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3泊4日。妙に長かった。自信もなくしたし、パパにもムカついた。パパも私にイライラしてたし、帰るバスの中では日本移住は私が無理だと両親に言おうと心の中で決心してた。何故だろう。一人で来たり、子供と来たときはこれほど大変じゃなかった。いろんな所に行ったけど、いつも周りの日本人たちと同じように歩き、迷うこともなかった。なのに、今回はオロオロしっぱなし。人ごみの中でうまく歩けないし、どうやって乗換えまでたどり着くのか、どこの出口に行かないといけないのか、何だか頭が正常に動かない感じだった。「遅い」「気が利かない」「要領が悪い」散々言われた。パパのムカつく行動については置いておいて、正直私は自信をすっかりなくした。確かに私はすべてにおいてギクシャクしてたと思う。何でもパッパとスムーズに事が運ばないと気がすまないパパ。特に自分の思う段取りで進めないと「遅い」「要領が悪い」ということになってしまう。ここにいたら、私は何も分からないから、何も言わずパパの言うとおりに事を進める。それが遅かろうが、間違っていようが気にしないことにしてる。だけど、日本では私が事を進めないといけなくて、それがパパのイライラの原因を作ることは間違いないのだ。「こんな通勤は出来ない」「自分がもしかして後で学校に行くときのために関係のない仕事をするのは意味がない」良いんだけど、間違ってるとは言わないんだけど・・・。今は家族のために何でもやるよ、と多少苦労しても頑張るよ、とどうして言えない! と私の心の中では怒りと失望がフツフツ。分かってることなんだけど、これがカンナムのオボッチャンなのよ、と知ってるんだけど、本当にこれだけはいつもがっかりさせられる。全てが私にかかってくる日本の生活。パパは間違いなくイライラモードに入るだろうに、本当に上手くやっていけるんだろうか。私がさっさといろんな事を処理し、パパの気分を何とか盛り上げ、子供たちが日本の生活にとけこめるように助けてやる。どこの母親も当たり前にやっていることなんだけど、アメリカではそれでも私なりにこなしてきた事なんだけど、この自分の国でできるか自信がないなんて。結構ブルーだし、ショックでもある。こんなに自信をなくして帰ってくるとは思わなかった。母に「帰ってくるの?」と聞かれた時に、はっきり帰ってくると言えなかった。私の顔を見て、何か感じる所があったんだろう。「無理しないでね」と言った。母は進行が確実に進んでいる。この前できていたことが大変になるくらいに。それでも人工呼吸を拒否し、今最大の問題胃ロウをつくることも拒否していて、その意思は変わらない様だ。帰る日にギリギリで最後にもう一度病院に行って、担当医に会ってきた。「お母さんの意思は本当に固いです。でもそれをわがままだとは思いません。できるだけお母さんの意思に沿ってあげたいと思ってます。」そう言ってくれる医者は実はとっても少ない。大学病院の医師でもある若いその先生は、家族にも本当に親身になって話してくれる先生だ。病院側を知ってる私は、今の母の頑固な申し出がどんなに面倒くさいものか承知している。口や飲む込む力がなくなってきてる母はむせる事が多く、間違って誤飲してしまえば、肺炎になり命取りにさえなるという。実際この病気の患者はこの肺炎などの感染症で命を落とすことが多いそうだ。だから、母の意向を無視して胃ロウをつくってしまえばそういった事故を防げるし、介助する側も簡単だ。毎回母の誤飲を気にしながら、時間をかけて食事を与える、しかもその危険性から看護師以外には介助をさせてないという事は、病棟側にはとても大変な仕事だろう。母はパパにも会えて嬉しそうだった。息子である私の弟よりよっぽどほれ込んでいる婿なので、ずっとパパを見ながら「格好いい」と何度も言い、パパを困らせていた。帰るときはやっぱり母は泣いた。私はもう泣かない。泣く気持ちにならなくなった。だけど母が今回は取り乱して泣いた。何でそんなに泣くのか分からないくらい泣いた。泣きながら「行って!」と言い、ワーワー泣くので、私も涙が出てきた。「お母さんが泣いてたら行けないよ」とつい言ってしまった。・・・なんであんなに泣いたんだろう。今でも妙に心に残っている。韓国人は日本や日本人を見て感心するけど、自分たちは出来ないしやりたいとも思っていない。その気持ちが分かっちゃうような気がした。日本にいる日本人って偉い。いろんな事我慢しながら、見返りも期待せずに毎日満員電車に乗り、会社へ行き、残業までして帰ってくる。家では両親の助けも借りずに子供たちを育て、家計をやりくりして、夫に感謝をする。もちろん、みんながそうじゃないだろう。だけど、一般的に見て、韓国の生活は本当に楽にできてるなぁと思った。一回そんな風に自分に厳しく生きてみても良いんじゃない?と思う気持ち、何をわざわざ苦労しに行くの?という同じ日本人妻からの意見・・・でもきっと運命の道ってあるだろうと思っている。行く運命だったら行くんだろう。そして私たちは行く方向で準備を始めるのだ。
Jan 29, 2005
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パパと日本に行ってくる。行くまでにビザの事でもめたりして、いくら日本人と結婚しても外国人が訪問することすら面倒くさいと思われた日本。取りあえず法的には韓国に外国人が住むのはあまり面倒くさくないので(あくまでも配偶者の場合)、それにすっかり慣れてしまったわたし達は、日本のビザ、日本での外国人がやらなければならない手続きなどを調べるうちに何だか大変なことをしてるような気がしてきた。それでも「カバヤジ(行ってみなきゃ)」と言うことで明日から3泊4日行ってくる。メインはわたしの就職の面接。3箇所まわらないといけないので、結構忙しそうだ。わたしたちを先立って、ハラボジが昨日まで2泊3日で日本に行っていた。もちろん仕事で行ったのだが、今までにも何回も日本に行ったことのあるハラボジ。それでも今回の日本訪問はかなりのカルチャーショックだったそうだ。今回は「これから息子夫婦が日本に住むぞ~」と思いながら日本の街中を注意深く見てきたハラボジ。「ノエドル サルゲンナ~?(お前たち、住めるのか→やっていけるのか)」と何回も言う。何でそんなに言うのかと思った。ハラボジの目にはすべてがチョコチョコ小さく細かく並び立つ日本の街。何もかもが複雑でお金がかかる日本。そして何よりも右ハンドルで左側通行の日本。(これは左ハンドル右通行の国の人たちにはとても不思議でおかしなものらしい)「行って見てきますよ。」とパパは言った。物価は世界トップを争う高さなのに、住みやすい国第4位の日本、一度住んだ韓国人はなんとしてもまた戻りたいと言う国日本。ハラボジの感想と裏腹に何か日本に特別なエキスでもあるかのように中毒になる人たちもいるのも事実。正直、わたしも不安だ。ほとんど10年ぶりの日本の生活はわたしにも少なからずカルチャーショックを与えるかも知れない。自己責任と反省が大好きな日本人、ルールが重視で例外と言うものがほとんど認められない日本のやり方、昔はわたしも同じことをしてたのに、海外でずれてしまったんではないか。エスカレーターに乗ったら右側を空けておく、ショッピングカートに子供を乗せてはいけない、日本では当たり前のマナーがすっかりなくなってしまったんじゃないか。今度の日本訪問は初めてパパと行くことになる。9年前、パパがわたしを訪ねに来てくれて以来の日本訪問だ。パパが一番恐れている電車生活を見せないといけない。日本人のように生活する、実はこれ似てそうで似てない韓国人の生活をしてきた韓国人には「恐ろしい」課題なのだ。先日8日間の日本滞在で感じたことを書いた韓国人の歌手を取材した記事の中で一番最後に出てきた作家のコメント「私は日本では息苦しくて窮屈で住めないですよ」『殴り殺される覚悟で書いた100年ぶりの親日宣言』と言う本を書いた彼の正直なところだ。今回の訪問で、母の所にも行く予定。やっとパパを会わせられる。結婚式以来だ。結局胃チューブを入れなかった母は、最近むせること多く、誤飲が一番の心配だそうだ。今までいた病室から、酸素のある部屋に移った母。万一に備えてだろうけど、かなり母にはショックだったようだ今年に入ってから進行が早くなっていると告げられた弟。弟もかなり心細いんじゃないか。いつ来るのかとよく聞いてくる。ハラボジもお見舞いに行こうとしてくれたんだけど、時間がなくて行けなかったそうだ。タクシーに乗ったらすぐ行けるはず、と韓国でのように考えていたハラボジは、同じ市内なのに遠く、タクシーは嘘のように高いことにもショックを受けたようだ。帰ってきたらいろんな事がはっきり具体化するだろう。まずは行って来てみます。
Jan 23, 2005
