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悩みながら現実と格闘しています。

日々、聖教新聞を拝読し人生勝利の糧にしています。

現実は厳しい。ゆえに努力と研鑽を重ねていくのだ。


May 26, 2024
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「声の届く」場所で「共に苦しむ」ことから



インタビュー㊤ 小説家・劇作家 柳
美里さん







ゆう・みり  劇作家・小説家。 1968 年生まれ。高校中退後、劇団「東京キッドブラザース」に入団。俳優を経て、劇団ユニット「青春五月党」を結成。 97 年、『家族シネマ』で第116回芥川賞を受賞。近著に『南相馬メドレー』(第三文明者)、『沈黙の作法』(河出書房新社)など。2015年に鎌倉市から福島県南相馬市に転居し、18年に「フルハウス」を開店。20年、『JR上野駅公園口』が全米図書賞(翻訳文学部門)を受賞。









親密さの回復





――東日本大震災から 12 年。震災による喪失と悲しみは、今もなお続いています。今という時を、どのように見つめていますか。





震災と、それに続く東京電力第一原発の事故によって、福島の皆さんは、長期にわたる避難生活を余儀なくされてきました。



私が済む福島県南相馬市の小高区では現在、居住者は 3800 人ほどで、震災前の約 3 割です。 65 歳以上の方が 50 %近くに上り、避難生活の中で家族を亡くし、独り暮らしをしている高齢の方も多くいます。



もともと地縁、血縁が強く、人が密接につながっていた地域ですが、震災後の長期避難で、そうしたつながりが断絶されてしまいました。



そこに、コロナ禍が起こりました。震災で寸断されていたJR常磐線が、ついに全線開通したのが 2020 3 月。本当なら、多くのみなさんを迎えるはずでしたが、その後の緊急事態宣言で、次々とイベントが中止されました。もっとも来てもらいたい時に、感染症の流行が重なったのです。



実は、コロナ禍での感染対策の防護服姿やマスクの着用は、 2011 年以来、見慣れたものです。避難の一時帰宅で自宅に入るのにも、放射線の防護服とマスクを着けなければならなかった方もいます。



災害も感染症も、多くの人に影響を及ぼします。それが「皆、苦しい」といった言葉でまとめられると、苦しみが「並列化」され、一人一人の「固有の苦しみ」が見えづらくなってしまいます。



3 密を避ける」「ソーシャル・ディスタンスをとる」は、感染症対策には必要。しかし、近所付き合いが深く、隣組も機能していた、この地域では、そうした言葉が残酷に響いた一面もあるんです。



さらに 21 2 月、 22 3 月と続いた福島県沖地震は最大震度 6 強で、家屋の損壊など、報道されている以上に大きな被害がありました。それまでも、 3 11 が近づくと体調を崩したり、気持ちがふさいだりする方が多くいました。そうした時期に、 2 年続けて大きな地震があり、建物が壊れて営業ができなくなった店舗なども相次ぎました。



昨年からは、ウクライナを巡る危機報道を見て、避難の記憶がよみがえって、過呼吸や涙が止まらなくなる人もいます。



同じ事象であっても、一人一人の「苦しみ」は、さまざまです。地震、津波、原発事故によって人間関係がぶつ切りになれてしまった地域で、そうした苦しみを支える「親密さ」をどう取り戻すか。最も求められているのは、人と人のつながりだと思います。



そのために、まずは「人の話を聴く」ことが必要ではないか。震災翌年から 18 年に閉局するまで、臨時災害放送局「南相馬ひばりエフエム」で、「ふたりとひとり」というラジオ番組のパーソナリティーを務めました。番組では毎回、南相場の方を 2 人ずつインタビューし、 600 人の方々の話を聴いてきました。









暮らしの中に





――言葉にならない悲しみを抱えた方も多くいらっしゃると思います。深い苦しみを前にして、そうした方の話を聞くときに、柳さんはどんなことを考えていたのでしょうか。





「聴く」ことは、受動的な行為と思われがちで、どこか軽んじられる気がします。でも実際は、すごく肉体的なやりとりです。



聴くためには、「声が届く範囲」にいなければなりません。目の前の人の肺から息が上がってきて、声帯が震えて声を発する。その振動が、聴き手の耳に入って、鼓膜に届く。聴くことは、「あなたの苦しみを確かに受け取った」というレスポンス(返事)でもあります。



震災以降、多くの方が被災地に来ましたが、メディアの中には「こういう話を取ってくるように」という前提をもって取材に来る人もいました。それでは「聴くこと」になりません。



現代は、商品や情報など、あらゆるものに値段がついて「消費」の対象になります。けれど、私はずっと、悲しみや苦しみは「消費してはいけないもの」だと考えてきました。繊細で失ったのが大事なものであるほど、その人の悲しみも同じように大事にしなければならない、と。



また、震災後に「頑張ろう」というメッセージも多く使われました。確かにその通りなのですが、前にそうした励ましは「先回りした言葉」のようにも感じました。胸が張り裂け、口に出すこともできない。そんな苦しみを抱えた人を前にした時、まずは「共苦」(共に苦しむこと)が必要ではないかと思います。



私は、 2000 年に伴侶を亡くしました。あまりにつらく、悲しい経験をすると、記憶が「空白」になることもあるんです。実際、私も伴侶が亡くなった直後の記憶が抜け落ち、自分がどう行動していたのか、覚えていません。当時、一緒にいた人に、「あの時、自分はなにをしていたのか」と尋ねて回りました。そうした中で、自分の思いを聴いてくれる人がいて、その人を通して取り戻せた記憶もありました。



「南相馬ひばりエフエム」のラジオ番組「ふたりとひとり」では、被災地の暮らしの悩みを多く聞きました。 3 11 日には過ぎておらず、日常の中にあると感じました。暮らしの中に、悲しみも苦しみもあります。



「共苦」するためには、「共に暮らす」ことから始めなければ、私は聴き手になれない。そう思って、息子と一緒に 15 年に、神奈川から南相馬に引っ越しました。



ある寒い日、復興住宅の縁側に、ポツンと座っている高齢の方がいました。私には、誰かを待っているように見えました。言葉にならない悲しみもある。そうした「沈黙」も含めて、聴くことが必要ではないか。無視せず、聞き流さず、「声が届く範囲」にいてくれる誰か。そうした存在が、求められるように感じます。









沈黙も含めて「聴く」



今という「時」の共有







同じ場所にいる





――沈黙さえも含めるとすると、聴くことは、大きな広がりがあると感じます。急に語りかけたり、励ましたりすることはできなくても、相手のそばに「一緒にいる」ことで、聴くこともできるのですね。





津波によって兄夫妻を亡くした、ある男性がいます。彼は震災後、夫婦でお兄さんの子どもたちを育ててきましたが、その一人を病気で亡くしたのです。お兄さん夫妻が命がけで津波から守った子が、弟夫婦が必死で育ててきた子が、幼くして命を落としてしまうなんて……。彼からのLINEでそれを知った時、何も言葉にならず、返事を送れませんでした。



時間がたって、「春、小高川沿いの桜並木を歩きまわりませんか?」と、彼を誘いました。桜並木の下を歩いていると、彼は、亡くなった子は桜が好きだったと教えてくれました。最後は夏だったため、桜を見せてあげられなかったこと。けれど、その子をおぶって海に行った時、波打ち際で砕行ける白い泡を見て、背中越しに「海に桜が咲いている」と言われたこと。彼は「あれが最後の花見になった」と。



私は何も言えないまま、並木道を 1 時間半、ただ聴いていました。しかし、彼は「誰にも話せなかった」と言いながら、たくさん話をしてくれました。



話しても、気持ちのすべてを共有することはできないかもしれない。けれど、話されたことを聴くことで、その悲しみにそっと「手を当てる」ことができるのではないでしょうか。



逆に相手が何も言えない時には、その沈黙も含めて聴く。言えない思いを抱えているのだとおもんぱかり、想像する。その痛みを代わって痛むことはできないけれど、痛みを共に悼むことはできます。



