戦国ジジイ・りりのブログ

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2012年10月14日
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カテゴリ: 旅日記(中国)
専福寺を出て、ふたたび向かいの公園へ。

ちょうど木陰にテーブルとイスがあるし、
炎天下の公園には遊ぶ子供もいないから、ここで休憩していこう。

もう14時だし、ついでに手持ちのパンで腹ごしらえしとこう。
ああ、今日こそはどこぞのお店で涼みながら、
きちんとご飯食べるハズだったのに・・・

まあ、日陰にいればそれなりに暑さもしのげるし、
通りの向かい側には精悍なイケメンの親鸞様がこちらに向って
手を差し伸べておられるからな。


しかし、さっきからやけに腕が痛い・・・
汗で塩ふいて、それが肌にしみてるのかな?
普段、そんな事ってないんだけど・・・

と思って痛い右腕を見てみたら、小さなすり傷が沢山できてた。

・・・あっ! 東舟入櫓前で植木に倒れ込んだ 、アレかあ~!!

肘から下が傷だらけになってて、血がにじんでるところもあった。
これじゃ痛いハズだわ~。
まあ、この程度で済んでホント良かったよな


軽い昼食を済ませて公園から南下すると、西国街道に行き当たる。
朝、 太神宮


三原・東町西国街道の東側



ここからちょっとだけ東に戻ると胡神社が・・・


三原・胡神社



・・・あった。
中も覗けないし、次行こ・・・


三原・東町西国街道を城内へ



ここからは、三原城内目指してこの道をまっすぐ西へ。
途中の道でまず現れるのは、三原銘酒「酔心」の本店。


三原・東町西国街道・酔心



創業は、万延元年(1860)。
この年に、初代の山根忠兵衛さんが尾道の山根本家から分家して、
三原へやって来たそうな。

醉心山根本店の創業自体は1860年と割と新しいけど、
この地で300年以上続いていた蔵元・桜井家を買収した時を
創業年としている。

で、その桜井家はというと、創業は隆景の時代までに遡る。
永禄10年(1567)の城下整備の際、
東町と西町とに分割されたそうで、この時点で桜井家は酒蔵を営んでいたという。


「酔心」の名を高めたのが、「我が主食は醉心」と言った横山大観の存在。
酒豪・大観は、なんでも1日に2升3合の酒を飲んでいたとか・・・

この大観と酔心の3代目がウマがあったらしく、
大観の存命中は酔心からず~っとタダで酒が贈られていたそうな。
そして大観は、美酒のお礼にと毎年作品を寄贈してたんだって。

薬を飲むにも酔心が必要だったと言われるほど酒好きの大観だけど、
昭和20年の東京大空襲の後には、酔心も簡単に手に入れられなくなる。
そりゃあそうだよね~。

生きるか死ぬかって時に、遠方の酒を飲みたいってのも
どうかしてると思うけど・・・

が、巨匠に常識は通用しない。

ここで大観氏は、とっておきのコネを使う。
時の運輸大臣・五島慶太に酔心の輸送を頼み込んだというのだ。

これに応じる方もフツーじゃないけど、とにかく五島氏は
東京駅長あての手荷物として、極秘に酔心を輸送する手配をした。

念願叶って酔心を手に入れた大観氏。
ところが、話はここで終わらない。

輸送に尽力した五島氏が、手間賃として運んだ酔心の半分を要求してきた(笑)。

「酔心はワシの主食なんだぞ!
ぼったくりもえーかげんにせーや!!」


「このご時世で、酔心を運ぶのに
どんだけ苦労したと思ってるんだ!
これでも安すぎるくらいじゃろーが!!」



・・・この楽しいエピソードは、「地酒蔵元会」様のサイトからの抜粋です。
酔心の歴史などについても細かく紹介されてますので、
興味のある方はそちらをどうぞ。



この通り沿いには、こんなのもある。


三原・東町西国街道沿い



ナニコレ・・・武家屋敷?
別に公開されてる訳でもないみたいだし、こんなのあるなんて聞いてない・・・
そういえば、この辺りに「真田家」って書き込まれてる地図を
何かで見たなあ。
これがそうかな?


三原・東町西国街道沿い・真田家?



何だかよくわからなかったので、後からちょっと調べてみた。
詳しいことはやっぱりわからなかったけど、どうやら御典医のおうちらしい。

現在までもずっと医師を続けてきた家系らしく、
今でも開業してるとのことだったけど、ここには看板も出てないし、
別の場所に病院を持ってるのかな?


さらに進むと、通りの反対側に公民館があった。


三原・東町西国街道沿いの公民館


だるまだ・・・
そういえば、 「神明市」 ってこの辺でやるんだよな。
だからかな?


この先に、東町エリアでの目的の寺の最後となる善教寺がある(場所は こちら )。


三原・善教寺



ここの入口には、大変ためになるお言葉が・・・


三原・善教寺3



そして、こんな碑もある。


三原・善教寺2


【文化年間 伊能忠敬 観測地】

文化3年(1806)と文化6年(1809)に測量をしたとある。
時期的に、第5次と第8次の測量がこれにあたるかな?

彼の年表を見ると、よく歩いたよな~ってホント感心する。

第8次なんか、甲府からスタートして小倉へ向かい、鹿児島~屋久島(!!)
~種子島、九州の内陸を通って長崎~壱岐~対馬~五島、
今度は中国の内陸部を通って京都~高山~飯山~川越。
のべ913日間の大旅行(旅行ちゃうって・・・)

しかもこの時、御歳67。

次の第9次測量には、忠敬は行かなかったみたいだし、
その後の第10次には近場だったから、大規模測量ツアーとしては
最後の回で三原に立ち寄ったってことになるよな。

いやいや、ワシもちょっと歩いたぐらいで
疲れたなんて言ってちゃいけないよな~。
てか、どっかで忠敬さんの爪のアカ、売ってませんかね?(笑)


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最終更新日  2012年10月14日 15時39分04秒
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