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まず、サウジの留学生たちはみんなお金持ちだ。というか金持ちの息子ばかりだ。いくら台湾や韓国からの学生も比較的家庭が豊かだといっても、サウジの学生には勝てないだろう。留学生をルームメイトにと言っても、ヨーロッパ系や中東系などの学生を取るほど勇気があった私たちじゃない。日本人、韓国人と聞けば安心する小心者の私たちだった。でもルームメイトは多ければ多いほど良い。それに来るものを拒むほど贅沢の言える状況じゃなかった。そんな中、家の中がいきなり国際色豊かになったのはこの時。先日話した日本人の男の子Sと私たちだけだったこの家にいきなりフランス人の女の子が入ってきて、そしてこのサウジの男の子も入ってきた。彼は、確かまだ10代。背が高く、見た目は結構良かったかも。ただとってもOutgoingに見える彼にちょっと不安を感じたパパは、この家ではパーティは絶対禁止、タバコは外でと言うことを約束させた。「OK,OK」と気軽に言う彼。これさえ守ってくれれば、結構楽しい生活になるんじゃない?と思っていた。さて引っ越してくる彼の荷物運びをパパが手伝っている。その家具の多いこと!全部持っている感じだ。何も持ってないフランス人の彼女には余分にあるマットレスを布団やシーツと一緒に貸してあげていた。とにかく気前は良い。私たちにも「自分のものみたいに使ってよ」と言っていた。そのサウジの彼、その約束をした数時間後に約束は破られた。荷物をある程度整理して出かけた彼。私たちも外出していたが、部屋に戻った。隣の彼の部屋からタバコの臭いがする。悪いと思ったが、ドアを開けて見ると中からすごい臭い。さっきまで吸っていたようだ。これにはちょっと嫌な予感。パパが彼が帰ってくるなり、「タバコは外で吸うって分かってるよね」と念を押した。彼は「Of course」と言う。「部屋からタバコの匂いがしたんだけど」「I don't know. I didn't smoke in the room. It's not me.」肩をすくめて平然と言う。でも見たわけじゃないから、その話はそこで終わった。そして翌日の朝。バスルームから煙が。パパがすかさず彼に文句を言った。彼はトイレに入るときは絶対吸わないとダメなんだと主張したけど、一人だけ例外を作るわけにはいかないと話し、彼ももうしない、と約束をした。彼は謝るときは本当に悪かったと言い、後に引くようなことがないので、パパもそこが気に入っていた。彼はとっても明るいので、どうしても静かになり勝ちなアジア人の家の雰囲気をすっかり変えてくれた。これは助かった。アジア人に混ざってたった一人フランス人はきっと居心地悪かったかも知れないのだ。サウジの学生が来たことで、彼女も結構楽しそうだった。この彼の悪いところは何でも「OK」と言うことだった。とにかく何でもOK。意味が分からなくてもとりあえずOKと言ってしまう。そしてある日、電話のBillを受け取りながら大興奮で怒っている。パパが何事かと聞いたら、電話のBillのなかでオプションだけで60ドルもチャージされていると言うのだ。内容を見て彼に確認をする。彼は「こんなオプションは知らない、申し込んでない」と言う。アラビア語のサービスはないので、パパが韓国語のサービスに電話をして、彼のアカウントについて問い合わせてみた。そうすると、最初に電話のラインを引くときにすべてのオプションを申し込んだことになっている、と言う。その話をして彼は「あ~、そのとき早口のアメリカ人がよく分からないことずっと話してるから、面倒くさいから全部OKって言ったんだ」と思い出したように言った。ずっこけそうになった。いくら分からないからって、こんなに無防備な留学生をはじめてみた。これも金持ちぼっちゃんのせいなのだろうか。その後も彼は携帯を持ったら、自分の自宅の電話番号と同じにするんだ、車のナンバーは電話番号と同じにするんだ、などなど「夢」を語ってた。それも全部お金がかかるんだよ・・・。でもそんなことは気にしない様子。彼は気前も言い分、気性も激しかった。家には犬が2匹いるが、「自分の家にも犬いるんだ」と言いながら特にちびの犬の方をかわいがってくれていた。そして、ある日そのチビHerculesが彼のソファーを汚してしまった。何で汚したかははっきり覚えてないけど、とにかくしみを作ってしまった。それを見つけて、血相を変えて彼はパパに怒鳴り込んできた。もちろんこれは飼い主である私たちの責任。彼が怒るのは当然。なので、「悪かったよ、すぐきれいにするから」と謝ったのだが、彼の怒りはおさまらない。「元のようにきれいになるもんか!」と言いながら「Your f○○○ing stupid dog」その他もろもろのFワードを並べた。パパは犬をこよなく愛している。その「F○○○ing Stupid Dog」でパパもプツン。二人は大声でのけんかになってしまった。