戦国ジジイ・りりのブログ

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2014年02月24日
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カテゴリ: 上野と寛永寺
2代将軍・秀忠が元和3年(1617)に完成させた東照社は、
秀忠の死の2年後に3代将軍・家光によって現在の建物群へ建て替えられた(寛永の大造替)。


最初に秀忠が建てた東照社は、質素なものだった。
ま、遺言ではいちおう「小さな堂を建てて勧請」だったしね。
それに、最終的に天下を手にしたものの、家康は苦労人でケチ・・・あやや、
質素をモットーとしていた。

前田利常が若い頃、江戸城に人質のような立場で詰めていて、
家康に会う機会もあった。
ある時、寒い廊下で平伏して家康のお通りを待っていると声を掛けられた。

足袋も履かずにいた家康の足はヒビワレ・アカギレだらけで血がにじんでいたなんて
エピソードがある。

そんな父をこよなく尊敬していた秀忠もまた、父の真似っこをしただろう。
秀忠が臨終の直前には、自分の葬儀は倹約を徹底すること、
位牌以外は一切新調してはならないということを命じたという。
だから、秀忠が東照社をそこそこ質素に抑えたのも無理のない話だといえる。


それを、家光はごっそり派手な建物に造り変えた。
このあたり、家光が秀忠を嫌っていたとする証拠だとよく言われる。

ただね、 「上野第二編(17)」 でも書いたように、
自分のやり方をためらわず変えていけという秀忠の遺言もある。

思ってなかったでしょうけど(笑)。

あと、何で読んだんだか忘れちゃったんだけど、家光の弟の忠長が
お江の霊廟だか何かをすごく派手なものにしちゃったとかいう話もあったな~。
だから日光の方も豪華にせざるを得なくなったとかなんとか。


ですが、ここまで書いてきた今となっては、別の推測も浮んできます。

アンタ、派手好きでしょ!?


何度も家康を夢に見てはその姿をいちいち絵師に描かせたりという
異常なほどの祖父への崇敬も手伝ってるでしょう。

が、これは天海が念入りに仕込んだ成果なんじゃないかと私は思うのだ。
前回、

  【だから、自分と天台のために日光遷座を計画したという面も
   確かにあるんだろうとは思います。
   ただ、その比率はそう高くはないんじゃないかと思うけど。】

としましたが、自分と天台のためだけに家康(のホネ)をゲットしたんであれば、
別に社殿を建て替える必要なんかない。


最初に言えよ、天海!


ってエコな私は文句を言いたくなります。

もちろん、天海が反対しても家康様サマの家光が強引にやりきったって可能性もあるけど、
天海の遺言そのものに「東照大権現の神威を増すこと」という項目が含まれている。

しかも、天海が死んだのは寛永20年(1643)。
その前年には大造替の造営奉行を務めた秋元泰朝から造替の決算書が提出されている。
つまり、工事はもう終わっている。
どころか、リニューアルオープンした新社殿への遷宮は天海が祭祀を取り仕切っている。
当然、どんだけ派手になったか天海は知っている。

それでもなおかつ、死ぬ前に「神威を増すようにしてね」と言い置いた。
天台の権勢を保つためという解釈もできるけど、
それにしてもちょっと度が過ぎてね?


だから私は、日光遷座の折りに天海の中に不純な動機もあったかもしれないけど、
その割合というのはかなり低く、天海はやはり純粋に家康の遺志を遂行したのであって、
自分の死後も引き続き東照大権現の権威をゆめ落としてくれるな、
と家光にバトンタッチしたんじゃないかと思う。

天海からすれば、自分を引き立ててくれた家康への恩義は並々ならぬものがあったろう。

家康の死後、秀忠・家光という個性豊かな将軍たちを見続けてきた天海は、
自分や家康が苦労して生き抜いてきた時代が日ごとに遠ざかっていくのも
ひしひしと感じていただろうし、時にはひそかに家康と比較することもあっただろう。

徳川政権は葵三代で完成を見た。
家光がどこまで政治に関与したかは見解の分かれるところだし、
私は家光とその両親との確執の通説には懐疑的なんだけど、
それでも家光はクセのある性格でやたらプライドだけは高く、
危うい一面があったろうとは思っている。

天海もその辺はよく理解していただろうし、
「戦争を知らない子供たち」が増えていく中で、
東照大権現様の権威をより高めることで幕府の屋台骨をしっかりさせていく必要性を
感じたかもしれない。


まあ、あくまで想像の域を出ませんけどね。
けど、 「上野第二編(15)」 で『寛永寺』にピックアップされている
天海の功績の12の項目をタイトルだけ紹介しましたが、
もちろん東照宮創設もそのひとつに入っている。

家康を権現に仕立てて、特別な神として祀り上げた功績は非常に大きい。
権現に至るまでの経緯はもちろんのこと、それを引き継ぐ後継者(家光)も育てた。
これだけのことを成し遂げるには、たった1人の老僧のちっぽけな野心が発端というだけでは
ちょっと説明が付かない。



さて、東照大権現顕彰の弟子・家光はどんな対応をしたか。

まずは寛永の大造替。
家光は工事にあたり、金に糸目は付けなかったという。

上の方で秋元泰朝が決算書を提出したことを書いたけど、

 【これによれば泰朝等は寛永12年に金56万8千両(但し小判、内2千両は一分銀)
  および銀百貫目を与次右衛門と市兵衛より受取り、また米千石を幕府の御庫より受取り、
  これが日光東照宮造営の全費用であった。この造営帳発見によって幕府が天下の
  300諸候に命じて大いに金銀を献ぜしめ、これを造営費用にあて、諸候を疲弊
  せしめて反乱を不可能ならしめたという俗説は誤りであることが明らかになった。】
  (『家光時代の経済生活と倹約思想』/安藤良平より)

なんだそうな。
つまり、全部国庫から出したっていうんだよね。

ただし、造って終わりじゃない。
家光はしげしげと日光社参に向かうし、社殿の維持・管理にも費用がかかるので、
幕府の財政にも影を落としただろうと安藤氏は語る。


派手に散財をしたことなども家康と比較されがちな家光だけど、
安藤氏の論文を読むとただの浪費家という訳でもなく、
祖父や父の方針とは全く異なるものの、彼には彼なりの経済感覚もあったらしい。

多少の脚色を含んでいるであろう様々なエピソードを紹介したいところだけど、
ちょっと長くなりそうなので今回は割愛します・・・が、
私が気に入ったエピソードをひとつだけ。


家光の代、寛永15年~17年にかけては倹約が奨励され、
これは沢庵に影響を受けたものではないかと辻善之助博士は推定しておられるそうな。
で、辻博士はとある史料からこんな話を紹介している。

 【毛利秀元、林道春、阿部対馬守というような人が皆城中に弁当を自分で携えてくる。
  所が或時毛利の弁当に塩鮭があった。それは珍しいといって皆でわけて食べた。
  或は阿部対馬守が焼飯を紙に包んで持ってきて、その飯を食べた後に、
  その紙のしわを伸ばして紙に付いている飯を拾って食べてその紙を捨てないで
  鼻紙にするために取って置いた。】
  (前掲論文より)


「どこが家光やねん!!」

ってツッコミ入れないでよ。
貧乏くさくて、なかなか面白いエピソードでしょ?

まあ、世が安定してくるにつれて下々の者も華美に走る傾向にあったので、
倹約を奨励して、殿様みずからその範となるべく努力しておられたんだそうな。
「阿部対馬守」はのちに家光に殉死した、阿部重次さんのことね。

その他にも家光流の経済政策もあったようだけど、
すでに時代は倹約モードに入っておりました。
その一方で、贅を尽くした建物を日光にばんばん建てている。
単なる派手好きとか親子の確執だけでそういうことするかな?って思うんだよね。



作戦その2。
正保2年(1645)11月3日、日光東照社に宮号が宣下され、
「東照宮」に改められた。
格が上がったんです。

神社のことを「お宮」ともいうから大したことないようにも思うけど、
臣下を祀る神社で宮号が下されたのは天満宮(菅原道真)と東照宮だけなんだと。

どうもこれまでは、単に徳川家を優位に置くための宮号への変更と見られていたらしいんだけど、
近年になって「当時の対外情勢を考慮して国全体を守るための精神的支柱として神格化され、
東照大権現を国家鎮護の軍神と位置付けて、家康と天照が力を合わせて国を守る」という
説が提唱されているそうな。

あ、この説はたった今ネットで知ったんですけどね(笑)。
やっぱりアマテラス説はあちこちにあるんだ・・・


作戦その3。
正保3年(1646)、家光は朝廷に働きかけて伊勢神宮の例幣使を復活させた。
ついでに、日光東照宮へも例幣使を送る手はずを整えた。

つまり、天皇家の皇祖神である伊勢と同時に権現様へも例幣使を送るということは、
アマテラスと権現は対等の立場ということになる。
日光例幣使は慶応3年(1867)までのべ221回、1回も休むことなく
続けられたそうな。


とどめの作戦その4。
これは師匠・天海から引き継いだものだけど、輪王寺宮を誕生させた。


弟子がこうして忠実に教えを守って着々と作戦を遂行していく中、
師匠・天海もまた『東照社縁起』をまとめ上げ、山王一実神道の整備にあたった。

2人による見事な連携プレーの成果は、幕末までその力を保ち続ける。


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最終更新日  2014年07月28日 21時31分06秒


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