Tequila's  Bar

Tequila's Bar

2008.03.29
XML
カテゴリ: カテゴリ未分類
毎年恒例の「桜情報」がニュースで流れている。

街のあちこちに花が色づき始めた。
新しい分譲住宅などの一角は、さながら競い合うかのようにガーデニングの成果を発表したがっているようだ。

うん、とても綺麗な花や可愛い花が沢山見られる♪

でも私は、野辺や山野に咲く花が好き。
誰が意図したものでもなく、咲くべき時を知り咲いている花。
町の中にも、ほんの少しの路地の脇にそんな花が咲いていたりする。
誰が肥料をやり、水をやっていたかなんて考えることも無い。
それがその花の自然の有り様だから、ただそれだけで咲いている。


本当に人の概念なんて、ただの枠でしかない。
そんな山の中の誰の目にも触れそうに無いところでも、花は咲く。

神の芸術は、植栽計画なんて詰まらないものじゃない。
在りて在るように、お創りになられる。
自然とは、神が「至善」と思われた状態を指すらしい。

随分と人は神の「至善」を、まるで丸ごと与えられたかのように勝手気ままにしてきてしまった。

花が咲く時期を知り咲いているように、私達人も在るべくして存在している。
神にとって花と私達とどちらが大事か?
それは神様にしか分からない。
でも、神様の「至善」を我が物顔で勝手に扱ってきた私達は、いずれその対価を払わなければならないだろう。

今は、花を愛でよう。


せめて、身を付ける花になりたかった。
身を付ける花は、可憐で儚げで人の美の基順には入らないものも在るかもしれない。
でも、いい実を付けられる花になりたかった。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2008.03.29 17:14:05
コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

© Rakuten Group, Inc.
Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: