戦国ジジイ・りりのブログ

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2012年04月24日
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カテゴリ: 城(中国)
さて、三村氏と宇喜多直家の絡みについては、途中まで
「撫川城」(2)と(3)に書きましたがその続きを。

宇喜多直家による備中侵攻は、以下のように続く。

 永禄10年(1567)
          明善寺合戦
          撫川芝揚城 落城
 永禄11年(1568)
          金川城主・松田元成を射殺
          佐井田城・植木秀長落城

 元亀元年(1570)
          幸山城・石川久智落城 
          丸山城 落城
          山王山城 落城
          鴨山(加茂)城 落城

ここで、

「備中、やばいのぉ・・・」

と感じた毛利元就が、庶子の元清を派遣。
1571年、元清と三村元親の連合軍が猿掛城・松山城を奪還し、
庄高資は討ち死に、首級は猿掛城に送られたという。

この時、佐井田城とかは落ちなかったみたいだけど、
九州から帰ってきた毛利軍と翌年に和睦し、城の開け渡しが行われたらしい。



「砦二十一丸」とよばれる出丸を臥牛山全体に配備して要塞化に
いそしんだといわれているが、実際どこにどういう砦があったのかは
わからない。


この頃の三村氏をめぐるアバウトな関係は、こんな感じ。

備中相関図3-1



三村氏滅亡に至る前段階としてこんな感じって思って頂ければ幸いです。

で、上の相関図にたった一人入るだけで状況はガラリと変わる。

備中相関図4-2


とゆー訳で、織田信長さんの乱入です。

織田~毛利間に「とりあえずばかしあい」と書いたのは、
表面上、白々しい手紙を頻繁に送ったりして、
まだ表立って敵対をしていなかったからです。

特に信長さんは、裏で大友氏や尼子の残党などに手を回して、
毛利氏の東上を阻んでるくせに、一方では毛利の対織田外交フロントだった
小早川隆景あてに色んな書状を送ってて、隆景ちゃんでなくても

「なんなん、この人!?」

って言いたくなるような感じの悪さ。

正直言って、最近、信長様ファンやめたくなってきたよ・・・


いやいや、それより驚いたのは、三村の元親君ですよ。

「毛利と宇喜多が同盟?そがあなバカな話あるか!」

と相当な衝撃を受けたと思われる。

何しろ、親父を殺され、勇んで出かけた明善寺合戦では大敗・・・
その後もしつこくちょっかい出してくる。

これ以前に、養子に行った元親の兄・元祐が宇喜多軍との戦いで
討ち死にしたから恨みはもっと深かったとする見方もあるけど、
元祐の死については諸説あり、なんとも言えない。

「毛利の殿だって、うちの事情は充分わかってるはずだし、
これまであっちこっち付いてって戦して、毛利家のために尽くしてきたのに・・・!!」




そもそも、この同盟については毛利家中でも意見が分かれた。

「宇喜多なんて信用でけん奴と手を組むなんて!
家親以来、忠誠を尽くしてきた三村をないがしろにするんか。
そがぁな義から外れた行いを承諾するこたぁできん!!」

と元春ちゃんは猛反対したが(こんな広島弁だったかは不明です)、
元春は山陰、隆景は山陽と分担が分かれていたので、
結局隆景がゴリ押しして同盟と相成った。



そして、三村家中でもまた意見が分かれていた。

織田からの誘いに乗ろうとする元親を、

「まだ時期が早い。ちびっと様子を見るべきじゃー」

と叔父にあたる親成(ちかしげ)が諌めたが、
逆に元親は様子見派代表の親成親子を誅殺しようとしたとの話がある。

それの真偽は不明だが、結果として元親は毛利から離反して織田と手を組み、
親成親子は隆景の元に家出して事の顛末を隆景に報告した。


報告を聞いた隆景ちゃんが、

「まさか三村が・・・
なんちゅうーことじゃ!、許すこたぁできん。
しゃぁない、討伐しよう。」

と言ったのか、あるいはにたりと笑って

「そりゃぁほんまか?
うまいしこー(※)に謀反を起こしてくれたもんじゃ。
よし、ほいじゃぁ備中ゲットじゃー!」
(※)うまい具合に

と言ったかはわかりませんが、限りなく後者に近いんじゃないでしょうか・・・
三村の裏切りは、充分想定の範囲内だったはず。
その後の展開を見ると、どうも隆景はこれをいい機会と捉えたように
思えるんだもの・・・


この元親の離反については、一般的に言われるのは
親の仇の宇喜多と結んだ毛利輝元に不満を募らせた、というものだけど、
一説には「織田家が中国制覇した暁には、元親に備中と備後を与える」という
密約が結ばれていたともいう。

まあ、親の仇と言っても、宇喜多直家みたいにしれっと主家に戻って
じい様の仇をじっくりと殺していったような人もいるし、
元親にガマンが足りなかったといえばそれまでだけど、
何ともねえ・・・



何にしても、ここで三村氏の滅亡フラグが立ってしまった。
ここからが、松山城を中心とした戦い
「天正備中兵乱(ひょうらん)」の始まりです。

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最終更新日  2012年04月24日 21時14分12秒


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