戦国ジジイ・りりのブログ

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2013年07月07日
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カテゴリ: 城(中国)
徳川秀忠から拝領したという建造物の中には、能舞台もある。

私の手元にある本丸御殿の平面図は
福山城博物館企画展「福山城展-城郭と城下町-」の図録に
掲載されているものしかないんだけど、
とにかく小さくて文字はあまり読めない。

ホントは図書館にも寄りたかったんだけど、
時間がなくて行かれなかったからなあ・・・
図書館だったら、もう少し大きな絵図がゲットできたかもなあ・・・


そもそもこの「福山城本丸御殿指図」がいつ描かれたものかの解説も


ただ、鞆の沼名前神社にある能舞台が、伏見城にあった組立式のものを
福山に移し、カッチン(水野勝成)の死後、万治年間(1658~1661)に
沼名前神社に寄進されたといわれてるようなので、
「福山城本丸御殿指図」はそれ以降に描かれたものなのかもしれないな。

でもきっと、寄進される前は城内にあったのだろう。

一般的には、能舞台・茶室・風呂屋のリラクゼーション施設は
中奥に付随するものなので、おそらく書院の近くにあったものと思われる。
ちなみに、カッチンは結構能が好きだったらしい。


さて、前回から表向・中奥・奥向とつらつら書いてきましたが、
奥向の東側には、近い方から居間・料理間・台所と続く。
ここまでで、天守郭を除く現在の本丸の敷地内の南半分を占める。


当時の流行りモノのあれこれをカッチンも愛好していた様子が窺われる。

残りの北半分の敷地にも建物群が連なってはいるが、
こちらは「女の園」。
三村元親の妹でありカッチンの正室であるお珊も、
このエリアに住んでいた。




藩政の中心だったのが、時代が下ると二の丸などにその機能が移されてるようだけど、
ここ福山城の本丸御殿も初代・カッチンは住んでたものの、
2代・勝俊が当時の二の丸に御殿を築き移ったといわれる。

が、前回リンクを貼らせていただいた「備陽史探訪の会」様の
『ぶら探訪 その九』の最後のページでこの件について触れられていて、
それによると古い文献には3代・勝貞があらたに御殿を建てたと
はっきり書いてあるのに、なぜか後の時代に書かれた文献の記述
(=2代目が二の丸に御殿を築いた)の方が優勢になっているという。

自分で史料を検証した訳ではないので、ここではこれ以上書きませんが、
『ぶら探訪 その九』の最後の文章が非常に印象的です。

「現在の福山城を楽しみたい」という方はさらりと流していただいて構いませんが、
「福山城をきちんと知りたい」と思われる方には
非常に参考になる資料だと思います。
(「備陽史探訪の会」様の『ぶら探訪 その九』へのリンクは上に貼ってあります。
前回の記事と同じリンク先です。)



で、上記リンク先には「備陽六郡志」の記述も載っていますが、
それによると奥御居間・奥御台所・御居長局は享保15年(1730)に
江戸へ移されたとあり、下台所はそれ以前に解体されていたらしい。

特別な儀式などでしか使われなくなったので、
奥向などは荒廃もしただろうし、実際表向きさえあれば後期には用は足りたのだろう。

明治に入って御殿は切り売りされて、ひとつの建物を残して解体された。
この時売られていった用材を使って建てたという家が、
「新版福山城」発行の時点では残っていたらしい。
現在でもそれらの家が残っているのかはわかりませんが。





御殿本体についてはここまで。
次は、御殿の附属施設であり城内でのひとつの見どころとなっている
建物をご紹介しましょう。


福山城復元図・白図(8話)



福山・福山城・本丸・御湯殿6



この建物は、御殿に足を踏み入れるとすぐ脇に目につくものですが、
まず私は


福山・福山城・本丸・御湯殿2



こっちに目が釘付けになった(笑)。
だってここ寺じゃないし、城内だし~!
まさかここでお目にかかれるとはね

いや、再開の喜びはともかく。


 【湯殿

  京都、伏見城内にあった御殿とともに移築した建物で、国宝に指定されていたが、
  昭和20年(1945)の戦災により焼失した。昭和41年(1966)に
  内外ともに復原したものである。】
  (現地解説より。漢数字は戦国ジジイが変換)


明治期の本丸御殿の解体の際、ひとつだけ残されたのがこの建物です。 
ここにある意匠を見て、復元とはいえこれが伏見城にあったのかあ~と
喜んで写真を撮ってました↓。


福山・福山城・本丸・御湯殿3



福山・福山城・本丸・御湯殿8


伏見櫓や鉄の御門では




とツッコミを入れていたにも関わらず、
頭の悪いわたくしはこの紋にたぶらかされて、喜んで写真を撮ってました。



さて・・・わたくしのテンションが低いのにお気づきの方もおられると思いますが、
この建物も「難あり」です。

まず、建物の名称。
今回の記事のサブタイトルは「御風呂屋」なのに、解説では「湯殿」とある。

福山城の訪城記ではほとんど「御湯殿」と紹介されるし、
リーフレットなどの公的な案内でも「御湯殿」と書かれる。

が、「福山城本丸御殿指図」では「風呂屋」とあるし、
文献では「御風呂屋」と書かれる・・・


歴史の好きな皆様ならとうに御存知でしょうが、
「風呂」と「湯殿」は違います。
「湯殿」は今でいう風呂だけど、「風呂」はサウナにあたるんです。

本丸御殿には、別に「湯殿」もちゃんとあります。
(「備陽史探訪の会」様の「ぶら探訪 その九」で公開している図面が
見やすくておススメです。リンクは こちら )


お湯に浸かるというスタイルがいつ頃から定着したのかは定かでないらしく、
カッチンの築城当初から「湯殿」があったのかはわからないけど、
御殿内に「湯殿」ができてからは、
ちゃんと「風呂」と「湯殿」の言葉を使い分けてたことが文献や絵図から窺われます。

なので、ここは歴史的には「御風呂屋」が正しいと思われます。
現在の福山城跡では「御湯殿」がほとんど固有名詞のようになっちゃってますが、
あえて正しい方の名称をサブタイトルとしました。



福山城博物館のリーフレットの方では

 【京都伏見城内にあった豊臣秀吉の居館を移した伏見御殿に付随した建物で、
  (中略)建築の一部は石垣上に張り出し、内部は物見の段と風呂の間とに
  わかれていた。(中略)天守閣とともに外装、内部ともに復原されたものである。
  現在は貸会場として利用されている。】

との説明で、ばっちり秀吉の伏見城からの移築だとしている。
だから、桐紋なんでしょう。

きっちり復元した風呂場を、貸会場にね・・・
ちなみに、私が行った日はこんなんやってました↓。


福山・福山城・本丸・御湯殿5-2



催し物のない日は内部見学できるのかは知りません。
が、なんか違和感ばかりが増えてゆく・・・
ここまでにもどうもスッキリしないことも色々あったしな。

それでちょっと調べてみたところ、「備後歴史探訪倶楽部」様のサイトで
写真と絵図を使って検証されているページを見つけた。
(備後歴史探訪倶楽部「御湯殿の変遷について」へのリンクは こちら )

こちらによると、どうやら明治以前にも改修されていたようで、
明治に入ってからは一時期料亭(!!)として使用されていたらしく、
その時にも改修があったのではないかと推測しておられる。

そして、現在の「御湯殿」はその明治の改修後のものとも
外観が違っていると・・・


厳密には「摸擬」あるいは「復興」と使うべきところでも、
私もまとめて「復元」で済ませてることが多いのであまり人の事は言えないんだけど、
「内外ともに復原しました」とあれば、たいていの人は
「昔あった建物を、内部も外観もそっくり再現したんだな」
って思うんじゃないかな。

まあ、内部は自分の目で見てないから何とも言えない部分もあるけど、
上記リンク先の記事では内部を覗いてがっかりしたと言っておられる。


「なんで全然違うものなんか造ったんだよ~!」

なんて言うつもりはもちろんない。

史跡に対する考え方も当時と今では違うだろうし、
その他現実的な諸問題なんかも色々あっただろう。

でも、違うなら違うって言えばいいのに。
なんでわざわざ「内外ともに」まで言っちゃう?

これは本当にがっかりでした。
昔のままの建物じゃないからって訳ではなく、
ありのままのことを伝えてくれないことが。

その場でそう言ってくれれば、こちらもそのつもりで見るのに、
後から知るとガッカリ感も倍増ってゆーか・・・・・



ガッカリな事ばっかり書いてもこちらも気が滅入るので(笑)、
最後に南側下段から見た御風呂屋をご紹介しましょう↓。


福山・福山城・二の丸21・御湯殿下



こうやってガケなどにムリムリに造るのを「懸造」(かけづくり)といいます。
日本一有名な懸造は、そりゃ清水の舞台でしょう。

ああ、コワイ・・・
なんでこんなとこに造るんだろ?(←高所恐怖症)

ちなみに、ホントの風呂場部分はちゃんと地上にあって、
その隣の「御物見の段」とよばれる3段の座敷部分のいちばん南側が
飛び出てるようです。

この飛び出た「上段の間」は、サウナで汗をかいた後に
眼下の眺望を楽しみながら涼んだといわれてるようですが・・・

こんなとこで涼んでたら危ないよ、カッチン!!


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最終更新日  2013年07月07日 23時31分49秒


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