さっちゃんのお気楽ブログ2

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2016年06月22日
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箱本館・紺屋

私が家から車で30分程の大和郡山にも
箱本館・紺屋という藍に関する施設があります。

豊臣秀吉の弟「秀長」が大和統治時代の頃に
箱本13町と云われる城下町の自治組織が作られました。
紺屋町はその一つで、江戸時代より藍染め等の商いを
行っていた町屋が立ち並んでいた地域で、
箱本館・紺屋は藍染めを生業としてきた町屋を改修し公開しています。

建物の前には往時の名残で、
染料を洗い流すために作られた用水路が残されています。

藍染の色合いや良さを知ることが出来ます。

                 syun



風景


「藍の没落」(2)

<つづき>
祖父より十年長生きした祖母の姿は、
両親から時折聞かされて、少しは想像できる。
何故、それだけが私の家にあったのか分からないが、
昔、押し入れにあっおばあちゃんのと分かる和歌らしい
美しい仮名の連綿に見とれて「誰が書いたの」と母に聞くと、
「おばあちゃんの手習いだろう」といった。
他に一族に手習いなどする心の余裕のある人物に
思い当たらないから確かなことと思う。
祖母のエピソードとして、座敷を箒で掃くのに、
一カ所を七、八回ずつ繰り返し掃くという話。
戸や障子を開け閉てするときは
ひとが触れていない上の方を持つという話。
徳島市の内町あたりの裏通りに隠れ住んでいたが、
貸し本を毎日読んで過ごしていたという話。
二十歳を頭に七人の姉弟のうち、
幼児三人をつれていた筈だが、
どのようにて暮らしを立てていたのか、
四十三歳で亡くなったから、女盛りの三十代を、
炬燵に入って手習いしたり、
貸し本に読みふけっていたとは、不思議なひとであると思う。

さて、数年前に出版されたK町教育委員会編集の
「K町の歴史と文化財」という本の藍作の項に
「阿波藍商繁昌見立鏡」として、
明治十九年の分と二十九年の番付表が載っていた。
戦前の県下のの有名な富豪たちが名を連ねていて、
母方の本家S氏の名が中くらいの大きさの文字で
記されているのを見つけた。
母の話では油問屋と聞いていたが、
昔は藍商として名を馳せていたということだ。

そうすると、私の家は父方と祖父が藍師で、
母方の祖母の実家も藍商だったという、
藍にかかわる家系だということが分かった。
といっても、吉野川沿岸の平地では
藍作にかかわった人は多かったにちがいない。
(つづく)




本郷さん





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最終更新日  2016年06月23日 18時50分49秒
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