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寺方徹 TERAGATA か TERAKATA か蔵票 2 種


2019
年)
8
月
11
日に、小椋石蔵のえじこの裏に「
TERAGATA
」とする蔵票を発見と書いたが、今度は鈴木庸吉のこけしの裏に「
TERAKATA
」とした蔵票を見つけた。どちらも寺方徹のものであろう。これはうれしい様な、困ったようなことである。
蔵票は収集家が自ら作成するものであるので、自身で
2
様の読みをしていたものか、それともどちらかが誤りだったのか。新たか謎が生まれた。ちなみに苗字由来
net
では「てらかた」の読みだけである。
この鈴木庸吉は
2019
年
5
月
19
日に、
13
名の競り合いで
252000
円の値が付いたもの。この価格は最近の最高であった。ちなみに小生も入札していたが一桁違っていた。
鈴木庸吉 ( 1982-1945 )は、明治 15 年 11 月 1 日、宮城県加美郡宮崎村に生まる。母は鳴子の高野幸八の姉。明治 29 年 15 歳で鳴子に移り、叔父幸八のもとで木取りや漆塗りを手伝っていたが、 明治 31 年 17 歳の夏より幸八について一人挽きを修業した。明治 35 年 21 歳の夏には鳴子を離れ、山形県肘折の尾形政治工場の職人となった。ここで遠刈田出身の佐藤周助・佐藤文六とともに働いたが、約三ヵ月後に実家に不幸があり、郷里の宮崎村へ帰った。肘折の生活は短期であったが他系工人との接触の意義は大きく、黄色染料のオーラミンの使用など新技術を身につけたといわれている。一度郷里に帰り兵役についた後、再び鳴子へ戻り高橋万五郎・高野幸八の職人をしたが、鳴子の高橋武蔵や大沼甚四郎は庸吉の黄色の使い方を学んでこけしに応用したという。(中略)昭和 14 年 4 月より宮城県滑津の五十嵐木工所の職人となった。五十嵐木工所では地元の小島長治郎らに木地の指導を行った。深沢要氏による発見は、昭和 14 年 9 月であり、以後菅野新一・鹿間時夫・水谷泰永の諸氏が滑津に庸吉を訪ねた。名前はくきぼこ・ 1 〉により、作品は〈こけし人形図集〉により最初に紹介された。昭和 17 年に仙台の娘実のもとに帰り、昭和 20 年 10 月 27 日 66 歳で没した。( KokeshiWiki )
蔵票には「七ケ宿 一六、一二、一七」とある。問題は「七ケ宿」(しちかしゅく)で、上記
KokeshiWiki
の滑津は七ケ宿村滑津であった。現七ケ宿町で、こけし工人としては弟子の小島長治郎(滑津)や大葉亀之進(稲子)がいた。現在では小松里佳がいる。
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