彼のこのソファーの怒りに対して、パパは日ごろ我慢していた彼の自分勝手な行動や守らない約束に対しての不満が爆発。彼は「I'm going out」と言った。パパは「Fine」と言った。結局彼は4日間だけのルームメイトとなった。ルームメイトはたくさんいたけど、こんなに短いルームメイトは彼が最初で最後だ。次の日には彼はアパートを見つけてきた。共同生活は無理だと思ったんだろう。一人で住むアパートを見つけ、引っ越すことになったが、ここでまた問題が生じた。まだカリフォルニアの免許証を持っていない彼、トラックをレンタルしようと思ったが、できないのだ。ここに移ってくるときはそのときの知り合いだか友達が手伝ってくれたが、今回は頼めないと言う。仕方なくパパが借りてやることになった。そして引越しの手伝いもすることになった。彼はやっぱり気前が良いと言うか・・・。必要なもの、大きなものだけさっと荷造りすると、「後残ったものは使うなり、捨てるなりしてくれ」と言った。おかげさまで食器と色々使わせてもらったけど、困ったのはイスラム教の人が祈るときに使う絨毯みたいな布。(名前知らない)これだけは取りに来るだろうと思ったらそれさえ取りに来ない。電話では「分かった、後でとりに行くよ」と言っていたが結局彼は来ることはなかった。でも捨てることもできない。なんだか宗教のものなのに、捨てるのは大変ばちあたりだと思うからだ。そして今でも家のどこかに眠ってる。この彼、引っ越す前の晩もパパに硬い握手をしながら、涙を浮かべて「全部俺のせいだ。気分の悪い思いをさせて本当に悪かった。短かったけど楽しかったよ」と言っていた。本当に良いやつなのか悪いやつなのか分からない・・・。でも確かなことは悪気がないのが一番困ると言うことだ。
Jan 13, 2005
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二人目の日本人は男の子だった。私はK県出身だけど、一人目のMもこの子もやっぱりK県出身だった。この男の子Sは私より3歳か4歳若かった。日本で大学を卒業していて、そのときはALIにいたけど、後々(目の前の大学ではなく)医系で有名なSDの大学に入り臨床をやりたいんだとか言っていた。そんなSは常に人を馬鹿にしたような態度や言葉だった。ALIにいるやつらはみんな馬鹿だと言うし、ALIから普通コミュニティーカレッジに行きそして大学に編入してくるケースがとても多いんだけど、コミュニティーカレッジなんて絶対行かないと目の前に実際行ってる人がいるのに(私)堂々と言ってのけた。英語を練習したいのか披露したいのか、日本語を話せるパパに英語で話すのは良いとしても、日本人の私にまで英語で話すのは困った。私が日本語で答えても彼はずっと英語。ALIのクラスで先生が宿題を出したのだが、他の日本人学生が把握してなかったらしい。いつもまじめなSに宿題の内容を聞いてきたそうだ。「I don't know」が彼の答え。「あいつらはいつも遊んでて英語勉強しないからそんなことも分からない。僕みたいにラジオをいつも聞いてみれば?と言ってやった」と私に言う。(そういえばこの時は日本語だった)それにしてもなんと嫌なクラスメイトだろう。私だったら嫌味の一つくらい返してやるところだ。彼はそういう話を時々私にしてきた。人を下に見る話はよくあったけど、一番ぶっ飛んだのは「慶応の教授」が対象だったとき。何かの機会で彼は慶応の教授の講義を受けたそうだ。その講義の中でその教授は何か計算ミスをしたらしい。そのミスを捕まえて「慶応の教授は僕より馬鹿だ」と言い放った。別に差別するつもりはないけど、県内の小さな大学を卒業しただけど若造に教授が馬鹿だと言われる筋合いはないだろうなぁと心の中でひそかに思った。プライドの高い彼は決してコミュニティカレッジに行く事はなく、結局3年間ALIにいた。多分最長の学生だったんじゃないかな。ずっと馬鹿にしていたパパの行っていた大学もTOEFLスコアが足りず、他の分校に行ったとか行けなかったとか。彼が多分ルームメイトの中で一番長くいた人だ。彼の話や行動は別に人に迷惑かけるものじゃなかったので、それさえ目をつぶれば、彼はなかなか良いルームメイトだった。(ここまで言ってそれはないか)家賃は決まってきちんと払ってくれるし、その他の光熱費なども遅れることがなかった。いつも部屋で静かにしてるし、女の子をつれてきてイチャイチャなんてこともなかった。だから彼には力になれることはしてあげようとパパがフレンドリーにしてみたりしたけど、ちょっと仲良く話したと思ったら翌日はさっぱりという感じ。そんなあっさりした(?)彼はそんなに長くいた家を出るときも、まるで学校に行くように「じゃあ」と手を上げて言ってしまった。それっきり連絡もない。そして3人目の女の子は当時23歳だったと思う。彼女は留学に来たわけではなく、いとこを頼って生活をしに来たようだ。遊ぶと言うわけでもなく、行動的な彼女は近所の韓国人経営のすし屋の厨房のバイトをすぐゲットし、うちの大家さんのビジネスの手伝いバイトもゲットした。そうやってバイトして生活をするために来たような感じだ。彼女Kはその大家さんと付き合っていた。と言うと語弊があるかも知れない。二人の間には意識のズレがあったようだ。大家さんに言わせると、彼女と付き合っていると言うし、彼女は他に彼氏がいて、大家さんとは良い友達だと言っていた。そんな意識のズレから大家さんには相談を持ちかけられ、私は彼女から彼女の話も聞いてるので、一体どこまで本当の事を言って良いのか分からなかった。結局知らぬ存ぜぬで通したけど。日本では洋服のバイヤーとかをやっていたと言う彼女。責任ある仕事をいくつも任されていたという彼女はその仕事をあっさりやめて、SDに来たのだ。そして彼女はこっちで働きたかったらしい。私はワーキングビザってそんなに簡単に手に入らないよ、と言ったけど次の日に彼女は面接をこぎつけた。「わーさすがに行動的だわ」と感心した。彼女はそこでワーキングビザをもらえば良いと言っていたが、「その会社はビザがないこと知ってるの?」と聞いたら「そんな事聞かれなかった」と言う。結局面接には行ったが、そこはやっぱりビザサポートなどと言うものはしてない会社だったそうだ。それからも彼女の意欲的な就職活動は続いたけど、結局無理だったようだ。2,3ヶ月いたかな。その後は彼氏のアパートに引っ越していった。それからも大家さんとは時々ご飯を食べに行ったりしてたみたい。ある日大家さんが言った。「彼女の友だちと言う男がいるんだけど、ボクが彼女を送っていくたびにすごい目で見るんだよね。何なんだろう」そりゃ、彼氏は面白くないんだろうね。彼女はそれから日本とSDを行ったり来たりしていたみたいで、時々大家さんにも手紙が来ていたようだ。それは大喜びしてたけど、彼女が「サプライズがある」といって突然SDに来て大家さんに連絡したときは、ちょっと引いていた。やっぱりコミットメントが苦手な大家さんであった。来る物拒まず去るもの追わず、そして一旦去ったものはもういらない、のである。次はサウジアラビア人編
Jan 11, 2005
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私の記憶が正しければ、家にルームメイトとしてやってきたのは3人。まず最初の子は当時19歳(だったかな)の女の子M。この子はなんとも強烈な子だった。その大きな家に引っ越してきたのは、一緒に住もうと言っていたもう一人の韓国人の学生とそれからフィリピン人のおやじがいたからなんだけど、見事に裏切られ、その大きな家にパパと私の二人っきりになってしまっていた。家賃は大変だし、家は古くて寒いし、そのころ飼い始めたミニアチュアプードルのHerculesと3人寒さに震えながら暮らしていた。何とか早くルームメイトを探さないといけないということで目の前の大学のALIに募集を出したけどなかなか連絡はない。アメリカ人は入れるつもりなかった。私たちが一緒に暮らしてやっていけそうなのは留学生と思ったのだ。首を長くして待っていたルームメイト。そこへ電話してきたのがこの子だ。彼女はそれから1年以上住んでいたのだから、彼女のことをあまり悪く言ってはいけない。悪く言うつもりはないけど、結構驚かせる子だった。同じ日本人なのに、なんだか別世界に住んでいるような感じの子だった。人のものを借りたら借りっぱなし。しかも汚しちゃっても平気。かと言って、文句を言ったら「じゃ、弁償します」とあっさり言って弁償し、気を悪くした風でもない。なべを火にかけて忘れることもしばしば。最悪のときはそのまま出かけてしまい、私たちが帰ってきて気がついたということもある。シャワーをしながら洗った下着をそのままバスルームに堂々と干して、パパがびっくりしていた。そして彼女は「かっこいい男の子」が大好きだった。家から車で30分以上(彼女の場合はバスでだから優に2時間はかかっただろう)のところにPBと呼ばれるビーチがある。そこは他のビーチに比べて学生が多いし、にぎやかだ。そこはナンパの名所でもあって、彼女はそこに足しげく通い、ナンパをひたすら待つというのだ。格好よければ、家までついて行くという。それか電話番号を渡す。そして家に帰ってきて翌日あたりに電話がかかってくると、電話を切った途端に「キャー-----」と叫ぶ。何事かと最初はびっくりしてMのところに言ったけど「昨日あったかっこいい人から電話あったの~!!」と大興奮してるのを見たら、それからは気にしないようにした。ある時は、LJという所をフラフラ歩いていたら、モデルかタレントのエージェンシーらしき事務所を見つけたらしい。その事務所の窓ガラスに「とっても素敵な男の人」のポスターが貼ってあったそうだ。そのポスターの彼に惚れた彼女は事務所の中に入り「あの男の人みたいな人に会えるには、ここに登録したらいいんですか」と聞いたらしい。どこでも簡単についていったら危ないよとか何度か言ってみたけど、聞く彼女じゃない。この子は友達はたくさんいるくせに、何か困ったことがあると必ず私たちに言ってきた。まるでMの親のようだった私たち。顎か何かの治療をしたいのに、クリニックから「英語が分かる人を連れてきて」と言われた彼女。実はこんなに勇敢な彼女だけど、英語はお世辞にも上手とは言えない。で、私に白羽の矢が当たった。他に頼る人がいないといわれると、断ることもできない。それから車のない彼女のために運転して連れて行ってやり、クリニックで通訳をしてやり、書類を書いてやった。すでに家を出て行き、LAの学校に転校して行ったMはある日突然電話をしてきた。そして「車が壊れて修理してもらってるんだけど、助けてほしい」と言ってきた。仕方なく迎えに行くと、その車を売って帰りたいという。彼女が買ったディーラーに連れて行ってほしいというので、彼女の車で行く。そこで彼女の代わりに交渉をして、(売るというのにピンクスリップも持ってこなかった!!)何とかまとめて、ディーラーの人に私の車がとめてあるところ(彼女の車を修理したところ)まで連れて行ってもらい、この後どうするのかと聞くと「行くところがない」という。そして彼女を一晩泊めて、翌日ダウンタウンのグレイハウンドまで連れて行ってあげた。そのときダウンタウンで髪も切りたいと付き合ってあげたのは言うまでもない。彼女の珍話は話し始めたらキリがない。彼女のやる事すべてに悪気がないのが特徴。だから怒るというよりあきれることが多かった彼女との生活。一度はSDに戻ってきたらしいが、その後どうしてるかは知らない。
Jan 10, 2005
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フリーページに昔チラッと書いたことある私たちが以前住んでいた家とルームメイトの話、書いてみたいと思う。ルームメイトの話になる前に、この家の大家さんの話からしないといけない。この大家さんはもちろんアメリカ人、でもかなり個性的な人だった。この大家さんは他に7件家を持っていて、全部貸してマネージしていた。その他に自分の小さなビジネスもやっていた。彼のガレージがそのオフィスだった。その大家さんは40代の独身。独身主義者だった。「カリフォルニアでは結婚してなくても長く一緒に付き合っていたら、夫婦のように財産分与の請求ができるんだから、気をつけないといけないんだ」と言いながら、見る度に違う女の人を連れていた。彼は面白い人だった。すごくだらしないし、怠け者だし、パートナーとしては絶対嫌だなぁと思うけど、彼のそばで彼を眺めているのは楽しかった。彼が付き合うのは絶対アジア人だった。アメリカに住んでいても、留学に来ていてもとにかくアジア系の女の人しか興味なかった。私は会った時からパパと付き合っていたので、彼の対象外だったけど(!)その代わり、後々私は彼の相談役になった。彼を良く知ったのは、彼のその小さなビジネスのアルバイトを始めたときだ。彼のテナントもやはり外国人留学生が多くて、正規で働けない彼らによく小さなアルバイトを作りやらせてあげたり、ということをよくしていた。彼のビジネスはそのガレージで組み立てたものを売ること。私はその商品のパーツを点検して、組み立て、梱包して、注文が出たらその品物を用意してUPS(宅急便みたいな会社)が着たら渡す、のがメインの仕事。その他に物品を整理したり、お使いを頼まれたり、顧客へのメールの準備をしたり、こまごましたこともやった。彼がマネージする家のテナントから家賃を受け取ったり、記録するのも私の仕事だった。そんなわけで、彼の公私ともどもいろんな事を知ることになる。だから彼の口癖は「Galoは僕のこと良く知ってるから」だった。そんな彼からは彼女の相談も受けたし、日本人の女の子を見つけるには(彼女として)どうしたらいいかとか、色々アドバイスを求められた。