戦国ジジイ・りりのブログ

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2012年10月30日
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カテゴリ: 城(中国)
さて、前回のような調子で書き続けていくと永遠に終わらなそうなので(笑)、



天文15年  元就隠居、隆元が家督相続。
         吉川家でクーデター。元春の養子縁組の話が舞い込む。

天文16年  隆景元服。元春の養子縁組が成立する。

天文17年頃 元就が沼田小早川家臣・乃美氏から継室(乃美大方)を迎える。 

天文18年  元就が隠居報告のため、山口を訪れる。

天文19年  元春、吉川家本拠の日野山城へ入城。
         隆景、沼田小早川当主・繁平の妹を娶り、小早川本家を相続する。


天文20年  隆景、沼田小早川本拠・高山城に入城。
         「大寧寺の変」おこる。大内義隆自刃。

天文21年  隆景、新高山城を築き本拠を移動。能島村上武吉に協力を求める
         書状を送る。
         尼子晴久、備後守護に任命される。山口を離れられない陶隆房は、
         備後の鎮圧を元就に命じる。
         陶隆房が厳島で独自に、通行料の徴収を始める。

天文22年  隆景、三原要害の在番を申しつける。
         陶隆房が村上武吉に、駄別料の徴収を禁止する書状を出す。
         津和野城主・吉見正頼が陶隆房に反旗を翻す。

天文23年  元就、5月12日の佐東銀山城攻撃により、「防芸引分」正式表明。

弘治元年   厳島の戦い。
(1555)


天文18年の元就の山口訪問の件については、 「大内氏館(4)」
書いてますので、忘れた方や読んでない方はそちらもあわせてご覧下さい。



どこまでが先見の明でどこまでが幸運な偶然なのか、
わからなくなってくるんだよね~

基本的に元就は

「丁か、半か!どうとでもきやがれ!!」

ってバクチは打たない人。

ただ、よく「神様は後頭部がハゲている」って言われるけど、
仮に後頭部だけじゃなく頭全体で髪の毛が1本しかなかったとしても、
元就は掴んで離さないだろうとは思う。

いや、1本もなかったとしても、神様の頭に爪をたてて
しぶとく掴まってるカモ・・・


井上一族の粛清についてはいずれ書くと思いますが、
ともかく元就が陶隆房と協力して行った大寧寺の変の前年までには、
元春と隆景の養子先での地盤はほぼ固めていたし、
家中の大掃除も済んで新たな毛利家の体制が動き出していた。

2人の子の養子縁組自体については、大寧寺の変とは直接の関係はないと思うけど、
縁組決定以降の体制固め、特に天文19年に諸々の総仕上げに入っている事については、
大寧寺の変と無関係と見る方がむしろ不自然でしょう。

もちろん、これまでの通説の通り、毛利家が積極的に大寧寺の変に加担していなかったと
信じるのであれば、この解釈は根底から崩れていきますが。



義隆を死に追いやった後、大きな果実を手に入れた毛利一族だったが、
その翌年には陶隆房との関係に亀裂が入る。

すなわち天文21年、尼子晴久から備後を取り返すべくその鎮圧を
隆房から命じられた元就は、まず滝山城を陥落させ、続いて旗返(はたかえし)城を攻撃。
ここに案外手こずって、半年かかってやっと落とした。


これだけ頑張ったのだから、旗返城を管理させてよねって陶隆房にお願いしたところ、
隆房はこれを認めなかった。
仕方がないのでぐっとガマンの子でいたところ、
翌天文22年には隆房に不満を持つ石見の津和野城主・吉見正頼が堂々と挙兵した。

元就のところには、吉見・陶の両者から応援を要請する書状が届いた。

情勢を鑑みて、元就自身は陶側に付くことを決断したが、
嫡男・隆元がこれにモーレツに抵抗した。

隆元だって別にイケイケなタイプじゃないんだけどね。
とにかく異常なほどの頑張りを見せて、翌天文23年に元就を「防芸引分」・・・
ぼうげいひきわけ、つまり隆房との決裂まで導いた。

そして、その翌年の弘治元年には、厳島の決戦に至る。



さて、この一連の大きな流れの中での隆景ちゃんの行動はといえば、
先を見据えていたのか、ハマりすぎててコワい

ただ、高山城入城の翌年に、新高山城を築いたことが
相変わらず理解できないんだけど。
小早川氏代々の居城(高山城)と沼田川を隔てただけの対岸に、
何でわざわざ新しい城を築く!?

