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2003年11月16日
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30オトコの財布事情
掲示板


母方の祖父が逝ったのは、もう9年前のことだ。


祖父は厳格だった。
闇雲に厳しいわけではないが、ある譲らない一線というのがあり、
つまり、筋の通らないことは認めない人だった、ように思う。

この人は、父方の祖父より
はるかに我が家に影響を及ぼした人だった。
40代半ばにして事業に失敗し、消費者金融から逃れられなくなった僕の父は、
その負債元を金融会社から母方の実家へ遷すことで、難を逃れた。
月ごとに返済をし、家計はすべて祖父へ報告されるという年月が


当時、僕は中学3年だった。
自分のできるペースでやっていれば、
近くの公立高校へとりあえず進学できるだろうことは
誰の目からも明らかだった。
にもかかわらず、ある日突然、母が言い出したのだ、
習い事を辞めろ、と。
「あなたも高校受験があるし。」

たしかに僕は、その、学業の『傍らに』あるべきものに没頭していた。
もっと言えば、学校を休めば習い事へも行かせてもらえない、だから
居心地の悪い学校へ行っていたようなものだ。
学校・学業は僕に課された規定に過ぎず、

いつまでも続けていても、それで身を立てることなどできるわけもない、
そんなものに没頭する息子は、親から見れば心配ではあっただろう、と思う。

が、
「受験があるから」というのは、あの母の言葉にしてはどうもおかしかった。
そんなことを言う母ではなかった。突然すぎた。

可能性を奪うような真似をする人ではなかったはずだ。

そう言えば、前にも「辞めたら?」と言われたことがあった。
その4年前、中学を受験してみたく、塾に通いたいと言い出したとき、
折りしも家計簿をつけていた母が「辞める?」と尋ねた、
そのときの、どこか投げやりな、いらいらした物言いが思い出された。
それに、この数週間、父の様子がおかしかった。
電話口で、母方の祖父に意を決したように、
「どうにもならなくなりまして」と言っているのを聞いた。
僕が修学旅行から帰ってくるまさにその日、両親は
新幹線に乗らなければ行けないような場所にある
母の実家へと出かけていた。それは、
遠足、キャンプなど、それまでのどの小旅行の帰宅日を思い返しても、
彼らの進んで取る行動には思えなかった。

あぁ、そうか。
母をラクにしてあげなきゃいけないな。
そのとき僕はそう思った。
自分にさえ不本意な理由をでっちあげて息子に無念な思いをさせる、
それが、今後の親子関係にもたらすかもしれない罅(ひび)を避けたかった。
中学3年にもなった自分に、
そしてそれが僕のとってどんなに一大事であるか知っているはずなのに、
その場を遣り過ごす口実を言い通そうとする母への苛立ちもあった。

月々、義務教育の範囲を超えて僕にかかる金額は、
当時のウチの家賃をゆうに超える額だった。
それを、祖父が許さなかったのだ。
声変わりをしてから、母の前で、そして母と2人で泣いたのは
あとにも先にもそれっきりだ。


なんとなく祖父を疎ましく思ったまま、僕は成人した。
大学に入ってから、
自分のバイト代をつぎ込んで本格的に再開したその『傍らにあるべきもの』は、
巡り巡って僕の生業となった。
祖父は、なんとか一人前になった僕を、穏やかに喜んでくれていた。
だけど、僕にはそれを素直に受容れることができなかった。
「そんなことで身を立てようなんて」と言ってくれた方が有難い気さえした。


ほどなく、祖父は亡くなった。
その報せを聞いて僕は、正直ほっとしたような心持になった。
だけど、母の実家へ出向き、その亡骸を目の前にし、
僕の横に座る父が、「お前は一番かわいがってもらったからな」と言ったときに、
あぁ、あのとき、この人ももしかしたら辛かったのかもしれないと思い当たった。
僕の一人立ちを喜んでくれた背後に、
この人はこの人なりの長い思いがあったのかもしれない。
あのとき、母の痛みは分かってあげられたのに、
なぜ僕はこの人の痛みを分かろうとしなかったのか、
そう気づいたら、僕は
紛れもなくこの人の大きな愛情に包まれていたんだ、と
どうしようもなく目頭が熱くなった。
あなたがもう少し長生きしてくれたら、
僕がもう少し大人になったら、
「あのとき」を話し合える日が来たかもしれないのに。
あなたの血を受け継ぐ者の中で
誰よりもあなたの精神に近いと言われる僕とあなたは、
人生の良き先輩後輩になれたかもしれないのに。
そう思ったら、あとから涙が溢れて止まらなかった。


翌年、僕は渡欧した。
3年間の滞在中、僕はふらふらと旅をしまくった。
スペイン、ポルトガル以外の旧西欧諸国、
それに、チェコとハンガリーにも足を伸ばした。

そんな折、祖父の手記が親戚有志の手によって製本化された。
もちろん、本になったのは恐らく20冊ほどで、
内輪の親類、葬儀の際に弔問に訪れてくれた祖父の旧友などに手渡されたのみである。
ハンブルクに住む僕のもとへも、母の手によってそれは送られてきた。

その手記は、祖父が亡くなる15年ほど前に書かれたもので、
つまり、僕はまだ人格も覚束ないほど、人間としての存在感のなかった頃だろう。
自身の生い立ちから、老後を迎えるまでに成し遂げてきたことを、
叙事的に書き綴った記録で、
生まれてすぐ遠縁に預けられた彼が
自分だけを信じて生きてきた様子の窺われる手記だった。

文中、高度成長初期に欧州を視察旅行した記録があった。
もともと、戦時中、満州鉄道の系列会社で政府関係の仕事をしていた彼は、
当時からグローバルな視野のある人だったのだろう。

驚いたことに、僕の訪れた街々を、祖父はその30年以上も前に訪れていた。
僕の住むハンブルクにも来ていた。
一番驚いたのは、スイスの
まるでハイジが出てきそうな山奥の同じ集落に、
彼も宿を取ったことがあるらしいことだった。

どうして僕たちは、こんなに時間のずれを背負って生きてしまったのだろう。
僕に起こるすべてが、あと10年早ければ、
僕が長い間疎ましく思っていた祖父こそが、
僕の遊学を心から喜んでくれたに違いない。
僕も、自分の吸収したものを彼にぶつけることで、
彼から多くを学ぶことができただろう。
何もかもが遅すぎて、僕は幼すぎて、
そして、手記の1ページに映る祖父の遺影は、
何も言ってはくれない。

祖父は11月半ばに、
そして、祖母はその4年後の12月初旬に亡くなった。
毎年、この時期に墓参りをするのが、
伯父夫妻と僕の両親の年中行事となっている。

昨年、初めてそれに同行した。

身寄りのないに等しかった祖父が、生前、自ら構えた墓地は、
奥多摩の山中、山々を見渡す高台の霊園にある。
はっきり言って、そこに辿りつくまでが結構大変な場所だ。
でも、厳格に生き抜いた祖父は、
せめて没後くらいは山の神々に囲まれて
ぼんやりと時を過ごしたかったのかもしれない。
彼に寄り添うように生きた祖母と2人で静かにそこに眠る祖父に、
話してみたいことは山のようにあるのだけど、
「久しぶりでごめんね、僕は元気でなんとかやっているよ」と、
それだけを心の中で呟いた。
子供の頃は、おじいちゃんより断然おばあちゃん子だったのに、
墓碑を前に、祖母にかける言葉が見つからない自分に驚いたりもした。

そして、今年もまた、奥多摩へと足を運んだ。

僕は、心の中ではお墓とか先祖とかを大事に思う方だ。
だけど、自分はいったい、誰がどこの墓に入れてくれるんだろう、とか、
分家である父はきっと小さいなりに墓地を構えるのだろうが、
長男である僕もそこへ入ったとして、そして、でもその後、
そのお墓はどうなっちゃうんだろうか、とか、
僕はいいけど、両親にはそれはあまりにも申し訳ないんじゃないか、とか、
そういうことを考え出すと、出口の見つからない袋小路に迷いこんでしまう。
そういう意味では、お墓というのは微妙な物である。

厳格に生きる、それは、
自分に責任を持って生きる、ということだと思う。

僕の伴侶は、ちょっと変わっている。
あなたはそれを理解してくれるだろうか。
それとも、あなたの倅の嫁に最後まで心を許さなかったように、
僕の伴侶も認めたがらないだろうか。

でも、僕は、彼と厳格に生きているつもりだ。
ちょっとだけ次元の歪んだパラサイトの世界に足を踏み入れてしまったけど、
僕は僕の人生に責任と誇りを持って生きていこうと思っている。
その気持をあなたが理解してくれそうかどうか、
それを見極めるほどの時間をあなたと過ごせなかったことが残念だ。
だけど、認めてくれなくても見守ってくれるだろう、
そう信じてるよ。


奥多摩駅から、霊園の送迎バスに乗ると、
「今年もきれいねぇ、紅葉が。」
という声を聞く。

おじいちゃんもおばあちゃんも、いい季節に旅立ったね。
僕の紅葉狩りは、当分、奥多摩になりそうだ。





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最終更新日  2003年11月17日 02時45分59秒


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