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さあ、お盃の相手、それ御銚子、御肴、但、御寝間の新枕かと生首を膝。元に押しやれば、さすがの入道、顔をしかめ、身を縮めて、はっあ、今日は安芸の厳島の御縁日、精進を忘れた、教経、明日明日と座を立ち給うのを、これは胴慾(むごい、情けない)、あづまやの思惑余り不興と留める折から、御門をはたはたと閉める音、遠侍(主殿から遠く離れ、中門の際などに設けた番所)が騒ぎ達、俊寛の召使・有王丸と名乗り、十八九の暴れ者、清盛公に直見参と御所中を切り散らし、御座危うく候と追々の言上に、いよいよ動顛、能登殿・甥御頼み入ると伯父は老耄(ろうもう、老いぼれ)廃忘(ものが分からずに、狼狽える)と言い捨てて奥に入りなされた。 荒れに荒れたる有王丸、当番の詰め侍(勤務中の侍)、放免(ほうめん)の役(警備の役をする下部)、武者所(院の御所の警備をする武士の詰め所)、牛に蝱(あぶ)がつく如くに寄れば蹴散らし、すがれば払い、大床(おおゆか、母屋の外側の細長い室、広庇)に立って大音上げ、清盛相国は主人の俊寛の妻の首と婚礼がある由、たった今聞いた。 嫁入り御寮は首ばかり、聟殿に胴があっては片(へん)ちぐて似合わない女夫(めおと)、入道の銅を切って入滅(にゅうめつ、死ぬこと)の仲人、よい所に有王丸聟殿に見参と、八方に眼を配り振り散らす。前髪は時雨の雲に風あれて墓山(ぼさん、日暮れの山)を廻る勢である。 下司の次郎友方、丁稚(侮蔑の語)めやらぬと縋り付くのを頸筋を掴んでぐっと引き寄せ、文覚法師が張り和らげたる頭、手間は要らないと刀の柄にてはったと打てば、柘榴(ざくろ)を割った如くで抱えてほうぼう逃げてけり。 近寄っては叶わないと難波・瀬尾が無分別、巻ろくろ(綱を巻いて物を引いたり、吊るしたりする滑車)の大綱を両方に四五間引っ張って巻いて取ろうとひしめい(押し合い騒ぐ)たり。はああ、子供遊びの綱引きか、悪あがきをする餓鬼らめ、是を見よと片足を上げて、やあうん、と気を込んで(気合をこめて)荢物(まもの、麻を綯った綱)をふっつと踏み切れば、瀬尾は武士の疵ならぬ木津、難波は西瓜(すいか)をまろばす如くにて、ころころころび、うったりける。 この上は能登鯖をひと口食うまで、能登殿、能登殿と、駆け入る所を菊王丸が飛んで出て、どっこい慮外な能登よばり、旦那では手に足りぬ。わっぱの菊王、さあ、来いと、四つ手にむんずと取り組んだ。両方年は十八ささぎ、力は藤こぶ藤つるの、捩じ合いひしめ合い、絡みあう。 有王の大髻(たぶさ)を菊王が大唐輪(髻・もとどりから上を二つに分け、頂の上に二つの大きな輪を作った髪。大きな唐子わげ、少年の髪の結い方)、乱しかけ、ふりかけ、下手上手に押し合って勝負は互角と見えたる所に、やあやあ、過ちすな菊王、汝らが手には叶わない。と、引き退けて教経が一ひしぎと組みつき給えば、望むところと有王が腕からみに差し込んで、一押しぐっと、こりゃ、こりゃ、こりゃ、捩付ける大力にさしもの能登殿も、よろ、よろ、よろ、や、前髪めに負けてたまるか、と踏み直せば、はたと突き、ええ、口惜しと取り付けば振りほどき、組めば捻じ曲げ引き廻されて、平家一番の大力と音に聞こえた能登の守、大腰(おおこし、相撲の手か、おおきく腰を入れて投げる手か)に地響きうたせ尻居(尻もち)にどうと投げ据えたり。 有王めには教経もかなわない。一人も出で合うな。手並みは見えた。おのれも帰えれと宣えば、生きて帰るも命無し。入道と刺し違えようと駆け入る所を、立ち上がり、上帯を掴んで、狼狽えたか若者、おのれら五人や十人は教経が片腕にもならないが、情けの負けと知らないか。 鬼界が嶋に流人の主を持ちながら、犬死するか戯け者、誠の力これを見よと片手に掴んで車寄せの築地越しに投げ越す力、風を持ち、桐のひと葉がふうわふわ、ひらひらひらりと降り立って、恩を感じる感涙・落涙、いわべは色だつ敵と敵、睨むも徳に入るの門、六波羅の大手門、惣門・楼門・冠木門(かぶきもん)、扉は金石鉄壁の透間の風も通さないが、触らないで通れるのも弓矢の情、。助けるも道、殺すも道。 さもあればあれ、帰れ、有王、お暇申すと礼儀は身の上、残る恨みは主君の上、拳を握り牙を噛みしどろ足にて帰る波、 内には義理を立てる波の、音に聞こえ名に聞いた能登殿の弓勢、学ばずして学問力も有王丸、引かれて名をば遺したのだ。 第 二 我が門(かど)に千尋(ちひろ)有る陰と詠じたのも平家に繁る園の竹、入道相国の御娘中宮がお産の当たり月、お産所は六波羅の池殿で、兼ねての御祈祷御室(おむろ)・東寺・天台座主を始め御願寺十六か寺、伊勢・住吉・加茂・厳島など七十余ヶ所の御奉幣。七にも能登の守教経は石清水御代参に駒を速めて下向ある。 鳥羽の作り道(京都市南区と南区にまたがる鴨川の両岸)を、丹左衛門の尉基康(もとやす)、瀬尾の太郎兼康、雑式・供人相具して旅立ちにて、参り会い、われわれは中宮の御産に当たり月に様々な御願につき、今日、獄屋を開き罪科人共を残らず御免、これによって鬼界が嶋の流人をも召し返される赦し文の御使い、両人が承り候ぞと申しける。 能登殿やがて降り立ち給い、むむ、流人の赦免とは尤もの善根(ぜんごん、よい報いが得られる行為)、しからば勿論、俊寛僧都、丹波の少将成経・平判官康頼、三人共の御赦免であろうずるな、と宣えば、いや、御赦し文の名付けは丹波の少将と平判官の二人だけ。 瞬間については殊に憎しみが深く、一人嶋に残し捨てよとの御諚(ごじょう、仰せ)と聞きもあえず、さてこそさてこそ、これにつけても小松殿は三世(過去・現在・未来。此処は未来の意味)を見抜く末代の賢人、入道殿に慈悲心がなく、意地が強い気質を今病中にも一つの悔やみ、鬼界が嶋の流人共の赦免の時に、俊寛に就いては憎しみが深く残されることが有っても、一門は是非とも諫め申せ。 重盛ひとりが言うのではない、忝くも鳥羽の法皇はかねがねの御嘆き、これかれ院宣と思い一人も嶋に残すな。それにも入道殿が承引がないならば、一門の心得で中国・備前の辺まで呼びのぼせ、時節を見よ。我が死後までの遺言である、思い忘れるな。と、かく言う教経一門残らず病床に呼び集めての詞、一門は皆忘れてしまったのか、それとも覚えていても守らないのか。 ええ、言い甲斐のない者どもかな。いやいや、人はともあれ、この教経は小松殿の詞を仇にはしない。入道殿に申す間、両人しばらくこれにて待て。と、馬を引き寄せて乗らんとし給えば、瀬尾の太郎がつっと寄り、ああ、申し、申し、いわれのない御取り持ち、痩せ坊主を一人助けたとしても定業(じょうごう、前の世から決まっている悪行の報い)の御難産が變成男子(へんせいないし、女子が男子に生まれ変わること)の御平産も候まじ。 惣じて俊寛は当家が御取立ての身にて恩知らずの畜生、女房のあづまやが御馳走答拝(ごちそうたっぱい、丁寧な持成し)請けながら御心に従わず、慮外の自害、第一に家来の有王と言う小倅が御所に斬り入る狼藉者・推参者、かかる不当の俊寛を召し返し、あた(あだ)を求められんは狼の子飼いするも同然、今をも知らぬ大病の小松殿はお詞が立たぬとて何の咎めも無き事と、申す内から能登殿は気色を損じ、黙れ、瀬尾、詞が多い。 汝が様なる不実者に、問答無益(もんどうむやく)、所詮俊寛が赦し文は教経が書いて渡そう。硯・料紙との給えば、いや、申し、我等は少将・平判官の二人を御赦しに入道相国公の御使い、外の義は存ぜず。急ぎの公用、お暇とずんど立てば、丹左衛門が引き留めて、これこれ、御辺ばかりが御使いか。両人で承る上は万端相談、入懇(じゆこん、しんみつにすること)も有るべき所いかめしげに先走り、独り抜きん出何とする。 何事も御産安穏の為ならずや。祈誓も立願(りゅうがん)も慈悲心なくて叶うべきか。別紙に俊寛の赦し文を持参して、使いの落ち度になるとしても御辺に科はかけまい。この丹左衛門基康が腹切るまでと申す詞に一ッ致して、俊寛の赦し文、能登の守教経と在判して渡された。 丹左衛門は重ねて、赦免状は済み候えども海上改めの関所・関所の通り切っ手、鬼界が嶋の流人ただ二人とだけ書かれたり。これぞ難儀と出だせば、取って披見あり。 おお、これぞ猶安心だ。二の字の上に能登の守が一点加えて流人三人、関所は異義なく通すべきなりと読み挙げて、渡し給えば、丹左衛門が請け取り、この上も無き善根、関所も易々、お産も安々、瑞相よき門出、いざ、立たれよ兼安と、言えども瀬尾はしぶしぶ顔。女童がするように慈悲善根なんどで子が生まれる程ならば、世に難産はあるまい。産の道は離れ物(普通と違う特殊な物)この上に中宮の御身に怪我でもあった際には能登の守教経と申す弓取りに愚痴文盲(おろか)の名が流れるだろう。笑止、笑止と舌も引かないのに、六波羅から早使、中宮平産、王子御誕生、赦し文の御使喜んで急がれよ。と、呼ばわる声に、瀬尾の太郎がむっと顔、これ瀬尾、女童がするような慈悲善根の奇特、あれ、聞きたるか、教経が文盲の名を流すかとの気遣い、汝等は智慧が有って人の上にまで気遣い。大儀、大儀、 さりながら智恵も余りに働けば、後にはその知恵も落ちて、つれて首も落ちるもの。用心して道を急げと詞も胸にはっしと当たる。 小松殿の大悲の弓、能登殿の義信の矢、海山を越えて末遠い筑紫の空や、もとよりもこの嶋は鬼界が嶋と聞くなれば鬼の有る所にて今生よりの冥途なり。 たとい如何なる鬼であってもこの哀れをどうして分からないであろうか。この嶋の鳥獣も鳴くのは我を問い慰めるつもりであろう。昔を語り忍にも、都に似たる物とては空に月日の影だけであるよ。
2025年09月29日
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往来の群衆は目をそばめ、恐ろしや、もったいなや、と皆が手を合わせる所に、六波羅からの早使い下司(げし、下役人)の次郎友方(ともかた)が鞭に鐙を合わせて駆け来った。 難波・瀬尾に述べたのは、常盤御前から義朝の髑髏を申し請け、持仏堂に安置して経を読み、回向して弔いたしとの願い、叶えられては又、新参の俊寛の妻、あづまやが何事をか望まんに、叶えられなくては逆恨みするやも、所詮はこの白首(しゃれこうべの事は面倒が尽きない。打ち砕いて鴨川に流して捨てよと御一門一統の仰せである。いで、計らい申さんと脚立を踏んで伸び上がればば、あら、不思議や、大仏の鼻から大手が伸びてきて、下司の頭をむんずと掴み、大仏の御頭の中から声が有って、義朝のどくろより己が頭(こうべ)を張り砕かんと、握り固めた金拳が鉢も割れよとばかりに二三十回、脳も烏帽子も打ち裂かれて眼(まなこ)も眩み、これ、死にます、死にます、お助け下さいと吠えるのも構わずに、前にかっぱと衝き伏せ、その手を伸ばして白首(しゃれこうべ)を掴んで御頭の中に引き入れたのは、再び此処に羅生門、茨木童子の腕骨にて、相手は綱には似ていないのだ。難波と瀬尾は肝を消し、今度の兵火(ひょうか)に焼け落ちたこの中に、狸野干(やかん、きつね)も住むべき様はない。 黄金が混じった金仏、金の精と覚えたり。ついでに御頭(みくし)、も打ちひしぎ、鋳潰して公用に達せん、それそれと荒し子(雑兵)仲間が立ち帰って、大鎚・大杵・金梃なんどで、ごうごう、いわんくわんと、百千の鉦・釣り鐘が河瀬に響き、さざ波が立ち木草もゆるぐばかりである。 その時に当たり、裳なし(腰から上だけの)衣に種子袈裟(輪けさ)掛けて六尺豊かな大坊主が御首(みくし)の中から躍り出でて、鎚も杵も踏み散らし、蹴散らして、やあ、喧しいぞ、うんざい(侮蔑語、有財餓鬼の略)共、音にも聞くらん、高尾の文覚と言う源氏の腰押し(後ろから力を添えること、又、その人)、この白首はもと我が物、取り返しただけだ。仏の頭を踏み荒らした罰は平家利生は源氏、清盛に先ずこう抜かせと、立ち出でたのだ。 それ、盗人坊主、難波・瀬尾を知らぬか。足ものかさじと大勢でどっと取り巻いたのだ。 やれ、事々しいぞ。那智の滝に千日打たれ、龍神と相撲を取り、愛宕高尾の大天狗と腕押しをした坊主だ。手並みを見よと、獄門柱、えいと引き抜き、振り回し、河原の院の古道から長講堂の裏筋を追っかけ、追い込み、殴りたてれば眉間真向、腰骨膝骨を打ちみしゃがれ(砕かれて)て辺りに近づく雑兵はいない。 やあ、口ほどにもない難波・瀬尾、頭はられて堪忍するか、下司の次郎折り合え、出合えと、馬の尾で柄を巻いた九寸五分、寄るならば突こうとする頬魂(つらだましい)、恐れて近づく者もない。 さもあらん、うぬらが主の清盛は国土を悩ます大悪魔、この文覚は悪魔降伏国土安穏を祈る、大行者を苦しめる悪逆、遠くは三年近くて三月に思い知らせようぞ。 この身は即ち不動明王、南莫三曼多縛曰羅赧(なまくさばんだばさらだ)、戦奴の下に手摩訶路さんずいの麗奴の下に手薩破吨也吽但羅(せんだまかろしゃなそはたやうんたら)、あんだら(侮蔑語、馬鹿者)共と、どって笑って立ち帰る。勇猛力ぞ春風も、庭は踊りの秋の露。さっさ、ふれふれ振るや小褄はいとしえ、えいえいえい、えいえい、縁に引かれる柳の糸の雪に折れぬも風には靡く、竹は恋しき幾夜もなびく、靡きくるくる栗栖野(くるすの、もと山城の国愛宕・現在京都市北区にも宇治郡・現在同東山区にあった萩の名所)の萩、野分の薄、尾花が靡いてやっちゃりな。やっちゃりな、ちりり、ちぢみ髪も油とろとろ、櫛の歯になびく、たんたん丹波の酒天童子(しゅてんどうじ、源の頼光と四天王が退治した鬼、酒を好んだ)も、さあえ、さすぞ盃、のめさ酔えさ、酔うた紛れにな、君と寝てさ、歌い踊って上臈達は局の縁に腰を打ちかけて、もうし、あづまや様是見さしゃんせ、、時ならぬ踊りも御奉公、入道様の仰せ、随分お心慰め、お盃の相手、御寝間の添い寝も遊ばすように致せとて、あれ、あの亭(ちん)に御座なさるる。 いざ、気を浮かして我々が、躍りにつれ、御前にお出てさあ踊りとざわめけば、ああ、いやいや、みづからを諫めの踊り、笑うのではないけれども、世に在りし昔は妓(まいこ)踊り子、腰元混じり様々な変わり踊り、ややこ(少女)踊り、木曾踊り、小町踊り、伊勢踊り、見せたいものは都踊りの抜き拍子(所々、拍子を抜いた曲、変奏曲か)、むむ、見たい見たい、いざ一踊り、所望、所望と浮かされて、恥ずかしながらこうした振りに若衆の出で立ちの目せき笠(目の細かい編み笠)金鍔かいらぎ(黄金の鍔・つばをはめた、粒状の突起のある鮫皮で柄を巻いた刀)、かんぬき指(閂のように水平に横たえてさすこと)でたんだふれふれ、千代の松坂越えて、松は千歳の色ながら、惜しや小松は雪折れて、老い木枯れせぬ六波羅踊りが所望だが合点か。 平家、平家と千種(ちくさ)も靡く、さてはゐよいか住みよいか、ゐよも住みようも慈悲も情けもしゃんとしょ、我は身一つ泣き暮らす。 踊り人(と)が見たくは昔に返せ。世の中對の浴衣をしゃんと着た踊り振りが床しい。 吉野初瀬の花よりも紅葉よりも恋しき夫が見たい物、うたての踊りやな。情には人々鬼界が嶋に流され、夫(つま)諸共住むように申してたべとばかりにて、かっぱと臥して泣き給えば、踊り子の上臈達はげにことわり、痛わしと皆々袖を絞られる。 踊りの声が聞こえたのか、亭の内から越中の次郎兵衛盛次(もりつぐ)が御使いとして局に入り、なう、あづまや殿、この間御一門衆が入れ替わり立ち代わり、様々に仰せられるのにも承引がないのも尤もではあるが、御身とて岩木ではない。今日本にて西を東との給いなされても背く者がいない入道殿だ。恋なればこそ我々まで頼み、時世につくのも一つの道、且は身の果報。常盤御前の幸せがよい証拠、女たる身の望む所とは思わないか。 さあさあ、良い返事をと擦り寄れば身をしさり、ええ、主人たちから内衆(内に仕える人々)まで人らしい人はない。常盤御前の幸せとは武士の口からは聞きたくない。夫義朝の白首まで踏み叩く敵の手掛け妾となる様な助平の徒者とこのあづまを較べられるのも口惜しい。 八重の潮路の鬼界が嶋、雨露もしのぎかね餓鬼同然に成り果てた殿御を愛し、恋しや、会いたやと思う外に望みはない。身の果報を何にしよう。何も聞かぬ、聞きともない。と、両手で耳を塞ぎもののふの情けで泣かせてくれるなと、わっとばかりにうつ伏して沈み入りたる有様に、盛次も詞はなく、すごすごと奥に入ったので、ひっ続いて斎藤別当實盛(さねもり)がしらが髭を喰いそらして、我等六十に余り色気を離れて奥方女中を預かる實盛と言う者、御寝間の勤めはともかくも御前にちょっと出る分には差支えはないであろう。自分は年寄りで悪い事は申さない。と、言いも切らせずに、ああ、諄(くど)や、諄や。 昨日も来て同じことくどくどと長口上、聞き入れる耳は持たないと、愛想がないので、手持ちが悪く、拙者の生国は越前、近年御領につけられ武蔵の長井に有りし故にそれで長居は御免あれと紛らかしてぞ入りにける。 胸に迫れば声に出て、恨めしの世の中や。召人(めしうど)となるくらいならば手枷・足枷、牢獄屋にも入れられず、情け交じりの憂き目を見る。水責め・火責めの苦しみも、心の辛さは劣るまい。この上にお使いが立つならば、何と返事も詮方なし。 なう、上臈達、我が内には有王丸とて音に聞こえる大力の若者がいる。もしも忍んで尋ねて来るならば今生後生の御情け、密かにそっと知らせてたべ、有王を頼りにこの地獄を逃れたい。有王がな、来たれかし。有王は来ないかと立っては口説き、居ては歎きの折に、綿殿に足音がして能登の守教経(のりつね)がわっぱ(童)の菊王を伴ってつっと入り、俊寛が妻あづまやとは汝のことであるか。某などは朝敵退治の大将か、その外天下の大事でなくてはおあようの大人げない小節(しょうせつ、小さなこと)に詞を加える能登の守ではないけれども、入道殿の仰せは某とても背かれず、先ず入道殿を誰と思うのか。 一門の棟梁、国家の固め、如何なる非道をの給うても汝ら風情が利を利に立てさせ清盛入道が利を曲げて天下の仕置き立つべきか。 さりながら、おことが女の操を守って二張の弓を引くまじとは、弓取りの義にも劣らない魂に感じ入る。匹夫疋婦(どのような賤しい者)もその志を奪わずと言えり。尸(かばね)の上にまでは恥辱なし、貞女の道は能登の守が立ててとらそう。又、おことは一旦入道殿の御詞、きっと(確かに)立つべき御返事、さあ、ただ今、と道理正しき言葉の末、涙にかきくれ手を合わせ、ああ、有り難し 平家の中にも小松殿か、能登殿かと一二と言って三がない、文武二道の御大将、数ならぬ下衆女、に道を立ててとらそうとの海山の御恩徳、夫の名をも穢さず生きての本望、死しての誉、いぜみずからも清盛公のお詞の立つお返事をと、懐の守り刀するりと抜いて肝先に、ぐっと突き立てひとくり刳って、申し教経(のりつね)様、あづまやが死ねば平家の御意を背くもの、この世にない。御意を背く者がなければ入道殿のお詞は立ったぞや。 お詞を立てるのはこのあづまや、あづまやが道を立てて下さんすは教経様、御恩は忘れません。ああ、忝いとこれを最後に息絶え果てたり。 驚き騒ぐ女房達を突きのけ、押し除け、出かいた女、と首を打ち落とし、おれ菊王、この骸(からだ)は門外に捨て置け。と、髻(たぶさ)を掴んで首を引っ提げ、御前まぢかの欄干に謹んで、御心を懸けられしあづまや、教経が口説き落として連れ参ると、申し上げましたが、御望み叶い候。急ぎ御酒宴、御酒宴と呼ばわり給えば、入道殿、障子も暖簾も引き除けほやほや笑顔、つれなきあづまやを靡かせて来たとや。 能登の守は弓矢、打ち物ばかりか恋の仲立ちにも名将、高名高名、早く逢いたい。彼の君はいずくにぞ。 即ち、此処に候と袖の下から生首を御膝下に、指し置けば、入道、くぁっと顔色が変わり、やあ、腹立ちや、倅(小僧、若造)め。首を切れとは誰が言った。年寄って色に耽ると嘲ったる仕方、親同然の伯父に向かって緩怠至極(無礼至極、不届き千万)、返答せい能登の守、言い訳せよ教経。と、日頃の短気増長して、攫みつかんづる荒気にもちっとも恐れず、これは近頃御無理千万、もとこの女の心立て善し悪しは御存知なく面体美しく顔良き色を恋焦がれ給う故、その顔ばせを御手に入れし教経に御感はなくて御立腹は無体千万、かれは法王の御謀反に組して当家を亡ぼし、一門の首を取らんとした俊寛の妻、折がな時がな、夫の冦(あた)と心に剣を含んだる女、御寝間近くの寵愛は鴆毒(ちんどく、中国南方に住む鴆と言う鳥の毒)に砂糖・甘蔓(あまづら)をつけて唇に寄せて味わうが如く。命がけの戯れ、大将たる身のせざる所、申すに及ばず、御存知の上でとかくお心をおかけなされたと、あづまやの目鼻口以外はもとより要らぬと存じて口説き仰せ、顔ばかりを連れて参りました。
2025年09月25日
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平家 女護 嶋 籠(こ)の内の鸚鵡は檻(おばしま)に従って振り仰ぎ、牗(まど)を伺って踟蹰(はづくひ、羽つくろい)する。 紺の足、丹き嘴、緑の衣、翠(みど)りの衿、金精の妙質・火徳(かとす)の明輝、弁財聰明にしてて、よく物言う霊鳥、いかんぞ時のさかしきにあう。 放たれたる臣、捨てられたる妻妻、懐(おもい)をここに同じくする。 平の朝臣清盛入道相國(しょうこく、大臣。清盛は太政大臣である)の四海におおう驕慢の網には漏れる方もなし。 家に爭う子なければ、家正しからずとかや。小松の内府(だいふ、清盛の長子、内大臣重盛)は所労により致仕(ちじ)なされて、教訓も怠れば驕奢(きょうしゃ)暴虐は心の儘、第九の姫君は高倉の帝の中宮(皇后)であって、殊にこの頃は御懐妊の御悦び、執柄(しっぺい、摂政・関白)花族(かぞく、太政大臣と成り得る貴族。清華)の公卿(こうけい)も平家に諂う御進物、或いは馬・太刀・巻絹・織物、綺羅(きら、美しい衣類)みちみちて殿中は花の如く、門前に市をなして万寶は一つとして闕けてはいないので、禁中も仙洞も此れには過ぎないだろうと思われる。 ここに子息、三位の中将重衡は南都での戦に勝利して、奈良の都の八重桜、今日九重の梅が香と鎧の袖に勝つ色を見せて、御前に畏まり、去る二十八日、轉害(天街)般若坂の柵逆茂木を押し破り興福寺・東大寺・諸伽藍を残らずに放火せしめ、奈良法師の首を七百余、猿沢の池に斬りかけ、大将分の首五十余級、並びに大仏の頭が焼け落ちたのを、衆徒の首と共に積んで開陣(凱旋)仕る。 外に生け捕り一人、急ぎ実検有って生捕りの罪、御沙汰あるべきものぞと述べられた。 入道相国は笑壺に入り、悪法師共め、源氏に心を寄せて、當家に敵對、我が威光に恐れぬは仏を甲に着る故、悪徒の調本の大仏の首をも獲ったのは手柄、手柄、さてまた源氏に肩入れの大悪僧、文覚法師が南都に隠れ住むと聞いているが、生捕りは文覚かそれへ引けとの給えば、重衡し去って弓袋(ゆぶくろ)から白骨(されこうべ)一つを取り出して、これは源氏の大将古佐馬の頭義朝(よしとも)の髑髏(どくろ)、かの文覚が東大寺の二階に壇を構え、源の義朝公と書きしるし、本尊に立て平家調伏の行方法まぎれなき所、四方を包んで攻めすくめ候えども、ただ者ならぬ文覚は太刀・刀・燃える火をも事とせず、焔を潜って落ち失せし所の白首(されこうべ)、奪い取り候と聞くよりつっと立ち、歯噛みをなして、ええ、憎や、憎や。この禅門(仏門に入った男)を亡ぼさんとせし義朝、白首(されこうべ)となっても再び足下に来る。 入道の威勢を思い知れと、髑髏も砕け、檜扇も折れるばかりに丁々ちゃうど打っては小躍り、はたと蹴散らし、がはと踏み、一門の人々これを見よ、二度の朝敵を討ったりと殿中に響く高笑い。