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2019年11月03日
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テーマ: こけし探訪(85)
カテゴリ: 土湯系

太治郎の潮流 - 斎藤弘道・とみのこと

斎藤太治郎( 1869-1945 )は土湯ばかりでなく、こけし収集界で一世を風靡した。その系統は、佐藤正一( 1905-1972 )太治郎の次女きみの夫から、太治郎の長男の孝太郎の子、弘道( 1930- )に引き継がれた。

KokeshiWiki は、その太治郎について次のように書く。

鹿間時夫は「後期の太治郎は顔も目も大きく,伏目勝ちの油ぎったにやけた表情となった。本人は小唄勝太郎を意識し,蒐集家の喝采に気を良くしていた。蝋がけの物は磁器の肌を思わせたが老女の厚化粧という批評すらあった。しかしこれは他の工人に真似のできぬ太治郎固有のセンスで,私は昭和 13 年桜井玩具店で初めてこの式の物(非売品)を見た時の衝撃と,何としても欲しいという飢渇感が背をずうんと走ったのを未だにおぼえている。〈こけし鑑賞〉」と書いている。後期の物であっても蒐集家にとっては渇望のこけしであった。

寡作であった事もあるが、戦前から斎藤太治郎の評価は非常に高かった。

〈こけし這子の話〉では「清新な気分に満ち」と、〈日本郷土玩具東の部〉では「最も異色があり支那人形らしいフレッシュな美しさをもち」と、〈こけしの微笑〉では「明美と整巧,新しい東北の古典に数えられ」などの賛辞を受けている。阿部治助をより評価した鹿間時夫でさえ「太治郎の特質は緻密丁寧な上手物の感覚で、一筆一筆をゆるがせにしないことである。楷書体の極致,土湯甘美派の技巧王である。前髪は中国娘の劉海髪式に整え,青線に紫の波の効いた胴模様は頗る印象的である。太治郎の胴は法隆寺の柱のようなエンタシスを鮮かに示し,フォルムの美は土湯一かもしれない。〈こけし鑑賞〉」と書いた。 太治郎こそは、美の対象としての、大人の鑑賞者を意識しての、こけしを製作した最初の工人であったかもしれない

太治郎の「支那人形」というその形態と表情は、土湯の素朴さとはかけ離れているが、第一次こけしブームのトップスターであった。それを継承した弘道の妻とみや次女遼子もこけしの描彩をした。

鹿間時夫は〈こけし手帖・ 25 〉〈こけし 美と系譜〉〈こけし辞典〉の弘道の項目で、積極的な評価を行っている。例えば「それにしても、この作者は隔世遺伝というのか、太治郎にあまりにも似ている。正一のあの血のにじむような努力によって作られたこけしも、この天才児の表情は出ないのである。それは血液の差なのだから仕方がない。〈こけし手帖・ 25 〉」とまで書いていた。鹿間時夫は、弘道が太治郎後期の婀娜な表情を再現できたことを喜んでいた。

(橋本正明は)昭和 42 年 9 月 5 日に〈こけし這子の話〉掲載の極初期の太治郎作の写真を土湯に持参して復元を依頼した。出来た作品について橋本正明は「眼点は小さくキリリとして緊張感があり、正末昭初の太治郎の、品格高く、完成された作風をよく写していた。これを契機に鹿間好みの婀娜っぽい表情は消えて端然とした少女の表情になり、斎藤弘道の作風は大きく変わっていった。 昭和 50 年以降になると眉の外側や、目尻が下がる傾向が出て、やや剽軽な表情になる。

斎藤弘道の年代変化および作品鑑賞は、〈木の花・ 30 〉の矢田正生稿に詳しい。( KokeshiWiki )

斎藤弘道については以上のように好意的な評価が多い。しかし、現在その潮流は衰微したといっていい。その理由を考えてみたいが、いまはまだ資料不足である。

私はこけしに「潮流」という概念が必要ではないかと、おぼろげながら考えている。

例えば鯖湖はキン - 忠蔵 - 佳隆 - 通という流れで、これは美恵子や順子を含めて大きな流れとなっている。それと比較して同じ鯖湖でも渡辺喜平 - 義徳 - 幸典 - 聡の流れは細い。稲毛豊は喜平の流れから分れてキンの海に注いで行った。

そして斎藤太治郎の潮流はすでに弘道で涸れたというように表現するわけである。そういう風に考えると、こけしを俯瞰するのに分りやすいのではないだろうか。

こんなときに入手したのが、弘道の妻斎藤とみのこけしである。 15 ㎝という小体なこけしで面描も素直で明るい。胴模様は夫の弘道だろうか。頭がゆるくて廻る。太治郎の盛名のなごりの風情、残照といってもいいのかもしれない。

弘道もとみもすでに高齢ということもあってか、こけし製作からは離れた。太治郎の華麗な流れは、ついに流れが尽きたようだ。

【斎藤とみ】 ( 1935 ~)

〔人物〕昭和 10 年 8 月 3 日、福島の理髪業宍戸又蔵の娘に生まれる。父について理髪の技術を修得した。福島市土湯温泉のこけし工人斎藤弘道と結婚し、土湯の上ノ町通りで理髪業を営んだ。斎藤僚子は次女である。夫の弘道も理髪業を手伝うようになった。

昭和 54 年頃からこけしの描彩を始めたが、昭和 57 年より本人のとみ名義でこけしを作るようになった。木地は夫の弘道である。 なお娘の僚子も同じころこけしの描彩を行なった。現在は弘道も、老齢のためロクロから離れており、とみも描いていない。

〔作品〕斉藤弘道の作風に従ったこけしを製作した。昭和 61 年 11 月には伊勢こけし会で頒布された。女性らしい筆致で斎藤太治郎の型を継承したこけしであった。( KokeshiWiki )

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最終更新日  2019年11月09日 02時05分06秒コメント(0) | コメントを書く


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