投資逍遥

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2006/08/06
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カテゴリ: 読書
この本は1979年6月に発行されました。
著者は1932年生まれの方なので、執筆当時は47歳位でした。

この本では、1945年3月10日未明の東京大空襲について書かれています。
私の過去日記では日本各地の空襲について結構触れていますが、東京大空襲について触れた日記を挙げてみます。
2005年10月23日 の日記と 2006年2月18日 に日記で触れていますが、特に後者は、今回と同じ著者によって書かれています。

さて、最近になり、ようやく著者・早乙女勝元氏が館長を務める 「東京大空襲・戦災資料センター」 を訪れました。
非常に貴重な資料が集められていましたが、今回は2点書いておきます。


実際にB29爆撃機から投下された焼夷弾の実物が保存されていました。
もちろん爆発後の殻です。
その大きさは、太さが直径で75ミリ位、長さが500ミリ位と、意外と小さいものだと思いました。
焼夷弾の名称は、「M69焼夷弾」というそうです。
画像では、手前の筒型のものが、「M69焼夷弾」です。
最も爆撃機から投下される時は、これが38本束ねられた集束焼夷弾として投下されます。
これが地上近くになってばらばらになって落ちてくるということです。

焼夷弾

二つ目は、石川光陽氏が撮影した記録写真です。
ここでは画像を載せることはしませんが、黒こげになった死体の山は、衝撃的でした。


以下は、 【この本からの引用】 【上記の感想】


【この本からの引用】

しかし、現場の人たちは、火災を前にして、短時間のとまどいがあったことも、見逃すことはできない。
逃げてはならぬ、火は消すものだ-の意識が、12歳の私の頭の中にさえあった。

【上記の感想】

当時の都民は、『防空必携』というものを携帯していたそうです。
その巻頭には、三つの誓いとして、

「私達は必勝の信念ををもって最後まで戦い抜きます」

「私達は互いに扶け合い力をあわせて防空にあたります」

と書かれていたそうです。

これが、被害を拡大した原因の一つに挙げられるのではないか、というのが著者の視点です。
このことに私は全く気がつかなかったので、書きとめてみました。





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Last updated  2006/08/06 11:17:14 PM
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