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24日はイパルの幼稚園の卒園式&終了式だった。幼稚園にはこういう式をやるような場所がない。と言うわけで、ある会館の式場を借りて行われた。式場に着くと、園児たちはみな一人前にガウンを着ている。卒園の子供たちは頭に帽子も。それはアメリカの学校の卒業式のときのような格好だ。日本では幼稚園と言ったら、制服があるからこんな格好をすることもないけど、韓国の幼稚園ってほとんどが制服がないようだ。卒園の子も、1学年を終了しただけの子も、みな立派なケースに入った賞状をもらった。見た目はガウンを着て、そんなケースに入った賞状を持って、絵になるのだけど、とにかく練習を一度もしない式だったようだ。子供たちは入場の仕方も、受け取って退場する流れも、挨拶の仕方や賞状の受け取り方も、何一つ練習なしの本番だったようで、まぁそれは幼稚園児には大変なことか、と理解を示すことにした。だけど、その式自体の流れすらめちゃくちゃだった。結局順序が変わったりで、ヒヤヒヤの式だった。イパルはただの終了式だからいいけど、これが卒園式だったらちょっと悲しいなぁと言う感じ。しかも何だか慌しくて、ガウン姿の園児の写真を撮ることも出来ないし、先生と撮るのもやっとだった。かといって、私の姪っ子(日本在住)の幼稚園のように、運動会だからといって1ヶ月も行進の練習をするのもどうかと思うけど、これって感覚の違いなんだろうか。そういえば、目の前にあるチョンダム高校の朝礼を時々見るけど、生徒たちすっごいダラダラで、先生がいつも怒鳴ってるもんなぁ。この前の避難訓練なんて、本当の火災とかだったら絶対けが人続出って感じだった。でもこれは何も韓国だけの現象ではない。アメリカもまたひどいもんである。小学校の体育授業なんて見ると、全然先生の言うとおりに動かない。きちんと整列をして、先生が話すときには休めの姿勢で聞く、無駄口をたたかない・・・これって日本でだけ通じる常識なのかな、と思ったものだ。子供たちがそう出来なかったとしたら、今度は親の私は譲歩する番なんだ。とにかくコアラ組(6歳組)が無事終了した。おめでとう、イパル。
Feb 27, 2005
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昨日の午後、イ・ウンジュさんの自殺が報道された。彼女は「プルセ(火の鳥)」というドラマに出ていた女優だ。亡くなったのを発見されたのは午後1時だそうだけど、3時ごろ知った私たちは、インターネットでニュースを見ようと思ったら、どこもダウン。ニュースが動かない麻痺状態だった。それくらいこのニュースは衝撃的だったようだ。 私ももちろんパパもびっくりだった。何で死んじゃったの?あんなに成功してたのに。今回撮った映画でもその演技でかなりの評価を得た彼女。まだ韓国の年で25歳だというのだから、実際には23歳だろう。報道をたどっていくと、この映画が少なからず自殺の理由になっているようだ。ニュースでは、その映画での脱がなければいけないシーンが多いことをかなり嫌がっていたと言っていた。でもだからって死んじゃう?というパパに「他にも理由があるんだよ」と言っていた私。時間が経つうちに、本当にそれが理由かも知れないとおもい始めてきた。あまり感心を持ってニュースにかじりついていたわけじゃないのに、彼女の死の理由を考えてた私も、結構ショックだったのかもしれない。その映画は全体的にとても暗い映画で、彼女の役割もとても難しいものだった。23歳の彼女にはとても演じきれると思えない役割だった。だけど彼女は多分みんなの期待以上に演技した。でもその映画が与えた影響はかなりのものだったようだ。それはそれで分かる気がする。彼女は今は女優としての自分の存在よりも23歳の彼女自身の存在をもっと大事にしたかったのかも知れない。でもまわりは女優としての将来性や、そこから見込まれる利益の方ばかりを優先して、彼女の気持ちを無視していたかも知れないのだ。周囲はおろか、母親とも言葉が通じなかったという彼女。どうして良いか分からない、とノートに綴った彼女。最後の最後に病院を受診した。多分助けを求めていたのだと思う。医師はさらに検査をするように薦め、脳波やその他の検査予約をさせたそうだけど、彼女に必要だったのは脳波検査なんかじゃない。その場で彼女の言葉をありのまま受け止めてくれる人が必要だったはずだ。医師は彼女の自殺企図を見抜けなかったのか。何だか彼女がとてもかわいそうに思えた。誰にも通じない、分かってもらえない気持ちがあったとしたら、それはそれがたとえ心の1%であっても辛いものだ。彼女が死を選んだ理由なんて結局は誰にも分かるわけじゃない。こうだろう、と想像するだけだ。ただただ、悲しい。彼女を誰一人救うことが出来なかったこと、女優としてではなくて一人の女の子が、こうして死を選ぶしかなかったことがとても悲しい。哀悼の意を込めて。* やっぱり呼び捨ては良くないなぁと思い、名前書き直しました^^;
Feb 23, 2005
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私が楽天に日記を始めたのは約2年前、その頃はまだブログと言う名前すらなじみがなかった気がする。そしてブログなるものがあちこちに現れた頃、パパがNaverという韓国のサイトでブログを始めた。それまでは韓国で爆発的に人気になったサイワールドと言う簡単なHPサイトを利用してたけど、どうしても雰囲気が若者向き。実際利用してる子のほとんどが10代、20代という感じで、そのコミュニティーについていけなかったようだ。それでもこのサイワールドは人を探すのに役立っている。利用してもしなくてもとりあえずHPを持ってる人が多いので、生まれた年と名前を入力すると登録者のリストが出るこのサイトは長年連絡が取れなかった友達を探したりするのにも使えるのだ。私も一度持ってみたけど、ほとんど写真ばかりの世界で、そうなると自分の私生活を暴露してるみたいなものだ。写真がないとつまらないし。そんなわけで、すぐやめてしまった。このNaverのブログはそこをいくとちょっと年齢も幅があるし、写真を載せたり、日記を書いたり、自分の好きなようにアレンジが出来る。そんなわけでパパもこのブログを利用して1年が経とうとしている。パパがブログを始めて、日本と韓国のブログの認識の差がとっても良く分かる。まず、日本のブログにはあまり個人的な写真は出てこない。もちろん見せる人もいるけど、こと写真には保守的な人がほとんどだ。パパは写真を載せることに結構気をつけてるけど、他の人は自分の写真はもちろん子供の写真、自分のプライベートをあっけらかんと見せる人は結構多い。でも何よりも違うなぁ~と感じたのは、ブログに来る人たちの反応だ。パパのブログでは、日記でも写真でもひとつ載せると、そこの下にはコメントが20近く付く。何がそんなに書いてあるのかと思うと、ほとんどの人が一言が二言の簡単なコメント、しかも内容と全然違ったりする。その下にはキャ~とかKKK(笑い声)だけだったりするし、そこの下にはまたパパがコメントで返事したりで、ほとんどチャット状態だ。しかもそれを常連さんのブログ全てにまわってやっている。ほぼ一日24時間使っての付き合いだ。それが可能なのも、韓国人のほとんどが会社で勤務中すらチャットをしたり、こんな自分のブログで遊ぶことが出来るからだろう。親しくなるととことんまで近づきたい韓国人の特徴のせいで、オフ会をやろうとしつこく迫るブロガーもいるし、親しくなったとはいえ、あくまでネット上の付き合いなのに、コメントにはまるで長年の親友が突っ込むように書く人もいたりで、この韓国のブログも長所短所があるようだけど、見た目は楽しそうだ。他のブログサイトは良く知らない。だけど、この楽天の日記とNaverのブログを見てると何だかすごく両国の雰囲気が見て取れる。個人個人でも違うわけだし、日本は、韓国はって言うのはあまりにもStereo Type化しすぎで良くないのも分かってるけど、それでもつい伝わってくる雰囲気。