戦国ジジイ・りりのブログ

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2012年07月05日
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カテゴリ: 旅日記(近畿)
宇治川の中州にある宇治公園には、鳩さんたちが
たくさん憩っていた。


宇治・宇治公園5


雨、結構降ってたからね・・・
しかし、草の中にじーっとうずくまってるから、
最初は石ころかと思った(笑)。


この公園には、こんな石碑がある。


宇治・宇治公園6・先陣の碑




  古代より水陸交通の要衝であった宇治は、幾多の合戦の舞台となり、なかでも、
  寿永3年(1184)の木曽義仲と朝廷から義仲追討の任を受けた源義経の戦いは
  有名です。

  天下の激流を挟んだ両軍の決戦は、義経軍の名馬「するすみ」に乗った梶原景季と
  名馬「いけづき」に乗った佐々木高綱の「先陣争い」で幕を切って落としました。
  先陣は策にたけた高綱がとり、義経軍が一斉に渡河して義仲軍を打ち破りました。
  この碑は、その故事に因んで、昭和6年(1931)に建立されたものです。】
  (現地解説板より)


はい、もうひとつご紹介するのが、この碑の戦いです。
宇治川は、一般的には頼政の戦いよりもこっちの方が有名だよな。

どちらも同じ場所での戦いなので、頼政の方は「宇治の橋合戦」、



木曽殿の最後の戦いは、義仲寺とか瀬田の唐橋のところで
ちょこちょこ書いてきましたが、これも同時進行の話。

木曽殿は京にあって院御所を守り、瀬田には今井兼平、
そして宇治には根井行親、楯親忠を配置した。

義仲軍300騎に対し、義経軍は25,000。

合戦の経緯についてはここでは書きません。
書かないなら紹介になってないじゃん・・・とかツッコミ入れないで(笑)。

ワシャ、馬の話がしたいんじゃ


解説にある「するすみ」と「いけづき」は、
どちらもそれぞれの乗り手が頼朝から賜ったという名馬。

「するすみ」は「磨墨」。
「いけづき」は「生食」とか「生喰」「生月」「池月」とか色んな書かれ方をする。

磨墨と生食の出身地についてはいくつかの説があるみたいだけど、
相馬御厨(みくりや)出身という話もある。

生食は、下総国葛飾郡内の牧(のちに徳川幕府の直轄地となる「小金牧」の場所)に生まれ、

「八幡様のお使いじゃ~!!」

と地元で信仰を集めるほどの名馬であったという。

生食の名前の由来も色々言われてるけど、
生き物を食うほどに気性の荒い猛々しい馬だったともいう。

日本の在来種は小柄だけど、昔は人を食う馬もいたとかって
何かの文献にも確か書いてあったしな~。


そーゆー訳で、どちらの馬も相馬御厨生まれだったら、
千葉県柏市在住のわたくしとは、同郷という事になる訳です(笑)。
だから馬の話


相馬で千葉?福島じゃなくて?

って不審に思った方もおられるかもしれないけど、
相馬氏が分裂して、一部が現在の福島県相馬市あたりに引っ越す前の話だからね。

もともと相馬氏は、相馬郡相馬御厨(現在の鎌ケ谷市・柏市・流山市・我孫子市・
野田市の一帯。いずれも千葉県)に本拠を構える一族だった。

御厨とは、皇室・伊勢神宮・下鴨神社に寄進された荘園のことで、
伊勢神宮に寄進された現在の茨城県取手市・守谷市・千葉県柏市・流山市・我孫子市
あたりにまたがる一帯を、相馬御厨と呼ぶ。

このあたりは昔から馬の放牧に適しており、軍馬の生産が行われていた。
時代が下って、幕府直轄の「牧」が北総台地(下総台地とも。主に千葉県北部)に
いくつも置かれたのも、同じ理由による。

そして、磨墨も生食も、頼朝に献上された。

いや~、もしかしたらうちの地面の下に、磨墨や生食のウンチが
埋もれてるかもしれないとかって想像してニヤニヤするバカは、
私くらいだろうな・・・(笑)。



さて、頼朝の腹臣・梶原景時の子、景季(かげすえ)は生食が欲しかった。
でも、もらえなくて代わりに磨墨を賜った。

で、磨墨に乗って宇治川の戦いに参加したら、
そこにいたのは佐々木高綱を乗せた生食。

モーレツに怒った景季は、佐々木高綱を殺して自分も死のうと決意する。
(戦の最中だってば、おい・・・)

しかしそこは、高綱の方が一枚上手だった。

」

って体よくごまかされて、再び戦モードになったものの、
結局景季は先陣争いにも敗れた(笑)。
宇治公園内には、先陣争いの様子を描いた絵もある。


宇治・宇治公園・先陣の様子




ここで馬の話ばっかりするのは、同郷のよしみもあるけど、
磨墨の墓に行ってるんだよね~、私。
墓マイラーは種族さえも越えて墓参りをするんです(笑)。

いや、磨墨の墓がメインだった訳じゃないんだけどさ。

頼朝の死後、梶原一族は幕府の内紛などで討死を遂げた。
景季の甥にあたる豊丸は、乳母であるお隅の方の生地の
現・犬山市羽黒へと落ち延びた。

で、磨墨も羽黒で死亡したとのことで、梶原家の菩提寺のすぐ近くに、
お隅の方と並んで磨墨の墓があるのだ(場所は こちら )。


磨墨塚&お隅の方墓


左がお隅の方、右が磨墨の墓。
黒馬の置物なんか置いてあるし(笑)。

このあたりの地名は「摺墨」。
字が違うけど、読みも「するすみ」だから、まず磨墨に因んだものでしょう。

景季は磨墨より生食の方を名馬と見てたみたいだけど、
後世では生食よりも磨墨の方がゆかりの地とか話が多い。

羽黒にある墓は公園の中にあるんだけど、まず公園の名称が「するすみ公園」。
そしてこんな遊具が置いてある。


するすみ公園2


現代に生きる磨墨だよ~
後ろから見ると、こんな感じ。


するすみ公園


だから、かつての名馬も、今では誰でも気軽に乗れるんです。
とはいっても、私は乗らなかったけどね。
誰もいない公園で、いい年したジジイが1人で磨墨に乗ってはしゃいでたら、
ちょっとアブナイ人みたいだしね

この木製の磨墨を見た時、

「おお、愛されてるなあ~」

って思ったね。

磨墨の塚と言われてるものは、羽黒だけじゃなく
あちこちにあるしね。
てな訳で、今のところは生食よりも磨墨に親近感がある。

生食の話ってのはあんまり見つけられないんだけど、
柏付近には生食を由来とする神社などがあるそうだから、
郷土の昔ばなしだとかで探してみるかな。



さて、今回の旅はこれで終了。
参道に戻って茶そばのセットでランチ。
おいしかったけど、とにかく急いでたので
ゆっくり味わうどころじゃなかった

今回は初日から色々あったし最後までバタバタしちゃったけど、
いいところが多かったな~。
特に、三井寺と平等院はかなりお気に入りになった。

平等院の方は駆け足になっちゃったから、
今度はゆっくり来たいな・・・



大津編を地道に読んで下さった方々、長いことお疲れ様でした(笑)。
最後に↓ぽちっとしてくれたら、次の旅日記も頑張るからね
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最終更新日  2014年06月23日 20時18分20秒


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