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その隙に、上臈が浜辺に降りて、夫婦を招き、日本人、日本人、なむきゃらちょんのふとらやあやあ、ありければ、小むつふっと笑い出し、ありゃ何と言うお経ぢゃと腹を抱えて可笑しがる。 やいやい、笑うな、あれは日本人、ここへおぢゃ、頼みたいと言う事と押しのけて立ち寄れば、上臈が涙に暮れながら、大明ちんしにょうろ、君(くん)けんくるめいたかりんかんきゅう、さいもうすがすんへいするともとんたかりんとんな、ありしてけんさんはいろ、とらやあとらやあ、とばとばかりにて又さめざめと泣き給えば、小むつは浜辺にころりと臥して、腹筋よって耐えかねる、和藤内は常々父の詞の唐音(とおいん)覚え、はっと手を突き頭を下げて、うすうすうさすはもう、さきがちんぶりかくさくきんないろ。きんにょうきんにょうと手を打って、互いにしみじみ手をとり組み、悲嘆の涙睦まじい。 小むつはくわっと急き上げ胸ぐら取って、これ男、唐人言葉は聞きとうない。如何にいたずらしればとて何時の便宜に唐三界(からさんがい、もろこし辺、中国あたり)あんまりな稼ぎ(働き、仕事)じゃ、やい、そこなとらやあや女、こっちの大事の男をようも、ようも、きんにょうにしたなあ、日本の男の塩梅は吸うてみることもなるまい。この塩梅を食うてみよと備中鍬を振り上げれば和藤内がひったくり、やい、目を開けて悋気せよ。 これこそは日頃から語っていた父一官の古(いにしえ)の主君・大明の帝の御妹、栴檀皇女であり、国の乱にて吹き流され給うとの御物語、御捨て難く、お痛わしや。直ぐに我が家にお供すれば庄屋への断りや代官所の詮議、何やかやと喧しい。とかく親仁と談合する。お主は内に帰って、早々これへ同道致せ。人が見ないうちに早く、早くと言いければ、小むつもはっと手を打って、さてもさても御愛しや、同じ日本の内でさえ王位高貴の姫君は荒い風にも当てないようにとすると聞く。ましてこれは見ぬ唐土の王胤(おういん、王の血筋の方)、浅ましい御姿であるよ。所も多いのに此処へ御船が寄った事も、主従の縁が深かった故、追っ付親仁様を呼んで参りましょう。 ああ、愛しのとらやあや、きんにょう、きんにょうと涙に暮れ、家路にこそは帰ったのだ。 かくとは知らず、一官夫婦は不思議な瑞夢を蒙ったと當国(肥前のくに松浦、佐賀県の東、西松浦郡と長崎県南、北松浦郡の辺り)松浦の住吉に詣で、帰るさの濵伝い、なうなう、と声をかけて招き寄せ栴檀皇女が亂国を逃れて御船がこれへ流れ寄った。 痛わしき有様と聞きもあえず、一官夫婦はあっと頭を地に附けて、お聞き及びも候わん、某は古えの鄭芝龍と申す者、ただ今の妻や子は日本の者で候が旧恩をつれなさを報じなければ忠臣の道は立ち申しません。 某こそは年寄ったれ、この倅、兵事軍術を嗜み、御覧の如く骨太に生まれついて大胆不敵の剛力者、今一度大明の御代に翻し、冥途にまします先帝の宸襟を安んじ奉らん。御心安く思しめせと世にも頼もしく申し上げれば、皇女は御涙にくれ給い、さては聞き及んでいる鄭芝龍とは御身よの。 李滔天の悪逆、韃靼国と心を合わせ、兄帝を失い、国を奪い、わらわも既に既に害せられんとしたりしを呉三桂夫婦の臣が介抱で、今日の今まで惜しからぬ露の命のつれなさを頼むとばかりの給って、又さめざめと泣きなさる。 互いに通じる詞の末、縁につるれば唐のもの悔いの八千代たび繰り返す、昔語りぞ哀れであるよ。 母も袂を絞り兼ねげにまことかような事を承らん印であったよ。今朝の暁に夫婦共に変わらぬ夢の告げ、軍(いくさ)は二千里を出でて西に利ありと、言う事をまざまざと見て候、やあ、和藤内、この夢を考え、君御出世の忠勤を励むべし。 いかに、いかにと、ありければ、和藤内はつっしんでただ今某はこの浜で、鴫の鳥と蛤との希代の業を見受けまして軍法の蒽奥(おんくおう、奥義)を悟り開いて候。千里を出でて西に利有りとは大明国は我が国を出て西に当たって千里の波涛、軍法の法の字は散水に去ると書く。散水は水である。水を去るとはこの出汐も水に任せて早く日本の地を去るべしとの神の告げ。 我等が本卦(八卦、乾の木偏にない税離震巽土偏の炊りっしん偏のない恨坤)師の卦に当たって、師は軍(いくさ)の義である。 坤(こん)上坎(かん)下の卦躰、一陽を以て衆陰を統(す)ぶるといっぱ、我が一身を以って数万騎の軍兵(ぐんぴょう)を従え保つ大将、今散水のさす潮にのって早く日本の地を去って、南京(なんきん)北京(ほくきん)に押し渡り、浮世に長らえあるならば、呉三桂と軍慮を合わせ、李滔天の賊徒を亡ぼし、軍勢を催して韃靼へ逆寄せに押し寄せて、韃靼頭の芥子坊主(頂上の髪だけ残して後は剃り落した頭、日本では子供の風。芥子の実の殻に形が似る)、捩じ首を貫き、追っぷせ、切り伏せ御代長久の凱歌をあげん事和藤内の心魂に(堅い信念を持つこと)に徹するところ。 天の時は地の利にしかず、地の利は人の和にしかず。吉凶は人によって日によらず。このまま直ぐに出船、道すがらに島々の夷を語らい、案の中(うち)なる(計画通り)の軍(いくさ)をせん。御出陣と勇んだのは三韓退治の神功皇后が艫舳(ともへ、船のへさきと船尾)に立ちし荒御前(あらみさき、軍の先頭を勤める勇武な神)を今見る如き勢いである。 父は大に感心して、おお、潔し、頼もしい。誠や、一粒(いちりゅう)の花の種は地中に朽ちずに終(つい)に千輪の梢に登ると言う本文、げに、一官の子なるぞや。 我々夫婦も同船にてお供申すべきが、大勢は目に立って所々の渡海の番所、国の咎めの恐れあり。夫婦は密かに藤津(ふじつ、佐賀県藤津郡の海岸、有明海の岸)の浦から出船すべし。 おことは此処より乗り出だし、便り良き小嶋に姫宮を預けおき、船路を変えて追い付けよ。 親子の忠心は正直の頭に神宿る、神風は船中何の気遣いもない。出合う所は唐土に隠れも無き千里が竹(架空の固有名詞)にて相待つべし。 急げ、急げと、姫宮にお暇申し、夫婦は遥かに別れていく。 和藤内は姫宮の御手を引き、元の唐船に遷し乗せ参らせ、押し出そうとする所に、女房が息を切らせて走り付き、船のとも綱をしっかりと取り、家には親仁様母様も皆お留守、いな(変な)ことと思ったが道理こそ、親子とっくと談合しめ、親子とっくと談合しめ、親御の国からお内儀を呼び、この小むつを置き去りにして親子夫婦が四人して、唐に身代を引く気じゃな。のせ あんまり酷い、連れないぞよ。何の見、落ちやし落ちが有る、唐高麗は愚かな事、天竺や雲の果てであっても共に連れんと言いかわした二人の仲、仲人もない挨拶無い二人が胸と胸とに起請も誓紙も収めてある。なんぼう飽かれた仲であっても、今までの情にせめて同じ船に乗せ、五里も十里も沖合の波に沈めて、ふかや鮫の餌になれと夫の手で殺して下され。和藤内殿と舳板(へいた)を叩き泣き口説き、放そうとする気色(きしょく)ないのだった。 おお、大事の門出、不吉のほえづら、そこを立ち退け、目に物見せんと櫂を取り上げれば、姫宮が慌てて縋り付き、とどめ給うのを押し退けて、櫂も折れよと船端を叩き、脅しに打つのを身に受けて、打たれて死ねば本望と、浜辺にどうと臥しまろび、声も惜しまず歎いていたが、ええ、これでも死なれぬなあ、よしよし、今はこれまで、結構者(お人よし)も事による、この海底に身を沈め瞋恚(しんい)は嫉妬の大蛇となって、元の契りは今日の仇、今に思い知らせんと、石を袂に拾い入れ岩ほの肩によじ登れば、駆け上。がって和藤内が抱き留めて、やい、こりゃ、粗相すな(軽はずみなことをするな)心底見つけた、軍なかばの大明国事太平に治まるまで、姫宮を汝に預け日本に留め置かんと思うのだが、筋無き(賤しい)女の心を伺い、態(わざ)とつれなく見せたのだ。 これ四百余州とつりがえの姫宮をしっかりと預け置くからは、男の心変わらぬ証拠、姫宮に仕え奉るのは舅に孝行、夫に仕える百倍である。命に代えて頼み入る。 国が治まって迎えの御舟のお供をせよ。と、宥めれば、聞き入れて、こちらには気遣いせず、随分無事でござれやと、言えども弱る女の心、せめて一夜の覚悟をしないで夢みたような別れやと夫の袖に縋り付く。わっとばかりに泣き叫ぶ心の内ぞやるせなき。 和藤内も胸が塞がり、至極の(道理至極との)思いに目もくらみ、共に心が乱れるのだが、かくては果てじ、いざさらば、さらばさらばの暇乞、栴檀女も涙ながらに追っ付け迎いの輿を待つ。その時に伴い帰るべし、必ず早くとの給えば畏まって和藤内、泣く泣く船を押し出だす。 又纜(ともづな)に取り付いて、言い残した事がある。暫くなう、と引き止めた。 ええ、聞き分けなしと引き切って船を深みに漕ぎ出だせば、詮方なく波に身を浸し、ただ手を挙げて舟よなう、舟よと呼べど出で舟の、甲斐の無い岩ほに駈け上って足をつまだて伸びあがり、見送る影も遠ざかる。 唐土の望夫山、わが朝のひれふる山、今のわが身の我が思い、石ともなれ山ともなれ。動かない去らないと掻き口説き涙限り、声限りに互いに呼ばれ招かれて、姿を隠す汐曇り、声を隔てる沖津波、沖の鴎・磯千鳥、泣き焦がれてぞ別れ行く舟路の末も知らぬ日の、筑紫は雲に埋めども跡に逢うそれではないが、擁護(おうご)の神風や、千波万波を押し切って、時も違えずに親子の船は唐土の地に着きにけり。 鄭芝龍一官は古郷に帰る唐錦、装束引き換え妻子に向かい、わが本国とは言いながら、時移り代変わり、天下はことごく李滔天が引きれてしまい、韃靼夷の奴となり、昔の朋友一族とても誰を尋ねんようもなし。 司馬将軍呉三桂の生死のありかも知れざれば、何を以って義兵の旗を挙げ、何国を一城ひ立てこもるべき所も無い。
2025年08月28日
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中にも降達(こうたつ)と言うがむしゃ者(がむしゃら、乱暴者)、いで、栴檀女を召し取り、一人の手柄にせんと、鎧の上に蓑を打ちかけて、海人も小舟に棹を指して入り江、入り江を漕ぎ廻り、この芦の影が気遣いなと押し分けた櫂の先、柳哥君がしっかりと取り、力に任せて撥ね返せば、舟端を踏み外して真俯けにかっぱと沈み、浮き上がろうとする所を櫂も折れよと畳みかけて、打てば沈み、浮かべば打ち、息も継がせず鼈(すっぽん、泥龜)が泥を泳ぐが如くにて、水底を潜って落ち失せてしまった。 無用の抜け駆け、殊に船まで仰せつけられた。渡りに船とはこのことと、船中に隠しておいた剱を取って横たえ、栴檀女をお乗せ参らせ我も乗らんとせし所に、何処より這い上がったのか降達は鎧も濡れ雫、鉾を引っ提げて二十騎ばかりが余すまじと追いかけて来る。 はあ、急がしや、御覧候え、敵が手酷く追いかけるので、しばしと防ぐその間、船底に隠れなさいませ。と、拾った剣と腰の剣、二刀に振って待ちかけた。 降達が程なく駆けつけて、憎っくき女め。櫂で物体表面返報と、長柄の鉾を押っ取り延べて突っかけた。 おお、そっちから当てがったこの剱、こっちからも返報と切って廻れば二十余人が女一人に斬りたてられて陸(くが)迷う蘆辺の鴎、一羽も飛び立たないうちに討たれる者もいる。 痛手を受けて逃げるもある。柳哥君も降達も数か所の深手、朱になって群芦を押し分け、掻き分け追い入り、追い込み互いが眼(まなこ)に血が入ってしまった。前後も分からぬめくら打ち、岸の岩角切っ先に電光石火の命を限り、危うい有様なのだ。 降達は鉾も切り折られてゐざり寄ってむんずと組み、柳哥君が持っていた剣をもぎ取ろう、もぎ取ろうと捩じりあう足を踏み溜めきれずに、のけざまにぱっぱと臥した。すぐさま乗ってのっかかり、刺し通し、刺し通しして、頸をふっとと掻き切ってにっこと笑いし、心の内、嬉しさは類なかりし。 なう、なう、姫宮様、お身には怪我もなかったか。船はそのままそこにありますかと、よろぼい寄ってこの躰では船中のお供はならぬ。又敵が寄せて来れば、もうどうも叶わぬ。潮に任せて何処までも落ち給え。沖へ船が出るまではこの女が陸(くが)に控えておりまする。敵が何万騎寄せて来ても命限り、腕限りに防御いたしましょう。さりながら、主従二度の対面は御縁と命ばかりですぞ。随分と御無事で、御無事で、なむ、諸天諸仏、別して八大龍神、万乗の君の姫宮の御船を守護し給えやと、船梁(船の中に渡した横木)を取って押し出せば、折しも引く潮の名残を何と栴檀女、涙でしおれる潮風に龍神が納受の沖つ風、沖を遥かに流れゆく。 あら、心やすや、嬉しやと、よし、この上は生き延びてもわが身ひとつ、死んでも誰を友千鳥、生死の海は渡れども、夫の行方、子の行方、君が行方は覚束ない、波の浮世の海を越え兼ねたと言うならば言え、この一心の早手船、仁義の櫓櫂・武勇の楫、折っても折れぬ沖津波、寄せ来る鯨波(ときのこえ)かととて、剣にすがって、たぢ、たぢ、たぢ、よろ、よろ、よろぼい寄る方の磯山おろし松の風、乱れし髪をかき上げて、辺りを睨んで立ったりし和漢女の手本、紙、筆にも写し傳えたり。 第 二 緜蛮(めんばん)たる黄鳥(最も美しい声で鳴く鶯)は丘隅(きゅうぐう)に留まる。人として留まる所に留まらないならば鳥にしかざるとかや。 ここに、大日本肥前の国松浦の郡(こおり)平戸の郷(ごう)に釣りを垂れ、網を引いて世を渡る和藤内三官(わとうないさんかん)と言う若者が居る。 妻も同じ海士(あま)の業、藻に住む虫のわれからと、仲人なしの手枕にくくり枕としめ合いし小むつと言う名に目出て、世を睦ましく暮らしていた。 そも、この和藤内の父はもと日本の者ではない。大明国の忠臣・大師(だいし、周の時代には三公のひとつで人臣の最高位)大爺(たいや、敬称)鄭芝龍と言った者であるが、暗愚な帝を諫めかねて自ら長沙(ちょうしゃ、流罪)の罪を避けて、この日の本に筑紫潟・老一官と名を改めて、浦人に契りをこめ、この男子(おのこ)を儲けたので、母の和国の和の字を用い、父は唐人の唐の声をかたどって和藤内三官を名乗って二十余年の春も立ち、秋も過ぎゆく十月の小六月(ころくがつ)と言って温かな、備中鍬(びっちゅうぐわ)に魚籠(めかご)を提げ、身の過ぎわい(生業)と言うので、夕凪に夫婦が連れ立って出かけたのだ。 見渡せば沙頭(さとう、砂の上)に印を刻む鴎、沖洲に集(すだ)く浦千鳥、潮の干潟をすき返し、蛤(はまぐり)を踏んで色々の貝を採り、小づま(着物の褄)がしょぼしょぼと濡れる。拾った貝は何と何、ごうな(宿借り)、したたみ(きさご)、あさり貝、塩吹上のすだれ貝、ちらと見染め姫貝に一筆書いて送りたい、ではないが、平貝(たいらがい)、相手の女は口を開けて、ほや貝ではないがほやほやと笑う。 赤貝に、心を寄せるではないが、寄せ貝(波などが岸に寄せた貝)、ああ、心が痛むはないが、いたら貝(赤貝の異名)、君には縋りたいと近寄るけれど醋(す、酢)貝と、吸いつくのだが我は鮑(あわび)の片思い、憎い、さるぼ、そもじの猿頬(さるぼ)に拳固をくらわせたいぞや、さざえ貝の如き拳で。梅の花貝(桜貝の異名)桜貝、寝もしないで一人明かすではないが、赤螺(あかにし)の誰を待てとや、馬刀(まて)貝、人の見るではないが、海松(むる)を喰って忘れ貝、我が二人寝の床ではないがとこぶし(鮑に似た小型の貝)は身にしみじみと沁みる、しじみ貝、いわい貝(鮑や蛤のように祝儀に用いる貝)、門出によしの法螺貝(ほらかい)は悦びの貝だと取ったのだ。 中に一つの大蛤が日陰で大口を開けて、取る人有とも知らずに白い潮泡を吹いて盛り上げているのは、げにや、蛤能く気を吐いて楼臺をなすと言うのもこのよなのかと、見とれている所に磯の藻屑に飛び渡りあさる羽音面白く、降り居る鴫(しぎ)がきっと見つけて、嘴を怒らせてただひと啄(つつき)と狙い寄る。 やあ、言われぬぞ、鴫殿、看経(かんきん、鴫が静かに佇む様を言う)もする身でこれが本の殺生戒、蛤もはま口をくわっと破戒無慚、飛びついてかち、かち、かち、つつく所を貝合わせにしっかりと喰い合わせて、動かさせない。鴫は俄かに興ざめ顔、引いつしゃくっつ羽叩きして、頭を振って岩根に寄せ、打ち砕かんず鳥の智慧、蛤は砂地の得物潮の溜まりに引き込まんと尻下がりに引き入れる。羽節を張ってぱっと立ち、一丈ばかりもあがれども吊られて落ちては又立ち上がり、ぱっと立ってはころりと落ち、鴫の羽がき百羽がき、毛を逆立てては爭いける。 和藤内はつくづくと見て、備中鍬をからりと捨て、あっあ、面白し、雪折れ竹に本来の面目を悟り、臂(ひぢ)を切って祖師西来意の輪を開きしも尤もかな、理(ことわり)かな。 我は父の教えに依ってもろこしの兵書を学び、本朝古來名将の合戦勝負の道理を考え、軍法に心を委ねたが、今鴫と蛤の諍いによって軍法の奥義が一時に開けたぞ。 蛤は貝の固いのを頼んで鴫が来たのを知らず、鴫は嘴の鋭いのに誇って蛤が殻の口を閉じるのを知らず、貝は放さじ鴫は放さんとする。前に気を配って後ろを顧みるに隙なし。 ここに臨んで、我手も濡らさずに二つを一度に引っ掴むはいと易し。蛤は貝、の固いのも詮(せん)なく鴫の嘴の尖りも遂にその徳なかるべし。 これぞ両雄を戦わしめてその虚を打つと言う軍法の秘密、もろこしには秦の始皇、六国を呑んだ連衡の謀(はかりごと)、本朝の太平記を見ると御醍醐の帝、天下に王として蛤の大口を開いた政(まつりごと)は取り締めなくて、相模入道と言う鴫鎌倉に羽叩きして奢りの嘴(くちばし)鋭く吉野千早に潮を吹かせ申せしに、楠正成(くすのきまさしげ)・新田義貞(にったよしさだ)と言う二つの貝に嘴を閉じ責められて、むしり取ったるその虚に乗って、うつせ貝。蛤共に掴んだのは、いち物(優れた)高氏将軍が武略に長じた所である。 誠や、父一官の生国は大明韃靼、鴫と蛤とが国諍い、今合戦の最中だと伝え聞く。哀れ、唐土に渡り、この理を以って彼の理を推し、攻め戦う程ならば大明韃靼両国を一飲みにせんものを。と、眼も離さずに工夫を凝らし、思い潜めたる武士(もののふ)の一念の末ぞ逞しき。 ことわりかなや、この男(おのこ)は唐土に押し渡り、大明と韃靼を平均して異国本朝に名を上げた延平王(えんぺいおう)・国性爺(こくせんや)は、この若者の事である。 小むつが遠目に、なう、なう、もう潮がさしてくる。何をきょろりとしてぞいのと走り寄り、これはさて、鴫と蛤が口を吸うか。女夫と言う事を今知った。どうやら犬の様で見ともない。どりゃ、放して進ぜようと笄(こうがい)を外して口を押し割れば、鴫は喜び蘆辺を指して、満ち来る潮に蛤も砂に姿を隠したのだ。 はあ、時雨そいだ、いざ帰ろうと見やる洲崎の楫を絶え、揺られ寄ったのは珍しい造りの船。鯨船でもなし、唐の茶船か何じゃ知らぬ、と船底を見れば、唐土土人と思しきて二人余りの上臈が芙蓉の顔(かんばせ)柳の眉、袖は涙の汐風に化粧もはげて面痩せて、哀れにも美しく、雨に萎れた初花に目鼻を付けた如くである。 小むつは小声になって、ありゃ、絵に描いてある唐の后だ。悪戯(いたずら、みだらな事)して流されたものじゃわいな。 ああ、そうじゃ、そうじゃ、よい推量、俺は悪く合点して楊貴妃の幽霊かと思って怖かった。何でもよい、女房ではないかいな、むう、嫌らしい、唐の女房が目につくか。おやじ様が始めの様に唐にござって、こなたもあっちに生まれたら、そのような女房を抱いて寝さっしゃっであろうが、日本で生まれた因果でわしが様な女房を持って口惜しかろうの。 はあ、ひょんな事ばかり、なんぼう美しいと言っても、唐の女房だ。衣装付き、頭附き、弁財天を見るようで勿体なくて、気がはって寝られはしないと笑ったのだ。
2025年08月26日
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先年、大明が飢饉の時に、李蹈天が邪智を以って諸国の御蔵の米を盗み、君に憐れみ無き故におのれ韃靼の合力を受けて、民を救うと言いなし、国中に散らし与え、万民をなつけ、謀反の臍(ほぞ)を固めたとしろし召さぬ愚かさよ。 彼が左の眼を刳りしは、これぞ韃靼一味の一味(味方)への合図で、御覧候え難殿の額、大明とは大きに明らかなりと言う字訓で、月日を並べて書いた文字、この大明は南陽(みなみよう)国にして日の国である。韃靼は北陰(きたいん)国にして月の国、陽に属して日に譬えた左の眼(まなこ)を刳ったのは、この大明の日の国を韃靼の手に入れんとの一味のしるし、使も聡(さと)くその理を悟り、悦んで立ち帰った。 積悪姦曲の佞臣はやく五刑の罪に沈めずんば、聖人出世のこの国、忽ち蒙古の域におち、尾を振り皮をかぶらないだけのこと、畜類の奴となり、天地の怒り宗苗(そうびょう)の神が祟りをなし、その罪は帝の一身に帰するであろう。拳を以って大地を打つことで外れても呉三桂のこの言葉は違わないだろう。 恨めしの叡慮やと泣いて、怒って、理を尽くし、詞を尽くして奏したのだ。 帝は大に逆鱗あり、物知り顔である文字の講釈、理を付けて言うならば白雪却って黒とも言う義があるぞ。皆、李蹈天と嫉む詞、事も無いのに甲冑を帯し、朕に近寄る汝こそは逆臣よと立ちかかって御足にかけ、呉三桂の真向(まっこう、額の正面)を踏みつけ給えば、不思議やな御殿がしきりに鳴動して、勅筆の額がゆるぎ出で、大の字の金刀点(きんとうてん、第三画)、明の字の日片(ひへん)が微塵に砕け散ったるは天の告げかと恐ろしし。 呉三桂はなお身を惜しまずに、ええ、情けなや。御眼も眩みしか、御耳も聾(詞)いたるか。大の字は一人と書いた筆画、一人とは天子帝の御事、その一人の一点を取れば帝の御身は半身、明の字に片が無ければ日の光が無い国は常闇(とこやみ、永久のやみ、永久に世が乱れる事)、忝くもあの額は御先祖大祖高皇帝(洪武帝)、御子孫繁盛、御代万歳と宸翰を染め給う。 宗苗の神の御怒りを恐ろしいと思召して、道を糺し、非を改め、御代を保ちましまさば、君に投げ打つ呉三桂の一命は踏み殺され、蹴殺されても厭わないどころか、土ともなれ、灰ともなれ、忠臣の道は違えないと御衣(ぎょい)に縋って大声を挙げて泣き、涙を流して諫めたのは世々の鏡と聞こえける。 かかる所に四方八面に人馬の音、貝鐘を鳴らして大鼓を打ち、鬨の声が地を動かし、天も傾くばかりなり。 思い設けていた呉三桂が高殿に駆け上がり見渡せば、山も里も韃靼勢が旗をなびかせ、弓鉄砲、内裏を取り巻いて攻め寄せたのは、潮(うしお)が満ちて来る如くである。 寄せ手の大将・梅勒王が庭上に馬を乗り入れて、大音を挙げて、そもそも我が国の王・順治大王がこの国の后華清夫人に恋慕とは謀(はかりごと)、懐妊の后を召し取り、大明の帝の種を絶やさん為に李蹈天が眼を刳って一味のしるしを見せたる故に、鬨を移さずに押し寄せたのだ。 とても叶わぬ呉三桂、帝も后も絡めとり、味方に下り韃靼王の台所につくばい、淅水(かしみず、米のとぎ汁)でも啜って、命を繋げと呼ばわった。 やあ、事が可笑しいぞ、二百八十年、草木も揺るがぬ明朝を攻め破らんなんどとは、大海に横たわる鯨を蟻が狙うのに異ならず。 あれ、追い払え、追い払えと駆け回って下知するのだが、我が手勢は百騎ばかりの徒歩武者以外は公家にも武家にも誰有って居り合う味方は居なかった。ただ拳を握って立っていた所に、女房の柳哥君が水子(みずこ、赤子)を肌に抱きながら后のお手を引き、なう、口惜しや、御運の末、公卿大臣を始め、雑人下郎に至るまで李滔天に一味して、御味方は我々ばかり。無念至極と歯噛みをなす。 ああ、悔やむな、悔やむな、言うても益なし。但しは妃の胎内に帝の種を宿し給えば、大事の御身、一方を切り抜けて君諸共に、某お供申すべし。その子も此処に捨て置き、おことはひとまず御妹を介抱して海登(かいどう)の湊を指して落ちよ、落ちよと言いければ、心得たりとかいがいしく栴檀皇女の御手を引き、金川門(きんせんもん)細道を二人忍んで落ちなさる。 いで、これからは大手の敵を一当てに当てて追い散らし、易々落とし奉らん、御座を去らさせ給うなと言い捨てて、駈け出し、明朝第一の臣下、大司馬将軍呉三桂と名乗りかけ、百騎にならぬ手勢にて數百万の蒙古の軍兵を割りたて、おん廻し、無二無三に斬り入れば、韃靼勢も余さじと鉄砲・石火矢を隙間なく矢玉(やぎょく)を飛ばせて、戦いける。 その隙に、李滔天の弟李海方(解放)が玉躰(ぎょくたい)近くに乱れ入り、帝の御てを両方からしっかりと取る。后は夢とも弁えず、天罰知らずの大悪人、御恩も冥加も忘れしかと縋り給えば、おお、己とても逃がさぬと、取って突きのけ、氷の利剣を御胸にさし当てた。 君は怒れる龍顔に御涙をかけながら、げに、刃の錆は刃より出て刃を腐らし、檜山の火は檜から出て檜を焼く。仇も情けも我が身からでるのだと、今こそ思い知ったぞ。 鄭芝龍は呉三桂の諫めを用いずに、おのれらが諂いに誑かされて、国を失い、身を失い末代まで名を流す。口に甘い食べ物は腹中に入って害をなすと知らざりし我が愚かさよ。汝らも知る如く、夫人(ぶにん)の胎内に十月に当たる我が子が有る。誕生も程あるまじ。月日の光を見せよかし。せめての情とばかりにて御涙にぞ呉れなさる。 ああ、ならぬ、ならぬ、大事の眼を刳り出したのは何のため。忠節でも義理でもない、心を君に心を許させ韃靼と一味せん為。晴(めだま)ひとつが知行になり、君の首が国になると取って引き寄せ、御首を水もたまらずに撃ち落として、さあ、李海方、この首は韃靼王に送るべし。汝は妃を絡め来たれと言い捨てて、寄せ手の陣へと駆け入りたり。 司馬将軍呉三桂は敵をあまた討ち取り、何なく一方を切り開いて君を落さんと立ち帰れば、御首もなき尊骸(そんがい)朱になって伏し給い、李海方は妃を搦めて引っ立てる。 やあ、上手い所に出合ったな、我が君のとむらい軍、齎(とき)にこそ外れたり、非時を喰おうと飛び掛かり李海方の真向を二つにさっと切り割って、妃の戒め(縛った縄)を切りほどき、涙ながらに尊骸を押し直せば代々に伝わる御国譲り、御即位のしるしの印綬が肌にかけられたり。 ええ、ありがたや、これさえあれば御誕生の若宮、御位心安し。と、鎧の肌に押し入れ、一先ずは御后にお供致そう。先ず御遺骸を隠そうかと、難儀は二、身は一つ、打ち砕かんと敵の勢が一度にどっと乱れ入るのを、さしったりと切り払い、込み入れば殴り立て、打ち伏せ薙ぎ伏せ捲りたて、走り帰って、今はこれまで、事は急である。 御死骸はともかくも、一大事はお世継ぎと、妃の手を引いて立ち出でれば、このごろ生まれた我が水子、乳房を慕ってわっと泣く。ええ、邪魔らしい、さりながら、己も我が世継だと引き寄せて鉾の柄にしっかりと結わえ付けて、こりゃ、父が討ち死にしたならば、成人して若宮に忠臣の根継ぎとなれ。我らが家の木間ぶり(木の為に取り残して置く果実、木守り)と振りかたげてぞ、落人を切り留めんと敵の兵(つわもの)慕い寄れば踏み止まり、切り捨て、打ち捨て、引く潮の海登(かいどう)の湊に着きにけり。 是より台洲府(だいすふ)に渡らんと、見れども折節船一艘も無く、渚に沿って立っていた所、四方の山々、森の影、打ちかにける鉄砲は横切る雨の如くである。 呉三桂はさね(小さな鉄や革の板)よき鎧で飛んで来る玉を受け止め、受け止め、妃を負い、囲えども運の極めや、胸板にはっしと当たる玉の緒も、切れてあえなくなり給う。 呉三桂もはっとばかり前後に暮れて(前後も分からずに、茫然と)立っていたのだが、御母后は是非もなし、十善の御子種をやみやみと胎内にて淡(あわ、泡)となさん(消えさせる)も言う甲斐がないと、剣を抜き持って后の肌に押し寛げて、脇腹に押し当て十文字に裂き破れば、血潮の中の初声は玉の様なる男の子親王、嬉しくも嬉し、悲しくも悲し。 遣る方もなく、涙を流しながらも母后の袖を引きちぎって押し包み、抱き上げたのだが待てしばし、取り巻きたる四方の敵、死骸を見つけて若宮を隠し取ったと、行く末まで探されては、宮を育てんようもなし、ととっくと思案して、我が子を引き寄せ衣装を剥ぎ、宮に打掛け参らせて、剣を取り直して水子の胸先を刺し通し、刺し通し、妃の腹に押し入れ、あっ晴れおのれは果報者よ。良い時に生まれ合わせて十善太子の御身代わり、でかしおった、出かいた、娑婆の親に心を遺すな、親も心は残さぬぞ、と言えども残る浮き名残り、鎧の袖に若宮を包む、包む涙に咽返り別れ行くこそ哀れなり。 かくとは知らず柳哥君は栴檀女を誘って湊口まで落ち延びたのだが、前後には敵が満ち満ちたり。さあ、ここまで逃れるだけと、繁る葦間をかき分けて、身を忍ばせて隠れている。 李滔天の侍大将・安大人が手勢を引き具してどっと駈け寄せ、今の鉄砲は確かに后か呉三桂に当たったと覚える。辺りを見廻し、是を身よ、妃を仕留めたは。はあ、腹を切り裂き、懐妊の王子まで殺した。 忠節立てする呉三桂、主君を棄て、名を捨てても命は惜しいか。きゃつは人前すたったぞ。この上は彼の妻の柳哥君と栴檀女を尋ねるばかり。眼(まなこ)を配れ、高名せよ。と、四方に分かれ走り往く。
2025年08月22日
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国 姓 爺 合 戦 花飛び、蝶駭(おどろ)けども人愁えず。(花はひらひらと飛び散り、蝶は驚いて飛び立つ。春が去っても宮裏の人は悲しまない) 水殿雲廊、別に春を置く。(水や雲を描いた宮殿や廊は季節の春とは別で、何時も春のように明るい) 曉日(ぎょうじつ)よそおいなす千騎(ぎ)の女、絳脣(こうしん)翠黛(すいたい)色を交え、土も蘭奢(らんじゃ)の梅の香や、桃も桜も、とこしえに、花を見せたる南京の時代(ときよ)ぞさかり、盛んなる。(夜明けから千人の宮女が美しく装い、赤い唇、緑の黛(まゆずみ)色とりどりで、土もかんばしい梅が香る如く、桃も桜も永遠に花を咲かせるように、常にはなやかな南京の時代は誠に盛んであるよ) そもそも大明(みん)十七代思宗烈(しそうれつ)皇帝と申し奉るは光宗(こうそう)皇帝第二の皇子、代々の譲りの糸筋も絶えず乱れぬ青柳と靡き従う四方の國、宝を積んで貢物、歌舞遊宴に長じ給い、玉楼金殿(美しい宮殿)の中には三夫人、九嬪二十七人の世婦(せいふ)八十一人の女御が有る。 およそ三千の容色(ようしょく)かんばせをよろこばしめ(約三千人の美しい宮女が喜々としており)、群臣諸侯が媚を求め、珍物奇翫(ちんぶつきかん、変わった弄びもの)の捧げ物、二月中旬に瓜を献ずる栄花である。 ここに、三千第一の御寵愛華清夫人(かせいぶにん)は去年の秋より御懐妊あって、この月にお産のあたり月、君の叡感(天子の御感)臣下の悦び、聖壽(天子の年齢)四十に及びなされても世継の太子がいらっしゃらない。 かねて天地への御祈り、この度にしるしあり。王子誕生は疑いなしと、産屋に明珠美玉を連ね、産着に越羅蜀錦を裁ち、御産は今かと用意ある。 中にも大司馬将軍呉三桂の妻柳哥君、この頃初子を平産して、殊に男子の乳なればとて、御乳つけの役人、その外めのと侍女(じにょ)阿監(あかん、宮女を監督する女官)などの役々の官女が付き添って掌(たなごころ)の上の珊瑚の玉ぞと嘉祝(かしづ)きける。 時に崇禎十七年中呂(りょ)上旬、韃靼国の主・順治大王から使いを以て虎の皮・豹の皮、南海の火浣布(かかんふ)到支國(ししこく)の馬肝石(ばかんせき)、その外、邊国島々の寶を庭上に並べさせ、使者の梅勒王(ばいろくおう)つっしんで、韃靼国と大民国は古(いにしえ)より威を励み、國を争い軍兵(ぐんぴょう)を動かし、鉾先を交え、互いに仇を結ぶこと、且は隣国のよしみに違い、且は民の煩いであった。 わが韃靼は大国で、七珍万寶暗からず(乏しくない)とは申せ、女の形は余国に劣って候。この大明の帝には華清夫人とて隠れなき美人がおわする由、わが大王恋焦がれて深く所望に候えば、こちらに送り給わって大王の后と仰ぎ、大明と韃靼は向後(きょうこう)親子の因み(関係)をなし、長く和睦をいたさんと形の如くの御調物(みつぎもの)、数ならねども鎮護大将梅勒王が后の御迎えの為に参朝とこそ奏したのだ。 