楽天からは日本人の丁寧なそして親しみよりマナーを気をつけた空気が伝わる。それはまるで街中での立ち話を見ているようだ。どんなに良く知っている人との立ち話でもある程度距離を開けて、丁寧に静かに話してるおばさんたちのような雰囲気。笑い声は何となく「ホホホ~」って感じかな。韓国のブログからは韓国人の親しみのこもった(悪く言えば馴れ馴れしい)マナーよりもフレンドリーって感じの空気。それは立ち話で言えば、大きな声で手振り身振りを加えながら、しかも相手にスキンシップも交えながらの会話。笑い声だけじゃなくて怒りの声も響き渡る賑やかな立ち話。パパはそんな韓国のブログのあまりにも遠慮ない付き合いが嫌になり、日本スタイルを求める時がある。マナーをある程度守った節度ある付き合いが良い、と言う。でもどんなコメントであろうと、常に一言でも新しいコメントが待っているブログに慣れてしまったパパにはきっと日本のこういったサイトはきっと詰らないだろうなって思う。でも私はやっぱり楽天が心地良い。Naverにもブログやってみて、もし私がハングルをかけるんだったらそれはそれで楽しいかも知れないけど、きっと本当に思っていることは書けないだろうなって思うのだ。楽天では正直な気持ちを書いたり、悩みを書いたり出来るのは、読んでくれる人も自分のことのように考えて、コメントしてくれるのはもちろん、読む私の立場になって気をつけて書いてくれるからだ。それは韓国のブログでは求められない。感想は書いてくれるだろうし、アドバイスもしてくれるだろう。だけど、読む私はどう感じるかは考えてくれないだろう。だから最初からそんな微妙なことは書けない。韓国のブログ、どなたか参加してる人はいますか?
Feb 22, 2005
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2年前の今日、ホパルは生まれた。1月末に37週を迎えた私は、先生に「子宮口は1指程度開いてるし、赤ちゃんもかなり降りてきてるから、陣痛がきたらいつでも生まれるよ」と言われていた。それから、まだかな、まだかな・・・と待っていた私たち。イパルは予定日の朝に陣痛が来て、翌日の夜に生まれ3316gだったから、出来ればちょっと早めに小さめに生まれてくれたらいいのに・・・なんて母親の自分勝手な願いがあった。でもそんなみんなの期待とは裏腹にホパルは全然出てくる気配がない。相変わらずおなかに波が立つような動きを見せている。出産に間に合うように、とハルモニが韓国から2月のはじめに来てくれた。早めに生まれるかも知れないよ、という言葉を信じて早めに来てくれたものの、早2週間。ハルモニは26日には帰らないといけないのに、それまでに生まれるのかしら・・・という心配まで出てきた。しかし、その頃ハルモニが風邪を引き、私まで・・・。そのときの風邪はとにかく咳が止まらなくて、大変な思いをした。「赤ちゃんも外の状況を知ってて、みんなが治るまで出てこないんだよ」なんて言っていた。そしてハルモニの風邪が治り、私は咳が相変わらずだけど、ちょっと落ち着いてきた頃。それは予定日の翌日。前の日から少しおなかが張っていた。いつもおなかが張っても1,2時間もするとおさまってしまっていたが、今回は微弱ながらも続いていた。でも強くならないので、その予定日の翌日定期検診まで待って、クリニックに行った。先生にそのことを話すと、内診をして「おめでとう!3cmだよ。今から入院して」と言った。そう、アメリカでは少なくとも子宮口が3cm開いてないと入院させてもらえない。イパルのときはその3cmまでなかなかたどり着かず、陣痛はどんどん強くなってるのに、入院できず、自宅で苦しんだ記憶がある。とりあえず、病院に直行して、と言われ、パパはすっかり舞い上がった。病院ではすぐ病室に運ばれた。しばらくして先生が現れる。「今日中に産みたいでしょ?今のままじゃ生まれないからね」と人工破膜をして去っていった。さて、人工破膜は初めてだ。突然羊水がなくなって、おなかの中ではどんな感じなんだろう?