十八 真佐子の憂鬱
仲村から手紙を受け取ったのが、真佐子には、ついこの前のように思い出されるのだが、もうかれこれ、二年も手紙が来ていなかった。真佐子は、机の引き出しを引いて、二年前に受け取った手紙を取り出した。白い洋型の封筒から取り出した、白い三つ折りにたたまれた便箋を開くと、何か懐かしい、ふんわりとしたものを感じる。仲村は、いつも洋型の二号の封筒を使って手紙を送ってくる。理由はわからないが、今度聞いてみようと思っている。いつものように季節の挨拶から始まって、自分と家族そして周囲の者を気遣う文章から始まる。真佐子が中学生で仲村が大学生のころ、月に二、三度は手紙のやり取りをしていたと、仲村から聞かされて、失われた記憶の数年に育んだ、仲村との心の通いがよみがえってくるかのような錯覚を覚える。いや、実際にそうだったのだと信じるようになった。仲村は、真佐子の失われた記憶が戻ってくるようにと、仲村の記憶に残っている、四〇年以上も前の出来事を再現するように、手紙を書いてくれるのだった。
「僕が、今ホテルを借りているのは、君が手紙を送ってくれた、僕の学生時分の住所―世田谷区上北沢―に最近出来たビジネスホテルです。東京都世田谷区上北沢〇〇××と君は書いたはずです。二、三日たって返事を書いたので、一週間くらいで、君は僕からの返事を受け取って読んだはずです・・・」
真佐子は仲村の優しい心遣いにため息をついた。それらの手紙は、もう真佐子の手元にはない。真佐子の姉が、記憶の攪乱を気遣って、交通事故の直後に燃やしてしまった。しかし、一通だけは保存してあって、姉から真佐子へ手渡され、大事にしまってある。
「新しい大学の仕事は、だいぶ慣れてきました。もう大学の中で迷子になり、学生に場所を聞くこともなくなりました」
真佐子はくすっと笑った。
「いやな話ですが、大学の授業は、またまた遠隔(オンライン)授業になり、これで三回目です。学生も教職員もうんざりしています。緊急事態宣言だの蔓延防止等○○××だの言葉の遊びばかりです。真佐子さんの街は、きれいな空気で人もまばらで安全ですが、くれぐれも注意してください。ウイルスの運び屋がいますからね。二年前に東京へ来てくれた時は、コロナの前で、居酒屋で大騒ぎをして楽しみましたが、まだ、ちょっとだめですね」
「大騒ぎ」とは、渋谷で会った時に、謎の時空へ迷い込んで、中世の農村へタイムトラベルしたことだった。これまで真佐子は仲村と会い、不思議な時空の割れ目へ迷い込んでは、二人を引き裂いた過去の秘密への接近を経験するのだった。でも、あと一歩のところで「現世」へ戻ってしまうのだ。
「どうですか。完全武装で東京へ来ますか?」
ここで手紙は終わっていた。真佐子は迷っていた。春は瞬く間に往き、梅雨がやってきた。新型コロナウイルスは、いくつかの変種を生みながら、いまだに世界中で猛威を振るっていた。あいたさが、感染に対する恐怖を打ち負かすことはわかりきっていた。母親は東京行きに反対するだろう。でも、「島根の姉のところへ行ってくる」
と言えば心配させないですむ。嘘をつくのは心苦しいし、もし何かあったら「村八分」に合うかもしれない。
「飛行機で行けば大丈夫だわ。きっと何かあるに違いない」
真佐子は、鏡の中の自分につぶやいた。
(続く)
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