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当時の東京こけし会は、昭和 15 年 7 月 27 日、鳴子で「第 1 回現地の集り鳴子大会」を開催し、各地で「ほうこ」「きでこ」「こけし」などと、ばらばらだった呼称を「こけし」と統一することになった。
そういう意味で、この昭和 15 年はエポックメーキングな年だった。それまで工人は、こけしに署名することはなかったが、このころより署名をするようになった。
子供の玩具から大人の翫賞品へ変化である。 鹿間時夫 は『こけし辞典』で、戦前を無署名時代とするが、工人が署名をするようになったのは、まさにこの昭和 15 年ごろであった。それ以前、昭和 13 年ごろのものも確認出来る。したがって戦後からを署名時代とする鹿間の説は正確ではない。
ところで、この昭和 15 年はいわゆる「紀元 2600 年」(皇紀)であって、盛大な祝賀行事が全国的に行われた。これも近衛内閣の新体制運動の一環であった。
昨年 2018 年 12 月、ヤフオクにこの鳴子大会の記念こけしが 2 本出品された。そのうち 1 本を幸いにも落札することが出来た。
鳴子大会の記念こけしにも「 2600 」が胴裏に焼印で記されている。ただしこのこけしは無署名(無銘)。この記念こけしは、形態、胴模様、面描から秋山忠(1888-1947)のものと判断した。
第一次こけしブームと呼ばれるのはこのころであった。その主な担い手は都市のインテリゲンチャや富裕層であったが、このブームは決して当時の政治的な潮流と無関係ではなかった。
日本の紀元(建国)を神武天皇の即位から 2600 年とし西暦より古いとするのも、西洋的なものを廃し日本的なもの見直すのも同じであった。その風潮のなかに民芸運動も郷土玩具もあった。
こけしブームもその風潮の一つであった。従来この観点から、こけしについて論究したものは見当たらないのであえて触れておく。郷土玩具もこけしも、そのなかで意味づけられ称揚されたのであった。
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