東京でOLしていたときは建設業勤務でした。
社員は宅建試験目指して、社内講習会も開催され
私は入社2年目のとき、当試験に挑戦しました。
当時はまだ自宅通勤しており、同じJR常磐線沿線松戸駅近くに男子寮がありました。
そこに3年上の先輩がおり、その人に毎週日曜日松戸市立図書館で
受験勉強を教わっておりました。
10月第3日曜日が本試験日だったのですが、結果は不合格。
先輩に合わせる顔がなく、それ以来
1本かけれなくなってしまいました。
年が明けて1月下旬に、浦安寮に入寮しました。
地下鉄東西線なので、その先輩とは違う通勤電車となりました。
2月に前年結婚退職した女性社員のところに、Birtdayなので
しました。
しかしその女性は結婚式を予定していた直前に、身内に不幸があり
式が延期となってしまいました。
これから先どうなるかはっきりしなかったこともあり、松戸寮の男性とも在勤中は仲良かったのに
音信不通になっておりました。
それから4月になって、その男性は静岡西支店(浜松)に転勤することになりました。
退職した女性のところに再び
し、是非3人で送別会を開こうと私のほうから打診したのです。
「静岡じゃそう遠くないから、上京するのもすぐできるでしょう。」
最初はそんなことを言われておりましたが、このchanceを逃したら
これから先もずっと延期になってしまう。
確かに私もその女性も、お互いいろいろあったけど
「いつまでもこだわっていたら ×× だ。」と言う事で、強引に誘ったのです。
送別会はその女性のバイト先近くと言う事で、新宿で開催しました。
1年ちょっとぶりの再会と言う事もあり、昔話で盛り上がりました。
それ以来その女性は東京本社だと自分がかつて在勤していたから
しづらかったのが
静岡西支店だと掛けやすくなり、同じ経理課と言う事もあり
仕事で質問があれば
してくるし、ついでにprivateな話までも
昔と同様できるようになりました。
「やはり強引に誘って良かった。」そう自負した私はその男性へ社内便を送付して
東京の情報を知らせたりと、また宅建試験前と同様いやそれ以上の仲となりました。
現在振り返って思うのはいろいろあったからと言って、いつまでもこだわっていたら××ではなくて
いろいろあってもいやあったからこそ、かつての友情を今まで築き上げてきたものを
大事にしなくてはならなかったと、自覚するようになりました。
私だって人間なのだから、きれいさっぱり忘れられる悩み事ばかりではないし
気が済むまで言いたい放題言うときだってあります。
しかし私の場合だと「何お前そんなこと、いつまでもグタ゛グタ゛言ってんだ。」と言われてしまいます。
こんなとき私以上に執念深く言い続けている人を見ていると、うらやましいとは思わないけど
不公平だとは思います。
ただそうやって忠告してくれる人がいてくれたお蔭で、今までの人生で大恥だけはかかされずに済んだ。
それを思えば自分の性格の中で、最も注意すべきpointだったのかもしれませんね。
民宿みすまるの家 <座間味島>
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