そのアルバイトは何年やっただろう・・・。イパルを妊娠して、出産する前日までもやっていたし、引っ越してもう私たちの大家さんでなくなった後もやらせてもらっていた。彼は今でも自分が貸している家のひとつの敷地内にあるワンルームプラスオフィスに住んでいる。SDから車で数時間の山の上にある別荘を週末に少しずつ自分で直しながら。10年後には持っている家の価値がものすご~く上がり、すべてのローンが終わって、一人気楽に山の生活をするのが彼の夢だそうだ。そんな彼は、小型飛行機も操縦するし、ボートで釣りにも行くし(捕った魚をいつももらっていた^^)、自分でビーフジャーキーも作るし、キャンピングカーを買ってそこにも住むし、本当に趣味に生きる、自分のやりたいことを全部やってしまう自由人だ。次はルームメイト物語-日本人編
Jan 9, 2005
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それは妹からのメール。妹と言っても腹違いの妹で私とは13歳も年が違う。父のお嫁さんがこの妹を妊娠してちょっと後に私は母の元に行ってしまったため、妹はまさに「降って下りてきた」ような存在だ。それから先も一緒に住む事はなく、年に1度、2度会えば良いほうだった。それでも妹は私の事を「お姉ちゃん」と言って慕ってくれ、時々手紙もくれた。弟は妹と何年か一緒に暮らしたので、私より妹を近く感じているだろう。弟がすっかり自立した後もメールの交換をまめにしてたり、妹の事を結構かわいがっていた。この妹と最後に会ったのはイパルが9ヶ月の時。日本に帰っていて、イパルを父と祖母に見せようとたずねた時だ。彼女はその頃高校生。子供の頃の面影は残っているけど、すっかり日に焼けてギャル風になっている妹を見るのはちょっと不思議だった。話しかけようにも、何だかくすぐったい感じだった。それから私と父がある事から連絡を一切しなくなり、もう数年経つ。妹には元気かとか普通に連絡取りたかったけど、父と連絡を絶った事実を妹はどう感じているか、間に入って嫌な思いをしないだろうか、など考えると、どうしても連絡をできなかった。最後に会ってからもう5年。そんな妹から突然メールが来た。私が連絡取っているいとこからメールアドレスを教えてもらったと言う。「メールして良いかどうか悩んだんだけど・・・」と言いながら「お姉ちゃんにどうしても報告したい事あって」と彼女が今年成人式を迎えることを教えてくれた。「私が大人になることお姉ちゃんに知ってほしかったんだ」と無邪気な妹の文面が何だかとっても嬉しかった。そういえば私が成人式の時、あの子は来てくれたっけ。妹はその時の事うっすらと覚えている、と言う。あ~私のこと忘れないでいてくれたんだ、時々思い出したり、考えたりしてくれてたんだ、と思ったら嬉しいのと同時に「ゴメンね」と思った。この5年の間に妹は高校を卒業して、専門学校に行き、美容師の資格を取っていた。4月からは銀座の美容室で働くらしい。メールの文面は昔妹がくれたつたない手紙とは全然違い、今風の女の子の文面。本当に降って下りてきたあの子は一瞬のうちにすっかり大人になってしまったみたいな、そんな気がする。父とは多分これからも連絡を取るつもりはない。でも、妹とはこれから繋がっていきたい。たった3人のきょうだい。今までは弟とふたりっきりと考えてたけど、もう一人仲間が増えたような気分。妹が私を忘れないでいてくれた。これは私に今年最初のすばらしいプレゼントだ。
Jan 6, 2005
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とうとうイパルが首をながぁくして待っていた幼稚園も再開し、昨日からは私も日本語レッスンを再開して、お正月休みは終わりとなった。イパルは幼稚園が休みに入ってすぐから「つまんなぁい、幼稚園行きたい」とうるさかったので、ホッと胸をなでおろしている私である。韓国は数え年なので、イパルは5歳4ヶ月ながらすでにイルゴップサル(7歳)、ホパルは23ヶ月だけどセサル(3歳)だ。(自分の年は考えたくもない)3月から新学期の韓国では子供たちはもう次の組に行ける事を楽しみにしているようだ。今はコアラバン(組)で、7歳のクラスはコキリバン(ゾウ組)。きっとイパルの中ではコキリバンは大人の組くらいのイメージなのだろう。今日帰ってきてからしきりにコキリバンの話をして、ホパルにはもなにやら言い聞かせていた。ホパルは最近言葉が増えて面白い。動きは何だかちゃんと動けないおもちゃのようで、おかしい。お姉ちゃんの言葉を真似するので、出てくる言葉はほとんど韓国語。まだトイレットトレーニングもしていないホパルだけど、ウンチをしたときは以前から教えてくれていた。教えてくれる時は「オンマ~」と来て「ウンチ」という。ところが最近教え方が変わった。「ウンチ」という代わりに、自分の鼻を押さえて「ア~ネムセ(うわ~くさい)」と言うのだ。これもおねえちゃんの真似。それから「アッサー(よしっとかやったーの意味かな)」とか「アイシッ、エイシッ(何か上手くいかなかったり、失敗したり、嫌な事があったりしたら言う?表現)」もおねえちゃんの真似。宇宙語もかなり多くなってきた。幼稚園の始まる前の晩、なかなか早く寝ないイパルに「早く寝なかったら明日起きれないよ。ママ起こしてあげないからね。」と半分脅しながら言うと、グズグズ始めた。なのでさらに「韓国の幼稚園より日本の幼稚園の方がもっと早く起きないといけないんだよ、イパル日本の幼稚園行けるかなぁ」と言った。日本行きを誰よりも楽しみにしてるのはイパル。でも彼女の日本のイメージはかなりずれている。日本はキティちゃんがいるところ、ピューロランドがあって、ディズニーランドがある楽しい所、でしかない。韓国はつまんないから、早く日本に行きたいと言い出している始末。何度言い聞かせてもイパルの頭の中には「日本=キティちゃん」だ。そんな彼女のさっきの私の話に対する答えは「クロミョン、ディズニーランドマン カッケ(じゃあ、ディズニーランドだけ行って来る)」日本にはディズニーランドだけ行って来て、幼稚園は韓国の幼稚園に行くというのだ。早起きしないといけないと言ったらそんな事言ってしまうイパルが正直母は心配だ。とりあえず2005年はスタートした。去年書いた抱負は嘘にならないようにしないと。
Jan 4, 2005
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セへ ボク マーニ パドゥセヨ!やっぱり新年という実感のない年明け。昨日は夕食をハラボジ宅で一緒にトックック(韓国のお雑煮)を食べて、ハルモニは「ワンコッ ソンセンニム」というなぜか欠かさず観てるドラマを観ないといけないということで、私たちは帰ってきた。帰ってきてからは私たちはテレビ、子供たちはおもちゃで遊びに夢中。年末の韓国のテレビは全部○○大賞ばっかり。SBSとKBSはドラマの、MBCは歌謡大賞だった。日本だったら、局によってコメディーをやったり、歌番組をやったり、色々だけどなぜか韓国はそのようなことはない。オリンピックの時も全部の局で同じようなものを見せていた。で、SBSとKBSとMBCをぐるぐる回りながら観ていたのだけど、SBSはやっぱり「パリの恋人」が一番。パクシンヤンとキムジョンウンが大賞をとっていた。(おめでとう~!)KBSは名前忘れちゃったけど、女家族のドラマのお母さん役の人が大賞をもらってた。MBCではよく知らないけど、先日SBSの歌謡大賞ではビが大賞をもらっていた。もらった瞬間泣いてましたね~、ビ。歌も涙でうまく歌えないけど、ダンスは自然に体が動いてたって感じ。おせちを作ろうかなぁなんて思ったけど、個人的におせちが好きじゃないので、どうしてもやる気にならない。ナムルとかジョンとか作ってたほうが良いなと思ってしまう。多分作ってハルモニに見せた所で、「モゴルッケ オムネ~(食べるものないわね)」って言われちゃうだろう。日本の正月料理は、見た目は凄くきれいだと思うんだけど、食べる楽しみがない(あくまで私の感想だけど^^;;)お雑煮も子供の時大好きだったけど、韓国のトックックを覚えてから、どうしても物足りない気がする。カウントダウンってテレビでやってたけど、日本の番組のように大きくやるんじゃなくて、ただ番組の中でみんなでカウントダウンするだけ。花火も見れなかったなぁ。子供たちもまだ起きてたんだけど(!!)新年になるって言うのにイパルは歯磨きしてるし。ホパルはダンスしてたか・・・。この子達が新年って分かるようになるのはいつだろう・・・^^分かり始めたらもっと楽しいお正月にできるかな。今日はこれからまたハラボジ宅に行き、ご飯を食べてきます。一日一緒にいるのかな?あまり長くいるとハラボジとパパのピリピリ緊張が張り詰めすぎて怖いんだけど・・・-_-;;では、皆さんこれから楽しいお正月を。そして皆さんの新しい年がより実りのある年であることをお祈りします。そしてそして・・・今年もどうぞよろしくお願いします。2005年元旦 Galo
Jan 1, 2005
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