しかも、新しい城を造ったその翌年に三原要害に目を付けている・・・
いえ、とりあえず個人的な疑問については置いておきましょう。


竹原家は元々大内氏寄りだったし、元就の姪が嫁いでいた関係もあって、
毛利家とは誼があった。

一方の沼田家では、上述の通り、重臣の乃美宗勝のいとこ(あるいはその娘)が
元就に嫁いでおり(=乃美大方)、これまた乃美と毛利の間で近しい関係を築いていた。



尼子が備後にちょっかい出して、神辺城(現・福山市)が尼子方に
寝返ってからは、沼田家の領地が大内と尼子の最前線となった。

沼田家当主・繁平はまだ幼く、この頃には失明していたとされていて、
先行きに危惧を抱いた宗勝ら家臣は、隆景を本家に迎えるべく力を尽くしたという。
もちろん、ここに元就の意思が絡まないハズはないと思うけどね。


神辺城の攻略には時間がかかり、隆景も参戦しているが、
この戦いに因島村上氏の協力を仰ぎ、さらに乃美宗勝の妹を
因島村上吉充(よしみつ)に嫁がせて、隆景はまず因島村上家と縁戚関係を結んだ。

次に、能島村上家当主・武吉の叔父であり、備中笠岡を握っていた
村上隆繁を取り込んだ。
その上で、これまで認められてきた駄別料(要するにショバ代)の特権を
陶隆房に一方的に禁止されて不満を募らせていた村上武吉に、

「以後よろぴく~」

との手紙を送った。
これが天文21年11月のこと。


旅日記の方でも書いたように、小早川の庶家は次第に海へも進出して、
水軍を持つようになっていった。
だけど、陶隆房率いる大内家の水軍力とは比べ物にならない。

因島・能島・来島の村上3家の中で頭領格であったとされるのが、
能島村上家。
その当主の武吉は、能島村上家の全盛期を築き、フロイスに
「日本最大の海賊」と称されたほどの人物。


天文21年までの段階で、隆景が「防芸引分」をどれだけ見据えていたかは
わからないけど、厳島の戦いにおいて村上水軍が勝利の大きな決め手となった事実は
見過ごせない。

もしかしたら、

「そがぁなん、全然考えてんかった~」

かもしれない(んなハズないけど)。

あるいは、山国の小領主であった毛利家は、元々自前の水軍なんかは
持っておらず、せいぜい旧武田家の川ノ内警固衆を引継いだくらい。
大内義隆の死と引き換えに、毛利家が南へ勢力を伸ばし
広島湾岸にまで達した時期でもある事を考えると、
水軍の強化に関してパパの内命があったかもしれない。

が、それを示唆する資料は今のところ見つかっていない。


いずれにせよ、沼田本家を継いだ当初から隆景が水軍力を強化するビジョンを
持っていたことは明らかであり、
元から水軍の砦としてあった三原要害に在番をあらためて置くなど、
その後の瀬戸内を統括する人生を予感させる動きを早くから始めている。

そして、水軍の強化に着手したわずか数年後には、
厳島の戦いにおいて見事な花を開かせ、
さらに海からの強力なバックアップでもって、
その後の毛利家の発展にも大きく貢献した。

実に、お見事



隆景の生家である毛利家では、厳島の戦い、防長経略などを経て
勢力が飛躍的に拡大していくにつれて、毛利家譜代の家臣だけでは
手が足りなくなってきた。

そこで、他家を継いだ元春と隆景にも毛利家の運営に参画させることになったが、
領国の維持発展に制海権の掌握が不可欠であるとの認識を持っていた元就は、
隆景と輝元の連携を特に重視したという。

兄である隆元の死後、隆景はより毛利本家を守る意識が強くなっていくが、
甥である輝元に対しては厳しくしつけ、時には(いちおう、人目につかない所で)
折檻なんかしちゃったというエピソードは有名


のちに秀吉が隆景を重用したのは、もちろん隆景自身の才能を
評価したからでもあるけど、瀬戸内海を掌握する小早川水軍の力を必要とし、
また隆景の輝元に対する影響力を取り込みたかったから。

別に、元春ちゃんが隆景ちゃんより劣ってた訳じゃない。

実際、四国攻めに始まり、九州攻め、そして海外遠征と
隆景はその持てる水軍力をいかんなく発揮した・・・



城好きが書いた三原城の訪城記は数多くあるけど、
三原要害を重視している人はあまり・・・というか、皆無に近い。

けれど、「海の支配者・小早川隆景」は三原城じゃなく、
その前身である三原要害からスタートしていたのだ。


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最終更新日  2012年10月30日 22時02分18秒


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