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稲毛豊の苦悩(鯖湖)キンと喜平のはざまで
稲毛豊は工人の家系ではないが、戦後の渡辺喜平型より出発して、渡辺キンの復元を手掛けた。師匠の喜平よりもキンの情味に迫っていた。
ただ、どこかにユーモラスな表情があり、それはキンの持つ情念とはやや違う明るいものであった。喜平の型も戦後よりも戦前のドングリ眼や、鹿間喜平の鯨目(『こけし辞典』)にも挑戦して欲しかった。ただどこか気の弱いところがあって、高橋忠蔵の型の注文があったときもそれは道義的に出来ないと断ったという。
KokeshiWiki は「昭和 50 年から 53 年頃、鹿間、久松、植木蔵の鯖湖古品を次々に復元したが、それぞれが現物の雰囲気をよく表現した佳品であった。昭和 55 年 1 月に開催された「こけし古作と写し展」では久松蔵三つ爪の 7 寸(胴底に鯖湖独特の三つ爪のあとが残る大正期のもの)を復元出品した。」という。
結局形態的にはキンの型をほぼ完璧に再現していたものの、情味(呪力)という点ではもう一歩であった。そうした意味でも 50 代の逝去は惜しまれる。
「こけし千夜一夜物語」 143 夜は、本人型の傑作をあげる。「「こけし手帖」( 295 )に伊藤孝氏の「稲毛豊こけしの想い出」という文章が載っている。この年(昭和 60 年) 4 月に早逝された稲毛豊さんへの追悼文である。その中で紹介されている四つ花模様のこけし(7寸8分、昭和 59 年作)は稲毛さんの本人型として最高傑作と言って良いのではないかと思う。木地形態、胴模様に面描が見事にマッチして非の打ち所がない。 10 有余年の製作歴の中から生まれた稲毛さんの鯖湖型こけしの一つの到達点と言って良いだろう。しかしこのこけしが世の中に広く行き渡る前に稲毛さんはあの世に旅立ってしまったのである。」という。確かに復元から本人型への昇華、飛翔も期待できる工人であった。
伊藤孝のあげる稲毛豊をスキャンしてみた。この四つ花模様は私の知る限り他にはない。モノクロであることが残念である。
また伊藤孝の文中に「外界の干渉や圧迫があったと読んだけれど、一度もこのことについて語ってくれなかったが、ある時ぽつんと一言「出る杭は打たれるよね」と笑っていた。」とある。稲毛豊もたしかに苦悩のなかから傑作を作り出したのだった。呪力の獲得にはあと一歩であった。
図は今回一括で入手したなかの稲毛豊の
2
本。向って左より戦後喜平型、キン型
24
㎝である。このキン型は稲毛豊の典型的な傑作であろう。
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