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気侭に生きることにもかなりの気遣いが必要で・・・。それだけ人としては成長できたのかもしれません。でも、良いことかどうかは分かりません。童心を持つことの大切さの方が身に沁みているから・・・。これまでどうり、気侭に自分にとってご機嫌の良くなる明日を夢見て「今」を愛しく生きていきます。風が吹けば吹かれるのも善し、雨が降れば濡れるのも善し。そんな気持ちで
2009.06.27
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有名なものなので、すでに知っていらっしゃる方も多いと思いますが・・。 ------------------------------------------ by Dr. Joe Vitale www.mrfire.com ジョー・ヴィターレ www.mrfire.com 二年前に、ハワイに住む一人のセラピストの話を聞いた。 その人は触法精神障害者(訳注:刑法罰に問われたものの、 精神障害を理由に不起訴、減刑、あるいは無罪となった人のこと) の病棟に収容されていた人たち全員を、 誰一人診察することなく癒したそうだ。 その心理学者は患者のカルテを読み、 自分がどのようにして その人の病気を創りだしたのかを理解するために、 自分の内側を見たのだそうだ。 彼が自分自身を改善するにつれて、患者も改善したという。 最初にこの話を聞いたとき、都市伝説だと思った。 自分自身を癒すことによって 他の誰かを癒すなんてことがどうやってできるだろう? 最高の自己改善の達人であったとしても、 どうやって触法精神障害者を癒すことができるだろう? 私には理解できなかった。 論理的な話ではなかったので私は受け入れなかった。 しかし、一年後に同じ話をまた聞くことになった。 セラピストはホ・オポノポノという ハワイの癒しのプロセスを使ったのだという。 初めて聞くものだったが、忘れることができなかった。 もしその話が本当なら、 私はもっと知らなければならなかった。 私は「完全な責任」とは、 私の言動に対する責任は私にあるという意味だと 前々から理解していた。 その向こうのことは、自分の管理を離れていると。 ほとんどの人たちは完全な責任というものを そのように考えているのではないかと思う。 私たちは自分の行いに対して責任があるのであって、 他の人の行いに対してではない。 精神病の人々を癒したハワイのセラピストは、 私に完全な責任についての 進化した新しい観点を教えてくれることになった。 彼の名はイハレアカラ ヒュー レン 博士。 私たちは最初の電話でたぶん一時間は話しただろう。 彼にセラピストとしての仕事の全貌を 語ってくれるようお願いした。 彼はハワイ州立病院で4年間働いたことを話してくれた。 触法精神障害者を収容していた病棟は危険なところで、 心理学者は月単位でやめていき、 職員はよく病欠の電話をかけてきて、 やめていく人もいたそうだ。 人々がその病棟内を歩くときには、 患者に攻撃されないように壁に背中をくっつけて通ったらしい。 それは生活するにも働くにも訪ねるにも 心地よい場所ではなかった。 レン博士は一度も患者を診なかったのだそうだ。 彼は診療室を持って 患者らのファイルに目を通すことには合意した。 それらのファイルを見ながら、彼は自分自身に働きかけた。 彼が自分自身に働きかけるにつれて、 患者に癒しが起きはじめた。 「2、3月後には、以前は手足を縛られていた患者たちが、 自由に歩くことを許可されていました」と彼は言った。 「多量の投薬が必要だった人たちは、 投薬をやめつつありました。 そして退院の見込みのなかった人たちが 退院していったのです。」 「それだけではありません」彼は続けた。 「職員が仕事に来ることを楽しみ始めたのです。 常習的欠勤や退職は消え去りました。 患者は退院していくし、 職員全員が仕事に来るようになったので、 最後には必要以上の人数の職員が残りました。 現在、その病棟は閉鎖されています。」 " ここで私は問わなければ気がすまなかった。 「それらの人々に変化をもたらすような何を、 あなたは自分自身の中で行っていたのですか?」 「私は彼らを創りだした自分の中の部分(パート)を 癒していただけです」と彼は言いました。 私には分からなかった。 レン博士は説明した。 あなたの人生への完全な責任とは、 あなたの人生の中の全てが―― 単にそれがあなたの人生に存在しているというだけの理由で― ―あなたの責任なのだと。 文字どおりの意味で、全世界があなたの創造なのだと。 ヒャー。これはなかなか納得できるものではない。 自分の言動が自分の責任だということと、 私の人生におけるあらゆる人の言動の責任が 私にあるというのは全く別の話ではないか。 それにもかかわらず、実際のところは、 もしあなたが自分の人生の全責任を負うならば、 あなたが見たり、聞いたり、触れたり、 その他どんな方法であれ、 あなたが経験する全てがあなたの責任なのだ。 それはあなたの人生の中にあるのだから。 これはつまり、テロリストの活動、大統領、経済― ―あなたが経験していて好きではないこと― ―を癒すのは、あなた次第だということである。 言ってみれば、それらは存在してはいないのだ。 あなたの内面からの投影である以外には。 問題は彼らに関するものではなく、 あなたに関するものであり、 それを変えるには、 あなたはあなたを変えなくてはいけないのだ。 このことは把握するのも難しく、 ましてやそれを受け入れて実際に生きることは もっと難しいとわかっている。 非難のほうが、完全な責任よりもはるかに簡単である。 しかし、レン博士と話すにつれて私は気づき始めた。 彼にとっての癒し、 そしてホオポノポノにおける癒しとは、 あなた自身を愛することなのだと。 あなたが自分の人生を改善したければ、 あなたは自分の人生を癒さなければならない。 もしあなたが誰かを癒したければ ―たとえそれが精神障害を持った犯罪者であっても― あなたはそれを、自分自身を癒すことによって行うのだ。 どのようにして自分自身を癒すことに取り組んでいたのかと 私はレン博士にたずねた。 患者のカルテを見ていたときに、 彼は具体的には何をしていたのだろう? 「私はただ『ごめんなさい(I'm sorry)』と 『愛しています(I love you)』を 何度も何度も言い続けていただけです」と彼は話した。 That's it? それだけ? That's it. それだけ。 あなた自身を愛することが、 あなた自身を好転させる最も素晴らしい方法であり、 あなた自身を好転させるにつれて、 あなたはあなたの世界を好転させるということが判明した。 これがどのように機能するかの簡単な例をあげてみよう。 ある日、誰かが私を不愉快にさせるメールを送ってきた。 過去そういう時には、 私は自分に感情的な反応を引き起こすものについてワークしたり、 あるいは意地悪なメッセージを送ってきた人に 理を説こうとすることで処理したものだった。 今回私はレン博士のメソッドを試すことにした。 私は「ごめんなさい」と「愛しています」を 声に出さずに言い続けた。 特定の誰かに向かって言ったわけではなかった。 私はただ愛の精神を呼び起こし、 この外側の状況を創り出した 自分の中を癒そうとしただけだった。 一時間もしないうちに同じ人からメールが来た。 彼はさっきのメッセージについて謝罪していた。 私は謝ってもらうために 外側に何も働きかけをしていないことを覚えておいてほしい。 私は返事すら書いていなかったのだ。 にもかかわらず、 「愛しています」と言うことで、 私はどういうわけか彼を創り出していた 自分の内側を癒すことができた。 その後、私はレン博士が開いた ホ・オポノポノのワークショップに参加した。 彼は今では70歳で、 優しい祖父のようなシャーマンと見なされていて、 少々引きこもりがちである。 彼は私の著書『The Attractor Factor』をほめてくれた。 私が自分を向上させるにつれて、 私の本の波動が上がり、 人々が本を読むときに皆それを感じるだろうと彼は語った。 要するに、私が向上すると、私の読者も向上するということだ。 すでに売られて外に出ている本については どうなんですか?と私はたずねた。 「それらの本は外にあるのではないよ。」 彼が持つ神秘の知恵に私はとても驚いた。 「未だにあなたの中にあるんだ」 つまり、外なんてないということだ。 この高度な技術を、 それが値する深さとともに説明しようとしたら、 本が一冊書けるだろう。 あえて言うなら、 あなたがあなたの人生の中の どんなものでも改善したいのなら、 見るべき場所はただひとつ、 あなたの中である、ということだ。 「あなたが見る時は、愛をもって見るように」 ジョー・ヴィターレ/レン博士の共著「ZERO LIMITS」より抜粋。 (日本語訳は「あんりゅう」さんの訳を元にしました) Copyright © 2005 by Joe Vitale. All rights reserved. You may forward this in its entirety to anyone you wish. (著作権はジョー・ヴィターレに帰属します。 誰とでもこの文書を共有して下さって結構です。著者ジョー・ヴィターレ)
