戦国ジジイ・りりのブログ

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2013年07月27日
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昨日は仕事の帰り、図書館に行きました。
予約した本を受け取りついでに、見たい本もあったので。

柏市立図書館の本館は、水・木・金は19:00まで開館しているので、
仕事をしている人間にとってはこの夜間開館は非常にありがたいです。

震災の後しばらくは節電のため夜間開館は中止されてましたが、
最近になってようやく復活したので嬉しい限りです。
本館の蔵書は、やっぱり分館とは違うからね。


本館でのお目当ては、やはり古文書。
歴史を調べるにあたって欲しい本は沢山ありますが、

特に沢山ある軍記物の類なんかいちいち買ってたら大変です。

ので図書館に資料をゲットしに行く訳です。

たまに金曜日に

「今日は金曜だから小銭を沢山持ちました~」

てなツイートをすることがありますが、
たまったストレスを解消しにゲーセンに通ってる訳じゃありません。
(だいたい、ゲーセンなら両替機あるし)


19:00まで開いてると言っても、仕事の帰りに寄って
該当ページを探してそこから1枚1枚自分でコピーするとなると
あまり時間に余裕もないのですが、それでも1回50枚のコピーは下らないので、
100円玉を沢山用意していかねばなりません。




昨日はじめて徳川実紀デビューをした訳ですが、
これは歴代徳川将軍の治政の出来事を時系列に記した書。

何冊かに分かれてるんだけど、まず初代と3代目のあたりを見たかったので
手に取ろうとしたら、数冊ある中で1冊目と2冊目だけが
背表紙の色も違うし、小さなキズも沢山ついてて明らかに使いこまれてる感じ。


書架に並んでる本を見てまず笑えた。


徳川実紀は参考図書で貸出禁止なので、家に持って帰ってじっくり読む訳にはいかない。
ぱらっと見たけど、欲しいページを探し出すのは時間がかかりそうなので、
ある人物が実紀の中のどのページに登場するかを網羅した
便利な別冊を数ページコピーしただけにしておいた。

その後、どんな本があるか書架を眺めていたけど、
やはり江戸関係の濃い本は結構ある。

福山編の後は廿日市を後廻しにして上野編を書こうかな~と思っているので、
お江戸の資料集めモードに入りつつある私としては、
これは嬉しかった(←早速数枚コピーした)。



閉館時間が迫ってきたので、資料室を出て廊下に貼ってある
ポスターを眺めながら歩いていて、国立歴史民俗博物館のポスターが目に止まった。

【歴博映像フォーラム8 「石を切る-採石技術の伝統と革新-」】

来週の土曜日。場所は新宿。

ううう~、真夏の新宿とか、行きたくねえ・・・
でも面白そうなテーマだな・・・

事前申し込みが必要だとあるので、家に帰って調べてみたら
残念ながら定員に達したので申し込み終了とのことだった。

ああ、ざんね~ん。
しかし、スケジュールを見ると午前中から始まって
夕方までみっちりの内容。
まあ、ある意味行かれなくて良かったカモ(笑)。

普段、こういうのに参加しようという意欲がないので
情報を集めることはないのだけど、よく考えてみれば
国立博物館やその他私設博物館の類は都内に沢山あるんだから、
その気になりさえすれば結構こういうフォーラムとかには参加できるはずなんだよな。



その後、歴史関係の一般書架に移動した。
これまではあまりお江戸について勉強しようという気がなかったので
気が付かなかったけど、やはり参考図書棚と同じく
こちらも江戸関係の書籍は多い。

実は6月の頃、突然関東のとある古い町に行きたくなって
バタバタと資料集めをしていた。

その時は、図書館の分館を見てみたら、有名観光地ということもあって
やはり関連の書籍が多かった。

だいたい、歴史面に手を出すと事前の調べも後始末(←ブログ)も大変だから、
建築に だけ テーマを絞って建築 だけ を見に行こうと思っていたものの、
見るスポットが沢山あるから絞り込みをするには
どうしてもそこがどういう歴史を持つのかを見ない訳にはいかず、
調べ始めると中途半端に手を出すと後が大変だな~・・・

季節的・体力的な理由もあって、せめて広島関係の記事が終わってからにしようと
行くのを我慢してるんだけどね。

でも、やっぱり対象が関東だと沢山の情報が簡単に手に入るとわかったので、
わざわざヒコーキに乗って広島や山口くんだりまで通わなくても、
近くの史跡めぐりをすればいいんだよな~・・・
と思ったものです。


それで、本を立ち読みしてる時に仲の良い同僚に声をかけられて
おしゃべりなんかしてたので、あまり本を吟味できなかったんだけど、
ひとまず3冊ばかり借りてきました。

そのうちの1冊が「江戸八百八町に骨が舞う」(吉川弘文館)という本で、
タイトルが気になったので早速今日読んでみました。

著者の谷畑美帆氏は、主に江戸時代の墓から出土する古人骨などから、
その骨の持ち主の生前の健康状態を推測する古病理学の観察を続けておられる方だそうで、
実際に出土する骨のことなどが書かれていて興味深い。

実は書架には、同じような江戸期の骨がどーたらというタイトルの本が
数冊あった。
ホネ関係で私が借りたのはとりあえずこの1冊だったけど、
都内にはそんなに骨がごろごろしとるのか~と興味をそそられた。

