戦国ジジイ・りりのブログ

戦国ジジイ・りりのブログ

2013年07月22日
XML
カテゴリ: 城(中国)
鐘櫓の自動鐘撞きシステムは、午前6時・正午・午後6時・夜10時の4回
時を告げると解説板に書いてある。

まだ15:00だからあと1時間あるな・・・
どんな音か聞いてみたかったけど、待ってられないわ。

鐘櫓の南には伏見櫓があり、これで現在の本丸域の周縁部をほぼ回ったことになる。
ここまで立ちっぱなしでちょっと疲れたので、
伏見櫓前の石垣に腰掛けて鐘櫓を眺めながらおやつタイム。



福山城復元図・白図(15話)



福山・福山城・本丸44・鐘櫓





いちおう鐘櫓は空襲で焼失しなかったので、現存櫓ということになります。
が、ここの石垣綺麗じゃない・・・ 
それに、最上層も不思議な造りになっている。

近代の絵図では、鐘櫓は独立した2層の櫓のように描かれている。
けど、前回書いたように元は多門櫓の上に載せられた望楼のようなものであり、
「備陽六郡志」では「鐘櫓」ではなく、「鐘撞堂」としている。


ちなみに、現在二の丸とよばれる下段の北側から鐘櫓を見るとこうなる↓。


福山・福山城・二の丸7・鐘櫓



こっちから見ると、確かに多門が折れた場所に望楼が載ってるような造りには
なってるよな・・・
けど、近代の絵図からすると、廃城になった時点でおそらく多門は取っ払われて



「福山城(偕楽園)並びに勇鷹神社絵図」では、鐘櫓は鐘が吊るされてる絵が
描かれている。

単に鐘櫓ってのを強調したかっただけかもしれないけど、
鐘と太鼓で重要な合図を送るのに、現在のような構造ってどうなんだろ?
って気もするので、解説文からすると何となく旧状を復元したかのような

外観はここも往時を再現したものではないのかもしれない。


それから、解説板では築城当初からあったような書き方になっているものの、
「備後歴史探訪倶楽部」様の解説ページでは、
初期の絵図には鐘楼が描かれていないこと、すぐ脇の本丸御殿で
藩主が寝起きしてるのにこんな場所で鐘を鳴らすのは考えにくいこと、を理由に
居館が三の丸に移されて以降のものではないかと推測しておられる。

う~ん、言われてみれば確かにそうだよな・・・

「備陽史探訪の会」様の 「ぶら探訪 その九」 には
「備陽六郡志」以前に書かれた「福山領分語伝記」を抜粋して掲載されてるけど、
そこには「鐘櫓」も「鐘撞堂」も書かれてないしな・・・


ひとまず鐘櫓の外観に話を戻すと、
廃城後、建物の基礎部分は残ったけども鐘撞き係のおうちのようにまで改修されて
ほとんど原形をとどめない形状になってしまい、
昭和後期になって外観は摸擬復元、多門の切れはしもあわせて摸擬で造って、
石垣も修復した・・・

大ざっぱな言い方をすると、そんな感じなのかな。


だからと言って、別に価値がないと言ってる訳じゃないですよ。
そんな変遷を経てまでよく残ったよな~って、逆に感動すら覚えます(笑)。


で、上の写真で手前側にあたる多門は縄張図22の火打櫓へとつながっていた。
火打櫓は伏見城から拝領と伝えられる。
が、拝領についての記述のある文献は1つだけなので、
移築説は信憑性が低いと考えられているらしい。



