい作りたいけれど力が弱くなったのでどうでしょう? 紐で吊るさなくても皮をむいて ベランダへ並べておけばひとり乾くでしょう。 ほかに干し大根やサツマイモなど干してみたいね あはっはっは いろいろ作れば楽しいかもね。 きのう友達からお柿が届きました。 干し柿を作るのは嬉しいです。 夜鍋に皮をむいておいて、 朝になってのきばにつるす。 待ち遠しいが、食べられるのを待って 指でもんだり干し柿には楽しみがありますね。 お店で買えば手間がかからないけれど 楽しみは薄いですねえ。 きのうの渋柿6個を切り離しました 皮をむいて吊るしました なんだか仲良し6人兄弟がはなればなれになって 寂しそうなので竿に並べて掛けました 仲良し6個の新入りです 先日干した分は乾き始めていました 雨が降らなければきれいにできると思います むかしむかし知人に頂いた渋柿を 洗わずにむいて干しました 運悪く雨続きで青カビがべっとり失敗でした かわをむいたあとも熱いお湯につけるといいようです 何故、洗わなかったのかわかりません 今でも思い出すと後悔しています 今年は天候がよくなくて、カビが出たそうですが、 さっちゃんの干し柿は、かんからかんに乾燥して 金槌でたたいてお湯にしたして食べています・・・ というのはうそですが、 もう少し、柔らかいうちに食べないといけないようです。 祖谷の粉ひき節で有名なかずら橋のある山里 平家の落人部落でもあった徳島県のつるぎ山のふもとは 今頃は干し柿のすだれで部落は朱色に染まっているだろう 毎夜家族みんなで柿むきに精を出すやがてお正月が来る 都会で働いているとうちゃん、ねえちゃん、にいちゃんたちが お土産をいっぱいもってかえる 山里の一年で一番楽しい季節である
2017年10月18日
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「万葉人に招かれて」「百伝う磐余の池に鳴く鴨を今日のみ見てや雲陰りなむ」ラジオから流れてくる大津皇子の辞世の歌、犬養孝先生の名調子の万葉歌の朗詠が今も耳に蘇ってくるほどに分かり易い先生の講話に導かれて、難しいものと敬遠していた万葉集に近づくことができ、万葉人の赤裸々な叫びに心を打たれ、親しみさえ湧いてきました。そういえば母校の女学校の庭にも、ささやかな万葉植物園があり、犬養先生に劣らぬ情熱をこめて万葉集歌を教えて下さったN先生のことも思いだされます。そして昭和十年代は催眠術をかけられた如く、全国民が歌わされた歌は大伴家持の「海ゆかば水漬く屍、山行かば草むす屍、 大君の辺にこそ死なめ顧みはせじ」の大合唱の波涛の前に砕けてしまいました。今晩学ながら万葉人に招かれて、万葉集の魅力にとりつかれています。 昭和五十六年一月
2017年09月27日
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山影の路の分かれ目にひそやかにさいていたおみなえし バス停の道端の草むらに逞しく伸びていた葛の花 冬、雪の道をかき分けかき分けて登った登り坂 灌木の枝を飾った雪の花山の四季の変化は忘れられない何故かと言えば今度いつあえるかわからない風景にたまたま出会った感激そのものだから苦しかった思い出はおぼろになってなつかしさにすべては夢の世界に1945年7月 戦災に遭って、見知らぬ町に住みつきましたまもなく終戦となり、山や川は平和に秋を迎えました山の部落へ行く潜水橋のたもとに一群れの彼岸花が紅く咲きました川の流れで洗濯する気持ちよさを知りましたお釜を持ってきてお米を研ぐ人、対岸では牛を洗っている人本当に平和でのどかな自然が戻ってきましたなにもないくらし、縫うものもない、書くもの、鉛筆も紙もない毎日何にもすることがない、行くところもない自然の目の前にある山や川を見て一日一日がすぎていきました秋の雑木林の色のあのすばらしい美しさを初めて知りました不自由な暮らしの中で自然の移り変わりに心を癒され心の糧になっていたことに今になって気がつきました
2017年09月11日
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このごろの夕陽の美しさ毎日晴れ渡って夕陽がみられる時間に必ず雲を吹きはらって美しく紅色に染まった広い空の真ん中を真っ赤な夕日が見る間にスピードを上げてあっというまに山の端に隠れてしまいます。初めのうちはカメラを取り出すまもなく、「またあしたね」と沈んでいってしまいました。でも、夕陽を見るのは眼に良くないようです。紅くなる前は白く大きくて眩しくて見ていられません。昔、小学生の頃日食を観察するのにガラスに墨を塗って見た記憶がありますね。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2017年08月22日
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さっちゃんが亡くなって丁度一年になり、お陰様で一周忌を無事終えることが出来ました。思えば、あっという間の一年でした。さっちゃんが亡くなった後も、皆さんに励まして頂きながら、この一年、彼女のブログを継続させて頂き、今まで紹介されていなかった作品やさっちゃんにまつわるエピソード、懐かしいブログ記事などをアップしてまいりました。3月には吉野川市文化協会の発刊する「ぶんげい麻植」でさっちゃんの特集記事まで掲載していただきました。この一年間、多くの方々にブログをご訪問頂き、多くのコメントも寄せて頂いたことに深く感謝しています。レインボーさん ・ お散歩うさぎさん ・ ひるまのコアラ さん ・ クロッカスさん ・ みっこさん ・ アルプスさん ・ 鳴門の笑さん ・せせらぎはなこさん・ たかちゃんさん ・ とくばあさん ・桃ぶどうさん・ホタルブクロさん、ブログを更新する度に心温まる励ましのコメントありがとうございました。さっちゃんの生き様が少しでもお伝えできたとすれば幸いです。長きに渡り「さっちゃんのお気軽ブログ」を、ご愛読頂き本当にありがとうございました。時にはさっちゃんのことを思い出して頂ければ嬉しく思います。皆様の益々のご健康とご多幸を心からお祈りしています。 syun
2017年05月08日
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「また、あした。」 さっちゃんの軌跡より 何をするにも、若いときのように簡単にはいかない。 新しいことを覚えるのには、何倍も時間がかかる。 おまけに、すぐに忘れる。 「それでも、いまがいちばん楽しい。 私の人生、70歳から始ったのよ。」 今が青春。 描き終えた絵と、書きとめた言葉をブログにアップして 今日も一日が終わる。 ありがとう。また、あした。「また、あした。」 第二章 日常 より 「世の中は、かわりばんこ」 青いリンゴの大きいのを見つけて買ってきました 新しいけれど硬そうです リンゴは硬いのであまり食べませんが ときどき画材にするので買います 食べやすくなったらと置いておくと 食べるのを忘れて腐ってしまいます GWにはいりました 浮かれて遊んでおられるのはどなたでしょう? 主婦は仕事が山積みです 冬物の洗濯片付け、夏物の準備 仕事がいっぱいです この晴天はありがたいです でもお庭の花の管理は大変です 急に晴天が続いて植物も戸惑っているようです 元気だった春の花たちは しおれて可愛そうな姿になっています 入れ替わって トマト、スイカ、キュウリなどの夏野菜は 太陽の力で成長します すべて世の中は、かわりばんこのようですね
2017年04月29日
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「また、あした」 第二章 日常 より ”食前の 冷酒を舌に ふくませて 卒寿の志を 愛しと思う” [笑うチューりップ] 朝、チューリップの端正な姿を見てでかけた お昼に帰ってみると 二十本のチューリップが大笑いしている 天を向いてのどちんこを見せて 赤も黄色も白も ワッハッハと大笑いしている 何かおもしろいことあったの?扶桑社から「また、あした」を出版するにあたって諏訪中央病院名誉院長で作家の鎌田實さんから次のような寄せ書きを頂いています。 90歳の人気ブロガー、かっこいい。 一人暮らし。だけど毎日、2000人がブログをのぞきに来る。 おばあちゃんは、すばらしい挿し絵画家だ。 「鏡に映して楽しんでいます」の絵なんかとてもいい。 おばあちゃんはエッセイストで、詩人だ。 夕顔のことをこんなふうに表現する。 「夜の花なんて、いくら美しく咲いても、 良い香りを漂わせても、蝶もミツバチも訪れない。 それでも懸命に美しく咲く、それが花の使命だから」 しのびよる「孤独」にも負けていない。 「ある日ふと、生活を止めて、見回せば、 寂しさに囲まれている、自分に気づく」。 お菓子を置いた場所を忘れた。そんな自分の行為を 「見つけたときの喜びをたくらんでいる。 物忘れのひどくなった、年寄りの密かな楽しみ」と、 孤独を感じながら、老いを笑い飛ばす。 強い。生きる強さが、いっぱい。 「天を向いて、喉ちんこを見せて笑うチューリップ」 納得、納得。90歳のゆたかな表現力に脱帽。 孤独と自由は紙一重。 孤独を恐れず自由を楽しんでいる。 90歳の人気ブロガーから、学ぶべきことは多い。
2017年04月17日
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「藍の風」ミニエッセイより 鶫(つぐみ)一度見れば忘れられない粋な茶褐色の鶫は尾をピンとつっぱらせて、今日もまた庭にやって来た。二、三年前までは名前も知らず、そんないたずら者で下品な食いしん坊とおもわなかったので「寒禽や」と一句ひねったりもしたものだ。しかし今では彼の姿をちらりと見つけるや、眉を吊り上げんばかりして、近くにある得物をとって追っぱらう。大人気ないと心に咎めるが仕方ない。彼は追われても、人を馬鹿にしたように、高く飛ばず、ブロック塀をすれすれに隣の庭へスイスイと渡って行く。我が家の自慢の南天に雪が積もったら、さぞ美しいだろうと、毎日楽しみにしているが、彼に見つけられたら最後、一日か二日の間に一粒残さずくりくり坊主にされてしまう。竹棒をもって追えば、弁慶と牛若丸のように、ここと思えばまたあちらと、東のテラスにブチュ、南の玄関にまわってブチュと、真っ赤な糞を撒きちらして、私はすっかり翻弄されてしまった。あの時、あの粋にドレスアップしたスマートな身のこなしが一層憎らしい。 昭和五七年三月~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ・2016年3月13日 ブログ記事より「第2の故郷の山に向かって」朝は晴れていたのに雲が隙間なく詰まってきた。遠くの山なみはしっとりかすんできた。毎日こうしてべらんだからやまなみの姿を見る。何故か日増しに気持ちが深くなってくるようだ。情感という言葉が浮かぶがまだ使いたくない。ありきたりの感じがするから、もっと心のこもった言葉を見つけたい。日増しに深まるこの思いをあの山たちにどう伝えたらいいのだろう。とつぜん、離れてきて遠くから見て思いがけず深まる想い。戦後70年の時代の波に流されて暮らしの中でいかに深くあの山たちと付き合ってきたか思い知らされている。2016年3月16日ブログ記事より「夕陽さんさようなら」夕陽が雲と雲の間に挟まれて窮屈そう。それでも、ニコニコと白く輝いている。6時になるのにまだかくれないで「さよなら さよなら」と名残惜しそうに手を振りたそうに見える。またあした会いましょう。ところで、夕陽さん、これからなにするの?ちょっと考えて見ましょうかまた、あしたになると地球の東から現れるそれまで、お空の旅をつづけるのね。お気をつけて、さよーなら。
2017年04月07日
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月日が経つのは早いもので、やがて、さっちゃんの一周忌を迎えます。彼岸の日の先日、さっちゃんの墓参りに徳島に行ってきました。その際、さっちゃんのブログにしばしば登場する「ドイツ橋」や「ドイツ館」を見てみたいと思い行ってきました。鳴門市の板東には「板東俘虜収容所」があり、ドイツ兵捕虜が約千人ほど居たようですが、ここで捕虜達作った楽団が日本で初めてベートウベンの第九を演奏したそうです。「ドイツ館」では、演奏に至るまでの物語や、再現演奏を見ることができ本当に感激しました。 * syun~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~2011年1月10日のブログ記事より「ドイツ館」ドイツ館は第一次世界大戦の後ドイツ兵士の捕虜が生活したところです。新しく建て替えられて当時の生活の様子などの写真や道具など記念の品々が展示されています。 『ドイツ館は1917年から1920年までの3年間、 「板東俘虜収容所」で暮らしたドイツ兵捕虜たちと、板 東の人々の交流の様子を後生に伝えるために建てられま した。