戦国ジジイ・りりのブログ

戦国ジジイ・りりのブログ

2013年09月19日
XML
カテゴリ: 城(中国)
神辺城の落城まで来まして、まだ話は続きますが、


現地に行ったのは福山の方が先ですが、
新高山城シリーズを書いてる時は当事者近辺の流れを追うのに必死で、
神辺合戦から読み取れることがあるとは思ってなかったのでね。

それに、書いてるうちに新たな視点が湧いてくることも、
考えがまとまることもあります。

まあ、我ながらしつこいな~とは思いますが、
たぶん自分で納得いく答えが見つかるまでこの先もずっと考え続けるのでしょう。




書いた時点での疑問点や状況をあれこれ書き出しましたが、
おさらいしたい方は 「新高山城(4)」 以降を見ていただくとして、
ざっと当時の内容をまとめますと、まず通説は


  沼田家では天文11年、当主の正平が月山富田城の退却戦において討死。
  長男の繁平が1歳で家督を継いだ。

  繁平は幼少、かつ病弱であり、天文13年頃には病気のため失明。
  尼子方による攻勢が強まる中で、沼田家家中からは竹原家当主・隆景を
  当主に望む声が上がり、隆景と繁平の妹を娶合わせて、天文19年
  隆景が沼田本家も継承。ここに、竹原家と沼田家は統一されることとなった。

  隆景が沼田本家を相続する際には、隆景の当主擁立に反対する家臣もいたが、



で、客観的に見て動かない状況は

・前当主・繁平は高山城とは別の場所にいて、帰りたがっていた。
・繁平は元服後に出家した。
・天文17年頃には、庶家の乃美氏から乃美大方が毛利元就に嫁いでいる。
・隆景の相続には乃美氏が貢献している。



2番目の繁平が元服後に出家したというのは私の推測ですが、
「新高山城(6)」 に書いたような状況から
ここに含めても差し支えないと自分では思ってます。

ちなみに、「新高山城(6)」の中でちょろっと出した
なかなか落ちなかった備後の城というのは、もちろん神辺城を指します。

そして、これまでの記事でのジジイの推定は

・田坂義詮の没年は、居城・稲村山の落城と同時、もしくはその直前か直後で、
 天文16年と思われる。
・隆景を高山城に送る以前に、元就は家中の反対派を片付けていると思われる。
・乃美隆興は大内義隆の偏緯を受けたのか?
・乃美大方の嫁入りは同盟の証、もしくは人質に近い存在かもしれない。



え~と、まず乃美さんから行こうかな。

本シリーズに入って安芸の流れも見ているうちに、
やけに乃美さんちが存在感あるな~と思った。

例えば、 「神辺城(3)」 に書いた、天文12年6月の尼子方による
椋梨領攻め。

椋梨氏は新荘系小早川氏の本家だから、史料に名前こそ現れないものの、
周辺の新荘系庶家も応援に駆け付けただろう。
なのに、援護してくれた元就の奮戦を報告したのは椋梨と乃美だった。

椋梨氏はいいのよ。
当事者だし、本家だし。
が、なんで乃美氏まで・・・

乃美氏には古い乃美さんと新しい乃美さんがいることを
「高山城(19)」 に書きましたが、ここでいう乃美さんは新しい方。

新・乃美氏の祖は11代・煕平の次男で、12代・敬平の弟にあたる。
つまり、庶家の中では惣領家当主に血が近い。
加えて、敬平のあと扶平・興平・正平はいずれも若くして亡くなった。
こうしたことから、創設当時から新・乃美氏の発言力は結構あったのかもしれない。


神辺合戦では、坪生要害を落とした時に乃美宗勝が感状を受けている。
(  「神辺城(9)」 をご覧ください)

宗勝は実は浦家の人間だから、海上からの支援が小早川氏の役割だったなら、
そう不思議なところはない・・・
が、宗勝の父・賢勝の代から乃美を名乗っているところが気になる。
あるいは、賢勝が継いでからの浦家は
乃美の分家的な感じだったかもしれないという想像が頭をかすめた。

まあ、神辺合戦中には浦家以外の庶家も参加してるだろうから
私の考えすぎかもしれないけど、坪生要害攻め(天文16年)が始まる頃には
浦家を含む乃美一族による隆景へのバックアップ体制が整っていた可能性も
あるんじゃないだろうか。

ただ、水軍を隆景が率いるのはいいとして、陸からの応援もあるだろ~。
幼主・繁平を補佐していたフシのある椋梨盛平なら、
本荘と新荘の陸軍を率いるのに不足はないとも思えるんだけどね。
けど、それを示す史料は今のところ見当たらない。


そういえば、推定の中で乃美隆興の「隆」は大内義隆の偏諱を受けたんじゃないかと
書いたけど(  「新高山城(5)」 をご覧ください)、
どうも通常のルールでは陪臣には偏諱は行わないらしい。

じゃあ、偶然?
にしても、初めから「隆興」だったならまだわかるけど、
元々「公平」と名乗っていたんであれば、
途中から「隆」の字を使った名前に変えるのは不自然。

でもでも、偏諱のルールが邪魔をするう~・・・
もし隆興が義隆から偏諱を受けたんであれば二階級特進以上の掟破りだから、
それこそ抜群の功労でもなきゃあり得ない・・・



