戦国ジジイ・りりのブログ

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2014年03月25日
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カテゴリ: 上野と寛永寺
ヨシ、これで庭園は終わりだな

時間もちょうどいいので、ルートに従って入口の方へ戻る途中、
灯籠があった↓。


春の寛永寺・旧本坊92



このすぐ近くになんだかよくわからないものもあったんだけど、
チラシによると鉄灯籠の名残りだったらしい(笑)。

春の庭園開放は4月13日(日)まで。
最近では結構このお庭も人気らしく、
桜の咲く頃はツアーに組み込まれてたりもするらしい。



庭園を出て、入口すぐのところにあるレストランに入る。
まだ昼には少し早いので私が一番乗り。
お兄ちゃんがカウンターの真ん中の眺めがいい席へ案内してくれた。
元三の日もこのカウンターに座ったけど、今日は桜が咲いてる分
前回よりもいい光景が広がる↓。


春の寛永寺・旧本坊93



ここでお昼を済ませて、いよいよ今日第2のお目当て、
ミュージアムシアターへ。


TNM次回お知らせ



シアターは当日予約制。
アシュランの上映が始まってからだいぶ経つので、

思ってたよりは人がいた。

前回の「よみがえる江戸城」の時はタダだったし人も多かったので、
少し前に行ったらもう列ができていた。
予約制だから座れないってことはないハズなんだけど、
席が決まってる訳じゃないので、いい席を取りたかったら早く並ぶしかない。


1人だけ並ぶのもなんだしな・・・
ロビーには10種類ほどの関連書籍が並べてあったので、
物色しながら開場を待つ。
その中で一冊、気に入った本がこれ↓。


春の寛永寺・参考図書



・・・うん、まあ、御想像の通り、
帯の「なぜ美少年か?」に魅かれたんだけどね(笑)。
でも立ち読みしてたら中もしっかりした本だったので、
終わってから本館のショップで買っちゃってね~。


え~と、まずはシアターの内容と感想からいきますかね。
まあ、前回の「よみがえる江戸城」もそうだったけど、とにかく画像がキレイ!!
アシュランの全体像はこうなってますが↓


興福寺阿修羅像
       (画像はウィキペディアより)


オープニングではこの足元からゆっくり舐めまわ・・・いへ、
至近距離からの撮影でどアップで顔までじ~っくり映す。
演出の効果ってすごいもんだなと思いましたね。

私はそれまでこの像を見たことがあるのかないのか覚えがないぐらい、
興福寺阿修羅像に関心があった訳でもないし、
美少年だと思ってた訳でもないんですが、
こういう特別な撮影ならではの映像をじっくり見てると、
最後には美少年にしか見えなくなってくるから不思議(笑)。

とにかく映像がホントに綺麗だったので、これはおススメです。
(会期は4月13日まで)

これが何のために造られた作品かはMCのお姉さんは言ってなかったけど、
少し前にトーハクで「国宝 阿修羅像」展をやったらしいから、
それとのタイアップだったのかもしれないな。



アシュランは「脱活乾漆」(だっかつかんしつ)という技法の像らしい。

まず木で大まかな形を組んで、粘土で像の元を造る。
次に、漆を塗った麻布を貼りつける。それを数回繰り返す。
漆が乾いたら、背中の一部を切り取って中の粘土を掻きだす。
空洞になった内部に再度木で造った芯を入れて固定させ、背中をふさぐ。
あとは表面の仕上げ。

大体こんな感じの製法らしいです。
要するに漆で造った張子みたいな?
漆を大量に使う技法のため、脱活乾漆像は奈良時代の終わり頃には
廃れたんだそうな。


興福寺に納められた沢山の仏像のうち、アシュランには7人の仲間がいた。
計8人で「八部衆」と呼ばれる。
ゲームや漫画では神話などをモチーフにしたものも多いから、
ご存知の方もおられるでしょう。

作品の中では色々説明もあったけど、大まかな流れとしては
興福寺が造られた背景の話に移る。

時は聖武天皇の時代。
藤原不比等の娘である藤原光明子は、民間から初の皇后になった。
いわゆる「光明皇后」です。

光明子の母が亡くなった一周忌に、藤原氏の氏寺である興福寺へ
これらの仏像と「金光明最勝王経」(こんこうみょうさいしょうおうきょう)を
納めた。
金光明最勝王経は、珍しく女性の成仏を説くお経なんだそうな。

して、アシュランの3つの顔のナゾに迫る。
仏像は右周りに見ていくそうで、最初の向かって左の顔は下くちびるをかみしめる
怒りの表情、次の向かって右の顔は怒りが少しやわらいだ伏し目がちの顔、
最後の正面は何かの決意を秘めたような表情、だったかな。

アシュランは元は仏の敵だったのが、のちに仏教に帰依して
仏敵から仏を守る立場へと変化したという。

なんでも、娘を誰か(ウィキペディアだと帝釈天らしい)に奪われたことに
怒り狂って戦いを挑んで、その恨みはずーっとずーっと続いたそうな。
そういう怒れる鬼神であったアシュランが仏教に出会って改心していく様子が
3つの顔の変遷だと作品の中では説明があり、阿修羅像には高度な精神表現が
求められた、とお姉さんが語っていたような気がする。

説明としては、大体こんな感じの内容だったかな。



では、次は『アシュラブック』(北進一著/美術出版社)から
アシュランについてもう少し詳しく。
これには色んな事がかなり詳しく書いてある。

日本ではおもに「阿修羅」という漢字が当てられるので
「アシュラ」という音が耳になじんでいるけど、元はアーリア人の崇拝する
太陽神・アスラ(ASURA)と考えられているらしい。
太陽神だから、最高神です。
アスラは個人名ではなく、「アスラ族」ということみたいです。

のちに、アーリア人はイラン高原とインド亜大陸へと移動する。
イラン系で「アスラ」にあたる語は「アフラ」。
イランでゾロアスター教(拝火教)ができると、アフラは最高神となった。
これがなんと「アフラ・マズダ」だそうな。

アシュラがアフラ・マズダだとはね!
私は今は日本史ばっかやってますが、世界史を好きな期間の方が長かったし、
特に古代文明は好きな方だったので、これは食いつきましたね。


さて、一方のインド。
移住したのちにアスラ族は最高神の立場から降ろされ、
かわって同じ太陽神であるデーヴァ族を最高神に押し立てた。
のち、仏教が成立するとデーヴァは「天」あるいは「天部」と呼ばれる。

デーヴァ族のボスがインドラ(帝釈天)。

アスラ族にも個別の名を持つ神がおり、
まずは日食と月食を司る天体の神・ラーフ(羅喉)。
それから千の眼を持ち罪人を絶対逃さない万能の神・ヴァルナ(水天)。
ヴァルナに並ぶ至上神で光明と契約を司るミトラ。
これらの神を統括するのが「大いなる光明」を意味するヴァイローチャナ。

ヴァイローチャナは華厳教では「毘盧遮那仏」、密教では「大日如来」と
呼ばれるそうな。


最高神が交代したことに関連してか、デーヴァとアスラが戦ったという神話がある。
VR作品の中では、自分の娘を奪われたことで戦いを挑んだって説明だったけど、
神話の中では不死の霊薬をめぐってのバトルだという話になっている。

最初はアスラが優勢だったのが、インドラが登場して大逆転・・・
不死の霊薬を奪い返し、敗者となったアスラを魔族におとしめたという。

これは神話の中の話だけど、祀る側の人間からは
勝手に格下げされたアスラがそれを恨んで人間に害をなす魔族と見られるようになり、
最高神から鬼へと転落してしまった。


そののち、シッダルータ王子が出て仏教が成立する。
シッダルータはもちろんインドラが・・アスラが・・・なんて説法は
しなかったはずだけど、勝手な人間たちはアスラがかつて最高神で
戦闘能力が高いことを買って、仏を守る守護神として再び崇めるようになった。
鬼から神へと返り咲いた訳です。

ここで、アスラは人間に近いなりを取るようになるが、
顔は1つ以上、手は4本以上という人間とは程遠い像も造られるようになった。
これはアスラが鬼だった頃の姿を反映したものだという。

アスラが東へ伝播されていくにつれ、その姿は3つの顔と6本の手を持つ像に
定形化されるようになった、とな。


で、上のアシュランの全身像を見て下さい。
高く差し上げてる左右の手は別にエキゾチックダンスを踊ってる訳じゃなく、
当初は日輪と月輪を持っていたと考えられているらしいです。
これは日食と月食を司るラーフから来てるんだな。

仏像の持物は長い歴史の中で失われてしまうこともあるけど、
絵画に描かれてる中では日輪と月輪を持たないアスラはいないんだそうな。

その下の肘を曲げてる左右の手は、北氏の推測によると
左で弓を持ち、右に持った矢をつがえていたんじゃないかという。
戦闘神のアスラらしいアイテムだよね。

そして合掌してる手・・・
これは、怒りがやわらいでいく過程だとする3つの顔の説明とともに、
最後に合掌することで仏教に帰依したことを表す、という方がいる。

が、右手の肘の先は欠損していたそうで、それを明治以降に
現在の合掌スタイルへ修復したものなんだそうな。
その欠損した右手の肘が左肘より少し下がっていることから、
もとは合掌していなかった可能性があるという。

うん、まあ本物にテキトーなアイテムを持たせる訳にはいかないけど、
彩色なども再現したクローン・アシュランに
弓矢や日輪・月輪を持たせてみたいと思うのは私だけではあるまい・・・


ところで、興福寺の他の八部衆はこういうスタイルです↓。


興福寺畢婆迦羅像・沙羯羅像
       (画像はウィキペディアから)


アシュラン以外は、みな鎧をまとっている。
アシュランだけが上半身裸で腰に薄布をまとい、
胸や腕には瀟洒なアクセサリーを付けている。

首飾りは胸飾(きょうしょく)といい、本来は菩薩が胸に飾るもの。
菩薩のモデルは、ブッダが王子だった頃の姿。
つまりは高貴な身分のシンボルで、【この像の胸飾は、阿修羅の本来的な
身分の高さを表しているのでしょう】と北氏は語る。

にしても、護法神のくせに裸でいいのか?とも思うけど、
こんな顔して怒らせたらコワイのかもしれない・・・


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最終更新日  2014年03月25日 21時36分11秒


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