2008.05.23
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こちらのブログはすっかりご無沙汰をしてしまいました。皆様お元気ですか?私はMIXIでもブログを配信しています(こちらよりも多いかな?)、その中で今、私からマイミクをお願いしているクールcyrus11さんからのコピペです。とても驚きました!でも腑に落ちた感じがしました。どうぞ皆さん良かったらシェアしてください。その植物からは ・茎や種子油を分解させることにより、エタノールや バイオディーゼル燃料ができる。 ・薬品として、ガン、エイズ、緑内障、喘息、うつ病、 慢性的な痛みなどに効果がある。 ・繊維が取れ、ロープのように丈夫なものからシルクの ように繊細な生地まで作れる。 ・紙が作れるので森林破壊を防ぐ事が出来る。成長時には CO2の削減に貢献。 ・プラスチック製品を作ることができ、車のボディにも 使えるくらい丈夫である。また、毒性も無く再生可能。 ・種は大豆に次ぐ高品質のタンパク質を含んでおり、 ミルクやチーズ、豆腐、ビールも作れる。 ・建材に利用可能で強度が高く、冬は熱を蓄え、夏には 一定の温度を保つという温度調節に優れた壁を作れる。 さらに、 ・肥料が不要で、熱帯から寒冷地、沼沢から乾燥地まで あらゆる気候・土地条件のもとで育つ。 ・土中の重金属等の有害物質を吸い上げ、成長過程で 光合成により無毒化する。 ・わずか100-120日で約4メートルもの高さにまで成長し、 雑草よりも成長が早い。 なんと、 雑草よりも簡単に育つ植物でエネルギー問題、食糧問題、 医療問題、環境問題まで解決するのだという。 燃料や繊維、プラスチックに利用されてきた石油はもう 必要無いのだそうだ。 しかし、 この植物の存在が非常に目障りな人達によって、この植物は 世界から排除されてしまっていた!! こんな便利な植物がタダ同然で手に入ってしまうと石油が 売れなくなってしまう! 石油化学製品を軌道にのせるための経済的かつ政治的配慮や 木材産業、化学繊維産業、農薬、医薬品産業などに 関連した資本家がこの植物を悪者に仕立て上げたのです。 1948年、敗戦国の日本に対して占領軍であるGHQは その栽培、製造、販売、輸出入を全面的に禁止する 法律を押し付けました。 その植物とは? 「大麻」だそうです。 嘘だ~!と思って調べてみたら本当みたいです。 麻と大麻 http://www.new-age-trading.com/hemp/01.html フランス・ヘンプ産業視察ツアー~美味しいワインと麻の旅~ http://www.hemp-revo.net/report/0609.htm 「ダメ。ゼッタイ。」の大麻に関する見解には根拠がない―情報公開請求から明らかに http://www.cannabist.org/database/koukaiseikyu200404/index.html 医療大麻を考える会 http://www.iryotaima.org/ 大麻が森林を救う!? 1998年11月15日放送 http://www.tv-asahi.co.jp/earth/midokoro/1998/19981115/index.html 麻と人類文化 http://www.asahi-net.or.jp/~is2h-mri/ 麻類資源作物研究所 http://www.hemp-revo.net/report/top.htm マリファナの陰謀 禁止されている本当の理由とは? http://www.cannabis-studyhouse.com/80_archive/04_report/050618_marijuana_conspiracy/marijuana_conspiracy.html
2008.05.16
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無条件に無償で愛し続けている人がいます。 愛することで、それだけで満たされてしまうんです。 そして愛する人はどんどん増えていきます。 何故なら、不思議と私の愛を受け入れてくれるからです。 巡り会えた奇跡、その積み重ねが今の人生で出会っている人たち。 中には憎悪の連鎖を続けてきたのかな? と思う人もいます。 でも、私は気付いています。 全て、これまでの人生の果であることを。 ですから、憎悪を愛に変えることは可能なはずです。 愛されたいと思わなければ・・・・・。 ただ、愛をもってオープン・マインドでいること。 そこに、ナイフを突き立てられても、それはこれまでの縁生からいっても仕方の無いこと。 ただ、私はナイフを捨てました。 どうぞ傷つけたいなら、傷つけてください。 でも、人は人を傷つけると、同じくらい自分の魂霊を傷つけてしまうものです。 だから、なるべく柔軟に受け止めて、丸ごと抱えて上げられる自分を育てます。 一切の対立を放棄します。 手放します。 それは、私に入らない感情だから。 私は、愛するもの、ただそれだけのものになりたい。 私は、既に全てを与えられているから。 持病も弱った体も愛しているのです。 それは私に、人として肉体を持つものとしての苦しさや切なさを教えてくれました。 これが無くて、私は絶対の愛を感じ取れたでしょうか? 否です。 与えられたすべてを受け取り、それを多角的に見つめ確認し、要らない感情を手放し、愛に昇華させる。 出来ます。 もうずっと練習を重ねてきましたから。 相手の負担にならない愛しかた。 必要に応じて、いつでも全力で愛を発することの出来る方法。 自らさえ、時には無視して、その人のための愛そのものになること。そして祈る。 ただ、祈る。 すると瞑目している私は、いつの間にか輝ける光の中にいました。 極微の光の粒子が、愛・希望・癒し・慰め・赦し、ありとあらゆる調和の取れた無限の光の中にいました。 その感動は忘れられません。 奇跡の中にいました。 守られていました。 私たちは今皆、守られ認められ、もう既に愛されていました。 遥かに偉大な存在に・・・・・。
2008.05.01
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この頃の体のだるさは、尋常ではない気がします。兎に角起きるのが一苦労で、起きてしまっても気力が沸いてきません。自分の中のマイナスな感情を一つ手放すと、たまさかこういう状態になることがあります。実は、この間一つ「憎しみ」を手放しました。私はこれまでの人生で「誤解」や「中傷」や身に覚えに無い「噂話」の対象になってきました。それは長く続いたので、お蔭さまで自分なりのマイ・ペースを作り上げることに非常に役立ってきましたし、少ないながらも本当に理解し合える仲間にも恵まれてきました。しかし、脇が甘かった。私の夫でもあり、人生の恩人でもある夫があらぬ噂話の対象にされたことへの、怒りは煮えくり返るものでありました。私の夫でなければ、そういうことにならずに済んだのかも、と臍を噛む思いで居ました。でも、ある人の一言で「もう、いいわ。この怒り憎しみは捨てよう」と。それに当たっては、思いを実践しなくてはなりません。それで、私は憎しみを持っていた人に私からお詫びをしました。これは相手に通じまいと通じようと、相手の分野のことですから、返り討ちにあっても善しとする覚悟で申し上げたことでした。思いがけず、相手の方からは喜ばれ、改めてお詫びをいただきました。このように、吾と我が身の至らなさで人を苦しめてしまっていたんだなあ、と反省仕切りでした。その後の体の変化、、、、、有ることです。それは心に積んでしまった悪想念を手放せば、霊・心・体に亘って、クリーニング現象が起きてきます。でも今回は長すぎる・・・・・。これは成人式以前から嗜んでいる喫煙飲酒の所為かも・・・・と、夫には悟られぬように振舞ってきましたが、もう隠せません。体に良い事なんてしたいと思ったことも、しようと思ったことも無いんです。いつも、後無し先無しの「今だけ人生」を生きてきたもので。タバコはため息代わり、お酒は楽しみ。もう年なのでしょうか?それとも、昔と違ってタバコもお酒も食品添加物っていう毒が仕込まれているのかも・・・・・。女としても枯れる年代です。酒もタバコも無くして何の人生か?考えてしまいます。長生きするために好きなことを辞める。そんな時代感覚の女ではないのです。困りました。
2008.04.25
