戦国ジジイ・りりのブログ

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2013年05月22日
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カテゴリ: 城(中国)
貢住神社から一旦北側へ回って、上から居館跡推定地を見下ろす↓。


東西条・本郷・居館跡付近19-2



こちらが居館跡推定地↓。
左奥が古高山、右のこんもりした林が貢住神社。


東西条・本郷・居館跡付近24・本郷小学校



中世の居館は、こうした平地に土塁や堀を巡らせていた。
今ではこの辺りには堀も土塁も残っていないようだけど、
古い地籍図から推定される敷地は堀を含めて東西約90m、南北約120mという。

当時の守護大名の平均的な館の規模は1町(109m)四方だから、


ただし、それは室町期の話で、高山城を築いたのが4代・茂平だったとしたら、
時代的にまず山麓に居館を置いただろうから、
当初は室町将軍邸をモデルにしたものではなかっただろう。


最初に小早川氏が移住してきたと言われる場所の候補は、
別のところに2つある。

が、5代・雅平の時代には新高山に副塁を置いたという話もあるし、
割に早い段階から古高山とその山麓に居を移してきたものと思われる。

初めは、鎌倉武士の居館て感じだったんでしょうね。
同じ頃に引っ越してきた、平賀氏の御薗宇城なんかもそういう造りだし。

中盤に入れば、勢力の増大とともに館を拡げて
室町将軍邸にならったスタイルにリハウスした可能性もあるけど。



東西条・本郷・居館跡付近22・恵比寿神社からの街道



↑これが小学校の前、南に延びる道。
この奥に西国街道がある。

街道は付け替えられてる可能性もあるけど、
居館より高い場所に街道を置くはずはないので、
ここより南に街道と町があったと見ていいのだろう。






さて、以上で居館跡推定地の紹介は終わりです。
が・・・

新高山城の遠足イベント(「毛利元就父子雄高山行向滞留日記」)で
私の尊敬するトロロヅキさんのリンクを貼らせていただきましたが、
おとつい、そのトロロヅキさんからコメントをいただいて、気がついたことがあります。


安芸の守護は武田氏。
そうじゃない時期もあるけど、おおむね武田氏。
ところが、「小早川家文書」だけを見てると、武田氏の影が実に薄いのだ。

武田氏は幕府方だから、小早川氏とモメることもなく、
ゆえに書状が少ないのかもしれないけど、それにしたって影が薄い。

ぶっちゃけ、トロロヅキさんに言われて

「あ、安芸守護、いたんだっけ~」

って思い出したくらいだから(笑)。
いや、武田氏が守護なのはわかってるんだけど、
そのくらい「小早川家文書」の中では安芸守護の存在感がない。

だってそもそも、武田氏からの書状がないんだもん。
山名氏が安芸守護を務めてた時の書状は結構あるのに。
武田元信の代になって、やっと2通あるくらいか?

「小早川家文書」の中での武田氏との接点といえば、
幕府から大内教弘へ一方的に東西条の明け渡し命令が出た時と、
その他がちょぼちょぼ・・・ぐらいじゃないのかなあ。

外部からの書状は、もうほとんどが幕府関係者や将軍の
御内書だの御教書だの・・・
特に、応仁の乱前後は幕府関係者からばんばん手紙が来てる。

その中には、国人衆へ向けての一般的な書状もあるけど、
個別のやり取りと思われるものも多い。
まあ、乱の期間中が特殊だった訳でもあるんだけど、それにしたって・・・(笑)。


幕府から出された命令を武田氏が取り次いだ書状が
現在のところないことを考え合わせると、
ヒエラルキーの中では小早川氏は守護の下にありながらも、
室町中期には幕府奉公衆として半ば独立した立場にあったんじゃないかと思えてきた。

特に、備後の宮氏とは一緒に幕府の使者に立ったりしてるし、
あるいは宮氏と組んで安芸と備後の守護所の合間、
芸備国境付近のエリア担当者のような感じだったかもな~・・・なんて思った。

ま、宮氏の勉強についてはまだまだこれからなので、これはあくまで私の推測ですが。


ただ、応仁の乱期間中、高山城を応援する幕府関係者からの書状はウザイほどあるし、
西軍方からも周辺国人へ高山城攻撃に参加するよう要請が行っている。
つまりは東西両軍から注目されていた訳で、
このエリアにおける小早川氏と高山城の存在ってのは
やっぱり相当大きかったんだな~ってのを、つらつら思った。



いや、もう高山城のあとがきのようになってしまってますが、
最後に例のミッション・新高山城の築城の理由について。


結局、高山城に登っても答えは見つからなかった。
で、帰ってからもずっと考えていた。

全く別のいくつかの方面からもアプローチを試みてみたけど、
思いつきそうで思いつかなかった。


時期的に、毛利本家の動きと絶対関係あるよな~と思って、
なにげに自分の三原城の記事を少し読み返してみた。

あの辺の流れは頭の中に入ってたはずなのに、
現地では遺構だとかのハード面ばかり考えていて、
知らぬ間に背景のソフト面をおざなりにしていたことを思い出した。
で、あらためて年表を見ているうち、ふと気がついた。

高山城を守るのに必要な人数は、360人。新高山城は75人・・・

そうか、主力を引き連れて留守にしても、効率よく守れるんだ。
やっぱりこれからのうち続く戦いを見据えて、
自分が留守をしても大丈夫なようにしておいたんだ。

登った感想としては、正直私は新高山城より高山城の方がすごいと思った。
が、規模がネックになったか・・・
厳しい時代の中で、効率を優先させたんだろうな。

あれこれ考えた割には、自分の中で納得がいった答えは驚くほど平凡で、
かつ単純なものだった。
納得がいくというか、何ていうのか、
自分の中で実感できたという方が正しいのかもしれない。



その後で、ミッションの記事を書いた時にトロロヅキさんにコメントを頂いて、
新高山城の築城と同時期に吉田郡山城と元春ちゃんの日野山城も
工事をしているということを教えていただいた。

いつ、どんな風に工事をしたのかまではまだ調べてないけど、
これも絶対に関連があるはずだと私は思ってる。

新高山城築城の翌年、三原要害に在番が置かれたことを
「三原城(11)」に書いたけど、在番を申し付けたのは隆景だと思っていたら、
毛利隆元の書状に書かれていたことだったのについ最近気がついた。

そうか、やっぱり本家の指示で、諸々のことを着々と準備を進めていた訳なんだな。
吉川家と小早川家の相続の仕上げ、井上一族の粛清、城の普請、
これら一連の慌ただしい動きはすべて1本の線でつながっている。

どこを最終地点と読んでいたかはわからない。
あるいは最終地点は考えていなかったかもしれない。
だけど、少なくとも大寧寺の変でこれまでとは全く違う状況になることだけは
わかっていた訳だから、いつ不測の事態が起こっても大丈夫なように
毛利一族全体で先手を打って地固めをしておいたような気がする。


ここまでは、毛利サイドから見た場合の推測。
その他に、高山城シリーズに入って小早川氏の歴史を書く中で
気がついたことがある。


室町期の守護は将軍の側近くに仕えるのが原則だったから、
当主である守護は京におり、現地を直接管理していた守護代が配下の国人と
結び付きを強め、応仁の乱以後は現地に力を持った守護代などが
守護に取って代わるという現象、いわゆる下剋上が出現した。

小早川氏は守護ではなかったけど、中盤からは幕府奉公衆として
やはり当主は長く在京しており、不在の当主に代わって奉行人が置かれ、
これが家政や領国の支配を取り仕切った。
また、沼田荘内にいくつかあった市の代官も、奉行人の中から選ばれた。

奉行人は10数人おり、そのトップが政所。
政所は1人で、これに権力が集中した。
まあ、今でいう官房長官みたいなカンジ?

奉行人になったのは主に沼田家の被官人、
それから一族衆よりは若干ランクが落ちる親類衆。
新高山城の遠足イベントでちょっと顔を出した 真田氏 や、
それから相続イベントに書いた 田坂義詮 も奉行人だった。


それが、明応9年(1500)に政所の真田氏が殺害された後は
奉行人の中で内紛が続き、次第に弱体化していったという。

椋梨氏を本家とする新荘系は、地頭職は持っていたものの、
あくまで沼田の惣領家に従属していた。
が、沼田本家が上記のようなシステムを取っており、奉行人の力が強かったために
本家の経営面においては庶家の影は薄かった。

そして、隆景の相続イベントを迎える。

いわゆる「田坂氏をはじめとする反対派の粛清」の構図は庶家VS.奉行人であって、
これに勝利したことで庶家が小早川の歴史の中で初めて
一族の経営に重きをなすようになったと言えるのかもしれない。

新高山城の築城の理由が「人心の一新」だったというのを、
いつ誰が言い出したのかは知らないけど、こうした背景を考えると、
隆景が人心の一新を図ろうとした、というよりは
初めてイニシアチブを握った庶家が気持ちも新たにスタートを切ろうとして
隆景の合理的な築城提案に乗った、って推測もアリかもしれないな~と思った。



新高山城の築城の理由の話が、相続イベントや大寧寺の変、
さらには三原編までも含めた内容になってしまいましたが、
この天文20年前後というのは、毛利・吉川・小早川、そして大内家の
多くの人の思惑と運命と命が複雑に絡み合って西国の歴史が大きく変わる、
非常に重要な時期。

私はどうしてもここに執着してしまうので、しつこいと言われようが
これからも考え、ちょいちょい書いていくと思います。
備忘録に書いておかないと、考えたことを忘れてしまうから(笑)。


※「東西条バトル編(26)」へ続きます。

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最終更新日  2013年05月22日 23時42分37秒


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