帝を始め卿相雲客、今に始まらない韃靼の難題、すわ、諍乱(しょうらん)の基ぞと、宸襟安からざる所に、第一の臣下、李蹈天(りとうてん)が進み出て、今までは国の恥辱を慎み隠し置き候、去んぬる辛(かのと)の巳(み)の年、北京で五穀が実らず、万民が飢渇に及びし刻(きざみ)、某密かに韃靼を頼み、米粟数万石の合力を受け、国民を救い候き。 その返報には何事でも韃靼の望みを一度はからず叶えようと固く契約仕る。 君は今、四海を保ち、民を治め給うも、一度は韃靼の情によってである。恩を知らないのは鬼畜に同じ、御名残はさることではありまするが、とくとく后を送られてしかるべしとぞ奏聞したのだ。 大司馬将軍・呉三桂は待漏殿にてとっくと聞き、御階(みはし)おばしま(欄干、手すり)を踏み散らして李蹈天の膝元にどうと座し、不憫や、御辺は何時の間に畜生の奴とはなったるぞや。忝くも大民国は三皇(さんこう)五帝が礼楽を起こして、孔孟が教えを垂れ給い、五常五倫の道は今が盛りである。 天竺には仏が因果を説いて、断悪修善の道あり。日本には正直中常の神明の道有り。韃靼国には道もなく、法も無く、飽くまでに喰らい、暖かく着て、猛き者は上位に立ち、弱き者は下につく。善人悪人、智者愚者の分かちも無く、畜類同然の北狄(ほくてき、北方の野蛮人)、俗が呼んで畜生国と言う。 如何に御辺が頼むとて、数百万石の米穀を合力(ごうりょく)して、この国を救いしとは訝しい、訝しい。民が疲れて飢えに及ぶとは何故ぞ。上に、由無き奢りをすすめ、宴楽に宝を費やし、民百姓を責めはたり(厳しく責め立て、やかましく催促する)己の栄華を事とするその費えを止めるならば五年や十年は民を養うに事をかかぬ大国の徳、叡慮もはからず、公卿詮議にも及ばず、懐妊の后を軽々しく夷(えびす)の手に渡さんと言う心底、いささか心得ず。 契約は御辺との相対、上には知ろし召さぬこと、畜生国の貢ぎ物は内裏の穢れだ、取って捨てよ官人共と、北狄を事ともせずに國の威光を見せたのは、管仲が九回諸侯を集めて斉の国威を示したのも、このようなものだったろう。 韃靼の使者・梅勒王は大いに怒って、やあやあ、大国小国はともあれ、合力を得て民を養った徳も知らず、契約を変ずるのはこの大明こそは道も無き、法も無き、手に足りぬ(取るに足りない)畜生国だ。 軍兵を以て押し寄せ、帝も后もひとくるめに我が大王の履持ちにすること、日を数えて待つべしと席を蹴立てて立ち帰ろうとした。 李蹈天が引き留めて、暫く、暫く、憤りは尤も至極せり。某は先年、貴国の合力を受けて、一粒も身の為にせずに國を助けたのは忠臣の道であるのに、今また約を変じて兵乱を招くならば、君を悩ませ、民を苦しめ、剰(あまつさ)え恩を知らぬ畜生国と言わせるのは御代の恥、國の恥。 この度は臣が身を捨て、君を安んじ、国の恥を清める忠臣の仕業、是見給えと小剣を逆手に抜き持ちゆんでの眼(まなこ)にぐっと突き立て、瞼をかけてくるり、くるりと刳(く)り出し、朱(あけ)になった目の玉を引っ掴んで、なう、使者殿、両眼は一身の日月、左の眼(まなこ)は陽に属して日輪である、片目なければ片輪もの、一眼を刳って韃靼王に奉る。 国の恩を報じる道を重んじて義を守る。大明の帝の忠臣の振る舞いこれで候と、笏に据えて差し出せば梅勒王は押し頂いて、ああ、あっぱれ、忠節や候。 ただ今、呉三桂の言い分にては、嫌とも両国権を争い、合戦に及ぶ所、天下の為に身を棄てて事を治め給う事、神妙、神妙。忠臣とも賢臣とも申すにも余りあり。后を迎え取ったるも同然。 我が大王の叡感、使いに立ったる某も、面目これに過ぎるべからず。はやお暇ぞと奏しける。 叡慮殊に麗しく、李蹈天が目を刳ったのは伍子胥(ごししょ)の余風、呉三桂の遠い慮(おもんぱかり)范蠡(越王句践に仕えた功臣で、苦心の結果呉王を破り会稽の恥をそそいだが、永く留まる事の危険を察知して自ら退身して巨万の富を積んだ)の趣がある。 両臣が政(まつりごと)を糺す我が国は千代万代も変わるまじ。 韃靼の使い、早く本国に返すべしと、宴楽殿に入り給う。 げに佞臣と忠臣との表は似ている紛れ者、目利きを知らぬ南京の君が栄華ぞ例なき、、 ここに帝の御妹、栴檀皇女と申せしは、まだお年も十六夜月(いざよい)の、都の宮人のたねや、この世に降る露の玉をのべたる御かたち、管弦の道、書(ふみ)の道、文字も働く口ずさみ、漢詩は日本で歌というらしい、男女を和らぐとや、ここにも恋の仲立ちは変わらぬ物とものと詩を吟じ、年よりひねた(ませた)御心、兄帝の奢りの様、色に耽り、酒宴に誇り、朝まつりごと(朝廷の政治)し給わぬ御いけんの種にもと、行儀正しき御身持ち、おとぎの女官を召し寄せて浮世咄も囁きの、耳は恋する目は睨む、心が伽羅のたきさしの思いうずみて明かさるる。長生殿の方から出御なりと呼ばわって二十歳までの后達が二百人、梅と桜の造り枝百人ずつ片分けて振りかたげ、左右に召し具し入り給い、なう、妹君、我万乗の位に就き、臣下が多いその中で、右軍将の李蹈天は遂に朕が命に背かず、明け暮れに心を慰める第一の忠臣、御身の心を懸けると聞く。 幸い朕が妹婿にしようと思うのだが、御身は更に承引なく、今日までは打ち過ぎたしかるに此の度韃靼国から無体の難義を言いかけて、既に合戦に及び国の乱となる所を、呉三桂などは忠臣顔、口先の道理は誰も言う事、李蹈天が左の眼を刳って宥めたので、使も伏して帰ったのだ。 国の為、君の為、身を棄てて片輪となった。末代無双の忠臣、賞せずんばあるべからず。是非に朕が妹婿北京(ほくきん)の都を譲らんと約くせしが、御身は承引あるまじと、この花軍を催した。 賢女立てしてすんすんとすげなき御身が心を表し、梅花を味方に参らする。朕の味方は桜花、女官共に戦わせ、桜が散って梅が勝つならば御身の心に任すべし。桜が勝って梅花が散らば御身の負けに極まって李蹈天の妻にする。 天道次第。縁次第、勝も負けるも風流陣、かかれやかかれ、と宣旨がある。下知に従う梅桜、左右に分かれて備えける。 勅諚であれば姫宮も、よし力なく(まあ、仕方がない)、さりながら、心に染まぬ夫定め、そうのう(易々と)引くべき様(よう)はなし。花もわが身も咲きかけて、當今(とうぎん、当代の天子)妹、栴檀皇女の縁の分け目の晴れ軍、大将軍は我なりと名乗りもあえぬかざしの梅、たが袖触れし梢には群れいる鶯の翼に駈け散らす、羽音もかくやと梅が香も、芬々(芬々)と打ち乱れ、受つ、流しつ戦ったのだ。 姫君が下知しての給わく、柳うずまく木陰には風が有ると知るべし。弱き枝にはつぼみを持たせ、強き枝には花をひらかせよ。移ろう(盛りを過ぎた)枝をば木偏に若(すはゑ、若くて真っすぐに伸びた細い枝)に代えて互いに力を合わすべし。と、花に馴れたる(花の事をよく知り心得た)下知に依って喚(おめ)いてかかれば花を踏んで、同じく惜しむ色も有り。 只一文字に頭に挿せば二月(にげつ)の雪と散るもある。落花狼藉入り乱れて軍は花をぞ散らしけり。兼ねて帝の仰せに依り、心を合わせた女官達、梅方がわざと打ち負けて、枝も花も折り乱されてむらむら、ぱっと引きければ、勝つ色を見せて桜花、姫宮と李蹈天との縁組は決まったとあまたの女官同音に、勝鬨(かちどき)挙げるしんにゅうの加陵頻伽(かりょうびんが、仏説に見える想像上の鳥で、顔は美女の如く、特に声が美しい)の声が宮中に響き渡ったのは、千羽鶯・百千鳥のさえずり交わす如くである。 司馬将軍呉三桂、鎧冑さわやかに出で立ちて、偃月の鉾(長刀に似て、刃が三たわけた武器)を会釈もなく振り回し、梅も桜も散々に薙ぎ散らして御前に畏まり、ただ今玉座の辺に合戦が有りとて鯨波(ときのこえ)が殿中に響き、宮中がもってのほかの騒ぎによって、物の具を固めて馳せ参じ候えば、さて、馬鹿らしや、御妹栴檀女と李蹈天の縁定めの花軍とは天地が開けてこの方かかるたわけた例を聞かず。 君、知ろしめさずや一家に仁あれば一国に仁を起こし、一人貪戻(たんれい、むさぼって道にもとること)なれば一国乱を起こすと言えり。上の好む所に従うのは民の習い、この事を聞き及び山がつや土民が嫁取り聟取りで、此処にて花軍、かしこにても花軍と、喧口偏に花闘言偏に争(けんかとうしょう)のはしとなり、花は散って打ち物わざ、誠の軍が起こることは鏡に掛けて見る如し。 ただ今にも逆臣がおこり、宮中の攻め入り、喚き叫ぶ藝波は聞こえても、しは、例の花軍だと馳せ参る勢もなく、玉躰(ぎょくたい)をやみやみと逆臣の刃に掛ける事は、勿体無しとも浅ましとも悔やむに甲斐のあるべきか。 その逆臣佞臣とは李蹈天のこと、君は忘れ給いしか、御若年の時、鄭芝龍(ていしりゅう)と申す者が佞臣を退けたまえと諫め申すを、逆鱗あって鄭芝龍は追い放たれ、今老一官と名を変えて日本肥前の国、平戸とかやに住まい致すると承る。 その鄭芝龍がこの事を伝え聞き、日本にまで大民国の恥辱が広まるやも知れぬ。
2025年08月20日
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巡り巡って我が君に廻り遭いしも我が夫(つま)の念力・通力・神力であり、渡邊の綱と碓氷の定光をただ今、これへ招くべし。 哀れ、我が子をも譜代の家来と思召し、敵御成敗の御馬の口をも取るならば、父が一期(いちご)の素懐を遂げ、母が鬼女の苦患(くげん)を逃れ、成仏得脱は間違いなし。二世(この世とあの世)の苦しみ助かるのも、ただ大将の御慈悲ですと角を傾け、手を合わせ、ひれ伏してこそ泣いている。 かかる所に、綱と定光、草木を押し分けて、たあ、我が君様はこれに御座候、両人今夜信濃路を通った所、誰が言うともなく源の頼光は、あの山のあなたに、この谷のこなたにと、手を取って引くが如くにて覚えずこれまで参りましたと申し上げれば、頼光は鬼女の神変を委しく語り、奇異の思いを為し給う。 さて両人を末武に引き合わせて、この上は女の望みに任せて、汝の一子に主従の契約をしよう。これへ召せと宣えば、母は悦び、快道丸、快道丸幾つでもれば、あい、と答えてつっと出で、どっかと坐したる顔の色、なう、母(かか)様、あれは何処の叔父様じゃ。土産貰おう、嬉しいと手を叩いて喜んだ。愛嬌はあるが凄まじい形相だ。さながら愛染明王(あいぜんみょうおう、愛欲をつかさどり、怒りの相を現わす明王)の笑い顔かと見間違えてしまう。 母は立ち寄って、やい、慮外者(りょがいもの、無礼者)め、あの御方様こそ常々言い聞かせている源の頼光様だ。今日よりはおこと(そなた)が殿様奉公、精を出しましょうと申しなさいな。 と、教えられて、はっと手を突き一礼して、随分奉公精に入り(念入りにして)敵の首を幾つでも引き抜いて上げましょうと、老い先が見えた広言に、御悦びは浅からず。 