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自分にとって本当に必要なことを見るように、自分を訓練していこうと思っています。 ついつい、視界に入ること全てを見たくなるものです。 でも、その中から本当に今の自分に必要なこと、ものはなんだろう、と考えなくてはいけないような気がします。 そうでないと、自分が判断すべきじゃないこと、自分が勝手に気にして、余計な判断をして、自分の人生観やひいてはそれを表現することで人の人生観にまで干渉してしまうのかもしれません。 今、存在しているもの・事柄は、在るべくしてあるのです。 必然なのです。 それに干渉することが自分の役割であれば、否応もなく避けることも及ばず、我が身に降りかかってきてしまうものなのです。 私が目指すものはもっともっとこの先にあります。 身に降りかかってくることは致し方も無いことなのでしょうけれど、それ以外のことにまで口ばしを差し入れたり、顔を突っ込んだりしてなんになるでしょう。 好奇心もあります。 義侠心もあります。 でも、その相手のタメにその将来のタメに見てみぬフリをすることも大事な時があることを知りました。 好奇心は我慢できていました。 でも、義侠心は我慢できない時がありました。 結果は、私が関わっても関わらなくても、むしろ関わらない方が良かったのではないか、と思うことが多かったことは事実です。 その人が自身で体得しない限り、思い知らない限り、どうしようもないことって多いんですよね。 思い返してみれば、自分も傷つきながら痛みに耐えながら体得せざるを得ない人生を送ってきました。 人からは、ありがたいアドバイスを頂くことが在っても、そうせざるを得ない自分の人生がそこにはいつもありました。 それを仏教では「業」というのでしょう。 「人の悲しみを自らの悲しみとして」と綺麗な言葉がありますが、それはその一瞬だけのこと。 人は別の人の「業」までは背負えません。 人は地球の自転と共に生まれ、地球の自転の中で終わります。 自然の草木と同じです。 草は草である宿命からは逃れられません。 木は木である宿命からは逃れられません。 そして、私は私である宿命からは逃れられません。 それをス直に受け入れて、自分が必要とするものを受け入れ、必要の無いものを見過ごし、目標とするものに真っ直ぐに飛び込んでいけるように、純粋に戻りたいと思います。 出来るものならば、きっとそうなれると思います。
2008.04.19
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自分に自信が持てない。 人のほうが優れて見える。 容貌も才能も人に劣る。 周りの人たちがみんな幸せに見える。 本当にそう思うの? じゃあ、自分は何なの? 世の中の誰にも愛されていないのか。 気が付かないだけだよ。 自分で思い込んで、不幸の気分に浸りたいんだ。 この世に不必要な人間はいない。 誰一人欠けても、今は無い。 時期が来て神様がお許しになるまで、誰もがこの地球で必要とされているメンバーなんだ。 相性がいい、悪い。 そんなのは自分勝手の都合だもん。 何で生きているのか? 神様のご計画の一部だからさ。 だから神様のご計画に参加してみない? 気分良いよ、今生きている意味が実感できるから。 いやだ? 別に良いよ、自分の人生なんだから。 でも、友達でいようね。 せっかく知り合えたんだから。 でも、自分を大事な存在にしてあげようよ。 どうすれば?思うだけで良いんだよ。 誰にも愛されないって? 自分を愛していないからだよ。 この世で自分を一番理解できるのは自分だよ。 長所も短所も、嫌なとこも良いとこも、全て。 どんなに情熱的に口説いてくる男だって、私ほどには私を知らない。 自分の幻想を私に重ねて惚れた気でいるのかもしれない。 間違いないのは、自分の一番の理解者は自分だ。 誠実にいつまでも自分を愛せるのは自分だ。 だから、愛して止まない自分になるんだ
2008.04.09
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看取る、つまり死にいく人を看取ること。これまでに何人の人を送ってきたかしら・・・・・。まだ、生きれると思っていたはずの人が急変したことも、朝、急に訃報が入ったことも。「死」という、通常の概念に捉われている方だとは思わないけれど。この間、スキルス性の胃癌で余命三ヶ月と宣告された青年の話を、TVで観た。潔く死を迎えたい本人と、チューブ人間になってもいいから生きていて欲しいと願う両親。どちらの気持ちも良く分かる。在宅医療は、今、こういった週末を家で迎えたい人を看取ることが多いそうだ。本人の気持ちと親の気持ち、また本人と子供の気持ち。送られる側と送る側。内科医は、ここまで看なくてはいけないのか。実際にはそうなっている。で、私は何か役に立てることは無いのかと探した。看護士免許・介護士免許・心理カウンセラーの免許・・・・・。私のカウンセラーは、免許の数を羅列してくれた。「でも、止めてほしい。重すぎることだから・・・・・。」と。重すぎることだから、手分けしなくちゃいけないんじゃないの?在った。山谷に、「終いの家」。身寄りの無い人のための「死を待つ家」。マザー・テレサがインドに作った家のように、山谷の中に在った。ボランティアで支えられている家だとか。以前は日雇い労働者の町だった山谷。岡林信康が歌った「山谷ブルース」の山谷。周囲の皆が反対する。のめり込む性質だから。通うことが出来ても、住み込んでしまうのが目に見えているから。全てを打ち込んでしまうから。そして、逝ってしまった人たちを思い続けてしまうだろうから、と。何かの役に立ちたい。誰かのためになりたい。そんな価値も無いのかなあ・・・・・。すみません、今日は元気がありません。
2008.03.30
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毎年恒例の「桜情報」がニュースで流れている。街のあちこちに花が色づき始めた。新しい分譲住宅などの一角は、さながら競い合うかのようにガーデニングの成果を発表したがっているようだ。うん、とても綺麗な花や可愛い花が沢山見られる♪でも私は、野辺や山野に咲く花が好き。誰が意図したものでもなく、咲くべき時を知り咲いている花。町の中にも、ほんの少しの路地の脇にそんな花が咲いていたりする。誰が肥料をやり、水をやっていたかなんて考えることも無い。それがその花の自然の有り様だから、ただそれだけで咲いている。雑木林の山は「緑」という色の多様さを見せてくれる。本当に人の概念なんて、ただの枠でしかない。そんな山の中の誰の目にも触れそうに無いところでも、花は咲く。神の芸術は、植栽計画なんて詰まらないものじゃない。在りて在るように、お創りになられる。自然とは、神が「至善」と思われた状態を指すらしい。随分と人は神の「至善」を、まるで丸ごと与えられたかのように勝手気ままにしてきてしまった。花が咲く時期を知り咲いているように、私達人も在るべくして存在している。神にとって花と私達とどちらが大事か?それは神様にしか分からない。でも、神様の「至善」を我が物顔で勝手に扱ってきた私達は、いずれその対価を払わなければならないだろう。今は、花を愛でよう。その生き方を習おう。せめて、身を付ける花になりたかった。身を付ける花は、可憐で儚げで人の美の基順には入らないものも在るかもしれない。でも、いい実を付けられる花になりたかった。
2008.03.29
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今日も、ハワイのharelaさんから、非常に興味深い内容のメッセージを受け取りました。私自身も感動していますが、是非、皆さんにシェアしたくて、以下に貼り付けます。宜しかったら、感想をお聞かせください。今日は、予期せぬ 脳梗塞を体験し生死を超えたアメリカの脳神経解剖医(Neuroanotomist)の体験談のビデオを通じ、 私たち人間の脳が果たしている本当の機能と役割を一緒に学んでみましょう。 ジル・テイラー(Jill Bolt Taylor)さんは、ある日脳梗塞のために、脳の左側の機能にダメージがおきました。そのため、体を動かすこと、状況を理解すること、言語機能がうしなわれました。その結果、右脳の方がより強力に働くため、右脳が実際に果たしているこれまで明らかにされていなかったスピリチュアルで宇宙的な機能と役割を全身・全霊で受け取るチャンスに恵まれたのです。以下、彼女のお話の要旨です。 コンピュータで言うと、右脳は巨大なパラレル・プロセッサー(超高速並列演算処理のできる高性能CHIP)で全ての対象を瞬時につかむことができる。そして、右脳は、全意識と繋がって「今、現在、ここにある」という状況を認識します。右脳は、自分と外部(他の存在)との差別感がない、あらゆる存在と自分とが渾然一体となった超意識存在感(ワンネス意識)または、全意識の感覚をもたらすものです。 一方の左脳は、シリアル・プロセッサーのような機能で、右脳が受けたすべての情報を事細かく判断し、事細かく分析し、また、60兆の細胞から感じとり右脳から送られてきた個々の認知情報を処理するよう命令するリニアなシステムです。そして、左脳は過去の記録を思いだし、将来のことを考えたり、全ての可能性を予測するするというような役割をになっているようです。また、自分と他人とを差別し(自我意識)、目先の事を詳細に考える固有の性質を持っているのです。 ジル・テイラーさんは、病院に担ぎ込まれ、脳腫瘍の手術を受けたのですが、その時に、生死を超えた巨大な意識の光の中に本当の自分の存在であることを体験し、その宇宙とつながる美しく輝く愛のエネルギー生命体=真実の自分(Nirvana)から、一個の小さな自分に戻れるかどうかが不安であったという体験を感無量で語っています。彼女の体験話は、医学を志し学ぶ方達をはじめ、あらゆる年齢や職業の方に、魂レベルで訴えるすごいパワーを感じました。 今日のビデオは英語ですが、いずれの機会にジル・テイラーさんの語っている内容を日本語に要約して、halera日記でご紹介したいと思いますが、ひとまず、彼女の劇的な体験談をビデオでご覧ください。語っている言葉をハートで感じとってみてください。最後のジルさんの言葉は、とっても感動的です。人間の実際の脳みそがでてきますので、びっくりしないでください。 「すべてのものと一体となった真善美の世界を司る右脳を優先した意識で生きていきたいか、それとも、差別感のある左脳を優先して生きていきたいですか?」という問いで、この講演会が終わっています。。。。
2008.03.23
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尊敬するハワイ在住のHarelaさんのメッセージです。いつも心をあたたかくしてくれる素敵なメッセージを頂きます。 心を広くもつためには、心の持ち方が大事。下記のような心の持ち方を すると、心がゴムまりのように丸く楽になるような気がする。 今日もまた、神様から、新しい時と命を授かった。 今、住む家といただける食事に気持ちを入れて感謝する。 物事を、あるがままに受け入れる。 心にブレーキがかかったらすぐにやめる。 執着をもたず必要な時に、喜んで手放すこと。 クヨクヨする気持ちは現実ではなくただの幻想だと知る。 全てを祝福の心をもって、魂の学習のための糧とする。 すべてに対し、ありがたいと感謝する。 あらゆる現象を、一つの成長過程としてみる。 毎日が魂の収穫の日であると、宣言する。 狭い心で、相手のことを決して裁かない。 今日も、良い一日になると堅く信じる。 寝る前に地球の上にいる68億の人々の健康と幸せを祈る。
2008.03.16
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歳がばれるけれど、そんなのは関係ない。今の家族関係はどうなっているんだろう?確かに人のことは言えない、私は家族に守られて生きているから。でも、家庭でも学校でも子供に「イイコ」を押し付けすぎだろう。その子達はTVゲームだけが唯一の趣味だったり、ストレスの捌け口だったりするんだろうな。ウチの近くは都内に通勤する人たちの独身寮がいっぱいある。嘗ては、そんな独身寮の周りには定食やさんやスナックが軒を並べていた。でも今は閑古鳥。会社帰りにコンビニでお弁当を買って缶ビールを買って、量の自分の部屋から出ないらしい。家庭にあってもそうらしい。仕事のストレスを話すでもなく、会話自体が少ないらしい。詰まらなくないのかなあ?私は嫌だ!思っていることを話せない家族関係なんて真っ平ゴメン!嫌がられても、何が嫌なのか追及する。改められるところは改めるべく努力をするつもり。。。。でも大抵のことは、我侭を通させてもらう。だって一番の年長者だもん。この頃思う。嘗ては大家族だった。おじいちゃまがいたり、出戻りのおば様がいたり、母の弟が就職で東京に出てきたときはウチから通っていた。おじいちゃまは、二ヶ月くらい寝込んでウチで亡くなった。私は初めて死んだ人を見た。何処のうちも似たような家族構成だった。年長者は敬われ、嫁姑の確執があっても似たような状況の嫁さんが多かったから、お互い愚痴を言い合い仕方が無いね、と言いながら姑に仕えていた。子供の面倒を見るのは姑の役割だった。若い夫婦は揃って働いていたことが多かった。でもウッカリ、夜遊び疲れた私がオバア様のお布団で寝てしまうと、母が取り戻しに来たらしい。私たち子供は玉投げで遊んでいれば、夕方暗くなっても玉が見える限り遊んでいた。遊び仲間や喧嘩仲間で、ヤッサモッサされて人との付き合い方を学べたんだと思う。父は、宿題を出す教師は教師としての職務をマットウできないから宿題を出すんだ。と言って、決してウチでは宿題は出来なかった。だから学校の休み時間で済ませてから帰った。だって、学校から帰る時間になると門の前で立って待っていたから。父は、悪がきの悪戯が度を漉すと何処の子供でも叱り飛ばしていた。みんなウチの門の前は走って通った。若い奥さんが泣きじゃくる子供の手を引っ張っていこうものなら、これも怒った。何故、泣いている子の言い分を聞いてやらないんだ。というわけである。「子供をてめえの勝手に育てるな」と、言うわけである。毎日が楽しかった。でもそんな私にも、怖いカミナリオヤジがいた。そこんちの前は走って通った。大人になってからそのカミナリオヤジの息子さんと飲む機会があった。「お兄さんちの親父さんは怖かったよね」と私が言うと、「おめえの親父には俺もブルッたぜ」と、お兄さん。「でも知っているか、どこんちの子供でも怒鳴りつけたり、張り倒していたのは、俺んちのオヤジとおめえんちのオヤジだけだったんだよ。今から思えば、いい親父たちだったよね」う~~~ん、なんか和んだ晩だったな。今は高層マンションがいっぱい建っている。隣の人がどういう人かしら無いこともあるかもしれない。プライバシーと言うんだろうけど、要するに「無関心」なんだ。この「無関心」は本当はプライバシーの尊重でもなければなんでもない。無関心ほど怖いものは無いと思っている。人に関わりたくない、面倒に巻き込まれたくない。だから人間性が失われてきているんだ。無関心はもちろん向上心も奪ってしまう。コンパクトな視野も心も狭い、詰まらない人間ばかりが増えてくる。子供がりスト・カットしていても、同居の親が気付けないはずが無い。様子や血のついたティッシュ、ハンカチなどで必ず気づく。それが気付かない。剃刀が滑って、太い血管でも傷つけたら、一人部屋の子供は朝になるまでに死んでしまうだろう。「どうしてうちの子が!学校にも塾にも真面目に通って、ウチでも乱暴な口を利いたことも無いんです」そんなに周りに気を使う子だから、ストレスの吐き出し口が見つからないで、自分を追い詰めちゃっていたんですよ、と言ってあげたい。大家族の中では、こんなことは起きない、誰かが気付く。お年寄りも病院のたらい回しなんてしないで済んだ。みんな順繰りに生まれて生きて歳を重ねて、死んでいく。このサイクルがキチンとしていた。昔の日本に帰りたい・・・・・。季節の漬物を漬ける暮らし。風の温みで塩加減を調節したり、そんなことが大事で当たり前の暮らし。あっちのうちにもこっちのうちにもお裾分けして、何処のうちも似たような夕飯になったりして。それが楽しかったなあ。ジャガイモのコロッケが大好きだったなあ。
2008.03.13
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今日、何ヶ月ぶりだったか?ある人を見かけた。奥様を亡くし、子供たちは巣立ち、本来気難しい論客で人付き合いの多くなかった人。私は彼の論議の相手の一人だった。でも、悪意の醜聞がたって、彼は私を気遣い、会うことをリクエストしなくなった。その悪意の出所を私は知っていた。相手にもしたくないような人たち。でも、まるで夏の湿気のように纏わり付いてくる執拗さを持っていた。それからの年月・・・・・。久しぶりに彼を見かけた。反射的に声をかけた。無表情がならいとなっている彼の顔に変化があった。「今度、駅まで出てくることがあったら電話して」そういうことはないだろう。そういう人ではないから。一緒にいた娘さんが追ってきた。「父を誘ってあげてください。私はもうすぐ自分の所に帰るから、また、父は必要最低限の言葉しか交わさない日常になってしまう」彼女の気持ちは、痛いほど分かる。でも、孤独の檻に自分から入ってしまう人には、どうすればいいのか?どうして独身の娘さんは傍にいるようにしないのか。人には人の事情がある。悪意の醜聞は、そんなことを気にしない私の耳に入らないように巧妙に彼の耳に注がれた。彼がそれを気にしている間は、私からは誘えない。あの後何度電話をかけただろう。彼の愛した奥さんは、私の愛した友人でもあった。彼女は今の夫を見て、その孤独を見て、どう思っているのか?今は老人でなくても、どんな年代でも、簡単に人をシャット・アウトできる。難しいのは、檻から出るタイミングだ。そのときが来たら、どうか躊躇わないで内側からでいい、合図をして欲しい。
2008.03.09
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今日は満開の白梅を見てきました。風はそれほど強くもなく、穏やかな気候でした。お花屋さんの店先はとてもカラフルになり、通りにまで溢れかえっています。季節の変わりつつあることを感じていますか?風の変化・気温の変化・樹木や草花の変化・街を歩く人たちの装いの変化・・・・・。時間は間違いなく過ぎていっています。地球は間違いなく回転してくれています。自分の心の中から、外の世界に目を移してみましょう。昨日と同じものは何も無い。一日分の変化は必ず起きています。目に見えるか見えないか、あなたに見えるか見えないか。でも変化しているんです。自分にとって都合が良いことも悪いことも、嫌なことも素敵なことも、その変化の中にある。全てを受け入れることは出来なくても、自分も共に変化していることを忘れないでください。明日起きる変化の元は今日にあります。心の中に思ったことは、いつか現実のことになります。そのあなたは、笑っていますか?悲しんでいますか?怒っていますか?どんな自分になりたいですか?
