草加の爺の親世代へ対するボヤキ

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2018年08月05日
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第 三百二十七 回 目

 反戦映画に「ディアハンター」がありました。この映画を引合に出したのは、鹿狩りといった

行為が一種のスポーツの様に楽しまれている文化が、特に欧米に有ることを枕にしたかったからに

過ぎません。テーマは「殺人の愉しみ」という前回からの続きです。

 プロデューサー時代に或る人気スターから聞いた話でありますが、外国に行くと野生の鹿を

ライフル銃で射殺するゲームが、高額な料金を支払えば手軽にエンジョイ出来る。遠くから狙った

弾が命中する手ごたえは確かにハンターに伝わって、無上の喜びを、最高の快感を味わうことが出来る。

そして、これは人の話なので自分はまだ体験していないが、中国では軍人にまとまった金額を支払えば、

銃殺刑に処せられる死刑囚を射殺することが、旅行者にも可能だと言う。鹿撃ちの体験から類推すると、



その様な好機に浴したいものだ。そのスターは無邪気に語ったものです。

 しかし今にして思えば、その人にしても他には誰もいない私と二人きりの状況だったから打ち明けた

秘密の内緒事だったに相違なく、誰にでも、何処ででも出来る世間話の一つだったわけではないでしょう

から、ある種の後ろめたさを感じていたことは事実でありましょう。そう感じる半面で、他聞を憚る

様子の下から、衣の下の鎧ではありませんが、自分のような有名人にだけ特別に許された「秘密の愉悦」

に小鼻をうごめかさんばかりに、一種得意げだったそぶりも印象的でした、何故か。

 こうした私自身の限られた経験を含めて、毎日のようにジャーナリズムにより報道されている凶悪

極まりない犯罪の数々を勘案してみると、私たちの潜在的な意識の中に、殺人を嗜好する忌まわしい傾向

が伏在している恐れが、多分にあると認めざるを得ないのです、残念ながら。

 一般論として、絶対的な悪も無ければ、反対に絶対的な善も聖もないとすれば、殺人には何某かの取り

得があるのかも知れません。少なくとも、「神」の視点からすれば。しかし、しかし、愚かな人間の一人



す。

 はてさて、このような暗く忌まわしい情念の数々は、ドラマというフィクションの中で存分に爆発さ

せ、放出し、解消してしまうに如くはないのです。不発弾のように不気味なエネルギーを溜め込まない様

に、出来ればこまめに非現実の場で処理してしまう。そういう機能を虚構の世界、取分けドラマという分

野は本来機能として担っているのでありますから。その有用な機能を意図して、意識的に有効利用しない



 反対に、現実では到底望んでも得られない高い理想や願望も、フィクションの場を借りればごく手軽に

実現出来るので、そうした疑似体験を通して現実の壁によって歪められ、歪曲化されて出口を失っている

エネルギーも適度に昇華され、健全な消費を果たすことになる。フィクションとしてのドラマが持つ様々

な効用は、私たちの工夫と努力次第で具現の可能性を秘めていると、言っても過言ではありません。

 次にちょっとした寸劇をご紹介してみたい。題して「処刑の日」であります。

  時:二千四百年以上前

  場所:古代ギリシャ

  人物:ソクラテス、その他

 牢獄の中。獄吏によって戒めを解かれたソクラテスが居る。いつも面会に来るソクラテスの友人たち

数人が最後の別れを告げにやって来る。ソクラテスの傍らにいた妻のクサンティッペが小さな子供を抱き

ながら、

 クサンティッペ「ねえ、あなた。このお友達とお話をされるのも、これが最後なのですね」

 ソクラテスは親友のクリトンの方を見て言った。

 ソクラテス「クリトン、誰か妻を家に連れて行ってくれないか」

 クリトンの召使たちが泣き叫び、胸をかきむしる彼女をその場から連れて行った。やがてソクラテスは

ベッドの上に身体を起こし、膝を曲げて手で足をさすりながら、

 ソクラテス「ねえ、君達、快適だというのは正反対の苦痛と、何と奇妙な関係にあるのだろうか。快と

苦は同時に揃って人間に体験されないけれど、一方を追いかけて捕まえると、必ずもう一方も捕まえてし

まう。まるで二つでありながら頭は一つみたいではないかね。イソップがこの事に気付いていたら、きっ

と物語を作っていただろう。神様が快と苦の喧嘩を仲直りさせようとなさったが、お出来にならなかった

ので、両方の頭を一つにしてしまわれた。その為、一方が誰かの所に来ると、もう一方も必ず後からつい

て来る、というような物語をね。私も足枷の為に足が痛かったが、今度は快さが後からやって来たよう

だ」と、平静である上に、更に快活そうでさえある。少なくとも、如何にも倖せそうである。

 ケベス「獄中でイソップの物語を詩になさったり、アポロンへの讃歌をおつくりになったりなさっるの

は、何故でしょうか? 今までは決して詩など、お作りにならなかったのに」

 ソクラテス「私は、これまでの生涯に度々同じ夢を見た。その時々で姿形こそ違え、言葉はいつも同じ

だった。ソクラテスよ、ムゥシケーを作り、ムゥシケーに精進せよ! とね。私は哲学こそ最大のムゥシ

ケーであると思っていたので、この夢は現にしていることを励ましてくれている。そう解していた。所が

今度の裁判が終わり、この神・アポロンの祭りが私の死刑執行を延期させている今となってみて、ふと思

いついたのだ。もしかしたら、夢が度々私に命じていたのは、あの普通の意味でのムゥシケーの制作かも

知れない。だから、責めを果たしてからこの世を去った方がよいのではないかと、とね」

 ナレーション:ムゥシケーとは、今日の英語のミュージック、ドイツ語のムジークの語源をなすが、そ

もそもは女神ムゥサイ(単数形はムゥサ)が司る領域を指す。ムゥサイはゼウスの九人の娘達で、文芸、

音楽、舞踊、哲学、天文などの知的活動の女神である。それで、ソクラテスは以前にはムゥシケーを哲学

活動の意味と解し、それに専念していた。だが、牢屋に閉じ込められても、尚お告げがある。刑の執行が

一か月も延びたのはアポロンの祭りのためだ。アポロンは哲学の保護者であるが、広くあらゆる知性と

文化の代表者でもある。とすると、ムゥシケーは文芸の一部をなす詩作のことと解すべきではないか。そ

れで、アポロンの祭りの最中にアポロンへの讃歌を先ず手掛けた、というわけである。

 ケベス「平然と死んでいこうとするのは、奇妙なことだ。哲学者は思慮有る人なのだから、死を嫌い、

嘆くのが当然であり、嫌わず嘆かないのは、不合理だ」

 ソクラテス「(若者ケベスの言葉を微笑みながら聞き)ケベスはいつでも、なんだかんだと議論の種を

見つけるね」

 シミアス「でも、ソクラテス、この点は私もケベスの言う事に一理があると思いますよ」

 ソクラテス「そうか。それでは君たちに対して、私が法廷でしたように、いやもっと得心が行くように

弁明を試みようとしよう」と、クリトンを見ると彼が何か言いたそうにしている。

ソクラテス「何かね?」

 クリトン「大したことではないのだが、君に毒を渡す役の者が、さっきから私に、なるべく話をしない

様に君に注意をしてくれと言っているのだ。あまり話をすると熱が上がって、毒薬の効きが悪くなると

いうのだ。二度も三度も毒を飲まなければならなくなる人が居るそうだよ」

 ソクラテス「放っておきたまえ。二度でも三度でも毒を渡せるように、彼らに用意させたらいい」

 クリトン「そう言うだろうと思っていたよ」

 ソクラテス「さあ、それでは裁判官である君たちに向かって、まさしく生涯を哲学(愛知)の中に送っ

た者は、死に臨んで恐れず、死後にはあの世で最高の幸福を受ける 希望 に燃えているのが当然だとい

う、私の確信の根拠を、示すことにしよう」

 ナレーション:こうして、話は「あの世、ハーデスの世界」のこと、その世界に魂が転生すること、魂

が不死であることへと進んでいく。

 ソクラテス「裁判における弁明の時、私は 死を恐れるのは誤りだ という理由を次のように述べた。

死を知っている者は誰もいない。ひょっとすると死は、人間にとって一切の善いもののうちの最大のもの

かも知れない。それなのに、死は悪いもののうち最大のものであることを熟知しているかのように、知り

もしないのに知っていると錯覚して恐れ、忌み嫌うのは誤りだ、と。これが私の基本的な考え方だ。ただ

し、言い伝えが本当だと仮にしても、来世への転生は論理的な根拠はなく、期待であり希望であるだけ

だ、とも述べた。私には一生涯、善き人、正しき人であることを心掛けて来たと言う自負心、自らを恃む

心がある。だから、死が悪かろう筈はなく、死を嫌う謂(いわ)れはない。また、あの世はこの世の神々

とは別の、やはり賢明で善良な神々がみそなわせ、統治なされて居られる。自分は、其処に住む善き人々

のもとへ行ける。死後には何かがある。善き人にとって善い何かがあると言う希望は持っている。もっと

もこの希望は必ず実現するとは言い切れないがね。少なくとも今の私は、楽しい希望に燃えて、死の旅に

出掛けるのだ」

 ナレーション:一貫して愛知者として生きて来たことは、魂の浄化に努め、死に備えてその準備に

励んできたこと。真の哲学・愛知とは死の練習である筈。準備、練習がいよいよ実現する段になって平常

心を欠くなど、まことにおかしなこと、なのだ。しかし、彼の親愛なる仲間達は悲しみにくれ、動揺して

いる。

 ソクラテス「魂が輪廻転生する事は、確かなことだと思う。この説に同意するのは、決して騙されての

ことではない。私が自分の言うことを真実だと思わせようと努力しているのは、ここにいる君たちに対し

てではなく、まあ、君達が真実だと思ってくれのなら別だけれども、実は、この私自身に対してなのだ。

というのは、ねえ、君達、私はこんな計算をしているのだよ。なんて私に分(ぶ)のよいことか、見てく

れたまえ。もし私の言うことが真実だとしたら、私がそれを信じるのは、結構なわけだ。また、もし 真

実 でなくて人間は死んでしまえば無になるものなら、ともかく死ぬまでのこの残り時間は私が嘆き悲し

んで、この場の諸君に不愉快な思いをさせることだけは、なく済むわけだ。しかも、私の愚かな信念は直

(じき)に無となる筈だ、と言った計算をね。だから諸君は、私の弁舌に対して大いに批判的になりたま

え。私は熱心の余りに、私自身も君達も欺き通して蜂のように、針を残して立ち去ってしまうかも、知れ

ないからね」

 ナレーション:こうして、人類の偉大なる教師・ソクラテスは従容として自ら毒杯を仰ぎ、この世を

去って行ったのである。


 さて、「死は人間にとって、善きものの中の最大のもの」であるかも知れないとする、賢人の言葉は、

最小限に見積もっても、ある種の特別な人に限っては、永遠の真実と言い得る。そうした可能性だけは、

少なくとも認めざるを得ないでありましょうね。





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最終更新日  2018年08月05日 22時29分42秒
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