忿りよりなお冷(すさ)まじい。 さて、生捕りとは何者、面を見ようと御諚の中、縄め血走る弱腕(よわかいな)指まで同じ紅鹿子(べにかのこ)も奥様じみて面窶れ、三十ばかりの乱し髪、盛りを過ぎたる妖桃(ようとう、美しい桃のような美人)で春を痛める姿にて引かれて出て来た百(もも)の媚、列座の一門が目を動かして烏帽子がひらひらと閃けば、入道も気を取られ、奥歯・前歯が疎らな大口をくわっと開けてとろとろと見惚れていらっしゃる。 重衡が進み出て、この女は鬼界が嶋の流人、俊寛僧都の妻あづまやと申す者、南都法華寺の尼寺に隠れ住み、平家に敵対、小長刀を以て某の陣を伺いしを搦めとり候。 と、披露も全部聞かずに、むむ、色良き花は匂いも深い。みめがよければ心も優しくけなげであろう。俊寛法師は尊げもない妻帯坊主であるが、二万石の寺領を与え、僧都にして崇敬(そうきょう、尊敬)した。 清盛の恩を忘れて、法王の謀反に組したる罪科、女房に罪はない。それ故に當家に一旦の恨みは殊勝、殊勝、向後(きょうこう、今後)は我に宮仕えせよ。年寄りし禅門の起き伏しの撫でさすり、介抱に預からん。それ、縄を解け。と、の給えば、瀬尾太郎兼康(せおたろうかねやす)が縄を解こうと取りつく腕元、ずんと立ってはたと踏み、慮外なり青侍、院の昇殿を許された法性寺の執行(しゅぎょう、寺務を総理する僧職)俊寛僧都の妻、軍の習い雑兵にも搦め取られたのは是非もなし。我が夫と膝を組し(対等に交際した)平家の前、ひかれるのさえ口惜しいのに、このあづまやが身におのれらが手を触れさせようか。 羽根があれば空をも飛び、夫(つま)諸共と思う身を、命助かり宮仕えをせょとは清盛公、ええ、昔の世が世であるならばかかる無念は聞かずに済んだ物を。神仏の罰、利生も人によるか入道殿とはったと睨む目に涙。包み兼ねてぞ見えにける。 いや、入道を情け知らずとは料簡違い。この白骨の義朝が妻・常盤が我に甘える不憫さ、牛若などという子供を助け置いたのは何と、俊寛を嶋から戻すか戻さないかは、おことが心に有るべきこと。それ、局々の女共、あづまやが縄を解き、随分といたわり馳走して、酒宴・音楽・舞躍り、望むことして慰めよ。禅門が秘蔵の客人だ、もてなせ、もてなせとの給えば、上中臈の女房達が手に手に縄も解き打ち解けた。 人々の取り成しで、夫の俊寛がもしや帰洛の種もやと、心に染まぬ軽薄な空頼みこそ割りなけれ。 梅や桜にも勝って散ることを知らぬ入道の閨の花、老後の眺め、寿命の薬、皆重衡の忠孝、手柄手柄、奈良法師の首にこの髑髏を添え、大仏の頭をも六条河原に獄門にかけ、難波・瀬尾が警護して見物群中が聞く前で首帳を読み立て、諸国にかがむ源氏共、聞き伝えにも脅しをくれ、平家の威勢を顯わせ。 もし奪わんと近づくか、胡散な奴ばらは切り捨てにせよ。 やっと長絹(ちょうけん、ひたたれに似た服)のそば(袴の股立ち)を引っ掴み、帳台(貴人の席で、床より一段高く、四隅に帳を垂らした台)に入り給う六十有余の老木櫻、我慢の色に咲き出た心の花や、春の水、六条河原に高垣を結い、廬舎那仏の御首(みくし)に義朝の髑髏を並べて中央に懸けければ、照る日の影も金色に五十余級の衆徒の首、光明に照らされて累々と連なった有様は梢に実のある仏前の按謨羅菓(あんもらか、印度、中国南部産の落葉喬木の果実)とも形容すべきもの。 洛中の貴賤が踝をつぎ、近国他国の老若男女が道を去りあえずに立ち集い、五天竺の堂塔を一日で滅却して、八万四千の僧尼を殺害した弗沙彌多羅(ほっしゃみたら)の悪逆を末世の身に見る事よ。 奈落の底には、刹利(せつり、印度の四つの階級の内の第二位、王族と軍人)も首陀(しゅだ、同前の四階級の最下位、農夫)も変わらぬもの。怖い、凄いの声々は巷に満ちて夥しい。 瀬尾の太郎兼安、入道相国の仰せによって首帳を高々とこそ読み上げた。第一の物始め、坂の四郎法師永覚、山科寺の大くら坊、かなこぶしの式部卿、これらは六宗に名を得ている悪僧、いくさ神の祭りとする。戒壇院の富樓那沙弥、詞戦いで悪口に寄せ手も口を喰いしばる。 西大寺の苦が口法眼、反魂坊、二月堂の荒若狭吉祥院のばらもん佐渡、南大門の貫の木日向釘抜き周防(すほう)、南円堂には八角目玉の眼光法師、伝法院の今韋駄天、今毘沙門、鉾を取っては並びなき名取の法師武者俱舎唯識維摩の學頭で、智慧が殊に優れているので、今文殊と字(あざな)している。 鎮守堂の鰐口、因幡ゐのしし、和泉とら禅師、これらは早業はやぶさの、飛鳥の影に先立って、風を追っかけ、嵐を追っ詰め、楯割り、石割り、岩切坊、發志院にはとんぼう返りの通明法師、矢くりの小聖・夜叉・新發意(しんぼち)、榎の木寺にはなた僧正、元興寺には鎌僧都、管槍(くだやり)中将熊手、快源黒不動、赤不動、十五大寺・七大寺の荒法師・悪法師、野ざれの首は源の義朝、金色の大頭は聖武天皇の御建立、逆徒の大将金銅の廬舎那仏、前仏が去って後仏を待つ首数、都合五十六級、七千万歳弥勒の世まで治まる平家の御代の大數(だいす)叶い畢んぬ。 従三位右近衛の中将、平の朝臣重衡がこれを討つとぞ読み挙げたのだ。
2025年09月22日
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第 五 泰山を脇挟んで、北海を越える事はあたわず。王の王たらざるはあたはざるにはあらずとかや。 延平王国性爺、兵を用いること掌に回すが如し。五十余城を屠(ほふ)り、武威は日々に盛んにして妻の女房を古郷より栴檀皇女を供し参らせて、九仙山から呉三桂と太子を御幸(ごこう)なし申せば十善天子の印綬をささげ永暦(えいりゃく)皇帝と号し奉り、龍馬(りゅうめ)が原に八町四方の木城(ぼくじょう)をからくみ(こしらえ、組み立て)、陣幕・外幕・錦の幕、陣屋の上には日本伊勢両宮の御祓い大麻(おおぬさ)を勧請して、太子を別殿に移し参らせ、その身は中央の床几にかかり、司馬将軍呉三桂・散騎将軍甘輝が同じく左右の床几に座し、韃靼大明分け目の勝負軍(いくさ)、評定様々である。 御三桂は團扇(だんせん)を取り直して、およそ謀は浅きより出でて深きに入るにしくはない。と、竹筒を一本取り出し、この筒に蜜を込めて山蜂を多く入れておいた。かくのごとく數千本拵え先手の雑兵に持たせ、立ち合いの軍をする躰で筒を棄てて逃げ退くならば、貪欲(とんよく)盛んな韃靼勢、食べ物と心得て拾い取るのは必定。 口を抜くと等しく数万の山蜂群がり出、賊兵を毒痛せしめ、漂う所を取って返し八方から討ち取るべし。 是をご覧候え、と口を抜けば数多(あまた)の蜂が鳴き羽ぶいてぞ出でにける。 賊兵は嘲笑い、浅はかなる童脅しの謀(はかりこと)、焼き捨てて恥をかかせよ。と、積み重ねて火をつけようとする。その時に筒の底に仕掛けたる放火の薬鳴り渡り、飛び散って、十町四方の軍兵(ぐんぴょう)に生き残る者は候まじと、火縄を筒にさしつけると同時に飛んだる乱火の仕掛け。げにもこうとぞ見えにける。 五常軍甘輝、果物を入れた花折(はなを飾りにつけた折籠)を一合取り出して、呉三桂の奇計は尤もで御座候、某(それがし)の謀、かくの如くに折り籠を二三千合も拵え、様々な菓子、食偏に向(かれいい、弁当の飯)・酒・肴をしたため、各これに鴆毒(ちんどく)を入れて陣屋近くに貯え並べ置いて陣所近くに敵を引き受けて、戦いに負けたる躰にして十里ばかり引き取るべし。 韃靼が例の長追い、勝ち誇って陣屋に入り込みこの食物に眼(まなこ)くれ、宝の山に入ったりと軍将・雑兵が我先にと掴み喰らわんとするのは必定。唇に触ると等しく片端から毒血(どくけつ)を吐き、刃に血塗らずして皆殺しにしてくれんと、面々に軍慮に心を砕き、評議とりどり、まちまちである。 国性爺は打ち頷いて、いづれも一理ある計略、批判するに及ばず。さりながら、国性爺が魂に徹して忘れ難いのは母親の最期の詞、韃靼王は汝らが母の敵、妻の敵と思いこんで本望をとげよ。気をたるませぬ、その為の自害なりとの言葉の末、骨に沁み、五臓に徹して刹那にも忘れることはない。 千変万化の謀も何かせん、ただ、無二無三に攻め入って韃靼王の李蹈天に馬を並べ寄せてむずと組み、寸々(ずたずた)に切り刻んで捨てなければ、たとえ国性爺が百千万の軍功があったとしても、君の忠も世の仁義も、母の為には不孝の罪と鏡の様なる両眼に涙をはらはらと流したので、呉三桂・甘輝を始め一座の上下諸共に、皆々袖をぞ濡らしける。 殊更に女の身でありながら、故郷を忘ぜず、生国を重んじ、最後まで日本の国の恥を思われた。我も同じく日本の産、生国は捨てまいと、あれ見給え、天照大神を勧請致した。 某、匹夫より出でて数々、所の城を攻め落とし、今諸侯王となって各々のかしづきに預かっている事は全く日本の神力によるものだ。しかれば竹林にて従えた嶋夷(外国人の蔑称)共を日本頭に作り置いて、彼らを真っ先に立て日本の加勢だと披露したならば、もとより日本は弓矢に長じ、武道鍛錬に隠れが無いので韃靼夷は聞きおぢして、二の足になる所を畳み寄せて乗っ取らんとこの頃我が女房と示し合わせた。 やあやあ、源の牛若、軍兵を卒して是へ、是へと團(うちわ)を挙げれば、あっと答えて立ち出でたる小むつの髪の初元結、諸軍勢の元服頭、そりたての月代が日本風の浅黄色(薄い藍色)で体には中国風の錦を着て、実に華やかな出立なのだ。 仮御殿の幔幕から姫宮が走り出で給い、なうなう、国性爺、この旗は御身の父一官の籏印、この書きつけも一官の筆、心もとなき文言と出だし給えば床几を下がって、読み挙げた。 我、なまじいに明朝先帝の朝恩を報(ほう)ぜんと二度この土に帰参して功なく、誉も無し。老後の余命いくばくの楽しみを期(ご)せん。今月今夜、南京の城に向かって討ち死にを遂げ、微名を和漢に留める者である。 鄭芝龍老一官、行年七十三歳と読みも終わらないうちに国性爺はすっくと立ち、さあ、敵に念が入って来たぞ。 母の敵に父の敵、知略も要らず軍法も何かせん。かた方はともかくも、身に迫るのは国性爺、只一人で南京の城に乗り込み、韃靼王の李滔天の首を捩じ切り、父の最期の場を変えずに討ち死にして、父母の冥途との籏を同道せん今生の御暇乞いと、飛んで出でれば両将が袖に縋って、ああ、曲も無し。 甘輝が為には妻の敵、舅の敵、呉三桂の為にも妻の敵、みどりごの敵、おお、それそれ、いづれも敵に軽めなし。天下の敵は三人一所、さあ、来いと駈け出した。 この三人の太刀先には如何なる天魔疫神も面を向けるべき方(かた)もない。 鄭芝龍老一官、夕霧くらい黒革縅(おどし)すすげどに(勇猛そうに)出で立って、南京城の外廓(とくるわ)の大木戸を叩いて、国性爺の父老一官と申す者、年寄り膝骨が弱って人並みの軍が叶わない。さればとて、若殿原の軍咄を安閑と聞いてもいられない。 この城門に推参して(無礼ながらに参上して、謙辞)速やかに討ち死にして素意を達したく候。哀れ、李滔天よ出で合い、この白髪首を獲ってたべ。生前(しょうぜん)の情けであろうと呼ばわった。 城の中から六尺豊かな大男、優しし一官、相手になってとらせんと木戸を押し開けて切って出た。 心得たりと二打ち、三打ち、打つぞと見えたが、つっと入って首を打ち落として大に不興して大音を上げ、一官年寄ったが斯様の葉武者(取るに足らぬ武者)に遣る首は持っていない。李滔天よ、出で会え。外の者が出て来たならば、何時までもこの通りだと城を睨んで立ったりける。 韃靼大王は壽陽門の櫓に現れ出でて、国性爺の老父・一官とはきゃつめよな。問うべき仔細があまた有る。殺さずに搦めとって引いて来たれ。 承ると四五十人が棒づくめに取り回し、透きをあらせずに滅多打ち、ねじ伏せねじ伏せ縛り付けて城中をさして引いて入った。