2008.03.07
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誰にでもコンプレックスはある。わたしの友達は、お母様がとても綺麗なひとだったらしい。で、「お母様に似ていないのね」と小さい頃に言われて、それが根強いコンプレックスになっている。充分愛らしい人なのに(自分はブス)と思っている。容貌なんてものは、不自由なく生活していられればそれで良いと、ブスな私は居直っている。綺麗だからモテるっていうわけでもないし・・・・・。問題なことは、それが心の底にたまってシコリになって、他のコンプレックスとも絡み合い、しつこく硬いシコリになってしまっていること。これを解していくのは、自分しかいない。粘り強くひたすら根気の世界だ。そのコンプレックスを持ってしまったときの自分に戻って、幼い心をほぐしていかないといけない。聞き分けがない強情な自分に会ってしまったりする。まあ、聞き分けがよければコンプレックスにはならないのだから、仕方がない。これを滑らかな心になるまで続ける。どのくらいかかるのやら・・・・・?でも、これは手を抜けない。人を責める気持ち・人を裁く気持ちは、このコンプレックスが大いに作用するからである。理屈でわかっても感情で分かりたくない。こういうこともコンプレックスの作用だと思っている。人を責めたり、裁いたりする前に、自分の心に尋ねてみよう。「私のコンプレックスさん、あなたはこのことに関係ない?」
2008.03.06
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誰の心の中にも「愛されたい」「理解されたい」という願望は眠っている。「愛されている実感」愛している人に愛されているときほど、満たされる瞬間は無い。満天の星を手に入れることよりも価値のある実感がそこにある。でも、いま誰ともそういう感情の交流が無いとしても寂しがってはいけない。愛していた人は、あなた自身の本当の全ての全てを無条件に受け入れてくれて愛してくれていたのか?どうも、恋愛に終わりが来てしまうのは、その辺りの勘違いが大きいようだ。では自分を完璧に理解して愛してくれる人はこの世に存在しないのか?ちゃんと存在している。そう自分自身。神の愛と祈りによって、この世に生み出された自分。いままで育てはぐくんでくれた人たちや環境は、神様が設定してくださっていたもの。その中には、未だに強く思いの残ってしまうような辛い体験もあったと思う。でも、私たちは今も神によって生かされている。この世に存在いする唯一無二な自分は、神と自分が一番良く知っている。記憶が始まったときからずっと、嬉しかったこと哀しかったこと苦しかったこと辛かったこと、全ての全てを知り尽くしているのは、神と自分だけ。自分の欠点も良い所も汚いところもズルイところも見栄っ張りなところも、全部認めて、自分を改めて愛してあげよう。決して、「こんな自分の欠点が、私我慢できないのよね」などと蔑んではいけない。神がお許しにならなければ、この世に存在することすら出来ないのだから。神がお許しになっていることを、自分の都合で勝手なことを言ってはいけない。恋愛では、錯覚と真実が入り交ざって始まり、現実と勘違いに気付くことで終わっていく。でも愛された真実はそこに、ちゃんと在る。そして愛した真実もちゃんとある。自分を本当に理解し、赦し、愛することが出来たならば、またこの次誰かを愛したときに、今までよりも深く、今までよりも錯覚も少なく、また、正確に愛を受け入れることも出来るだろう。そう、想う。
2008.03.04
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心に波風は立っていないだろうか?生きていると、穏やかな日ばかりではない。強い風や雨・嵐にも遭ってしまう。心の底に沈殿していた澱や腐りかけのゴミまでかき回されて、表面に上がってきてしまうこともある。でも、時間が経てば、やがて雨も風も嵐も過ぎる。風によって浮いてでたゴミや澱は、心の外側に吐き出されていることもある。そして、太陽に照らされて、心が嬉しくその光をさざ波で煌かすことも出来る。心には天気がある。いつも晴ればかりじゃないけれど、だから掃除が出来ることもある。心の環境が良ければ、周りには季節ごとに美しく咲く花や樹木や可愛らしい動物も集まってくるかもしれない。そんな心になりたい、と思う。
2008.03.03
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この頃、元気な定年された方とご一緒する事が多いです。定年なんて、なんであるのでしょう?バブル前後を知っている方の体験談、人格の厚さは、人一倍です。でも、思うんです。年齢かける0.7がこの頃の精神年齢だとしたら、60×0.7=42歳です。変でしょう?だったら、社会はもっと柔軟になるべきですね。
2006.11.13
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この間、DVDになった三島由紀夫原作の「春の雪」を観ました。美輪明広さんが「宜しいのじゃないですか」と、言われたとかで・・・・・。でも、正直詰まらなかった。ずっと以前に、聡子=吉永さゆりさん、顕さま=市川海老蔵さん(当時)、老女=乙羽信子さんで、丹念に作られた作品を観ていたので、今回は余計にがっかりした、というところです。でも今時の若い子達には、理解しやすかったのかも・・・・・。三島文学の魅力は、美しい日本語にありますけれど、今では死語ばかり。だからこそ、美しい日本語に触れたくて、三島文学に再チャレンジをしたいと思っています。それから・・・・・。自分の本当のスガタを自覚しないと、と思い始めて(少しでも人として向上したいから)、そうしたら目や耳を覆いたくなるほどの自分が隠れていました。人様には隠す事が出来ても、自分自身は騙せません。そんな自分に、がっかりする事もありながら、でも、それでも生きている事が有り難いと思っている思っている、今日この頃です。
2006.11.12
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性格 貴方は、比較的バランスの取れた「多情多感型人間」です。責任感や判断力、常識なども人並なのですが、それ等を凌駕する程感情量が豊富なので、一見情に流される人間の典型みたいに見られる事が有るかもしれませんが、それで、身を滅ぼしてしまう可能性は少ないでしょう。今後の貴方に望まれる点は、貴方がもし豊かな才能に恵まれて居たとしても、それを最大限に活かし抜く努力や忍耐に、今一つの懸念が有るのと、好奇心や物珍しさに追い回されて、右往左往して居る間に、人生の一番大事な時期が、終って仕舞うような危険性が、多分に有ると云う点です。 恋愛・結婚 異性には良くモテるタイプの一つでしょう。余り高邁な理想は求めず、ウエットな所や無邪気な部分がかなり高いので、デートして居ても楽しいのです。しかし、いざ結婚して見れば、そう結構ずくめと云う訳には行かず、無邪気だと相手に歓迎されて居た部分が、必ず我儘だと映るようになる筈ですから、心して下さい。結婚後の貴方は、地味な方へ、地味な方へ、と心掛けて行動すれば、丁度バランスが旨く取れて行く筈です。 職業適性 特殊な仕事としては、童話作家とかマンガ家、モデル、音楽家などで、一般的な仕事としては、広報宣伝活動業観光ガイド、販売員、ウエイトレス、ウエイターなどが向いているでしょう。一般公務員や一般事務のように変化に乏しく、面白味の無い仕事は、余り向いて居ないでしょう。 対人関係 約束事に縛られるのをいやがる傾向と、他人の話の中心へすぐ嵌り込みたがる傾向がありますので、注意して下さい。余り御祭り騒ぎ的な事に、首を突っ込み過ぎないように、一本芯の通った生き方を心掛けて行けば、そうそう失敗する事は無い筈です。 エゴグラム、宜しかったら http://www.egogram-f.jp/seikaku/sin-d.htmです。
2006.11.06
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いつまでこのまま停滞しているんだろう・・・・・春前から、何事も満足できていないように思う。満足って言っても、独り善がりなもので、元々何もかも満足にできていることなどなかったのかもしれない。自分を巡る環境・人間関係・精神的充足感・・・・・自分が変われば、それら一切が動き始めてくる事が分かっているのに、何かに手をつけたら、それを切欠にずべてが崩壊してしまいそうな・・・・・。崩壊して惜しいものなど、そもそも在ったのか・・・・・。
2006.11.05
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今夜は、池波正太郎作の「藤枝梅安」が放映されました。主演の梅安役は、岸谷五郎さん。やはり私は、緒方拳さんのイメージが強いので、妥協線では梅安=渡辺健さん、彦さん=橋爪功さん、ですね。池波先生のお作は、「徳永家康」もそうですが、「鬼平犯科帳」も「剣客商売」も大好きです。出てくるお料理もそうですが、人情というものに惹かれてしまいます。人情・・・・なんて素敵な日本人の誇りでしょう。物語になるほどに珍しいことかもしれませんが、世界的にあるものかもしれませんが、池波先生のお話に出てくる人たちには、惚れてしまいます。池波先生のお作の登場人物に惚れて、和服の世界、和の世界に嵌まってくる若い人たちも多いんですね。夫さんも実はその一人で、「剣客商売」で秋山小平衛役で藤田まことさんが付けていた軽袴を私に作って欲しい、と駄々をこねています。でも、衣類とか食物・住まいとかはその国に合ったものが多く思われます。日本文化は大事にして、後世に伝えたいと思いますね^^。
2006.11.04
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心の構えって言うと、大袈裟ですが・・・・・。今日、夫が思いもかけないことを或る方に言われたそうです。そして、正直なところ、その瞬間は感情が動いたと思うのですが、うちに帰る道筋で色々考えたようです。そして、自分を反省したそうです。人から決して嬉しくない事を言われて、感情が動いても、その事に感情に囚われないで反省に結び付けられた。凄いなあ・・・・・と思いました。心が柔軟でないと、こうはいかないでしょう。多分、私は無理・・・・・。銀杏の下を歩いてみると、ギンナンの匂いが強くなっています。季節は変わっています。私は、成長しているのでしょうか?
