さっちゃんのお気楽ブログ2

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2016年11月04日
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「頬白のうた」(島木赤彦)

昭和の初めに生まれ育った者たちにとって
十代の少年少女のやわらかい感性に浸み込み、
胸をキュンとさせた代表的な歌人といえば
啄木からはじまって牧水や白秋であった。

東海の小島の磯の白砂にわれ泣きぬれて蟹とたわむる  啄木

 白鳥は哀しからずや空の青梅のあをにも染まずただよふ 牧水

 君かへす朝の舗石さくさくと雪よ林檎の香のごとくふれ 白秋

などは誰もが愛誦したものだ。

その頃は島木赤彦の歌は啄木たちのように胸をくすぐる甘さ、

あおの不快味わいに魅力を感じなかった。

赤彦の歌に親しく出合ったのは、六十年余り昔、女学校卒業の時、
先生方や友達にお別れの記念に書いて頂いたノートにあった一首である。

高槻の梢にありて頰白のさえずる春となりにけるかも

書いて下さったのは体育の若い女先生であったが、
残念ながら卒業アルバムもそのノートも空襲で焼失してしまった。
今となっては先生のお名前もお顔も思い出す述もないが、
きれいな歌だと印象に残っていて、後日、島木赤彦の歌だと知った。

 たまたま目の前にあった朝日新聞の一面に
大岡信の「折々のうた」の欄にこの歌が載っているのが目に入った。

 あらためて読んでみて、やはり「高槻」が分からない。

とあるから木の名前らしいが聴きなれない名前だ。
辞書を引くと「ケヤキ」の古名、「ケヤキの一変種」ツキケヤキとある。
大岡氏の解説文を写そう。

 『大虚集』(大正十三)所収。赤彦は信州の諏訪に生まれた。
諏訪地方は信州でも寒さがとりわけきびしいあたりで、

当然赤彦の歌には故郷の湖畔の冬のきびしい寒さを詠んだものも多い。
それだけに冬が去って春を迎えた時の喜びは、
赤彦にとっては他人事ではないものがあった。
高い槻の梢でさえずる頬白は、
正に春の到来を喜びをこめて唄う使者だった。

 赤彦の言葉によれば作歌は「鍛錬道」であり、
短歌の究極は「寂瘳所に澄み入る」ところにあるといったと。
(上田三四二記)彼の歌は分かり易い言葉づかいで、
谷間の湧水のように清澄な風情と細やかな観察の目と、
深い詩情で満たされている。

信濃路はいつ春にならむ夕づく日入りつしまらく黄なる空のいろ


赤彦は大正十五年三月五十一歳で亡くなったが、
大正時代を通じてアララギの中心人物として指導的地位にあり、
写生の現実主義を貫いた。

                「徳島短歌」に掲載







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最終更新日  2016年11月04日 12時12分47秒
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