私は突然痛くなってくるんだろうか?とちょっとドキドキ。でも思ったより陣痛は強くならなかった。今回は微弱陣痛ってやつね・・・なんて思ってたら、予想通り、しばらくすると看護婦が点滴を持って現れた。誘発だ・・・。正直これは怖かった。薬で陣痛を強くするってやっぱり違和感がある。点滴が始まると、少しずつ痛みが変わってくる。パパは横でソワソワ。「痛いの?」「もうすぐかな?」「まだこれくらいじゃ生まれないよ」こんな会話を続けながら、看護婦が時々来てはどんどん滴数を上げていく。「もういいよ~上げなくて」と言いたくなるくらい痛みがだんだん冗談じゃなくなってきた。それでも滴数を上げるのを見て、誘発による子宮破裂、なんていう怖いニュースなんかが頭の中で横切る。かなり痛くて、もう会話も出来なくなってきた頃、先生が内診に来た。「ウン、いい感じだね。5cmだよ」まだ5cm?そこで看護婦が「あなたは無痛やらないって言ってたけど、どう?やってもいいのよ」入院するときにいろんな書類にサインさせられるけど、その時に無痛分娩などに関する書類にもサインさせられていた。無痛はやらない、と言っても実際痛みが強くなったら分からないというわけだ。で、だんだん痛みに対して余裕のなくなってきた私に無痛分娩にしない?と言う誘惑を始めてきた看護婦。「無痛はやりません」と私。そして1時間後また内診。「8cm」おお~もう少しだ!と思っていたら、看護婦がまた無痛にしないかと言ってきた。「まだ8cmでしょ?これから何時間かかるか分からないんだから、絶対無痛にした方がいいわよ。」あと2cmなのに、何で何時間もかかるのよ~、と信じない私。「あなたが無痛をしないという気持ちはもちろん尊重するわ、だけど・・・」と続く彼女の無痛への勧誘は正直うんざりだった。それより痛みをやわらげられるように呼吸法でも手伝ってよ~!!挙句の果てには、「無痛って全然怖いものでも、痛いものでもないのよ、ビデオを見せてあげるから、見てみてね。」とビデオを流し始めた。私、余裕なくて全然見てない。パパはあまりにも苦しむ私を見ていて、無痛にしたら?と言う気持ちになっていたらしいけど、背中にでかい注射をするのを見たら、かえって引いてしまったと言う。そのビデオが終わった頃、私は突然何かが出てくるように気持ちになった。「いきみたい感じがするの?」と看護婦。大きくうなずく私に半信半疑で内診をする。10分ほど前に8cmだったのに、と言う感じだ。内診をしながら「じゃあ、いきみたかったらいきんでみてもいいわよ」お許しの出た私はここぞとばかりにいきんだ。「Wow~~~~~~!!! STOOOOOOP!! Call Dr. Wong!」そこからは戦争のようなあわただしさになった。「もういきんじゃだめよ、待っててね。赤ちゃん出てきちゃう~」短い呼吸をしながら、ホラ出てくるって言ったじゃん、と心の中でつぶやく。先生が再度登場。「じゃあ、いきんでいいよ」ここからが本番。といっても二人目はすごい。2,3回いきんだだけで頭が出てきた。ここでとっても辛いのは、イパルのときもそうだったけど、羊水が濁ってたとかで、肺炎の予防のために頭が出てきたらそのままいったん胃内吸引をしてから体を出すということだ。だから私は頭が出たらそのまま一気に産んでしまいたいのに、途中でいきみをやめないといけない。これは本当にきつかった。そして2月18日19時08分にホパルは生まれた。アプガール10点満点、私は切開なし。私の腕の中に来たときは、あれ、軽いと思った。イパルより小さいのかしらと思ったくらいだ。イパルは初めて抱っこしたときものすごくズシっときたから。でも体重は7lbs11oz 3500いくらだ。後ろで看護婦が看護学生に「経産婦は予想がつかないのよ、突然お産が進んだりするから・・・」なんていっている声が聞こえてきた。その2ヵ月後には韓国に渡り、赤ちゃん時代を過してきたホパリ。最近はすっかり反抗期で、日本で言う「イヤイヤ期」だ。「シロ(いや)」が彼の挨拶。なのに、まだおっぱいを卒業できてない、甘えん坊。お誕生日おめでとう。2年前の今日、生まれてきてくれてありがとう。*ちなみに韓国での彼の誕生日は19日。韓国時間に直してあります^^
Feb 19, 2005
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なんだろうか・・・。本当にいろんな事がはっきりしてるようでしてなくて、日記を書こうと思っても、何を書いたら良いか分からない日々。それでも、ホパリの写真も昨日無事に撮り終わり、パスポートも取りにいけることになった。(これが出来ないとお前だけ日本に行けないよ、なんて脅かす場面もあり^^)私は仕事先をいまだに決定してないけど、昔働いていた病院に行こうかなぁと改めて考え始めて、連絡した所、是非面接に来てほしいといわれて、ほとんど心はそっちに傾いている。紹介所から紹介された所も2箇所ほどあるんだけど、どこも都心から遠かったり、母の病院から遠かったりで、ちょっと気が進まなかった。パパの事を考えるとちょっと都心に出やすくないとかわいそうだ。その点、かつて働いていたそこは、横浜中心部にあるので、どこにも出やすいし、母の病院にも行きやすい。少しゆっくりした場所で静かに住みたかったけど、全部満たす環境なんてないのだ。19日のホパルの誕生日が終わったらすぐ日本に行ってきて、今度こそ決めてくる。家も決めてきたい。引越し会社も決めないといけないし、やる事は山ほどあるけど、ここの両親も引っ越さないといけなくて、なかなかスムーズに行かないのが現状だ。ここ韓国は卒業式シーズン。今日は目の前の高校も卒業式だった。イパルの幼稚園は終了式の写真を撮ったそうだ。3月から新しい学年の韓国では、そろそろ新しい年に向かう準備が始まっている。私たちも新しい年に向かって進まないと・・・。
Feb 15, 2005
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正直言って分からない!ビザをもらった夜、パパの心の行き先が曇ってきた。私はこれを優柔不断と呼ぶ。パパは違うと言うんだけど、私から見たら、そうだ。私は言ったのだ。日本から帰ってくるとき、韓国での生活の選択肢も十分考えてみること、すべての可能性を考えてみて、それから決めようと。しかし帰ったら、パパは韓国での生活は考えられない、日本に行くことは変わりないと言った。後悔しないとも。だからビザ申請をしたのだ。でも実際ビザをもらったら、「本当にこれでいいのか」と言う気持ちになったようだ。自分が韓国でどこでも文句言わず就職すれば、無駄な引越代、新たに買わないといけない電化製品、子供の幼稚園問題など、色々と考えられる問題を避けることが出来る。・・・それを今考えたの?と半分あきれながら聞いていた。もちろん今までも同じ質問を自分に投げかけていたと思う。それにこんな風に考えるのは日本が最終ゴールではないからなのも承知だ。だけど、パパは来年に必ずアメリカにいける保証がないうちは、それに焦点を合わせて判断してはいけない、と言っていた。でも来年のビザがもらえるように色々ハラボジも働きかけていてくれてることを昨日あたりから聞かされていたので、決心も揺らいだんだろう。私は知っていた。絶対パパはこんなことを言い出すって。だから日本行きのチケットを手にするまで日本行きは信じないと思ってきた。パパの心の揺れ、分かる。優柔不断なのは正直イライラすることもあるんだけど、こればっかりは仕方ない。直前に悩むなと言ったってそれは変えられるものじゃないんだから。夜のパパの一番の悩みは子供のことだったようだ。日本に行ったら一日中保育園か幼稚園に居ないといけない子供たち。韓国にいたらそんなこともさせずに済むと。でもこれも散々今まで悩んできたこと。本当に正しい選択なんて誰も分からない。あるのかどうかも知らない。子供たちにしたってどれが一番良い事かやってみないと分からない。私は正直どっちでもいい。韓国でも日本でも。どっちになっても、結局大変な思いをすることになっても後悔しない。だって自分たちが一番良いと思って決めた選択なんだから。この際母のことは脇に置いておいて・・・。私は「決心」をしたい。一度決めたらそれに向かって努力をして準備が出来るように。そして一度決心をしたら、後ろは当分振り向きたくない。・・・でも無理だろうな。パパは最後までマークシートの答えを悩んで直前に変えてしまうタイプなんだもの。しかも変えた後もずっと「あれでよかったのかな」と考えるタイプ。しばらくパパに付き合うしかない。とにかくパパの選択が家の選択。パパに一番良いように決めたい。