2006.11.01
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好き嫌いは誰にもあると思う・・・・・。私は、鱈子は好きだけど白子は嫌い。曇りの日よりも雨の日のほうが好き。サスペンスは好きだけれど、経済サスペンスは嫌い。でも、この世に存在しているもの、否定は出来ない。核も否定したいけれど出来ない。其々がその時に必要とされて生み出されてあるものだから。虐待も圧政も認めたくないけれど、その痛みを今感じている人がいる限り否定は出来ない。見ない振りが出来ないから・・・・・。この世の中は、太陽さんやお月さんや沢山のお星様、山、海、川など。自然の美しさを考えると、大きな大きな、私などには想像も出来ないほどの大きな美を感じる。その美を生み出された意志を感じるときがある。否定、というのは些細な事に発しても、その美を生み出した大きな大きな意識を真で否定してしまう事に繋がるのではないか、と感じる。逆に、如何にしたらもっとより善きものに出来るか、ということが大事なのだと感じる。ゴミの山を作っていた人類が、今リサイクルに工夫をしている。一人一人の思いの変化が社会に及ぼす影響を感じてしまう。出来る事なら、私の思いが善に繋がる事を祈りつつ・・・・・。
2006.10.29
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今日、私の住んでいる県で教師が校長にパワー・ハラスメントを受けて自殺した事に関するニュースを放送していました。子供達の苛めの問題も水面下では恒常的になってきています。私の次男も、小学校に就学してから中学卒業まで苛めの被害にあっていました。小学校教師は、事実を突きつけても決して認めませんでした。そして最後の校外学習の時には、息子だけがどの班にも入れてもらえずに教師ごと無視されました。学校長も教育委員会も隠蔽体質はありました。中学の一年次の担任が、校内カウンセラーに相談してくれて、初めて苛めの被害者だと認められましたが、環境が変わるわけではありませんでした。個性をもっている事自体が、ナマイキなのです。その時、私が言ったそうです。「そんな所、命がけで行くことはないわよ」と。正しかったのかどうか・・・・・少数派でいる事のプレッシャーに彼が耐えられるかどうか今も分かりません。ただ、日本人としてのプライド、歴史、民族意識。世界の中では圧倒的少数です。でも、私は日本人として胸を張っていけるように、自分に自信の欠片でも持っていたいです。
2006.10.28
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夕食時、漸く目覚めた私は、16時間を眠っていた事に気がつく。私が眠っていると、3匹の犬達もおとなしい。口がさっぱりしないので、夫さんと共にお寿司屋さんへ・・・・。満席なので、宛ても無く車で走る。目に付いたラーメン店に入る。お客さんは私たちだけ・・・・。これが美味しかった!気が付くと、夫さんと話した時間が少なくなっていた。大事なパートナーなのに、粗末にしてはいけませんね^^;。
2006.10.21
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今朝は自分でも不安だったのか、3時ごろには起きてしまって・・・・・^^;総合病院には9時前に着いて、コネで早くに診てもらうことが出来ました。そしたら、「内痔核」に静脈瘤が二つあって、そこからの出血だったのでしょうと言う事で、直腸は無事でした。2ヵ月後に、成人病検診があるので、そのときまで「内痔核」の治療をして大腸がん検診に向かう、という結果でした。ご心配かけました・・・・ペコリ。
2006.10.17
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総合病院への紹介状を書いてもらいに、近所の個人病院へ行きました。問診だけで、「ウチでは無理ですから・・・・」と言って、すぐに紹介状を書いてくださいました。PCで見てみるだけで、情報は沢山♪検査の段取りを知っておくだけでも心の準備が出来ますから・・・・。さあ、明日は8時に病院到着予定です。今日は早く眠らなければ、おやすみぃ ・・・・・・。
2006.10.16
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丁度10日前から1週間前まで、下血が続きました^^;。16年という長い幽閉生活のような暮らしの中でも、色々な肉体的な変化はありましたが、下血もその中に含まれます・・・・。ただ、今回は検査に行ってくるつもりです。痔か直腸出血か分かりませんが、大腸がんの心配もあるそうです。これまで、濃い人生を送ってきたので、人生に対する執着は余り無い方だと思っていましたけれど、実は検査が物凄く嫌なんです。それに入院になったら、禁酒禁煙になるのも参ります。家族や色々な人に心配をかけるのも困ります。犬たちと離れるのも寂しい・・・・。検査は、来週火曜日からの予定ですが、心構えを作っておいて案外とただの痔だったりするとがっかりするので、いつもどおりの気持ちでいくつもりです^^。
2006.10.14
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関東は嵐です。風と雨が激しくて、お買物への外出は禁止。このあいだ、右足のつま先を左足で踏んでしまって、転んでしまいました、アハッ!!!これは、老化現象ですかしら?でも、昔からよく転ぶんです^^;家では、「オドジ」「ぼんやりボーちゃん」、と呼ばれ、子供達にも今から介護されている状態です。それで、左手の左指を脱臼、その他の指を突き指して、頭もこぶだらけで、右肩も打ち身。。。。それでなにを書こうと思ったのだったのかしら?そう、食品の関係からか、以前は成人病だった病気が今は弱年齢化していますから、ドジと老化も区別が難しくなっているんじゃないか、と。そんなこと、考えていました。
2006.10.06
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重い湿気と共に、窓から金木犀の香りが漂ってきました。香りのある樹木はいいですね^^。この金木犀、花を集めて焼酎で漬け込むと、金木犀のお酒になります。お砂糖はお好みですが、中華のデザートなどには使われていますね^^。やる事がたくさんあるのだけれど、まだ、気持ちが乗りません^^;。マイ・ペース・・・・・・大事だけれど、ストレスにならないように「ネバならない」気持ちを上手く逃がさなくてはなりません。体は休んでいても、神経は忙しいです^^;。
2006.10.03
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漸く、苦手な夏が終わりました^^体調は、上がったり下がったり・・・・・でも、今日もありがたく生きている、これが大事ですね^^。生きている以上、気持ちだけはなるべく元気に、お蔭様で、という気持ちで居たいものです゜+.(・∀・).+゜最近、小さい子供達の事件が毎日報道されています、哀しい事件として・・・。私の子供達は、もう子供という年齢ではありませんから、事件に巻き込まれても、自己責任という部分も生じます。でも、虐待や通り魔の犠牲になる子供達には、心が張り裂けそうです。政権が新しくなって、安心して子供が成長できる国に向かえたらいいなあ、と願っています。みんなに幸せな今日でありましたように・・・:*.;".*・;・^;・:\(*^▽^*)/:・;^・;・*.";.*:
2006.09.29
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もう、日付が違ってしまいましたが、子供の日でした。私が幼い頃は、客間に鎧兜が飾られて、柏餅を食べて菖蒲湯に浸かる。そんなものでした。今は、子供向けイベント・デイみたいに、消費生活に組み込まれてしまっているようです。交通渋滞も、家族レジャーの産物ですしね・・・・・・。私のところは昨日、お刺身を買ってきて、自宅で酢飯を作って、握り寿司にチャレンジしました。何ともシャリが大きかったようで、大きめに切ってもらったお刺身とともに口に入れると大変でした^^;。生活を楽しむ。私は子供レベルでは思いつきません。自分レベルで楽しそうなことを探します。自分が一番面白がるもの、それが家族で共有できれば最高ですね。無理強いはしません。この間は、「鬼平犯科帳」のDVDに夢中になって、すっかり浸っていました。中村吉衛門さんの色気は、大人の色気があって、痺れますが、やはり原作の力ですね。池波正太郎の世界、そのこだわりが美しい。久し振りに着物が着たくなりました^^。
2006.05.05
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今日は、「めぐみさん拉致事件」の横田夫人が、ブッシュ大統領に会うことが出来るそうです。これまで、政府や外交に関することで民間が運動することは、日本でも大変なことだったことだろうと感じます。わが娘でなかったら、ここまできてこなかったかもしれませんが、しかし、諦める事もしなかった、というのは凄いことだと思います。血肉を分けることの凄さを感じます。特に、この頃は家族内での殺傷事件が絶えません。日本人というのは、このような家族社会を本来は持ってきておりませんでした。第二次大戦後の民主主義・資本主義の美辞麗句の裏側で、無くしてしまった年長者を敬い・年少者を労わる家族的な環境は、核家族が進むにつれ失われてきてしまったものと感じています。今は更に個人主義ですね。人間が社会を営むことに経験を積むということはどういうことなのでしょうか。それぞれの考えの中での良いところを取り入れながら、和していく為の知恵にはならないものでしょうか。世界では、宗教紛争も絶えません。哀しいことですね。
2006.04.28
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長男が、通学している大学でアルバイトが決まり、お買い物に事欠くようになりました。主人に時間のあるときはメモを書いて渡して、お願いしておりましたが、無理が出てきました。そこで思い切って、自転車で10分程の駅近くのスーパーにお買い物に出掛けました。緊張を鎮めるお薬を飲んで、主人には家で休んでいてもらって、携帯電話を握り締めていきました。必要最低限のお買い物でしたけれど、小さな達成感がありました。こんな風に、小さな前進が出来ていければいいなあ、と思いました。具合が悪くなるときは、崖から転がり落ちるようなものですが、回復は足元を固めつつ小さな努力しかないのだなあ、と改めて実感。でも嬉しいことでした^^。
2006.04.19
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ヨークシャー・テリアのブリーダーが、崩壊して保健所の手が入ったそうだ。乱繁殖のブリーダーの手に残ったのは、子供を産みすぎて歯の抜け落ちた親犬・顎まで無くなってしまった犬もいる。うちにもヨーキーがいる。悪徳ブリーダーの手からお金で救い出した犬である。ネズミのように生きていた片手に納まるほどの犬だった。小さいほど売れるから、ブリーダーは良かったのかもしれない。でも家に来てからは、小さめだけれど大きくなった。今、彼女は繁殖期。我が家にいては繁殖は出来ない。でも、繁殖の先にあるのは子供の幸せかしら?分からない。私には13歳になるプードルがいる。私にしか馴染んでいない。彼も子孫がいない。これが正しいのかしら?あまりに人工的な環境だ、と思う。愛情はある。精一杯ある。でも報われない気がする。人間て正しいのかしら???
