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こけしと俳句‐小林輝子(光子)句集『人形笛』

9
年 5
月 1
日 茨城生。 2
才より東京に。 19
年 疎開にて父の郷里岩手に移住」とある。
KokeshiWiki
には「昭和 9
年 5
月 1
日、岩手県和賀郡湯田町の小林光一の長女に生まれる。祖父は湯田町で木地工場を開設した小林辻右衛門で、光一はその長男である。 昭和 31
年同町の神成三五郎長男定雄と結婚、定雄は婿となって小林姓になった。」とあるので、私はすっかり、光子は湯田生れ湯田育ちと思い込んでいたので意外だった。小学校 4
年というが、これは昭和 19
年であるので小学校ではなく国民学校 4
年であろう。戦争が激しくなって郷里に帰ったということだった。
戦争がなければ東京にいただろうし、夫の定雄がこけしを作ることもなく、湯田のこけしは絶えていたのではないかと思われる。
「人形笛」については、光子が「あとがき」で、
人形笛はこけしを作る工人達がよく作る玩具でそれぞれ作る人に よって違っていますが夫の作るのはこけしの頭から首の部分に穴をあけ、のどに歌い口を切り頭の穴を吹くとピーッ、と悲しげな木の音をだします。一本の五、六寸の木を轆轤にかけ輪を二つくり抜き、その輪が抜けないよぅに作らねばならず、よほど気ののった時でないと作ってくれません。気持ちの落着かない時に作ろうものなら輪が割れたり、鉋を折ったりしてしまいます。どう云うものか、夫はこの頃よく人形笛を 作るようになりました。
と人形笛を説明している。「輪を二つくり抜き、その輪が抜けないように作らねばならず」というのは、やや分りずらいが、いわゆる「やみよ」(輪入り)のことである。この笛も佐藤丑蔵伝来のものであろう。画像はヤフオクの過去の実績から。光子は人形笛というが、これは「こけし笛」が一般的であるし、その方が分りやすい。ただ工人側からはこけしも人形である。光子は工人の立場で人形笛といっていることが図らずも分ったのであった。小林光子の俳句については後日アップしたい。
こけし笛 小林定雄(左)丑蔵(右)
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