沼田家相続のひとつの大きなカギは、何と言っても繁平の拘束にあると私は思う。

拘束の理由としては繁平が尼子方に通じたからだと一般的にいわれており、
それが本当だったなら神辺城を中心とする備後戦線と
関連が深いんじゃないだろうかと思って、
月山富田城遠征後の安芸と備後の流れを書きながら、
平行して繁平の拘束時期についても考えてみた。

持ち前のしつこさで相当色んな事を考えたんだけど、
それらを断片的に書きつづっても意味不明な文章になるし、
その都度メモをしていた訳でもないのでもうその全ては思い出せない(笑)。

が、新たに推測したところをまとめてみますと、
少なくとも繁平の拘束時期は父・正平が亡くなった天文11年(1542)から
隆景が沼田家を相続するまでの天文19年(1550)に絞られる。

まあ、隆景の相続時期そのものもはっきりしてないんだけど、
ここではひとまず一般的に言われる天文19年としておきましょう。
それから、拘束の理由が尼子への内通だとした場合の推測になりますので
ご了承ください。


ここまでの神辺合戦の流れの中から窺える尼子方の接近時期は2回。
月山富田城攻めの直後、天文12~13年頃が1回目。
次が天文16年。(⇒ 「神辺城(10)」 を参照)
実際はもっとあるかもしれないけど、手持ちの史料から確認できるのはこれだけ。



<その1:天文12~13年説>

この時期には小早川領が攻撃を受けているし、
尼子方は力攻めだけではなく調略も行っていた可能性は十分にある。

もちろん、繁平はまだ1~2歳だから繁平本人の内通ではなく、
尼子寄りの家臣にそういう動きがあったってことで、
家臣も共に拘束されたかもしれない。
頭崎城攻めの終盤までは、小早川家も尼子方だったんだしね。

天文8年の尼子方への陣替えの時の城代は田坂氏で、
この方はまず田坂義詮の一族だろうから、田坂氏が尼子寄りだった可能性はある。
(田坂さんについては 「新高山城(9)」 をご覧ください)

そして、田坂義詮は繁平の後見人を務めていたとされる人。

昔のことを持ち出して難癖つけられたというより、
ホントに尼子方と誼を通じて拘束されたのかもしれないな・・・と
神辺合戦を書きながら思った。

しかし、まだ幼くて明らかに罪のない繁平を拘束することに
一体何の意味があるんだろう、という疑問が残る。



<その2:天文16年説>

周囲の状況から考えると、こちらの方が本命に近い。
この時期は色んな出来事が重なるのだ。

まず、国境まで尼子兵が来ていたことが小原隆言の書状からわかる。
(上記リンク「神辺城(10」を参照ください)

この書状の中で「調略」という言葉が使われているのは
「神辺城(10)」に書いた通りだけど、
最初私は大内方が尼子方を調略したのかと思っていた。

が、尼子方による大内方の調略とも読めるのか・・・
それに対して毛利隆元が出張っていって、事なきを得たのかもしれない。
そして、調略のターゲットには小早川氏も入っていたかもしれない・・・

この年の4月には坪生要害を落とし、神辺城攻めも本格化した頃。
こんな時期に小早川氏が再び尼子方に転じたとしたら、
もう山名理興討伐どころじゃなくなる。


「新高山城(6)」 で毛利元就から椋梨盛平あての書状を
私の超アヤシイ訳で紹介しましたが、この書状から繁平の件については
弘中君と小原君が実権を握っていたことがうかがわれる。

弘中君は何度も紹介してる通り、東西条代官であり安芸との関わりも長く深いので、
弘中君から時期を絞るのは難しい。
が、小原君は私の手持ちの史料だと天文16年以前に
安芸・備後戦線に関わった形跡が見られない。

だからと言って、帰城交渉を始めた時期にたまたま小原君がいただけかもしれないし、
確実な証拠にはならない。
が、私の知る限りでは小原君が安芸・備後に関わったのは
神辺合戦が激化した天文16年(1547)~天文18年(1549)頃。
ひとまず、小原君が安芸・備後にいた頃にはまだ繁平は拘束されていたと
見ていいだろう。


そして、天文16年は田坂義詮の居城・稲村山城が落城したといわれている年でもある。
同じ天文16年の坪生要害攻めからは、乃美宗勝が隆景をしっかりサポートしている。
あ~んど、乃美大方も天文17年頃に毛利家に嫁に行っている・・・


にほんブログ村 歴史ブログ 地方・郷土史へ
にほんブログ村





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2013年09月21日 15時27分48秒


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

PR

×

キーワードサーチ

▼キーワード検索

プロフィール

りりじい

りりじい

カレンダー

コメント新着

王島将春@ Re:浅草&寛永寺法要編(8) 東国の成熟(01/08) はじめまして。福井市在住の王島将春(お…
よー子@ 墓参り2014(2) 慈眼寺~芥川龍之介と小林平八郎の墓(08/02) 前略 初めてお便りします。 質問ですが、…
伊藤友己@ Re:上野第三編(12) 寛永寺105/清水観音堂~越智松平の灯篭(06/20) 越智松平家が気になって詳しく拝見しまし…

サイド自由欄

よみがえる江戸城 [ 平井聖 ] 価格:2916円(税込、送料無料)






PVアクセスランキング にほんブログ村

© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: