戦国ジジイ・りりのブログ

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2014年02月20日
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カテゴリ: 上野と寛永寺
前回のアマテラス説は、「天照」の名が浮かんだ後に
『神君家康の誕生』で読んでいた天照大神の扱われ方を思い返して、
大した扱いを受けていなかった時期があったのなら
天照の名の一部を貸してやることに抵抗感はなかった可能性もあるし、
それだったら別にムリムリな話でもないよな・・・
って妙に自分の中で納得してしまいましたが、そこまで行きつくのに5分かかってない(笑)。

ので、別にアマテラス説を力説する訳でもないんですが、
時間をかけてなくて教義による裏付けもないからといって
そんなに悪い推測でもないだろうと1日経った今日でも思ってます。



提示された幕府・・・というか天海の方では、4つの中から選ぶにあたって
当然一番見栄え良く納得させられる神号とするために、
山王一実神道の教義と照らし合わせる(悪く言えばどうにかこじつける)
作業が行われただろう。

そういう点では、先人が色々研究されておられるように
天台や山王一実神道の難しい内容が神号に反映されているということに
反論の余地はない。

ただ、選んだ側から見た場合でもアマテラス説の裏付けと言ってもいいんじゃないか、
と思える部分もある。
なんと天照大神は、日本天台宗の開祖・最澄から「治国利民法」なるものを
授けられたというのだ。




また、同じ内容のものでもタイトルが違っているものもあり、
ちらりと説明を読んでるだけじゃ何がなんだかわからない

まあ、知りたいとは思っても本気で覚えようと思ってないから
頭に入らないんだと思うけど(笑)、いくつかある中でも天海の撰による『東照社縁起』、
さらにその中で最初に成立して当初は続編の刊行の予定のなかったであろう

それだけ天海のもっとも主張したいことが凝縮されているのだろう、と曽根原氏は語る。

して、天海は家康を権現とするにあたり何を言いたかったのか、
『神君家康の誕生』の解説から『真名縁起』の内容と特色をごくごく簡単に紹介しますと、


 ・天海は家康を武将として描かず、宗教者的な存在としての造形を試みている。

 ・ある日、家康は酒宴の席で近くの庵から聞こえてきた読経の声に無常を感じる。
  あれこれ考えて仏教の多様性に思い至った家康は、各宗派から僧侶や学者を招き
  論議を催す。

 ・叡山の僧侶が「王法繁昌」には天台宗の教えが最適だと説明。興味を持った家康は
  さらに叡山の守護神・山王権現の神道と叡山に伝わる治国利民法について知り、
  「王法相承」のためには天台宗が最も適していることを理解する。

 ・天海の言葉として、家康の徳の高さを称え、その遺命に従い山王神道を守るべきことが
  述べられる。


だいたい、こんな感じになるようです。

「治国利民法」「王法繁昌」「王法相承」など何やら難しげな言葉がいっぱい出てきますが、
大ざっぱに言って漢字から普通に読み取れるそのまんまのものだと
思っていいと思います。

もちろん、本来的には経典などの典拠があるもののようだけど、
ここではそこまで触れません。
要するに、

「現在の政権をより繁栄させ、それを子孫まで伝えるためには天台宗、
および天台の神道である山王一実神道が最適であるということを家康公は知り、
納得された。
だから、その遺志に従い山王一実神道を守るべきなのだ。」


と天海は『真名縁起』の中で主張しているようです。
しかも、現実には徳川家は浄土宗に帰依していたにも関わらず、縁起の中では
死後の成仏だけを願うのではなく、むしろ現世利益を願う天台宗的な信仰者として
描かれているらしい。

もう少し、重要な部分を見てみましょう。


仏教にも色々あると知った家康は、論議を通じて自分に一番ぴったり来る教えを求め、
天台の神道に出会った。
以下は天台の僧と家康との会話です。


 「城に4つの入口があっても、中に入れば同じ場所に着きます。
  仏教も同じで、様々な教えがあっても最後は共通の悟りに至るのです。
  それが、天台宗の神道です。」


 「へ~、その辺をもうちょっと詳しく・・・」

 「叡山は国家を守る霊場です。古い本には、霊山の聴衆の中には桓武天皇がおり、
  伝教大師(最澄)もいました。2人は日本を救うという約束をして、
  1人は天皇に生まれ変わり政治を担当し、もう1人は僧侶に生まれ変わって
  仏教を担当するという記述があるんです。」


 「へ~、それでそれで?
  何で2人はあの時代を選んで生まれ変わったの?」


 「古い予言書には、百代目の王の時に子孫が絶えて猿や犬のような輩が英雄を
  称するだろう、と書かれています。一般にはそれは後円融天皇の時代と考えられて
  いますが、実は光仁天皇の時代のことなんです。
  だから、その時代に桓武天皇と伝教大師が現れたんです。」



桓武天皇と最澄は、前世ではインドの霊鷲山でブッダの説法を聞いた仏弟子で、
法華経の教えを実現するために政治と宗教を分担して、
助け合って日本の地を救おうという約束をした、という話のようです。

さて、生まれ変わった最澄さんはある時、叡山に入りました。
東から峰を越えて岩場に入ったところで、身長3m、
頭に光を背負った妙な人に出会います。

 「誰だ、お前?
  ここは前世での善行で煩悩を断ちきった者だけが来るところだぞ。
  とっとと帰れよ!」


 「え!い、いや、私は前世でブッダの説法を聞いた者で、
  悟りの世界からこの世界へ降りて布教しようと思って来たまでで・・・
  ところで、そういうあなたはどなたさんで?」


 「私は山王権現だ。エッヘン
  日本の神で、陰となり陽となり一定せず、おのずから存在している。
  心は自在で、この世に教えを広めている。
  仏の道を究め、国を守る強い心を持つのだ。
  この世界はすべて自分の所有物だし、その中に住む者たちは皆私の子なのだ。」


 「ハア、そうですか・・・」


これは法華経の引用によるもので、山王権現の言葉は釈迦の言葉として書かれているそうな。
つまりは山王権現イコール釈迦ということになり、山王が他の神と異なる
最高神であるという指摘がされているとある。
山王権現とは、中世の天台教団において叡山の鎮守である日吉神社の神を
こう呼んだものらしい。

縁起では続いて、山王権現の教えについて語られる。
その中でメインとなったのが、冒頭で書いた天照大神が最澄から授けられたという
「治国利民法」について。

 【「治国利民法」とは、中世の天台宗で作り出された概念である。古代インドでは、
  四つの大海の清浄な水を頭に注ぐことで、国王は世界の支配者となる力を得ると
  考えられていた。その思想が仏教に取り入れられ、高僧から象徴的な形態で秘法を
  授けられることにより、国王ははじめて支配者の資格を得るという観念が生じた。

  (中略)中世天台宗の中で、治国利民という<王>の行為は、何より仏教の力を
  必要としていると主張された。(中略)天皇が日本を支配する正当性は、しばしば
  日本神話に淵源するといわれる。(中略)天皇家が地上の正統な支配者である理由を、
  神孫にあることに求めたのである。

  しかし中世の宗教世界では、神孫である正統性を相対化する動きが見られ、儒教的な
  徳治主義、仏教的な転輪聖王観などが広がりを見せた。治国利民法の概念は、仏教の
  力によって支配の正統性を得るという主張を内包している。

  『東照社縁起』はそうした中世思想の伝統に立つ。その端的な現れが、アマテラスは
  最澄から秘伝を受けたという記述である。(中略)日本を支配する正統性は、神の子孫
  であることではなく、山王権現の神道、すなわち天台仏教の力にあるということになる。
  また、山王権現の教えの特色は聖界と俗界の一元的把握にあるのだから、宗教的な徳を
  持つ者が、政治支配を行うべきという理屈になる。

  家康神格化の論理によれば、家康の子孫や天皇家には、強力して治国の実現をはかる
  ことが求められていくだろう。ちょうど最澄と桓武天皇が、仏教の精神に基づき
  協力して救済を実現したと記されたように。】
  (『神君家康の誕生』より)


長い引用で恐縮です

『真名縁起』上巻が成立したのは、寛永13年(1636)。
権現号の選定からはだいぶ後の話になる。

曽根原氏の解説によると、経典などの知識がないと正しく内容を読み取れないそうで、
天海は自慢の天海蔵にあるたくさんの書物と首っ引きでこれを編纂したかもしれない。
が、細かい内容はだいぶ後になってから考えられたものだろうけど、
縁起の骨子は当初から天海の中にあり、それを最初は秀忠の御前で、
ついでまろ軍団を相手に展開していったんじゃないだろうか。

ただ、全部をストレートに語ると

「あずまえびすが、
なんてナマイキな事を言うでおじゃるか!!」


とまろ軍団の反感を買うかもしれない。
どこからどこまでが後付けの理論なのかもわからないし。

でもあるいは最澄と桓武天皇の伝承を控えめに持ち出して、

「山王権現の教えに納得された家康公を権現として祀ることで、
かの伝教大師と桓武天皇の先例にならい、
今後は帝を補佐して国を守ってゆくのです」


な~んて語ったかもしれないな。
これは言いようによっては、危険な側面も持つけどね。
ヘタな言い方をすると、逆に警戒されちゃうだろうし。


言うまでもないですが、これは現実のことを記したものではなく、
東照大権現の縁起譚です。
ただ、論議を催したという実際の出来事も含まれてはいるけど。

だから、「天照大神が最澄から秘法を授けられたなんて、バカなことを・・・」
ってツッコミ入れちゃいけませんよ。
これは天台で語られていた伝承や教義を基に、権現にこじつけ・・・あやや、
祀り上げるための天海の論理だからね。

ただ、中世以前のアマテラスの扱われ方などが窺われて、
実に興味深い内容ではある。


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最終更新日  2014年07月28日 21時32分59秒


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