戦国ジジイ・りりのブログ

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2012年03月22日
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カテゴリ: 城(中国)
第二の穴蔵の奥には、こんなのが。

岡山城表書院泉水

 【泉水(せんすい)

  表書院の中庭にあった泉水を復元しています。発掘調査で出土した遺構は
  地下に保存されています。水が漏らないように底に漆喰を貼り、北東の井戸から
  備前焼の土管で給水する仕組みで、中の島に湧水口を設けていました。】
  (現地解説板より)

そんなに大きな池じゃないけどね・・・
ところでこの写真の奥、石塁の上の茶色い柵が見えますか?


 【中の段西側高石垣上端の安全柵(南半)

  中の段西側の石塁上に設けたフェンスは、西側の高石垣から見学者や石材の転落を
  防止するための安全設備です。歴史的環境整備に伴う城郭建築物の表示物では
  ありませんが、この場所に建っていた櫓の黒い下見板をイメージして焦げ茶色と
  しています。また内側には板材で櫓の柱の位置を示して、柱間の様相の表示と
  しています。】
  (現地解説板より)

城跡の管理も大変だよね~。
こーゆー配慮とかがあって初めて私達が安心して見られるんだよ、
ってことを知って欲しかったので、あえて載せましたよ。

実際、この中の段はこんな高い石垣の上にある。

岡山城多聞櫓から

右下に写ってる茶色いのが、この安全柵ね。


泉水を見た後、表向御殿の平面復元の誘惑を断ち切れず、
またフラフラ・・・

本段へ向かう通路の近くには、表書院の解説板があった。

 【岡山藩の政治が行われた建物で、数棟からなり、大小60を越える部屋がありました。

  それぞれ所定の部屋に詰めていました。廊下に面した徒(かち)番所は
  城内の警備や雑用にあたる家臣の詰所でした。

  藩主は、住居である本段の御殿から渡り廊下を通って北西の招雲閣に入り、
  南座敷で政務を執っていました。泉水を備えた中庭には、数寄屋(茶室)が建って
  いました。北東部には台所があり、藩主の食事や儀式用の料理を作っていました。

  発掘調査で出土した建物の礎石や雨落ち溝などの遺構は地下に保存し、地表には
  建物の位置や間取り、泉水などを表示しています。】
  (現地解説板より)

そして、御殿の全体図もある。

岡山城表書院解説2

上が南。
私は北の搦手から入ったから、この図では、下から来てぐるぐる見たことになる。
赤で「現在地」と表示されてるのが今いるところで、
ここまででまだ中の段の北側半分しか見ていません・・・

しっかし、部屋数60ねえ・・・
伊部櫓とそれに連結する多門櫓付近(図の右部分)は、
わずかに建物のないエリアになってるけど、
それ以外は、中の段はかなりの部分を御殿が占めている。

デカい御殿がば~ん!とあって、それをびっちり多門櫓が取り囲んでる風景を
想像するだけで、息苦しくなりそーだ(笑)。


それはともかく、これだけの規模の木造建築ともなると、
やっぱり火災が怖いよな。

それでなくとも、御殿はいくつもの棟を廊下でつなぐ構造であり、
一般的に燃えやすい「こけら」で屋根が葺かれている。

落雷などの自然災害は仕方ないとしても、
うっかりによる失火から御殿全焼なんて例も少なくない。

ちょうどホラ、「三国志」でもそんなのあったよね?
え~と、何だっけ・・・
周瑜だっけ、曹操だっけ、そのへんが船を繋いだら孔明に火攻めにされちゃって・・・
とかそんなイメージじゃない?


ま、とにかく延焼を防ぐには、破壊消火が最も効果的だった。
時代劇で、め組のサブちゃん達がやるよーに、
周囲の建物を破壊して、火の行き場をなくして鎮火させるやり方。

アレ?
時代劇じゃ、破壊消火ってあんまりやらないかな?
でもこれが、正しくかつ効果のある消火活動。
だって当時は、消防車も給水ポンプも消火器もないし!!

まあでも、被害は最小限に食い止めた方がいいに決まってる。
そこで重要なのが、初期消火。
そのために備え付けられた消火グッズが、「天水桶(てんすいおけ)」。

読んで字のごとく、雨水を溜めておく桶。
これが昔は御殿の屋根の上に載ってた。
もし御殿の古写真を見る機会があったら、屋根を見てみて~。
桶が写ってるかもしれないから。

岡山城の古写真はちょっと探せなかったけど、
ここの屋根にも桶が載ってたのかも。
想像すると、ちょっと笑える。



上の写真の左の真ん中らへん(現在地のあたり)には、茶色い区画がいくつかある。
この茶色の部分とその隣の2部屋が台所。
御殿の床面積の中で、結構な割合を占めてるよね。
なぜに、こんなに広いのか?


御殿の台所ってのは、通常は台所としては使われない。
儀式の際に登城した藩士に食事が振舞われる時くらい。

時に、広い台所の一角に殿様のお食事を整える「上御膳所」が
設けられる場合もあったけど、別棟に設置されたりもした。

でも、殿様のための台所は奥向にもあるし、
奥向に勤める女性陣の食事は、各局(つぼね)に設置された
個人用台所で各自が自炊してた。
御殿に出勤する藩士たちは、愛妻弁当持参だし。

ま、これは城の本来の機能を考えれば、すぐわかることだけどね。
そう、籠城のためのものなんです。


他にも、出仕した主人を待つお供の人達のためのスペース、「供腰掛」
(上に細長く出っ張ったところの茶色い区画)とかいろいろ書き込んであって、
御殿建築を少しでも知ってれば、これだけでも結構楽しめる
(と、思う。ただし、それなりの妄想力を必要とします)。

腰掛では、お供連中がここで主人の仕事が終わるのをずーっっと
待ってたんだってよ~。
広島藩には、この腰掛の落書きがキタナイから塗りつぶすようにとの
お達しがあったと、藩の公式記録に残されている。
1日中待ってればね、落書きもしたくなるよな。

この岡山城・中の段の腰掛では、どんなおしゃべりが繰り広げられたんだろう・・・
とか想像するのも、また楽し


妄想のため息をつきつつ振り返ると、本段の石垣が。

岡山城天守台石垣

ここは赤く焼けたって感じじゃないけど・・・
やっぱ、積み直してるかな?

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最終更新日  2012年03月22日 22時01分42秒


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