当時の貴重な資料等が数多く展示されています 』2011年1月11日のブログ記事より「ドイツ橋」ドイツ兵士の捕虜たちが作った橋です。この地域の人たちと捕虜たちは親密にお付き合いをするようになって、お互いに助け合い教えあってきました。この橋はその一つの証拠として残されているのです。 『ドイツ橋は大麻比古神社の敷地を流れている 板東谷川に架かる石橋で、第一次世界大戦の捕虜 として収監されたドイツ兵は、大麻比古神社のす ぐ南にあった板東俘虜収容所に収監されており、 母国に帰国する際に記念として造られたものです』放美展出展作品
2017年03月25日
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(我が家に飾られたお気に入りのさっちゃんの絵のひとつです)「姉の思い出」姉と私は年齢が23歳離れていて、彼女が徳島市内で暮らしていた頃の話は、書かれた作品等で断片的に知ることは出来たが、私の記憶にある姉は、疎開先の山間の町で一緒に過ごした高校卒業までの19年間だ。私が大阪の大学に行ってからは、正月やお盆、春休みに帰るくらいで、顔を合わす機会は少なくなった。大学を卒業し仕事についてからも、結婚してからも同じようなものだった。姉は教師として働いてはいたが、家計に余裕はなく、私を大学に行かそうと奨学金の申請をしてくれたが、収入が多いと受理してもらえなかった。我が家より裕福に思える人が奨学金を貰っている事に不満はあったが、それでも大阪の大学まで行かせてくれ、色んなアドバイスをしてくれた。かなり無理もしたのではと今も姉にとても感謝している。姉は県西部の風土には中々馴染めなかったようで、いつか徳島に戻りたいと言う思いが強くあったようで、退職を機に先祖の地に念願の新しい家を建てることにした。病弱だった母と一緒に住めると楽しみにしていたが、母の死でその願いは叶うことはなかった。新しい家に移り住んでから、姉の第二の人生が始った。苦労の多かった現役時代だったが、第二の人生では何に煩わされることなくやりたいことを好きなだけやることが出来た。更に晩年になって、世間からも大いに注目され、新しい知人も沢山出来、生甲斐や幸せを感じれる日々だったと思われる。姉は生来好奇心旺盛な女性で、NHKのラジオやテレビの講座に没頭たり、新聞にエッセイなどをよく投稿したり、俳句や短歌にのめり込み、児童文学では賞も受賞した。そして2011年、昔から書き綴った多くの作品の中から選んで、念願のエッセイと短歌の本「藍の風」を自費出版することになった。昔から興味のあった絵画を本格的に始めたのは70歳からだった。スケッチブックやハガキに毎日水彩画を描くだけでなく、絵画教室に通って油絵にも熱心に挑戦した。描いた作品が家の中に溢れ、保管場所を確保する為家を増築するほどだった。県展でも何度も入選し、精力的に個展を4回も開いている。80歳になってパソコンというツールを手にした姉は、84歳になって今までやってきたことの集大成となるブログに挑戦した。毎日、絵を描きエッセイや童話、漫画など彼女の作品と思いをブログにして、多くの人達に知っていただくことが出来るようになった。世間に注目されるようになったのは、ブログを始めて6年後のことで、「90歳のおばあちゃんブロガー」として、新聞やテレビ、雑誌、ネットニュース等、多くのマスメディアに頻繁に取り上げられるようになってからだ。そして2012年、毎日のブログ記事のなかから選んだ40編をまとめた「また、あした。」が扶桑社から出版されることになった。又、その年から「さっちゃんのお気楽ブログ原画展」を開催し、その後毎年、5回に渡ってこの原画展を開催することになった。人付き合いの苦手な姉にとっては、こうした活動を通じて、多くの新しい友人が出来たことはとても嬉しいことだった。その後も童話「青蛙のペキ」や、漫画「ペキとポコ&メー子」等の出版や、二集の「ポストカード」も作るなど、休むことなく挑戦し続けた。姉の口癖は「百歳までは頑張る!」だったが、残念ながら突然94歳で逝くことになった。全力で描いた50号の油彩画が放美展で見事「優秀賞」を受賞することできたが、結果的には彼女の遺作となった。長い道のりだったようにも思えるが、全て一歩一歩、粘り強く着実に挑戦していった結果だった。