無念と言うのも余りあり。 程なく、甘輝・呉三桂・国性爺を真っ先に大手の門に駈けつければ、ひっ続いて六万余騎、小むつを後陣の大将にして今日を死線と押し寄せたり。 国性爺が下知をして、未だ生死も知れず、殊にこの南京城、四方に十二の大門、三十六の小門有り。一方であっても開いたる方から落ち失せるのは必定、四方に心を配って討てと、合い詞に手を配り箙(えびら、矢を入れて背負う武具)を叩き、鬨の声、天も傾くほどであるよ。 小むつが嗜む剣術の、牛若流の小太刀を以て一陣に進み出て、相手選ばず時を選ばず、所も選ばないこの若武者、死にたい者が相手だと思う様に広言して、多勢の中に割って入り、火水を飛ばせて戦いける。 賊どもが多数討たれたが、七十万騎が立てこもっている南京城、落ちる様子も無いのだった。 国性爺は何としてでも父の生死を知りたいと懸け廻っても詮方なく、陣頭に大音を上げて、我もろこしに渡って五年の間、数か度の合戦で終に無刀の軍をせず。今日珍しくも剣の柄に手をかけまじ。馬上の達者・剣術得物の韃靼勢、寄って討てやと招きかければ、にっくい広言、打ち殺せと我も我もと喚いてかかる。引き寄せて剣ねじ取り、叩きひしぎ、打ちみしゃぎ、鉾・槍・長刀をもぎ取りもぎ取り、捻じ曲げ、押し曲げ、折砕き、寄せ来るやつばらを脛に触れば踏み殺し、手に触るのは捩殺し、絞め殺しは人礫、騎馬の武者は馬諸共にひとつに掴んで、手玉にあげ、四つ足を掴んで馬礫、人礫・馬礫・石のつぶても打ち交じり、人間業とは見えないのだ。 さしもの韃靼も攻め寄せられて、すは落城と見えたる所に、一官を楯の表に縛り付け、韃靼王を先に立て李滔天が進み出で、やあやあ、国性爺、おのれは日本の小国から這い出で、唐土の地を踏み荒し、數か所の城を切り取り、剰(あまつさ)え大王の御座近くに、今日の狼藉緩怠千万、これによって親一官をかくの如くに召し取った。 日本流に腹を切るか、但は親子諸共に直ちに日本に帰るにおいては一官を助けるべし。承引がなければたった今、目前で一官を引っ張り切り致す。とかくの返答はや申せと、高声に呼ばわれば、今まで勇んでいた国性爺、はっとばかりに目も眩み、力も落ちて打ち萎れ、諸軍勢も気を失い、陣中ひっそりと鎮まりける。 一官は歯噛みをなして、やい、国性爺、狼狽えたか、遅れたか、七十に余るこの一官、命を長らえて何になる。母の最期の言葉が健気であったからと言って、父にも語り吹聴したのを忘れたのか。これほどまでしおおせた一大事、この皺じいの命一つに迷って仕損じたと言われては、末代までの恥辱、故郷の聞こえ、日本生まれは愛に溺れて義を知らぬと、他国に悪名をとどめんは、日本 女ではあるが汝の母は生まれ故郷を重んじ、日本の恥と言う字に命を捨てた。それを忘れでもしたか。 これ程の手詰めに成り、子の親が目の前で八つ裂きにされようとも、目もふらずに飛び掛かって本望を遂げ大明の御代になさんと思う根性を何処で失ったのだ。 ええ、未練なり、浅ましい。と、地団太踏んで制すれば国性爺は父に恥しめられて、思い切って大王目掛けて飛んで出れば李滔天は父に剣をさし当てた。 はっと気も消え立ち止まり、進みかねたるしどろ足、頭の上に須弥山が今崩れかかってもびくと声もしない国性爺だが、前後に暮れてぞ(どうしたらよいのか分からない)見えたのだ。は 甘輝と呉三桂、互いにきっと目配せして、つっと出て韃靼王の前に頭を垂れ、かくまでしおおせ候えども御運の強い韃靼王、一官が絡めとられたことは国性爺の運もこれまで、末頼みなき大将、我々が両人が命を助け給わらば、国性爺の首を獲ってさしあげん。御誓言にて御返答を承らんと言いもあえぬに韃靼王、おお、おお、神妙、神妙、と言う所を飛び掛かってはったと蹴倒し締め上げれば隙をあらせずに国性爺、飛び掛かって父の戒めをねじ切り、ねじ切り、李滔天を取って押さえ父を縛りし楯の面まっその如くに小手、高手に縛り付け、三人目と目を見合わせて、ああ、嬉しやと喜ぶ声、国中に響くほどなのだ。 諸軍勢は勇みをなして、太子、姫宮、御幸を為し奉れば、御前にてきゃつばら、則ち罪科に行うべし。夷国とは言いながら韃靼国の王であるから、縛りながらに鞭打ちして本国に送るべしと、左右に別れて五百鞭、半死半生、打ち据えて引き除けたり。 さあ、これからが李滔天だ。本の起こりの八逆、、五逆、十悪人。かたみ恨みが無いように国性爺が首を引き抜いてやろう。 両人は老腕と三方に立ちかかり、声を掛けて一事に、えい、やっと、引き抜き捨て、永暦皇帝御代万歳、国安全と寿も大日本の君が代の神徳・武徳・聖徳のみちて尽きせぬ国繁盛、民繁昌の恵みによって五穀豊饒(ぶにょう)に打ち続き、万々年とぞ祝いける。
2025年09月18日
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いづくの誰が籠っているのか、門は高く、堀深く、砦々に垣楯つき(垣根の様に楯をならべて)、要害険阻を帯びている。 かうかうたる高矢倉、あがる雲雀や帰る雁、花と見つつも色々の籏に翼や休むらん。のどかに照らす朝日影、月影打ってつけたるは、日の本の美名を顯(あら)わし、延平王国性爺が乗っ取ったる石頭城、いわねどそれと知られる、白眞弓・鉄砲・高麗鉾・槍・長刀・大籏・小籏靡き合い、吹き抜け・幟(のぼり)・馬印がへんぽんと翻り、天も五色に染め成せば、藤もつつじも山吹も共に移ろう色見えて春の日数は盤上の石の数とぞ積もりける。 若葉の末の深緑、晴れ行く雲の絶え間より是南京の雲門関と、名乗って出るほととぎす、幔幕が高い卯の花垣、今年も夏の半ばなり、方三十里にさかも木引き、関の大将左龍虎三千余騎が兜の星を輝かし太鼓を打ってらんでうし、鳥の空音は謀るとも許す方無き勢いに、劔は夏野の薄を乱し火縄は澤の蛍火と要害厳しい関の戸は、鳥も通わぬばかりなり。 日本育ちの国性爺、たとえばこの関を鐵石で固めたとしても押し破って通らん事、わらんべが障子一重を破るよりも易けれども、軍中の目覚ましに、我が本国文治の昔、武蔵坊弁慶が安宅の関守を欺いた例を引くや、梓弓、軍兵にめくはせして、そもそもこれは驪山の麓、楊貴妃の御廟所、大眞殿再興勧進の大行者、勧進帳を聴聞して、勧めに入れや関守と、軍勢の着倒一巻取り出して、味方の祈祷、敵調伏と観念して高らかにこそ読み挙げければ、それつらつらとおもんみれば、韃靼逆徒の秋の月は無慚の雲に隠れ、生死不定の長き夢驚かすべき勢もなき。 ここにそのかみ、帝おわしました。御名を玄宗皇帝と名付け奉り、寵愛の玉妃に分かれ恋慕止み難く、啼泣眼(まなこ)にあらく、涙は玉を連ねる思いを泉路の翻して大眞殿を建立した。 か程の霊場が絶えてしまう事を悲しんで、臨卭(りんきょう)の方士の末葉(ばつよう)が諸国を勧、進す。一戦合戦(一度でも戦う人々は、一紙半銭の洒落)の輩(ともがら)は敵方では首を鉾に貫かれ、身方では合戦勝利の勝鬨をあげよう。 帰命稽首(仏に帰依して謹んで頭をさげること、仏に敬意を表する詞)、敬って申すと天も響けと読み挙げた。 関の大将の右龍虎左龍虎、すは、国性爺、飛んで火に入る夏の虫、梢に蝉がおめいてかかれば、にっこと笑い、樊噲流は珍しからず、門を破るのは日本の朝比奈流を見よやとて、貫の木(閂・かんぬき)さかもぎ押し破り、向かう者を叩き伏せて、逃げるのを掴んで人礫(つぶて)、左龍虎右龍虎を討ち取って、なんなく過ぎる月日の関である。 碁盤の上も関を吹き超える。秋の風は霧を晴れ渡らせて山城は韃靼の軍将海利王が楯籠り、前は岸壁後ろは海、要害頼みの油断を見て、秋の夜討ちの国性爺、乗ったり駒の轡ならぬ、轡虫(くつわむし)、月待つ、松虫の声が澄み渡り、しんしん、りんりんしづしづしづと、堀際近く攻め寄せて百千の高提灯(たかちょうちん、長竿の先につけた提灯、一度にぱっと立てたのは千世界の千日月を一度に見るが如くで、城の兵(つわもの)は寝耳に水の慌てぶり、騒ぎぶり、兜を脛につけたり、鎧はさかさま、馬を背中に負う、おう、おう、おう、おう、おう、大手の門を押し開いて、切ってい出れば寄せ手の勢、貝鐘を鳴らして鯨(ときの)声、大将は團扇押っ取って、ひらり、ひらり、ひらひら、ひらり、ひらめかして、日本流の軍(いくさ)の下知(げい、指揮)、攻めつけひしぐのは義経流、ゆるめて打つのは楠(くすのき)流。くりから落とし(螺旋方に落とすこと)、坂落とし、屋島の浦の浦浪も、ここに寄せ手の勢い強く、揉み立て揉み立て、斬りたてられ城中指してぞ引いたりける。 時分はよしと夕闇に、日本秘密の焙烙火矢(ほうろくびや)を打って放つその響き、須弥も崩れるばかりなのだ。楯も櫓も海人の焚く塩の煙か炭竈か、焔は秋の村もみじ、楚人の一炬に焦土になった咸陽宮とも言えるだろうか。 国性爺は勝時の駒の手綱をかいくって輪乗りをかけて、くるくるくる、くるり、くるりと乗り回し廻る月日に偽りのない世なりけり。神無月、しぐれて過ぎる岡野邊に棟門高い城郭こそは、これも国性爺が切り取った福州(ほくしゅう)の長楽城(ちょうらくじょう)、軒の甍はらんらんと、玉を彩る初霰、みぞれ交じりの夕風が吹き来る上に降り積もり、塀も櫓も埋もれて雪の眺めは面白や。その外、閩州建州諸国の府、三十八か所を切り取って太子の御幸を待ち顔に所々に付城(本城に対する出城)を築き、兵糧軍兵を籠め置いて、威勢は天の気に顯われて手に取る様にぞ見えたのだ。 呉三桂は喜悦のあまり身をも人をも打ち忘れ、太子を抱き奉り、城ある山へと走り往く。 二人の老翁が引きと留めて、愚かなり愚かなり、目撃一瞬に見ゆると言えども各百里を隔てたり。汝はこの山に入って一時と思うであろうが五年の春秋を送っている。 四年に四季の合戦を見たるとはよも知らじ。かく言う中にも立つ月日、太子の成長は汝の身の面影をよく見て、水鏡、水清ければ影も清い、汝に忠あり、誠ある。心の鏡に移り来る我は先祖高皇帝、我は青田劉伯温(りゅうはくうん)、住処は月の中に立つ桂の裏葉吹き返し、智見(仏経用語で意識と眼識に優れている事)の目には上十五、下十五夜と見てきたが衆生は心乱れ、碁の石とやさぞ見るであろう。 又、水中の遊漁は釣り針と疑う。雲上の飛鳥は弓の影とも驚けり。一輪もくだらず万水とても登らないので、満ちては欠ける影があれば、欠けても満ちる月を見よ。 しばしが程のくも隠れ、ついには晴れて天照らす、日の本和国の神力にて太子の位は早や出づる日との給う御声は松吹く嵐、面影ばかりは松立つ山の峰の嵐と吹き、隠れてぞうせ給う。 茫然として呉三桂、夢かと思えばまどろまず、げにや五年の歳月を経たるしるしにや、我が顔には髭が伸びている。 太子の尊容、時の間に御たけも立伸びて早や七歳の御物腰、呉三桂、呉三桂と召さるる御声は大人しく雪の深山に鶯の初音を聞きし思いにて、あい、あい、あい、と頭を下げて天を拝し、地を拝し、嬉しさ足も定まらず、再び夢の心地する。 御前に手をつかねて、いにしえの鄭芝龍の一子国性爺が日本から渡って味方の義兵を起こすとは音にこそ承れ、春秋五年の軍功は明らかに、大明半国は取り返し候えば国性爺に案内して、君はこれにまします旨を告げ知らせたく候と、申しもあえぬに遥かの谷の向こうから、なうなう、それなるは司馬将軍呉三桂にてはなきか、呉三桂、呉三桂と呼ばわる方をよくよく見て、御身は昔の鄭芝龍か。これは、これは、呉三桂、命あれば珍しや。一子国性爺が古郷の妻・栴檀皇女を案内した。と、招きあえば姫宮も、懐かしの呉三桂、おことが妻の柳哥君、命を懸けての忠節にて、憂き瀬を渡るうかれ船(漂流船)で日本に流されて、一官親子夫婦の情けで不思議に再び会うことよ。 柳哥君は何処にぞ、みどりごは何となりけるぞ。早く逢いたい、会わせてたべと焦がれ給うのは道理である。 