ま、具体的なホネのことについてはここでは書きませんが、
読んでみると思ったほどホネの記述だけという訳でもなく、
割に雑多な内容も含まれていた。

たぶん、本格的なホネの記述になってしまうとシロートにはついていけないので、
骨の研究というよりは古病理学的観点に沿うと
こういう色んな内容になってくるんだろうな。

骨といえば、だいぶ以前、「徳川将軍家十五代のカルテ」(篠田達明・新潮新書)
という本を読んだことがある。

こちらはお医者さんの書いた本で、確か出土した将軍のホネから
より医学的な観点で書かれた内容が中心だった。

ホネ1つでも、見る立場によって結構記述が変わるもんだな~と思った。



で、「江戸八百八町に骨が舞う」の中で特に私の興味を引いた箇所が
いくつかあったので、備忘録がてらちょっとご紹介。


火事の多い江戸でも有名な「明暦の大火」については
「プチ巣鴨編(3)」 で簡単に書いてますが、
明暦の大火に関連する記述がいくつかあったのでね。

へえ、相変わらず火事に食いつく性分ですんません(笑)。

あ、「プチ巣鴨編」を書いてた頃は阿部氏に何の愛着もありませんでしたが、
福山城シリーズで阿部正弘について書いたばかりでもあり、
自分の明暦の大火の記事を読み返してみて、
老中・阿部忠秋の家が実際の火元だったカモという箇所を読んで

「この忠秋って、どの阿部さん!?」

って調べ直してしまった。

私の場合、人に関することは妙に偏執的な愛に基づく場合が多いので(笑)、
どうやら先日の記事をきっかけに阿部氏に関する興味が湧いてきたようです。

ま、何かに愛着を持てば色々調べようって気にもなるし、
そうやって少しづつでも覚えていけば色んなことがわかるようにもなるしね。


で、忠秋さんは傍系の阿部さんで正喬さんの御先祖にあたる人のようですね。
下野壬生藩主を務めたあと忍(おし)藩に転封になり、初代の忍藩主となった。

おなじみのウィキペディアでは

 【忠秋は「細川頼之以来の執権」と評せられ、責任感が強く、また、捨て子を
  何人も拾って育て、優秀な奉公人に育て上げた。子供の遊ぶ様子を見るのが、
  忠秋の楽しみであった。】

な~んて紹介されている。

多くの人材を抜擢した正弘さんとちょっとダブったので、
阿部さんちはこーゆー血筋なのかと思った。
いや、他の阿部さんはどうだか知りませんが。
これから勉強します


で、「江戸八百八町に骨が舞う」は汐留(東京都港区)の発掘中に
女性の人骨が見つかった話から始まる。

現在ではビルが林立する超現代的なこの汐留は、
近年までは都心には珍しい近世・近代の巨大な遺構が存在する場所だったそうな。

へええ~、汐留がねえ~。
全然知らなかったな・・・

しかし、考えてみれば近代の埋立以外の土地は「江戸」として
多くの諸大名・武士・町人がひしめきあっていたんだからね。
それも、新宿などの都心西部より江戸城を中心とする東部の方が栄えていたから、
当然っちゃ当然かもしれない。

で、「汐留」の地名からもわかるように、元はこの地は海沿いの湿地帯だった。
それを17世紀になって幕府が埋立てを始め、大名屋敷が置かれるようになり、
幕末の頃には龍野藩・脇坂家、仙台藩・伊達家、会津藩・保科家の
3つの大名屋敷があったという。

ところが、この3家は明暦の大火以前から汐留に下屋敷を持っていた。
明暦の大火後には屋敷地を海側へと拡張し、脇坂・伊達は汐留の下屋敷を
上屋敷に改めたんだそうな。

明暦の大火以後、道路が拡張されたり江戸の町の大改造が行われたってことは
知ってたけどね、具体的な内容についてはあまり知らなかったので、
へえええ~って面白かった。

他の江戸城郭内にあった大名家も、大火以降は郊外に移転し、
それに伴い町の開発が進められ、町人地も広がるようになったと。


もうひとつ、面白いと思ったのが食事に関するエピソード。

明暦の大火の被害は甚大だったために、焼失した家屋の再建も重労働だった。
ので、建築現場で働くあんちゃん達が


1日2食で足りっかよ~!!」


と言って日に3回食べ始めたのが1日3食の始まりといわれているらしい。
それが一般に広まるようになったのは、もう少し後の元禄頃。
いやはや、3度の食事の際は、明暦の大火をしのんでくださいね


明暦の大火以外にも火事の多かった江戸では、
大火が起こるたびに対策が立てられ、防火に備えた工夫がこらされた。

享保5年(1720)には、それまではゼイタクだとして
町人には禁止されていた瓦葺きや土蔵が防火のために解禁となる。

また、時代劇に見る長屋などは実にシンプルな造りだけど、
経済的事情からこうしたものしか造れなかったのではなく、
火事が多かったために焼失しても家主の経済的なダメージが少なくて済むように
簡素な造りとしたという側面もあるらしい。

そして、地下室が造られ、火事に備えてあらかじめ貴重品を
地下室に避難させておくことが多かったんだと。

これは知らなかったな~。
時代劇で、おかみさんがヘソクリを地下室から引っ張り出すシーンとか
出てこないもんね(笑)。

いやあ、百万都市・江戸は面白いッス


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最終更新日  2013年07月27日 23時36分04秒
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