言い換えれば、「今」という時を共有することです。人間である以上、死を避けることはできません。いずれ去りゆく者として、この場にいる。だからこそ、かけがえがない。今という「時の共有」、同じ場所にいるという「共有」。それが広い意味で「聴く」ことなのだと思います。









悲しみの水路





――深い悲しみや苦しみを経験したとき、共有できる人がいることは、小さくとも確かな支えになると思います。





孤独の先に「孤絶」があります。原発事故の避難で、何台も可決つながってきた地域の人たちが散り散りになり、帰還しても、それまでとは一変した故郷しか残っていない。



つながりがたたれ、居場所から引き抜かれてしまうと、絶縁と絶望の「孤絶」になります。



そうなると、自分は生きている意味がない、価値のない人間だと思い込んでしまう。地に足がつかず、胃きりことが宙づりにされるのです。そんなとき、一人きりでいたら、悲しみの水位がどんどん上がって、おぼれてしまいます。



心は、揺れる、震えるなどと表現しますが、動く余地のないほど固まってしまうと、何かの衝撃で折れてしまう。心を柔らかにほぐすには、人との「交流」が必要です。「交」じり「流」れると書くように、誰かが近くにいて、聴いてくれることで、「悲しみの水路」が流れ出します。



南相馬に移住してから、そうした場所を造りたいと、書店をオープンしました。カフェも併設して、地域の皆さんからふらっと立ち寄れる居場所です。この地域で、私自身は「水道管のパルプ」のような役割だと思っています。流れる水は地元の方々で、私はそれをそっとつなぐ役目を果たせたらいいなと。



ある雨の日、コインランドリーで一人の女性と出会いました。洗濯物が乾くのを待っていると「どこの人?」と聞かれました。震災後に来たことを伝えると、ぽつりぽつりお話されました。かつては小高区で畑仕事をしていて、手芸教室もやったが、今は仮設住宅暮らしで何もやることがない、と。



復興住宅の縁側に座っていた高齢の方も、コインランドリーで話した方も、隣にふらっと来てくれる誰かを待っていたのではないでしょうか。大きな悲しみを経験した方を前にして、それと向かい合うことができなくても、隣で同じ方向を見つめながら話ができたら、流れ出す思いもある。



後ろを向きながら、前に向かって歩んでいくことがあってもいい。私は、ここに暮らしながら、「あなたは私にとって大事な存在」と、声をかけていきたいのです。



意志をもって、つながりの場をつくらないと、孤絶した人たちは、この世からこぼれてしまいます。創価学会の座談会も、時と場を共有して、それぞれの抱えている思いや話を聞く居場所になっているのではないでしょうか。そういう場をつくって、交流を重ねることで、「悲しみの水路」を通して、苦しさを流しだせるのだと思います。





――柳さんは、 2018 年にブックカフェ「フルハウス」を開設し、いまは併設した劇場の準備を進めています。本との出会い、「生活者」であることと、信仰や祈ることについてなど、さらにお話を伺います。









危機の時代を生きる 希望の哲学】聖教新聞 2023.3 11













答えがなくても「問」続ける



その揺らぎを支える「祈り」





インタビュー㊦  小説家・劇作家 柳 美里さん









「生活者」として





―― 2020 年に全米図書賞(翻訳文学部門)に選ばれ、世界中で反響を読んだ小説『JR上野駅公園口』の主人公は、南相馬出身でした。作品では、行き場をなくした人たちの苦しみが描かれています。





私は、自分のことを「表現者」というより、「生活者」だと思っています。「メイドイン南相馬」の小説を、ここで暮らし、書き、読んでもらっています。



「もごいなぁ」「んだけんちょ」といった、極めてローカルな方言を随所に書いたので、英語への翻訳も容易ではなかったと思います。ですが、そうして描いた「痛み」は、不思議なことに、英訳を経てもたしかに伝わってきました。



現在、十数か国語で翻訳されていますが、それだけ「居場所がない」と感じている人が多いのかもしれません。



「何にも属せない」と感じる人が、手に取ってくれているとも思います。



私自身、韓国籍だったことでいじめに遭い、日本にも韓国にも「所属館」を持てませんでした。けれど、「居場所がない」という痛みの共通点から、人はつながることができるのかもしれません。ブックカフェ「フルハウス」を開いたのも、住民同士の語らいの空間となる居場所をつくりたかったからです。







―― 2018 年に「フルハウス」をおーぷんされて、 5 年がたちます。このインタビュー中にも次々と人がやって来て、気さくにあいさつを交わされています。一人で来られる方もいれば、複数で来られる方もいて、気兼ねなく過ごせる印象を受けました。





人は、交流がないと窒息してしまいます。ちょっとしたあいさつや雑談から会話が弾むこともありますし、喫茶店や書店なら長居することもできます。



もし誰も話せる人がいない時でも、本を通して〝人〟と会うことができます。



本といっても、そこにいるのは〝人〟なんです。著者もいれば、登場人物もいます。



もう生きていけないと思うような断崖絶壁に立たされた時、今、生きている場所のほかにも、「世界は無数にある」と気づかせてくれるのが、本ではないでしょうか。書店に並んでいる本は、どれも、別の世界に開かれた扉でもあるのです。



私が本と出会ったのは、いじめに遭っていた時でした。しゃべる友達もいなかったので、いつも図書館に行って本を読んでいました。



ともすると、子どもにとっては、学校と家の往復だけが、唯一の〝世界〟になりがちです。学校でいじめを受けると、世界は苦しみに満ちてします。けれども私は、本を読むことで、自分が生きる世界が一つではないことを知り、救われました。



南相馬の工業高校の生徒が、フルハウスでの読書会を気に読書するようになって、その後、就職して初めての給料で本を買いに来てくれたこともありました。



読書の入り口がひらけば、いろいろな世界につながっていける。フルハウスの存在が、そんな居場所になれたらいいなと思っています。









悲しみを照らす





――柳さんの著作には、ありのままに自分の苦しみや悲しみをさらけ出したものもあります。柳さんにとって、苦しみ、悲しみは、どのような意味を持つでしょうか。





私は若い時、「なぜ私だけがこんな目に遭うんだろう」と、自分を不幸だと思ってきました。けれど、小説家になってからは、「確かに不幸だけれど、その不幸には不服はない」と思って書いたんです。ある意味で、開き直りといえるかもしれません。



ただ、今になって思うのは、〝痛み〟のない人はいないということです。



生きることは、いつか死ぬこと。どんなに大切な人がいても、最後は「さよなら」しなければならない。それがいつかは分からないけれど、死ななければいけないということを知っているというのは、それ自体が大きな悲しみ、根源的な苦しみではないでしょうか。



一人一人、違うけれど、誰もが痛みや悲しみを経験している。「あなたの悲しみは分かる」などと安易には言えませんが、悲しみを自分の前に〝小さなともしび〟のように置くことで、人の悲しみを照らすことができると思います。







――人がつながる場としてフルハウスを開かれ、併設された劇場も完成予定です。この夏には、常磐線を舞台にして芸術祭の開催も企画されています。柳さんの発想や著作には、苦しい思いをしている人の姿がいつもあるように感じます。





もともと近くに孝行もあって、下校時に寄り道できる場所がいないと感じていました。「私に何かできることは」って考えたら、書店しかいないと。それなら、お金を使わなくても長居することができますしね。



思いついたことを形にするときは、地域の方の「喜ぶ顔」が浮かぶかどうかを基準にしています。



具体的に喜んでくれる人の顔が浮かばなかったら、だめかなと思っているんです。喜ぶ顔が浮かぶなら、それはきっと実現できるという確信があります。



それは、なぜか。「自分とは何か?」と問いかけると、結局、「他者でできている」と思うからです。親や友人、教師から始まって、何世代にもわたる先祖や、真苗も知らない膨大な過去の使者も含めて、一人でもかけたら今の自分はないじゃないですか。だから何かをする時に、それが他者の喜びや希望にかなっているかどうかは、いつも気にかけています。



言い換えれば、自分は「他者」という「糸」で編まれていて、それをほどいて編み直すことも、さらに編み広げて、今までにない新しい模様を編み出すこともできる。



「糸」に「泉」と書くと「千」になります。自分と他者の間には「線」があって、線は分け隔てるものがあるんですけど、人と人とをつなぎ、生きる道を示すものでもある。そうして線が結びつけられることで沸き起こるのが「泉」のように思えます。



そこには生きている人との線だけでなく、「死者」との線もあります。私は、最愛の人を病で亡くす直前、「なんで泣いているの? 僕があなたをおいて死ぬはずないじゃない」といわれたことがあります。その時は、どう受け止めたらよいかわかりませんでしたが、その言葉は本当だったと今は感じます。彼が亡くなっても、その存在がなくなっていない。思いや視線、声は残っている。その人が生きていた響きは消えません。聴く耳さえあれば響きは聞こえるし、今の自分と共にあるのだと思います。



書店も、劇場も、私の小説も、どれも「悲しみの器」だと思っています。震災と原発事故によって傷ついた地域だからこそ、その痛みを共にしながら、人がつながれる場所をつくりたい。どんな苦しみがあっても、「悲しみの器」があれば、聴いてくれる他者がいれば、そこに自分の悲しみを流すことができます。



そうした場所を求めるのは、私自身が「流れ者」だからかもしれません。韓国籍であること、いじめられえて居場所がなかったこと、伴侶を亡くしたこと、移住者であること。ずっと流れてきたけれど、「流れ者でしか結べない縁」があるのではないかと思うんです。



「流される」ということ、悪いこととかのようなイメージがあります。けれど、私は積極的に流されながら縁を結んできたから、今こうやって書店を開いて、劇場をつくろうとしています。



流れの中で、自分の欲望や望みを手放して、誰かの喜ぶ顔が浮かぶことをやってきました。そうすると、他者とつながりやすく、その結びつきも強いものになります。



移住した当初は、「すぐに神奈川に戻ってしまうだろう」と見られていたかと思います。でも、私は、ここで暮らし、ここで書き、ここで書店や劇場を開いて、人場結ばれる居場所をつくりたい。



「もう死のう」と思っている人が、ふらっと立ち寄った時に、どうしたら引き留めることができるか――そんなことを、ずっと考え続けています。









美しい場所





――人生における痛み、悲しみに向き合っていく上で、宗教の持つ力とは何でしょうか。





私は、キリスト教の信仰を持っています。今、宗教に対する偏見が大きくなっている中で、「信じる」というと、何か盲目的になったり、狭い世界に入ったりする、ネガティブなイメージを持たれがちです。



けれど、私はそうではないと思うんです。「信じる」とは、「揺らがない」ことではなく、むしろ、「揺らぎ」の上に立っているのを自覚すること。それは、ある意味で、しんどい道です。



心の宗教は「問」を手放さない。なぜ生きるか、なぜ死ぬのかといった、本当の問いは「答」がないものです。しかし、答えがなくても問い続ける。その不安定さを支えるのが「祈り」ではないでしょうか。



その祈りの先には、自分のこと超えて、他者に開かれていく拡がりがあります。創価学会の皆さんも、「他者のために」ということを行動の動機にされている方が多いと感じます。



他者という存在がなければ「自問自答のあい路(通行の難所)」に陥ってしまう。問いは「「他者からもたらされているもの」だからです。他者と出会わなければ、本当の意味で自分を知ることはできません。他者を視点にした真の問いは、より良く生きることを支えてくれるに違いありません。



人は、痛みを分かち合い、苦しみを共有する中で、かけがえのない〝生涯の友〟になっていける。自分が決めたその場所で、誰かと共にあることで、生きる力を生み出していく。他者に向かって開いた分だけ、生きる意味や価値もまた、得られるのだと思います。



人生の大半は、ありふれた暮らしの中に、小さいけれども、きらめく瞬間があってほしい。地震や原発事故で汚染されたというイメージをつけられてしまった地域だからこそ、私はここに美しい居場所をつくっていきたいのです。









危機の時代を生きる 希望の哲学】聖教新聞 2023.3 12






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Last updated  May 26, 2024 05:58:20 AM
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