愛・様々な空間・・・余裕の空間・・・samazama~

愛・様々な空間・・・余裕の空間・・・samazama~

PR

×

Profile

samazama2006

samazama2006

Calendar

2007.02.13
XML
 今年も奈良は”お水とり”があります

お水とり.jpg

 もう1250年余りも続けられております、それが長い短いはそれぞれの考えがあり「短い」「イイヤ長い」といわれる方もいらっしゃることでしょう。

 正確には東大寺二月堂修ニ会(お水とり、お松明、とも)これは・・・天平勝宝4年(752)、東大寺開山良弁僧正(ろうべんそうじょう)の高弟、実忠和尚(じっちゅうかしょう)によってはじめられたと伝えられます。以来一度も途絶えることなく続けられ、平成19年(2007)には1256回を数えるとのことのようです。

 この法会は、現在では3月1日より2週間にわたって行われていますが、もとは旧暦の2月1日から行われていましたので、二月に修する法会という意味をこめて「修二会」と呼ばれるようになりました。また二月堂の名もこのことに由来しています。

 行中の3月12日深夜(13日の午前1時半頃)には、「お水取り」といって、若狭井(わかさい)という井戸から観音さまにお供えする「お香水(おこうずい)」を汲み上げる儀式が行われます。また、この行を勤める練行衆(れんぎょうしゅう)の道明かりとして、夜毎、大きな松明(たいまつ)に火がともされ、参集した人々をわかせます。このため「修二会」は「お水取り」・「お松明」とも呼ばれるようになりました。

 このお水とりで使う水は” 若狭の小浜 ”から水を地中深いところでつながっており、送っています。

 12月16日(良弁僧正の命日)の朝、翌年の修二会を勤める練行衆(れんぎょうしゅう)と呼ばれる11名の僧侶が発表され、明けて2月20日より別火(べっか)と呼ばれる前行が始まり、3月1日からの本行に備えます。そして3月1日から14日まで、二七ヶ日夜(二週間)の間、二月堂に於て修二会の本行が勤められます。

 「修二会」の法要は、正しくは「十一面悔過(じゅういちめんけか)」といい、十一面観世音菩薩(じゅういちめんかんぜおんぼさつ)を本尊とし、「天下泰平(てんかたいへい)」「五穀豊穣(ごこくほうじょう)」「万民快楽(ばんみんけらく)」などを願って祈りを捧げ、人々に代わって懺悔(さんげ)の行を勤めるものです。前行、本行をあわせてほぼ1ヶ月、準備期間を加えれば3ヶ月にも及ぶ大きな法要となります。



 上記の「人々に代わって懺悔(さんげ)の行を勤めるものです」こういった行いは色々な場面で出くわしますが、これはイエス・キリストの罪の贖いににているなあと・・・

 日本はシルクロ-ドの終点だしそういった行為が形を変えて残っているのかな?とか、話は飛躍するかもしれないが、イスラエルの十二部族(アブラハムの孫でイスラエルと改名したヤコブには12人の息子がおり、彼らの子孫が” イスラエルの十二部族 ”、あるいはイスラエルの子らと呼ばれる)「あの失われた12部族」の一部が日本にたどりついたとかなんとか・・・

 結構このあたりは詳しくないが、興味だけが先走りしているところです

 作家 松本清張 氏の本が好きなのはこのあたりからです(私的な面)

 そのお水とりですが・・・イイヤ修ニ会をさらに詳しく

・・・・詳細といっても概略ですが、寺と僧、そして社会の1年の準備で、水の外に南天や椿の造花約400個などの行の必要物品を作ったり声明の練習をしたり、そして精神的なものと両方を行います。「前行」では本行のための準備をし、「本行」では、1日に6回の行(「六時の行法」という)を行う。この六時とは、「日中、日没、初夜、半夜、後夜、晨朝」である。

 修二会の意味は、十一面神咒心経(しんじゅしんぎょう、玄奘三蔵訳)にもとづくものでその本尊である十一面観音の前で全ての罪や過ちを懺悔することにある。これは11人の練行衆(参篭、おこもりする修行僧)が人々に代わり本尊に個人だけでなく国家や社会が犯した全ての罪や過ちをざんげし罪障の消滅とともに仏の加護を願うという、悔過を行い国家の隆昌を祈る。

 これは練行衆は数珠をすって礼拝しながら十一面悔過の声明を唱え本尊の四周をめぐる。これは多くの人々や国家の罪や汚れをはらうと同時に、それらの人々の除病延命を祈るための行なのである。その中で僧と寺と仏教と国民と国家がつながり、それぞれの反省とリフレッシュがされ繁栄を祈る。これが修二会の核心部分であり、 お松明はその一部である

 お松明は各日のクライマックスとなる初夜の行へ二月堂に上がるための灯りにすぎないものであり、それを二月堂の周囲の舞台で炎の華やかな演出をしたものであり、 火の粉を浴びると1年間幸いと健康を得られるというのも宗教的根拠はないと実は東大寺は言っている 。しかし決してそうではないと。あれはそれまで別火(世間とは異なる火、火打ち石で出した浄火)として隔離してきた浄火(浄められた火)を全ての人に与えているのであり幸いと健康が得られるというのも意味があるのだ。世界の全ての人を罪穢れをぬぐい新しい1年を始めるというすばらしい行事なのです。

 以上・・・・これも東大寺二月堂修二会関係のHPより引用しました

 希望として・・・本当に今の時代祈ることが大切なような気がします。

 毎日が一年の始まりだったならば・・・・また明日から・・・また明日からと・・・本当に毎日が毎時がクリヤ-にしていきたいナアとこの”お水とり”を考えているのも悪くないが成長がないかな?












お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2007.02.13 10:30:15
コメントを書く
[様々な考え(思想・宗教・・)] カテゴリの最新記事


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

Comments

北の俳人 @ Re:サクラ サク ・・・(03/23) こんばんわ どうしてますか? ちょっと…
ikurin917 @ Re:サクラ サク ・・・(03/23) おひさしぶりです!!! なかなか写真だ…
tkmi @ Re:サクラ サク ・・・(03/23) 遅くなりましたが帰ってきました。 桜が…
ぴかリン @ Re:サクラ サク ・・・(03/23) さまざまさん、お元気ですか? 体調を崩…
北の俳人 @ Re:サクラ サク ・・・(03/23) こんにちわ お元気ですか?

Archives

・2026.10
・2026.09
・2026.08
・2026.07
・2026.06

© Rakuten Group, Inc.
X

Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: