戦国ジジイ・りりのブログ

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2012年04月25日
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カテゴリ: 城(中国)
天正2年(1574)、11月10日までに備中笠岡に集結するよう諸将に申し渡し、
毛利輝元自ら出陣。その数、8万。

隆景ちゃんは出陣したが、元春ちゃんは
エネルギッシュな山中幸盛の対応に追われてて、行かれなかった。

ただし、元春は最後まで

「わしが元親に直接おぉて説得する。
必ず連れ戻すけぇ、討伐はいけんのんでぇー(※)」
(※)討伐はいかんぞ、の意。

と本格的な討伐には粘り強く反対したらしい。


かつての覇者・三村氏も、明善寺合戦以降は勢力に陰りが見え始め、
備中勢から討伐軍への参加もあった。


だから、この時点で宗治はすでに独立してたんだね。
もと主家(石川家)の、さらに主家だよ・・・
戦国時代って、過酷じゃのぉ・・・


三村さん一家は大体こんな感じらしい。

三村氏家系図2

長男・元祐とか石川久式(ひさのり)の名はこれまでに何度か出てきているので、
覚えて頂いた方もおられるでしょうか・・・

この他にも、三村の一族が支城を守っていた。
三村軍は総勢2万。
しかし、12月18日頃までには佐井田城・有漢城・矢蔵畦城・庄田山城・
野山城などが松山城に退却。



毛利陣営では、一気に松山城攻略を唱える者と、
支城を落としてからメインに取り掛かるべきとする者とで意見が分かれたが、
輝元は後者を採用し作戦が決定。

残った三村の支城の中で最も西に位置する国吉城が、最初のターゲットとなった。

国吉城を守るのは、三村一族の三村政親(元親のおじさんかも)。

ガンガン攻め立てた。

驚いたのは、三村政親。
強大な毛利氏に謀反を起こしたんだから、甘く考えてもいなかったでしょうが、
たぶん、三村軍はこの時点で毛利軍の本気を感じ取ったのではなかろーか。

ここでの戦いは、三村軍でも名だたる武将を揃えた城方が頑張ったので、
両軍から死傷者が出るばかりでなかなか城が落ちない。
イラついた隆景は三方から大砲を撃ち込ませた。

結局、政親はわずかな供回りだけを引き連れて、松山城へ逃亡。
国吉城に入った毛利軍は、城に残った300あまりの城兵を皆殺しにしたという。
これが翌天正4年1月1日のこと。

正月早々、隆景ちゃんたら、何てことを・・・


1月2日  毛利軍、成羽(なりわ)城に移動。
       ここがわからないんだけど、大きな戦闘があったとは書いてないんだよな・・・
      元は家出した親成の城だったから、空き家だったのかな?
       まさかね・・・

1月8日  隆景が2万の軍を率いて楪(ゆずりは)城攻撃。
      元親の弟・元範は討死。


この間、毛利軍が猿掛城などを落とす。
もし庄(穂田)元祐がこの時点で生きてたら、多分奮戦してこの戦いで名前が
出てくると思うんだけど、出てこないから、これ以前に亡くなってたのかな・・・
この時、猿掛城主は三村兵部とされている。


1月17日 毛利軍、荒平山城攻撃。
      城主・川西之秀(ゆきひで)の守るこの城は守備が固く、
      他を先に攻めることにして一旦撤退。

1月20日 美袋城落城。
      城将の三村民部丞忠秀は児島へ流される。

1月23日 鬼身(きのみ)城攻撃。

1月29日 鬼身城落城。
      上田家に養子入りしてた元親の弟・実親は城兵の助命と引き換えに自刃。

      これには別の説もあって、助命を条件に実親の自刃を申し出たのは
      養父だったが、
  「若い実親を犠牲にして、ヨイヨイの自分が生き延びようとするたぁ何事か!
      わしゃぁ認めないぞ!!」
      と輝元が憤慨して攻撃を続けさせようとしたが、討伐を迅速に完了させようと
      する重臣達に説得されて、しぶしぶ降伏を受け入れたともいう。
      実親は20歳の若さだった。

1月下旬  荒平山城再攻撃。
       城主・川西之秀は地元の豪族の人で、備中兵乱で三村氏に味方した。
       川西之秀の身の処し方については諸説ある。

       ・鬼身城落城を知り戦意喪失したのか、逃亡
       ・城兵の助命と引きかえに讃岐へ流される
       ・三村元親および中島元行(毛利方)の親類にあたる関係で、
        毛利氏が中島元行を通じて説得

       いずれにせよ、ここで荒平山城も脱落。


この頃、毛利輝元は体調を崩し、一旦山を降りて小田にて休養。
おいおい・・・

またこの頃、石川久式が妻子郎党300名を引き連れて幸山城から松山城へ合流。
幸山城は家臣の友野石見守が守備した。


2月に入り、元親の妹婿・上野隆徳の守る常山城を毛利軍が包囲し、
常山城から松山城への応援を妨害。

3月1日  毛利輝元が成羽城に復帰。
      休養、長くね・・・(笑)。
      いちおう、作戦会議とかはしてたみたいだけど。

3月16日 松山城にほど近い鶏足山に陣を置いた小早川隆景はソッコー松山城下に押し寄せ、
      両軍激突。
      日没を迎えたため、双方兵を引く。

4月24日 既に周辺諸城は陥落し、孤立無援となった松山城だが、
      元親が手塩にかけて要塞化したこの城を、隆景は力押しにせず持久戦に
      持ちこむことにした。

      そこで、この頃までに備中・美作国境付近までの広範囲の麦の刈り入れを
      した上で、一旦成羽城に戻る。


さて、ここで織田家との同盟に反対していた者の中から内通者が出た。

5月20日 寝返り連中が、石川久式の隙を狙って久式の妻子を人質に取り、
      天神の丸を占拠。
      つまり、元親の妹ってことだよな・・・たぶん。

5月21日 毛利軍、あせびの丸占拠。

5月22日 三村元親は討死を覚悟したが、家臣に説得され再起を図ることにして
      松山城を脱出。

6月2日  逃亡中、家臣とはぐれた上に鞘から抜けた刀でうっかり足を負傷、
      歩けなくなった元親は隆景に切腹を願い出る。
      そしてかつての同僚である毛利家臣・粟屋元方の見守る中、松連寺にて自刃。

人といふ 名をかる程や 末の露
                    きえてぞかへる もとの雫に

      の他、辞世数首を残した。
      うち一首は、細川藤孝にあてたものだったという。

      なんでいきなり藤孝!?と思ったら、当時の戦国武将は文化人との交流も多く
      (ジャンル的には藤孝は武将に入るけど)、元親は詩歌に精通するなど
      教養人でもあったらしい。   
      今回の一連の戦いのさ中にも、藤孝は元親に『八雲集』を届けたという。

      他にも、元親の叔父の親成なんかは、2度の遣明使経験を通じて大内氏とも
      ゆかりの深かった策彦周良(さくげんしゅうりょう)から墨蹟をもらったり
      と、案外三村氏の交友関係は広かった模様。ちなみにこの墨蹟は、
      京都国立博物館に収蔵されているそうな。

      元親の生年はわかっていないため、享年も不明。

6月7日  最後に残った常山城を、6,000程の毛利勢が包囲。
      別れの酒宴ののち、上野隆徳の継母が自害したのを皮切りに、一族の凄惨な
      自害の場面が続く。涙なしには読めません、ホント・・・

      そんな中、上野隆徳の妻で三村元親の妹である鶴姫は気丈にも侍女33人を
      引き連れ、一矢報いるべく乃美宗勝に挑むが、最後は父・家親から譲り受けた
      という国平の大刀を置いて城内にて自刃。
      城主・上野隆徳も妻の後に自刃。   

6月23日 石川久式と松山城から脱出していた元親の子・勝法師丸が捕えられ、斬首。
      わずか8歳であったという。

      石川久式は阿波へ落ちのびようとしたが、毛利軍に包囲され、自刃。
      密告によるものともいわれる。

足かけ半年、ここにおいて三村氏および備中石川氏は滅亡した。
石川氏の幸山城も同時に陥落、乱後は清水宗治が幸山城に入ったという説があるが、
その真偽は定かでない。

※支城の推移については、ここに書いた以外にも諸説あります。

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最終更新日  2012年05月03日 11時43分32秒


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