戦国ジジイ・りりのブログ

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2013年09月21日
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カテゴリ: 城(中国)
前回がキリが良かったので相続イベントの話はあれで終わりにしようとも思いましたが、
次にいつこの話を書けるかわからないので、もうちょっとだけ。


『陰徳太平記』については、以前は読むつもりはありませんでした。
が、この書から多くの通説が生まれ、また引用などもされているようなので
やはり何がどんな風に書かれているのか把握しておく必要があると思い直し、
最近になって手に入れました。

で、相続イベントについてはこんな風になっていたので、
『陰徳太平記』からざっとご紹介します。



『陰徳太平記』巻16「小早川系譜 附隆景小早川相続の事」


  嫡子又鶴丸繁平は幼少の時から3年眼病を患って手を尽くしても治らず、
  小早川家は断絶の危機に瀕した。

  このため、一族の乃美安芸守・梨羽中務少輔・椋梨次郎左衛門・小泉助兵衛らが
  協議し、繁平が両眼を失明してしまったので一族の中から当主にふさわしい者を
  選んで本家を相続させようということになったが、その任に堪える者がいなかった。

  世間の情勢を見れば、諸国では将も士も自立の道を目指して離合集散を繰り返し、
  合戦は止むことを知らない。こうした中で智勇文武に優れた名将は毛利元就を
  おいて他になく、いずれは中国を支配して諸将の上に立つべき人物である。

  彼の子息を養子として家系を継がせれば、先祖をよく顕し、子孫は繁栄するだろうと
  衆議が一致して元就に申し入れを行ったところ、公は「それは喜ばしいことだ」

  こととなった。

  又鶴丸は盲目ではあったけれど、心までは暗くない。しかし、現世においては
  暗黒よりも暗い世界を歩んでいかなければならないことを悲しみ、
  遠くの山を照らす月の彼方にある世界に生まれ変わる願いを持って
  やがて剃髪して墨染の衣をまとい、教真寺という山寺で修行をして


  出家してからの繁平は朝に夕に修行に励んだので、和尚も繁平を導くことに
  心を砕いた。
  ある夜半、カラスの一声を聞いて繁平は悟りを得た。
  法号を一林院文室元緒居士という。

  田坂全慶・羽倉の某などは

「たとえ盲目であったとしても、繁平こそ主と仰ぐべきである。
   それが叶わないのなら、一門の中から家督を継がせれば当家の血脈は
   絶えずに済むものを、他氏の人間をわざわざ入れて血脈を絶えさせることは
   合点がいかぬ。」

  とこぼしていたが、隆景がこれを伝え聞いてことごとく首を刎ねた。



『陰徳太平記』が様々な通説を生み出しているらしいことは
知っていたけど、実際自分で読んでみると、

「隆景のおかしな通説を生んだのは
オマエか~~~!!」


って吠えたくなりましたね。

いや、これもう丸々現代でも通説として語られてるんだけど。
最後の「隆景がことごとく首を刎ねさせた」なんて言い回しも、
ふっつ~に使われてるしね。

これを覆すだけの明確な史料がほとんどない現在の状況では、
嘘っぱちと攻撃する訳にはいかない。

が、稲村山城の落城が天文16年で正しければ、上の文章には矛盾がある。
だって、隆景の相続は天文19年頃とされているから。

もし稲村山城落城の年代と上の文章のどちらも正しければ、
隆景の沼田家相続は天文16年1月以前ということになるか、
あるいは稲村山城が天文16年に落ちた後も田坂義詮(全慶)は生きていて、
天文19年以降に殺されたかのどちらかになる・・・
けど、どちらも苦しいと私は思う。


それと、『新裁軍記』では徳寿丸が竹原家を継いだ事を取り上げて、
例によって「諸軍記では何も書かれてないんだけどさ~」と書き出している。

私はそちらを先に読んだので、ウソでしょ~?って思ったけど、
確かに『陰徳太平記』の中では毛利家からそのまま養子になったような記述になっていて、
竹原のことは完全にすっ飛ばされてる


まあ、そうは言っても私は『陰徳太平記』を頭っから全否定してる訳じゃないですよ。
たとえば繁平の入った教真寺については相変わらずナゾなので、
上の文章で教真寺を「山寺」としていることには興味をそそられますね。
当時の寺は多くが山の中にあったとは思うけどね。


さて、相続イベントはここまでです。
新高山城シリーズを書いた時には、まとまらない材料をそのまま書いたので
あんな記述になって心苦しく思っていましたが、
当時自分が何を考えていたか振り返れたし、
その後で神辺合戦を書いたことで現実的背景からそこそこ流れをまとめられたので、
福山編を後回しにしてよかったと今は思います。

て、別に計画的だった訳でもないんだけど。
いいんです、人生何事も結果オーライです



それでは大変お待たせいたしました。
「神辺城(14)」 で城と命をかけたもののふの真剣勝負において、
平賀隆宗が一世一代の大ペテンで山名理興から神辺城を奪った話の続きを、
ふたたび『陰徳太平記』からご紹介します。


『陰徳太平記』巻18「備後の国神辺城明け渡す 附目黒最後の事」

  山名理興が神辺城を明け渡したことを夢にも知らない尼子晴久は、
  神辺城の苦戦を聞いて

  「今こ~を見捨てたら、備州の味方はくじけてしま~だら~」

  と目黒新右衛門秋光に足軽500を付けて神辺城の援軍に送り出すことにした。
  目黒がかしこまって申すには、

  「備後へ着いたらかの城を固く守って平賀なんか追い崩す~。
   その上で近郷の衆を当家へ取り込もうと思っちょ~ます。
   そ~ができん時は、二度と雲州へ戻~事はねわ。」


  と大きく出て一旦自宅へ戻り、妻子に最後の暇乞いをした後で、尼子兵500の
  先頭に立って備後は神辺城を目指した。
  その途中で城を退去した山名理興とばったり会ったので、目黒は大いに驚き、

  「ど、どうしたんかいね!
   何で城を出てきちょったのかいね!?」


  と理興に問いただすと、理興は例の平賀隆宗との対決を説明した。
  目黒はこれを聞いてすこぶる怒り出し、

 「兵は詭(いつわり)の道であるとは、
   古今の武士の誰んもが知っちょ~ことだ。
   だけん、弁慶が五戒を受け~時、
   『妄語戒と申すは、嘘を言わぬ戒のことのようだ。
    人を害するほどの時は、嘘を言わずにはかなわないことも
    きっとあるだろう。仏の仰せも納得がいかないので、
    妄語戒も保たないだろう。』
   と言ったんだないか。

   はかりごとを帷幄のうちにめぐらす時は
   偽言妄語も恥ずべきものではね。
   いかに平賀と固く約束したからてていって、
   おめおめと城を渡す奴があ~か!

   も~、信じられん!
   あり得んだども!!」

  と理興に悪態をつきまくったが、理興は

  「それがしもそれは存じておるが、天神地祇に誓っての約束だったので、
   天の照覧も恐ろしく思って、このように城を明け渡してきたのだ・・・」


  と涙ながらに語った。目黒は

 「御辺(ごへん)がこげして下城してきちょったからには、こ~から神辺へ行って
   平賀と合戦したとこめがで、もはい利を失っちょ~し、いたずらに多くの兵に
   損失を出すだけで、晴久には何の得にもならん。

   かてていって、このままえんだ(帰った)のでは晴久の御前で大見栄きった言葉が
   嘘になってしま~。
   この上は、引き連れてきちょった足軽をこのまま帰し、それがしは神辺へ向かい
   平賀に検使を1人頼んで自害す~よ。」


  と言って、連れてきた500の兵を理興に付けて出雲へ帰し、自身は単身神辺へ
  向かって平賀に用向きを伝えた。隆宗は目黒の話を聞くと、

  「あわれ義士かの。
   あたら兵(つわもん)の自害することの不憫さじゃのぉ」


  と感涙の涙を流し、検使として坂新五左衛門を遣わしてやった。

  目黒は近くの禅寺に入り、仏前に向かい香を焚き三拝してすっと庭へ躍り出て、
  立ったまま刀を抜き、「君と一言の約に因りて臣が百年の齢を誤る」と
  白居易の詩を口ずさみ、腹を十文字にかき切った。その後、膝をついて

  「これ撃ってごしなはい(撃ってください)」

  と坂に声をかけて斬らせた。

  隆宗は目黒の遺体を丁重に取り扱い、首を故郷へ送ってやった。
  晴久は一部始終を聞いて、

  「つわものを無駄な事で失ってしま~なんてて、
   何ともつま~への(残念だ)」


  と目黒の死をはなはだ惜しみ、息子2人を召し出して、目黒の家は小身だからと
  目賀田の家を継がせ、200貫ずつの所領をあてがってやった。
  これが目賀田采女清直、目賀田段右衛門政則で、いずれも父に劣らぬ勇者であった。



わたくしにはとても出雲弁なぞ使えませんので、
尼子晴久と目黒氏のセリフ部分は方言変換サイトにお世話になりました。

ただ、変換できない言葉じりがある一方で、
あまりにローカルな言葉に変換されてしまう部分もあって、
やむなく一部注釈を入れるに至りました
出雲弁、面白すぎ・・・じゃのぉて!

晴久が援軍を出したというのはホントなんだろうか?
話の上では天文19年の出来事になると思うけど、
実際に神辺城が落城した天文18年に読み換えたとして、
その時期にも尼子のサポートがあったんだとしたら、興味深い。

てか、落城前に目黒軍が到着してたら、さらに戦は長引いたかもしれない。
平賀軍はあぶないところだったね。

この話はまた後で出てきますので、
目黒氏のことを覚えていてくださいね


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最終更新日  2013年09月22日 08時15分28秒


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