Feb 5, 2005
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道が一気に見えてきたようだ。大げさかな。でも最大難関だと思っていたビザが下りてしまった。日本の配偶者ビザはどこの体験談を見ても時間がかかる、面倒だ、と言っていた。正直言って、1ヶ月しかないのに、果たして間に合うか?という気持ちで一杯だった。今週は午前中がフリーだったので、今週中に申請しちゃおうね、とパパに言い聞かせたものの、書類をきちんと準備したのは水曜日。大使館に申請すると午前中のみ受け付けてくれて、翌日に何らかの返事をくれるそうだ。簡単なビザならその日に渡されるし、もっと追加書類や面接が必要ならそのような旨を知らされる。そんなわけで大使館に2日間連続で行かないといけないので、木曜日に申請して金曜日に返事をもらう、という段取りにしたかった。パパは全然のんびりしてて、「何で明日行かないといけないの~?」とか言っている。今週中に済ませたかったら木曜に出さないといけないんだと言い聞かせて何とか予定通りに行った。大使館は車で行けない。いや、行けるようだけど、道もはっきり分からないし、混雑が予想できるので、地下鉄で行くのが便利だ。パパの大嫌いな地下鉄で、しかもパパの嫌いな早起きをしていかないといけない。アックジョン駅まで徒歩15分。地下鉄に乗って安国駅まで行き、そこからさらに徒歩で10分くらいか。行きも何とか人に聞きながら行ったけど、帰りに近くにあったスターバックスに寄ったら帰りがはっきり分からなくなった。そこのウエイトレスに安国駅までの道を聞いたら、「そうだったかな」とか言いながら自信なさげに教えてくれた。韓国人って歩くのが嫌いな民族だ。運動で歩くのは好き。朝夜問わず、運動のために熱心に歩いている人たちの姿は日本よりずっと多く見かける。だけど、どこか行くときに歩くのは苦手のようだ。ハルモニはアックジョンの駅までバスで行けというし、大使館までの道を聞くときも、帰るときの道を聞くときも、「結構歩きますよ~」と言っていた。って10分なんですけど??歩いてみてびっくり。近いじゃん、と拍子抜けした。だから交通費が安いのか、それともだから歩くのが苦手なのか・・・。地下鉄はどこまででも一律800ウォン(約80円)、バスはバスに乗ってそれからすぐに地下鉄に乗り換えるとバス代無料になるそうだ。タクシーはメーター1600ウォン(約160円)。韓国人に日本での交通費を言うと信じないほどだ。何はともあれ、大使館というか領事部につくと、ものすごい人の数。もちろん韓国人ばかり。これがみんな日本に行くんだ~と感心してしまった。アメリカ大使館はこれと比較にならないくらいすごい、といっていた。日本ではビザの申請など、郵送だったからこんな経験したことなかった。いざ提出に行くと、韓国人のオバちゃんが書類を点検する。何回もホッチキスをつけたりはずしたりして、私の方を見た。「こちらに住んでいるんですよね、外国人登録証ありますか?下でコピーをしてきてください」と言われた。配偶者ビザを申請するときは夫婦で行ったほうが良いと聞いていた。それがこの事なんだ、と思った。準備する書類を電話で聞いたときには言われなかったのに、持ってて良かった~(って本当はいつも持っていないといけないんだけど)。そして小さな紙切れを渡し、「明日来て下さいね」と言われて終わり。パパは「明日出なかったら、オレ日本に行かないぞ」とか言ってるし、でも心の中では明日なんかに出るわけないじゃんと思っていた。パパに言われてみたら、あれ以上必要な書類があるとは思えなかった。でも面接くらいしないといけないんじゃないかと思っていた。そして今日の午前中、再びやってきた。並んでる間、ひそかに緊張の私。私たちの番になって、紙切れを渡すと、パスポートを探し始める。くっついていた番号をはずし、パスポートだけ渡された。思わず「オモ・・・オモ・・・」と言ってしまったのだが、それは結構人の目を引いていたそうだ。(お恥ずかしい・・・)それはそうだ。他の人はほとんど観光ビザをもらいに来てるのに、そのビザをもらってそんな感激してると思われたとしたら、それはすごく変だろう。ジャジャン!パスポート見たら、ちゃんと配偶者ビザが貼ってある。後からパパは「1年しかくれなかったのか、考えたらムカつくな~」と言ってたけど、内心パパもほっとしていただろう。「まぁ、でもいきなり5年もあげないよな、ここでも1年ごとの更新だもんな」と一人で納得してた。後は子供たちの日本のパスポートだけ。怠け者の私は今の今まで作っていなかった。日本に行くときはアメリカのを使って済んじゃったし・・・。でも今回は日本のものが必要だそうだ。簡単そうで、難しい。イパルは大丈夫だった。だけどホパルが・・・。何かって言うと、写真。この写真撮りが大変なのだ。昨日チャレンジしたけど、案の定泣き喚いて撮れなかった。ホパルは生後2ヶ月でアメリカのパスポートの写真を撮り、3ヶ月ごろこっちの外国人登録証の写真を撮ったきり。トルチャンチ(1歳の誕生日)の記念で撮りに行ったときも大変な思いをしたけど、とにかく知らないところで一人で座らせるなんて無理な話なのだ。隣についていてあげてもダメ。写真が撮れなかったらパスポートも作れない。次の課題はホパルの写真となった。家では大いばりなくせに、頼むよ・・・息子。
Feb 4, 2005
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といっても家から見える景色なんだけど。しかも賑やか方面ではなくて、漢江方面。漢江に沿って、アパートの後ろにはサンチェンロ(散歩道)がある。これが片道2メートル。ここには朝夜問わず、走る人歩く人がいるけど、最近すっかりし~んとしている。 というのも、外は零下の世界。昨日あたりは、冬一番の寒さで風も吹いていたので、外をちょっと歩いただけで寒さに負けそうだった。今日は風がないからちょっとマシ。でも最低気温マイナス11度、最高気温マイナス2度だ。そして家の中は25度はくだらない。この気温の変化についていけない。もともと私は寒さに強いほうだけど、零下に突入すると途端に寒がりになることに気がついた。着ても着ても寒い。だんだん最低気温は上がってくるようだけど、最高気温はマイナスのまま。あ~やっぱり日本の冬がいい。寒くても薄着でいられるくらいの寒さだもの。寒くても子供が外で元気に遊べるくらいの寒さ。心なしか、最近のアックジョンの夜も静かな気がする。みんな春を待ちわびてるようだ。
Feb 2, 2005
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日本では桜木町に宿泊した。久しぶりのみなとみらいはさらに賑やかになっていて、その人ごみの中にまぎれるのが気後れしてしまうくらい。夜8時を過ぎると途端に行き来する人が少なくなる横浜。これは相変わらずだった。だって飲食店以外はほとんど閉店してしまうから。いつまでも賑やかで人ごみが絶えないアックジョンとは違うのでパパはその静けさにびっくりだった。でもその狭い道路に絶えない人の流れ。アックジョンでも夜のお出かけをしたことない私は、久しぶりの人ごみで頭が痛くなりそうだった。人にぶつからないように、スッスと行くのはこんなに難しいことだったんだ。ほんとに私ったら山奥から出てきたオバチャンのようだ。
Feb 1, 2005
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