戦国ジジイ・りりのブログ

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2013年09月18日
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カテゴリ: 城(中国)
平賀氏が神辺城攻めを引き継いでもなお神辺城は落ちませんでしたが、
天文18年(1549)7月3日、平賀隆宗は陣中で亡くなります。
死因は病気とされてます。

「頭崎城(11)」 を書いた時には平賀弘保・興貞・隆宗いずれも
生没年がわからなかったので、あれこれ計算をしてみましたが、
「山城攻城記」様のサイトにそれぞれの生没年が書いてあるのを見つけました。
それによると、

  弘保:1475~1558     
  興貞:1498~1552   


だそうで、これを基にすると隆宗の享年は25歳。
おお、私の計算、いいセンいってたじゃん
それに、興貞はやっぱり討死じゃなくて出家したってことになるよな。

天文18年時点では弘保は74歳か・・・
嫡男は当主の座を追われ出家、期待の孫には先立たれ、
ご老体にはさぞこたえたことだろう

弘保といえば、大内義隆が将軍・足利義晴から上洛の要請を受けた際、
義隆から

「一緒に行きましょうね」

ってお誘いを受けていたらしい。
それに対して弘保がお返事したのが天文7年だから、
ちょうど頭崎城攻めが激化した頃ですよ。


なんで隆宗の死後、あんな相続をさせたろう?
10年の間に何かが変わったのだろうか・・・(←しつこい)

隆宗の死後持ちあがった平賀家のあらたなトラブルについては
上記リンクを見ていただくとして、
隆宗の死で奮起した平賀家家臣団が頑張って


ここまで頑張ってもなかなか落ちなかった神辺城が、
なんでここに来て落ちるか?って疑問もあるけど、
隆宗の死を契機に援軍が来たかもしれないしな。

して、『大内氏実録』によると隆宗の死から2カ月後の9月4日夜、
神辺城主・山名理興は城を抜けて逃亡したとある。


9月8日には陶隆房から平賀弘保あてに、
隆宗のお悔やみを述べた上で、家督については神辺の件が落着してから
定めることに致しましょう、という内容の書状を送っている。

9月4日に理興が逃げたんなら、9月8日にはもう落着してるんじゃないの?
って思ったら、逃げただけで理興はまだ生きてるから、捜索が続けられたらしい。
で、そのために弘中君と青景君を投入したと『大内氏実録』は語る。
なら、理興が逃げた時点では大内軍はタッチしてなかったってことか・・・

翌月くらいには青景隆著が神辺城に入ることが決まったらしく、
11月には周辺国人へそのお知らせが行っている。

で、ここまでのところについて『新裁軍記』では、

 ・神辺城落城時に、他家の戦功が見られない。よってその時点では加勢はなかった。

 ・隆宗の跡目について願い出たのに、大内家では落城してから許すとしている。
  これは神辺城攻めが平賀氏のみに任されていたためで、隆宗の死亡時点では
  まだ城が落ちていなかったので「落城が先だ」とされた事を意味する。

 ・9月7日付けの毛利元就の書状に「神辺城は先日4日に落ちたらしい。理興が
  逃亡したというのが本当なら、知らせを寄越すように」とあることから、
  元就が帰って以降に落城の噂を耳にしたことを表し、これも平賀氏が単独で
  城を落としたと見ることができる。

 ・ただし、毛利軍の帰陣がいつかは判然としない。が、4月16日の合戦の感状が
  あることから、4月から5月の間に帰ったものと思われる。他の諸将の帰陣も
  同じ時期であろう。


とまとめている。
あっ、そう・・・
平賀氏単独ですか・・・
まあ、当主の死に打ちひしがれてるところに

「城を落としたら家督を考えてやるよ」

な~んて言われた日にゃあ、

「こなくそ!!」

って感じにもなるかもね

っと、陶隆房はこの時点ですでに打倒義隆の準備を進めていた可能性があるので、
隆宗の跡目に隆保を送り込んだことは、
案外来るべきその日に向けてついでに「平賀つぶし」を目論んだ隆房が
義隆にうまいこと言って仕向けたって推論がちょっと頭をかすめたんだけど、
どうでしょうね。

でも義隆寄りの子を入れたところで、隆房の戦力になる訳じゃないし、
隆房にはなんのメリットもないな・・・
やっぱ違うか




さて、城が落ちるところまで書きましたが、
落城に関する隆宗のエピソードを『陰徳太平記』からまたご紹介しましょう。
もうツッコミどころ満載の愉快で怪しげな話ですが、
なんせわたくし、隆宗ファンなもので・・・
そしてこれが、隆宗最後の武勇伝になります。



『陰徳太平記』巻18「備後国神辺の城明け渡す 附目黒最後の事」

  平賀、山名とも「今日こそは!」と思いながらも早くも3度の正月を迎え、
  城はいっこうに落ちる気配もない。もはや天運に任すのみと心に定めた隆宗は、
  理興に使いを出した。

  「これまで戦ってもまだ決着もつかず、兵はある者は討たれ、ある者は傷つき、
   このままじゃぁいたずらに兵も民も苦しめるだけじゃ。
   わしゃぁ運を星に任せ、貴殿の矢を2本受けることにしたんじゃ。

   矢が当たりゃぁわしの運が尽きたと諦めよう。
   が、もし外れたら速やかに貴殿が城を出るっちゅうなぁどうじゃ?」


  これを聞いた理興は、

  「ふん・・・ワシの弓の腕は古の弓の名人にも劣らぬものだぞ。
   たとえ蚊のまつ毛、蟻の眼であろうと、見えさえすれば射あててやる!」


  と喜んで隆宗の申し出を受けた。 

  時は天文19年10月13日、隆宗・理興は供も連れず2人きりで
  城の尾崎で会った。

  隆宗は床几に腰掛け、九字・護身法を行って「弓は当たらない」と念じて待つ様は
  まさに的のようであった。
  理興は弓弦を湿らせて矢を2本取り、隆宗に相対して矢をつがえ、

  「さあ、どこに射ようか?
   どこでも望みの所に当ててやるぞ」


  と隆宗に問いかけると、隆宗は扇で自分の胸板をほとほとと叩き、

  「ここじゃここじゃ。
   わしの胸で受け止めて、貴殿の弓勢と鏃(やじり)がどれほど鍛えられてるか
   試しちゃろう」


  とにっこり笑って立ち上がった。
  いくら兵の命と引きかえとはいえ、中国無双の手練の矢、
  1本どころか2本受けようという隆宗の度胸こそ大胆不敵。

  宵のほどは北風が雲を帯び、月は少し暗かったが、この時は時雨の後で
  空は晴れ渡り、寒月は殊の外澄み渡っていて木の影に遮られることもなく
  白昼よりもよく見えるほどだった。

  まして隆宗の身に着けているのは鎧も兜も金箔縅(おどし)。月の光に輝いて
  射外すはずもない。理興が引き絞って放った矢は弦音高く飛んでいき、
  確かに手応えはあった。

  「当たったであろう」

  と理興が問いかけると、隆宗は少しも騒がずからからと笑い、

  「長の籠城で弓の腕も落ちたかの。だいぶ低かったぞ。
   日頃は1~2町の中じゃぁ獣でも鳥でも10のうち8・9は射ると
   聞いとったんじゃがの。
   それが、1町の中に立つ人間をこうも見事に外すたぁな」


   と言い放った。
   実は一の矢は隆宗の太腹を打っていたのだが、隆宗は名うての剛の者であったので、
   二の矢を当てさせないためにこう言ったのだった。理興は

  「えっ、マジ?低かった?」

  と真に受けて、二の矢を高めに放ったので、矢は隆宗の肩すれすれに越していき、
  後ろにある石に当たった。石は火花を散らし、鏃は砕けて飛び散った。
  隆宗は2mほど動いてそれをよけ、

  「さあ、約束通り城を明け渡してもらおうかの」

  と理興に迫った。
  誓約は金石よりも固いもの。理興は城内を綺麗に掃除して、約束通り
  城を隆宗に渡し、自身は尼子を頼って出雲へと落ちていった・・・。



この話はまだ続きがありますが、都合により一旦ストップです。

サギ師・隆宗の最後の雄姿はいかがでしたでしょうか?

蚊にはまつ毛ないし、どんなに明るい月夜でも昼間よりよく見えるはずがないし、
だいいち石に当たれば火花が飛んで鏃が砕けるほどの弓の勢いなら、
それをお腹に受けて瞬間的にでも絶対体は動くはずだし、
も~う上の文章を書くのにツッコミまで書くのをどれだけこらえたか・・・
でも、私はこのエピソード、隆宗がカッコよくて大好きです。

隆宗に広島弁を使わせるべきか悩んだけど、
ニヒルな世界を味わいたい方は
隆宗のセリフを標準語時代劇調に直してお読み下さい(笑)。


ウィキペディアでは『陰徳太平記』を物語としては不人気だったとしているけど、
ホントかなあ?
読んでて面白いと思うし、これなら一般ウケするんじゃないかと思うけど。

ただ、史料でウラが取れてる部分もある反面、
明らかに史実と相違すると思われる点も多分に含まれてます。

上の話でいえば、隆宗と理興の対決は天文19年10月13日としているけど、
実際には天文18年に青景隆著が神辺城を任されたという書状が存在するので、
間違いと言っていいでしょう。

ツッコミ大魔王・『新裁軍記』では落城の日付は9月4日に間違いないとした上で、

「平賀隆宗は神辺城落城以前に死亡している。
その証拠に陶隆房が『家督については神辺一着以後に定める』
としており、死後もしばらく落城していなかったといえる。

つまり、隆宗の生前に運の矢で城を落としたなどとは
とんでもない話で、陰徳は妄説だと知れる。」


と非常に憤慨した様子で、一刀両断どころじゃないくらい
バッサリ切っている

ハハハ・・・・
まあ、あんたが正しいとは思うけどさ~、
そこまでズバズバ言わなくたって・・・(笑)。


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最終更新日  2013年09月18日 21時32分45秒


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