火打櫓からも南へまた多門がつながっている。
そこから現在二の丸と呼ばれる下段を見下ろしたところ↓。


福山・福山城・本丸45・鐘櫓から西帯曲輪門付近



おお、少し基壇も残ってるカンジだな・・・
この下段も、私には結構萌えスポットなんですよ♪

同じあたりの場所から、 伏見櫓 の西面を見たところ↓。


福山・福山城・本丸47・伏見櫓西面



で、伏見櫓の北面↓。


福山・福山城・本丸46・伏見櫓



この辺はご覧のように工事用スコーンが置かれてたり、
柵で囲ってあったりと少々行動も制限されたけど、
内側の石組はよく残ってるんじゃないかな。


伏見櫓東面から筋鉄御門を見たところ↓。
筋鉄御門を破って押し入ろうとする敵に背後から攻撃を仕掛けて、
ここでバッタバッタと討ち取らねばなりません。


福山・福山城・本丸49・筋鉄御門



伏見櫓からはまた多門がつながって、筋鉄御門でゴール。

鏡櫓の先からは本丸御殿経由で天守へ向かっちゃったので、
現在本丸と呼ばれるエリアの東北部分はちょっと抜けてるけど、
ほぼ外周を回りました。

で、筋鉄御門を抜けて今度は下段を回ります。



まずは西側へ。
伏見櫓を見上げたところ↓。


福山・福山城・二の丸1・伏見櫓を西側から



ここから見ると石垣も高いし、壮観!の一言。

で、23を入っていくと現在二の丸と呼ばれるエリアなんだけど、その前に。


福山・福山城・二の丸16・西坂口門付近から東側



23を通り越した奥から大手方面を見たところ。
このあたりが西坂口御門のあった場所。

この辺はあまり往時の姿をとどめてないらしく、
縄張図を見ててもなんだかよくわからなかった・・・
ちょっと先まで坂を降りてもみたけど、荒れてる箇所もあったし
私のノルマは上の郭なのですぐ引き返してきた。


福山・福山城・二の丸17・神辺一番櫓



↑ここが坂上の脇のスペース。
縄張図と見比べると、この奥のあたりに神辺一番櫓があったと思われる。

はい、その名の通りこれも神辺城からの移築といわれてるものです。
西側から見た古写真には、伏見櫓の右手に神辺一番櫓と思われる
塗籠三層で黒っぽい瓦葺の櫓が写っている。
ここには寺社方の帳簿が収められていたんだそうな。


現在二の丸と呼ばれる郭・・・ああめんどくさい、
もうここからは「本丸下段」で通しますのでご了承ください。

これから回る本丸下段にも櫓がいくつかありますが、
このエリアは確か「ナントカ櫓跡」って看板は一切なかったように思う。
もちろん、神辺一番櫓跡推定地にもそんなものはなかった。
遺構らしきものもほとんどない。

でも、神辺城にあったかもしれない建物がここにあった、
って想像(妄想)するだけで、テンションが上がる(笑)。

てことで、本丸下段エリアは本丸上段の石垣が目を楽しませてくれますが、
外側の櫓跡の類は全然ビジュアル系じゃないので、
ただ萌えヂカラだけが頼りです。



25の西坂口御門からは東に渡櫓が延び、伏見櫓の北側の石垣へ達していた。
その渡櫓の中間に門があり、この門を通って本丸下段へ入っていく構造だったらしい。

入った後で振り返ったところ↓。


福山・福山城・二の丸2・西帯曲輪門



本丸上段の石垣に接する部分は、少し盛り上がっている。
あれ、これって・・・
で、少し離れたところから見てみた↓。


福山・福山城・二の丸8・西帯曲輪門を北側から



おお、門っぽくなってるな。
ただ、これが当時のままなのかはわからないけど。
というのも、ここから少し先のあたりは近代になってから改変されてるようなんでね。

して、この写真の左部分あたりにかつて神辺二番櫓があったと思われます↓。


福山・福山城・二の丸9・神辺二番櫓付近



私にとって萌え~なこの場所、実は最初入った時は棗御門で出くわした
例のチャイナガール3人組が1人ずつ地べたに座り込んで
完全にモデル気分でえんえん撮影をしていたので、イラッときた。

一般の観光客にとっては本丸上段に比べて見どころの少ないはずのこの下段まで
ガイジンが歩いてくれるのは嬉しいことだと思いながらも、


だいたい、そんな地べたにべた~っと座り込んで、
お洋服が汚れますよ・・・」


と心の中でぶつくさ言いながらここの撮影を後回しにした経緯がある。


まあ、半年以上経った今ではこれも旅の思い出だな。
旅から帰った直後にこの記事を書いてたら、
絶対もっと悪態並べてたと思うけど(←要するに、現地では相当怒っていた)。


にほんブログ村 歴史ブログ 地方・郷土史へ
にほんブログ村





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2013年07月22日 23時37分04秒


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

PR

×

キーワードサーチ

▼キーワード検索

プロフィール

りりじい

りりじい

カレンダー

コメント新着

王島将春@ Re:浅草&寛永寺法要編(8) 東国の成熟(01/08) はじめまして。福井市在住の王島将春(お…
よー子@ 墓参り2014(2) 慈眼寺~芥川龍之介と小林平八郎の墓(08/02) 前略 初めてお便りします。 質問ですが、…
伊藤友己@ Re:上野第三編(12) 寛永寺105/清水観音堂~越智松平の灯篭(06/20) 越智松平家が気になって詳しく拝見しまし…

サイド自由欄

よみがえる江戸城 [ 平井聖 ] 価格:2916円(税込、送料無料)






PVアクセスランキング にほんブログ村

© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: