戦国ジジイ・りりのブログ

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2013年03月25日
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カテゴリ: 城(中国)
さて、ここで再び会所について。
またもや西ヶ谷先生の引用になりますが、

 【これ(饗応の料理。戦国ジジイが追加)を調理し、配膳するスペースである台所や
  清所(きよどころ)の空間、膳具や調度品を格納しておくスペースもなければならない。
  会所建築は、座敷のほか、控えの間や、以上あげた付属建物が存在したはずである。】
  (「小早川隆景の戦略と築城」/「小早川隆景のすべて」所収。新人物往来社)


・・・ごもっともです。
そして能が行われた舞台もあり、蹴鞠ができる庭も付いてるとするならば、
新高山城での候補地は結構限られてくると思います。




東西条・新高山城128・匡真寺跡・庭園跡



東西条・新高山城131・匡真寺跡・庭園跡



この庭園跡なんかもね、寺の庭っていうよりは、
会所の庭って言った方がしっくりくるように私には思えるんだけどね。

これから新高山城を訪れる方は、ぜひ会所や連歌の行われた亭にふさわしい場所を
探しながら歩いてみて下さいね。
漫然と遺構を眺めながらただ歩くよりは、
元就親子ご一行様の訪れた息遣いなんかも感じられるかもしれません。




≪11日目:閏3月6日 ≫


 隆景様から両殿様へ御太刀が贈られた。
 隆元様から隆景様へ鷹が1羽贈られた。

 帰路の途中、 栖真寺(49) にて両殿様は滝を見物なされた。
 隆景様もお見送りに付き添い、栖真寺にて一献が振舞われた。
 お座敷には近習を含め100名ほどが列席した。



栖真寺の位置のリンクは こちら 。


若くして亡くなった遠平の妻の菩提を弔うために承久元年(1219)に
建立した寺とされ、小早川氏とはゆかりの深い寺。

「三原編(3)」 でも書いたけど、實平の墓は米山寺以外に湯河原にもある。
實平の生年はわかってないものの、寺伝の通りであれば
結構な年齢で沼田庄にいたことになるから、實平はこの地で最期を迎えた可能性がある。



具体的にどんな景勝地があったのかまではわからなかったけど、
元就親子が観たのは地図で栖真寺の右下にある「瀑雪の滝」だそうな。

けど、地図を見てると滝がどーのというより、広島空港のすぐ近く・・・
空港のある山のすぐ下を100人もの御一行様がぞろぞろ歩いてったのかと思うと、
なんだかおかしい

少なくとも新高山城から栖真寺あたりまでは、沼田川沿い・・・
つまり山陽本線沿いを通っていったことに間違いはないので、
この辺を通る時はぜひジイ様軍団のお通りを想像しながら進んでくださいね(笑)。


11日間にもおよぶ日記はここで終わってる。
真昼間に酒を酌み交わして、残り半日くらいで
はたして吉田まで辿りつけたのだろうか・・・




遠足イベントはこれにて終了です。
ここまで読んでいただいた皆様、お疲れ様でした。

私も疲れた・・・(笑)。
いや~、疲れた!!
2つの大きなイベントを書き終えて、かなり燃え尽き感がありますが、
まだ山上部の紹介が残ってる・・・
気を取り直して、頑張ります。


てことで、お待たせしました。
2013年1月1日に戻ります。

え~、匡真寺跡の歌碑の紹介で終わってましたが、
そういえば「毛利家文書」では隆元の歌は「嵐も長閑なる・・・」だったのが、
「小早川家文書」では「山風も長閑なる・・・」となっていて、
この歌碑も小早川家文書に基づいたもののようです。

まあ、「むべ山風を嵐といふらむ」(by 百人一首)というくらいだから、
嵐も山風も大した違いはないけど。




東西条・新高山城135・匡真寺跡から主郭部へ



匡真寺跡から登山道に復帰。
ここからはしばし登りになります。
山麓から見た時にげんなりした、あの岩峰の急峻な山上部へ取り付く道だろうな。


東西条・新高山城136・主郭部へ



↑でも、この道も脇に石が残ってたりするし、
斜面に残る大きな石をきょろきょろ見ながらてろてろ歩いてたので、
そんなにきつい感じはしなかったな。


東西条・新高山城138・主郭部へ



↑時折、木々の間から見える本郷の町の景色も慰めになる。

この辺も、結構大きな岩がごろごろしてます↓。


東西条・新高山城141・主郭部へ


東西条・新高山城144・主郭部へ



匡真寺跡からチョ~ゆっくり歩いても10分かからない位のところで、
T字のような場所に行き当たった。
右の道↓。


東西条・新高山城146・中の丸へ



左の道↓。


東西条・新高山城147・三の丸への分岐



う~んっ・・・
どちらがどうという表示はないけど、右の道のが明らかにいいし、
ベンチも置いてあるから右だろうな。

右の道を少し歩くと、小広い場所に出た↓。


東西条・新高山城148・中の丸へ



ここからの眺め↓。


東西条・新高山城149・中の丸へ


真ん中を流れるのは、沼田(ぬた)川。
おお、だいぶ登ってきたな~。

そしてこの展望の反対側には、主郭部への入り口がある↓。


東西条・新高山城151・中の丸へ


ああ、石垣びっしりじゃないけどこの感じ、安土城に似てる~!!

どきどきしながら、いよいよ新高山城の核心部へ。


東西条・新高山城109・匡真寺跡(主郭部)



主郭部の拡大図↑。
全体図では、上がったところはこの位置にあたります↓。


東西条・新高山城109・匡真寺跡(中の丸)



 【中の丸(二の丸)跡

  本丸の北方に四段の郭からなる東の丸、井戸郭、五段の郭からなる中の丸、
  西方にも四段の中の丸の各郭が配置され、これらが二の丸の縄張りである。
  中の丸の郭には随所に土塁を築き、曲輪を設けて防備を固めている。

  また、北方の中の丸の広い郭には礎石の配置が一部みられ、規模の大きな建物が
  あったことが知られる。】
  (現地解説板より)


上がってすぐの右手↓。


東西条・新高山城154・中の丸西郭入口右側


薄く盛り上がったところに石組みの跡があり、奥へと続く細長い建物でも
あったような感じ。

その奥まで行ったところ↓。  


東西条・新高山城155・中の丸西郭本丸付近



これは後から並べられたものだな。
慶長の撤去の際か、もしくは近年に入ってから整備されたか。

この場所から入口方面を見たところ↓。


東西条・新高山城156・155から入口方面



同じ場所から入口下の段を見下ろしたところ↓。


東西条・新高山城157・155から下段


ああ、外枡形のような感じだな。
ここは地形から多門櫓か狭間付きの土塀の類が置かれたでしょうし、背後は急斜面。
逃げ場は匡真寺跡から上がって来る道しかないから、
ここから狙われたらひとたまりもないわ


この場所は狭くもないけど、絶対ここに会所なんか置かない。
蹴鞠とか、あり得ないから~


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最終更新日  2013年03月25日 21時31分45秒


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