2006.04.18
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春独特の気候の乱れが、今年は激しいように感じます。気候の変動に伴う災害で被害を受けられる人々は、本当に気の毒に思います。私の住んでいる隣の市では、今、自民党と民主党の選挙が行われて賑やかなんだそうです。この間、本を読んでいてふと思いました・・・・・・。「男の人も大変なんだなあ・・・・・」と。生まれてから、「男の子なんだから」という枠の中で生きてこなければならなかった。。。「男の子だから、我慢」、「男の子だから、強くなけりゃ」、「男の子なんだから、泣くな」、男は女子供を守らなければならない」・・・・・・。「女の子なんだから・・・・・」という、枠もあるけれど、「男の子なんだから」の枠には「我慢」が強く求められているように思いました。大変ですよね、枠の中に入ってどう振舞っても自由に呼吸できない人は・・・・・・。
2006.04.12
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上野公園のホームレスが、お花見客相手に場所取りをして、1人に付き千円を頂戴しているというニュースがあった。公共の場所だから違法だけれども、それが彼等にとってはボーナスみたいなものらしい。多くの人は、ホームレスの場所を避けてお花見をしていて、却って彼等の取った場所の青シートが目立った。そして、彼等の1人が逮捕された。ホームレスになる人々には色々な事情があるだろうから、想像だけで何も言えないけれども、中には健康で働きたい人や、年老いて病んでいる人もいるだろうに、と思う。民主党のお花見とはずいぶんと違う世相である。67歳の女性が、警備中の刑事さんを売春目的でホテルに誘ったそうな・・・・・。女性としては、とても哀しいニュースである。動機がわからないので何とも言えないが、せめて生活費の為であってほしくはない気がする。ニンフォマニア、といったかなあ、性的に自制の効かない人だったら、まだしも救いがあるかなあ、と。病気だから・・・・・・ア、性質か。。。そんなことを感じた今日でした。
2006.04.04
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PCは、マウスを変えてから快調です^^。夕方に強い雨と風が吹き荒れました。満開の桜は、重そうな枝を揺らせながらも花は耐えていました。強いですね・・・・・。散るまでの命・・・・・・でも、そのときまでは凛と咲いている桜。日本人の感情を駆り立てるのはそういう性質の所為でしょうか?夜桜は、花灯り、とも言えるような薄紅色の花びらが幽玄さを表していますね。怖いほどの魅力です^^。家のすぐ裏の神社の桜、見に行くことが出来ました^^。
2006.04.02
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昨日は穏やかでしたが、一昨日風が強くての前は、風が強くて冬の気温でしたね。そんな日は、風の音に耳をそばだててしまいます^^;。昔から、五風十雨といって、水干が調っていれば五日に一回の雨、十日に一回の風のはずなんですが・・・・・・。PCの不調のお蔭で、読書三昧をしておりましたが、最近は若い作家さんが多いですね。息子たちの読んでいるものが中心だったので、余計にそう感じてしまうのでしょうが・・・・・。日本語を美しく感じない使い方をしていますね。批判ではありませんが、ネットや携帯メールなどで簡単に連絡が取れてしまうからなんでしょうか。嘗ては、手紙という美しい習慣がありましたね。誰かに手紙を書きたくなりました^^
2006.04.01
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風もすっかり春めいて、桜の噂も聞く頃になりました^^。私は、まだまだ引きこもり中・・・・・・。今一歩が出ません^^;。家事も上手くこなせませんが、お蔭様で夫さんや子供達が何とかしてくれています。私は、犬3匹とお気楽にしていますが、犬もそろそろお散歩気分になりたいらしく、玄関先に出すといつまでも風に吹かれています。子供達が保育園の頃、何を思ったのか、「お花見に行くから、お弁当とジュースを用意して」と言われたことがありました。本人達は、敷物とおもちゃのマイクを用意して、裏のお宮さんの境内に咲く桜の花の下で宴会をしたそうです。あの頃も、引きこもりだったなあ・・・・・・・^^;。子供たちのお花見の情報源はTVだったのでしょうけれど、季節を大事にする生活は良いですね^^。そういえば、昨日は野球の世界大会で日本が勝って、決勝に進むそうですね。野球のルールも知らないのに、思わず観てしまいました^^。
2006.03.20
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今日は強い風が吹きました。「春一番」だったそうです♪季節は変わってきましたね。。。私の生活は、相変わらず低空飛行ですが、落ちてはいません(;¬∀¬)ハハハ… 今日は、知り合いにお祝い事があったそうで、巻き寿司の中にお花の咲いているお寿司を頂きました。私の住んでいる千葉の郷土料理の巻き寿司なんだそうですが、実はお目にかかったのは初めてなんです。お花の部分は食紅でほんのりピンク色で、葉の部分はほうれん草が巻き込んであり、軸の部分は干瓢が細く入れ込んでありました。食べてしまうのは勿体無いような、きれいなお寿司です。夫さんが帰ってくるまで、大事に取って置きます^^。夫さんの仕事の時間が不規則になり、かなり大変そうです。長男は通っている大学でのアルバイトが決まり、来週末から研修が始まるのですって・・・・・・。次男もアルバイトをしているので、私のこの不安定な時期は長男がだいぶ助けになってくれました。その長男もアルバイトが決まったので、私も少ししっかりしないといけません^^;。1人でもきちんとお留守番が出来るように・・・・・・。みんなにお弁当を拵えて、笑顔で送り出せるように・・・・・・・。一つ一つ、少しづつ少しづつ、できることが増えてくると達成感を得られます。これが大事 (*・ω・)(*-ω-)(*・ω・)(*-ω-)ゥィゥィ♪上手くいくと、その夜のお酒は美味しいです^^。まだ、これからチャレンジなので、今日はビールにしておきます。
2006.03.06
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約束を破りました・・・・・・。3.4月の予定は入れていませんでしたけれど、どうしても守りたい約束があったのです。やっぱり、守れませんでした。気の落ち込みようは、キツイです。こんなに、自分が弱っているとは思っていませんでした。。。。相手の方の気落ちまで引き受けてしまいます。最後の最後まで、期待していてくれたので・・・・・・・。こういう事柄は、後悔になって記憶に強く残ります。ですから、ニュートラルな感じでの約束で、先方は気にもしていないようですが、私の気持ちは、落ち込んでいます。哀しいです。こういう事柄の積み重ねで、自分の状態を知るわけですから・・・・・・・。明日は寒いようです。お雛祭りは寒いですね。。。今年はお雛さんを出していません。。。元気、下さい。。。
2006.03.02
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季節の移り変わりを感じる風です。季節が変わるということは、変化ですね。暑くて暑くて苦しいほどの熱帯夜もあれば、お布団の中でいつまでも手足が温まらない冬のときもあります。季節が変化せずに、ジッとしているときはありません。同じように、心のありようもいつも変化しているのでしょう。溢れるほどの感謝がいつの間にか色あせたり、積み上げてきた努力が実を結んだり、良くも悪しくも変化があります。変化があるのは常ですね。だから、落ち込んでいても落ち込みつづけることは難しいと思うのですね。テンションが上がって、ご機嫌を続けることも難しい・・・・・・。今、草花は土の中で根を張って、美しい花をつけるのために準備しているのね。私、実は実をつける花が好きなんです。だから、というわけではありませんが、とてもご恩のある先生に言葉をいただいたことがあります。それが偶然、実をつける花の言葉でした。「美しき花に良き実はなきものぞ 花を思わず実の人となれ」と、いう言葉です。深い言葉で、まだ全然身についていません。言葉に負けない人になるためにガンバリます^^。
2006.02.27
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上手い具合に、睡眠時間のパターンが決まらない^^;。やはり、人間は明るいうちは起きていて暗くなったら眠るものだと、こういう時期はいつも思ってしまう。でも、意識的に操作することも侭ならず、自分の体内時計の進むままにしている。今年は梅を見に行けないなあ・・・・・・・。昨日、NHK教育で「女性の鬱病」についての番組をやっていた。思うようなことが何一つ出来ないこと、それに自責を感じるので本人はとても辛いこと、何気ない言葉で深く傷ついてしまうこと。。。引きこもってしまうこと。。。同じだア・・・・・・・。違うのは、パニックは出かけること自体が恐怖であること、かな?出かけること自体が、億劫なので、出ることを考えない。。。夕べは、思考がマイナス方向に行ってしまって、辛かった。根がお気楽ものだから、人の僻みや妬みを受けたときに即感じ取れないのである。で、友達から、「エライわね。何気なく聞き流せて・・・・・」と、言われたりするのだけれど、感じていないからで、悟っているわけではない。で、そんなエピソードの幾つかが、想いの中に甦ってしまうのである。悟っているわけではないから、すごい時差があっても傷付いたり哀しくなったり悔しいと思ったりする。却って、誰に言うにも時差がありすぎて、見当違い過ぎるから、誰にも言えない。だから、発酵してしまうのかしら・・・・・・・。誰か聞いてくれる人がいたとしても、素直に言える自信がない。でも、朝起きてみたら、そういうマイナスな気持ちが飛んでいた^^。曇りや小雨でも、昼間は昼間なんだなあ・・・・・・・。一日の始まりまで、暗い気持ちで迎えたくはないもの。麻が好きになった^^。良かった♪
2006.02.26
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寒の戻り、というほどではないけれど、今日は寒い。ストーブを点けている。電線にスズメじゃない嘴の長い鳥が、風に吹かれてバランスをとっている。寒暖の差がある今の時期は、私たちも体のバランスをとるのが大変・・・・・・。家の中のお片づけも、そろそろ許容範囲の限界に来ている^^;。思うことは思うし、感じていることは感じているのだけれど、体が思考に付いていかないじれったさがある。もうすぐ春になる。外出が出来ないまでも、家の中くらいは何とか動けるようにならないと・・・・・。
2006.02.24
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酔っています。だから惚気ます。レインは3歳半で、ウチの仔になりました。原因はブリーダーの離婚です。保険所送りの中から、一頭だけうちで引きよりました.運ばれてきたゲージの中から引きずり出されたレインは不安でいっぱいでした。私は、レインの震えの納まるまで胸に抱き、背中を摩りつづけました。人に抱かれたことの無い仔。離乳食をいつまでも食べさせられて、歯がぼろぼろになっていた仔。初めてのうちの仔でした。夫さんが、丸裸に借り上げられたレインのお風呂を担当しました。レインは鼻腔から水が入り、苦しそうでした。でも、レインは可愛かった、尊厳を備えていました。だから、私は自分の布団に入れました。夫さんには叱られたけれど、彼はレインは生きる道に不案内だったのです。それからずっと、レインは私と一緒です。レインは私だけに懐いています。私の調子がどうか、というのもレインの方が敏感です。私がパジャマから着替えようとすると、機嫌が悪くなります^^;。毎日、レインと話しています。「今日、私はどう?」「落ち込まないで」と私の頬を丹念に舐めてくれます。今日も人間ででいいんだな、と思う瞬間です。
2006.02.22
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ジャケットを片手に歩いている人がいるくらい暖かい一日だった。家の中でも半袖Tシャツ一枚でOK!花の蕾も膨らみそう 。+.゚ヽ(*´∀`)ノ゚.+。 毎年、後一ヵ月後くらいには桜が満開になる^^。その頃には、花冷えもある。季節は確実に移っているのだわ・・・・・・。時間は、今の私にとって非常に大事である。時間が解決することは意外に多い。全てのことが、何時までも同じ状態でいることは無いのだもの。何がどう変わるのかは分からないけれど、そしてどのくらいの時間がかかるのかも分からないけれど、変化はする。自分に都合が言いか悪いかは全く関係なく・・・・・・。日差しがとても柔らかかったので、我が家の3匹の犬のうち2匹がお風呂に入れてもらえた^^。チワワくらいの大きさしかないヨークシャー・テリアのバビはお風呂から出てきて、「アタチ嫌だったの!とっても!。お兄ちゃんたら、シドイと思う。フン!」と、プルプルしながら怒っていた。ワイヤー・ダックスのクッキーは、用意してあった2枚のタオルに自分から体をこすりつけてタオルドライをする。「気持ち良かったのよん。よんったらよん♪」という調子で、ブラシまで終わったところで私の膝で眠ってしまう^^。トイ・プードルのレインは、私が一緒に入らないといけないので、今日は蚊帳の外。でも、プードルは体臭が殆ど無い犬なので、ゆっくり入れる日に二人で入ろうね、お風呂。今日は、大好きな沢庵が出来たそうで頂いた。お魚を焼いて、純和風のお夕食にしよう♪
2006.02.22
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窓から見える人たちは、コートの丈が短くなっている。換気のために開けた窓からは、生暖かい風が入ってくる。これからは、一雨ごとに春めいてくるのかなあ・・・・・・^^。今朝は、5時ごろまで眠れなかった。オリンピックのお蔭と本があるから、退屈はしない。6時過ぎに帰ってくる夫さんのために、お鍋を用意して、うつらうつらしていた。何やら、夫さんと言葉を交わした気がするけれど、夢の中かもしれない。目が覚めると、午後2時だった。お酒が切れてしまった!!!今日のお惣菜の材料とお酒を息子に頼む。力仕事は不得手だから・・・・・・^^。お夕食は用意するつもりだったけれど、殆ど炊事をしない次男を何故か長男がコーチして、準備し始めた (∵)・・・・・(→o←)まじぃ!! まな板に向かう次男に、長男が野菜の切り方などを指示している。そして何故か、またお鍋・・・・・・ま、いちばん簡単だから♪驚いたことに、その後お風呂掃除を、また長男が付き添う・・・・・・?どうしたんだろう?我が家での自立支援活動か?ま、何か考えがあるんでしょう^^。お天気予想によると、明日は晴れでお散歩日よりらしい^^。窓を開けて、本が読めるん♪今の必需品。タバコ・お酒・ノートとペンシル・紅茶・ジュースが少し・文庫本。毎日の活動。レインとバビとクッキー(みんな犬さん)のご飯とお水のお世話と、トイレのお世話。遊んであげること(レインは年寄りなので、殆ど眠っている)。お気楽じゃん!
2006.02.21
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「幸せを自分の内に見つけるのはやさしいことではない。 しかも、自分の内以外に、幸せを見つけることはできないのだ」 アグネス・レプリアー(アメリカのエッセイスト)お金を拾い、嬉しそうにしている人を見て、、、そんなに嬉しいのなら、お金を拾ってみようと考えた人がいました。お金は落ちていないか~?と、探してみますが、簡単には見つかりません。そこで、自分の小銭を取り出し、わざと道に落として拾ってみましたがちっとも嬉しくないのです。 あの人は、あんなに嬉しそうにしていたのに……なぜ?何度も、小銭を落とし、拾ってみますが、やっぱり何ともないのです。そんなことを繰り返しているうちに、わざと落としたお金が転がり溝に落ちてしまいました。あわてて手を突っ込んで、小銭を探しますが、なかなか見つかりません探し続けて、やっとの思いで小銭を見つけだした時、ニッコリ笑ってこう言いました。「なるほど、、無くした物を、また手に入れるって嬉しいことだね」悩み苦しいときにこそ、今まで気づかなかった自分の力に気づいたり、人生において、本当に大切なことを知ったりします。不幸な出来事や失敗が、自分を大きくしてくれるようですね。人生は、その人の準備が整った時に、最適なタイミングで、その人に必要な「本当に大事な気づき」が与えられるようです。ただ、それは自分が思っている時期や形ではない事が多くうまくゆかない!と思いがちですが、考えてみれば今ここでこうやって生きていられる事こそ、これまでの願いが何らかの形で数々の叶えられてきたからかもしれません。すべては自分のなかにあるのです。幸福も不幸も、天国も地獄も、願いが叶うも叶わぬも。総て自分の中に答えがあります。私たちが出会う試練は、それらを思い出す為にあるのかも知れません。苦しんだり、悲しんだりした人が、多くのすばらしいことを思い出せるラッキーな人なのかも知れません。
2006.02.20
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