人付き合いの苦手で、世渡り下手だった姉が、自由にやりたいことに挑戦できたのは、本人の頑張りも勿論だが、多くの優しい人達に支えられ、励まされたお陰だと感謝しています。最期の1年半は老人介護施設でお世話になることになった。ここで身体が思うように動けなくなった独り暮らしの不安から解放されて、安心して作品作りに打ち込めたことは、本当に幸せなことだっただろう。ここ何年かは毎日のように姉から電話がかかってきた。長い時には1時間以上も話すこともあったので、未だにふと電話がかかってくるのではと錯覚しそうになる。今も向こうの世界で好きな絵を描き、短歌をつくり、エッセイや童話や漫画を書いていることだろう。ひょっとしたら、姉のことだから新しいものに挑戦しているのかもしれない。「ぶんげい麻植」のさっちゃんの特集に投稿させて頂いた拙文です。
2017年03月15日
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「雛祭り」について書かれたブログ記事です。2011年03月03日今日はお雛祭りだそうです昔空襲で焼かれたわたしのお雛様を思い出して供養してあげますおひなさまの段飾りのようにアネモネとパンジーをならべて見ました 2015年03月03日 今日はお雛祭りでした。お昼にご馳走をいただきました。そしてお雛様らしきお人形はどこかにあるかしらと考えて見ましたが、あるはずがありません。よく考えて見るとわたしのお雛様は空襲の夜押し入れの中で焼かれたのでした。お内裏様や官女には愛着がありませんが、赤ちゃんくらいの大きさのお人形がお気に入りで忘れられません。 2016年03月05日お雛祭りの想い出3月になって虹の橋の正面玄関に大きくて立派なお内裏様が飾られました。戦争から70年さっちゃんのお雛様は、すっかり忘れられています。幼い時のお雛様を思い出してあげたいと思いつきました。立派な御殿も五人囃子もなかったけれど、先ず、右近の橘、左近の桜。つぎにお内裏様、三人官女など・・・庭の桃の木にきれいなお花が咲いていました。お母さんの手作りのご馳走やういろうを遊山箱にいろどりよくつめてもらって友達誘いあって近くの公園へ行って食べます。2~3度帰って新しくつめかえてもらったり・・楽しい思い出です。時々思い出してあげないと、みんな忘れてしまったら、もう思い出しようがなくなります。~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~「吉野川市文化協会」から定期刊行物「ぶんげい麻植」第12号が、このほど発刊されました。この12号にはさっちゃんの追悼特集をして頂いております。ご希望の方は「吉野川市文化協会」で、お求めできるようですので、読んで頂ければ幸いです。 *1.連絡先(申込先) FAX 0883-22-00162.代 価 本代 500円 送料 180円/1冊
2017年03月03日
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「富士山の日」は富士山の恩恵に対する感謝を表すとともに、 富士山の環境保全並びに観光資源としての重要性を認識する 機会として、2001年12月17日に制定されたそうです。 *「春は来たけれど」 ~「藍の風」より(原稿で少し読みにくいですが)~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
2017年02月23日
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「藍の風」ミニエッセイより [湯沸かしポット]湯沸かしポットを頂き使い始めて二ヶ月ほどになる。今朝なぜか湧いた合図のあと、いつまでもピッピッと鳴りやまない。「給水せよ」の赤灯が点滅している。「何を朝から呆けているの、機械のくせに」と思ったが、止まないので、電気屋に電話すると、持ってこないと分からないという。あいにく雨がどしゃぶりで仕方がない。試みに揺らしてみると、給水と保温と交互に点灯する。「そんなに給水してほしいのなら」とコップ一杯の水を入れてやったが止まらない。「そんなにピッピッと泣きたいのなら、気のすむまで泣いていなさい」と放っておいた。他のことに紛れて忘れていたが、半時間ほどして気がつくと鳴り止んで正常になっていた。多分泣きくたびれたのだろう。どんなはずみで機嫌をを直したのか分からない。サーモスタットかセンサーか、何が入っているのか知らないが、要するに「機械が動くということは嘘なのだ。時には怠けたり、忘れたり、機嫌の悪いこともありそうだ。小さいくせに六つも灯る所があるのだから、まちがえることもあろうと同情したり、又毎日同じ繰り返しに飽きて、いたずら心から、違う灯をつけてみたくなったのかもしれないと思う。しかし相手が湯沸かしポットでなくて人間の場合、電気屋に電話したり、ゆすってみたりというわけにいかない。この一年、シルバー大学で学んで、人とのふれ合いを大切にしたいと心から思うようになった。ところが、最近半年ばかり友達のひとりの様子が変わった。機械との付き合いは、心を悩ますことはないが、人間の場合はむつかしい。訳も分からず水くさくなりたくないのだが、相手が望むなら仕方がない。私に何が彼女に嫌な思いをさせたのだろうか。パソコンやワープロが訳分からずに動かなくなることがあるが、自分のミスのせいでも憂うつが後に残ることはない。機械を扱うのは全部能動的であり、人との付き合いは、私の場合、受け身のことが多いように思うが、どうして、こう人付き合いが下手なのだろうか。もっと、積極的になる方がいいのだろうか。
2017年02月11日
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(平成25年春、大好きな山梨に長期滞在した時の風景です)もうすぐ節分の日です。毎年2月3日の節分の日には、一年の厄を払うために「豆まき」を行うのが一般的ですが、最近は、豆まきと併せて、「恵方巻き」をその年の恵方に向いて丸かぶりする風習が行われるようになりました。元々は大阪が発祥ですが、最近では全国どこでも節分の日になるとスーパーやコンビニで恵方巻きが売られています。今年の恵方は、「北北西」だということです。 「さっちゃんのお気楽ブログ」から2007年2月3日突然寒波がやってきて寒いです節分だから寒いのがあたりまえですが暖冬のほうがいいですね地球温暖化を心配しないといけないのでしょうけれど・・ 暖冬のおかげでわたしのうちも野菜がいっぱいです買いそびれていたコートも来年買うことにしますもう直ぐ3月です 春の服を買いましょう 2008年2月3日きょうは節分ですサザエさんを見ていたら豆まきをしていましたきのう巻き寿司を買いにいくと「あすはながーいまるかぶりの巻き寿司をつくります」といわれて、わたし「そんなん食べられへん」としよりは上品に育っているから、そんな下品な食べ方は苦手であるはやりかもしれないが昔の人はそんなしきたりをつくらなかったと思うよ2010年2月3日 恵方巻 まるかじりスーパーへいきました広いスペースに巻寿司がいっぱいです人も混雑しています色いろな種類があって具がちがうようですが分かりません派手派手な広告がならんでいるけれど詳しく見ている余裕がありません巻寿司の両端からグイと突き出た赤身の(まぐろ)?のきれいようなのを買って帰りましたよくみると鉄火巻と書いてありましたかんぴょうや椎茸の入ったのが食べたかったのですがゴレンジャーとかなんとか変なアナウンスがあって紅い服と青い服を着た男性が二人で並んで巻いていました若者しかも男性が手際よく実演していました仕事となるとなんでもやらなきゃならないきびしいね いえ 何にでも楽しく挑戦ましょう2015年2月1日 今日は日曜日、午後2時から豆まきの行事に参加しました。ほとんど全員がテイールームに集まって、グループにわかれて、、いろいろのゲームのあと赤鬼さんとお多福さんが現れてひとりひとり豆をもらって豆まきをしました。あとでお掃除するのが大変だなと思いつつ豆を赤鬼さんの足元に巻きました。優しそうな赤鬼さんには力が入りません。池の噴水めがけて思い切り豆を投げ付けたら愉快だろうなと思いながら。
2017年02月02日