母は重ねて、あの岩窟に鹿・猪を追い込み置き、折々刀を試し見れば、御覧候え、あの如くに引き裂き候。是非、お目見えのしるしに相撲を所望と言いければ、ずんど立って岩屋の口に立てたる盤石(岩)を軽々と取って投げ退け、両手を広げつつ立つ所に、内から荒熊が飛んで出て来たのを、どっこい任せろとしっかと抱いた。 相手の熊を事ともせずに捩付けようとするが、いっかな動かばこそ、からみつけばこじ放し、組み付けば押し伏せて、呻いた咽笛を二つ三つ叩きつけて、怯む所を取って押さえ、片足を掴んでくる、くる、くる、二三間かっぱと投げ、ああ、草臥れた、乳が飲みたい、母(かか)様と母の膝にぞ凭れたのだ。 頼光はなはだ御喜悦有り、ためしなき強力(ごうりき)、さしがはこの母の子供であったなあ。即ちただ今冠させて坂田の金時と名付けて四王天(欲界六天のひとつで、須弥山の半腹の四方)の四天(帝釈天に仕え、仏経を守護する四王天の主。四天王と同じ)を表して定光・末武・綱・金時を頼光が家の四天王、四夷八蛮を斬り靡け、源氏の威光を四海に照らさんしるしぞと、各々ざざめきあい給う。綱と定光が詞を揃えて、君はしろしめし給わずや、近江の国高懸山(こうかけやま)には悪鬼が住んで国民を悩まし、折々は都方にも現れる故に、諸国の武士に悪鬼退治の宣旨が下りていると言えども、お請け申す者もなし。 武勇に長ぜし武士(もののふ)で鬼神退治あるにおいては、勲功勧賞(くんこうけしょう、ほうび)望みに任せるとの高札が所々に立てられておりまする。 この勢いで、悪鬼退治を思召し立ち給えと勧め申せば、頼光、それこそは武運が開けるであろう瑞相だ。多くの人数は無用である。主従五人で山続きに分け入って、鬼神が自在に身を変じて千騎となったなら千騎を討ち、天下太平の忠義をあらわして敵を滅ぼす前表(前知らせ)、はやうったてと進み給えば、金時悦んで、おお、鬼神退治とは面白かろう。 これ、人々、この金時は生所も知らず宿もない山姥の子であるから、産所も山、産屋も山、育つ所も山であるから、山道の先陣を仕ると真っ先に立って出でければ、おお、でかしたでかした、こころにかかる事はない、母はもとより化生の身、有りとも無しとも陽炎(かげろう)の影身にそうて守り神、これまでぞ金時、これまでぞ我が君、暇申して帰る山の峰にいざよう月かと見れば、まだ中空に暮れぬ日かげが暮れたのも通力、庵と見えたのなくも輪廻を離れない妄執の雲水、流れ、流れて谷に音あり。梢に声ある。 風に消え消え、嵐にちりちり、塵が積もって山姥となった。鬼女が有様を見るか、見るかと峰にかけり、谷に響いて今まで此処に在るよと見えし山また山に、山廻り、山また山に山巡りして行方も知らずなりにける。 第 五 瑶臺(ようたい、玉の台、玉楼)に霜満てり。一声の玄鶴(老鶴)空に啼く。 巴口偏に交(揚子江の上流)秋深し。五夜(午前四時頃)の哀猿月に叫ぶ。物すさまじき山路かな。 かくて頼光は四天王を相具し、鳥も通わぬ高懸(こうかけ)山は屏風を立てたる如くであるよ。 悪所(険しい所)を嫌わず主従五騎、木の根に取り付き岩間を伝い、足に任せて行く先も、次第次第に道暗く、山とも谷とも知れないので、とある木の根に腰を打掛てしばらく休憩なされたのだ。 頼光が仰せなさるには、かほどに険しい山中をはや二三里も過ぎたけれども、何の不思議も無いのは必定、世俗の虚説であろう。実否(じっぷ)を質し、重ねて取り巻き討ち取るべし。いざ、凱陣せん、人々と言わせも果てずにあら恐ろしや、虚空に数万の声が有って不思議ありや、不思議なしや、思い知らせん、思い知れと、えい、えい、どっと笑う声は波が打ち寄せて来るが如きである。 時に、向こうの松の枝に五尺余りの女の首、鉄漿ぐろに色白く、眼(まなこ)の光は赫奕(かくやく、明るく輝くさま)として、川辺の氷は一面に朱を流したようであり、にっと由ばむ顔ばせは身の毛もよだつばかりである。 末武が進み出て、ようよう、どうもどうも、鬼の娘に御見もじ、この末武がめが思いの種、八幡一夜の御情けあれ。心中づくなら後とも言わず今目の前に陸奥の千曳の石と我が恋と、重い思いを比べよと、大石をえい、やっと片手に掴んで投げつければ、変化の首はそのままにかき消すようにぞ消え失せた。 時に、山河が震動して雷電稲妻おびただしく、二丈余りの悪鬼の形、火焔を降らし、枯木を投げかけ石上に突っ立ち、しうぞくだつばがんがんがっと、呼ばわる声に、此処の山蔭、谷陰、岩陰、杉の木の間に散乱して、あまたの眷属一度にどっとおめいてかかる。 さ知ったりと(心得た)と頼光は髭切を差しかざして、数万の中に乱れ入り、おめき叫んで戦いける。 通力自在の変化だに名剣の徳に恐れをなし、大半は滅びて失せてしまった。 大将・破顔鬼怒りを為し、頼光めがけて飛んで掛かる。それを金時が表に立ち塞がり、やあ、させぬ、させぬ、顔の赤いのが自慢か。そっちの顔が赤ければ、俺の貌もまっかいな。母(かか)さまからの譲りの力の塩梅を見よと言う、夕日に輝く紅葉葉の、いづれをそれと紅の両手をかけて組んだれども、二丈に余る鬼神の姿、二尺に足りぬ金時が、膝節までも届かばこそ、幾とせ古りし楠の根を纏いたる朝顔の朝日に消える命の程、危うくも又不敵であるよ。 鬼神はいらって片手を伸ばして金時の堂骨を掴んでかろがろと差し上げ、微塵になれと投げつければ宙にてひらりと跳ね返り、落ち様に鬼神の両足を一つに掴んで、はがい締め大地のどうと打ち付けた。そして起き上がる所を踏み倒し、打ち伏せねじ伏せて、ねじ伏せて馬乗りにしっかりと乗り、一息ふっと吐いたのは、悪鬼に勝る勢い、、げに、山姥の御子息だ、いやいや、どっとぞ褒めにける。 渡邊・末武・定光は、なんど我らもと馳せ集まり、千筋の縄をかけたのだ。 おお、心地よし、潔し、ただこのままに都に引け。合点じゃ、まっかせ、金時が銅よりも太い大綱をしっかりと掴んで、やあ、やるぞえ、本綱・中綱・木遣りでせい、やあ、天魔のひよえい、えいえい、天魔の通力をことごとく亡ぼして、凱陣あるこそ目出たけれ。 かくて帝都には高懸山の変化の討っ手、諸卿が詮議有る所に、大納言兼冬公が参内あって、さても某が聟の源頼光、勅宣の御高札に任せて、江州高懸山に分け入り変化を生け捕り、入洛仕って候えども勅勘の身を憚り、某を以て奏聞仕り候、早く佞臣の実否を質されて賞罰を願い奉る。それそれとありければ、金時の縄取で三人が四方を取り囲み、庭上にひっ据えた鬼神の怒りおめく声は宮中に鳴り響き、帝を始め月卿雲客(公卿殿上人)、宮女、上下の男女共、恐れおののいているばかりである。 関白忠平が御階近くに出られて、変化退治の武功、叡感浅からず、この恩賞によって頼光の出仕御免有り、はやはや鬼神の頭を斬り、淀川の臥しつけに沈めるべしとの綸言なりと詞がまだ終わらないうちに渡邊が居だけ高になって、からからと笑い、こは、一天の君の勅諚とも覚えぬ物かな。もとより罪なき頼光の御免有とは何のこと、鬼神退治の恩賞は望み次第との御高札によって、我々は一命を擲って鬼神を生け捕り候えでも、いまだ洛中には平の正盛と言う恐ろしき鬼神が住んで、科無き者を讒して国土を騒がし候、 きゃつを我々に給わってこの鬼神と共に退治仕まつらん。是が第一の望みですと、憚り無く申しける。 関白殿を始め、有り合う諸卿は色を損じて、威勢盛んの正盛、たとえ如何なる誤りがあろうとも、誅せんことは叶い難し。何にてもほかの義を望むべしと有りければ、定光を始め末武・金時が口々に、叶わぬ望みをまだまだと申しても無益の至り、この方で御無心申さぬからは、そっち御用も承らぬ、 この談合をさらりと元に戻して、この鬼神の縄を切りほどき、庭上に放つならば、我々も共に腹を搔き破って共に悪鬼となって現れ、禁裏はおろか日本国中に仇をなさんと、既に縄を切ろうとした。 卿相雲客、あら怖や。やれ待て、渡邊、麁相しやるな、定光殿、末武殿、金時とやら良い子じゃ、頼む、縄を解くな。鬼を放してたまるものかと、御簾や几帳に身を縮め、震えわななき給いける。 関白道理に服し給い、奏聞衆議判は力なく、検非違使勅をこうぶりて正盛に縄をかけ、四天王に渡された。こは有り難しとひっぷせ(引き伏せ)、さあ一人は片づけたぞ。とてものことに清原右大将高藤と言う大悪人の鬼神の棟梁も給わらんと、言上すれば、諸卿が目と目をきっと合わせて、かたずを飲んでおわします。 関白殿は眉をひそめて、忝くも高藤は女院の御弟、如何に罪科があるとはいえ右大将の官人を武士の手に渡された古例はない。この議においては叶うまじとの給えば、御尤も御尤も、ならぬことを是非とは申さない。さらば鬼の縄を解けとつっと寄れば、ああ、ああ、気が短い、渡邊殿、談合致そう。綱殿と、慌て騒ぎ給う所に右大将がつっと駈け出て、やあ、推参なるわっぱどもめ、己ら如き匹夫の分にて、某を亡ぼさん事は蓮の糸にて大石を吊り下げんとするに似ている。 早くその場を立ち退くべし、と嘲笑って立っている。綱は堪らずに駆け出て高藤の諸膝をかいてどうどひっしき、やあ、匹夫とは誰の事だ。己が罪は天下一統存知の所、白状には及ばずと高手小手にぞ戒めたり(縛った)。 時を移さずに、舅中納言兼冬卿が頼光を誘引して参内あれば、叡感はなはだ麗しく、源氏の本領もとのごとく鎮守府の将軍に任ぜられ、兼冬の娘おもだか姫は四位の女官に補(ふ)せられて、御祝言の吉日まで勅諚有ったのは有難いことである。 さて、右大将の配所は鬼界ケ嶋へ、正盛は鬼神と共に誅すべしとの綸言、こは有り難し、有り難し。それ計え、承ると、正盛を引き出して首を宙で打ち落とし、残る鬼神は四天王が嬲り殺しの手玉ぞと、定光・末武・両足取れば、金時が片手に角を持ち、えいえい声して引く程に、なんなく首をねじ切って左右にさっと退いても、退かないのは夫婦・主従・一門一家、縁者親類が豊かなる流れを汲んで源の氏も繁盛、国も繁昌、五穀豊饒(ぶにょう)の民繁盛、蓬莱国の秋津嶋治まる御代とぞ祝いける。
2025年08月16日
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源 頼光 道行 第 四 仇形(あだなり)と名にこそ立てれ櫻花、名にこそ立てれ桜花、散りても遂に根に帰る。 都の春を頼みても浮世の渕瀬は常ならぬ。流れの行方は汲んで知れ。 源の頼光は判官夫婦の情けにて御命逃れしと、又もや他所へ抜け出して森の下風、木の葉の雫、落人(おちうど)の身となり給う。 戦場出陣の折ならで、召しも習わぬ武者草鞋(こんず草鞋、丈夫な草鞋)、それではない藁の沓((くつ)で御足を痛めながら草の露が散る蔭にさえ今は憂き身を置く方も無い。 鳴子に騒ぐ群鳥の散りじり別れ落ち給う御有様ぞ哀れなり。 美濃のお山はそなたとも、いさ、白菊や、秣(まぐさ)刈る牧の童に道問えば、花によそえて紫欄(しらん)紫蘭、知らない、知らないと子供でさえ侮る。 葛(かつら)蔦葛が這い広がって行く先を遮り、堰き留めようとするかのように関ケ原、日高の杣(そま)も打ち曇り、さっと袂にひと時雨。しばし宿を借りる笠縫いの里を遥かに見渡せば、野分に乱れる萩薄、野守の鏡(野中の水が隠れているが、その水鏡)の曇りを吹き払うように、世に埋もれている身の暗い影を吹き払ってほしい。 息吹の里に軒端葺く苫(とま)は荒みて淋しいのだが、絵に写したら美しかろう。賤が藁家に立つ煙、消えては結び棚引きては風の間に間に立ち迷う。 ああ、人界の善悪に、誘われ靡く人心、かくやとばかり観ずれば五欲(色・声・香・味・触、財・色・食・名・睡眠)七情(喜・怒・憂・懼・愛・憎・欲)様々な罪を得るではないが、うるまの里近く、友にも疎く親しきも不破になる、それではないが、不破の中山の山深くに木の間を漏れる入相の鐘がこうこうと物凄く、谷の架け橋とだえして、峰に妻乞う鹿の声、子を悲しみて猿(ましら)が鳴く。 夜半の鵺鳥(ぬえどり、夜に寂しい声で鳴く鳥とする)夜の鶴、涙を誘うものであるようだ。 暮れ行く空は風絶えて、四方の山々黙然と座禅の相を現わせば、谷の川音しんしんと寝物語は美濃近江、国の境よ、世の中の盛者必衰の境かと、我が身に問えば我が答は否ではない。 稲葉山、後に見做して何時かまた世に遇う、それではないが、青野が原ならば、今を昔の世語りと思い続けて行く末は、垂井赤坂青墓も、それぞとばかり言う、夕間暮れに、松の嵐の、とうとうとう、さらさら、さっと吹きおろし雲の行き来も他所よりは早暮れすぎて物すごく、名をだに知らぬ山中に忙然(ぼうぜん、前後もわからずにぼんやりとして)として立ち給う。 草木が繁ってがんがんたる岨蔭(そばかげ)横折れして、枯木の枝を見上げれば、こはいかに、老若男女の血汐の生首を梢にひっしと掛けたるは唯熟柿がなっている如くであるよ。 頼光はちっとも臆せずに、むむ、言われぬ狐か狸殿、落人と侮って魂を抜こうとな。しや、物々し、と名刀の髭切りを抜きかけて瞬きもせずに守り詰めて立ちなさる。 時に、向こうの木陰より小山の如き大男、丸太舟をこぎ出すように、ぬめって(滑らかにすべり出て)歩み寄り、頼光の足元にどっかと座り込んだ有様は、追剥の大将と看板を打ったるようであるよ。 頼光ものさばり声、こりゃこりゃ、男、うぬが面付きはただ者ではない。商売も合点である。某(それがし)は善光寺参詣の上方者である。路銀を切らし一宿すべき様もない。近頃無心千万ながらわぬしが常々盗み貯めた金銀衣類は言うに及ばず、身に纏いし古褞袍(おんぽう、古い粗末な衣類)と腰に差した刀も、はやはた、脱いで渡せ。命だけは助けてつかわす。と、言い終わらないうちに、からからと笑い、やあら、でっちめが、味をやるよ。身が一迹(いっせき、特有、独特)の科白の裏をくわすとは痴れ者、意地張って大怪我をまくらんよりはうぬが褞袍と腰に差した赤鰯も早く此処へまけ出せ(隠さずに全部出せ)。 渡さぬだてを吐き出せば、こりゃ、この首の連中に加えて遣ろう。西の枝か東の枝か、さあさあ、望めと詰めかけたのだが、頼光は返答もなさらない。 ああ、この程の旅の疲れ、とろとろと寝てくれんと、岩角に駆け上がり首を二ッつ三っッつ引っ掴んで飛び降り、おお、日本一の枕ごさんなれと両足をずっと踏み伸ばして豊かに臥したる御有様は、不敵にもまた恐ろしい。 山賊今は堪り兼ね、柄に手を掛けて抜かん、抜かんと藻掻くのだが、神武智勇の名将の三徳(知・仁・勇)兼備の威に押され、眼(まなこ)も眩み腕痺れ、覚えず震え出したのだが、さすがの山賊ほうど呆れ(呆れてぼんやりする様)我十余年の今日まで多。くの者に出会いしが一度もかようの不覚は取らなかった。 さもあれ、御身は唯人ではない。包まずに語り聞かせ給え。 おお、さもあらん。およそこの土(ど)に生ある者で我が名を知らぬ者やある。源の満仲の嫡子摂津の守頼光ぞよ。と、聞きも終えずにはっと飛びしさり、頭を大地にこすりつけて、ああ、勿体なや、勿体なや。 さればこそ始めより、世の常ならず見奉り候。さては平の正盛、清原の右大将の讒言にてかかり御身になり給うよな。所こそあれ、この所にて会い奉るのも宿世の御縁、我は卜部の熊竹と申す山賊の張本、向後(今後)は一命を擲って君に仕え奉らん。お沓取とでも思召し候えかし。と、思い入ったる詞の末、頼光喜色ななめならず、おお、頼もしい、しからば今日よりは主従ぞや、子孫に長く武功を伝え幾千代かけし壽(ことぶき)に、卜部の末竹と名乗るべしとの給えば、有り難し、有り難し、昨日までは追剥、今日よりは忝くも源氏の郎党・卜部の末武、お供申す。山も谷も草も木も、皆わが君の御領内、この山の獣も鳥も虫も皆、傍輩(ほうばい)、懸けたる首は傍輩の烏への置き土産、さらばさらばと見返せば山路を帰るや、一洞(ひとつの洞)のような虚しい谷のような声、山高くして海が近く、谷深くして水は遠い。 前には海、水じゅうじゃうとして月は真如の光を掲げ、後ろには嶺松魏々(ぎぎ、聳える)として風常楽の夢を破る。刑鞭蒲(刑罰に用いる鞭は柔らかな蒲としたが)朽ちて、蛍空しく去る。諌皷(かんこ、君を諫める時に使う皷は誰も用いる者がないので)苔深くして鳥は驚かずとでも言うべきだろうか。 心は昔に変わらないけれども、一念化生(一心に思いつめて生まれ変わった)の鬼女と人は見る、陸奥の信夫(しのぶ)の山にあるかとすれば、今日は甲斐が嶺(ね)木曾の山、昨日は浅間・伊吹山、比良や横川(よかわ)の花ぐもり、雪を担いて山がつ(山中に住む賤しい者、樵・ここりや杣人・そまびとなど)の樵路に通う花のかげ、休む重荷に肩を貸し、月を伴う山路には雪月花を弄ぶ。心はしずの目に見えぬ鬼とや人が言うのであれば言え、良し悪しではなくて、四つ足のそれではないが、足引きの山姥が山巡りするぞ苦しき。 暮れるのも早い山蔭に行き暮れなされて頼光、道なき方に踏み紛い、里はいずくと誰にかも問う、それではないが東西が分からずに立ち迷う。 お供の末竹が辺りを見廻して、や、あれに柴を刈る女がやすらっているからには人里も遠くはないでしょう。究竟(くっきょう、何よりの)案内者、これ、女、この山は何と言う、麓の里に下る者さが案内せよ。と、言いければ、これは信州上路(あげろ)の山の頂、御覧の如く道も無く、麓の道とて東北は五十余里、秋田の地、幾重の谷、峰に縄を渡して橋となし、恐ろしや唐土(もろこし)の蜀川(しょくせん、険阻を以て知られる中国四川省の川)、天竺の流砂、葱嶺とやらの難所にも勝とも劣らぬ、北は越後・越中の境川、これも谷を二越え、十里に余れば今日の内には思いもよらず、御愛しや、我等が方にお泊めしたく思い候えども若き殿達、この柴嚊(しばかか、柴を刈るかか)の住み家はお嫌であろうか。と、言う風情はふつつかならぬ山人の、薪に花とはこれを言うのか。 頼光は打ち笑み、いや、それは逆様、あらくましき(荒々しい、粗暴な)若者共をそなたこそは厭われるであろう。行き暮れたる山道、柴刈りは愚か山姥の住家でも苦しからずとの給えば、歯っと驚く顔ばせにて、むむ、さては自らが山姥と見えけるか。山姥とは山奥に住む鬼女、よし鬼也とも人であっても山に住む女であれば、さ見給うも理(ことわり)や、そも、山姥は生所(せいじょ)も知らず宿も無し。ただ雲水を頼りにて、至らぬ山の奥も無く人間ならずと恐れるが、ある時は山柴の山路疲れる肩を助け、里まで送る折も有り、又或時は織姫(機織り女)五百機(いおはた、多くの機・はた)立てる窓の梅、枝の鶯よろしく、絲繰り、綿繰り、紡績(ほうせき)の宿に身を置き、人に雇われて手間仕事、櫛さえ取らぬ乱れ髪、女の鬼とはことわりの、世を空蝉の殻ならぬ、唐ころも、千声万声の砧に声のしってい、しってい、からころ槌の音、こたまに響く山彦も皆山姥の業(わざ)也と思うも見るも人心。煩悩が有れば菩提有り。仏有れば衆生が居る。衆生有れば山姥もどうしていない筈がありましょうや。 都に帰りて世語りになさいませ、夜すがら物語を致しましょう。と、廬に誘い入れにけり。 小高き所を設え、整え、構えて頼光を請じ奉れば、いやいや、左様になされる者ではありませんよ。一夜の程は軒の下でも明かすべし。見申せば一人住みの女性、この方へはお構いなく渡世の営みをせられかし。と、辞退したところ、いや、紅は園生に植えても隠れなき。大将軍の御骨柄(おこつがら)は紛う所は候わず。 誠や、源の摂津の守殿は清原右大臣の讒奏にて、御身を危うくされて諸国に流離い彷徨いなさるとは山の奥にいても隠れの無い事。その人物であると御名乗り候わば自らも身の上を語り参らせん。やあ、定めて旅の疲れ、何をがな、おもてなし。折節、山の木の実も皆落ち果てぬ、げに、思い付きたり、筑紫宰府の山にいがぐり一枝昨日まで有ったのだが、これを取って参らせん。と、表に出てから振り返り、必ず、必ず、奥の一間を覗き給うな、見給うな。追っ付帰らん待ち給えと岩根を踏むことは飛鳥の如く、山深くに飛んで入ってしまった。 末武は横手を打って、筑紫の宰府までは五百余里、今の間に帰らんとや。きゃつが仕方、言い分始めから飲み込めず(不可解だ)。君の武功を抑えんと魔障変化(魔物や化け物)の爲す所、追っかけて討ちとめてくれんと、駈け出そうとするのを、やれ、待て。 変化と知って立ち騒げば、彼に心を奪われる、こちらは静まって却ってきゃつを誑かし、嬲り殺しに退治しよう。 さもあれ、彼の詞に従って奥の一間を見ずに置くのも遅れたり(臆した、臆病だ)。と、主従の二人が覗いて見給えば、あら、凄まじや。五六歳と思しき童(わらんべ)、五體の色は朱の如く、おどろの産髪(うぶかみ)が四方に乱れ、餌食と思しき鹿・狼・猪を引き裂いて積み重ね、木の根を枕に臥している様子は誠の鬼の子はこれであろうと思われる。 知らず、我等は羅刹國(らせつこく、食人鬼の羅刹の住む国)に来たのかと身の毛がいよ立つ程である。 時を移さずに主の女、栗を手折ってふりかたげ(肩に背負い)帰った所を、頼光膝丸を抜き放って、はたと打てばひらりとはづし、ちょうど切ればはっと開きしさって睨むかんばせは変わり、角(つの)は三日月、両眼(りょうがん)は寒夜の星のように輝いている。 怒れる面にはらはらと零れる涙にくれながら、うたてやな、恥ずかしや、恨みなき我が君に仇をなそうとは思わないが、御太刀影(刀の光)驚いて、自性(じしょう)を現わし候ぞや。 この上は、力なき枯野の薄穂に出でて、身の上懺悔申すべし。我、元は遊女の身、坂田の何某と幾代をかけし契りの仲、夫の父を物部と言う者討たせ、その敵を討たん為にあかぬ別れの梓弓、夫の運命拙くて妹に先を越され、親の敵を討たないだけではなくてそのこと故に、源氏の大将、漂泊の御身となり給う。 今生(こんじょう)のこの身にてこの鬱憤は晴れ難い。腹を掻き切って魂魄汝が胎(はら)に宿り日本無双の大力、一騎當千の男子と生まれ変わり敵の余類を滅ぼさんと天に訴え、地に叫び、誓いの刃に臥したのでした。 それよりわが身もただならず、子を持つ、それではないが、望月の影深く、人倫離れた山に籠れば、いつの間にかは山巡り、一念の角はそばだち、眼(まなこ)に光る邪正一如と見る時は、鬼にも有らず人にも有らず、名は山姥の山廻り、春は三吉野初瀬山高間の山の白妙にまがう霞もそれかとて花を尋ねて山巡り、秋はさやけき空の色、変わらぬ影も更科や、姥捨て山の名にめでて、月見る方へと山を巡り、冬は冴え行く比良が嶽(だけ)、越の白山(しらやま)時雨行く、雲を起こして雲に乗り、雪を誘って山廻り。
2025年08月12日
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畢竟、この判官の為には我が子であって我が子ではない。 現世の親とは御身のこと、頼光を失い、冠者丸を世に立てるべきであろうか。後悔がないようにに、心の底を真っすぐに聞かま欲ししと有りければ、小侍従ははっと胸が塞がり、文を繰り返し巻き返して顔を傾けて目を塞ぎ、胸に手を組みさしうつむき、思案とりどり、様々に、しばしいらえもなかりしが、ああ、誠にそうじゃもの、なう、判官殿、たとえ判官殿が此処を落としたとして頼光様を助けても、かくまで栄える右大将のこと、御首を見るまでは雲の裏側に仮に隠れたとしてもも、そのまま助けおく筈もないでしょう。 時には冠者丸も世に出ずに、ひとつも取らず、二つも取らずに源氏の破滅の時なり。いたわしながら討ち奉り、冠者を源氏の大将軍にして清和の系図を継がせるのはわが身の幸せ、あの子の果報と言わせも果てずに、おお、皆まで聞くに及ばず、さこそ思いて尋ねた事、御首を打つのは今日の中(なか)、用意をしようと立つ所に、是なう、御身の為には相伝のお主、世の謗り天の咎め、仏神の怒りも恐ろしい、みずからが一太刀に騙し寄って刺し通さん。場所はこの持仏堂、千に一つも仕損じはしない、もしも失敗したならば声を掛けるのを合図に駈けつけて首取り給え、おお、潔い、しからば御身が討たれよ。 次の間に忍んでいて、声次第に駈け出でよう、必ず急くまい。気遣いなされるな、首尾よくと別れて座敷に立ち出でた。 跡を見送って北の方、恥ずかしや、男も女も慎むべきは舌三寸、子を思うばかりの詞に心を見さがされ(隅々まで見られ)疑いを受けるのも尤も、詞での言い訳は誠しからず。所詮は御身代わりに冠者丸が首を討って、頼光の御難を救い、邪なき心を誠の心、この仏こそ証拠ぞと貞女の道を守る刀、袂の下に押し隠す。 数珠も我が子に、別れの涙、今日一日を現世(げんぜ)未来、生死ならぬ障子をさっと開けければ冠者丸が立ち出でて、今日は仏事の日とは申しながら片親にてもある者はわきて(特別に)祝い日、目出度き御顔を見せ給えとにこやかなるを見るにつけて、母は心が乱れるのだが、さあらぬ躰(てい)にて、この祝い日に髪をも結わずに取り上げ髪(ざっと束ねた髪)は何事ぞ、頼光様はいず方にましますか。 さん候、築山の涼み所にお入りです。我等もお側におりましたが残暑凌ぎ難く、行水を、も解き、自鬢に取り上げて見苦しいであろうと、つと掻き撫でる手つき手元も今の間の形見と思えば胸が迫り、物言う声もしどろである。 これ、冠者丸、現世の親よりも未来の親が先ず大事、行水をしたのは幸いです。帷子(かたびら)を着かえ身を清め、御経を読んで父聖霊への手向け、若き身だとて無常の命、何時、なんどきとも定めはない。自他平等の回向をしなさいよ。 あっと答えて冠者丸、親がかさねる死に装束、その身はそれとも知らずに白帷子、思い染めないのが実に哀れであるよ。 能勢の判官仲國は妻の小侍従と共に、頼光を騙し討ちにしようとはあたかも蟷螂の斧、却って御佩刀(みはかし)にかかって顯(あら)われては一大事、あら、気づかわし、胸安からずと仏間の妻戸に伺えば、静かにお経の声が聞こえる。 すはや、これぞ頼光の御声、かく御心を許されし上は何事かあらん。物音がそよともすれば妻戸一枚を蹴破って、ただ一打ちとはばき本を抜きかけて、耳をそばだてて控えている。 冠者丸は一心不亂に読む読経の紐もたけた。ああ、歎くまい、遅れまいと母は刀をするりと抜き後ろに立ちは立ったのだが、髪は黒々と色白で、読誦の弁舌さわやかに、百人にも優れた生まれつき見るに目もくれ心消え、太刀を振り上げた手も弱り、涙の闇に迷ったのだが、さて、可愛いやな後ろからこの母が斬り殺すとは露知らず、慈現視衆生福壽海無量、と読むのか不憫であるよ。 親を殺す子にばかり天罰が下るのは何事か。我の如くに子を殺す親にも罰当たれかし。奈落に早く沈んだならばこの世の思いはしないであろうと、太刀を振り上げては泣き沈み、消え入っては又振り上げ、声をも立てずにかっぱと伏し、からりと投げた太刀よりも胸を切り裂く切ない思いの刃、涙の玉が四方に飛び散るほどである。 御経もはや巻軸の時刻(読み終わる頃)過ぎたのだが、討つに討たれず、せんかた尽きて、判官殿はおわせぬか、出合い給えと呼ばわれば、さしったりと(心得た)ばかりに妻戸を蹴破って、飛んで入る。冠者丸も跳びひさり、互いに顔をきっと見合わせ、呆れて言葉は無かったが、母は泣く泣く声を挙げて、御不審は御尤も、やれ、冠者丸、右大将より頼光を討ち奉れ、さすればおことを源氏の大将と仰がんとの内通、判官殿の名が大事、御身を害して頼光の首と敵をたぶらかして御難儀を救い、御身も母も末代に女の道、忠孝の名をとどめんとこの太刀を、幾度か打ち付けようと打ち付けようとはしたのだが、愛し可愛いに目が眩み、どうでも母はよう討たれぬ。なう、判官殿、はやはやあの子を討ってたべ。 こりゃ、狼狽えるな、頼光はお主にとって元御主人であり、兄ではないか。御命に代わるのは本望であり、誉であるよ。母方が賤しくて未練の最後と笑われるな。目をふさぎ手を合わせて尋常に討たれてたもと口説き給えば、冠者丸は顔色をさっと蒼くさせ、わじわじ震え、やあ、何と我らがこの首討たんとや。親分ながら判官殿は元他人、頼みにしたる一人の母、情けなや、むごたらしや、仮初の患いにも薬よ灸よとの給いしは偽りだったのか。首を討たれる科が有っても助けるのこそが親の慈悲、つれない母や、恐ろしやと逃げようとするのを母が飛び掛かって引き留め、浅ましや口惜しや、やい、科があって討たれるほどであるならば、母がこの身を一分だめしに刻まれても見殺しにするものか。 子の命は親の命、たとえ御身が思い切り捨てようと言っても私は捨てたくはない。御身の命は御身よりは母が百倍惜しいのだが、それを殺すのが人界の義理というもの。その義理と言う字に責められている母の心を思いやれ。死にたくないならば殺しはしまい、せめて一言潔く弓取りらしい詞を聞かせ、恥を濯いでくれよと言って声を挙げて歎くのだった。 判官は嘲笑い、御辺の心底は顯われたり。生きとし生けるもの命の惜しくない者がいるだろうか。その一命を義に依って捨てるのを捨てるのを弓取り武士名付けて、惜しむのは買人(商人)土民と言う。さようの下郎を御身がわりにとって何の益が有ろうか。 この上は頼光の御運次第とありければ、冠者は色をなして、ああ、有難き御料簡、命を一つ拾ったと逃げ出すのを母が捕って引き据え、恥知らず、可愛さも不憫さもふっつりと覚め果てたり。長い恥を見せるよりは母が慈悲ぞと言うより早く抜き打ちに討つ太刀風に、盛りを待たぬ小椿や、首は前にぞ落ちにける。さいごであった 胸にせきくる涙を抑え髻(たぶさ)を引っ提げ、夫に近づき、過去の業が拙く畜生を産みながら人と思って育てたのは、面目もなく恥ずかしい。 かかる者を大将の御身代わりとは恐れながら、我々の忠孝の志を立て給い、御情けには君御出世の後までも、この子の最期はけなげであったと必ず恥を隠してたべ。言うに甲斐の無い最期であったと再び咽返るのも道理であるよ。 かかる所に外樣(とざま)の侍が六七人馳せ来たって、やあ、右大将より御返事遅しとて使いが度々に及び候。急々に有無の御返答しかるべしとぞ申したる。 判官は少しも騒がずに、あれ、聞き給え、君の御難儀ただ今に極まって、先途(せんど、未来)の御用に立つことは御身誠の心ざし、弓矢の冥加に叶いたり。とてもの事に最期潔くしなかった事の残念さよ。血の別れ(同じ血筋、肉親)とて顔ばせは頼光に似ているが、丸額と角額、この分にては渡せない、この首に角(すみ)を入れれば頼光にまがいなし(そっくりだ)と、櫛笥を引き寄せて髪を解き元結を取れば髻の中に一通の文を結い込めて、母様に参る冠者丸と書いてある。 夫婦は不審晴れやらずにさては覚悟が。ただしは、何ぞ望み事でも有りけるかと、泣く泣く開き開き読み挙げた。声も無く、涙に埋もれて文の言葉もしどろなり。 松は千歳を盛りとし、朝顔は一時を一期とする。万事は先世に定まっておる夢、何を現と定めるべきか。しかれば。我等満仲公の不教を受け、判官殿の子となり、十三の春から十六のこの秋まで養い親の御厚恩を申すにも言葉はなく、殊更母の御恩徳は七生産まれ替わっても報じ難く存ずる折節に、我が首を打って頼光の御身代わりとの志、物陰より見参らせ望む所とは存じても、常々母の御不憫、荒い風にも当てられずに、御身のかえての御寵愛、その期に臨んでは歎きに沈んでよもや討ち給うまじ。 所詮我等は臆病者、未練の躰を見給わば御憎しみの怒りの刃、御心やすく討ち給わんと、わざとさもしき卑怯の最期、命を惜しむと思すなよ。 西東を覚えてから遂に一度も御気に違ったことも無く、一生の別れ、今はの際は御腹立ちの御顔ばせを見奉らん悲しさは、来々世々の迷いである。 さりながら、君には忠、親には孝、母の貞女の道が立つならば、身においての悦び、三世の諸仏も照覧あれ、命は更に惜しからず。悲しみの中の悲しさは年たけるまで母上の御寝間近くに起き臥して、今宵よりの御嘆き思いやられて愛おしく、御名残は尽きせず候。返すがえすと書き留める。 母は文を身に着けて首を掻き寄せて、抱きついてかっぱと伏し、声を挙げて泣きなさる。 思い切ったる判官も、わっとばかりに五躰を投げ、消え入るばかりに歎かれる心の内こそ哀れなる。母は涙の隙よりも、ああ、人は筋目が恥ずかしい。さすが満仲の御胤にてありしもの。この御心とは露知らず臆病なりと心得て、賤しき母が口にかけて言い恥しめたる勿体無さよ。 恐れがましい、冥加なや、中有の旅のお供して言い訳をしようと、太刀を取り上げれば、判官押さえて、ああ、不覚なり。御身は確かに生みの母、我ばかりは現在の主君、死ぬのであれば我が死ぬべきであるが、頼光がこうだと聞こし召さば、よも永らえんとはの給うまい。 時にはこの子も犬死、我等夫婦も不忠の者、敵の使いは頻りである。密かに頼光を落とし参らせて、一先ずはこの首の額に知識の剃刀を頂く、天の誠の道、守れば守る、御仏に後世を任せてこの世には忠義を磨く玉祭、濁りにしまぬ蓮葉の、花を君子の譬えれば、儒仏の教えに暗からぬ人の心ぞ頼もしき。
