戦国ジジイ・りりのブログ

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2012年04月06日
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カテゴリ: 城(中国)
撫川城 岡山県岡山市北区撫川 >
(住所をクリックするとMapfanにリンクします)


※「庭瀬城(4)」の続きです。

一旦庭瀬城跡まで戻って、住宅地を西へ。
撫川(なつかわ)城の近くには、「撫川うちわ」についての解説板があった。

 【岡山市選定保存技術 撫川うちわ製作技術

  撫川うちわは、江戸時代中期(元禄ごろ)に庭瀬藩や撫川知行所の武士達の内職として
  始められたのがその端緒である。やや大ぶりな扇面に優雅な図柄を透し映すところに


  扇面には、雲形模様の下端に草書体で書かれた俳句が詠み込まれている。そこには
  「歌継ぎ」と称される貼り継ぎ技法が駆使されており、高度な熟練が要求される。
  また、俳句に関連する伝統的な花鳥風月などが、扇面を飾る透かし図柄に選ばれ
  描写されており、その高尚優美な情趣がより効果的に表出されている。

  この伝統的な製作技術の保存を図るため、撫川うちわ保存会「三杉堂」(会長 
  坂野定和)が、技術保持者として昭和60年4月に岡山市の選定保存技術に認定された。
  また、平成7年4月には坂野定和氏が、岡山市の重要無形文化財(工芸技術)に
  指定された。】

まあね~、読んでるだけじゃ「ふーん」って感じだけど、
目で見てみると、気の遠くなるような作業と技術だわ。
だって、うちわが一人で立つんだから!(笑)


14分とちょっと長いけど、時間のある方は是非ご覧になって下さい(⇒ こちら )。
庭瀬城跡と撫川城跡もちょっとだけ映るし。

私も、通る道沿いにあったらお店とかのぞきたいと思ってたけど、
あいにく見つからなかった



さて、この解説板からちょっと歩くと、撫川城。
まずは堀が出迎えてくれまする。

岡山・撫川城3


岡山・撫川城4


お~、すてき
これを渡ると、門がある。
撫川陣屋の総門を移築したものと伝えられている。

岡山・撫川城5


門の両脇には、土塁。

岡山・撫川城6


岡山・撫川城7


なんてスケベな殿様みたいなセリフが自然と湧いてくる(笑)。


「 庭瀬城(3) 」に掲載した寛文年間推定とされる絵図では、
撫川城はこんな風に描かれてる。

岡山・庭瀬港跡解説3(古城部分)

左の小さく堀で四角く囲まれてる部分に「古城跡」とある。
これが、庭瀬城に取り込まれた後の撫川城。


 【撫川城は、泥沼の地に築かれた典型的な「沼城」です。
  城の平面形状は、東西77メートル、南北57メートルの長方形を示し、
  幅15メートルの濠がぐるりと巡っています。西半に高さ4メートル強の高石垣
  (野面積み)と東半には土塁が現存しています。また北西隅には櫓台と思われる
  石垣の張り出しが見られます。

  この城は永禄2年(1559)に備中成羽城主・三村家親が、備前の宇喜多直家の
  侵攻に備えて築城したといわれています。備中高松の役(天正10年(1580))には
  毛利方の国境防備の城「境目七城」の一つとなり、当時の城主井上有景と
  秀吉軍との間で激戦が交わされました。

  その後は宇喜多の支配下になり廃城となりましたが、江戸時代に戸川氏の領する
  ところとなりました。
  戸川氏は安風(4代目)で断絶しますが、その弟達富が撫川領分を継ぎ
  「庭瀬城」の本丸・二の丸に知行所を設けました。撫川城跡と庭瀬城跡とに
  呼び分けられていますが、もともとは一体の城だったのです。】
  (現地解説板より。漢数字は戦国ジジイが変換)


築城は解説にもこう書いてあるし、三村氏というのが有力みたいだけど、
別の説もある。


寛治年間(1087年~1094年)に藤井久任が築城したというのが1つ。
この人はどうやら吉備津神社の神職で、薪を積んで念仏を唱えながら「火定(かじょう)」
・・・つまり焼死したらしいんだけど。
コワイ。


他に、平家の武将、瀬尾(せのお。妹尾とも)兼康の築城という説もある。
妹尾ってのは、撫川よりもう少し南に現在も地名が残ってる。

この人は平家に忠誠を尽くした人として知られ、寿永2年(1183)に
木曽義仲追討軍に加わって北陸へ遠征するも、義仲方の倉光成澄に捕まってしまう。
が、木曽殿は兼康の武勇を惜しんで助命、倉光成澄の弟の成氏に預けた。

同年、都落ちした平氏が勢いを盛り返してくると、木曽殿は山陽道に進軍。
兼康は自らの本領である瀬尾村を案内すると偽って成氏を誘い出し、
成氏を殺害。
その後、兼康は笹迫(ささのせまり)の要衝に砦を構えて反旗を翻した。

激怒した木曽殿に攻めて攻めて攻めまくられ、
郎党2人とともに斬り死にという最期を迎えた・・・

この地に残る、日本有数の歴史を有する「湛井(たたい)堰」という
用水堰はこの人が開発したといわれており、湛井堰の守護神である井神社の
境内には兼康を祭神とする兼康神社が祀られている。

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最終更新日  2012年04月06日 22時12分31秒


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