1

田村質問は、何が問題なのか?7月27日の衆議院の予算委員会での共産党・田村智子議員の高市首相への質疑ですが、いったい、何が問題か? 一つ、生での質疑は、テレビ中継では見れませんでした。11時50分、正午前のNHKは気象情報に切り替えられました。生中継はカットされました。以前であれば、放送がでかなかった質疑は、午後の時間に録画が放映されていたんですが。その放映はまったくなし、政府とNHKは田村質問をカットしたんです。仕方なし。2026年7月27日の衆議院予算委員会・田村質問については、衆議院のホームページから見るしかないんです。衆議院インターネット審議中継なんと民主主義にとってアンフェア―な、姑息なことか。共産党を国民に見せたくないとの、政治的な意図を感じますね。二つ、田村質問は、「非核三原則を堅持せよ」との点でした。問題は、日本の国民にとって、世界の世論としても、当然なこの問いかけですが、高市首相は、「堅持する」との明言をかたくなに拒んだんですね。もちろん被爆者をはじめ、国民の歴史的な願いの声です。国連のグレテイス事務総長や、核兵器禁止条約をもとめる国際世論の声です。しかし、高市首相は「堅持する」とは言わなかった。ここに、今の日本の根本問題がありますね、それがこの質疑で明確にされました。いま日本政府がすすめているのは、アメリカの核戦略の協力どころか、推進ですね。「軍備を拡大することで平和をまもる」といって、全面的な軍拡路線です。その実際の政策をちっとも説明せずに、軍事費を捻出のために、暮らし福祉・教育予算を削っている。首相は「台湾の有事は日本の存立的危機で、自衛隊の出動だ」との主張を撤回しない。この全体的な流れの中からみれば明らかです。高市首相のやろうとしているには、「非核三原則の堅持する」とのこれまでの方針ですが、「これを変える」ということを、口にすることを避けつつ、行為でしめそうとしているわけで。国民には信念をちっとも語らずに、トランプ政権に対しては抱きついているわけですから。この政治の実態をよくみて、これをしっかり変えなければ、今の日本の進路は危険です。
2026年07月28日
閲覧総数 181
2

お茶の木の剪定をしましたみかん畑の一辺にはお茶の木が植えられています。傾斜地にあるみかん畑、その土手が崩れるのを守ってくれています。お茶の木の剪定は、7月19日についで、二度目です。 (9月21日)7月19日以後にも茶葉は伸びていました。これまではみかんの栽培にかかりっきりで、お茶の木はまったくの視野の外、放ったらかしだったのですが。ところが今年は、5月初旬の「八十八夜」に、初めて茶摘みをしました。それは、ちょうどみかんの花の満開のころでした。まったくの初体験の茶摘みだったのですが、ある機会があって、茶どころの静岡県藤枝にあるお茶農家で、直前の4月末に、茶摘み体験をさせてもらいました。その体験から、一気に具体的に可能になりました。そしてまた、やはり偶然の立ち話から、農協の協力を得て製茶してもらう道ができました。そうして、今年の5月にお茶が400グラムくらい出来上がりました。とにかく、初めてことですが、自家製によるお茶を味わうことが出来ました。それから約半年弱が過ぎました。今、みかんの方は、秋空の下、果実が成熟に向かい始める時期となりました。ミカンの収穫は、10月末から始まります。お茶の木はというと、今は茶摘みの反対側の季節です。9月21日には、お茶の木の整姿剪定をしました。茶摘み後の剪定についで、二度目になります。 (9月21日)剪定した後の姿です。はたしてこれで剪定になっているかどうかは、わかりません。枝を刈り込み過ぎていないか、どうか、心配はあるのですが。えぃ、ままよです。剪定ばさみを使って、ボサボサになっていた枝を刈りそろえるようにしました。これは、来年5月に新芽が出る時に、比較的に若葉が生えそろって、茶摘みをしやすくするためです。 (9月21日)よくしたものです、土手には彼岸花がタイムリーに咲きだしていました。お茶の木には、夏の時期に伸びたヤブカラシも捲きついてきます。植込みの間にツユクサ、シダをはじめ雑草もはえてきています。お茶の木を維持するためには、この時期に根周りを除草しておくことも、肝心なことかと思っています。当方は、たかだか20メートルくらいの一作だけですが。それだけでも、汗ビッショリの大仕事でした。これに比べたら、静岡の山々に広がるお茶畑の手入れは、今頃は、このひと仕事だけでも大変だろうなぁと想像してしまいます。今ころ、同じことをはるかな規模でやっているのだろうなぁとそうぞうします。ながめているだけなら、お茶畑はじつに綺麗で「のどか」に見えますが、そうした状態に管理しておくための手入れ作業を考えると、広大なお茶畑を相手に、大変な労力が求められてだろうとおもいます。お店でお茶を買うだけならいたって簡単なことですが、チョコッと栽培らしきことをしただけでも、それを提供するためのお茶の木の山々の手入れ仕事は、おおくは機械化もしているでしょうが、植え込みの中の草刈りや手摘みなど、機械では出来ない作業もあるかとおもいます。良いお茶をつくることは、大変な手間のかかる作業です。
2009年09月22日
閲覧総数 2184
3

鹿島・松が谷の地域図書館を充実させるために4月18日に開かれた鹿島地域懇談会は予算に見る八王子市政がテーマでしたが、そこで参加者の多くから八王子の図書館を充実させたいとの要望が次々に出されました。次回の懇談会は、5月16日「八王子の図書館を考える」をテーマとすることとなりました。今、その準備をしているところですが。私の手元に、40年前の一冊の本があります。こんな本も参考にしつつ、いくつか聞き取りをして、わかってきたことですが。一、最寄りの由木東出張所内にある図書館ですが、直接にはそれをどう充実させるかが議論のきっかけだったんですが。ところがこれは「図書館」ではなくて「図書室」だったんです。どういうことか。56万都市の八王子は、2019年3月に「八王子市図書館条例」が改正されましたが、それによると、八王子市の図書館というのは、以下の9館だというんです。 本館 八王子市中央図書館 分館 八王子市生涯学習センター図書館 八王子市南大沢図書館 八王子市川口図書館 分室 八王子市由木中央市民センター図書館 八王子市恩方市民センター図書館 八王子市由井市民センターみなみ野図書館 八王子市北野市民センター図書館 八王子市石川市民センター図書館となると私たちの身近かにある由木東出張所の中なある図書館というのは何か?それは「図書館」ではなく「図書室」だというんです。「由木東市民センター地区図書室」とのこと。八王子は広いから、集会所のなどに13か所のこうした「図書室」があるのだそうで、由木東はその一つだそうです。だからこの館内にある図書は見てわかるんですが、八王子全体でどんな書籍があるかはわかりません。ネットワークですが、分館、分室に行って検索しないとわからないわけです。職員の方は二人で、ボランティアであたられているとのこと。由木東図書室の貸し借りは、火、水、木、土曜の午後2時から4時の間は図書室にいるとのこと。あとの時間は出張所の事務室が、午前午前10時から午後6時まで対応するようなしていると。二、おそらく当地の図書館利用者は、近隣の多摩市の便利な図書館が近くにあるわけで、そちらを頼るようになっているかと思います。多摩市中央図書館を検索すると、その中央図書館の機能がユーチューブで紹介されています。また、お隣の日野市の図書館は、もう40年も前ですが、『図書館の誕生-ドキュメント日野市立図書館の20年-』(関千枝子著 日本図書館協会 1986年)どういうわけか、そんな本が手元にあったんです。この図書館づくりに日野市民が、行政とともにどの様に努力してきたかの記録ですが、そこには、どの様な大きな課題があるのかが見えてきます。使いやすく、充実した図書館づくりの成果が、すぐ近くの多摩市にあって、実際に、私などもそれを部分的に利用させてもらっているわけですが。しかし、八王子市民の立場からしたら、どのように自らの八王子市の図書館を充実させていくのか。学園都市、文化都市をうたっているわけですから、ただ『隣の市は便利で素晴らしい』だけですましていたら、遅れた僻地・鹿島松が谷での図書館の行政は、いつまでたっても変わるわけがないと思います。次の懇談会では、置かれた状況を確認しつつ、どの様な一歩が必要か、探りたいと思っています。
2026年05月14日
閲覧総数 205
4

こらっ!カミキリムシとの今年最初の出会いみかんを栽培するものにとってカミキリムシは天敵です。成虫が飛んでくるのは6月下旬から9月くらいですが。その後、幼虫が動き出しています。1月6日、最初の大仕事となったマシン油散布が終わりました。やれやれと、道具を片づけてから、もう一仕事。残った時間で、枯れてしまったミカンの木を切り縮めようとしました。すると切った木の断面に穴が二つ空いていました、カミキリムシの仕業です。これがこの木が枯らされた原因です。もはや枯れ木にはカミキリムシはいないだろう・・・と思っていたのですが。ところが、その穴の奥の方に何やら白いものがいます。細いドライバーでなかをかきだしてみたら、いましたいました、カミキリムシです。これだけ木の中に住みつかれると、外から退治しようとしても、むずかしい。木の異常に気がついても、中にカミキリムシがいることは分かっていても、むずかしい。木の芯の方に潜り込んでいては、外からではどうしようもないわけです。木が枯れていくのをただ指をくわえて見守るしかすべなしでした。「御用だ!」といっても、後の祭りでしたが。しかし、もう一本の木がありました、こちらは枝が狙われていました。以前にここでカミキリムシを探し出し、駆除したつもりだったのですが。今回あらためて見てみると、まだ樹皮のささくれ、枯れ込みが進んでいました。ひび割れした樹皮をナイフではぎ取ってみました。すると、いた!見にくいのですが、ここに2匹いるのがわかりますか。長さ1.5センチくらいでしょうか。1年生の幼虫です。それだけではありません。さらに樹皮の下から、細くてさらに小さな幼虫が2匹出てきました。さらにもう一匹。これがそのカミキリムシの幼虫です。結局、この枝から幼虫が5匹も出てきました。前に処理済み・・・どころか、油断していたら完全に枯らされてしまいます。今回の駆除がなかったら、危ない所でした。カミキリムシの加害は、他の病害虫の加害とは性格が違います。これにやられると、みかんの木自体が枯らされてしまいます。他の病害虫なら、まだ手直しがきいて、翌年には正常にもどせます。ところがカミキリムシが加害すると、そうはいきません。木自体が完全に枯れて死んでしまいます。私などもこの10年の間に5本くらいの木を、しかも果実の多産な木を枯らされてしまいました。小さなカミキリムシの幼虫ですが、ミカンを栽培する者にとって、これは油断が出来ません。カミキリムシは、みかん栽培に相いれない天敵なんです。こうして見つけれるのは、実際の一部なんですが、これからいろいろな作業のなかで、木を注意して見ていきます。
2013年01月08日
閲覧総数 317
5

「石垣山みかん園を再生する会」の9月課題やはり気候には要注意です。一昨年まではみかん園に向かう途中の温度ですが24度くらいでした。今年は33度などを示しています。表で仕事をしている人は、゛およげ、たいやきくん゛の状態だということです。東京・八王子から小田原まで移動する、仕事する以前に、その移動だけでも大仕事だということです。そんな中、本日、8月24日(土)、多摩の永山団地の商店会で、カボチャの朝市を開いてきました。一、小田原・早川のみかん農家の様子ですがみかん畑のある小田原・早川地域を調べてみました。小田原市の「統計要覧」(2022年版)によるものですが。みかん園のある早川は、世帯数1,530、居住者は3,106人です。では、その中で、農業の従事者は、106人(男59名、女47名)です。果樹園(主としてみかん園と想定すると)は、49戸で、44haです。耕地面積規模では、0.5ha未満が13戸、0.5-1haが18戸、1-2haが18戸、2ha以上が3戸です。ようするに、早川のみかん農家ですが、だいたい0.5haから2haの畑を手入れしているということです。これにより、自分の「水曜農夫」の位置が、ある程度見えてきます。二、9月のみかん園の課題さて、8月も下旬となり、赤とんぼとツクツクボーシの季節となりました。まだまだ残暑はきついんですが、それでも朝晩の秋風を感じられるような時期になりました。今回の問題は、みかん園の9月課題をたてることです。1、柑橘の収穫は、8月下旬から、スダチ・カボスなどの香酸柑橘類の収穫が始まります。ついつい草刈り作業に追われて忘れがちですが、みかんの年間収穫サイクルは、ここから始まります。10月下旬の早生みかんの収穫からが本題なんですが、その前から、少しずつ柑橘類の収穫が楽しめるようになります。2、しかし、依然としてみかん畑の主要な作業は、みかん畑の草刈りです。10月半ばには早生みかんの収穫が始まりますが。それまでに、みかん園全体の草刈りをしておくことが、丁寧に収穫するため大事になります。少なくとも、みかんの木の周りの雑草は除去しておかなければならません。そこが大事なところですが。しかし「みかん園全体を草刈りする」ということは、簡単なことのようですが、やってみるとわかりますが、とんでもありません。みかんの手入れとは、とどのつまりは繁茂する雑草をいかに抑えるか、ここに基本がありますこの1年間の経験ですが。昨年(2023年)9月12日でしたが、当方は根府川にある農業技術センターを訪ねました。小田原の広い畑ですから、草刈り機をふりまわすだけでは、とても除草しきることは無理なんです。園主さんから『あんたの草刈りはあまい、だからみかんの木が枯れている』と言われてました。それで、根府川にある県の試験場に行って、繁茂する雑草を抑えるための手立てとして、除草剤の使用についてのアドバイスを聞きに行ってきたんです。もちろん、誰しも食品として安全なみかんをつくりたいじゃないですか。ベトナム戦争の報道や、アメリカでの訴訟のこともあるじゃないですか。これまでは、なるべく除草剤は使わないようにしてきたんです。しかし「現実に今の農家の全体をみよ」、除草剤を絶対悪とみる見方を改めよというのが、みかん栽培のプロの園主さんの忠告だったんですね。それで、みかん栽培の専門的技官のレクチャーも聞いて、私も「コペルニクス的転換」をしました。昨年の10月から、除草剤を雑草をおさえる手立てとして、除草作業に組み入れだしたんです。ようするに、9月中には、みかんの収穫が始まる前に、広い畑の草刈りをおわらせろ、ということです。これは、150本の木を相手にした場合、大変な作業なんです。(1本を15分として、1時間で4本。35時間が必要になります。私などが畑にいられる時間は限られてるんです)三、この8月のみかん作業はどうだったかさて、この8月の作業はどうであったか。今年の、この暑さの中での作業は、尋常なものではありませんでした。1、一番は、アシナガバチに刺されて、アナフィラキシー症候群を体験させられたことです。8月の高温状態は、蜂に要注意だということは、毎年刺されてたので分かっていたんです。7月17日に草刈りしていて刺された時は刺された腕が腫れるくらいだったんです。しかし8月7日にみかんの木の密集を剪定していた時に刺された時は違いました。体の全体に湿疹がでてくる。これはやばいと思い、園主さんに最寄りのクリニックを紹介してもらい、何もかもおいても急行しました。正解でした。血圧は60に低下してたとのこと。霧の中でのような車の運転でした。医師の先生によると『そのまま我慢してたら、命が危なかったよ』とのことでした。2、7月-8月はカミキリムシ対策が、重要点でしたが、今年、駆除できたのは2匹でした。これは、発生が少ないんじゃなくて、みかんの木の根回りの草刈りが追い付かなくて、多くは見逃していたかと思います。しかし、去年は、もっと草刈りが追い付かなくて、防虫剤を塗布することが出来なかった。それに比べれば、援農の方たちの支援もあって、荒くはあっても、一応ある程度は防虫剤を塗布することが出来たんです。以前よりかは幾分でもカミキリムシの加害をおさえれたと思っています。3、とにかく、この炎天下に、草刈りが主要な作業となりました。援農の人たちも、この暑い中を応援に来てくれました。この協力があったからこそ、私などは、この難行苦行をのり越えれたんですが。私などは、早朝・午前5時半からの1時間、夕方・4時過ぎからの1時間、これが基本作業でした。午前9時を過ぎると、太陽がギラギラして、熱中症が必至となります。もちろん、それでも、その間であっても、体力・気力が回復次第草刈り作業です。目安として1時間以内とする限定作業ですが、最大の重点ポイントをきめて、短時間の集中的草刈りをすすめました。あくまでも体調次第で、無理は禁物なんです。まぁそこが、一般の会社員の人たちの就業規則のもとでの仕事とは違うところですが。これには、その度に着替えが必要になりますから、4セットを回転させるとか、これまでの手もちの衣類ではまったく足りなくなりました。4、8月はブルーベリーの収穫期でもありました。みかん園の園主さんが、みかんの裏側のこの時期、ブルーベリーを栽培しているんです。7月下旬から8月末までが、その収穫の時期ですが、私なども早朝の30分間を収穫させてもらいました。園主さんなんて、朝は5時半から。さらに夕方にも、収穫作業をしてるんですよ。あとは、カボチャですね。これは、知り合いの農家の方ですが、カボチャをつくっておられるんですね。これが美味しいんで、今回のブログの冒頭の写真に使わせてもらいました。それを東京の団地に運んで、安くて美味しいカボチャを販売させてもらってるんです。5、失敗のミョウガしかし、今回失敗がありました。せっかくたくさん採れたはずのミョウガですが、完全に採り損ねました。フキの畑ですが、そこは、時がうつるとミョウガ畑になるはずだったんです。ところが、みかん畑の草刈りに追われていて、その移行する時期の草刈りが出来なかったんです。そのことに気がついて、畑を見に行ったら、ご覧の通りで、ミョウガ畑は、すっかり竹と雑草に覆われてしまっていた。今季のミョウガの収穫を逃してしまったということです。せっかくの富を、私などの手当のまずさによるわけですが、今年は、あれこれの忙しさもあって、逃してしまったということです。来年こそは、必ず改善するつもりですが。
2024年08月24日
閲覧総数 199
6

霜がおりてはまったなし、みかんの収穫を急ぐ12月28日(土)、南関東も冷え込みました。雪が降ったことよりも、その後の冷え込みが問題です。みかんに浮皮が発生して、果皮がブカブカになってジューシーな味が消えちゃうからです。12月28日午前7時の小田原からの富士山です。ながめる分には綺麗ですが、近くの山にまで雪がうっすらと残っています。天気は晴れですから、朝方の気温は冷え込んでしまう。案の定、みかん園にも霜がおりていました。日が出ると解けますが、その前に降った雨が氷りつくということです。大概のことは、陽が出ることで解消されるのですが、みかんの果実の場合は違います。いったんは果皮が氷結して、それが太陽の光で解けだしたものです。問題は、こおなると浮皮が発生します。ヘタのの皮が果実の実から離れでブカブカになります。そうなるとみかんの味の濃さが消えてしまいます。霜はみかんに大敵だというのは、このことを指しています。まだ、みかんの木には少しは実が残っています。したがって、みかん(温州みかん)の果実をすべて木から下ろしてしまうのは、この気候からしても、指示されているということです。「もう、いいじゃないか、これまでよりもがんばったんだから」との気持ちもなくはないのですが、せっかくの自然の恵みをこの一両日でみすみす消さしてしまうのでは、それがわかっていて、手をこまねいてしまっては、農夫失格です。収穫して販売するサイクルから、収穫・収穫・収穫にきりかえます。すべての果実を採りきることに力を集中します。スカスカのみかんにしては、自然の恵みが喪失してしまいますから。今日はそうしたことで、みかんの果実を木から荷下ろしする日です。
2013年12月29日
閲覧総数 6000
7

クマゼミの分布について7月27日付で神奈川県西部の真鶴で、クマゼミが鳴いているのを紹介しました。「シャー、シャー、シャー」とにぎやかに鳴くのですが、東京ではまったく聞くことはありません。東京ではアブラゼミとミンミンゼミです、と紹介しました。その後、もう少し分布の広がっていることがわかりました。新たにクマゼミの鳴き声を聞きいたんです。8月3日の昼頃、神奈川県川崎市の川崎大師付近でのことです。はっきりと存在感を示したにぎやかな鳴き声でした。ところがさらに、なんと東京・板橋区の志村坂上でも聞いたのです。8月5日午前8時半ころのことです。東京で初めて聞いたクマゼミの鳴き声です。ここ板橋の方は、一匹だけのようで、程なく鳴き声は聞こえなくなりました。その鳴き声も、はでなにぎやかさはなく、アブラゼミやミンミンゼミの鳴き声の間にあって、そのすき間でわずかに、かき消されるように、細々とた声で鳴いていました。「あれっ、ほんとうにクマゼミなのか・・・」疑いたくなる感じでしたが、確かにクマゼミの声でした。8月5日付の新聞にクマゼミにふれた記事が載っていました。「四国では、早朝大合唱していて、午後はおとなしい。かつては九州はじめ暖かい地域に多く、本州では珍しいといわれていた。今では、関東南部でも騒がしいほど。ある調査では、北関東から北陸にもいると報告している」、とのことでした。
2009年08月06日
閲覧総数 1101
8

みかんの木を枯らすミカンナガタマムシ何故、みかんの木が枯れていくのか。カミキリムシが基幹を加害していたのは、3月26日のブログで紹介しました。しかし、症状からして、原因はカミキリムシだけではないことが見て取れました。(4月9日付ブログ)4月13日に根府川にある農業技術センターを訪ねました。課題は3つ。1、みかん畑に繁茂してくる「雑草」ですが、その主なものの名前を教えてもらうこと。雑草という草はないし、図鑑を見てもそれがなんなのかはっきりわからない。名前を教えてもらおうと、数種類を持ち込みました。2、今回の主題は、カミキリムシとは違う枯らされている木の原因で調査でしたが。さすがに農業技術技術センターです。具体的な説明にくわえて、玄関の横には加害された症状をしめした木が置いてありました。これではっきりしました、ミカンナガタマムシでした。別の件で調べものをしていたら、本日、一つの発見がありました。「防除情報(病害虫情報 号外 第3号)とのニュースが出されていて、ミカンナガタマムシの問題についての注意が発信されていたことを知りました。神奈川県農業技術センター発 令和7年4月16日付でした。このニュースは、私などの周りのみかん園の園主さんたちは知らないと思います。今度行ったときに紹介するつもりです。3、もう一つは、今回の雪・凍害を調査した『農民』新聞の提供でした。もちろん、2月20日付で「大雪・凍害による木に対する管理」は、JAと技術センターでニュース発信しているんですが、あくまで木の管理についての注意です。しかし、柑橘の果実に対する被害というのは、どこも調査しておらず、その後の時間とともにそれぞれの体感として明らかになりつつあるところだと思うんですね。そして、「天災だから仕方がない・・・」と、あきらめ的なんです。私などは、その被害の現場にいるわけですが、その点で被害を様子をリアルに取材した『農民』新聞(4月13日付)の客観的な情報は貴重だと思うんですよ。農家や農業団体、政治の各方面が、被害の実際と向き合って、被害のほどを早くキャッチして、この自然災害に対して、どのような救済策がありうるのか。その対策を探る必要があると思うんです。地球温暖化が指摘されるおり、同じようなことが来年も繰り返さないとは、誰も言えないんです。そうしたことで、今回の小田原行きは、この「農民」新聞コピーを、私と接点のある人たちみんなにとどけました。さらに農協や農業技術センター、小田原市議会議員の人たちと、ひごろ接点は薄いんですが、それでも社会的にかかわる各方面の人たちに対しても、資料として提供して対策を依頼してきました。みかん栽培には、自然災害への対策もあれば、病害虫対策の問題もあるということです。二つの災害が重なって発生したということです。
2026年04月16日
閲覧総数 425
9

ついに、はるみの木を植えかえましたはるみの木は、去年たくさん実をつけました。5年生の木だったのですが、その見事さを見て喜んでいたのでしたが、10月末くらいになったら、まだ収穫期でもないのに、実が黄色くなり、葉も黄色く枯れるようになってしまいました。実のつけ過ぎでした。あまりの実の多さに木が耐えられなくなってしまった。そしてとうとう、木は枯れてしまいました。 (6月1日)それでも、一時は、新しい芽を出しだしたのでしたが・・・、この夏の暑さと日照りがきつすぎました。せっかく甦りの兆しも、暑さと水不足で、その芽も枯れてしまいました。今回、10月11日、はるみの幼木を、枯れた木の後に移植しました。 (10月11日)はるみの木は、自然のままだとこうした実のつけ過ぎが多々生じるようです。手をこまねいていては、喜んでいるだけでは駄目だということでした。この残念な経験を、こんどは繰り返さないように、初期は木をしっかり大きくさせて、実もつけ過ぎの時には、半分くらいは摘果してやることが肝心だと、植えかえしながら、感じました。今度こそ、あたらしい苗木をしっかり育てたいものです。
2010年10月11日
閲覧総数 250
10

雑木林の開拓小田原・早川の石垣山のみかん園ですが。みかんの収穫期までにみかん園の周辺を整備してきました。2月17日から草刈り機とチェーンソウをつかって雑木林を開拓してきたんですが、なんとか、一段落することが出来ました。梅雨入りの5月までには、一度は全体の整備を完了したんですが、梅雨が明けたころには雑草の繁茂は元に戻ってしまい、二度目の整備をしてきました。元はここもみかん園だったそうなんですが。雑木林となってイノシシの住家となっていたんです。広く視界が広がるようになりました。残っている雑木林はお隣の土地です。以前は全体が、こうした雑木林の状態だったんです。なんとか、境界の内側については整備しました。これは途中の、3月の時点での様子です。大きな木については、知人の力も借りて、伐採しました。伐採も大変でしたが、その後の草刈りも大変でした。草というよりも低木と化していましたから、普通の草刈り程度ではなかったんです。この開拓で倒された木と、積み上げられた草の片づけが大変でした。結局、10月26日までに33回もの野焼きをして片付けたんです。本来なら、剪定で出てた切り枝を燃やす程度の野焼きですが、「どんど焼き」のような野焼きを33回もやったわけです。『焼き芋でも焼けばよかったじゃない』なんてアドバイスもあったんですが、実際の野焼きの渦中の中では、そんな余裕はまったくなし。燃え盛る火で山火事にならないか、周辺にちらばる切り枝をどれだけ集めれるか。火が着いてから燃え尽きるまで、事故のないよう緊張の連続でしたから。開拓したあと、ここからのイノシシの動きはなくなりました。雑木林は畑となり、知人が開墾して野菜畑を始めました。当方も、折を見て、レモンと甘夏の苗木を植えようと思っています。何かしら目標がないと、ただ草刈りするだけでは徒労になりますから。とにかく雑木林の整備は一段落したということです。これで、みかん仕事に集中することが出来るようになりました。
2020年11月08日
閲覧総数 511
11

アシナガバチの巣を発見私はみかん園の草刈りをしていてアシナガバチに刺されたんですが。7月20日に、そのアシナガバチの巣を見つけました。一見すると、のどかなみかん園の農道ですが。この光景のなかに、二か所の巣がありました。一つは、左にあるみかん小屋のひさしの下に巣がつくられつありました。あたりを草刈りして疲れたら、この小屋の日陰の石段に腰かけて、一服するじゃないですか。いつもそうしていたんですが、この2週間くらいで状況は変わっていました。アシナガバチが、この小屋のひさしの下に巣をつくりだしていたんです。これは注意していれば,すぐ気がつくんですが。もう一か所は農道の右側です。イノシシの侵入を防ぐために柵がはられているんですが。草が農道にせり出していたんで、その草刈りをしたところ、アシナガバチに刺されました。今回、その刺された訳が分かりました。甘夏の木の陰にコンテナボックスがあるんです。そのひさしにアシナガバチが巣をつくりだしていました。そこからは15メートルくらい草刈りしていた場所は離れていたんですが。イノシシ柵にクズとヤブカラシの蔓が巻き付いていたんで、それを除去していたんですが。柵に巻き付いたツルを引きはがそうとして引っ張ると、その震動がかなり離れてはいてもハチの巣を刺激していたんですね。そのために、蜂が巣を守ろうとして攻撃してきたという次第でした。ハチの巣の所在が分かったんで、これから日に日にその巣は大きくなっていきますが、次回は、蜂を駆除するスプレー剤をつかって、危険な蜂を除去するようにします。蜂自体は、みかんにたかる害虫を駆除してくれる益虫でもあるんですが、この時期は、巣の近くに近づくものを攻撃してきますから、危険な存在ですから、人間の生活圏から引っ越してもらわなければなりません。
2023年07月28日
閲覧総数 421
12

この時期に、セミの幼虫を見つけました1月19日のことですが。カミキリムシに枯らされたみかんの木の切り株を抜いていました。ゆうに40センチくらいは掘ったのですが、切り株は、テコで起こそうとしても、まったくびくともしません。さらに周りを掘り下げて、四方八方にはった根を切ることによって、ようやく掘り抜くことができました。たいへんな大仕事だったんですが。やれやれと思っていたところ、地面の中から、何やら虫が出てきました。大きさは2センチくらいなんですが、間違いなし、これはセミの幼虫です。7-8月になれば、みかんの木についている抜け殻は、よく見かけるのですが。手足をゴソゴソと動かしている幼虫については、初めて見ます。蝉もとんだとばっちりです。冬眠していたのを、切り株を掘り起こす作業で、掘り起こされ、目覚めさせられちゃったようです。今は季節は冬ですから、まだ出てくるには半年間も早すぎます。すぐに埋め戻しておいたのですが。これから7月まで、地面の中で頑張ってくれるといいんですが。
2013年02月05日
閲覧総数 644
13

年内最後のみかん収穫12月24日から27日に、年内最後のみかんの収穫に行ってきました。12月27日朝、相模湾の日の出で、みかん山から見た景色です。小田原の街は、まだ暗い。この前日・12月26日に、みかんの収穫のために、親子2人が来てくれました。なにしろ、まわりの農家がこの数日の間に、一気に収穫を終えてからというもの、みかんの残っている畑に、山じゅうヒヨドリが、集まって来るようになってます。人間の収穫が遅いと、美味しいところは鳥たちの饗宴の場となってしまいます。下からはイノシシ、上からはヒヨドリが狙ってます。しかし、収穫はハサミをにぎる回数ですから、農夫は連続の作業で、すでにくたびれていますから、応援者が来てくれると助かるんですね。12月25日(日)にも、二人の応援者が来てくれたんですが、こちらは、ドタバタしているうちに、写真を撮るのを忘れてしまいました。収穫したみかんですが、一部は小屋におくようにして、箱詰め・袋入れしました。月曜・火曜の朝一番は、JAから宅配便での発送です。全国の友人・知人に、迷惑も承知でSOS、購入を募ったんですね。5キロ箱、10キロ箱と、農協からみかんの発送です。そして、本日・12月28日(水)、車の最大積載量ちかくまで積んで、搬送してきました。これは、東京の八王子・多摩・稲城市で募った自宅への宅配分と、それと、多摩の団地で、12月29日、30日、31日に、歳末セールを開くためのものです。「不要不急の外出はひかえるように」との事態の中で、昨今は、商店街への買い物の人の出は、まったく少ないんですが。これを売り切るのは、容易なことではないんですが。日本人の、古くからの習慣は、正月は家族でこたつの中、みかんでも食べながらテレビを見る、ということですが。まぁ、そんな優雅な家庭は、今のご時世にあっては、ごく一部のご家庭かとは思うんですが。それでも、生産農家にとっては、ここで売れないことには、一年間苦労して生産した意味がなくなりますから、販売と収穫、ここでこそ頑張るということです。だいたいみかんというのも、やはり生鮮食品ですし、フリッシュな美味しさが命です。小屋に貯蔵したみかんが、あふれ出して滞留したりすると、せっかくの味が落ちゃいますから。ここは人の努力です、「命がけの飛躍」のために、収穫とともに販売の点でも頑張るということです。私などが、東京で販売している時間帯は、木に残ってのをヒヨドリたちが突っついてるでしょうが、それは、まぁ仕方ありません。毎年のことですが、年末のうちはできるだけ販売するようにして、1月3日からは再び残りのみかんの収穫です。 井原西鶴の『世間胸算用』は、今でも当たっているということです。
2022年12月28日
閲覧総数 100
14

カミキリムシを7匹駆除今回の小田原・真鶴のみかん園行きですが、中心課題はカミキリムシ対策で、3日間で計7匹を駆除しました。これがその一匹です。ゴマダラカミキリムシです。なんで、カミキリムシに対して、そんなめくじらをたてているのか? それは、みかん園にとって、その存亡がかかってるからなんです。その様子をしめしているのが、次に紹介しているみかんの木です。主枝の3つが枯れ込んでしまい、枝を切らざるをえなかったんです。こうなると、本来の木の生産力からしたら、4分の一に低下してしまい、残されたあとの枝も、心棒となっていた幹がなくなりましたから、アウトなんですね。なんでこんなことになるのか。その基幹の状況を見てみると。カミキリムシの羽化穴が、この写真だけでも二か所あるのが分かりますか。カミキリムシは、この時期、基幹部分に卵を産み付けます。3年目には、羽化穴をあけて外に飛び出していきます。その間に、幼虫が基幹の中に坑道を掘って、みかんの木の養分を送る水脈を切っちゃうんですね。そうなると、その先の枝は養分が来ませんから、枯れだしちゃうんです。みかんの木では、他の病害虫は、手あて次第で翌年にはふたたび復活しうるんですが、カミキリムシの加害は、みかんの木自体が枯れだしちゃって、まったくのアウトです。みかん園にとって、カミキリムシ対策は、園の死活かかった、存亡のかかっている問題なんですね。日本の四季では、今は、梅雨のただ中ですが、この梅雨の一雨ごとに、諸々の雑草が繁茂してきます。みかんの木は、繁茂して来る雑草に覆われちゃうんです。こうなると、みかんの木の根回りの様子なんか、分からないじゃないですか。カミキリムシの動きなんか、分からなくなるじゃないですか。だから、この時期、みかん農家は草刈りです。様々なノウハウで、雑草の繁茂をおさえるため、必死に努力しています。私などは、草刈り機を使っての除草作業をするわけですが。体力勝負です。みかんの木の基幹まわりを除草して、カミキリムシの動きが分かるようにして、その上で、カミキリムシが卵を産み付けに雇用としている箇所に、防虫剤を塗布していきます。1本だけなら簡単なんですが、こうした木が100本も200本もある農家にとっては、とてつもない作業となります。しかも、その期間は、6月中旬から7月上旬と限られてるんです。私などは、これまで、草刈りだけでもやりきれていなかったんです。その途中で、すでにヘトヘト状態だったんです。最初に草刈りしたところが、ふりかえってみると、又再び繁茂している状況でした。ところがですよ。今回は、違うんです。援農者が来てくれていて、みかんの木のまわりの草刈りを草刈りしてくれてるんです。私などの作業は、基幹まわりの草取りをして、防虫剤を塗布していく。その防虫剤の塗布に集中できるようになったんです。その結果です。今回、6月26日(月)に1匹、27日(火)に4匹、昨日28日(水)には2匹と、カミキリムシを駆除したんです。6月6日(火)に今年最初の1匹を、6月21日(水)には2匹目を駆除して来てますから、今季は、すでに計9匹のカミキリムシを駆除しました。しかしですよ、私などが出会うのは、実際のごくごく一部分でしかありません。しかもそれが、この数日で、出逢う度合いが、すごく高まってるんです。これまでの数年間は、この実際が見えてなかった。草刈り作業だけで、やりきれなくて、もうヘトヘト状態でしたから。根回りのチェックや塗布までは、とても手が回らなかったんですね。今回は、援農者が草刈りに来てくれているおかげで、みかん園を守るための大事な手当てが、実際に行われだしたということです。まだまだ、多くの木は未処理ですから、もうひと踏ん張りです。天気の日にしか出来ませんが、防虫剤の基幹塗布作業をやりきるということです。そうすることで、みかん木をカミキリムシから守る、みかん園を守るということです。
2023年06月29日
閲覧総数 205
15

中・晩柑橘の降雪・凍結の被害小田原方面では、レモン、湘南ゴールド、甘夏などに大きな被害が出ています。これは、3月17日に撮った①レモンの木の写真ですが、レモンの木ですが、実は腐りはて、木自体が枯れてしまうかもしれません。②次は甘夏の木です。これは3月1日時点でのもの、すでに7割方の実が落果しています。甘夏の落果は、その後も続いていて、その後はさらにたくさんの実が落ちています。③神奈川県の特産の湘南ゴールドですが、正面の木が湘南ゴールドですが、その実がまとめて捨てられてました。同じ園主の別の畑ですが、もはやまとめて捨てるような時間も労力がなくて、ただ落としっぱなしです。どんな状況か聞いたところ、「9割がダメだだろう。凍結したため「すあがり」して、果皮と果実が分離して、スカスカのジューシー感がなくなっている。木に実がついていても、果皮の苦みが果実にしみこんで、本来のおいしさがなくなっている」と。2月8日の大雪に加えて、その翌日あたりに、気温が零下6度になったそうで、木も果実も凍結してしまった。その後の春の温かさで、解凍されて、果実も木もダメージを受けたということ。大きな甘夏の木は養分を根元から枝先に送れなくなり、果実もお大きいので、落果しだしている。細い枝のレモンなどは、枝や木自体が枯れだしている。木自体が回復できるかどうかは、様子を見るしか仕方がない状況です。2月8日の大雪は八王子もたいへんだったけど、本来は温かいはずの小田原のみかん畑では、その木へのダメージは深刻だった。雪解けした直後は、わからなかった。一見、雪も解けてみかん園は、元のような姿に戻ったかに見えたけれど、実際は、深刻なダメージをうけていて、その実相は、その後の推移の中で見えてきた。その被害というのは、今現在も進行中だということです。JAかながわ西相は、2月20日付で、「降雪・凍害を受けた柑橘類(レモン等中晩柑橘)の緊急栽培管理」をだしていた。これは組合員にたいして、回覧板で回したという。私などは、用事で営農センターによって、この臨時ニュースを知った。営農センターの職員の方が、このペーパーを私にくれたんだけど。当然、柑橘が被害うけている状態を、技能者は知っているけれど、しかし、一般職員には知られていない。私は最寄りのJA事務所によって、ニュースを知人に配りたいと思い、求めたところ、キョトンとして、そんなニュースは知らないとのこと。すったもんだしていたら、奥から幹部が出てきて、入口の「掲示板にはってあります」とのことでした。気候異常が問題になっている昨今です。大きな寒暖の差は、これからも続くことが予想されえます。今回の事例を、よく調査・研究して、みかんの木の回復と、農家の被害救済を探るべきだと思います。
2026年03月18日
閲覧総数 281
16

やはり、遅咲きの梅-豊後が満開でした3月12日、神奈川県西部の真鶴では、豊後の花が満開でした。梅の木があるのは、みかん園の片隅なんですが。やはり、遅咲きの豊後が、今満開の時を迎えていました。豊後の花はピンク色が特徴です。手前にある柑橘は清見オレンジで、鳥よけにネットを被せてあります。その後ろにある豊後は、今が満開です。青空にピンク色の豊後の花が、良く映えていました。枝にびっしりと花がついていました。その花をアップしてみました。枝が見えなくなるほどに花々がついて、たいへんにぎやかです。3月8日に来客があったんですが、この木を紹介するのが漏れてしまい、残念なことをしちゃいました。さて、南高にしても白加賀にしても、すでに今は花の盛りを過ぎました。すでに多くの花びらが散っています。そして花の中央あたりをよく見ると、黄緑色の小さな幼果がつきだしているのが分かります。梅は、花の季節が過ぎて、これからいよいよ幼果の季節に移ります。花びらが散ると、葉の芽が芽吹きだします。こして若葉が広がりだし、それが木全体を覆っていきます。その若葉の中で、梅の実が大きくなっていって、6月になると、その実梅が収穫の時期になります。今年の梅は、これまでのところ順調です。
2014年03月12日
閲覧総数 2812
17

『方丈記』にも液状化が記述されてました今回の、3.11震災では、東京と千葉では地面の液状化の発生がありました。日曜農夫も、震災から1カ月強あとの、4月17日に東京・江東区に液状化の現場を見てきました。これは、新木場駅前の植え込みに残っていた噴出した跡です。 (4月17日)震災から1ヶ月強が経過しています。しかも、この新木場駅前の砂の噴出跡というのは、きわめて小さな、ほんのこどもだまし程度の現象でしかすぎません。それによって、団地の建屋がおどり出し、傾いてしまうのですから。 (4月17日)噴き出したのは、灰色の砂というより、粘土の様な細かな土でした。学校の校舎は土台が液状化し、その校庭は、ひび割れもあったようで、今もって整備中でした。ところで、この液状化は、日本の古典文学にも出てきます。震災の中で、地面が液状化して、建物が倒れるとのことは、古くからの記述にみられます。1212年に鴨長明が書いた『方丈記』には、その21節に大地震の記述があります。その中にも、注意してみると液状化の記述があります。「[二一] また、同じころかとよ。おびたたしく大地震ふる事侍りき。そのさま、よのつねならず。山は崩れて、河を埋み、海は傾きて、陸地をひたせり。土裂けて、水湧き出で、巌割れて、谷にまろび入る。なぎさを漕ぐ船は波にただよひ、道行く馬は足の立ちどをまどわす。都のほとりには、在在所所、堂舎塔廟、一つとして全からず。或はくずれたふれぬ。塵灰立ちのぼりて、盛りなる煙のごとし。地の動き、家のやぶるる音、雷にことならず。家の内におれば、たちまちにひしげなんとす。(おしつぶされそうになる)走り出づれば、地割れ裂く。羽なければ、空をも飛ぶべからず。竜ならばや、雲にも乗らん。恐れの中に、恐るべかりけるは、ただ地震なりけりとこそ覚えしか。」今回の震災にも重なるような記述です。このなかの、「土裂けて、水湧き出で」は、液状化の現象と見えますし、「一つとして全からず。・・或はたふれぬ」などは、液状化の結果だと思われます。鴨長明は、1155年-1216年の人です。『方丈記』は1212年、58歳の晩年に書いたとされています。年表を見ると、彼が31歳のとき、1185年(元暦2年)、この年は平家が滅亡した年だそうですが、その7月9日に京都に大地震があったとのことです。この震災の記述は、体験者でなければ書けないリアリティーな実感があります。きっと、1185年7月9日の京都大地震の体験が、この21節の元になっているものと思われます。地震を記述したかなり古い古典の中にも、地盤の液状化の問題があることは、注意しておく必要があると思います。そして、大きな震災のたびに、地盤の液状化が問題になっています。今回の中でも、発生したわけです。今回は、それでも、ほんの兆し程度でしたが。次回は、地震学者の警告の記述から、近代の震災での液状化の様子を紹介します。
2011年04月22日
閲覧総数 68
18

「豆相人車鉄道」、真鶴駅で紹介板をみつけました人の力で押して動かした゛人車鉄道゛をご存知でしょうか。5月4日、真鶴駅で「豆相人車鉄道」の紹介板を見つけました。当方は、馬が客車を引いて走る鉄道馬車は知ってましたが、また人が車を引く人力車も知ってましたが、よもや、人がその力で押して客車を動かした鉄道があったことを、最近知りました。写真にもありますが、「豆相人車鉄道」とは、そうした鉄道でした。「豆相人車鉄道」の「豆相」とは、゛伊豆の国゛と゛相模の国゛を結ぶ鉄道のこと。神奈川県・小田原と静岡県・熱海の間を結んだ人力の鉄道で、全長の距離は25.6キロだったそうです。この「豆相人車鉄道」は、1895(明治28)年から1900(明治33)年にかけて、順次、小田原-熱海間を開通させた民間鉄道だったそうです。熱海の旅館組合の人たちの鉄道への強い要望がつくりだしたものだそうです。私が「豆相人車鉄道」を知ったのは、去年の熱海でのこと。「伊豆の旅」を準備している中で、熱海に住む知人から初めて聞きました。それは、2013年10月3日付で紹介しました。http://plaza.rakuten.co.jp/sagamimikan/diary/201210030000/じつはこの時、まだ軽便鉄道があったことも知らなかったのですが。明治の日本の近代化にとって鉄道は大事業でした。最初に新橋-横浜間を走ったのは1872(明治5)年でしたが。その後17年をかけて1889(明治22)年に東海道線が開通しました。当初の東海道本線は、国府津駅から御殿場駅を回って沼津駅に出る御殿場ルートでした。当時の小田原駅は、本線から外れた引っ込み線の終点駅。温泉の熱海にいたっては、小田原からテクテク歩いて行くしかすべなしでした。 そこで熱海の旅館組合は、ひとが客車を押す「豆相人車鉄道」まで考えて、お客さんを呼ぼうとしたのだそうです。そして、それを実行しちゃうからすごいですね。「豆相人車鉄道」の全線(熱海-小田原間)開通は1900(明治33)年だそうです。かなり役割を果たしたようですが、なんたって人が客車を押すわけですから。7年後の1907年には軌道を広げて、小型の蒸気機関車が客車を引く「軽便鉄道」への切り替え工事がおこなわれることになったということです。これが軽便鉄道「熱海線」です。「豆相人車鉄道」をひきついだわけです。芥川龍之介に短い作品ですが、『トロッコ』(1922(大正11)年3月)があります。これは、湯河原の吉浜出身の同僚・力石平蔵から資料が提供されたそうですが、人車鉄道から軽便鉄道に切り替えるための1907年の工事のころを回想してかかれています。また、志賀直哉には『真鶴』(1924(大正9)年8月)がありますが、その中には軽便鉄道がでてきます。二つの作品は、真鶴あたりの鉄道が出てきて、かつてのことを回想的に描いていて、題材として重なるものがあます。もしかして志賀直哉は、『トロッコ』に刺激されて、゛私にも似たような体験があるんだが...゛ということで書かれたのかもしれません。さらに、軽便鉄道「熱海線」から、国鉄の東海道本線へ。国の方では、さらに大きな計画が、国鉄・東海道線の熱海ルート計画が動き出します。国鉄の東海道線の熱海ルートのについては、真鶴駅にあったポスターが紹介してくれていました。これは、国鉄の東海道線の進捗をしめしています。 1922(大正11)年に、国鉄の小田原-真鶴間が開通。 1924(大正13)年には、国鉄の真鶴-湯河原間が開通。ローカルな軽便鉄道は自然の地形に沿って走っていましが、同じ区間を新たな国鉄の東海道線は、国策としてトンネル直通などより輸送力を飛躍させ、運賃なども安くなったでしょう。とにかく競争になりませんから、順次切り替えられていくことになったようです。最終的には、1934(昭和9)年12月に丹那トンネルを開通させたことで、現在の熱海-三島ルートを貫通する東海道線が出来上がりました。この丹那トンネルの工事や当時の状況は、以前紹介しましたが、吉村昭著『闇を裂く道』(1987(昭和62)年刊、現在は春文庫)が、詳しくまとめています。http://plaza.rakuten.co.jp/sagamimikan/diary/201210020000/こうして丹那トンネルが開通した1934(昭和9)年には、軽便鉄道「熱海線」の区間全体が、国鉄に移管され、現在の東海道線となったというわけです。「豆相人車鉄道」から軽便鉄道「熱海線」へ、そして国鉄東海道本線へ。それが最近に話題となったようです。いつ頃か、そして何故か、それはわかりませんが。新たに真鶴駅前に設置されていた案内板や、構内ポスターなどが、それを示しています。鉄道の歴史には、地元の人たちの熱意も大きかったんですね。
2013年05月13日
閲覧総数 466
19

みかんの収穫を完了ヤレヤレです。みかんの収穫は、まわりの農家の畑は、12月のうちに一気に終了しました。当方の昨年末は、まだまだ木にたくさん残っていたんです。決して遊んでいたわけじゃないんですが。まったく「ウサギとかめ」を地でゆくような事態でした。農家の人たちは、収穫について、ここ一番のおそるべき瞬発力をはっきしたんですね。お年寄りにしては、さすがですが、すごいパワーです。みかんが、この時期にまだ木に残っていると、ヒヨドリたちの集中を受けます。人は、年末年始のあわただしい忙しさの中にありますから、SOSなど発する気にもなりません、その答えは明白ですから。それで一人、1月2日から、残されたいる収穫を仕事始めしたんですが。何にせ、くたびれきっていますから、いったい、どうなるのかなと思ってたんですが。そこに、ありがたい出来事がありました。今回初めてなんですが、二人の援農が毎週、12月-1月の空いた時間に来てくれたんです。それはボランティアの援農作業なんですよ。当方には、日当なんて払えるような状況じゃぁ、まったく、ありませんから。おかげで、4か所の残っていたみかん畑でしたが、毎回、2時間くらいを手伝っていただいて、結局すべてを収穫完了することが出来たんです。ひとりでは、賽の河原で、延々といつまで続くか、分からない事態だったんですか。「援農」というのは、ありがたいですね。収穫を終わるのに、2月までかかった年もあったんですよ。これで、まわりの農家の年末の事態に、ようやく追いついたということです。みかん作業の今後はというと、1、収穫したみかんを、販売しきらなければなりません。販売できないことには、1年間丹精してきた意味がなくなります。2、手入れの悪い当方のみかん園などは、スス病がひどいんですね。混み合った無駄な枝を切除しなければなりません。3、スス病のひどい木には、葉の裏にカイガラムシがついてますから、1月の前半くらいの冷え込む前に、マシン油乳剤を散布しなければなりません。4、中晩柑の清見、伊予柑、日向夏、湘南ゴールドは、ヒヨドリが狙ってますから、防鳥ネットを被せなければなりません。これまでは、この1-3月は販売作業にてまどって、これらのみかんの木の管理に手が回ってなかったんですね。なにしろ、みかんを売ることこそは、大変な作業なんです。だいたい全国の産地から一級品が、たくさんでてますから、その中にあって、私などのみかんを売ることは、至上の課題ですが、しかし大変な難問なんですね。親類縁者から、小中高大の同窓生から、元の職場の人たちや、東京生活の知り合いから、それこそ「もう、いいかげんにしろ」との声がいつでてくるか、ひやひやしなが、それでも頼みまくるわけですら。しかし、みかん畑の周辺作業は、その他にもいろいろあるんですよ。次の写真は、なんだかわかりますか。ここは、豊かなフキとミョウガの畑なんです。それが、見ての通り、畑にはまわりから竹か押し寄せてきています。たった1年間で、ご覧の通り、竹が押し寄せてくるんですね。竹は地下茎ですから、ちょっとほかの用事をしている間に、一変させてしまいます。ようするに、農家の人たちの目にはなかなか見えない努力によって、その努力があるからこそ、人はフキなどの自然の富を手に入れれるんです。竹を切り払って、フキ畑を復活させなければならないわけです。こうした苦労を、農林議員族の政治家たちに体験させてやりたいですね。『日本の農家の産物は、優秀だから、輸出すればよい』なんて、バカなことを言って、減反を進めながら、外国からお米を輸入してるんです。これは、軍備大拡大とおなじく、現実にすすめられている、今の政治の現実のことなんです。だれであっても、このおかしな、もったいない、誤った道を、正面から問題状況を明らかにして、すすみつつある自滅への道を転換させなければなりません。農家の悲鳴を、しっかり聞き取らないと、消費者も政治家を正すことは出来ないんです。自分の食生活を守ることは出来ないんです。農家の働き手が消えてしまった後では、農地が荒廃したあとでは、復活するのは大変な困難なんです。そこにこの国の今の政治は、太平洋戦争と同じでして、やみくもに、そこへ突き進んでいるのが、今の実際です。今の政権党は、かっこだけで、本来の政治責任をまったく感じて無いんです。えっ、なんの話でしたっけ。ああそうだ、本日援農者の力を得て、みかんの収穫が終ったということでした。それは、よかったんですけど。しかし人の高齢化で残り時間が少なくなって、依然として問題は切迫しつつあるということです。
2023年01月12日
閲覧総数 119
20

みかんの木の中に巣をつくるアリがいますこの2月-3月は、みかんの剪定の時期です。前回、その様子を紹介しました。みかんの木を適切に保つために、余分な枝を切り落としていくわけですが。その作業をしていて、枝の中に巣をつくっているアリを見つけました。それも、いくつもの多数の箇所でみつけました。木の芯に巣をつくっています。ボロボロにされている部分をナイフで掘ってみると、中から多数のアリが出てきます。大きめの女王アリもいました。次も別な木で見つけたものですが、かなり深い所まで、ボロボロにされているのが分かりました。これは、以前にカミキリムシの幼虫対策をした箇所ですが、樹皮の部分は癒合剤を塗布してありましたが、切断面はとくに対処してませんでした。アリは切断面の乾いてボロボロになった箇所から下に巣穴をつくっているわけです。外から見るとアリの姿はまったく見かけません。ボロボロの断面の下にいるわけです。木を切った後には、「断面の処理が大事だ」と聞いていましたが、それは、切断面は菌が入ったためでしょうか、ボロボロになっていました。しかし、それだけではなく、このアリ対策の点でもあったんですね。土の中ではなく、木の中に巣をつくる種類のアリがいるわけです。木の切断面が乾燥してやわらかくなると、かなりの場合で、アリのすみ家となります。断面がボロボロになるからアリが巣をつくるのか。アリが巣をつくるから木がボロボロになるのか。その両方が重なりあってるようで、みかんの枝がボロボロにされています。そういえば、以前に梅の木の太い部分を切った時に、その梅の木でも同じ状態をきたしていました。かなり太い基幹的な枝でしたが、ボロボロにされてしまいました。ですから、剪定で枝を切ったときには、とくに1センチ以上の断面が出来たときには、必ず癒合剤を塗って、木を守るようにしなければならない。それをしていないと、ほとんどの場合、アリが断面の下に巣をつくってしまうということです。ボロボロの切断面を見つけた時は、ボロボロの部分をナイフで取って、下のアリの巣を除去する。その後で、全体を癒合剤を塗るようにしています。これで対処は完璧です。従って、この剪定の時期には、とくにナイフと癒合剤は欠かせません。当方はノコギリ・剪定バサミとともに、癒合剤を必ず一緒に持ち歩く様にしています。枝の切った個所を、あとでまとめて癒合剤を塗ろうなんて思っていると、多数の箇所を切っていますから、どこの枝を切ったのか、ついついその場所を忘れてしまい、塗り残しをきたしますから。切ったら直ぐに対処できるように、一緒に持ち歩くようにしています。このアリは、カミキリムシの幼虫の近くでも見かけることがあります。共存しているかもしれません。しかも、もっと高い確率で、切断した個所の下に巣をつくるようになります。木をボロボロにする点では、両方の虫は共通です。したがって、剪定したあとには、必ず切断面を癒合剤を塗ることが大切です。この剪定作業は、カミキリムシの幼虫対策と、アリの巣対策でもあります。
2013年03月14日
閲覧総数 29413
21

