戦国ジジイ・りりのブログ

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2012年10月13日
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カテゴリ: 旅日記(中国)
山門の蟇股は、内側は普通。


三原・専福寺9



しかし、外側は・・・


三原・専福寺3



わ~い、またうさぴょんだ~
この反対側は、


三原・専福寺24



おお、こちらもいいな

見るからに新しい感じではあるけど、


江戸期以降の派手な彫刻の本蟇股もすごいと思うけど、
個人的にはどっしりした板蟇股の方が好きだな。


して、こちらが本堂。


三原・専福寺10



ここにも、いるいる(笑)。


三原・専福寺11



↓本堂の蟇股。だよな・・・
もはや、蟇股の形状をとどめておりませんが・・・


三原・専福寺13



こちらの境内にも、ちゃんとソテツがあった。
もはや、これがないと寂しくっていけませぬ・・・(笑)。


三原・専福寺14


↓本堂に続く玄関。


三原・専福寺15


・・・暑かったからね。
できればちゃんと外観を見たかったけど、しょうがないよね。



ところで、現代ではフツーに「玄関」という言葉を使っていますが、
その語源を御存じでしょうか。

元は『老子』の中の「玄の又玄なる衆の妙なる門」という語から来ており、
立派な仏教用語。

仏教の中でも、禅宗で用いられた言葉で、
「玄」は奥が深い悟りの境地を意味し、「関」は入り口のこと。
すなわち、「玄妙な真理に近づくための関門」を表すんだそうな。

そういう意味なので、イコール仏門に入る入口のことでもあるんだと。

以前、 「あずまや」 の由来なんかもちょっと書いたけど、
日常的に使ってる言葉でも意外なところにルーツがあったりして、
語源を調べるのも結構面白い。



専福寺は他の三原の寺に比べて格段にハトの数が多く、
玄妙な関門の両脇の留蓋にもおった。


三原・専福寺16



たかがハト、されどハト・・・
結構個性あるなあ(笑)。
でもこの子は、ハトじゃないかな?


玄関に付けられた雨樋はブロンズ色で、
景観を保つのも大変だなあ~と妙に感動した。


三原・専福寺17




境内の建物は大体こんな感じだけど、ここには大きなイチョウがある。


三原・専福寺18


立派な木だなあ~と思って、真下まで行って見上げたら、
実がものすごく沢山なってた。


三原・専福寺19



へええ~、こんな風になるんだ~。

イチョウの実がくさいというのは話には聞いていたけど、
私自身はイチョウの実にお目にかかった事がなかったので、
ぎんなんの事を言ってるのかと思ってた。

確かにぎんなんは若干クセがあるけど、そんなにくさいか?
ってずっとずっと思ってた。

そんな世間知らずの私の鼻があの強烈な悪臭に猛攻撃を受けたのは、
忘れもしない、大阪・三光神社でのこと。

三光神社には「真田の抜け穴」といわれるものがあって、
その前に建つこの真田信繁公↓にご対面した後で、 


三光神社・幸村様像2


生まれて初めてイチョウの臭さを味わったものさ・・・フッ

三光神社は熟した実がそこらじゅうに落ちてて、
それがすごいニオイを放ってたんだけど、
もう涙が出るほどくさかったさ・・・


ここ専福寺の境内も、シーズンがくればきっとすごい事になるに違いない。
こんなに見事に実がなってるんだもの。
秋に来なくて良かった・・・(笑)。
まあでも、ちゃんとお掃除してればさほど問題はないのか。



そして境内には、この方もおわす。


三原・専福寺21


おお~ッ、イケメン(に造ってある)じゃ~ん!!

この方は、親鸞聖人様です。
専福寺は真宗のお寺ですのでね・・・って、お寺の来歴をまだ紹介してなかった。


 【龍雲山専福寺は、末近四郎三郎信賀ゆかりの寺として、御調町今津野津蟹に
  臨済宗佛通寺派としてありましたが、広島県へ真宗が布教され北部を中心に
  改宗する寺院が続出したとき、この寺も慶長2年(1597年)に祐教が
  真宗に改宗して、堂宇を今の地に移しました。】
  (三原観光協会「海・山・空 夢ひらくまち」より)


隆景の没年が慶長2年だから、ギリギリかするかどうかって所だけど、
これを見る限りでは、隆景の城下整備に伴う移転ではないみたいだな。

佛通寺は、明日行きます。うふ


末近信賀(せちか・のぶよし、あるいは、すえちか)は、
備中高松城で名前だけ出てきてます。
清水宗治七将のひとりって読んだからそう書いたんだけど、
あらためて調べてみるとどうも違うみたいだな。

備後羽倉城主・末近信賀は隆景ちゃんの家臣で、軍監として高松城にいたらしい。
で、宗治およびその兄弟とともに切腹したと。


備中高松城・宗治の首塚2
     (備中高松城址・清水宗治の首塚)


奥に見えてる五輪塔には前に一体、後ろに二体のお地蔵様が刻まれており、
前面のは宗治、後面のは月清入道と末近信賀と伝えられておるそうな。

五輪塔のある盛土の部分は生け垣があって入れなかったから、
そのお地蔵様は見てないんだけど、月清入道(宗治の兄)と信賀だけ?
一緒に、宗治の弟も自刃してると思うんだけど・・・(笑)。
弟はどこへ行ってしまったのやら

専福寺とどういう縁があるのかはわからない。
毛利側からの軍艦として派遣されるくらいだから、
それなりの武将ではあったかと思うんだけど、
残念ながら末近氏についてはあまり詳しい事はわかってないみたい。


君がため名を高松にとめおきて 心はかえる古郷の方

が信賀の辞世として伝えられる。合掌。


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最終更新日  2012年10月13日 22時35分12秒
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