戦国ジジイ・りりのブログ

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2013年05月21日
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カテゴリ: 城(中国)
登山道に復帰。
途中の竹藪にも、ビミョ~な地形が広がっていた↓。


東西条・高山城304・下山道



この先が下山口↓。


東西条・高山城305・下山道



出口から振り返ったところ↓。


東西条・高山城307・下山口


で、ここに出る↓。


東西条・高山城308・下山口



おじさん、ありがとう

写真は撮らなかったけど、確かここには登山口を示す看板が建っていた。
(上の写真の場所はたぶん ここ )



元々大手は使う予定じゃなかったので、きっちり道は把握してなかったけど、
この近くには行く予定だったから、幸い地図は持っていた。
この辺は思いっきり住宅地なので少しわかりにくいけど、ひとまず南へ歩きだす。

だいたいこのあたりの標高が70mなので、
大手と搦手とどちらから登っても登山口からの比高は同じって訳だな。


この辺からは、左手にやけに立派な山が見えた↓。


東西条・高山城313・下山後




あの山もすごく岩が露出している。
位置的に、きっと朝見た 沼田富士 だな。


しっかし、トイレ行きたいな~。
この辺は店とかなさそうだから、駅の方に行くまで


と思いながら坂を下っていったら、すぐのところに公園があって


東西条・高山城318・下山後・ふれあい公園







こんなところに!!

・・・きっと、お腹に力を入れて必死に我慢している私を見かねて
又四郎(←隆景)大明神様が用意してくださったに違いない。

いやもう、又四郎様の深い愛を感じつつ、ソッコー使わせていただきました(笑)。

そういう訳ですので、搦手の登山口にはトイレはありませんが、
大手から登る場合はこの「ふれあい公園」にあるトイレが使えます。
ありがたいですね。

この公園は結構広いですが、高山城で沢山の郭を見てきただけに、
こんなコンクリ製の段々↓もぜんぶ郭に見えます
もう、頭も目もおかしいです。


東西条・高山城319・下山後・ふれあい公園



さて、下山したので高山城自体は終わりですが、
この後関連の場所へ行ったのでまとめてご紹介します。

一旦、寺へ寄ったのですがその付近からは古高山はこんな風に見えました↓。


東西条・本郷・香積寺へ16・高山城



ここは城の南東にあたる。
北稜と南稜がぱっきり分かれてるのがよくわかります。
面白い形してるよな~。

ただ、どちらの稜線からも馬場へはそう大した比高はなかったので、
上の写真だと馬場は鞍部の高い場所にあるんじゃないかと思われる。



前回、応仁の乱期間中の竹原家による2回目の高山城攻撃で
文明7年3月5日の真良(しんら)の合戦のことを書いたけど、
搦手はこの写真の場所よりもう少し北にある。

真良って、私は佛通寺に行く時に通った場所のイメージがあって、
それは佛通寺川に沿っても~っと奥の方にあるんだけど、
高山城からは結構遠い。

けど、あらためて地図を見てたら、ちょうど撮影ポイントのあたりの地名も
「真良」となっている。
昔は、この辺から佛通寺の近くまでの広い範囲を
真良と言ってたのかもしれないな。
ここなら城にも近いし、案外このあたりが真良合戦のあった場所だったりして・・・



上の写真よりもう少し西から見た古高山↓。
ここからだと南稜しか見えないし、「屏風岩」とでも
名付けた方がよさそうな形をしている。


東西条・本郷・居館跡地付近・高山城



新高山から見ると、カヌレ・ド・ボルドーなんだけどな・・・
見る角度によって全然形が違う、面白い山だ。

あ、カヌレ・ド・ボルドーは、昔流行ったフランス菓子の名前です。
「新高山城(27)」 では思い出せなかったけど、ツイッターのフォロワーさんが
教えてくれた。
友達とは、ありがたいものです



寺のあと、こんな場所へ来ました↓。


東西条・本郷・居館跡地付近4



この写真より下が、居館跡と言われてる場所です。
昔のままの地形ではないかもしれないけど、
低い石垣なんかもあるので、この広い段々に家臣屋敷が建ち並んでる光景を
思わず想像した。


東西条・本郷・居館跡地付近5



よく見ると、矢穴のある石が使われてるし↓。


東西条・本郷・居館跡地付近6



東西条・本郷・居館跡地付近7



東西条・本郷・居館跡地付近8



この道を下って、お目当ての神社へ(場所は こちら )。
ちょっと入り口はわかりにくい。


東西条・本郷・貢住神社


東西条・本郷・貢住神社3



東西条・本郷・貢住神社4



小さな神社だけど、急な坂を登る。
すぐ上の写真は、上がってから見下ろしたところ。


こちらが貢住(ぐじゅう)神社の本殿↓。


東西条・本郷・貢住神社5



本殿の前の敷石には、宝篋印塔を転用したものが使われている↓。


東西条・本郷・貢住神社6



東西条・本郷・貢住神社7



東西条・本郷・貢住神社9



出たあ~、広島スタイルの灯籠だあ~!


この貢住神社は、居館跡推定地とされる本郷小学校とスレスレの場所にある。
元はもっとなだらかな丘だったらしいが、小学校の新校舎を建てるのに
削られたそうで、貢住神社のある小高い場所に館を防御する郭があったのではないか
という話らしい。

貢住神社を降りると、小学校の中に何やら石が並べられていた↓。


東西条・本郷・貢住神社11・小学校



なあに~、アレ?
もしかして、古い石垣の石を保存してるのかな・・・
あ~、近寄って見たいけど、ここで侵入したら前科一犯かな


東西条・本郷・貢住神社13



このあたりを工事した時、いつの時代のものかはわからないけど
コップ1杯くらいの黒米が出てきたらしい。


小学校と貢住神社のある丘の境目を見たところ↓。


東西条・本郷・貢住神社18



ぱっきり斜面が断ち切られている。
居館のあった頃は、もう少し高い位置に建ってたのかもしれないな。
あるいは、推定敷地面積は南北に長いようなので、
上の写真ではもう少し奥の方に建物があったのかもしれない。


同じあたりから、さっきの石垣のある段々を見上げたところ↓。


東西条・本郷・貢住神社12


貢住神社の場所に郭があったんなら、やっぱりこの上にも
居館を取り巻く家臣屋敷とかあったっていいよな・・・

ここから登山口のある大手までは、
標高にして50mくらい坂を上がっていく。

中世ロマンに浸りきった私の目にはもうこの場所は家臣屋敷跡地にしか見えなくて、
居館の背後に並び立つ家臣屋敷群、その後ろに屹立する古高山、と
往時の光景を想像すると、さぞかし壮観な眺めだったろうな~と
寒い空き地の脇でしばし萌え~・・・・・・・



さて、貢住神社からは小学校の方へ降りられないようなので、
家臣屋敷跡地(←決めつけ)を北へぐるっと回り込んで、小学校へ向かいます。

貢住神社から少し坂を上がって段々を見たところ↓。


東西条・本郷・居館跡付近11


ただの寂しげな空き地も、屋敷跡地だと思えばいと楽し。
ほらほら、アナタの目にも、屋敷跡の削平地に見えてきたでしょお~?


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最終更新日  2013年08月31日 11時38分30秒


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