戦国ジジイ・りりのブログ

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2012年07月23日
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カテゴリ: 旅日記(中国)
雲谷庵から南へ。
国道9号線を越えると、今日最後のスポット、菜香亭(さいこうてい)がある(場所は こちら )。


ここは幕末関連の史跡というべき場所なので、最初は行く予定じゃなかった。
ところが、コンベンション協会のA様が「今、大内氏の企画展やってますよ~」って
教えてくれたので、あわてて予定に組み込んだ(笑)。

菜香亭の入り口はこんな。


山口・菜香亭2


山口・菜香亭



  移り住んだ萩藩の膳部職(ぜんぶしき:支配人)であった齊藤幸兵衛が、
  明治10年頃、現在の山口市上堅小路、八坂神社境内の一角に料亭を開業したのが
  始まりで、その料亭をひいきにしていた井上馨により「菜香亭」と命名されました。
  主人齊藤幸兵衛の名前「齊」と「幸」にちなんだものです。

  その後、菜香亭は増改築をくり返しながら時代時代の政財界人を迎え山口市の歴史の
  舞台に登場します。
  明治期には、伊藤博文を迎えて毛利敬親の法要(明治24年)や、菜香亭の名付け親
  である井上馨還暦祝賀会が催されています。(中略)

  料亭としての菜香亭は政治の場としての顔も持っています。政治家らが数多く
  出入りし、とりわけ「佐藤派の根城」として有名でした。現在、北客間と呼ばれる
  部屋は佐藤栄作元首相が好んで使用した部屋で、この部屋から眺める大広間の屋根瓦の

  開かれたのもやはりここ、菜香亭でした。(後略)】
  (リーフレット「山口市 菜香亭」より) 


平成8年に料亭としての幕を閉じ、平成12年に保存運動が始まり、
元の場所からここに移築されて現在は市民の交流の場として存続しているという。


中に入ったら、人が少なかったせいか、お姉さんが菜香亭について

その後で、大内氏の企画展の部屋へ。
タイトルは『山口の町の漆器展』。

小部屋の一室だけの展示だったけど、貴重な品が並ぶ。
撮影OKってことだったので、遠慮なく写真を撮ったけど、
なるべくフラッシュはたかないようにしたので、ブレた写真が多い(笑)。

でも例えば、こんなの。


山口・菜香亭9

 【初瀬遺跡出土漆器椀

  樹種はクリ。素地は横木取り。下地は不明。上塗りは内外面とも黒色漆を塗ったあとに
  接地面~高台内を除いて、赤色漆を塗っている。一乗谷の朝倉氏遺跡の出土品に、
  相当するものがある。高台内中央に、赤色漆で「明」と書かれている。】
  (企画展解説より)


この他にもいくつか塗りの椀があったけど、ここにある初瀬遺跡の出土品は
すべて初公開とのこと。
いや~、A様に教えてもらわなかったら、見逃すところだったな~
ラッキー


初瀬遺跡ってのは、

 【ため池の初瀬堤が住宅地になるさいに発掘が行われた。室町時代後期の寺院関連
  遺構が発見された遺跡。

  当地区には大内盛見の女が開基した広徳院の記録があり、その寺の溝、塀、門、
  門内外の建物5棟とおもわれる(※史料に記載のない寺の可能性もある。)遺跡の
  大半は16世紀のものであった。大永4年と書かれた笹塔婆、理超と墨書された土師皿、
  京都系の厚手の土師皿、「町野内安三河守」と書かれた木札が出土している。】
  (企画展解説より)

とのこと。
ほう、盛見の娘か・・・
何しろ、大内さんちのろくな知識もないままに、勢いだけで来ちゃってるからな~。
これからちゃんと勉強しないとな~・・・



その他、大内義興さんが足利義尹(よしただ。のちの義稙)を山口に迎えて、
義尹をもてなしたという料理を再現したものがレシピ付きで展示されてた。


山口・菜香亭12


山口・菜香亭17


PAP_0104


これは過去の菜香亭での企画展でのものだそうで、

「パンフレットとか残ってたら、
有料でいいから是非分けて頂きたいんですけど・・・」


ってダメ元でお姉さんに聞いてみたら、探しに行ってくれた。
しばらくして戻ってきたお姉さんが渡してくれたのは、
一冊のパンフレット。狂喜しながら

「あの、お代は・・・」

って聞いてみたら 

「貴女のように喜んでくれる方に持っていただいた方がいいので、
構いません」


って言ってくれた。
山口の人は、ホントにいい人だ~。
この時のお姉さんが天女様のように見えたのは、言うまでもない(笑)。



もらったパンフレットの表紙には、「明応九年三月五日将軍御成献立」とある。
あ、やっぱりそうだ、アレだ。
これについて、以前に少し読んだことがある。


まず「御成(おなり)」ってのは、宮家や五摂家、将軍家が家臣の家を
訪問することをいう。

御成の中でも、特に正月二日に行われる将軍の管領邸への御成は
主従関係を確認する大切な儀式だった。
また、管領邸以外に有力な守護大名への御成も一月中に行われていたので、
実際には結構な頻度で御成があったらしい。

ちなみに、足利4代将軍・義持は35回も御成を行なった年があるんだと(笑)。

足利義尹については別のところで書きますが、正確にはこの時、
将軍じゃなくて「元」将軍だった。
将軍じゃないから「御成」とは言わないはずなんだけど、
義興さんは将軍として遇したってことだよな。

実際の饗応の中身も、御成と呼ぶにふさわしい豪華なもの。



ちょっとここで前置きが入りますが、今に残る日本の伝統文化ってのは、
室町時代に確立されたものが多い。

料理については、平安時代の饗宴の料理「饗応膳料理」を取り入れた
「式正料理(本膳料理)」が成立し、食べ方はもちろんのこと、
配膳や素材の切り方などの作法も確立した。

このおもてなし料理である式正料理は、まず肴3品と酒を乗せた膳を3回に分け、
計9杯の酒を勧める「式三献」から始まる。

肴が3品載ったひとつの膳を「献(こん)」といい、
一献ごとに盃に酒が3回注がれる。
これを3回繰り返すので、三献(さんこん)。
酒は3杯×3回で9杯・・・そう、これは三三九度のルーツでもあります。

合戦に先立って大将が行う大切な儀式、「三献の儀」も
ここから来てるんだろうな。
式正料理は、正式な儀式の料理だから。


「式三献」の後、3回・5回・7回もしくはそれ以上に分けて主菜・副菜が
それぞれ膳に載せて運ばれる。
ひとつの膳には、3~7品。さらにスイーツが付く。

じゃ、ホスト・義興さんが元将軍のために用意した
饗応の宴は・・・
と思ったら、そろそろ日記の文字数が限度に近くなったので、次回をお楽しみに(笑)。


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最終更新日  2013年03月17日 12時24分30秒
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