みかん園の草刈り作業8月28日(火)、小田原・石垣山のみかん園で草刈り作業をしてきました。この間、イノシシ防止柵の設置に手を取られて、草刈り作業が遅れてしまいました。今日は、その遅れの取り戻しの第一歩でした。草刈り作業が遅れると、みかんの木はどの様なことになるのか。みかんの木は雑草に埋もれてしまいます。木の枝先まで、カナムグラなどのつる草が絡みついてしまっています。今日の草刈りは、地面の草を刈り、木にまつわりついたつる草の剥ぎ取りです。これをしないと、みかんの木は葉を無くして、木自体が枯れだしてしまうんですね。小木などは、完全に覆われちゃって、枯らされちゃいます。それをそのままに放置すれば、みかん園は荒廃園となってしまいます。この草刈り作業が、みかんの栽培にとって如何に大切かということです。まずは、畑全体の幹線道、通路をつくるための草刈りからです。草刈りでは小木には時別に注意が必要なんです。何かのはずみに草刈り機がはねて、せっかくの木を切っちゃう場合がありますから、30センチ以内は、草刈り機の使用は避けるようにしています。だいたい、みかん園の草刈りの全体的な規模ですが、大海の中の一点の様なものです。二つの小屋の中ほどで、小さな人影があって、草刈りをしているのがわかるでしょうか。除草剤を使わずに、草刈り機だけで頑張っている姿です。次の写真は、これから草刈りをする木々です。カナムグラが絡みついていた木は、すでに枝先が枯れだしています。木の周辺の下草を刈ってから、背丈を越える草を「大きなカブ」のように引っこぬきます。そうして木に近づけるようになったら、絡みついているカナムグラをはぎ取ります。今日の草刈りの最後は、この4本のみかんの木を救い出すことでした。すでに着替えをしているんですが、汗で全身がビッショリぬれちゃっています。最後の写真は、本日の草刈り作業を終えた状況です。何ごとも、結果を確認できるというのは何よりなんですね。草刈りの対象となる畑全体はまだまだ広くあるんですが、それでも、この部分がとくに気になっていた部分だったんです。低木がからみつかれ覆われかねない部分、カナムグラが大きな木に被さっていた部分でしたから、その個所を、今回草刈り出来たことは「やれやれ」といったところなんですね。今回、イノシシ柵を設置した効果を確かめてみたんですが、中には柵の下をほじってくぐり抜けようとした痕跡の箇所もありましたが、しかし園内に入った気配はなくて、イノシシの侵入をストップさせていました。炎天下で柵を設置してきた苦労が、その効果が検証されました、今のところはですが。9月も近づいて、秋の気配がどことなくしてきます。どこのみかん農家もそうですが、今は「草刈り」「草刈り」「草刈り」です。草刈り機のエンジン音が、あちこちから聞こえてくる今日の朝の石垣山でした。
2018年08月28日
閲覧総数 849
22

今週のみかん市を終了今週も永山商店会の土曜みかん市を終了しました。早川の農家が清見オレンジを2.5コンテナ出してくれました。しかし最近の永山商店会ですが、朝市を開く土曜日の朝は、いたって静かなんです。人通りが少ない。したがって、この場所での朝市販売は、せいぜい10袋程度に限定するようにして、あとは、市内と市外の各所にいるみかん愛好者に届けるようにしています。こんな閑散としたところで、いつまで客待ちしていても、販売できるのは限られてますから。客待ちしている間に、電話で注文も取るようにして、終わらせるようにしています。それでも、みかんを楽しみにしているお客さんがいるわけで、長年続けてきましたから、少しでもその人たちのためには、続けなければならない。今回も、わざわざ買いに来てくれた人たちが、何人かいました。ありがたいことです。当然ながら、小田原のみかん園の凍害問題を紹介しています。『農民』新聞をコピーして、渡しています。4月9日に50部、11日に20部、12日に10部、17日に24部をコピーしてますから、早川のみかん園の近隣の園主さん、関東各地からの愛好者の宅配注文、そして多摩市の朝市と近隣の注文者に渡してきていますが、記事を渡した人は100名を超えました。もちろん柑橘の凍害への対策が問題なんですが、被害の状態が各方面に知られないことには、対策をつくる知恵も借りれません。被害の事態というのは、もちろん農家は渦中の事態にあり、知っているわけですが、自分の被害はわかっても、被害の全体像はわからないんですね。農協に聞いても、全体的に「たいへんだ」とは言ってはいても、具体的な状況はわかりません。そうした中ですから、この農民連の「農民」新聞の取材記事は、客観的な大事な材料なんです。かりに、レモンの木が枯れたとすれば、植え替えの大変な作業となります。たくさんの苗木を確保するとのことも、すぐにはできません。記事にもありますが、植え付けができたとしても、ある程度なるには5-6年はかかります。樹勢が回復するかどうか、今は見守るしかないわけですが。こうした凍害が、いつまた起こるかわかりませんから、今回を機会にしっかりと対策を講じなければならないわけです。お米とかリンゴの自然災害は、それなりに経験と対策があると思いますが、柑橘の凍害は、30年ぶりとか、50年ぶりとか言われてますから、経験がない。今を働く農家にとっては、初めてのことかと思います。私などは、各方面に実情を知らせて、こうした場合、どのような対策がありうるのか、実際に取れるのか、知恵を借りようとしています。
2026年04月18日
閲覧総数 582
23

枯れた木で幼虫を見つけました果実が成熟するこの時期に、枝の立ち枯れが3か所で出てきていました。枝先にはみかんをつけているのに、枝の全体が枯れていく・・・。しかたなく、枝を元から切りました。 (10月18日)枝の元を見ると、大体共通しています。根元が同じように加害されています。 (10月31日)根元がボロボロにされています。根元の樹皮がひび割れして生気をなくしています。10月31日、こうなると、みかんの収穫どころではありません。収獲の手をとめて、枯れた枝の木の根元を調べてみることにしました。根元付近のひび割れした樹皮を、ナイフで削ってみました。すると、やっぱりいた。ひび割れの下から小さな幼虫が何匹か出てきました。これが樹皮を枯らして、ささくれ立たせる原因です。さらに削っていたら、この木の根元からですが、かなり大きな幼虫が出てきました。 (10月31日)分かるでしょうか。上の白い方は尾の側です。赤い口がある方が頭側です。ささくれた樹皮の下に穴をあけてVの字になっていました。さらに削る範囲を広げたらまたまた出てきて、大きな幼虫が3匹もいました。大きな幼虫だけではありません。それよりはるかに小さな幼虫が何匹も出てきました。 (10月31日)長さ1センチ位の透きとおった幼虫です。この小さな幼虫がみかんの根元にささくれたひび割れをつくる元凶のようです。根元が加害されると、そこからから上へ養分が送れなくなり、枝が枯れてしまうわけです。この虫は何なのか。私なりに思うのは、これはカミキリムシではなくて、ミカンナガタマムシではないかと思います。カミキリムシなら木くずを外に出すはずですが、出していません。串刺し団子のようにデコボコした形をしています。木くずを出さない代わりに、樹皮の下に木屑の糞がクモの巣のようにみられます。いずれにしても、この幼虫によって、かなりのみかんの木が加害されていたのは間違いありません。この2年くらいで、ほとんどは防いだと思っていたのですが・・・、不十分でした。もっとかかんにささくれた樹皮を削るべきでした。結局、処置の不十分さから今年もこれまでに3本の枝と木が大きくダメージを受けました。植え替えを考えなければならないくらいのダメージです。被害がこの3本で止まってくれればよいのですが、はたしてどうなるか。
2009年10月31日
閲覧総数 5455
24

みかんの葉の色がおかしい常緑樹のみかんの木は、12月の収穫を終えて休養に入っていました。多くの木は、もとの濃緑色の常緑樹にもどっているのですが。2月6日に剪定作業をしながら全体を見まわってみると、小木や成木の一部分ですが、葉が黄緑色っぽくなっている個所があります。だいたい普通みかんの葉は、濃緑色なんですが。問題は、次の様な木です。これは清見の小木です。 (2月6日)葉が黄緑色になっています。もともと、この木は、前年たくさん実をつけたので、葉の色が薄くなっていました。それで、樹勢を回復させるために、幼果のうちに全部を摘実したつもりだったのですが。目残しの実が3個ありました。袋かけしてあるのが分かるでしょうか。そうした措置をとってきたのですが、それでも葉の色は黄色っぽい。同じように、スダチの葉の色が薄くなっています。 (2月6日)木の全体が、葉の色が薄い。葉をアップして見ました。やっぱり葉がひ弱で元気がなくなっています。このスダチは、この数年、毎年良く実をつけてくれてました。しかし、さすがに、連続してたくさん実をつけたことで、くたびれたようです。どうも果実を多くつけた木は、それだけ木がくたびれているようです。隔年結果の形で、成り年と裏年を交互に繰り返すことで、やがては、樹勢を回復してはくれるのですが。落ち込み過ぎると裏年を重ねる場合もありうると思います。もっと疲弊すると、木が枯れてしまう場合もあります。普通は、柑橘類の疲労回復させるため、元肥として配合肥料を3月くようにしています。しかしそれはまだ早い。最低気温が9度以上にならないと、木は養分を吸収できないと聞いています。特に今年は、梅は咲いても寒さは厳しくて、元肥は早すぎます。そこで、今回、応急措置をこうじました。液体肥料を散布して、葉から栄養補給するよう試みてみました。見る人が見ると、葉の色により、土壌に何が不足しているかが分かるようです。当方は、残念ながら、そこまでは分かりません。以前に入手してあった汎用の液体肥料があったので、これを散布して見ました。まぁ、やらないよりはましかと思います。やはり基本は、もう少し暖かくなっての元肥施肥とは思うのですが。みかんの木が、5月の花が咲くまでに、なんとか、しっかり樹勢を回復してほしいところです。
2011年02月09日
閲覧総数 46075
25

第8回ヘーゲル『哲学入門』(岩波文庫)を読むヘーゲル『哲学入門』の学習ですが、コンクラーベ(根比べは終わってませんが)も終わったようで、今回でひと区切りとさせていただきます。この『哲学入門』は、ギムナジウム(高校生)の生徒を対象にした講義(1809年-1811年)でした。全体は、第一課程から第三課程まで(361ページ)あり、ヘーゲルの体系が説かれていますが、当方がこの8回まででたどれたのは、その内の、第一課程の「緒論」と「緒論の説明」(56ページまで)まで、ごく最初の序論部分でした。前回の第7回では、第11項の、人の「衝動」と、その「衝動の目的」は、「根本目的」と対照される、とのヘーゲルの主張について検討しました。ヘーゲルは人の衝動(行為)と、その目的(動機)は、「根本目的」と対照されるとしています。その個々人の動機が対照される「根本目的」というものがあると言っています。その「根本目的」とは何なのか?との問いが出てきます。ヘーゲルは、それを「精神」に求めているととれますが。この点について、F・エンゲルスの『フォイエルバッハ論』の指摘を紹介させてもらいました。それは以下の点でした。「(ヘーゲルの)ここでもまた、歴史哲学、法哲学、宗教哲学、等々のなかみは、出来事のなかで立証されなければならない現実の関連の代わりに、頭のなかでつくられた関連が据えられたということであったし、歴史とは全体としても、個々の部分においても、観念の-しかももちろんいつでも、ただ哲学者自身のお好みの観念-漸次的実現であると解されたということであった。・・・ヘーゲルでは、その絶対的理念の実現を目指して、精を出してきたのであり、そして、この絶対的理念へと向かう不動の方向が、歴史上の出来事の内的関連になっているのである。・・・(ヘーゲルにあっては)神秘的な摂理が据えられている。」(大月センチュリー『フォイエルバッハ論』第四章(大月書店 秋間・藤間訳P75-76))ところが、さらにヘーゲルのその先の項を読んでいくと、このエンゲルスにより指摘されている事柄が、もっとストレートに実感される箇所がありました。今回は、その第14項です。ヘーゲルの「緒論の説明」の第14項で言っています。「意志の自由は、一般的な自由であり、他の自由はすべてその特殊のものにすぎない。」(P41)「それ故に、市民的自由、出版の自由、政治的、宗教的自由があるが、この種の自由はいろいろな特殊な関係、または対象に適用された限りの一般的な自由の概念である。」と言っています。ヘーゲルの考え方は、宗教的自由と政治的自由を例にあげていますが、「意志の一般的な自由との概念」を、ヘーゲルが考える抽象的概念ですが、その他の自由は、神の様に元になるこの一般的自由を、それぞれの特定の「関係、対象への適用」したものとして、とらえているわけです。一般的自由が、それぞれに適用されたものだというのです。 ヘーゲルのとらえかたは逆立ちしています。それぞれの領域は、固有なものであり、その歴史的な形態にある自由を捉えること、そこから一般的な自由の概念が抽象化されて出てくるわけですが、ヘーゲルは逆立ちしています。ヘーゲルの生きた時代というのは、フランス市民革命の時代であり、彼の隣国プロイセンは封建国家の末期の啓蒙的な専制君主国家でした。新たな時代の思潮に、封建社会が大きく変わる葛藤の最中でした。「国民の政治的自由」について、ヘーゲルの説いている「政治的自由の本質」ついてみてみると、1、国民が自分自身の国家をつくる。2、国民一般の意志とみられるものを全国民で決定すること。ないし、その国民に属すると承認される人たちよって決定すること。(P42)ヘーゲルは、この2点を上げています。それは、政治的自由の歴史的な形態を、歴史的な関連というものを、ヘーゲルは自身の考える自由の概念の適用として、逆立ちした関連でとらえているのですが、その中身という点では、当時のプロイセン社会の歴史的課題をとらえています。ヘーゲルは、当時の封建的な国家社会の教師の立場にあったわけですが、政治的自由の本質として説いている中身は、フランスがブルジョア革命によって打ち立てた歴史課題を、自由の適用されたものとして、それを一般的な課題と主張しているわけです。日本でいえば明治の専制国家の下で、自由民権家の主張していることであり、当時の封建的な社会の体制からしたら、それは国禁の説であり、かなりの軋轢もきたした中で、あえてその主張をしているわけです。そこにはヘーゲルの政治は自由の方へ進んでいくとの確信と抱負、歴史への洞察があると思います。しかし、ヘーゲルは理屈っぽい。ゴタゴタした展開の中にそれがあります。それは、政治的自由を歴史的な対象を観察することで関連を見つけ出すのではなく、彼の考えた頭から、自由概念から導き出そうとしていますから、無理のある論理展開がされるわけで、はたからはそれを読みとるのに苦労させられるわけです。ヘーゲルの根本には、精神が支配しているとの考えがありますから、ヘーゲル流のイデォロギッシュな理屈っぽい形とならざるをえない、ということです。さらに、以前に学習したヘーゲル『イギリス選挙法改正法案について』でみたとおり、ヘーゲルはプロイセンの啓蒙君主のはたらきに、現状を打開する力として期待している面ももっているわけです。自らもそれに参画しようとしている抱負もあるわけです。ヘーゲルの弁髪をつけた巨人とされるところでしょうか。ヘーゲルの生きた精神を明確にする課題は、依然として残されています。 以上で、『哲学入門』の学習は、ひと区切りです。ヘーゲルの体系を簡潔にしめした『哲学入門』講義の序論、第一課程「緒論」と「緒論の説明」ですから、その論点の吟味は、本論の詳細な展開においてしなければならないものなのですが。体系はこれから展開されていくわけですが。 高校生を対象にした講義要綱とはいえ、これを読み解くというのは、なかなかたいへんです。今は、ひとまず、ここまでとさせていただきます。
2013年03月23日
閲覧総数 67
26

やった! カミキリムシを捕獲しました6月22日(水)、カミキリムシ対策で、サッチュウコートを塗布しに行ってきました。梅雨の合間に、快晴となったこの日は、貴重な一日です。カミキリムシ対策に行ってきました。みかんの栽培で、いの一番に注意しなければならないのはカミキリムシです。他にもアブラムシや、ハダニ、カイガラムシなどの害虫はいろいろいますが、カミキリムシが一番悪質です。カミキリムシ以外の害虫の加害は、一過性でしかなく、翌年には或る程度の手直しがききます。ところがカミキリムシは、その時に対処を怠れば、なんといっても木そのものを枯らされてしまいます。前回、6月19日に草取りしていた時に、1本の木のある個所から木くずが出ていました。 (6月19日)基幹が二股になっている個所に、それほど古くない木くずが出ています。雨にぬれているため、木くずが湿っていて、見逃すこともありうるのですが・・・。その日は、全体を除草し、施肥していたので、クタクタでした。異変は分かっても、基幹の根周りの除草と、施肥したくらいで、それ以上は、特には手当はしなかったのですが。今回は、6月22日は、すべてのみかんの成木全体に、その基幹部分に、カミキリムシの加害防止のため、サッチューコートを塗布しました。その塗布をしていて気がついたのですが、問題の木について、基幹の中に、アリが巣をつくっているのが分かりました。 (6月22日)木を加害して、巣をつくるアリというのが居るんですね。樹皮の表から見ただけでは分かりにくいのですが、サッチューコートを塗布したら、空いている穴にスポイトで薬剤を注いだら、出るわ、出るわ、小さな穴から卵を担いだアリがたくさん出てきました。しかし、アリが巣をつくっていたのも問題ですが、樹皮を削ってみたら、「いたっ!」 カミキリムシの幼虫が出てきました。薄く白い透明な幼虫がわかりますか。体調1センチ、太さ1ミリくらいの幼虫が、樹皮の下から出てきました。4匹くらい、あちこちから出てきました。ところが、そうしたカミキリムシの幼虫をあちこち捜索していたら、もっと大きなカミキリムシの1年生の幼虫が、樹皮の下の穴から出てきました。 (6月22日)「御用だ!」こいつが、木の基幹を加害している主の一匹だというのは間違いありません。これだけ太るには、かなり木を食い荒らしたことでしょう。これは、今年、成虫に羽化するくらいのものです。これで、はるばる重たい体をひきずって、遠路、今回の塗布に出かけてきた甲斐があったというものです。しかし、さらにおまけがありました。それだけでは終わりませんでした。カミキリムシの成虫が、地面をゆっくり、ゆっくりはっていたんです。終わりのころに気がつきました。 (6月22日)「御用だ!」このカミキリムシは、最近に羽化したばかりのもの、かなり小形のものです。やはり、この木がカミキリムシの今年のターゲットになっているようです。このカミキリムシは、この木の中にいた幼虫ではないかとおもいます。今回、疲れているから、みかん園に行くのはやめようかと思う気持ちもあったのですが、この事態は、カミキリムシ対策が、まさに実際とかみあっていたことを示していました。除草をしなければ、カミキリムシの成虫は、草むらの中です。薬剤散布をしていなければ、カミキリムシは木の上に隠れていたことでしょう。今回の殺虫剤の基幹塗布をしていなければ、この木の異変を追及できなかったでしょう。日ごろの、一つ一つの地味な手入れの積み重ねが、結果として、みかんの木を守り、美味しいみかんをつくることに通じています。今回の、カミキリムシ1号君は、そうした苦労の実証ということになります。さぁ、これからが勝負どこです。カミキリムシとの喧嘩の時期が、今まさに始まりだしています。
2011年06月22日
閲覧総数 71
27

みかん農夫の5月のまとめ 一、みかん園の5月ですみかん園の5月ですが、みかんの花の季節でした。今年の開花は、例年より少し遅れて、9日-13日ころがピークになりました。それは、みかん園の前半のハイライトなんです。これは、5月4日の様子です。 満開直前のみかんの木です。この少し前の4月23日に、遠路二ホンミツバチがやってきました。この新たな環境で、ミツバチたちの花粉と花蜜集めがはじまりました。5月のみかん園は、その他に、八十八夜の5月2日には茶摘みがありました。 さらに、5月23日からは、一雨ごとに繁茂してくる雑草ですが。二循環目の草取り・草刈りを開始しています。みかん園の方は、自然の年間サイクルですから、多少の時間はずれても、毎年、同じような作業をすすめています。 二、取り巻く社会、時局問題ですがこの自然の営みを蹴飛ばすかのように、この5月は「日本国憲法」をめぐり大きな議論が展開されてます。当方も、5月3日横浜の憲法集会に参加してきました。その一コマ、舞台そでの主催者たちは、厳しい表情でした。 ことしは、太平洋戦争の反省の上に「日本国憲法」が制定されて70年がたちますが、現在の戦後生まれの政治家の中から、とくに政権のグループのやからによる勝手な暴走ですが、憲法の三原則、とくに「二度と戦争をしない」との平和の誓いが、危うくなっています。5月14日には、安倍内閣が戦争法案を閣議決定し、15日国会提出しました。 その後、5月20日には党首討論会が開かれ、全体で45分間でしたが、 民主・岡田、維新・松野、共産・志位の各党党首が討論しました。すでに、ここで問題は、はっきりと浮上してますが。暴走です。 5月26日には、衆院本会議で代表質問が行われました。 自民・稲田、公明・佐藤、民主・枝野、維新・太田、共産・志位の各議員でした。 さらに、5月27日・28日に衆院平和安全法特別委員会で 議論が交わされました。 これらの議論は、勤労者は働いてますから、午前9時から午後5時の質疑は聞いていることは出来ないのですが。そんなことはお構いなしです。日本の明暗が問われてますから、見過ごしはできません。なるべく追跡です。限られてはいても、新聞、ラジオ、テレビなどで、議論の内容を追いかけます。まったくもって、屁理屈の様な国会議論ですが、その中からはっきりしてきますが、従来の日本のあり方をひっくり返して、1.自衛隊の海外派兵を、地域限定せず世界のどこにでも出動できるようにするとの法案です。2.現に戦闘が行われているところ以外なら、支援に出かけれるとの法案です。3.海外での治安活動に参加して、武器使用が出来るようにするとの法案です。これまで憲法の平和原則により禁じられてきたことを「自由」にするというんです。この議論のゆくえは、日本のあり方が根本的に問われています。主権者の国民の意志が、国会議員諸氏にどう議論され反映されているか、注目です。その国民一人ひとりの意志が、どう生かされているか、そこが問われています。(また、5月27日には沖縄県翁長知事が、アメリカに県民意志を伝えようと訪米しました)休日農夫としては、自分に何が出来るかといっても、いたって心もとないのですが、少なくとも、従来の範囲内で、手探りしているだけでは、不十分だということです。発言も、また一つだということです。三、そうした中での学習でしたが、5月に読めた3冊を紹介します。 1.プレハーノフ著『歴史における個人の役割』(岩波文庫)を読みました。初期のプレハーノフは「ロシヤ・マルクス主義の父」といわれていますが、短い著作ですが、テーマがすごいですね。歴史観のながれを探っています。しかも中身は、「なるほど」と感じさせてくれる、すばらしい作品です。 2.それと『憲法読本』(杉原泰雄著 岩波ジュニア新書 1981年刊)を読みました。「日本国憲法」の生まれてきた歴史、その中身を解説してくれてます。若者向けに書かれたコンパクトなものですが、64の手習いには適したもので、当方の憲法学習の基礎になる一冊だと思っています。3.もう一冊、不破哲三著『スターリン秘史』第三巻(大戦下の覇権主義上)を読んでます。ソ連の社会主義が換骨奪胎で1930-40年代に、ここまでおかしくなっていた。これまた注目です。歴史の空白部分です。ソ連の変質と世界の共産党がくぐった試練を解明しています。まだ通読しただけですが、近々感想くらいは紹介できると思っています。 以上、5月でした。
2015年05月31日
閲覧総数 63
28

みかんの花にミツバチが5月1日、みかんの花が咲きはじめて、蜜蜂が活躍していました。この日は、八十八夜で、お茶摘みに行ったのでしたが、茶摘みを終えて「やれやれ」としていたら、みかんの木の下で、地面に花びらが落ちている木がありました。全体的には、みかんの木は、まだつぼみの状態なんですが、開花を始めた成木がありました、まだ成木ではこの木一本だけなんです。この木は、去年は裏年だったんですね。その分、満を持して、この木が先頭を切って開花し始めました。その花の様子を見ようと、地面から視線を上げてみたところ、なにやら、数匹の動くものがいました。わかりますか、ミツバチです。よくみると、ミツバチは、花から花へと飛んでいて、この飛んでるときは、カメラで撮るのは難しいのですが。やがて、花にとまります。そうなると静止しますから、カメラに収まります。花粉を集めている蜜蜂は、一心不乱に花の蜜をあつめてます。頭を花の中に突っ込んで、周りの気配なんか気にしません。こうして、みかんの花の受粉を、静かにこともなげに進めてくれています。この役割を期待していたんですね。近所の人が言ってました、『以前に、近くの養蜂家が亡くなって、蜜蜂かいなくなって、みかんの採れる量がだいぶ減ったと聞いている』と。一方、当方はミツバチの分蜂が気になっているんですが。そのミツバチの巣箱の方はと言うと、まだ分蜂はしてませんでした。ただし、巣箱の門前は、テンションがたいへん高くて、テンヤワンヤでした。「すわ、分蜂か」と思わせるような、活発な門前の動きでしたが。しかし、茶摘みをしてから、しばらく時間がたってから、ふたたび帰り際にも見回ってみたんですが、午後2時過ぎでしたが、また元の静けさにもどっていました。その間に、分蜂したわけではないと思うんですが。しかし、その動きからして、分蜂する時が間近かなことは間違いなさそうなんですが。十中八九、当方のいないときに分蜂するので、どうしようもないのですが。ただ一つ、誘導のために望みにしているのは、キンリョウヘンです。今回は、キンリョウヘンの置く待ち箱を変えました。蕾がついていて、香りも漂い出したかに感じるんですが、しかし、まだミツバチが寄り付く気配はなし。みかんの花の香りのが、今は魅力的なんでしょうか。キンリョウヘンの置く位置を変えたのは、前に置いた待ち箱ですが、それは、蜜蜂が以前に使っていた巣箱だったので、定住しやすいとは思うんですが、それが置かれた位置を見ていると、1、西陽が正面から当たって、蜜蜂にはきつそうなこと。2、そこは、何回か巣箱が転倒して、バラバラに散乱してしまっていたこと。それで、今回は、お勧めの待ち箱をかえてみました。もっとも、最適な住みかを選ぶのは、最終的にはミツバチ自身なわけですが。とにかく、これから開花をひろげるみかんの花を、ミツバチたちが、間違いなく飛びまわってくれることは確かです。目下のところは、当方に出来るのは、観察することだけで、ここまでなんですね。これからさらに、みかんの花が全体的に開花していきます。みかん園は、花の香りが漂って、心地よい春の陽気に包まれるはずです。今回は、少し風が、時々吹き荒れて、心地よさも半ばでしたが。いよいよみかん園は、みかんの花の開花と、蜜蜂の分蜂、これが当面の焦点になります。
2016年05月02日
閲覧総数 1124
29

敗戦後に生き方を模索した『石ころのうた』(三浦綾子著)を読んで『石ころのうた』(三浦綾子著 角川文庫 昭和54年5月25日刊)を読みました。 著者の三浦綾子(1922年-1999年)は、小林多喜二の母・セキを描いた『母』(角川書店 1992年刊)の著者です。私は、それまで「三浦綾子」について、まったく知らなかったんですが。 先日『母』を読んで、これが縁になって、その著書『石ころのうた』(1974年刊)を手にすることとなりました。 この著作は、著者が戦争前の昭和14年から敗戦直後にかけての7年間を、小学校の教師としてすごしたこと。この時期に焦点をあてた自叙伝的作品なんです。これは、戦前の軍国主義の時代社会を生きてきた者とて、彼女自身の体験と反省からして、現代に生きている私たちにも大事な問題提起をしているものとして、私などは読みました。 一、若くして教師になったんですね 三浦綾子は、昭和14年の北海道ですが、16歳11カ月で小学校の教員になっています。今でいえば高校二年生ですが、それでも教師になっていたんですね。じつは私の母も同じで、昭和14年4月に神奈川県で代用教員になっています。 どうしてこんなに若くして教師になれたのか。 それは戦争のためでした。この時期、男性教師もまた次々に徴兵されていて、その欠員を補充するためだったんですね。女学校4年を卒業して、小学校の教師を志望するものが検定試験を受けるために1年間を学ぶ補習科(教育学、心理学、各科の教授法を学ぶ)というのがあったそうです。 三浦綾子は回想しています。「戦争によって、男の教師が少なくなることを、政府も見越していたのだろう」、代用教員に就職して、1年して訓導(教員)となったと、と述べています(P83)。もちろん、当人たちは一生懸命つとめているわけですが、「わずか16や17の少女に、生徒を教える力も資格もあるわけがなかった」と、あとからふり返っています。 二、教育が、軍国主義教育に変わっていく様子が、自らもその中にあったことが、反省としてふり返られています。 そして、1945年8月15日の、敗戦をむかえた学校の様子、天皇の放送を聞いた様子も紹介されています。 三、敗戦の結果をどのように受けとめたのか。 それまでの7年間を、教師として軍国主義教育を指導してきた三浦綾子でしたが、敗戦の結果をどの様に受けとめたのか。 「敗戦後、たちまちわたしは、規律あるはずの日本軍の変貌を知った」 「進駐軍の命令は絶対的であった。昨日まで日本軍が絶対的であったのと、同様であった。私たち国民は、いずれにしても服従しなければならぬあわれな存在であることには、変りがなかった。 ある日、私たち教師は、進駐軍からの命令により、生徒たちが使用している教科書を、墨でけさなければならなぬということになった。教師たちは、その命令に格別騒ぎたてもしなかった」(P291) 。 修身の本、そして国語の本を、生徒たちに墨を塗せた。 「昨日までしっかりと教えてきた教科書の中に、教えてはならないことがあった。教師にとって、これほどの屈辱があろうか。これまで真剣に教えてきたことが誤ちだったとしたら、私たちは生徒たちに、何といって謝るべきであろう。そう思うと、わたしは生徒の前に大きな顔をして、教師として立っていることが苦痛になった。私は急速に自信を失っていった」。(P292-293) 「敗戦によって、わたしは何が真実か、何を信ずべきか、分からなくなっていた。 昨日まで教えていた教科書を墨で塗らせたということは、わたしをして、たんに国家や政治への不信ばかりでなく、すべての人間への不信に追いやっていたのである。」(P296) 結局、彼女は敗戦の翌年3月に教師を退職した。 それ以来、「敗戦から3年たったとはいえ、敗戦後流行した『虚脱状態』という言葉は、まだ生きていた。私は依然として、この世の何が真実かを見失っていた。」 「軍国主義教育に忠実だった同僚が、民主主義教育に鮮やかに転身していく姿をみると、生きるということは、押し流されることかと、私はふと思った。」(P307) こうした反省の日々を、悩める時期をおくっていたんですね。 それは大事なことですよね。この反省が欠落していることが、その後の国内外に問題を生みだしているわけですから。 四、どうやって、こうした敗戦の虚脱状態から抜け出したか。 それは、ひとによって置かれた状態も、抜け出し方も、様々だと思いますが。 三浦綾子氏は、この問題をどのように打開したか。 この『石ころのうた』の最後の箇所分に、その葛藤が書かれています。 この問題に対する彼女なりの結論であり、私たちへのメッセージなんですね。 三浦綾子の場合は、結局は、キリスト教であり、『聖書』の教えだったわけです。 新約聖書の「ルカ伝」19章40節 (イエス)「言っておくが、もしこの人たちが黙れば、石が叫びだす」 このイエスの言葉を知ったことが、救いとなったというんですね。 「わたしは自分が路傍の小さな石ころのように思われた。それは同時代に生きた多くの人たちの姿でもあると思った。石ころは踏まれ、蹴られてなんの顧みられるところもない。如何に一心に生きているつもりでも、結局路傍の石にすぎない。」 そうした落ち込んでいた時に、このイエス言葉を知って、悟った、救われたというんですね。 この言葉を知って、それ「故に、わたしはこの書を記した。叫ぶほどではなくても、どんなつまらない石ころもまた、歌うものであることを人々に知ってほしいが故に。そして、すべての石ころをおしつぶすブルドーザーのような権力の非情さを知ってほしいが故に」(P312)と。 私などは、キリスト教には疎いのですが、 彼女は、イエスの言葉を、私たちが直面している問題に対する解決へのヒントとして、読み返したんですね。 「リアルな真相を知れば、たとえ石であっても叫び出さざるをえない」 石だって動き出すくらいだから、人はもちろん動き出すと。 どうして、彼女が問いかけているのは、 軍国主義は、どのように国民のこころを支配するようになったか、ということです。 後からふりかえれば、あの軍国主義が迫り来る時代でも、理性的な見方をしていた人たちがいた。しかしそれを彼女たちは理解することが出来なかった。聞き逃してしまった。 どうしてそうなったのか。そこに痛恨の反省があるんですね。そして、二度とふたたびだまされないぞ、という、痛恨の反省から来る決意なんですね。 こうした点については、私なども、分かる様な気がします。 時代も条件も違いますが、分かるような気がします。受けとめなければならないと感じます。 私などの全体的な感想ですが、 高校二年生の時に私の母は死んでいますから、それにその当時には私の問題の意識には戦争問題などは志向の範囲にありませんでしたから、ましてや母が教員をしていたなどということはまったく知りませんでしたから、ここで問題とされているようなことは聞くことはなかった。もし聞いたとしても馬耳東風だったんですね。 今、この年になってですね、問題が見えてきたのは。この『石ころのうた』を読んでいると、若かりしころの母の置かれた状況や思向していたことがどのようなものであったか。同時代に生きた著者の思いを知るにつけて、おそらくそれが、母とも重なるものがあるように感じてきます。著者の著述をとおして、そのなかから同じような母の声が、ここから聞こえてくるような、そんな気がしました。
2016年10月26日
閲覧総数 703
30

これはナガタマムシじゃないでしょうか小田原・石垣山のみかん園で、カミキリムシ対策で防虫剤を基幹塗布していたところ、みかんの木の樹皮が浮き上がって樹皮が枯れていました。どうもカミキリムシの加害だけではなさそうなんです。枯れた樹皮を取り除いていたら、小さな虫が出てきました。この虫が、木の本体と樹皮の間に入り込んで、樹皮を枯らしているわけです。病害虫書の解説をいろいろ読んでみると、どうもこれはナガタマムシのようです。確かめることはできていませんが。枝が枯らされていたんで、枯れた部分を折ってみたら、枝の芯に坑道が掘られていました。これはカミキリムシの仕業ですね。枝の先の方にも加害する場合があるようです。やはり、この場合も樹皮が枯れて、ひび割れし浮き上がってくるんですが。しかし、基幹部分で樹皮が枯れている場合ですが、これはどうもカミキリムシの仕業だけではなさそうです。だいいち、基幹にあけられた穴ですが、カミキリムシの羽化穴よりも、もっっと小さく2ミリくらいの穴です。木くずを出して坑道を掘っていくカミキリムシとは違って、主には木本体と樹皮との間に食い込んで加害していきます。根の所にカミキリムシは住み着いて穴を掘っていき、そのためその上は枯れだしますが、それとは別に、樹皮の下に住み着いて、樹皮を枯らしていく虫がいます。この方は、木は樹皮を回復する力をもっていますから、枯れた樹皮を削り取り、枯れだしの先端にいるこの虫を駆除すれば、木が復活する可能性があります。私はナガタマムシじゃないかと思っているんですが。長さ1センチくらいの幼虫ですが、これでも幼虫としては成虫のようです。羽化穴の大きさから見ても小さな成虫のようですが、どの様な成虫かわかりません。これ二つ、カミキリムシとナガタマムシを放置しておくと、みかん園の木々は、30-40年の苦労して育てた木が、無残に枯らされてしまいます。こうした事態をきたさせないように、今みかん園では、絶対にゆずれない戦いが、存亡をかけた戦いが展開されています。
2019年07月27日
閲覧総数 685
31

クライスト著『サンド・ドミンゴ島での婚約』紹介私は文学というのは、まったく疎いんですが、今、福田静夫先生のヘーゲル『世界史の哲学講義』を視聴しているんですが。その中で、クライスト著『サンド・ドミンゴ島での婚約』が紹介されたんですね。ヘーゲルの世界の歴史に対する視野がいかに広いかとの一例として、テニスの大坂なおみさんの出身地のハイチ、その中南米の歴史の一コマを描いた作品として、この本を紹介していただきました。クライストという作家の名は、この紹介で初めて知ったんですが。ハインリッヒ・フォン・クライスト(1777-1811年)岩波文庫の冒頭に小伝が紹介されてました。ドイツの作家で、ナポレオンやヘーゲルの時代の人で、34歳で心中自殺してるんですね。ヘーゲルは、『精神現象学』でフランス革命とともに、ハイチの革命を追跡している、と福田先生は指摘しておられました。その流れの中で、クライスト著『サンド・ドミンゴ島での婚約』されてました。岩波文庫でその作品を取り寄せたんですが。舞台は、1803年ころ、フランスの植民地だったサンド・ドミンゴ島でおきた革命(叛乱)なんですね。私などは、タイトルに注目して、まず「チリの地震」を読んだんですが、ありました『サンド・ドミンゴ島での婚約』が。この作品集は全部で7編の短編が掲載されてるんですが、これが彼の短編のほぼすべてだというんです。現地の住民の反乱により、そこを統治していた人たちが追われる、リアルな緊迫した事態が背景です。住民の反乱により追われて、逃亡している家族、その中の青年と現地の娘さんとの愛と、その結末。悲哀の話なんですが。この作品ですが、『世界短編名作選 ドイツ編』(蔵原惟人監修 新日本出版社 1977刊)が、ずーっと本棚にほこりをかぶっておかれてたんですが、それにも収録されていました。まぁ、日々のあれこれの忙しさら、世界の文学まで視野を広げなんてことは、なかなか、いやほとんどないんですが。あらためて、その大切さの認識を新たにしました。1803年頃と言ったら、日本では江戸時代ですよ。その中でヘーゲルは、アメリカやフランス、さらにはハイチの革命までも、最新の動きを追跡していたこと。クライストでいが、植民地革命、そのサンド・ドミンゴ島の出来事を、その息吹を描き伝えてくれているんです。私などの認識の狭さからすると、当時の頃というのは、黒人ドレイ制度の植民地、プランテーションくらいのイメージしか浮かばなかったんですが。その程度だったんですが。ここには、フランスの影響もあるんでしょうか、植民地の解放闘争の、なかなか単純ではない関係や、恋愛など人間性がテーマとなって、短編の中に生き生きとテキパキと描かれてるんです。それは、現地の人たちの特性でしょうか、それとも作者のクライストのセンスによるものでしょうか。いま、核兵器禁止条約をめぐっても、中南米の人たちの生き生きとした活動がありますよね。被爆国の日本としては、その政権政治家たちに爪の垢でも飲ましてやりたいんですが。そこには、中南米の人たちが、こうして歴史的に苦労してきたことも背景にあることが、この作品で伝わってきます。私などの日々の暮らしは、八王子と小田原のみかん園を、ただただ往復するだけの、思弁的・考案的な生活スタイルで、ちっとも行動的じゃないんですが。それに比べると、1803年のドイツやハイチの人たちは、人間的であり行動的ですね。もっとも、戦前の日本社会にあっても、新渡戸稲造、夏目漱石、宮本百合子など多くの知識人は、広く国際的な、民主的な最新の知見をつくろうと努力していたわけですが。それにくらべて、今の政権にありつこうとする政治家たちの卑屈さはなんとしたことか。いまの日本は、民主主義的社会に生きているはずなんですから、常識として、世界に通じる、科学的知見をもたなければならないはずなんですが、それを平気で蹴飛ばし、軍拡にすり寄って、政権に加えてもらおうとしている。マスコミも、おなじで体制翼賛的になっている。私などは、そうした卑屈な病気に感染しないように、せめて時には「世界短編名作選」でも、ほこりを払って読むようにして、世界の人たちにの息吹きにふれてみる必要があると感じました。すばらしい短編ですよ、クライスト著『サンド・ドミンゴ島での婚約』をおすすめします。
2023年02月19日
閲覧総数 130
32

斎藤幸平著『人新世の資本論』と赤本『資本論』東京のはずれのいち地域でのこと、志位さんの赤本『資本論』学習を始めだしているんですが。そのなかでのことですが。その中で、斎藤幸平さんの書いた『人新世の資本論』が話題になりました。だいたい『資本論』を学習するなどということは、どこかの大学とか、研究者の間でならばともかくですが。日本社会の片隅で、この堅物を学習するなどということは、一般には、これまでありえないことと思っていました。独習なら可能ですが、一人で読み進むというのは簡単なことではない。だれか偉い人の話を聞くというなら、ともかくですが。何人かの人が、この学習に集まってくるなんて。だいたい、このヘーゲル・マルクスのち密な考察を、活字離れしている現代人がですよ、集まって読むなんてことは、ありえないとだと思っていたんですが。そんなことは、キリストが、荒野の中で人々に説教するようなものです。砂漠に水を撒くようなものです。重要な本と感じていても、いったい誰がそんな提起を実行できるのか、と思っていたんですが。ところが、この『赤本・資本論』を読んでみると、この青年たちと志位さんのゼミは、そのことに成功したんですね。そして、それを活字で本にした。赤本というのはその記録です。そんなことは、『資本論』が刊行されて150年たちましたが、大学や研究者ならともかく、一般的な青年学生の『資本論』学習の試みなんて、近年では、珍しい、奇特なことだと思います。『資本論』の中心点を、若ものとの間で理解し合ったなんて。若ものが、一段落したところで感想を述べてます。『1時間足らずでここまで、細かい点は別にしても、本質的な部分を教えていただくとは』たしかにこのゼミで、かなめのところで納得したこと、その感動が伝わってきます。それは、今どきに、驚くべきことです。そんな「赤本」であり、そんな共感の作用も働いて、私など年配者ではあっても、東京・八王子、日本の下世話の世界の片隅ですが、『よし、それならやってやろうじゃないか!』とのことになって。再度『資本論』のほこりを払った次第です。しかし、問題は、今の活字離れの時勢での『資本論』です。今を生きる人たちにとって、ほとんど無縁になっている『資本論』ですから。もちろん左翼の進歩的な人たちにとっては、いわば『バイブル』ですが、学術としては確かな到達ですが、簡単ではない。せわしい日常の中にあっては、本棚の片隅でほこりをかぶっている書なもので。「なにを、今さら」の感じもなくはなかったんですが。それに対して、志位さんが、今、あえてその内容を学習しようと呼びかけてくれている、私などは、それは、誰が呼びかけてくれたとしてもいいんですが、この真理へのいざないを、誰が呼びかけてくれたとしてもいいんですが。私などは、この呼びかけは、たいへんもありがたいこだとおもっています。しかも、ただ一般的に提起したんじゃないんです。実際によく準備して、青年たちと学習したこと。しかも、その内容を『Q&A『資本論』』として、私たちにもわかるようにと、2025年8月10日付で、共産党議長の志位和夫さんが刊行されたこと。この産物は、今の日本共産党の集中力によるものだと思うんです。なかなか、こんなことは、やたらにできることではありません。さらに、一つの政党としても、その『資本論』学習を広く呼び掛けてくれた。これは、日本が歴史的に積み重ねてきた、もっている力ですね。それは、バーニー・サンダース議員のように、いち一個人の呼びかけじゃないんです。サンダース議員は広いアメリカのなかで、民主党のひとりの議員としての運動です。それは今のアメリカの中にあって理性の光ですが、しかし大変なことかと思います。とてつもない厚い壁に対して、民主党のひとりの議員として働きかけとして、広くアメリカ社会に呼びかけ運動している。これは世界に対しての宣言だと思うんです。それに比べれば、アメリカであれば民主党の一議員がしている提起を、日本では、一つの政党、日本共産党の志位議長が、一つの政党の代表が、その政党の方針として、『資本論』学習運動を呼び掛けたんです。こんなこって、これまで世界になかったことでしょう。なんとも恐れおおくも大胆なことを提起するのかと、私などはその瞬間に思いましたが。しかし、日本共産党は科学的社会主義を基本とする政党です。そこには歴史があるわけで、日本では、幸徳春水、河上肇、野呂栄太郎、宮川實、大内兵衛などと、世界にほこれるマルクス研究の脈々とした人たちの努力があるじゃないですか。そうした戦前・戦後の積み重ねられた努力のなかでの今現在です。戦前の苦労を思えば、今は民主主義制度のもとでの『資本論』学習の提起です。『よし、それならやってやろうじゃないか!』ということでして。今回の学習会の中で、一冊の本が紹介されました。今の日本の大きな流れの中で、斉藤幸平さんの『人新世の『資本論』』です。2020年9月に刊行された集英社新書、1020円です。「2021年新書大賞第一位、30万部突破」—これが私などが手にしたときの帯封でした。先日、出版の集英社に問い合わせたら、今は46万部を印刷とのこと。これはすごいですね。これは、志位議長の「赤本」のように、共産党の組織があるわけではないんですよ。あくまで一個人としての斉藤幸平氏による著書『人新世の資本論』』の刊行です。それが、日本社会で、このように広がるということは、これはいったい何としたことか。あきらかに日本の土壌にある、ある種の地下にある潜在的な力ですね。それと同時に、この本には、若ものや、さらにひろい人たちに、新たな共感を呼んだんだと思います。いったいこの本には、どの様な人を引き付ける力があったのか、それはなんなのか?それで私も『人新世の資本論』を、あらためて読んでみたんです。私などが読むのに、斎藤さんのマルクスの理解には、率直なところ、マルクスの理解に誤解されている点も含まれていると思んです。「晩年に基本思想を変えて、新たな思想をつくった。それを私は発見した」といったことを、斎藤氏は意見展開しています。その点では、私などは問題があると思っているんですが。しかし、斎藤さんが、マルクスの努力していることを評価しようとしている点で、そこにあらたな光が当てられていると思うんです。例えば、日本社会の格差の問題や、気候危機に対する対応の問題などについて、若ものの不満です。そしてその点でマルクスが先駆的な評価をしていると指摘している点です。150年前の『資本論』ですが、斎藤さんは、それがこの点では、今にちっとも古くなく、むしろ今の世界に輝いているとの認識であり、それを紹介しているんです。それは私なども共感できる点なんですが、そうした点が現在に響いているんじゃないですかね。私などは、勝手ながら期待しているんです。もしも志位さんと、斎藤幸平さんが、『マルクス、資本論を語る』対談してくれたら、マルクスの魅力が、もっともっと客観的に、豊かに引き出されるだろうし、現代に魅力ある点をいろいろと引き出してくれるだろうとおもいます。そうした思いを感じさせてくれる、二人の本でした。私などは、それを期待しているんですが。
2025年10月18日
閲覧総数 185
33

みかんの木が枯れる原因、その二小田原のみかん園を手入れしていますが、みかんの木が枯れてしまう。その原因はなにか?3月26日付のブログで、ゴマダラカミキリムシの加害を確認しました。しかし、木が枯れる原因は、それだけではない。カミキリムシは樹齢を重ねた太い木の基幹を食い荒らしますが、この木の基幹はカミキリムシの身長くらいでしかないのに、それでも枯れていく。やはり何本もの木が枯らされて、みかん園は草原にかわっている。いったいなぜなのか?今回、枯れつつある木の根回りを草取りして、その様子を調べてみました。すると基幹の状態に共通性があることがわかりました。前の写真の木の基幹です。さらに別の枯れこむ木と、その基幹です。他の枯れつつある木の基幹です。共通しているのがわかりますか。いずれも基幹の根元の近くが、ひび割れしてウロコのようにささくれだったいる。ふつうの木がさうなようにつやつやとしていないんです。どうしてなんだ?今回も農業技術センターに木の様子を伝えて原因を聞いてみました。電話で話をしただけだったんですが、すると、『それはきっと、みかんナガタマムシに違いない』との指摘でした。『小さな穴が開いてませんでしたか?』と聞かれたんですが、写真を調べたんですが、ささくれた樹皮しか見当たらなかったんですが。しかし、一枚だけありました。樹皮が枯れ落ちて木の芯が見えている木があって、その木の芯には、確かに1-2ミリの穴があいていました。しかし、その芯が見えた木は、たまたま1本の木の写真です。ささくれた樹皮の下がどうなっているか、調べてみる必要があるということです。近々、農業技術センターで写真を見てもらい、ほんとうにミカンナガタマムシの仕業かどうかを確かめる必要があります。すなわち、みかんの木が枯れるのは、カミキリムシ問題だけではなく、ミカンナガタマムシによっても加害されている可能性があるとのことです。対策が必要だということです。私などは、農文協の『果樹 病害虫百科』(昭和62年刊行)があります。対策の基本はここにあると思うんですが、しかし、近隣の状況はどうなのか。どう対処したらよいのか?農業技術センターのアドバイスをいただこうと思っています。草刈りして調査をしていたら、またキジがやってきました。おいおい、何をやっているんだ?とでも言ってるかのようでした。
2026年04月09日
閲覧総数 283
34

中晩柑へマシン油を散布する普通はみかんの収穫が終えた12月末ころにマシン油乳剤を散布しています。アブラムシやカイガラムシなどの越冬害虫を駆除するためです。ところが、中晩柑はその頃はまだ果実をつけているため、散布ができません。中晩柑とは、ハッサク、伊予柑、清見、甘夏、日向夏などです。すべての果実の収穫が終わった今、又気候もあたたかくなり虫たちも動きだそうとしている今、この時期にまとめて散布するようにしています。4月18日にアタックオイル(マシン油乳剤)を散布しました。 (4月18日)ハッサクです。葉がテカテカとひかっています。散布により葉の表面がコートされたためです。同じく甘夏です。 (4月18日)4月初めに収穫を終えたばかりです。やれやれ、これで一安心。これでアブラムシやカイガラムシの発生は、だいたい抑えることができるはずです。みかんの手入れをはじめ出した当初は、草刈りだけでヘトヘト状態で、薬剤散布などはまったく知らなかったのですが、葉や果実に黒いススがついたようなスス病の個所があちこちに出てしまいました。味には問題ないのですが、外観を損ねて他人前には出せなくなってしまいました。それがアブラムシやカイガラムシに原因していることを知ってからは、毎年欠かさずに、一度は基幹防除の一つとしてマシン油乳剤を散布しています。おかげで、その後はほとんどスス病の発生はしていません。
2010年04月21日
閲覧総数 2705
35

農民連と有坂哲夫冊子私はこれまで20数年、みかん畑の雑草の草刈りをしてきただけの農夫ですから、二つのことは、その農業論の中身はよくわかりません。1、農民連の長谷川敏郎会長の参議院での6月23日の参考人陳述、2、有坂哲夫さんの『農業再建にどう近づけるか』冊子、ですが。しかし、そんな草刈りしか知らない私ですが、それでも、よくわかった点があります。1、有坂哲夫さんは、2021年に退職されるまで日本共産党の農漁民局長などを務められてきた農業問題の大御所なんです。この冊子では、日本共産党の綱領の確立に際しての、すなわち1958年の第7回党大会の綱領報告の紹介から入っています。戦後の農地改革の大変動の内容をどうとらえるべきか、その変化の結果、農家の人たちの置かれた課題・問題はどの様であったのか。そこから始めて、1974年には農業を「基幹的生産部門として位置づけ」て、現在に引き継いでいることを紹介しています。この1958年の報告を見ると、農地改革により基本的要求を実現した農民運動は、政党の一党支持の問題などもあり、バラバラになり農家の運動は衰退していってしまっていること、事態の打開のためには、農家の要求に基づいての自主的な運動が必要だと、問題提起をしています。2、それから32年が過ぎて、1989年に農民連(農民運動全国連合会)が結成されました。有坂さんの冊子には、第7章に、さりげない1ページに、農民連結成の流れとその意義が語られています。私など思うんですが、小作農が一般的だった農家が、要求実現し600万の小自営農民かわって、言ってみれば中小企業の社長さんです。この人達がまとまるというのは、言うは易し行うは難しだったと思うんです。しかし、1989年に農民連が結成された。小林節夫著『まもれ 日本の農業・食料』(1989年刊)、その第5章「国民合意の運動」に、その結成の時の様子が紹介されています。3、これを読むと、戦後80年の農民運動の歴史が、その苦労が伝わってきます。ようするに、農民連は農家の要求を基礎としたナショナルセンターなんです。フェイスブックで会長の「長谷川敏郎」さんを見ると、それがわかります。この6月23日には、「主要食糧法改定案」問題で、参議院の農林水産委員会で参考人として発言されてます。島根県で、今現在も、お米と牛の、実際に農家を営んでおられる方ですよ。その方が、フェイスブックを見るとわかりますが、全国の農家の要求を背負って、国会と全国の農家の間を飛び回って、発言をしつづけているんです。これはスーパーマンですよ。草刈りしか知らない私などは、その要求発言が持っている中身を知ろうとしているんですが。4、このことは、どういうことか。「農民連」=共産党じゃないかという人もいますが。私などが見るのに、有坂さんたちも含めて多くの政党人も、この農家の運動体ができるのを応援したんです。そしてそれらの力もあって農民連ができた。それは、独自の、独立した農家の人たちの要求運動の組織なんです。しかし、その要求は国民的な共同の性格のものでして、一党一派の従属物といったものじゃないんです。農家の要求という基盤があるんです。私などは、この間に一つの体験をしました。今年の2月8日に神奈川県の小田原方面で、中・晩柑橘の雪・凍害の問題が発生して、この問題に対してどうしたものか、集中的に問われました。このことを通して、その基本問題を体験しました。「そんな要求するなんてことをするのは共産党じゃないのか?」など、水掛け論も出てきます。私なども、日常のなかに気がつかなかった、ある種の偏見や誤解があることも体験しました。しかし、私などは全体として感じました。そこには戦後80年の間に日本社会が歩んできたところの、縮図のようなものあると。戦後の民主主義というのは、実社会のなかでは、当初は建前論だったかもしれません。しかし、様々な具体的な体験をとおして、農家にとっても、その尊厳を一歩一歩、具体的につかみ取ってきた問題だし、新らたな事態の中でつかみ取らなければならない新たな問題として発生してきている。じつは、そうした一つ一つの問題というのは、国民のそれぞれにとっても、それぞれがちょっと形を変えてぶつかっている共通問題なんだということ、それが今という時の課題なんだと感じている次第です。この二つの発言問題が提起していることですが、それを理解するということですが、これは、だてに戦後の80年が過ぎてきたわけではないということです。それらすべてを無にして、泣き寝入り、「長い物には巻かれろ」といったことが押し付けられる、それにへいへいとして従うとなどは、だれしも出来ないし、そこには国民としての権利の自覚がかかっている問題だと思います。そんなことを感じさせてくれる二題でした。
2026年07月27日
閲覧総数 111