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「山間の学校の思い出」 ブログ記事より「走れ コウタロー」きょうの朝日新聞のB面に「走れコウタロー」の歌が載っていました1970年にヒットしたそうで40年あまり昔のことですまだ生まれていなかった人にはつまらないかもね「走れ走れ コウタロー 本命穴馬かきわけて ♪」威勢のいいメロデーが運動場から溢れて周りの山々にこだまする1970年 流行のトップになった歌ここ、山の小学校の小さな運動場で運動会のテーマ曲となって集まった人々を興奮にるつぼに巻き込んでいた中学校の分校の生徒を合わせても百人あまりでも、父母や地域の老若男女が集まって一年に一度の運動会を楽しんだこの曲をテーマに選んだO先生新任教師の若かりし日はスリムな脛を「カモシカの脚」と自慢していたのに XX年後のこの時彼はみちがえるほどメタボになっていました剣山をとりかこむ渓渓の中の一つの部落・明谷校の思い出です 今日の絵は春を待つ気持ちで描きました 「はーるよこい はーるよこい」「おもいで」今朝の徳島新聞に懐かしい写真を見つけました。美馬郡の端山中学校の校舎です。終戦後2年目ごろ新制中学校ができました。その時は英語の先生が少なくて、幸い私も採用されて憧れの教師になれて幸せでした。あのころの純真な教え子たちのことなど懐かしく思い出しています。元気なうちに会ってみたいねえ。70年昔の思い出を懐かしんでおります60年程前の端山中学校時代の写真と思われます
2017年01月24日
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標高約700メートルの川井峠は、国道438号線で繋がる神山町上分と美馬市木屋平の境界地点にあり、川井トンネルから木屋平側に少し下った斜面に約20本の枝垂れ桜が咲きます。やわらかな淡紅色の桜の花は、周辺の山の緑に映えて本当に美しく、この季節、峠からは剣山など雪を被った山並みを綺麗に望むことが出来ます。「藍の風」短歌集より 「川井峠」の春 峠路に立ちて山脈見はるかす枝垂れ桜の花匂う下 足元の定まらぬまま仰ぎ見る枝垂れ桜の宙の華やぎ 「あれが剣山、一の森」と指す指先に白き残雪「藍の風」ミニエッセイより 「俳句の命」榎本其角またの姓を宝井というから昔ラジオで聴いた赤穂浪士の講談などに出てくる人物であろう。「鐘ひとつ売れぬ日はなし江戸の春」の句は落語で聞きおぼえたようだ。芭蕉の弟子で師の死後才におぼれて洒落が過ぎ脱線したというが、そこに江戸庶民にうける魅力があったのだろう。「切られたる夢は誠か蚤の跡」はふざけた句だが、芭蕉の評が面白い。曰く「彼は定家の郷なり。さしてもなきことをことごとしく言い連ね侍る」と。耳が痛い。句の生命というものは不思議なものである。我々の句が後世に残る見込みは殆どない。まして、咄し家のネタになるほどのスターにはなれまい。CMに顔を出す俳人はいるけれど。 昭和五六年 「俳句とエッセイ」 五月号に掲載
2017年01月16日
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穏やかな新年の幕開けになりました。この一年が素晴らしい年になることを心から願っています。 「藍の風」 ミニエッセイより「橋の色」戦後、私が疎開した町には、まだ吊り橋があった。手摺りも歩く所も木で、板がすいていて、足の下に渓川の流れが見えた。洗濯する人、牛を洗う人、対岸では米を洗う人も一緒だった。その川を遡ると、同じような吊橋が十本以上もかかっていた。その村の小学校に勤めていた昭和三十年の頃には、みんな吊橋だったのに、田の町村を巡って転勤し再びその村に戻ってみると、渡るのが怖かった吊橋はなくなって、全部コンクリート製になっていた。そして、なんとすべて同じ色の朱色に塗られて、区別がつかなくなった。それは、緑の山河にマッチして美しかったけど、他の土地から尋ねてくる人のことを考えれば、紫とかピンクとか、黄色などに色分けしておいた方が分かり易いのではないかと思った。金色や銀色はいやらしいが、縞もようとか水玉もようなどはどうでしょう。お伽の国みたいで、人々の心もなごみ、一層平和になるかもしれない。それとも悪趣味だと反対する人もいるでしょうか。さてあれから数十年、今は何色になっているでしょう。 昭和五十六年六月 さっちゃんが良く眺めた住まい近くの貞光川に架かる長橋からの風景です昭和30年頃の貞光川に架かる木の吊り橋(長橋)です昭和34年頃、長橋は木の吊り橋から沈下橋に架け替えられました
2017年01月08日
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