戦国ジジイ・りりのブログ

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2013年07月02日
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カテゴリ: 城(中国)
お待たせしました、ここから建造物の登場で~す。

二の丸南側石垣に沿った登り道、
この辺はかつて「だらだら坂」と呼ばれていたらしいですが、
上がりきって道なりに右に曲がると、ど~んと・・・


福山・福山城・二の丸石垣南面から伏見櫓



これはインパクトありますね~。
なんたって、現存櫓だからね。

 【伏見櫓(重要文化財)

  三階の隅櫓、本瓦葺。伏見城「松ノ丸ノ東やぐら」(梁の陰刻による)にあったものを

  ものである。伏見城の城郭建築の遺構としては稀有のもので、白壁三重の
  豪華な姿に桃山時代の気風がうかがわれる。】
  (リーフレット「福山城博物館」より)


え~・・・
福山城についてはあっさり進むかと思ってましたが、
結構現地で資料を買い込んでたので、それらを読んでたら
やはり色々書きたくなってきました(笑)。

という訳で、伏見櫓だけで書くことがいっぱいあります。


まず、この櫓は現存です。
昭和20年の空襲の際、天守は焼失しましたが
この伏見櫓とすぐ向かいにある筋鉄御門は難を逃れました。




福山・福山城・伏見櫓2



ずいぶんと色が違うものだな・・・

最初、空襲で焼けたから上部だけ補修したのかと思った。
でも、櫓本体が残ってるんだから石垣の上部だけ焼けるハズがない。

じゃあ何でこんなに色が違うのかと思ったら、

石垣の上に建物がある場合、石垣上部は建物で雨がかからない(から白い)けど、
下の部分は雨ざらしだからカビが生えやすいんだと。


まずは、外観から。


福山・福山城・伏見櫓



三層三重、総塗籠本瓦葺。
下(南側)から見るとスタイルがわかりにくいけど、
本丸の北側から見るとこうなる↓。


福山・福山城・本丸46・伏見櫓



望楼型じゃん!!
て建物と同じ高さから見て初めて気づく。
柱や長押(なげし)の形を見せ、垂木は正工法。
東西に平ぺったく、特に下から見上げるとヘタな天守よりずっしりとデカい。

初重は柱を見せる真壁造り・・・と思ったけど、なんか違うなあ。
天守の場合、最上階こそ真壁造りにするものらしいけど、
ここの3重は何もないのっぺらぼう。
妻壁には飾りも何もない。

遠目に見ると白亜の総塗籠ですごくカッコイイ建物に見えるけど、
意匠としてはやはり櫓レベルといったところ?

それに、初重は北面と南面で外観が違う。
本来、柱を見せる方が格が高いから、入口のある正面部分だけ
ちょっとハクを付けてるのだろーか・・・


あと、軒を支える方杖(ほうずえ)がやけに目につく(ピンクの矢印の短い柱)↓。
が、これは後世の補強によるものではないかと考えられているそうな。


福山・福山城・伏見櫓4-2


福山・福山城・伏見櫓3



まあ、なんであれ石垣も櫓もかなり立派なものです。

残念ながら、通常は非公開。
が、内部を写した写真を見ると、華麗な外観に比べ内部はやはり
間取りや特別な造作もなく、

やっぱ櫓~

といったシンプルなもの。
福山城においては、この櫓は武具倉庫として用いられていたようです。


二の丸南側石垣の下の解説にあったように、
水野氏が福山城主を務めるのは5代。

カッチン(水野勝成)から5代目の勝岑(かつみね)は生まれたその年に
4代目である父の逝去に伴い、生後6カ月にして家督を相続。
1歳2カ月で将軍に拝謁するため江戸に向かい、1ヵ月の長旅の間に病にかかり、
5月4日にどうにか将軍に拝謁はできたものの、
その翌日に死亡。

もう拝謁ってか、

「ウチの赤ちゃん見せに来ました~」

ってカンジだもんね。
かわいそすぎる

当然嗣子はおらんので、水野家は断絶となった。
お家断絶となれば、城を明け渡さなければならない。

知らせを受けた福山城下では、藩士は籠城を叫び、
領民までが押し寄せて幕府への抗議を求めた。
騒然とする中を、家老や目付が必死になってこれを抑え、
どうにか無血開城までこぎつけた。

明け渡しの時点で、倉庫としての伏見櫓に収められていたものは

 ・足軽具足150領、網代笠52。いずれも黒塗りで胴には丸に沢瀉、陣笠には
  裏永楽銭の水野家の家紋入り。

 ・鉄砲100挺、玉箱10荷、火縄箱10荷

 ・弓100挺、空穂(うつぼ)100腰。空穂は沢瀉紋入りの但馬塗。

 ・火矢2挺(500目筒+1,200目筒各1)

だったそうな。

平和な時代に入ってからの城でも、これだけの武具を備えてたんだね。
この他に、前回紹介した櫛形櫓・鑓櫓・鉄砲櫓にもそれぞれ備え付けの武器が
あったでしょうしね。




さて、伏見櫓の由来ですが、解説の通り伏見城からの移築とされます。
伏見城って言っても、ご存知の通り伏見城は1つじゃないけどね。
最初の秀吉の隠居屋敷および指月山伏見城は倒壊してるからもちろん違うし、
その後の木幡山伏見城は関ヶ原前哨戦の伏見城の戦いで炎上してるだろうしね。

まあ、伏見城の戦いで討死した兵の血痕が残るという
いわゆる「血天井」は三十三間堂そばの養源院に現存してて、
養源院のお兄ちゃんが棒で指しながら



って説明までしてくれたけどね。

血天井が残ってることを理由に、木幡山伏見城のすべてが焼失した訳ではないと
している方もおられるらしいけど、実のところあれが血痕だって
証明された訳じゃないみたいだね。

状況からいって、私はほとんど燃えただろうと思ってはいるけど、
仮に燃えなかった建物があったところで、同じ木幡山に伏見城を再建した時、
家康なら綺麗に破壊してるだろうと思うんだよね。

ので、当然「家康の木幡山伏見城」だよな~と思っていたら、
結構最近まで「秀吉の伏見城」という解説がなされていたらしい。
これはオドロキだったね。



で、福山城の築城にあたって幕府から絵図面割師と石垣奉行の派遣があったと
前回書きましたが、棟札から京の大工が天守の造営に関わっていたことがわかっていて、
あるいはこれも幕府による派遣の可能性もあると見ている方もおられる。

幕府の協力は人材面だけにとどまらない。
次は経済面。

小判12,600両、銀子380貫目の貸借を許可した。
城が完成するまでの間は、カッチンの参勤交代の江戸詰は免除され、
西国から幕府へ納められた年貢を鞆で受け取らせ、普請の助けとさせているそうな。

そして物資面。

カッチンが備後に入封した元和5年(1619)は
ちょうど家康の伏見城を廃城とする決定がなされた年だった。
ので、徳川秀忠は伏見城内の建造物などをカッチンに下賜することにした。

秀忠からもらった建物がこちら↓。


福山城復元図・白図(第4話)


大きな円は、本丸御殿です。

この他に、追手御門・多聞・廻塀180間・橋3基・能舞台と
かなりの大判振る舞いだった様子。
が、これらのほとんどは現在では失われている。


元禄6年の初めに取りかかった基礎の土木工事は、早くも年末にはほぼ完成した。
12月に普請が成った報告書が幕府に出され、あわせて秀忠へお礼言上したようで、
秀忠は黒印入りの返状を土井利勝に持たせている。

その後すぐ建築に取りかかり、元和8年8月28日、
カッチン自ら秀忠に拝謁の上、築城が完成したことを報告。
秀忠からは酒肴のもてなしを受け、什宝の茶碗を下賜されたほか、
同行した重臣にも金子と時服を賜るなど、
築城イベントは幕府の協力のもと、円満に終了した。



明治初期の廃城の過程はどこも胸が痛い話ばかりだけど、
福山城も廃城は免れなかった。

他の城と同じように競売にかけられたが、なかなか買い手がつかず、
小分けして値下げしてようやくちょぼちょぼ売れていくという状況だったらしい。

ところが、天守や伏見櫓は解体などにも費用や手間がかかるので、
叩き売りのような値段になってさえ最後まで買い手が付かなかった。

何が幸いするかわからないもので、誰も買わなかったおかげで伏見櫓は残った。



福山城跡を公園化して保存への道筋ができるまでは、実に様々な変遷があったらしい。
その間、売れ残った天守などの荒廃は進み、この状態を憂えた福山町会が
明治28年に保存会を結成。
寄付金をもって、天守や伏見櫓の修復がなされた。
昭和8年、伏見櫓を含む建造物3棟が国宝に指定(現在は重要文化財)。

それまでは、伏見櫓が伏見城の遺構であるということは
古文書などにしか書かれていなかったものが、
昭和28年の解体修理の際、「松ノ丸ノ東やぐら」と梁に彫られたものが発見され、
伝承が本物であることがようやく確かめられたんだそうな。

・・・写真で見ると、結構梁の目立つ場所にデカデカと書いてあるように
見えるんだけどね(笑)。
高い場所とかにあって、見えなかったのかな。

まあ、長い歴史の中でもほとんど使われなかった櫓だしね。

「伏見城の遺構」といわれるものはやたらあるけど、
伏見櫓については伏見城からの移築であることが確実視されている。


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最終更新日  2013年07月06日 22時07分56秒


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