2025年08月06日
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第 三 佞人(ねいじん、言葉が巧、みで心が正しくない者)の詞は甘きこと密の如く、人を損なう事は刃より猶速やかなり。 清原の右大将・平の正盛に加担して、源の頼光は武勇に誇り、狼藉者を引き込、み、民家を騒がせ、我々の手の者を大勢打ち取り、あまつさえ都にまで切り登らんとの企て、上を軽しめ、下を傾け候と再三讒訴が頻りであるので、遂にレイ成(せい)乳虎(にゅうこ)の牙にかかって、シツ都(と)蒼鷹(そうよう)の忠臣の翼も折れ、勅勘の身となり給い、美濃の国、能勢の判官仲國は累代の被官と言い、内縁深い誼によって、しばらく忍んでおわします。 判官の妻小侍従一子・冠者丸十六歳、夫婦親子は等閑なく(なおざりなく)、家内(けない)も男女いたわり仕え奉り、御心を置く方も無く(気になることもない)、夏が過ぎ、秋も初めとなる。 西表のおばしま(欄干)に色々の灯篭を飾らせて、この夕暮れの御徒然と(ご退屈でお寂しいでしょうと)御盃を参らすと、頼光も浅からず思召して深く喜ばれ、疎らに生えた茅草(ちぐさ)の露に灯篭の光が反映して玉を敷いた昔の秋を思い出されて数杯を傾けて興に入り、長歌を作り、朗詠し(声を出して歌う)給うぞ面白き。 とうろう の 段 かずかずめぐる盃の影にうつろう灯篭の色を変え、品を変え、切り籠(こ)太鼓の形(なり)もよい。籠に入れたる造り花、桔梗・蓮葉・藤の花、風に揉まれて揺れる、百合の花、あの奥山のひともと薄、何時穂に出でて乱れ、乱れ合うそれではないが、葵(あおい)の花と花菖蒲(あやめ)、我の想いは深見草(ふかみくさ、牡丹の異名)誰か哀れと知ろう、白菊や。紫苑・雁皮(雁皮)に芥子、しもつけの花、などを花桶に入れ、しだれ柳や糸柳、水無き空の釣り舟(造花をいけて軒端などに吊り下げて置く舟型の造り物)も漕ぐではないが、焦がれる色の紅椿・手鞠(てまり)・山吹・かきつばた・花仙(かせん、海棠の異名)の姿を置き上げ(模様の部分を地より盛り上げて高くすること)に文字を透かしの透かし灯篭・額灯籠、手際(てぎわ)優しい花かづら、振り分け髪を比べ来し井筒灯篭、井戸屋形、這い松はれる朝顔の花のうてな(蕚・がく)の輪々(りんりん、一輪)毎に灯す燭(ともしび)きらきらと、さながら秋の蛍が飛び交う宇治川の網代灯篭、文字灯篭、すはま團扇・唐団扇(とううちわ)、おうぎ車に水車、油煙につれてくるくると廻り灯篭、かげ灯篭、月も更け行く夜嵐に回れ、廻れ、品よく回れ風車、小車(おぐるま、小さな車とおぐるまの花の意を掛けている)の花見車に忍びの車、ああ、ああ、百夜(ももよ)の車、よそに主ある袖引くな(夫のある女に言い寄るな)、袖褄引くな、おみなめし、恋をする、菫か美人草、四季に色ある造り花、手を尽くしてぞ飾ったのだ。 頼光ははなはだ興に乗じ、酒宴が酣(たけんわ)の折から、渡邊の綱と碓氷の定光が御前に罷り出て、誠に此の度判官殿の忠節にて我々まで安座の段、浅からず候えども、何時までもこうして悠々としても有られず、御大将は誰あらん、忝くも六孫王(源経基、清和天皇の第六皇子貞純親王の子)の御孫・摂津の守源の頼光、郎等には先ずこの渡邊、新参には碓氷の定光、一席にただ二人ではありますが、両腕には百人づつ、胴骨にも百人づつ、押っ取ってこの座にばかり六百騎、何をうかうかと待ち給わん、悪道(あくどう)には方人(かたうど)多く、直ぐなる道には入る人は少ない。 右大将が威勢をかって平家盛りの世とならば、正盛が四海を一飲みにして万民の歎きは遠くはないであろう。 両人はお暇を給わって都の軆(てい)をも伺い、諸国の御家人を狩り催し、科無き旨を奏聞して、佞臣原(ねいしんばら)一々に掻き首して御本意を遂げさせ奉らん、いかにしてもこの様に安閑と暮らしては筋骨がたるんで、精根尽き果て候えば早御暇をと申しける。 頼光、聞し召して、我もわこそ思いつれ。さあらば、両人は伊勢路、紀の路に赴くべし。我はまた北国にかかり源氏に心ざしの勢を集めて、都九条六孫王の誕生水にて出で会わん。 門出と言い、定光にはまだ主従の盃をせずにいた。名乗りの一字を譲る上は向後(きょうこう、今後)源氏の家の子であるぞ。と、御盃を下された。定光はしさって(へりくだって)頂戴し、天が下にふたりともなき大将軍を主君に持ち、下地の勇力十倍増し、一騎當千と思召されよと、三杯続けてつっと干した。 能勢(のせ)の判官は座を立って、おお、目出度し、目出度し、貴殿、渡邊殿の武勇にあやかり申す為にその盃を一子冠者丸にくだされかしとありければ、お辞儀も申すべけれども武勇にあやかり給う為に、御望みに任せんとさす盃を冠者丸、頂き頂き敬う躰(てい)を、母は見るより打ち萎れ、袂を顔に押し当てて包む涙もおのずから声に現れ、色に出で、人々これはと座敷は興が醒めてぞ見えにける。 判官は見かねて御祝儀の折から、不吉の落涙、狂気したるか。罷り立てと引っ立てた。 渡邊がとどめて、おお、尤も、尤も、定光の盃不足に思われる事、母御の気には道理至極、ここは綱が頂戴せん。冠者殿、いざ、差し給えと言いければ、母は漸く涙を抑え、御不審はお断り、定光殿をゆめゆめ軽んずるには候らわず。 わが身の運の拙さと、あの子の果報の薄い事、日頃くよくよと思う事。思い余りて涙が零れ、御祝儀を冷ませしぞや。 御大将にも、綱殿も御存知の定光殿への物語、妾は始め小侍従の局とて、御父上の満仲(まんじゅう)公に宮仕え、源氏の種を身に宿し、誕生したのはあの若美女御前と名付け給い、御寵愛ありしかど頼光様の御母・御台所の御心を憚り、出家させんと十一の春から十三の秋まで山にのぼせ給いしに、経の一字も習わずに、斬っつ張っつの弓馬の芸、満仲公の御憤りを宥めても、歎きても、御怒り晴れやらず、藤原の仲光に仰せつけられて、首を討たれることに極まったのだが、情のある仲光忠義を重んじて我が子の幸壽丸(こうじゅまる)を害して、あの子の首だと言って見せ参らせ、当座の命は助かりしが遂にはそのこと顕れて二度の御勘気・御立腹、親子の縁を切って妾と一緒に判官殿に下されて、今みずからは能勢の判官仲國の妻、あの子は一子冠者丸とは申せども、元は満仲公の御子頼光の御弟、美女御前でおわしまする。 ああ、悲しきかなや、同じ源氏の胤と生まれ給う程なれば、御台所の御腹にも宿り給えかし。しからば出家の沙汰も無く、頼光様は大将軍、あの子は又副将軍と千騎万騎の軍兵(ぐんぴょう)も従え靡け給わん。で 御身の末代に残る源氏の系図の巻にさえ、美女御前と言う名をけづって入れられず、ようようと郷侍(ごうざむらい)・鋤鍬取りの大将とは、いたわしとも浅ましとも、数ならぬこの女の腹を借らせ給いしにより、御出家と仰せ出だされしが、果報の花の散り始め、井出の蛙(かわず)の虫偏に科(かいるこ、おたまじゃくし)で、小さい時は尾ひれがあり、さながら魚の如くであり、母蛙が親に似ぬ龍を産んだと悦んだが、次第に尾ひれが手足となって常の蛙となったので、歎き悔やむと伝えたがそれは天地自然の道理で、自らは偶々源氏の大将を産み落とした悦びは夢であろうか、覚めては平人(はいにん、並の人間)となり給うのもこの母が戒行(かいぎょう、仏の戒めを守り、正しい行いをする点)の拙さ故と積る涙は濁り江と、夜昼に泣かぬ日はなくて、蛙に劣るわが身であると御前も人目も打ち忘れ、かっぱ伏して泣きければ、君を始め渡邊、定光、諸共に皆々が袖をぞ濡らさるる。 稍々あって、頼光が言うには、小侍従の悔やみ至極ながら子を見る事父にしかずと言こそう、満仲の深い心入れこそ有りつらめ。 今、右大将正盛等の逆威に責められし頼光が弟美女御前であるならば、かく安穏にあるべきか。判官の子となったる故に、先ずこの度の難を逃れた事、父の慈悲のこれが一つ。 御勘気の上からは元の如く出家ともなし給わず、判官の子に給わって弓矢の家を建てさせらる。父の慈悲の二つ目がこれだ。我世に出てもあるならば、末を見てや三っつの慈悲。親の形見は兄弟ぞよと涙ぐみ給いければ、判官親子はあっとばかり、渡邊も定光も末頼みある源氏の光、掲げ添えたる灯篭も、かげに門出の盃や、お暇給わり立つ雲の、明ければ七月、十五日、亡き玉祭る持仏堂、北の方は只一人香を焚き、水を手向け、捧げる花は蓮葉の露の数々、亡き人の頓證菩提と回向の折から、判官が立ち出でて同じく香花を奉り、しばらく念誦ことおわり、なう、小侍従、あれ見給え。本尊は三世常住の仏菩薩、殊に今日は盂蘭盆であり親祖父の聖霊(しょうりょう)満仲公の亡き玉もこの持仏堂に来させ給う。 尊霊の御前にて申すからは、詞にも虚言なく心にも懸子(かけご、底意、下心)なし。御身もまた偽りなく真っすぐに返答有れば、語るべきことあり、心底を聞かんと有りければ、ああ、今めかしい。何事かは存ぜねども、常にも偽りは申しておりません。殊に大事の盂蘭盆の、年に一度のお客の聖霊佛の前で、露程も虚言(きょごん)のお返事も申しません。語らせ給えと仰せける。 判官は頷いて、懐中から文を一通を取り出して、これ、是を見られよ、頼光、これに御座のよし、右大将が伝え聞き、急ぎ詰め腹きらすか、但し密かに刺し殺すか、首を打って差し出すにおいては、一子冠者丸は由緒ある者であるから、源氏の大将と奏聞し取り立てんとの文に起請を書き添えて寄こされたり。 されども某、かかる非道に組すべきか、頼光を密かに落とし奉り、右大将から咎めがあれば腹を切るまでと心に収めて打ち殴っておいたのだが、御身の昨日の口説き事、偶々、満仲の若君を誕生させた甲斐もなく、平人の判官の子として埋もれる冠者丸、明け暮れ本意なく悲しいと、水に住む蛙とまで思い続けて悔やみの躰(てい)、母なる身では道理である、尤もである。
2025年08月01日
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