戦国ジジイ・りりのブログ

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2013年07月04日
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カテゴリ: 城(中国)
それから、確かこれは筋鉄御門の真下から天井を写した写真↓。


福山・福山城・本丸・筋鉄御門16・天井



チョ~個人的な見解で非常に申し訳ないとは思うのですが、
今回の旅において、公的機関の提供する歴史・史跡情報というのは
私は得るところが少なかった。

そのかわり、郷土史を研究する「備陽史探訪の会」およびその会員様が
惜しみなくネットなどで情報を提供してくれていたので、
これはホントにありがたかったし、色々な面でお世話になった。

で、「備陽史探訪の会」で筋鉄御門の内部の見学会をしたことがあったそうで、

それによると、櫓部分の床板は薄い板敷1枚・・・
一度に大勢の人が乗ると危険なため、公開されないようだとある。


ええええ~・・・・・

当初からそういう仕様だったのかはわからないけど、
つまりそれって、せっかくの櫓門だとゆーのに耐荷重の関係で
正面からの攻撃はあんまりできないってこと?

まあ、筋鉄御門と伏見櫓は多門櫓で連結されていたようだけど、
具足付ければ1人あたりの重量は増えるし、
清州城で短い火縄銃を持った時ってすごく重かったから、
そういうアイテムの重量を差し引くと櫓に入れる人数はさらに減るし・・・

肝心の櫓門に人があまり入れないようじゃ


オイオイ・・・
見かけは立派だけど、構造的に扉の強度も怪しいし、
本丸の正門がそんなんで大丈夫なのかあ~?

と前回に引き続きツッコミが止まりません



さて・・・筋鉄御門で重要なファクターといえば、


徳川秀忠にもらったといわれる建造物の中には、
鉄の門は確かに書かれてます。

が、私が知る限り古文書の中での記載は「鉄御門」または「鉄門」。
「筋鉄御門」という名称はない。
けど、現時点での公的な説明としては筋鉄御門が拝領の品だと説明される。

ただね、「鉄御門」は追手門の中の門として
筋鉄御門とは別にちゃんとあるんだよね。


福山城復元図・白図(6話)



今回、福山城博物館で買った資料の中に「新版福山城」という小冊子があって、
129ページの中に福山城の歴史などがぎっちり詰まっている本なので、
福山城シリーズを書くにあたって大変参考にさせていただいてるんだけど、
その中では筋鉄御門のことを「伏見城からの移建と伝えている」とあるのに、
鉄御門の項では「伏見城から拝領した楼門」とある。

どっちの門なんじゃい・・・
とツッコミを入れたくなるが、鉄御門の方では

 【伏見城移建はこの城門で、現存の筋鉄御門は元和創建であるとする説も出ている。】

と補足がある。


どちらが正しいのかはわからないけど、
筋鉄御門は明治29年に大修理、昭和26年からは解体修理が行われているのに、
伏見城からの移築を示す棟札や墨書などは見つかっていないらしい。

ま、元和年間なら築城当初からあった訳だし、
伏見城からの移築じゃないからといって
この立派な櫓門の価値が落ちる訳じゃないけどね。


上で紹介した、筋鉄御門の内部を見学した方の話によると、
結構古材も使われていたとのこと。
福山城の石垣は神辺城から持ってきた石材も多く含まれてるようだから、
神辺城ほかからの木材の転用も当然あるだろうし、
個人的にはカッチン(水野勝成)が造った門のような気もするな~。

ただ、その場合でも棟札がないのが気になるところだけど。




んじゃ、外観の続き。
石垣との接続部分↓。


福山・福山城・本丸・筋鉄御門6-2



マルで囲ったのは乳金具(ちちかなぐ)といい、
扉に打ち付けた金具を受ける金具の出っ張りを隠すもの。
この写真にはペットボトルは置いてないけど、かなり巨乳だから
扉は相当重そうだな~と思った。
筋状であっても、鉄張りだからね。



福山・福山城・本丸・筋鉄御門8



↑上層の渡櫓部分の床は門よりも少し前面に張り出し、風雨よけとする。
で、この飛び出た部分が石落としの役目も持つらしいんだけど・・・
これ、床張ってる?(笑)
部分的に外せるようになってたりするのかな?


控柱とかんぬき↓。
結構扉、薄い?
至近距離で抱え大筒とか使った場合、
どの程度までこれで耐えられるものなんだろう。


福山・福山城・本丸・筋鉄御門10



反対の扉の裏には、外された古い脇戸らしいものがあった↓。


福山・福山城・本丸・筋鉄御門12


この扉の裏っちょは狭かったんだけど、
でも刻印付きの石があった


福山・福山城・本丸・筋鉄御門13



アラ?
ちょっと、この辺の石ってば、はつってる?


福山・福山城・本丸・筋鉄御門14



「はつり」ってのは、石の表面にノミを点々と打ちつけて、
表面を綺麗に仕上げたものをいいます。
狭かったけど、もぐってよかったカモ・・・


出ようとした時、人の気配がした。
まさかこんなとこに人がもぐってるなんて思わないでしょうから、
驚かせちゃいかんな~と思って咳払いをして存在をアピールしてから出たのに、
やっぱり外にいたお兄さんに驚かれた(笑)。

いちおう、気を遣ったんだけど・・・


門の真下から内部を見たとこ↓。
大きい門でしょお~。


福山・福山城・本丸・筋鉄御門15



これを抜けるといよいよ本丸。
遠くに天守が見える↓。


福山・福山城・本丸・筋鉄御門17から本丸



本丸側から筋鉄御門を見たところ↓。


福山・福山城・本丸・筋鉄御門20・内側から


福山・福山城・本丸・筋鉄御門19



柱形・長押形を出し、屋根にはシャチを載せて格を高める。
軒丸瓦は、ここも沢瀉(おもだか)。
瓦は葺き替えられてる可能性が高いから、
当初からこの姿だったのかはわからない。



筋鉄御門のすぐ外、右手はこうなっている↓。
(縄張図では水色の場所)


福山・福山城・本丸・筋鉄御門18から本丸


福山・福山城・本丸南側土塀4



ここはかつて筋鉄御門に連結する渡櫓があった場所で、
番所が置かれていたともいう。
今あるのは、それを摸して復元したものと思われる。
ご覧の通り、壁しかないし(笑)。

ここからは、下の南側帯郭がよく見える↓。


福山・福山城・本丸南側土塀から下段



ちょっと木がジャマだけど、位置的にかつてはこの正面に
櫛形櫓・鑓櫓・鉄砲櫓が団子三兄弟のように見えてたはずだし、



福山・福山城・本丸南側土塀から下段2



↑この写真の左下奥には鉄御門と、内堀を挟んでさらに南にある
追手門あたりがよく見えただろうと思われる。
縄張図と見比べながらかつての外観を妄想しつつ、
福山城の大きさを感じてみてください。



しばらく下を眺めた後で次へ行こうと身体の向きを変えたら、
なんかすごい光景が目に入った↓。


福山・福山城・本丸南側土塀2



うおっ、なんだこの木・・・
真横から見たらこんなんなってた↓。


福山・福山城・本丸南側土塀3


幹が結構太いから、この場所から建物が撤去されて久しいのかとも思ったが、
障害物がなければおそらくこの松は真っ直ぐ空に向かって伸びてたハズ・・・
一体いつから生えてた松なんだろう。

正直言って、福山市の史跡整備やその他歴史関連の姿勢については
現時点では私はあまり好きじゃないんだけど、
復元にあたってこんな邪魔っけな場所にある松を大事に残したことは
賞賛に値する(←ちょっと大げさ)。



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最終更新日  2013年07月06日 16時12分18秒


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