さればその時の深手にて我妻は空しくなり、后も敵の鉄砲で命を落とし給いし故、胎内を断ち破り我が子を害して敵を欺き、太子は山中にて易々と育て参らせた。早や七歳の生い先はこれに渡らせ給いしぞと語るにつけて姫宮も、わっとばかりにどうと臥して、人目もわかぬ御歎き。思いやられていたわしい。 一官は麓を見返って、あれあれ梅勒王めが姫宮を見付けて數千騎にて追いかけて来る。年より骨に力みを出し、踏みとどまって命限りに防ぎ支えんと逸れども、宮の。御上は危なし、危なし。そこへ何とかして逃げさせたいが、この山の不案内、谷を越す道はあるまいか。 いや、いや、この道は廻れば六十里、谷が深くて底が知れない。これへも呼ばれず、そこへも越されず、むむ、如何せん。と、虚空を拝し、ただ今に奇瑞を現わし給う。 御先祖高祖皇帝、青田の劉伯温が神仙微妙の力を合わせて非定の危難を救い給えと、太子諸共に一心不乱の祈誓有り。 姫宮と小むつも手を合わせ、南無、日本住吉大明神、福寿皆無量と丹精無二の志し、天も感応、地も納受、洞口から一筋の雲が無心にして棚引けば、天の架け橋かささぎの渡せる橋や、葛城の久米の岩、はし夜ならで夢路を辿る如くにて渡るともなく、行くともなく向こうの峰に登り着き、足もわじわじ震えけり。 程なく賊兵が雲霞の如くにどっと駆け寄せて、あれあれ、太子も呉三桂も見えているぞ。思いもよらぬ拾い物だ、鰯の網で鯨を獲るとはこのことだ。 的になったる奴ばら、やれ、弓よ、鉄砲よ。打ち獲れ、射とれとひしめきける。 梅勒王が下知をなし、やれ、待て待て、後ろは広いし、退き場は有る。弓鉄砲はうまくゆくまい。こりゃ見よ、遂に見かけぬ架け橋だ。必諚、国性爺めの日本流のそろばん橋(山口県岩国市の錦帯橋の俗称。ここはアーチ形で橋杭のない橋を言う)だろう。畳橋(たたみばし、折り畳みが出来る橋)であろうか。敵に喰い物をあてがうのは愚かな軍法だ。 続けや、者共、渡れや渡れと五百余騎が押し合い、ひっつめ我先にと、えいえい声を掛け、橋の半ばまで渡ると見えたのだが、山風谷風がさっ、さっさっさっと谷の架け橋を吹き切って、大将を始め五百余騎がどた、どた、どた、と落ち重なり、めっこう(額の真ん中)打ち割る、頭を砕く。 泣いたり、喚いたりで、後から後から続けて落ちて谷を埋めるばかりである。 呉三桂と鄭芝龍は得たり賢し、心地よしとばかりに、大石や大木を手当たり次第に投げつけ、投げかけしたので、一騎も残らずに刹那の内に人の寿司とぞなったのだ。 中にも大将の梅勒王は岩根を伝い、葛を手繰り、這い上ったので呉三桂が遊仙の碁盤を引っ提げて、こりゃ、この碁盤はところで練って石よりも固い、苦くて口に合わなくともひと口食ってみるか。おのれが一目眼を以て御無用の呉の相手、碁勢を見よと頭を出せば、ちゃうど打ち、面を出せばはたと打ち、ぶちつけぶちつけ脳も鉢も打ち砕かれて微塵となってぞ失せにける。 おお、本望、本望、本朝にもかかる例なし。先例は吉野の碁盤忠信、それは榧木(かやのき)、これはところの九仙山、先手が身方に回り来る。四ツ目殺しに、點(なかて)を入れて粘(市長)にかけてうちきり、攻めてからめて断ち切って、手詰めの関を勝ち戦、敵のはまを拾い上げ、国も御代も打ち換えで、手を尽くしたる劫(こう)もある。 忠義の道はまっこうこう、道はこうよと打ち連れて福州(ほくしゅう)の城にぞ入りにけり。
2025年09月16日
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第 四 唐土の便り今やと待つ、それではないが、松浦潟、小むつが宿の明け暮れは唐の姫宮相住みを、あたり隣も浮き名立て、唐と日本のしおざかい、ちくら者かと疑えり。 夫も今は国性爺と名を改め数万騎の大将軍と聞くからに、我も心の勇み有り。若衆出立に様を替えて撫でつけ鬢(びん)のおおたぶさ、翡翠の大づと(大きなたぼ。後ろに大きく張り出した髪)ふっさりと禰宜の息子か、膏薬売りか、女とはよもや見えない、水浅黄の股引を引き締めて、羽織を着て、朱鞘木刀(きかたな)真紅の下げ緒、花の口紅、雪の白粉、菅笠深くはぎ高く、足元軽い濵千鳥、浜辺伝いを日参の印を待つ、松浦の住吉や、神前にこそ着きにけり。 充満御願と祈誓をかけ手を合わせると見えけるが、ひらりと抜いたる居合の早業、神木の松を相手取り木刀をかざして躍り上がり、声を掛け、えい、やっとう、とう、えいやっとう、上段下段の太刀捌き、かげろう・稲妻・獅子奮迅、足取り(足の運び)、手の内(手の業)、四寸八寸身の開き(きわどい所で身を躱す事)、踏み込んで打つ入り身(相手の手元に入り込むこと)の木刀、枯木の松片枝をずっぱと切って落としたのは、今牛若とも言ってよい。 いつの間にかは栴檀女、森の影から走り出て、なうなう、小むつ殿、毎日毎日、時を違えず変わった風俗、今日と言う今日は跡を慕って見つけましたが、誰に習ってこの兵法(ひょうほう)、器用なことやとの給えば、いや、師匠はなけれど夫の打ち太刀(太刀打ち)、習おうより慣れようとの事唐土の便り心もとなく、御迎えの船は参らずともお供して渡ろうと、この明神に吉凶を祈り候えばこれ見賜え、木刀にてこの松の木が真剣の如くに斬れたのは、神が納受のしるしと申し、商い船の便船時節も良く候と申し上げれば、それは嬉しい、頼もしい、片時(へんし)も早く戻してたべと、御悦びは浅からず。 御心安く思召せ、総じてこの住吉と申すは舟路を守る御神であり、神功皇后と申す帝が新羅(しんら)退治の御時に汐ひる玉汐みつ玉を以て、御舟を守護なされた舟玉神と申しまする。 昔唐土の白楽天と言う人が日本の智恵をはかろうとこの秋津洲(あきつす)に渡り給い、目前の景色を取り敢えず青苔衣を帯びて岩ほの肩にかかり、白雲帯に似て山の腰を廻ると詠じ給えば大明神が賤しい釣りの翁と現じて、一首の歌の御答、苔衣、着たる岩ほはさもなくて、きぬきぬ山の帯をするかな。と、詠じ給いし御歌で、ぎっと詰まって楽天は此処から本土に帰ったとか。 国を守りの御神のその歌は、苔衣わが身にうけて旅衣いざとて二人は、打ち連れて舟路はるけくなる、形振りであるよ。 栴檀女 道 行 唐子髷(からこわげ)には薩摩櫛、島田髷(しまだわげ)には唐櫛(とうぐし)と、大和もろこし打ち混ぜてさしもならわぬ旅立ちや。 船と陸(くが)とで行く道は笠捨てられず、懐(ふろころ)に枕を畳む、夢畳む、千里を胸に叩き込む。女心の強弓も男ゆえにこそ、引かれていく。 我は古郷を出る旅、君は古郷に戻る旅、双葉に見せて栴檀女、小むつがいさめを力にして大明国へと思い立つ、心の内こそ遥かなれ。 親と夫を持っている身は何か歎きは有るだろうが、有明の月さえ同じ月ではあるが、なう、二人見慣れし閨の中、名残は数々多くある。 大村の浦の浜風、ひと村雨はさらさらと晴れても晴れぬ我が涙、袖に包んで袂で拭う。鏡の宮に影とめて泣かぬ人とや見るそれではないが、見る目の浦、振りさけ見れば久方の日も行く末の空遠く、帰るさ何時ぞ、天津鴈さそえやさそえ、わが夫(つま)も二十五筋の琴の糸、結び契りし年の数、いざ、すがかきて(謳わずに琴や三味線を掻き鳴らすこと)、箱崎の松ならぬ待つと聞くならば我も急ごう。磯べ伝いに寄り藻掻く海士の子供が打ち連れて、はじき石なご、又ちょうか半、三つ四つ五つ数えては、幼な遊びも睦まじく、七瀬の淀を行く水も、昔の影やかくれんぼ、鬼の来ぬ間と歌ったのも、濡れて乾かない旅衣、もろこし船を待つ、松浦(まつら)川、湊も近い、千賀の浦風に、そなたの潟を見給えば、磯に手ぐりのくりや川波にゆらるる釣り舟に、びんずら(みづら、古代の男子の髪の結い方、髪を真ん中から左右に分けて両耳の辺で束ねる。後には主として少年の髪の結い方となる)を結った童子一人、網は降ろさないで釣り竿の糸と言う糸を睨んで見ている。 なうなう、おちご、我々は唐土へ渡る者だが程よい所まで乗せてくれないかと声を掛けた。 あら、何でもない事、一人は唐土人、一人は筑紫人、女性の身にして唐土に渡るとは恋しき人が居るのであろう。二千里の外(ほか)古人の心、三五夜中ではないけれども影を漏らさぬ月の船、とくとく召され候えとはや、指し寄せる水馴(みな)れ竿、不思議の縁と打ち乗りて焦がれて、漕がれ行く、行方も知らず白波の、凪てのどけき波の面、続いて見える八十嶋を異国の人の家ヅと(土産、土産話)に教えてはくれないかと頼めば、童子は舟端に立ち上がり、海原はるかに指さして、いかに旅人、聞き給え。 先ずあれに続くのは、鬼界十二の嶋、五嶋七嶋中でもあの白い鳥が多く群れているのは白石が嶋、こなたにけふりの立つ登るのは硫黄が嶋、さて又、南に高く霞がかかっているのは千鳥の嶋である。あれはいにしえに天照る神が住吉の明神に笛を吹かせて舞曲を奏して二神(ふたかみ)が遊び給いし所だと言うので、二神嶋と申すのだ。 唐土人ぞと語るのだ。語る間に敷島のはや秋津洲(あきつす)の地を離れ、それより先の嶋々の、嶋かと見れば雲の峰、山かと見れば空の海、風はなけれどあま小舟、天の島、舟岩、舟の空を走り往く如くにて山なき西に山が見える。月に先立ち、日に連れて、日の本い出し秋風も立も変わらずそのままの、まだ秋風に鱸(すずき)釣る松江(ずんこう)の湊に着きにけり。 人々船より上がり給い、誠におちごが御情座(畳の上を行く)したるようなる船の中、かかる波涛を時の間に渡し給える御方はいかなる人にてあるやらん。 人がましやな名もなき者、我日の本に昔より住み慣れたれば住吉の、大海童子と申す者、暇申してこのわっぱは住吉に立ち帰り、帰朝を待ち申さんと言う、夕凪の水際なる海人の小舟を漕ぎ戻し追い風に任せつつ沖の方に出たのだった。沖の方へと出たのだった。 伝え聞く、陶朱公(范蠡の別名)は句践を伴い、会稽山に籠りいて、種々の知略を巡らして遂に呉王を亡ぼし句践の本意を達したとか。昔を問えば遠き世のためしも呉三桂が今身の上に知った、白雲の、山より山に身を隠して太子を育て奉る。 移れば変わる苔むしろ(山住まい。苔をむしろとしてその上に寝る)、宮前の楊柳・寺前の花、峰の枯木に立ち替わり、夕べの霧の間には、わが身を以て褥(しとね)として、鸞與属車(らんよしょくしゃ、天子の乗り物とそれに従う車)の輦(てぐるま)も蔦の錦に織り替えて、朝(あした)の露の辺(ほとり)には谷の猿(ましら)の潟に駕(が)し、早や二歳(ふたとせ)は昨日今日、明けるのも山、暮れるのも山、我が名も君が顔ばせも人目を包む雲水に、虹の架け橋途絶えして、深山烏や鵼子鳥、梢に来鳴く鸚鵡さえ、昔をまねぶ声はない。 水遠くして山長く、根ざさ・茅原・槇(まき)・檜原、峨々と聳える崔嵬(再会)の山路に疲れ行く末は名にのみ聞きし興花府(こかふ)の九仙山によじのぼり、しばし佇む松風も、馴れてや友と住み慣れし。 龐眉(ほうび、大きな眉)白髪の老翁(ろうおう)二人、石上に碁盤を据え、黒白二つの石の数、三百六十一目に離々たる馬目、連々たる鴈行、脇目もふらぬ碁の勝負。心はささがきの空にかかれる糸に似て、身は空蝉の枯れ枝となり、浮世を離れて手談のわざ、中間禅の高臺かと太子を石段に移し参らせて、枯木の株に頤をもたせ、見とれる我も諸共に余念の塵をや払うであろう。 呉三桂は興に乗じて、なうなう、老人に物を申さん。市中は離れての座隠の遊び、面白し。さりながら、琴詩酒の三つの友を離れ碁を打って勝負を諍い給う事、別に楽しむ所ばし候か。 翁はさして答えもせずに、碁盤と見る目は碁盤であり、碁石と見る目は碁石である。 大地世界を以て一面の碁盤なすと言える本文がある。心上の須弥山これに有り。大明一国の山河草木今此処からみると、などか曇るであろう。ひと隅に九十目、四方に四季の九十日、合わせて三百六十目、一目に一日を送ると知らぬ愚かさよ。 面白し、面白し。天地一躰の楽しみに二人が向かうとは何事ぞ。陰陽の二つがあらざれば、萬物整う事はない。 勝負はさて、如何に。人間の吉凶は時の運にあらずや。さて、白黒に夜と昼、手談はいかに、軍(いくさ)の法、切って押さえて撥ねかけて、軍は花の乱れ碁や。飛び交う烏、群れいる鷺と譬えたのも白き、黒きに夜昼も分からずに昔の斧の柄もおのずからとや朽ちぬべし。 翁が重ねてのたまわく、今日本より国性爺と言う勇将が渡って大明の味方となり、ただ今軍の真っ最中、これよりその間は遥かであるが、一心の碁情眼力でありありと合戦の有様目前に見せるべしと、の給う声も山風も、碁石の石にぞ響いたのだ。 呉三桂ははっと心づき、げにげに、此処は九仙山、この九仙山と申すのは、四百余州を目の下に見て、峰もかすかにおぼろ、おぼろと、雲かと見れば一霞、麓に落ちる春風の風のまにまに吹き晴らす。 空は弥生の半ばであり、柳桜をこきまぜて、錦に包む城郭のありありとこそ見えたのだ。
2025年09月11日
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甘輝は飛びし去って、おお、御不審は御尤も。全く某無法にあらず、狂気にも候わず、昨日、韃靼王より某を召し、この頃日本より和藤内と言うえせ者(くだらぬ者)、小乏下劣(小乏下劣)の身をもって智謀軍術たくましく、韃靼王を傾け大明の世に翻さんとこの土に渡る。 彼の討っ手は誰ならんと数千人の諸侯の中からこの甘輝を選り出され参議将軍の官に任じ、十万騎の大将を給わった。 和藤内をわが妻の兄弟と今きくまでは夢にも知らず、きゃつ日本に伝え聞く楠とやんらが肝胆を出で(智謀の奥義を悟り)、朝比奈・弁慶とやんらが勇力有りとも、我はまた孔明の腸(はらわた)に分け入り、樊噲・項羽の骨髄を借って一戦に追って追いまくり、和藤内の月代首をひっさげて来たらんと広言吐きし某が一太刀も合わせずに矢の一本も放たずに、ぬくぬくと味方すれば、五常軍甘輝が日本の武勇に聞きおぢするものでなし、女にほだされ縁にひかれて腰が抜けて弓矢の義を忘れたと韃靼人の雑口(ぞうこう、雑言、噂話)にかけられるのは必定、しかれば子孫末孫の恥辱は逃れ難し。恩愛不憫の妻を害して、女の縁に引かれない義信の二字を額に当て、さっぱりと味方せん為に、やい、錦祥女、とどめる母の詞には慈悲心が籠る、殺す夫の剣の先には忠孝がこもる。 親の慈悲と忠孝に命を棄てよ女房と理非を飾らない勇士の言葉、おお、聞き分けた、身に叶った忠孝、親に貰ったこの体、孝行の為に捨てるのは惜しいとも思わない。と、母を押しのけてつっと寄り胸を押し開ければ引き寄せて、見るも危うい氷の刃、なう、悲しやとかけ隔て、押し分けようにも詮方なく、退けようとするが手は叶わず、娘の袖に喰いついて引き除ければ夫が寄る。 夫の袖を咥えて引けば、娘は死なんと又立ち寄る。それを又口にくわえて唐猫が塒(ねぐら)を替える如くにて、母は眼もくれ、身も疲れ、わっとばかりにどうと臥し、前後不覚に見えたので、錦祥女が縋り付き、一生に親知らず、終に一度の孝行なく、何で恩を送ろうぞ。 死なせてたべ、母上と口説き歎けばわっと泣き、なう、悲しい事を言う人や、殊に御身は娑婆と冥途に親三人、残り二人の父母は産み落とした大恩あり。 中にひとりのこの母は、哀れ見かけず恩もなく、うたてや継母の名は削っても削られず。今此処で死なせては、日本の継母が三千里を隔てた唐土の継子を憎んで見殺しに殺したと、わが身の恥ばかりではない、遍く口々に日本人は邪見なりと国のなを引き出すのはわが日本の恥ぞかし。 唐を照らす日影も日本を照らす日影も、光に二つはないけれども、日の本とは日の始め、仁義・五常(仁義礼智信)情けが有る。 慈悲もっぱらの神國に生を請けたるこの母が、娘殺すのを見物して、そも生きておられようか。願わくばこの縄が日本の神々のしめ縄と顕れ、我を殺し、かばねは異国に晒すとも、魂は日本に道引き給えと声を挙げ、道も有り、情けも有り、哀れも籠る口説き泣き。 錦祥女は縋り付く、母の袂の諸涙、甘輝も道理に至極してそぞろに涙に暮れていたが、ややあって甘輝は席を打って、はっあ、是非もなし、力なし。母の承引が無い上は、今日よりは和藤内とは敵対、老母はこれに留め置いて、人質と思われるのも本意(ほい)ではない。輿車を用意して所を尋ねて送り返し参らせよ。 いや、送るまでもなく、この遣り水より黄河までよき便りには白粉を流し、叶わぬ知らせは紅粉を流す約束で、迎いにおいでが有る筈。 いで、紅粉を解いて流そうと、常の一間に入ったのだ。 母は思いに掻き暮れて、思うに違う世の中を立ち帰って、夫や子に何と語り聞かせたらよいか。と、思い遣る方無く涙の色、紅より先の唐錦、錦祥女はその隙に瑠璃の鉢に紅粉を溶き入れ、これぞ親と子が渡らぬ錦中絶えて、名残は今ぞと言う、夕波の泉水にさらさらさらと、落ち瀧津瀬の紅葉はと浮世の秋を堰下し、共に染めたるうたかたも、紅くぐる遣り水の落ちて黄河の流れの末、和藤内は岸頭に蓑打ち被き座を占めて、赤白二つの川水に心をつけて見守る川面、南無三宝、紅粉が流れる。 さては望みは叶わないか。味方もせぬ甘輝に母は預けて置かれぬ。踏み出す足の早瀬川、流れを止めて行く先の堀を乗り越え、塀を飛び越え、籬・透い垣踏み破り、甘輝の城の奥の庭、泉水にこそ着いたのだ。 まずは母は安穏、跳び上がり、戒めの縄を引きちぎって、甘輝の前に立ちはだかって、五常軍甘輝と言う髭唐人はわぬしよな、天にも地にもたったひとりの母に縄をかけたのは、おのれをおのれと奉って味方に頼もうと思ったからで、もってうすれば方図もない、味方にならないのはこの大将が不足であるのか。第一、女房の縁と言い、そっちから願うはずだ。 さあ、日本無双の和藤内が直付けに頼むぞ、返答せよ。柄に手を掛けて突っ立ったり。 おお、女房の縁と言えば猶の事ならぬわ。御辺が日本無双であるならば、我は唐土に希代の甘輝である。女にほだされて味方する勇士にあらず。女房を去る所もない。病死するまでべんべんとも待たれまい。追い風次第に早く帰れ。但し、置き土産に首が置いていきたいか。 いやさ、日本への土産に貴様の首をと、両者が抜かんとする所を錦祥女が声を掛けて、ああ、ああ、これなあ、なあ、病死を待つまでも無し。ただ今流した紅の水上を見給えと衣装の胸を押し開けば九寸五分の懐剣、乳の下から肝先まで横に縫って刺し通し、朱に染みたるその有様、母はこれはとばかりにて、かっぱと臥して正体無し。 和藤内も動顛し、覚悟をきわめし夫でさえ、そぞろに驚くばかりである。 錦祥女は苦し気に、母上は日本の国の恥を思召し、殺すまいとなされるけれども、我が命を惜しんで親兄弟をみつがずば(助けなければ)唐土の恥、こうなった上は女に心ひかされたとのひとの謗りはよもあるまじ。 なう、甘輝殿、親兄弟の味方して、力ともなってたべ。父にもかくと告げてたべ。もう物を言わせて下さるな。苦しいわいのとばかりで、消え消えにこそなったのだ。 甘輝は涙を押し隠して、おお、でかいた、でかいた、自害を無にはさせないぞと和藤内の前に頭を下げて、某先祖は明朝の臣下、進んで味方申すべきであったが、女の縁に迷ったと俗難を憚っていたのだが、我妻がただ今死を以て義を勧める上は、心清く御味方いたす。また貴殿をば大将軍と仰ぎ、諸侯王になぞらえて御名を改め、延平王国性爺鄭成功と号し、装束召させ奉らんと武運が開けるそれではないが、唐櫃の蓋の二重の錦、羅陵の袂、緋の装束、章甫(しょうほ)の冠、花紋の沓(くつ)、珊瑚琥珀の石の帯、莫邪の剣、金(こがね)を磨き蓋(きぬかさ)をさっとさしかければ、十万余騎の軍兵ども、憧(どう)のはた、幡(ばん)のはた、吹き抜き、盾鉾・弓鉄砲、鎧の袖を連ねたのは、会稽山に越王が再び出でたる如くである。 母は大声、高笑い、ああ、嬉しや、本望や。あれを見や、錦祥女、御身が命を捨てたので親子の本望を達しましたよ。親子と思えど天下の本望、この剣は九寸五分なれども四百余州を治める自害、この上に母が長らえては始めの言葉が虚言となり、再び日本の国の恥を引き起こすと、娘の剣を押っ取ってのんどにがばと突き立てた。 人々がこれはと立ち騒げば、ああ、寄るまい、寄るまい。と、はったと睨み、なあ、甘輝、国性爺、母や娘の最期を必ず歎くな悲しむな、韃靼王は面々の母の敵、妻の敵、と思えば討つのに力が増す。 気をたるませぬ母の慈悲、この遺言を忘れるな。父の一官がおわするので親には事を欠かないぞ。母は死して諫めをなし、父は長らえて教訓をなすので、世に不足なき大将軍、浮世の思い出これまでと、肝の束ねを人抉り、切りさばき、さて、錦祥女、この世に心残らないか。 何しに心残らんと言えども残る夫婦の名残、親子は手を取り引き寄せて、国性爺の出立を見上げ見下ろし嬉し気に笑顔を娑婆の形見として一度に息は絶えたのだ。 鬼を欺く國性爺龍虎と勇む五常軍、涙で眼(まなこ)は眩めども、母の遺言に背くまい、妻の心を破るまいと国性爺は甘輝を恥じ、甘輝は又国性爺に恥じて、萎れる顔隠す。 なきがらおさめる道にべに、出陣の門出だと生死二つをひと道に、母の遺言、釈迦に経。父の庭訓、鬼に金棒、討てば勝ち、攻めれば取る末代、不思議の智仁の勇士。玉ある淵は岸破れず。龍住む池は水涸れず。 かかる勇者が出生する国々たり、君々たり。 日本の麒麟はこれであるぞと、異国に武徳を照らしたのだ。
2025年09月09日
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縄をかけるのが嫌なら、帰去来、帰去来、びんくはんたさつ、ぶおん、ぶおん、とねめつけた。 和藤内は眼をくわっと怒らし、やい、毛唐人、うぬらの耳、は何処についていて何と聞いたのだ。忝くも鄭芝龍一官の女房、身には母、姫の為にも母同然、犬猫を飼うように縄を付けて通さんとはは、日本人は鈍なこと(馬鹿な事)を聞いてはいない。小難しい城内、入らなくとも大事ない。 さあ、ござれと引っ立てた母が振り放して、それそれ、今言ったことを忘れたのか、大事を人に頼む身は幾たびか様々な憂き目もあり、恥もある。縄はおろか足枷・手枷にかかっても願いさえかなうとならば瓦金を替える如し。小国ではあるが日本は男も女も義は捨てぬ。縄掛けたまえ一官殿と恥しめられて力なく、用心の腰縄を取り出して、高手小手に縛り上げ、親子が顔を見合わせて笑顔を作る日本の人の育ちぞ健気である。 錦祥女も堪えかねる歎きの色を押し包み、何事も時世(ときよ)にて国の掟は是非もなし。母御はみずからが預かる上は気遣いなし。何事かは存じないが御願の一通り、御物語を承り、夫の甘輝に言い聞かせて何とぞ叶え参らせん。 さてこの城のめぐりに掘ったる堀の水上(みなかみ)はみずからの化粧殿の庭から落ちる遣り水で、末は黄河の出水と流れ入る水筋である。 夫の甘輝が聞き入れてお願いが成就すれば白粉を溶いて流すべし。川の水が白く流れるのは目出度きしるしと思召し、いさんで城に入りなされ。又、お願いが叶わぬ時には紅を溶いて流しましょう。川水が赤く流れる時は、かなわぬ左右(さう、知らせ、便り)と思召し母御前(ごぜ)を請け取りに城外まで出で給え。 善悪ふたつは白妙と唐紅(からくれない)の水の色に心をつけて御覧ぜよ。さらばさらばと夕月に門の戸をさっと押し開いて、伴う母は生死のさかい、菩提門を引き換えてこれは浮世の無明門、閂(かんぬき)をてうど下す音、錦祥女は悲しみの涙で目もくれて、弱いのは唐土女の風、和藤内も一官も泣きはしないのだが日本武士の風、大手の門の閉て開けに石火矢を打つのは韃靼風、一つに響く石火矢の音で、聞くのさえ遥かなる、夢も通わない唐土に通えば通う親子の縁、恩愛の綱が結び合っての縛り縄、かかる例は異国にもまれに咲き出す雪の梅、色音は同じ鶯の声にぞ通う事、要らざりし。 錦祥女は孝心深く、母を奥の一間に移し、二重の褥三重の布団、山海の珍菓名酒をもって重んじ持成す有様は、天上の栄花とも、又。高手小手のいましめは十悪五逆の科人とも、見る目いぶせく痛わしく、様々に宮仕え、誠の母といたわったのだ。心のうちこそ殊勝である。 腰元の侍女達が寄り集まり、何と日本の女子を見てか、目も鼻も変わらないが、髪の結い方や変わった衣装の縫い様、若い女子もあれであろう、裾も褄も、ほらほら、ほらほら、とぱっと風が吹いたら太股までも見えそうな。ああ、恥ずかしい事じゃあるまいか。いやいや、とても女子に生まれるなら、こちゃ日本の女子になりたい。何故と言えば、日本は大にやわらぐ大和の国と言うげな。何と女子の為には大に柔らかいのは好もしい国ではないか。 ほう、有難い国じゃのと目を細めてぞ頷きける。 錦祥女が立ち出でて、これこれ、面白そうに何を言うぞ。あなたはみずからとはなさぬ仲の母上なれば、孝行と言い、義理と言い、実の母よりも重いけれども、国の掟で詮方なく縛りからめたおいとしさ、韃靼国に漏れ聞こえ、連れ合いに咎めがあってはと宥免(ゆうめん)もなり難く、難儀と言うのはわが身一つ、いづれも頼む食物も違うとや。御口にあうもの伺うとて進ぜてくれよとの給えば、いや、申し、如才もなくお料理も念入り、龍眼(りゅうがん)肉のお飯、お汁は鴨(あひる)の油揚げ、豚のこくしょう(濃い醤油で煮詰めたもの)、羊のはまやき、牛のかまぼこ、様々にして上げても、なう、忌々しい、そんな物はいやいや、縛られて手も動きがかなわない、つい(簡単に、手軽に)むすびにしてくれと御意なされる。 そのむすびと言う物はどういう食べものなのか合点がゆかず、皆が打ちよって詮議致せば、日本では相撲取りをむすびと申すげな。それ故に方々尋ねても、折しも悪うお歯に合いそうなすもう取りが切れ物(品切れ)なりとぞ申しける。 表に轟く馬、車、御帰館と呼ばわって、唐櫃を先に舁き入れさせ、悠々たる蓋(きぬがさ)もさすがは五常軍甘輝と名に負うその物躰(もったい、重々しい様子)、錦祥女が出で迎え、何とて早き御退出、御前は何と候ぞや、さればされば、韃靼大王は叡感深く、過分の御加増、十万騎の旗頭・散騎将軍の官に任ぜられて、諸侯王の冠装束を給わり、大役を仰せつけられたぞ。 家の面目はこれにすぎずとありければ、それは御手柄、目出度い、目出度い、なう、家の吉事はかさなるもの、匍頃恋しい、床しいと申し暮らしていた父上が日本にてもうけ給いし母兄弟を伴い頼みたい事があると、門外まで来たのですが、御留守と言い、国の厳しい掟を憚り、男は皆帰して母上だけを止めて置いたのですが、猶も上の聞こえを恐れて縄をかけて、あれ、あの奥の亭で御馳走は致しましたが、胎内から出ていない義理の母上を縄にかけた御心底、悲しいですと語りける。 むう、縄掛けしとはよい料簡、上に聞こえて言い訳あり。随分もてなせ。 いざ、我も先ず、対面しようか。案内申せと言う声が漏れ聞こえてか、妻は戸の内側で、なう、錦祥女、甘輝殿が御帰り、か、此処はあまりに高あがり、わらわはそれへと立ち出でる形はいどど老木の松の占めからまれし藤かづら、立ちゐ苦しきその風情、甘輝は見る目もいたわしく、まこと世の中の子と言う者のあればこそ、山川万里を越え賜うその甲斐も無き戒めは、時代の掟だ是非もない。 それ、女房、御手が痛むか、気を付けよ。うどんげの客人(まれびと)いささか粗略を存ぜず、何事なりともこの甘輝が身に相応のことならば、必ず心をおかれるな。と、世にも睦まじく持成せば老母は顔色打ち解けて、おお、頼もしい忝なや、 その言葉を聞くからは、何しに心をおくべきか。頼み入りたき大事を密かに語り申したし、是へ是へと小声に成り、なう、我々がこの度唐土に渡りし事は娘が床しい為ばかりではない。去年の初冬に肥前の国、松浦が磯と言う所に大明の帝の御妹・栴檀皇女が小船にめされて吹き流され、御代を韃靼に奪わし雄物語を聞くと等しく、父はもとより明朝の廃臣(はいしん、元の臣下)、我が子の和藤内と言う者、賤しき海士の手業ながら唐土や日本の軍書を学び、韃靼大王を亡ぼし、昔の御代に翻して姫宮を帝位につけんと先ず日本に残し置き、親子三人してこの唐土に来たのだが、浅ましや草木まで皆韃靼に従い靡き、大明の味方に志す者は一人も候らわず、和藤内が片腕の味方と頼むは甘輝殿、力を添えて下されかし。ひとえに頼み参らする。これが拝む心ぞ、と額を膝に押し下げ押し下げして、只一筋の心ざし、思い込んでぞ居ると見えるのだった。 甘輝は大いに驚いて、むう、さては聞き及ぶ日本の和藤内と申すは、この錦祥女とは兄弟、鄭芝龍一官の子息で候な、むむ、武勇の程は唐土までも隠れなく、頼もしき思い立ち、もっともこうなくては有るべからず。 我等も先祖は大明の臣下、帝が滅び給いてよりは頼むべき主君なく、韃靼の恩賞を蒙り、月日を送る折から望む所のお頼み、早速に味方と申したきが少し存ずる所が有れば、急にあっとも申されずとっくと思案してお返事申し上げましょうと、言わせも果てずに、ああう、そりゃお卑怯な。詞が違う。 これ程の一大事、口より出せば世間ぞや。思案の間にも漏れ聞こえて不覚をとり、悔やんでも返らず、お恨みとは思うまじ。成るにしても成らないにしてもお返事を。さあ、お返事をと責めつければ、むう、急に返答を聞きたいならば易いこと、安いこと。 如何にも五常軍甘輝は和藤内の味方であると、言うより早く錦祥女の胸元を取って引き寄せて、剣を引き抜いて咽笛に差し当てた。 老母は慌てて飛び掛かり、二人の中に割って入り、持ったる手を足で踏み離して、娘を背中に押しやり、押しやり、仰のけに重なり臥して大声上げ、これ、情けなや、何事ぞ、人に物を頼まれては女房を刺し殺すのが唐土の習いか。 心に染まぬ無心を聞くも女房の縁があるからだと、心の底から腹が立っての事か。但しは狂気したのか、偶々、始めて来て見た母親の目の前で、殺そうとする無法人、日来(ひごろ)が思いやられる。味方をしないならばそれまでのこと、 今までとは違って親がある大事の娘、是、怖い事はないぞ。母にしっかりと取りつきなさいと、隔ての垣と身を棄てて囲い歎けば、錦祥女は夫の心は知らないが、母の情の有難さ。怪我遊ばすなとばかりにて、共に涙に咽びけり。
2025年09月05日
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第 三 仁ある君も用なき臣は養う事あたわず。慈ある父も益無き子は愛するあたわず。 大和唐土様々に、道の巷は分かれるが、迷わずに急ぐ誠の道、赤壁山の麓にて親子三人が廻り遭い我が聟とばかり聞き及ぶ、五常軍甘輝の屋形城・獅子が城にぞ着きにける。 聞きしにまさる要害はまだ寒さが冴え返る春の夜の、霜にきらめく軒の瓦鯱(かわらしゃちほこ)天に鰭(ひれ)振り、石塁は高く築き上げている。 堀の色は藍に似て、縄を引くが如し(遠くまで長く続いている)。末は黄河に流れ入って、楼門は固く鎖したり。 城内には夜回りの銅鑼(どら)の声がかまびすしい。矢狭間には弩(いしゆみ)が隙間なく所々に石火矢を仕掛けて置き、すわと言う時には打ち放そうと、その勢いは和国には目馴れない要害である。 一官は案に相違して、乱世と言いかかる厳しき城門ことごとしく、夜中に叩いて聞きも馴れぬ舅が日本より来たりしなんどと言うとも、誠と思い取り次ぐ者もあるまい。たとえ娘が聞いたとしても二歳で別れ、日本に渡った父と如何なる証拠を語ったとしても、容易く城内に入れる事は難しいだろう。いかがわせんとぞ私語(ささやき)ける。 和藤内は聞きもあえずに、今更驚く事ならず、一身の外に味方はなしとは日本を出る時より覚悟の前、終(つい)に見ぬ舅よ、婿よと親しみ建てして不覚を取るよりも、頼まれるか、頼もうか、ひと口商い(厭か応を即座に決める交渉)、嫌と言ったならば即座の敵、二歳で別れた娘ならば我らにも行き遇い姉、きゃつに孝行の心が有れば、日本の風も懐かしく、文の便りもあるべきに頼まれぬ(当てには出来ない)心底、われが竹林の虎狩りで従えた嶋夷(しまえびす、外国人の蔑称)を軍兵の基手にして切り靡ける程であるなら、五万や十万勢がつくのに遑はいらない。 何の人頼み、この門を蹴破って不孝の姉の首を捩じ切り聟の甘輝と一勝負と、躍り出れば母が縋り付いて押し留め、その娘御の心入れは知らないが、夫につれて世の中がままにならないのは女の習い、父とは親子、御身とは種ひとつ、他人はみずから獨りであり、海山千里を隔てても継母と言う名は逃れない。 娘の心に親兄弟が恋い慕うまいものでもなし、その所へ切り込んで日本の継母の妬みであると言われるのは、我の恥であるばかりではなくて、日本の国の恥、御身は不肖の身を以って韃靼の大敵を攻め破り、大明の御代にかえさんと大義を思い立ったからは、私の恥は捨て、わが身の無念を観念して、人を懐け従えて、一人の雑兵も味方に引き入れるのこそは軍法のもとと聞く。 まして聟の甘輝は一城の主、一方の大将、これを味方に頼むことは大方にて成るべきことか心を納め、案内を乞えと制すれば、和藤内は門外で大声を挙げ、五常軍甘輝公に直談申したき事がある。開門、開門と叩いたのは城中に響き渡るばかりである。 当番の兵士は声々に、主君の甘輝公は大王の召しに依って昨日より出仕有り、何時御帰りかもはかられず、御留守と言い、夜中と言い、何者なれば直談などとは推参至極、言う事あればそこから申せ、御帰りの節に披露してとらすべしと呼ばわりける。 一官は小声に成り、いや、人づてに言う事ではない、甘輝公が留守ならば御内室の女性(にょしょう)にじかに会って申すべし。日本より渡りし者と申せば合点が有るはずと、言いも果てぬのに城中が騒ぎ、我々さえ面も拝まぬ御台所である。対面せんとは不敵者、殊に日本人とや、油断するなと高提灯、金偏の獨鐃鉢(どらにょうはち)を打ち立て、打ち立て、塀の上にはあまたの兵が鉄砲の筒先を揃えて、石火矢を放って打ちみしゃげ、火縄よ、玉よとひしみきける。 奥にかくとや聞こえたのだろう、妻の女房が楼門に駆け上がり、ああ、騒ぐな、騒ぐな、聞き届けてみずからがそれよと声を掛けるまで、鉄砲を放つな、粗忽をするな。 なう、なう、門外の人々、五常軍甘輝の妻・錦祥女(きんしょうじょ)とは我が事、天下悉く韃靼の大王に靡き、世に従う我が夫も大王の幕下(ばつか)に属(しょく)し、この城を預かり守る厳しき折も折、夫の留守の女房に会わんとは心得ず、さりながら、日本とあれば懐かしい、身の上を語られよ、聞きたいものであるよと言う中でも、もしや、我が親ではなかろうか、何ゆえに尋ね給うぞやと心もとなさ、危なさに、懐かしさも先だって、兵(つわもの)共、麁相するな、むさと鉄砲を放つなと心遣いぞ道理である。 一官も初めて見る娘の顔も朧に霞み、さながらおぼろ月、涙に曇る声を挙げて、粗忽の申し事ながら御身の父は大明の鄭芝龍、母は当座に空しくなり、父は逆鱗を蒙り、日本へ身退く、その時は二歳であり、親子名残の憂き別れ、弁えなくとも乳人の噂、物語りにも聞いたであろう。 我こそ父の鄭芝龍、日本肥前の国平戸の浦で年を経て、今の名は老一官、日本で儲けた弟はこの男、是なるは今の母、密かに語り頼みたいことがあって、成り果てしこの姿を包まずに来たりしぞ。門を開かせたべかし。と、しみじみと口説く詞の末、思い当って錦祥女、さては、父かと飛び降りて縋り付きたい、顔みたや、心は千々に乱れるが、さすが一城の主甘輝の妻、下々が見ている所なので涙を抑え、一々に覚えがある事ではあるが証拠がなくては胡乱(うろん、怪しい、疑わしい)である。みずからが父である証拠があれば聞かま欲し。 と、言うよりも早く兵共、口々に証拠。証拠、証拠を出せと叫び出した。 はて、親子と言うより別に変った証拠などはない。 そりゃ、曲者だ、と鉄砲の 筒先を一度にはらりとつっかけた。 和藤内、駈け隔てて、無用の鉄砲、ぽんとでも言わせたら撫で切りにしてくれん。 いや、しゃっつめ共、逃がすな、鉄砲の口の蓋を取って取り囲み、証拠、証拠と責めかけて既に危うく見えたのだが、一官が両手を挙げて、これこれ、証拠はそちらに有る筈。一とせ唐土を立ち退く時に成人の後に形見にせよと我が形を絵に写して、乳人に預けておいたのだが、老いの姿は変わっても面影が残る絵に合わせて疑いを晴らし給え。 なう、その詞がもう証拠、と肌から離さない姿絵を高欄に押し開き、柄付きの鏡を取り出して月に移ろう父の顔を鏡の面に近々と写し取って引き比べ、引き合わせて、よくよく見れば絵に留めてあるのは古の顔も艶あるみどりの鬢、鏡は今の老い窶れ頭の雪と変わっているが、変わらないで残る面影の目元、口元そのままに我が影にもさも似たり。。 爺(てて)方譲りの額の黒子、親子のしるし疑いなし。さては誠の父上か、なあ、懐かしや、恋しや、母は冥途の苔の下、日本とやらんに父上有とばかりにて、便りを聞かん導(しるべ)も無く、東の果てと聞くからに明ければ朝日を父ぞと拝み、暮れれば世界の図を開き、これは唐土、是が日本父は此処にましますよと絵図では近いようではあるが、三千余里のあなたとか、この世の対面は思い絶え、もしや冥途で逢う事もやと死なぬ先から来世を待ち、歎き暮らし、泣き明かして二十年の夜昼はわが身でさえ辛かった。よう生きていて下さった。父を拝む有り難やと声も惜しまぬ嬉し泣き。 一官は咽せ返り、楼門に縋って見上げれば、見下ろして、心が余って詞はなく、尽きぬ涙が哀れであるよ。 武勇に逸る和藤内は母と共に臥し沈めば、心なき兵(つわもの)も零す涙に鉄砲の火縄も湿めるばかりである。 ややあって、一官我々、此処へ来たのは、聟の甘輝を密かに頼みたき一大事。先ず、まず、御身に語るべき。門を開かせて城内へ入れてたべ。 なう、仰せなくともこれへと申す筈なれども、この国はいまだ軍なかば、韃靼王の掟にて親類縁者たりとも他国者は固く城内へは禁制との定めなり。 されどもこれは格別、こりゃ兵ども、如何せんと有りければ、料簡(考え、思慮)もない唐人共、いやいや、思いもよらぬこと、ならぬ、ならぬ、帰去来、帰去来(さあ、帰れ)、びんくはんたさつ、ぶおん、ぶおん、と又鉄砲を差し向けたので、人々は案に相違してあきれ果てて見えたのだが、母が進み出でて、尤も、尤も、大王よりの掟があれば力なし。さりながら、年寄ったこの母は何の用心が要るものぞ。あの姫にただ一言、物語をするだけ。 わらわ一人を通してたべ。誠、浮世の情である。手を合わせても聞き入れず、いやいや、女だとて宥免せよとの仰せはなし。 然らば我々料簡して、城内にあるうちは縄をかけて縛りおき、縄付きにして通せば韃靼王に聞こえても主君の言い訳、我等が身ばれ、急いで縄をかけられよ。
2025年09月03日
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しかるに某、去る天啓五年、この国を立ち退き、日本に渡る時に二歳になった娘の子を乳人の袖に捨て置いたのだが、その子の母は産み落とした当座に死んでいる。 かく言う父は八重の潮路の中絶えて、何時と言って父母も知らぬ身が育てば育つ草木(そうもく)の雨露(うろ)の恵みに長ずる如く天地の父母の助けにや、成人して今五常軍(じょうぐん)甘輝(かんき)と言う大名、一城の主の妻となるよし、商人の便りで聞き及んだ。 頼む方はこれだけだ。親を慕う心が有って娘さえ承引すれば、聟の甘輝もやすやすと頼まれるであろう。 これより道の程百八十里、打ち連れては人も怪しむであろう、吾一人道を変えて、和藤内は母を具して日本の漁船が吹き流されたと、頓智を以って人家に憩い、追いつくべし。 是より先は音に聞く千里が竹とて、虎の住む大藪がある。それを過ぎれば尋陽の江、これ猩々(しょうじょう、酒をよく飲むと言う想像上の動物。オラウータン)の住む所。鉱山が聳え立つ絶景の高山は、赤壁(せきへき)とて昔東波の配所だった所、それよりは甘輝の在城、獅子が城には程もない。その赤壁にて待ち揃え、万事を示し合わすべしと、方角と言っても知れない、白雲の日影を心覚えにて東西にこそ別れたのだ。 教えに任せて和藤内は人家を求めて忍ばんと甲斐甲斐しく母を背負い、たつきも知らぬ(よじ登る手がかり、手附き)岩巖石(いわがんぜき)、枯木の根ざし瀧津波(たきつなみ、急流)を飛び越え跳ね越え、飛鳥の如く、急げども末は果てしも無い大明国、人里は絶えて廣々(こうこう)たる千里が竹に迷い入ったのだ。 和藤内はほうどくわをぬかし(茫然自失、当惑して)、なう、母じゃ人、この脛骨に覚えがある。もう四五十里は来ましたが、人にも猿にも遇う事か、行けば行く程藪の中、むうう、合点たり、方角を知らない日本人、唐の狐がなぶるような、化かすならば化かせ、宿無し旅の行き着き次第、小豆(あづき)の飯(はん)の相伴と根笹大竹押し分け、踏み分けて猶奥深く行く先に、怪しや数万の人の声・責め皷・攻め太鼓、喇叭ちゃるめら。高音をそらし、ひゃうひゃうとこそ聞こえたのだ。 すわ、我々を見咎めて敵が取り巻く攻め太鼓か、又は狐のなす業かと茫然たりその折節に、空涼しくも風が起きる。砂をうがち、どうどうどう、竹葉(ちくよう)さっと巻き立て巻き立て、吹きおる。竹は剣の如く凄まじいなどとは愚か(言い足りない)であるよ。 和藤内はちっとも臆せずに、よめたりよめたり、扨ては異国の虎狩りであるよ。あの鉦(かね)太鼓は勢子の者、此処は聞こえる千里が原だ。虎が嘯けば風が起こるとか、猛獣の所為(しょい)と覚えたり。 二十四孝の楊香(ようきょう)は孝行の徳によって自然と遁れた悪虎の難、その孝行には劣るにしても忠義に勇む我が勇力、唐に渡っての力始め、神力(しんりき)益々日本力、刃で向かうのは大人げなし。虎は愚か、象でも鬼でもひとひしぎと尻をひっからげて身づくろい、母を囲って立った姿は西天(さいてん、印度)の獅子王も恐れるだろうと思われる。 案にたがわず吹く風と共に現れたる猛虎の形、ふし根に面を擦り付け、擦り付け、岩角に爪を研ぎ立て、二人を目掛けて挑みかかるのを事ともせずに、弓手で殴り、妻手(めて、右手)に受けてもぢってかければ身を躱し、虎の力が緩むとひらりと乗り移り、上になり下になって命比べ、根較べ、声を限りにえい、えい、えい、虎の怒り毛、怒り声、山も崩れるかと思う程である。 和藤内も大わらわ、虎も半分毛をむしられて、両方共に息疲れ、石上に突っ立てば虎も岩間に小首を投げて大息をついたその響き吹革(ふいごう、鍛冶職が火を起こすのに使う道具)を吹くかの如くである。 母が藪蔭から走り出て、やあやあ、和藤内、神國に生まれて神から受けた身躰髪膚(しんたいはっぷ)畜類に出合い力立てして怪我をするな。日本の地は離れても神はわが身に居る、五十川(いすずかわ)大神宮のお祓いをなど納受なからんや。と、肌の守りを渡されると、げに、尤もと押し頂き虎に差し向け、差し上げれば神国神秘のその不思議、猛りたるその勢いも忽ちに尾をふせ、耳を垂れてじりり、じりりと四足を知を締め、恐れわななき岩洞に(がんとう)に隠れ入る。 尾づ(尾の根本)を掴んで刎ね返し、打ち伏せ打ち伏せ、怯む所を乗っかり、足下にしっかりと踏まえたその姿は天(あま)の斑駒(ぶちこま)を取り押さえた素さんずいのない淺鳴(そさのを)の尊の神力・天照神の威徳ぞ有難き。 かかる所に勢子(せこ)の者が群がり来たるその中に、大将と思しき者が大音を挙げて、やあやあ、うぬはいづくの風来人(ふうらいじん、浮浪人、宿無しでさ迷い歩く者)だ。我が名を妨げる。 その虎は忝くも主君右軍将・李滔天より韃靼王への献上の為に狩り出だしたる虎であるぞ。 早々に渡せ、異議に及べばぶち殺さん。しゃがゎん(武人の意か。上官の転とも言う)しゃがゎんと喚きける。 李滔天と聞くより願う所と笑壺に入り、やあ、餓鬼も人数(諺、お前のような取るに足りないつまらない者でも人間の一人なので)しおらしい事をほざいたな、我が生国は大日本、風来とは舌ながしな(過言)、左程に欲しい虎であるならば、主君と頼む李滔天とやら、ところてんとやら、此処へ突きだして詫び言をさせろ、じきに会って用もある。 さもないうちは如何なることもならぬぞ、。ならぬとねめつけた。 やあ、物を言わせるな、討ち獲れやと一度に剣をはらりと抜いた。 心得たりと守りを虎の首に掛けて、母親の側にひっ据えれば、虎は繋いだ如くに働かない。 心やすしと太刀を刺しかざし群がる中に割って入り、八方無尽に割りたて割りたて、撫でまくる。 勢子の大将の安大人は官人を引き具して立ち帰り、おのれ老いぼれめ、余さないと一文字に斬り掛かる。猶も神明擁護の印、神力が、虎に加わってむっくりと起きて、身震いして、敵に向かって歯を鳴らし、猛り唸って飛び掛かった。 これは敵わない、と安大人は勢子が指していた剣、狩り鉾、数槍、手に当たるを幸いに投げつけ、投げつけ打ちかけた。 虎は弾力自在を得て、剣を宙にひっ咥え、ひっ咥えして岩に打ち当てて微塵に砕いた。刃の光は玉散る霰、氷を砕くのと異ならない。 打ち物が尽きてしまえば官人共は色めき立って逃げ惑う。 後ろからは和藤内が、どっこいやらぬと顯れ出で、安大人のそっ首を差し上げて、くるくると振り廻してえい、やっと打ちつければ、岩に熟柿を打つ如くに五躰をひしげて失せにかけり。 この勢いに官人原跡へ戻れば悪虎の口、先に行けば和藤内が二王立ちに突っ立っている。 ああ、申し、御堪忍、御免御免と手を合わせて、土に喰いつき泣いている。 和藤内は虎の背を撫でて、うぬらが小国と言って侮る日本人、虎さえ怖がる日本の手並みを覚えたか。我こそは音に聞こえたる鄭芝龍老一官の世倅(せがれ)、九州の平戸に成長した、和藤内とは我がことである。 先帝の妹宮・栴檀皇女に廻り遭い、三世の恩を報ぜん為に父の古郷に立ち帰り、國の乱を治めるのだ。さあ、命が惜しいのならば味方につけ。厭と言えば虎の餌食だ。厭か応かと詰め掛けた。 何の嫌でざりましょう、韃靼王に従うのも李滔天に従うのも、命が惜しいから。向後(きょうこう、これから後)お前の御家来共、御情けを頼み奉ると、地に鼻をつけて畏まった。 おお、でかした、でかした、去りながら我が家来になるからは日本流に月代を剃って、元服させ名も改めて召し使わんと、差し添えの小刀をはずさせてこれも当座の早剃刀、母も手に受け取って並ぶ頭の鉢の水、揉むや揉まずや無理むたい、片端から剃るやら、こぼつやら(剃ってはいけない所を誤って剃り落したり)、糸鬢・厚鬢を剃刀次第、瞬く間に剃り落して仕舞い、二櫛半のはらげ髪(櫛で二三度梳いただけの乱れ髪)、頭は日本髭は韃靼、身は唐人、互いに顔を見合わせて頭ひやっと風引いて、くっさめ、くっさめ、村雨の如くにさめざめと涙を流すのは道理であるよ。 親子はどっと打ち笑い、揃いも揃った供回り、名も日本と改めて何左衛門・何兵衛、太郎・次郎十郎まで面々が国所、頭字に名乗り、二行に立ってぼったてろ。、 承り候と、御先手の手振りの衆ちゃぐ忠左衛門、かぼちゃ右衛門るすん兵衛、とんきん兵衛、しゃむ太郎、ちゃぼ次郎ちゃるなん四郎、ほるなん五郎、うんすん六郎、すん吉九郎、もうる左衛門、じゃが太郎兵衛、さんとめ八郎、いぎりす兵衛、今帰りの御供先、跡に引き馬とらふの駒、母を助けて孝行の名、を取る、口とる、国を取る、誉は異国本朝に踏みまたげたる鞍鐙(くらあぶみ)、虎の背中に打ち乗って威勢を千里に顯わせり。
2025年09月01日
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